親父にもぶたれたことないのにっ!
「元祖!でぶや」を久しぶりにみる。ガンダムねたオンリーの芸人さん(若井おさむ)登場。アムロの声そっくりで妙に可笑しい。そうか、石塚さんとパパイヤさんはガンダム知らないか。意外と当たりの回だったかも。
「元祖!でぶや」を久しぶりにみる。ガンダムねたオンリーの芸人さん(若井おさむ)登場。アムロの声そっくりで妙に可笑しい。そうか、石塚さんとパパイヤさんはガンダム知らないか。意外と当たりの回だったかも。
TV映画「亡国のイージス」をみる。シリアスなタッチで物語は進むが、話の核心は超兵器争奪戦で007シリーズとかと大差ないか? こういうご時勢なので、荒唐無稽なとは言い切れない。しかし、日本人が戦争してないのは、この60年ほどである。中井貴一扮する外人テロリストに言われる筋合いではないだろう。原作未読なので分からないが、原作ファンにとっては尺の関係で不満があるそうで、それならいっそ毒ガスはカットしてもよかったのではないか。
作中、「国」という言葉がしばしば飛び出すが、それが何なのか茫漠として掴みにくいと思う。大義がなければ戦えない訳でもないだろう。
近所の映画館にいき、「DEATH NOTE」前編をみる。実はHDDレコーダーに録画してあったのだが、リバイバル上映で1000円だし、映画館で集中してみるか、となった。原作漫画は未読だが、深夜アニメで興味をもった。
気に入らない奴に仕返ししたい、とか悔しい想いが発想の元だろうか。北斗の拳が人気を得たのも似た構図かもしれない。あれも、主人公が悪役を容赦なくバッタバッタと倒していく姿に僕たちは熱狂した。
敵の名を知ることが軸になっている。忌み名などに通じるものだろうか。
群馬大学医学部を受験した主婦が年齢を理由に不合格とされた、と提訴され棄却された裁判があったそうである。試験の得点は合格点を上回る水準で、面接が主な理由ではないかと推測されている。確かに医者になるには年齢的に遅かったかもしれない。この人がもっと早く新しい人生を望んだなら、ポテンシャルからいって成功したかもしれない。いや、実際医学部の試験はかなりハードルが高いはずである。僕も一時医者になろうかと思ったことがあったが(腹いせで)、どう考えても無理なので手をつけずに終わった。とにかく、この人の努力自体は素晴らしいものであり、何らかの道が開けるといいと思う。既に基礎はできているので別の分野に進出することはそう難しくないのではないか。ただ、年齢はやはりハードルになると思う。それを乗り越える努力・意思の強さも持続しなければならないだろう。
高校の必修科目履修漏れがニュースになっている。前に母校のカリキュラムをWEBサイトで確認したら、「情報」の履修がなかった覚えがある。多分、受験にシフトしたのだろうけど、いや、情報の基礎なんかはやっぱりやった方がいいと思う。僕は20代半ばでパソコンを買ってようやくその価値がわかった。正直遅すぎる。コマンド入力の時代で、今の様に誰でも使えるOSがあったわけではない。裕福な家庭の子がパソコンを持っているという図式だった。ただ、それらの世代が今の中堅世代なわけである。まあ、僕は高校時代以降脳がフリーズしてたので理解できなかったかもしれないが。
NHKダーウィンが来た!生きもの新伝説「ウナギが歩いた!岩登りと大回遊」をみる。ウナギは多少の湿り気があれば地上を通り道にすることがあるとのことだった。僕は小学生のときウナギを捕まえたことがある。ヌルヌルしてつかめなかったが、あぜに放り上げて捕まえたのだった。で、家の水槽に入れていたのだが、あるとき、水槽を抜け出した。番組で放映されたのと似たシチュエーションである。そして、溝を目前にして息絶えていた。乾燥して干からびた死体にアリがむらがっていたことを覚えている。思えばかわいそうなことをした。
NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」をみる。コンビニチェーン・ローソンの新浪社長が登場する。クローズアップ現代で取り上げられていたが、コンビニの業態が昔の近所のお店屋さん感覚というのか、高齢者など新たな層を取り込もうとしているそうである。で、企業のシンボルカラーを変えるのがいいのか僕などには分からない。馴染みのある青をベースにバージョンアップするのはありだと思う。また、店舗形態別にカラーを分けるのもありかもしれない。
元は部下を他人の前で罵倒することもされていたようである。以前ワタミフーズだったか、社長が同じく会議の席で店長をつるし上げる場面が流されて不快感を覚えたことがある。人間、やはり面前で痛罵されるのはつらい。それで発奮する人と萎縮してしまう人に分かれると思う。僕は後者だった。正直、僕は向いてなかったのだろう。
仕事のやり方を変える、というのは例えば、業務基幹システムをリプレースする場合や新規導入する場合にも起こりうる。既存のシステムをその企業向けにカスタマイズすることもあるが、デメリットも多いそうだ(OSのバージョンアップなど運用面で。結局コストがかさみ、独自開発するのと大差なくなる)。システムに仕事を合わせる、というのも考えてみれば本末転倒になりかねない(もちろん基になっているのが業界標準的な手法なのであるが)。
<追記>
看板を掛けかえるというのは、それだけで余分な費用がかかる。また契約内容に関わるかもしれない。加盟店は渋るのが普通だろう。どう説得されていくのだろうか。その後を追ってくれるといいと思う。
OSのアップグレードがようやく終わる。SP2のインストールで失敗し、リカバリしたME→XPSP1→SP2とやり直し。延べ3日間かかったことになる。SP2のインストールは非常に重い。また、ノートンインターネットセキュリティ2005も重い。僕の非力なマシンでは限界なのだろう。
失敗:WMPのライセンスのバックアップが古いままだった。コピーしたものの聞けない曲が大量発生。
SF作家の豊田有恒氏(宇宙戦艦ヤマトなど)、なんと現浜田市民だった。島根県立大の教授だとか。
島根の民話の映像化を進めていらっしゃるそうだ。
韓国通で有名な先生だが、浜田市にはかつて韓国との通信に用いられた旧KDDの施設(マイクロウェーブ パラボラアンテナ、海底ケーブル)があった。そういう意味でも幸福な人選であると思う。
http://iwamiyoitoko.com/index-kiji-view.asp?ID=1050-0007
http://www.imawi.net/%7Etoyota/
深夜アニメをみる。劇中、主人公がカーテン越しにみえた女性のシルエットにドキリとさせられるシーンがあった。そういえば、僕は学生時代、洗濯機借りられないかなと思って女子更衣室を覗いたことがある(なぜそういうアホなことに至ったか失念)。「すみませーん」と声を掛けたところで、「はーい」と答えた女性のシルエットが曇りガラス越しに見えて、すぐに「あ、いいです」と逃げ出したことを覚えている。ドキリ、とした体験であった。
フジTVドラマ「のだめカンタービレ」を途中から観る。元々ドラマ化が決定していたのが、原作と乖離した内容だったので、差し戻されたとかいう噂だったが、実際みると、あまりに漫画っぽい演出で逆に笑えてしまう。あのミルフィーさんは竹中直人さんか。流石にのだめの部屋はファンシーな雰囲気に替えられている(笑)。昔僕はトレンディドラマに拒否反応を起したものだが、ストーリーを知っているからだろうか、素直に笑える。
<追記>
「ぷぎゃー」というアスキーアートがいつ頃から流行ったのか知らないが、「のだめ」にこの擬音が出てきたのは憶えている。
「星の王子さま」(サンテグジュペリ 池澤夏樹訳 集英社文庫)を読み終える。知られている通り、非常に繊細な文であった。数年前、「ひみつの階段」という少女漫画を読んで、あるエピソードで学園祭の出し物が星の王子さまの劇である。脚色するとどうなるのだろう? と想像する。
「オズの魔法使い」(バウム作 守屋陽一訳 ポプラ社)を読み終える。読んだきっかけは、少し前に大阪USJに行ったからである。出し物で「Wicked」というミュージカルがあった。それは悪い魔女と良い魔女がどうしてそうなってしまったのかという過去を描いたものだそうだが、USJで上演されたのは残念ながら大幅にはしょられたもので、二人に友情があるなんて思えなかった。よい魔女のグリンダはまるでブリっ子(死語)にしか見えないし、悪い魔女はおぼこ娘が急に能力に目覚めてしまう風に思えた。そんなわけで、子供の頃読んでなかったのもあって読んでみた。英語の授業でちらりとやっただろうか。
登場人物たちは欠落を埋めるために旅をする。物語の一つの基本パターンだろう。旅の中で彼らは欠落を埋めていく。最後にオズがしたことは偽薬効果に過ぎないだろう。
欠落を埋める、これは僕にとっても大きな課題である。過去に失ったものがあまりに大きい。気づいてみれば僕という人間は砂上の楼閣に過ぎなかった。欠落に気づかず放置していたため、基礎が歪み、やがて崩壊した。
川崎の月読神社にお参りする。市ヶ尾から柿生に向けて道なりに進み、日産、トヨタのディーラーと過ぎると、団地にあがる交差点がある。そこを右折し上がっていくと、やや見えにくいが標識が立っており、脇道に入る。生活道路なので狭い中を進むことになるが、行き当たりまでいくと駐車場がある。すぐ脇にお社がある。
<追記>
島根県浜田市では、詳しくないが、三階山頂上の神社が三貴神をお祀りしてたのではなかったかと思う。三階山頂上まで登ると結構な運動になる。元旦の日の出を迎える人で賑わう。月読命を祀った社はそれほど多くなく、古代史の謎の一つかもしれない。
<追記>
・・・浜田の月読は駅前商店街にある料理屋さんであった・・・
NHK「ドキュメントスポーツ大陸・スポーツ史の一瞬」を観る。今日は体育の日であった。バレーは日本が近代的戦術を先んじて取り入れたくらいしか知らなかった。スポ根ものさながらの猛特訓があったとは。僕なら簡単に心が折れてしまうだろう。どんなジャンルでも創意工夫が必要ということで、反省させられる話である。まあ、僕は本当に運動音痴なので努力してもたかがしれてるのだが。
映画「アメリカン・グラフィティ」を観終える。なぜか今まで見逃していた。田舎の娯楽は少ないので、自然と車に熱をあげるのはどこの国も同じか。日本では18歳にならないと免許がとれないので、向こうと同じシチュエーションにはなりにくいだろうか。クラシックカーが魅力的である。アメ車の伸びやかなデザインと比べると日本車は寸詰まりに感じられる。サントラはかなり前から持っていた。BGMのオールディーズが魅力である。ウルフマンのDJも収録されている。なぜ買ったのか覚えてないが、アート・ガーファンクルが本作品でも登場するいくつかの曲(瞳は君ゆえに、シンス・アイ・ドント・ハヴ・ユー)をカバーしてたからだろうか。アート・ガーファンクルをもってしても、原曲にはかなわない、と思う。
少年たちが故郷を巣立っていく前夜が舞台である。僕は末っ子で、兄姉たちが進学で実家を離れていったので、自分もいつか、とプレッシャーが掛かっていたことを覚えている。僕の場合は自業自得だが最悪に近いだろう、逃げる様にして去ったことを覚えている。スター・ウォーズもそうだった。ルークは故郷タトゥイーンを脱出できずに悶々とする。そんな訳でかなりシンパシーを抱いていた。僕の進学した大学は関東出身の人間が多かった。まあ、関東の物価では実家から通う方が家計に優しいだろう。後年、会社の女の子とちらりと会話を交わしたとき、田舎のある人いいですね、と言われて驚いた。彼女は神戸っ子だった。僕にはそんな発想はなかった。
映画は古き良き時代の終りを暗示して終わる。登場人物の一人はベトナム戦争で戦死する。アメリカ車は日本車にシェアを奪われていく。今度は日本語吹き替えで観てみようか。
NHKドラマ「クライマーズ・ハイ」後編を観る。あれでよくつかみ合い、取っ組み合いにならないものだと思っていたらクライマックスで爆発した。しかしよく出来た骨太の作品で海外に出しても恥ずかしくないし、映画化されてもおかしくないくらいだろう。文庫で出版されているので読んでみようか。
映画「マイマミ・バイス」を観る。TVシリーズは未見ゆえか、登場人物をなかなか把握できなくて、ストーリーの細部は理解できてない。といってアクションものなので別段複雑な筋立てではないのだが。寄った画が多く感じる。もう少し引いた構図もあった方がよいのではないかと思う。刺激的なシーンの連続で飽きなかった。香港映画「インファナル・アフェア」でもそうだったが、潜入捜査官という存在は常に緊張を強いられ、緊迫感があって映画の格好の題材だろう。冒頭の銃撃で狙撃された者の腕が吹き飛ぶ描写があった。現実の銃火器だと体に穴が開いてしまうというから、実際そんなものなのだろう。
スポーツ新聞で英国のファンタジー小説「レインボー・マジック」シリーズが紹介されていた。数百万部のベストセラーだそうな。概略を読むと、アイテムを集めないと先に進めないRPGの様な印象を何となく持つ。実際どうなのか知らないが。間違ってたらゴメンナサイ。
ラーメン(つけ麺)を茹でて、お湯きりしようとしたところ、手が滑って、台所に落としてしまう。そこは漂白剤につけられた食器の中。洗ってはみたが、流石に身の危険を感じるので、別の麺を茹でなおす。
映画「七人の侍」を観る。姉の家にあったものを貰ったビデオである。旦那(義兄)には断りを入れてなかった。すみません、もって帰りました。休み休みではあるが、約3時間半観る。何とも豪華な作品だな、という感想。あのセットを今再現したらどれくらいかかるのだろう。野武士の棟梁が初代黄門さまなのが時代を感じさせる。
そういえば今日は映画の日だった。
小説「百億の昼と千億の夜」読了。萩尾版漫画はコミカライズのお手本の様な出来と思う。
最初に読んだのはいつだったか。少年チャンピオンで登場人物がずらりと並んでいる扉絵の記憶がある様な気がする。ただ、そのときは小学生で、おそらく後年になってである。萩尾作品については姉が収集していたので、それを読んだのは間違いない。
数年前のGW、姉の家を訪ねた際、書棚に置かれてあるのを手にとって、その頃は体調が思わしくなかったので外出は控えて読んだのが久しぶりの再会だった。それからようやく今になって原典の小説を読了。長い時間を掛けたものだ。
しかし、途方もない話である。光瀬龍氏は理学部と文学部(東洋哲学)を修めているので、それが基礎となったのは間違いないだろう。
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