Leem?
母校のとある建物が取り壊されることを知る。良い記憶ではないのだが、心が揺らぐのを感じた。
これで移転前最後の記事にしよう。
このブログで石見地方の女神・お姫様を結構取り上げた。姫たちのイメージは人それぞれだろうけど、僕の中でイメージにぴったりな女性が一人いる。
学生時代の先輩Tさん。僕の通う大学と交流のあった短大に通う女学生。セミロングのつややかな黒髪にきめの細かい肌、黒目がちでばら色の頬、若い頃の伊藤つかさに似た可愛い人だった。武道をたしなんでいて、優しさと芯の強さを併せ持った女性。家政科で料理も得意。大和撫子とはああいう人のことを指すのだろうと思う。ちらと聞いただけだが、就職先では「若先生」と呼ばれていたんだとか。
僕のような人間にも普通に接してくれた。それが有難かった。当時別の娘に懸想していて恋心は抱かなかったが、先輩が短大を卒業し、会う機会が減ると何となく寂しさを覚えた。何だかんだで慕っていたのだが、はっきり認識していなかった。
それから僕自身の起こした問題(こんなのばかりです)で当時の仲間たちと疎遠になってしまい、長い間記憶の底に押し込めていた。ふっと思い出したのは失恋したとき。すがりついて愚痴を聞いてもらいたい、そんな風に思ったが当然叶うはずもなかった。
その後、生活が安定してきたときも、今の自分を見てもらいたい、そんな風に思った。どちらかというと姉のような存在だったのだろう、末っ子なのでか、年上の女性だと安心するようだ。
何となく女神をイメージするのは袴姿を知っているからかもしれない。緋袴ではないが。二度と会うことは叶わないし、そうあるべきだ。遠くからお幸せを祈るのみ。ただ、「いずれ結婚したらハガキください」とお願いしようと思っていたのがしそびれたのは無念。それはともかく若き日の先輩の姿はしっかりと焼きついている。
NHK爆問学問をながら観。疎外感がテーマだろうか。
学生だったある日、当時は適量以上の酒をすきっ腹で飲んでいて、千鳥足――本当に千鳥足みたいな足取りになる――で帰る道をトボトボ歩いていた。
そのときふっと思った。
コノヒト、ダレ?
一瞬、自分を離れたところから見ているような気がした。
それが心の内なる無意識の声だったのだろう。
少年時代、世界はすぐそこにあって手を伸ばせば容易に届くものと考えていたが、それは大きな間違いだった。
身分制度があった時代はそれをどうにもならない枷と考える人――幕末から明治にかけて活躍した人はそうだろう――もいたし、逆に近代的な社会の中で自分の立ち位置を見失ってしまう人もいる。
久しぶりに和田加奈子さんのアルバムを聴く。「Vocu」辺りからスタイルが確立してきて、「dear」「DESSARTに星くずゼリーを」で完成する印象。早くに引退されたのが残念である。
学生のときだった。「dear」の「If」の歌詞、"Will もう逢えない 最後の夜がくるね"というくだりで何か感傷的な気持ちになったことを憶えている。
今好きなのは「DESSARTに星くずゼリーを」の最後の曲「'90 1/8 JUNの旅」。このタイトル、どう読むのか正確なところは分からない。90年、1月8日? なお、この作品の歌詞ではJUNが男か女かは不明。
僕は金釘流の悪筆である。特にボールベンだと目立つ。ペンを寝かせて持っているのが一因らしい。それでインクがかすれる。子供の頃矯正しないまま今に至ってしまった。パソコンが普及して手書きの場面は減ったけれど、やはり書くたびに恥ずかしい想いをする。子供の頃、近所の公民館で習字の塾があったのだが、僕は行かなかった。行っておけば、と今にして思う。
さらにワープロに頼りきりなので字をかなり忘れている。手書きのメモだととっさに漢字が思い出せないことがあるし、頓珍漢な書き損じも増えた。メモだからいいのだけど、脳が老化してるのだろう。
<追記>
そういえば小学5年生のとき、習字クラブに入った。少人数のクラブで、上級生の女の子によくしてもらった。が、あるとき僕は彼女をからかってしまい、「もう知らない!」という結果になった。結局謝れないまま彼女は卒業し中学に進学していった。今ではもう名前も思い出せない人だ。女の子らしい優しさや暖かさが印象に残っている。初恋とかではなかったが、今思うにああいう人こそ大事にしなければならなかったように思う。
深夜アニメをみる。劇中、主人公がカーテン越しにみえた女性のシルエットにドキリとさせられるシーンがあった。そういえば、僕は学生時代、洗濯機借りられないかなと思って女子更衣室を覗いたことがある(なぜそういうアホなことに至ったか失念)。「すみませーん」と声を掛けたところで、「はーい」と答えた女性のシルエットが曇りガラス越しに見えて、すぐに「あ、いいです」と逃げ出したことを覚えている。ドキリ、とした体験であった。
ある人を夢にみた。懐かしい。お世話になった人だが、もう会うことはないんだな、と少し寂しい気持ちにもなる。
夢の中で誰かを探しているが、その人は空白の様に消えていない。それは決まって高校の卒業式モチーフだった。そういう夢をみるときは大抵疲れているときである。よい友人になれたかもしれないが、もうそのままそっとしておく他ない。
そういえば夢は水際のイメージが多い。今日のは緑色の深い淵だった。深層意識との境目だろうか。