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2009年4月27日 (月)

演技と身体性

「演技と演出」(平田オリザ, 講談社現代新書, 2004)を読む。同じく講談社現代新書の「演劇入門」とセットの関係。

これまで演劇とは全く無縁であった。関節の油がきれたロボットのような動作の僕は人前で演技するのは無理。200%くらいの確率で笑われるだろう。セリフも覚えられないし。

学生のとき、現代日本を代表する哲学者の教授がいらした。著書を読んだのだが、実はピンとこなかった。意識と身体の関係など様々な分野を語っていた。演劇についても言及されたはずだが、なぜ演劇を語るのかしっくりとこなかった。この本を読んでようやく腑に落ちた印象である。演技は身体と密接に関わっている。演技と身体性について教授は語りたかったのかもしれない。

身体論について:
哲学者の市川浩は精神と身体の二元論ではなく、両者の境界、中間的な位置づけだろうか、曖昧な領域を<身>という領域、概念で論じていた。

「演劇入門」で著者の平田氏は会話と対話――"conversation"と"dialogue"の違いを詳述していた。本著では「コンテクスト」――文脈というニュアンスで用いられるのが通常だが、例えば、出身地によって「~ね」といった間投助詞のニュアンスが微妙に異なるなど、役者と演出家の間のコンテクストのわずかな違いによって演出家の意図が役者と共有できない、そういった点について詳述されている。

身体性については「負荷をかける」演出、人は複数の動作を並行的に自然とこなしながら生きている訳だが、そういった演技を求める演出法として詳しく述べられている。

この章を読んでふと思い出したのが、スポーツのコーチ学。スランプに陥ったとき、一度出来たところまで立ち戻ってトレーニングするという手法。詳しい内容は知らないので、ここで提示するのが適切かは分からない。

最終章ではスタニスラフスキーとブレヒトの演劇論について論じられている。スタニスラフスキー・システムは平たくいえば役になりきることか。例えば(この本の事例ではないが)「板付きの演技」を好まない演出家がいる。わざと台本にないセリフを投げかけ、反応をみるのだそうだ。そういったメソード演劇について相対化した視点で述べられている。

ここで分かりやすい題材として、フィクションだからと前置きしてだが漫画「ガラスの仮面」が挙げられている。作中では主人公のマヤの役作りが見所だが、これが唯一絶対的なメソッドではない、くらいのスタンスだろうか。反例として日本の伝統芸能について軽く触れている。様式美的なものか。

<追記>
NHK「爆問学問」FILE088:「カブキズム!」河竹登志夫(比較演劇学)の回、太田光がスタニスラフスキーに触れて「著書を読んだけど、結局は型だ」とコメントしていた。なので、やはり原典を読まないと駄目だろう。

一方でブレヒトの演劇論・「叙事演劇」についても触れられている。「なーんちゃって」と要約しているが、カタルシスから一歩引いた視点だろうか。

演劇については平田氏の著書しか読んでいないので、先ず引用されたスタニスラフスキーやブレヒトの著書に当たってみるべきなのだろう。もしくは同郷の偉人・島村抱月か(平田氏は近代演劇黎明期に対して批判的な視点をお持ちのようだ)。

市川浩の身体論については『精神としての身体』『「身」の構造―身体論を超えて』が代表的な著作で、現在でも講談社学術文庫にラインナップされている。

上で挙げた教授は中村雄二郎氏。

「演劇入門」(平田オリザ, 講談社現代新書)についての記事 →こちら

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