む・・・
アクセスカウンター、む、自分で10,000のキリ番を踏んでしまったか。
NHK芸術劇場をながら観。劇場への招待「何日君再来(イツノヒカキミカエル)」。ジョン・レノンの「イマジン」がフィーチャーされている。そういえば映画「スパイ・ゾルゲ」のラストも「イマジン」だった。
個人的にはポール・サイモンの「レイト・グレイト・ジョニー・エース」を連想した。三人のジョン(ジョニー・エース、J.F.ケネディ、ジョン・レノン)の死を歌った曲。日本人にとってそれほど思い入れのない人達かもしれないが。
イマジンは押しも押されぬ名曲だが、なんかこう、何故引用されたのがイマジンなのか今ひとつ分からない。単に争いなんてやめようよ、というシンプルなメッセージかもしれない。が、テレサ・テンの歌で押し切るべきでは? もっとも、しっかり視聴したわけではないので意図が伝わってないのかもしれない。
話が完全にそれてしまうが、「レイト・グレイト・ジョニー・エース」の歌詞を参照すると、少年時代の1954年、ラジオのDJがジョニー・エースの死を伝えた。1964年、ビートルズやストーンズの年だったけど前年にジョン.F.ケネディが暗殺された。そしてとある12月、見知らぬ人がジョン・レノンの死を知ってるかい、と声をかけてきた。こんな感じで、短編小説のような趣がある曲。
サイモンとガーファンクルの再結成コンサート(セントラル・パーク・コンサート)でこの曲はお披露目された。が、ちょうどジョン・レノンの死に触れたそのとき暴漢が乱入した、という事件で知られている。後にアルバム「ハーツ・アンド・ボーンズ」で完全版としてリリースされた。フィリップ・グラス作曲のクロージングでアルバムは締めくくられる。・・・というわけで「いわくつき」の曲なんだとジョークのネタにされることもあった曲。その後、アルバム「ユー・アー・ザ・ワン」発表当時のライブ・ステージで披露されたときは何事もなかった。
映画「恋空」を観にいく。単にCMの新垣結衣が可愛いかったから。元はケータイ小説だとか。後ろの席の女の子は泣いていた。「アルマゲドン」以来の経験である。・・・拉致、暴行されるシーンは唐突な気がしたが、考えてみると、白昼堂々とやるかどうかはともかく、被害者視点では案外ああいうものなのかもしれない。しかし、その後の図書室、妊娠したら高校退学にならないか? 舞台はどこなのだろう? 原作を読んでないので分からないが、ロケ地は北関東と九州もあってばらけていた。雪が降る、海辺、工場かららしき煙、と地方のそれなりの規模の都市か。
数年前、親類の家にお邪魔したとき、飲みに連れていってもらった。親類と顔なじみのお客さんがいたのだが、海外出張の話題なので商社マンかな、と思った。実はその人は日本有数のバンジョープレイヤーらしく、それであちこちで演奏しているとのことだった。
アメリカではバンジョーは庶民の楽器だそうで、それ故、ジョークのネタにされることもしばしばらしい。バンジョークというジョークがあるのだとか。
僕が教えてもらったのは
Q.「バンジョー弾きが銀行強盗に入った」
A.「金を出せ。さもなくば、弾くぞ」
これは英語では "Pay! or I play!"ともっとシンプルなフレーズになる。
Q.「バンジョー弾きが20万ドル儲ける方法は?」
A.「40万ドル用意せよ」
てな具合で、僕はすっかり気にいってしまった。他にも有名なのが色々あるのだが、それは専門のサイトに譲る。親類のサイトに載っていた別のジョークを紹介しよう。
「ある酒場に入ったら、ギター弾きの脳みそとか、サックス吹きの脳みそとか、いろんなミュージックプレイヤーの脳みそを詰めた酒を売ってたんですわ。ロックミュージシャンの脳みそとかはけっこう大きいんですけど、中にバンジョー弾きの脳みそがあって、それはすごくちっちゃいんですよ、で、じゃあバンジョー弾きの脳みそ酒をくれって言ったら、それが一番高いんですって。なんでや思います? ほとんど取れないから貴重品扱いだったという……」関西弁なのはそこが滋賀なので。
記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)
NHK「あみんコンサート~24年ぶりのハーモニー~」をみる。ハーモニーは健在だった。「待つわ」のシングルレコードは兄姉誰が買ったかしらないが、棚にあって僕もよく聴いていた。
岡村孝子さんがソロで活動しはじめたとき、僕は学生だったろうか、何となくだが二人の間に不和があったのかもと連想してしまった。wikipediaをみるとそうではなくて、加藤さんが退いて一般人としての生活を選んだという経緯らしい。
大相撲初日を観る。休日だが、上の方は空席が目立つ。まあ、チケットがとり易くて僕のような一見さんには敷居が低くなっているかもしれない。ああいう巨漢がぶつかり合う迫力はやはりその場にいないと全ては伝わらないだろう。
「ゆとり教育」の見直しが事実上はじまっている。数年前から学力の低下が懸念されはじめ、中教審が事実上それを認めたということだろう。
僕が読んだものでは9月の毎日新聞の社説、非常に歯切れが悪かった。少し前の朝日新聞社説も枝葉末節の議論に終始した感がある。それはそのマスコミがゆとり教育を後押ししたからであろう。「ゆとり」が提言された頃は受験競争が激しい時代で、荒れる学級、登校拒否などの歪みが生じていた。また、詰め込み教育の弊害として応用力の弱さについて議論されていた。ただ、原則十年に一度の改訂なので時代の要請とズレてしまった感がある(今は少子化で以前に比べれば競争は若干緩和されているはず)。
僕は週五日制導入をうらやましく思ったりしたが(仕事だと週休2日の方が明らかに体が楽なのです)、教師の方がネットで発表した日記・ブログだと、学校行事などもあって、カリキュラムのやり繰りに苦労なさっているように見受けられた。
学ぶことの究極的な理想は個々人の習熟度に応じた教育だろう。それは実質的に不可能だから学校という制度がある。少人数の教室が志向されるのはそうだ。近代国民国家の要請として国民皆教育、均一な質の人材を送り出す役割を持たされた面もあるだろう。一度きった舵を修正するのは容易でない。やはり十年単位の時間が必要だろう。
僕自身、受験一辺倒だった高校時代については複雑な想いがあるが、出来る子に対しては積極的に伸ばしてやるのも期待されているだろう。人間、興味をもった分野ではぐっと伸びる。様々な工夫がされているだろうし、そういうものを情報共有するのもありかもしれない。
シロイルカのバブルリングが話題になっているが、島根海洋館アクアスのシロイルカたちだった。数年前に行ったときはなかった。ひれを振って挨拶するのが可愛らしかったのを憶えている。
ソフトバンク携帯のCMでは「島根のおじさま」となっていた。バブルリングをはじめたのはアーリャというメスらしいので実はおばさまかもしれない。
ニュースで島根県浜田市の畳ヶ浦からノジュール(団塊)と呼ばれるボール状の奇岩が数個持ち去られる事件が発生した、と報道された。砕かれ持ち去られた跡が写されていた。自然に対する敬意がないのか。
新聞報道を読むと事件は10月で、観光ガイドの方がノジュールを持ち去る男女に遭遇していたようだ。初動が早ければ、と思う。
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