音楽
2023年6月24日 (土)
2023年5月28日 (日)
2022年11月11日 (金)
2021年1月17日 (日)
一向に素養が向上しない
NHK-FMの「ジャズ・トゥナイト」を聞き始めて何年になるかなと思って日記をGREP検索してみる。最古の記事は2012年12月まで遡れた。ブログを検索してみるとジャズのCDを聞き始めたのは2005年らしい。結構長く聴いているのだけど、一向に素養が向上しない。CDショップに行ってジャズのCDを手に取ったとして、何を選べばよいか分からないだろう。
2019年9月16日 (月)
Groove Musicで誤って曲を再生リストから削除してしまう
Windows Media Playerが使えなくなったので仕方なくGroove Musicというというアプリを使っているが、これ、曲目を選択・再生するボタンの隣に再生リストから削除するボタンがあって、本当に削除するか訊いてこないので、ボタンをクリックし損ねて再生リストから消してしまうミスを何度かやらかしている。アホなアプリだ。
2018年11月10日 (土)
2018年2月 6日 (火)
ツアー引退
ポール・サイモンがツアー公演を終わりにするとの記事が。日本には来てくれない訳だが、これはサイモンのアルバムが日本では売れないから。日本ではサイモン&ガーファンクルのサイモンとしての需要が強く、グレイスランド以降の作品は受けれられなかったようだ。ようするに作風の変化についていけなくなったのだ。僕がリアルタイムで追いかけているのは「ハーツ・アンド・ボーンズ」からなので、30年以上経過した訳でポールも歳をとる訳だが、残念なことである。
個人的な願望としては、最後に原点回帰してギター一本だけで作詞作曲したアルバムを制作して欲しい。
2009年10月22日 (木)
20年後に読み返すと――中村とうようのポール・サイモン批判
当時、衝撃を受けたが、20年近く経過して読み返すと、作品に対する批判についてはこういう問題提起もあるだろうと思う。実際、作品のクレジットを巡って共演したロス・ロボスと揉めたりもしている。
それよりも同じ頃に起きた飛行機事故についての記述に目がいってしまった。日本人の遠洋漁業の方たちが当時南アフリカに買い付けに行っていて犠牲になったのだ。アパルトヘイトの片棒を担ぐ日本人なんぞ……と言いたいのだろうか。これは遺族の方たちが読んだら激怒する内容だ。自己を「冷血漢」と正当化しているが、こういう発言はいずれ自分に跳ね返ってくるのだろう。
思うに、当時はパソコン通信の時代だし、仮に読者から苦情がきてもミュージック・マガジン編集部で握りつぶせてしまえたのだろう。
話を戻すと、ワールド・ミュージックを聴き比べてみた訳ではないので、当時のポール・サイモンの音楽性についてはどうこう言えない。ただ、幾つか強引なこじつけもあるように思えるし、南アフリカ音楽の定義から外れているからNGと言ってるようにも受け止められる。
僕個人はアパルトヘイトに直接言及していないのが却って良かったと思っている。元々穏健・中庸な歌詞の曲がほとんどだ。「ホームレス」の歌詞はいつの時代にも共感されるのではないか。
「グレイスランド」のライブ・ビデオもしくはCDがある。南アフリカで演奏できないため、隣国でのコンサートとなった経緯があって、当時ニュースで取り上げられたりもした。とうよう氏はポールの傲慢さが鼻について途中で視聴を止めたそうだが、このオープニング、一曲目は "Township Jive"という曲だ。コーサ語の曲とあり、ポール自身の曲ではない。タウンシップは南アフリカの黒人居住区を指すのだろう。非常に明るく聴いていて楽しくなる曲なのだ。辛辣なのがプロテスト・ソングとは限らないという好例ではないだろうか。
「グレイスランド」は南アフリカで現地のミュージシャンとセッションを重ねて先ずバッキング・トラックを完成させ、それに歌を載せていく流れ・スタイルで作曲・レコーディングされている。メイキング・ビデオで実例があったが、ニューヨークのスタジオで南アフリカで録音されたトラックにパーカッションを追加したりもしている。次作のアルバム「リズム・オブ・ザ・セインツ」も同様の流れでレコーディングされている。
この両作についての批評で、バッキング・トラックとポールの歌(旋律)とのミスマッチ感というかスイングしてないとでも言うか、そんな違和感を指摘する評論がいくつかあった。この辺りについては音楽に造詣の深い人の解説があれば、と思う。
僕自身、ミスマッチとまでは思わないが「グレイスランド」「リズム・オブ・ザ・セインツ」からボーカルトラックを外したらどんな風に聞こえるか、インストゥルメンタルとしても聴かせる内容ではないかと思っている(ある意味冒涜だが)。
ただ、一つはサンプリングという表現が極めて狭く解釈されたのではないかとも思っている。ライブで再現不可能なのかと勘違いしそうになった。
久しぶりに聴いていて思ったが、完成したバッキング・トラックに後からメロディを載せているのがミスマッチに思える理由の一つではないか。ライブ・アルバムに収録されたものの方がヴィヴィッドである。
ポール・サイモン「ザ・コレクション」という3枚組のアルバムがある。ベスト盤+グレイスランドのライブアルバム+インタビューという構成となっているが、「リズム・オブ・ザ・セインツ」のレコーディングの経緯について詳しい情報が記載されている。
「アフリカの南からすごい歌手達が輩出しているのは知っているだろうけど、すごいドラマー達がアフリカの西の方にいるのは知らないだろう」
「ドラムの歴史は西アフリカに発祥してそれからブラジルに行ったんだ。それからカリブの島々に伝えられ、究極の到達点はキューバなんだよ」
・中村とうよう「南アのアパルトハイトとその音楽 ゲイブリエル、サイモン、クレッグが提起する南アの問題」(ミュージック・マガジン1988年6月号[通巻256号], ミュージック・マガジン社, 38-47P)※これで国立国会図書館の遠隔複写サービスが利用可能です。
<追記 2020.04>
ポール・サイモンのアルバム「グレイスランド(発売25周年記念盤)」に収録された映画「アンダー・アフリカン・スカイズ」を視聴する。グレイスランド25周年を記念して制作されたドキュメンタリー。ポールが南アフリカに赴いて当時のバックバンドのメンバーと再会、それから過去に遡って南アフリカの黒人ミュージシャンとセッションを重ねるところから始まり、アルバム発売後の厳しい批判について触れている。
批判とは、要するにポールはアパルトヘイト下の南アフリカに対する文化ボイコットを破った。そして白人ミュージシャンが黒人音楽を搾取したという様なところである(当時の南アフリカ側の関係者によると、南アフリカの黒人音楽を世界に知らしめるチャンスであると感じたようだ)。ポールは南アフリカで録音する際、伝手となった人にANC(アフリカ民族会議)に話を通しておけとアドバイスされる。だが、ポールにとってそれは政治家による検閲を認める様なもので到底受け入れられるものではなかった。ポールは忠告を無視してレコーディングを始める。実際、ANCはアパルトヘイト下の南アフリカに対する文化ボイコットを主導しており、ポールが申請しても原則論で却下されただろう。その点で、黒人側からも拒否反応を示されたのである。
グレイスランドがヒットしてワールドツアーに乗り出した後も反対デモが活発だったようだった。僕は日本にいたので当時の世界の空気を知る由も無い。
作曲家のフィリップ・グラスだったか、ポールが南アフリカで行ったセッションはサンプリングと呼ばれるものだったようだ。録音したセッションをアメリカに持ち帰って、エンジニアのロイ・ハリーが編集する。そうしてバッキング・トラックが完成したとのこと。このバック・トラックに詩とメロディを乗せていくことで曲は完成したとのこと。
サンプリングと呼ぶと、ライブで再現不可能という印象を与えてしまう。実際にはそんなことは無かったのだけど。
当時の映像を見ると、セッションの際もレディスミス・ブラック・マンバーゾのメンバーたちは踊っている。
「ミュージック・マガジン」1986年11月号にグレイスランドのアルバム評が載せられている(118P)。他の評者が7点、7点、8点をつける中で、最後の評が3点である。この3点が中村とうようの評点である。
いかにもサイモンらしいズルいアルバム。だからズル・ジャイヴ? アフリカ各地などからミュージシャンを集めておいて何もやらせない。まるでお座敷にタイコモチを呼びながら芸なんかやらなくてもいいよ、金はタンマリ払ってやるよ、と言ってるイヤミな旦那。なぜやらせないか。やらせたら主役の自分が喰われちゃうから。第三世界に理解あるポーズで評判だけ自分のものにしよう。そこがズルい。そのタイトルがどうしてエルヴィスの母親の名前なの?3点(グレイスランド/ポール・サイモン)
やっぱりデイヴィッド・バーンはポール・サイモンの何倍も頭いいし音楽わかっているね。記事のほうでも書いたように内在的にノリをもったメロディを巧みに構築しているから、彼らの音楽は外へ外への広がる力を持つ。サイモンの音楽は逆に内むきに縮まってゆく。かつての名作『リメイン・イン・ライト』と比較してどうこういうのも意味のないことで、今回のは『リメイン…』とは色彩は異なっても同じくらいに強力で同じくらい楽しい音楽だ。9点(トゥルー・ストーリーズ/トーキング・ヘッズ)
とある。10点満点中3点というのは明らかに恣意的な採点で、とうよう氏がポール・サイモンを嫌っていることがよく顕れている。
ミュージック・マガジン2012年9月号に大鷹俊一「25年後の『グレイスランド』ポール・サイモンの問題作の発売25周年記念盤を機に、その評価を再検証」という記事がある(74-77P)。「グレイスランド」発売25周年記念盤がリリースされたのを背景として、ミュージック・マガジンで再検証した記事となる。なにせ今や歴史的名盤と言ってもいいアルバムを過去の記事で盛大にこき下ろしているのだ。その評が当を得たものであったのか問われているということになる。
記事でもDVD「アンダー・アフリカン・スカイズ」を観ての評論となっている。「グレイスランド」は当時500万枚(全世界で累計1400万枚)という大ヒット作となりグラミー賞を受賞する等高い評価を受けたのだけど、同時に厳しい批判を受けた。
一つは、当時アパルトヘイトをしていた南アフリカ政府に対する世界中からの文化的ボイコットをどう考えるかという点。そしてもう一つがベテラン読者なら思い出されるかもしれないが、当時の編集長、中村とうようさんに代表されるアフリカ音楽のおいしいところだけをつまみ食いしただけじゃないかという批判だ。
この内、著者の回想によると、グレイスランドと同時期、ミュージック・マガジンでもワールド・ミュージックをプッシュする流れがあって、例えばレディスミス・ブラック・マンバーゾも紹介されていたとのこと。グレイスランドとやりたいことがぶつかったのだ。とうよう氏的にはこれから日本でプッシュしようとしていたところにトンビに油揚げをさらわれた的な印象を受けたのだろう。日本で地道に啓蒙活動に励んでいたら、アメリカで大々的にプッシュされ華々しく脚光を浴びた、この一件が嫉妬心といってもいいか、グレイスランドの酷評に繋がったと思われる。狭量なのである。
その他、「レコードコレクターズ」2012年7月号でも宮子和眞「ポール・サイモン 新リマスターCDと当事者の証言DVDで綴る『グレイスランド』25年目の真実」という記事があった。
「サイモンと一緒に世界を回った黒人のミュージシャンたちは、個人として良い経験をしたのは間違いない。しかし、アパルトヘイトに苦しむ南アの黒人全体にとってみれば、文化的交流のボイコットへの賛同こそが彼らの利益だった。サイモンは南アに来るべきではなかった」、そう語る活動家のコメントは真理を突いているようにも思える。
対してサイモンは言う。「僕はただいいアルバムを作りたかっただけなんだ」
とある。「アンダー・アフリカン・スカイズ」によると最初に紹介されたボヨヨボーイズはセッションで上手くいかず、結局レイ・フィリが率いるバックバンドがチャンスを得た形となっている。
しかし、結果論であるが、グレイスランドのヒットは当時「三流(※アンダー・アフリカン・スカイズ)」とされていた南アフリカの黒人音楽の評価を上げ、南アフリカの黒人層に自分たちにも世界に通用する素晴らしい音楽があると知らしめたのではないか。自国文化に誇りを持つことが悪いことなのか。
僕自身は「グレイスランド」発売当時、アフリカン・ギターの独特な奏法に魅了された。一方で、リズムに重点を置いた分、美しいメロディ、バラードが影を潜めた様にも感じた。
<追記>
ポール・サイモン「グレイスランド・ザ・リミックス」をAmazon Musicで聴く。グレイスランドを現代に再現するとこうなるといった雰囲気であろうか。
「グレイスランド」発表当時、音楽評論家の中村とうようが激烈なポール・サイモン批判を行った。日本の評論家の多くは同調したのではないか。ポールのアルバムの売り上げは日本では伸びなかったそうである。多分、これも一因である。
「グレイスランド」は南アフリカ(※だけではないが)のミュージシャンの演奏したバッキング・トラックにポールのメロディが載っているという構造になっている。だから純粋な南アフリカ音楽ではない。むしろ、南アフリカのミュージシャンを起用したニューヨークの新しいスタイルのサウンドだったと言った方がいいのかもしれない。
中村とうようが怒ったのは、よりによってポールが金の鉱脈を発掘したからだ。自分たち音楽評論家が地道にワールドミュージックを紹介、普及に努めていたところに、ポールが美味しいところをかっさらっていったのである。怒るのは理解できる。
2009年7月15日 (水)
やっと、武道館
日本武道館のサイモンとガーファンクルのコンサートに行く。
カメラを預けて入場。以下、感想。
武道館の八面の内ステージは北面に設置されていて、自分の席は西の2階席。ステージ真横から見るかたちだが、三十メートル程の距離か、よく見える。双眼鏡だと表情も読み取れたほど。
会場は西と東の最上段の席を除いてほぼ人で埋まっていた。
演目は東京ドームと同じ。前回のカーテンコールでヴィンセント・ンギニさんの名があって、いた?と思ってたが、ステージ右側のギタープレイヤーは曲によって交替していたようである。
音響はわずかに残響が聞こえることがあったが、特に気にならなかった。
アメリカの歌ではボウタイがカメラ~というところでアートがネクタイに手をやってゼスチャーしていた。途中から白のワイシャツに代えてアロハシャツだろうか、着替えていた。
ソロのコーナー。「ブライト・アイズ」はアートの他に誰か声をつけていたか?はっきりとは分からず。
ポールのコーナーはアルバム「グレイスランド」から2曲。それから「時の流れに」が演奏される。この曲の聞き所はやはりサックスの間奏だが、観客の反響も高かった。原曲で演奏したマイケル・ブレッカーさんは亡くなったことを思い出す。リチャード・ティーさんもいない。
「ニューヨークの少年」の間奏、各ミュージシャンたちのコーラスはこのコンサートの聞き所だったかもしれない。ニューヨークに関する曲が2曲歌われたことになる。
アートは正面だけでなく、西や東の席にも気をくばって、拍手を促したり手を振ったりしてくれた。「明日に架ける橋」で歌いきったアートの表情が「どうだ!?」と言わんばかりだったように思えた。観客は総立ち。歓呼の声で満ちていた。
ボクサーで「ライラライ」と唱和したかったが、やっぱり無理でした。
カーテンコール、ギターのマーク・スチュワートさんがペコリとお辞儀をしたとき、ポニーテールの髪をひょいと顔に垂らして笑いを呼んでいた。退場の際、西席にも手を振ってくれた。手を振ると、おっという反応だったように思えたので、向こうから見えたのかもしれない。
武道館ならではの一体感が実感できて満足した。行ってよかった。東京ドームと武道館、両方経験できてよかった。比較して分かることもあると再認識。
門を出て夜空を仰ぐ。そのとき見えた三つの星が夏の大三角形かどうかは分からない。
2009年7月12日 (日)
ウーファー…
7/11 東京ドームへサイモンとガーファンクルのコンサートに行く。以下、感想。
カメラを係に預ける。ペットボトルの中身は紙コップに移して観客席へ。
自分の席は2階席の最上段。これでS席。座席間が狭く、ちょっと席を外して……とはいかない雰囲気。見晴らしはいいが、外野後方・バックスタンド手前、つまり自分の席から百数十メートル先に位置するステージの人影は小指の先ほどの大きさ。三つ設置された大画面スクリーンは鮮明かつ綺麗な映像で、技術の進歩を感じた。
音響、想像以上に悪し。ウーファーか、重低音を強調し過ぎ。初めの数曲では音が割れた/歪んだような印象。とにかくバックバンドの演奏がポールとアート、二人の歌声を隠してしまう。ハーモニーはやはり素晴らしいのだが、演奏がクライマックスに達すると歌声が聞こえづらくなってしまうジレンマ。これならギター一本で歌ってくれる方がいいと思った。
「ミセス・ロビンソン」は途中に"Not Fade Away"という曲を挟み、アレンジも2003年のツアーから進化した印象。
途中、アートとポールのソロコーナーを挟む。「ハート・イン・ニューヨーク」はアップテンポ気味の演奏で、割と好きな感じだった。「パーフェクト・モーメント」は数年前にリリースされたアルバムからの選曲。あ、あの歌かと思い出した。続けて歌われた曲は定かでない。
ポールの曲は「ボーイ・イン・ザ・バブル」「グレイスランド」「時の流れに」であった。「グレイスランド」は二人で歌って欲しかった気もする。
明日に架ける橋、ラストのクライマックスもアートの声がよく聞こえなかった。そもそもS&Gのコンサートで重低音を強調する意味があるのか。バックバンドの音量は控えめにして欲しかった。
下の席の人たちに目をやると、皆、歌に合わせて頭が揺れていた。ちょっと気分が和む。
大画面スクリーン、ステージ裏から撮った映像が何度か挿入される。大観衆を前にしたポールとアート、二人の後ろ姿。背丈の違いが際立って微笑ましい画でもあり、旧友同士、歳月の重みを感じさせるものだった。あれがベストショットではないかと思う。
ボクサー、DVDに収録された外国のライブだと「ライラライ」と唱和するようだが、日本では大人しいのか観客は手拍子のみ。
「木の葉は緑」、ポールがグッバイというフレーズを口にしたとき、本当に「グッバイ」と言われたような気がした。確かにこれが最後かもしれない。
最後の一曲前、全ミュージシャンがカーテンコールのような感じでステージに並び、ポールとアートが紹介していく。南アフリカと西アフリカから参加のミュージシャンが数名いた。リズム隊と呼ばれた人達。
「セシリア」は2度演奏された。以前のポールのコンサートで「コール・ミー・アル」が続けて演奏されたことを思い出す。皆で踊ろうよということなのだが、アリーナ席の人達は立って踊っていたかどうか、眼鏡の度が合わなくてよく分からなかった。
振りかえると、自分にとっては何ともいえない気分。とにかく座席S・A・Bの基準がよく分からない。豆粒はともかく音響面で同じような不満を抱いた人は意外と多いのでは。これは座席位置にもよるし、他の人も皆そう思っている訳ではなく、満喫して帰路についた人が多数なのは終演後の雰囲気でも分かる。
ドーム球場や野外コンサートではこういった当たり外れはあるのだろう。むしろギター一本の演奏の方がこういった会場向きなのかもしれない。
でも、自分にとってドームでのライブはこれが最初で最後になるだろう。色んな意味で。
より以前の記事一覧
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