2週間ぶり
パソコンのOS再インストールを行う。
面倒であった。
約2週間近くネットから遠ざかっていた感じである。
その分、本が読めたのは良かったかもしれない。
OS再インストールに合わせてルーターを導入する。
外部からのアタックもなくなり快適である。
パソコンのOS再インストールを行う。
面倒であった。
約2週間近くネットから遠ざかっていた感じである。
その分、本が読めたのは良かったかもしれない。
OS再インストールに合わせてルーターを導入する。
外部からのアタックもなくなり快適である。
夜更かししてTVを観る。
クイーンのミュージカルが派手に宣伝されていた。
舞台をみると何百インチあるのか、巨大な薄型平面ディスプレイが使われていた。
あれは演出の装置として効果的だな、と思った。
しかし、あのサイズは特注品か業務用だろう。
いったいいくらするのだろう。
TV朝日「素敵な宇宙船地球号」を観る。縁日の屋台でおなじみのミドリガメが捨てられて繁殖している様子が映されていた。そういえば数年前、萩城にいったとき、お城の堀がミドリガメだらけでギョっとしたことがある。
僕も他人のことは言えない。小学生時代、友達から小亀をもらった。それは日本の亀だが、ロクに餌もやらないで放置していたのである。亀の腹の甲羅が柔らかくなっていることに気づいた僕は川に放した。
生き物を飼うということは責任がかかるということである。今の僕は集合住宅に住んでるから、生き物を飼うことはままならないが。何年も前、営業活動の息抜きに公園に立ち寄った。というよりサボったのだが、そこに二匹の子猫が捨てられていた。あまりの可愛らしさに連れて帰りたかったのだが、その頃もアパート住まいだったから、置き去りにしてしまった。後で気になって公園を覗いてみたのだが、子猫たちの姿はなかった。花見の老人たちがいたので、彼らが連れて帰ったのだと思うことにしている。
父がなくなったとき、何頭もの柴犬や鶏が残された。父がペットとして飼っていたものである。結局知り合いのつてを頼ったりして引き取ってもらった。彼らにとっては急に訪れた悲劇だったろう。一匹は引き取り先の家から逃げ出してしまったそうである。かすかな哀れみを感じる。僕自身何かしたわけではない。彼らの面倒をみたのは姉や兄たちであった。そういう意味でも申し訳なく思う。
ペットを飼うこと自体はいいことだと思う。子供の頃、彼らと触れ合ったのは良い思い出になっている。しかし人間の手に余るペットまで飼ってどうするのだろう? と思うことはある。
数日前からTVが映らなくなる。画面の真ん中に線ができたようになる。そこだけ走査線があたってるのだろう。以前から調子が悪かったが、今回は元に戻らない。困った。新入社員時代に買ったTVであり、もう十数年使ってるから別に壊れてもおかしくはないのだが。DVDレコーダーを買ったばかりで立て続けにくると痛い。買い換える順番を間違えたかと思う。実際、悩んだ。今は地上波デジタルTVへの切り替えの端境期で、TVを買い換えるには難しい時期である。
そうこうするうちに今度はパソコンが不調となった。ノートン・アンチウイルスのウイルス定義ファイルのアップデート中にフリーズしたのがまずかったのかもしれない。アップデート機能が壊れてしまった。直すには再インストールが必要とあり、プログラムを削除、再インストールを試みるが不調に終わった。スタンドアロンならともかく、ウイルスチェックとファイアウォール機能がなければ、今時のパソコンは丸裸も同然である。多分OSの再インストールからはじめなくてはならないだろう。再インストールは半日仕事であるから、考えただけでうんざりする。悪いことは重なるものなのだろうか?
ようやくHDDレコーダーのユーザー登録をする。アンケートページにいったところ、サーバーがメンテ中なのか、書き込めなかった。うーん、色々感想を書きたかったのに。機能的にはほとんど不満のない機種なので、いい点をつけようと思っていたのだが。まあ、別の機会もあるだろう。
録画してあったNHKスペシャル「少年院」を観る。重いテーマであった。犯罪を犯した少年の心を開かせるのは容易ではないな、と思わされた。
例えば映画やドラマなら葛藤があって主人公なり周囲が変化していく。しかし、現実は映画の様に2時間で終わるわけではない。長い期間をかけて変化・成長を促していかざるを得ないケースもあるようである。
変われないのが人間の本性なのではないかと思う。僕自身を振りかえってみて、いい歳してちっとも成長してないと思う。変化できないのが人間性のコアの部分なのかもしれない。僕の場合は変化・成長できないことに苦しみながら、ごまかしごまかしでやってきたと思う。周囲にはずいぶん迷惑をかけた。それでも変われないことにいい加減うんざりしているが。
そういう意味では教官たちの苦労は並大抵ではないだろう。ドキュメンタリーの終盤で出てきた少年は殺人を犯して入院した少年であったが、陶芸に才能を示していた。少年院に入院することで自分のうちに眠っていた才能に出会う。ひとつの悲劇であると思う。
DVDレコーダーを買って10日あまりになる。これまで観てなかった番組もチェックできる様になるかな、と期待してたが、気がついてみると普段観てる番組とほとんど変わりがないことに気づく。映画は結構観たが、実は録画しながら観ただけで、録画したものを後でタイムシフトして観るところまでいってない。ビデオと違って上書きしないので気分的には楽だが、録画したまま観ない番組がどんどんたまっていく気がする。
NHKスペシャル「待ったなしプロ野球改革」を観る。ここ数年の巨人戦の視聴率の低下は著しいようである。日本人選手が大リーグに進出してBSチャンネルでその活躍が観られるようになったこと、サッカーのW杯予選などが人気を博していることなどが背景にあるだろうか。
戦力の均衡化が改革案の一つとして挙げられていたが、僕は懐疑的である。行き過ぎた行為はともかく、強いチームを作るために企業努力することのどこがいけないのだろうか。巨人軍のように4番バッターばかりズラリと並べる補強の仕方はどうかと思うが、今季、そのツケがきているようであるし、結局なるようにはなっていると思う。もしドラフトの段階で戦力の均衡化を図るなら、FA権の取得を早める必要があるのではないか。プロ野球選手は個人事業主である。よりよいチームで活躍したい、という想いもあるだろう。
とにかく巨人戦におんぶにだっこという状況は改革していかなければならないだろう。視聴率の低下で明らかになったように、巨人戦も今の状況が続けば地上波での放映が打ち切られる事態もありえる。短期的には地道に努力していくしかないのだろうが、がんばってペナントレースを盛り上げて欲しいものである。
NHK地球ふしぎ発見 オオサンショウウオの回を観る。僕の実家は島根県西部だが、オオサンショウウオを実際に見たことがある。小学校時代で、友達が捕まえたものだった。友達の近所の人が捕まえたらしい。本来はいけないことだが。20cm~30cmの大きさはあったろうか。確かオオサンショウウオは人間の指くらいは喰いちぎってしまうそうなので、あまり触りたいとは思わない。
そういえば、僕の実家の前の溝にはイモリがいた。が、あるとき子供たちが根こそぎ採ってしまった。なんでも実験で使うらしく、大人が買い取ってくれたらしい。その後、イモリはいなくなった。そりゃ根こそぎ採ればいなくなるだろう。考えてみれば小動物が暮らせる環境が少しずつ失われているのかも知れない。護岸工事など、環境に負担をかけにくい工法も開発されているそうである。多少コスト高なのかもしれないが、そういうものは積極的に取り入れていって欲しいと思う。
TBS「世界遺産」兵馬俑の回を観る。写実的な姿に驚かされる。大学時代に聴いた東洋法制史の教授のお話だと、兵馬俑は中国の人にとっては不吉なものであるとか。まあ、殉死の代わりのようなものだろうからそうなのだろう。しかし、あれで古代の装束の考証は一気に進んだんだろうな、と想像してしまう。
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