いずれは誰にも訪れることだが
大叔母が亡くなったことを知る。祖母の異母妹だが母と同い年だそうで、平成の世ではあまり無さそうな人間関係かもしれない。春、祖母の葬儀で会ったときは特に具合の悪い様子もなかったので分からないものだ。もう一方、親戚筋でお亡くなりになった方がいる。大叔母の分骨を済ませた翌日亡くなったとか。気力でやり遂げたのだろうか。
大叔母が亡くなったことを知る。祖母の異母妹だが母と同い年だそうで、平成の世ではあまり無さそうな人間関係かもしれない。春、祖母の葬儀で会ったときは特に具合の悪い様子もなかったので分からないものだ。もう一方、親戚筋でお亡くなりになった方がいる。大叔母の分骨を済ませた翌日亡くなったとか。気力でやり遂げたのだろうか。
NHK爆問学問をながら観。疎外感がテーマだろうか。
学生だったある日、当時は適量以上の酒をすきっ腹で飲んでいて、千鳥足――本当に千鳥足みたいな足取りになる――で帰る道をトボトボ歩いていた。
そのときふっと思った。
コノヒト、ダレ?
一瞬、自分を離れたところから見ているような気がした。
それが心の内なる無意識の声だったのだろう。
少年時代、世界はすぐそこにあって手を伸ばせば容易に届くものと考えていたが、それは大きな間違いだった。
身分制度があった時代はそれをどうにもならない枷と考える人――幕末から明治にかけて活躍した人はそうだろう――もいたし、逆に近代的な社会の中で自分の立ち位置を見失ってしまう人もいる。
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