モノマネと文化
NHKスペシャル「明治」を観る。なんと明治の頃から「日本人は独創性がない。モノマネばかりである」といった批判があったのには驚いた。そういった批判は戦後のイメージだと思っていたが、かなり早い段階でそういう見方をされていたというのは興味深い。
大学時代、日本を代表する哲学の教授の講義を聴いたことがあるが、外国からみた日本のイメージは自国を知る上で重要なことだそうである。他者との関係によって自分は何者なのかが浮かび上がってくるということだろうか。
技術ということについては、戦国時代、火縄銃の到来から日本は急速に銃が普及して世界でも稀にみる銃生産国だったそうで、もともと技術のレベルは高いものがあったのだろう。
今でも言われているのかどうか知らないが、昔は外国の学問を翻訳して紹介すれば、その道の大家たりえた。これからはそうはいかない、と。日本が独創性を発揮するのはこれからではないだろうか。すでに色々な分野で日本発のものが世界で受け入れられているし、文化レベルでは色々なものが出てくるだろう。文明レベルとなると、さすがに予想できない。
いつも思うのだが、明治初期の高等教育は英語など外国語で行なわれていたわけで、当時の若い人たちは短期間でよく外国語を習得、高等教育にキャッチアップできたな、と思う。当時の人たちの努力があって僕たちは現在、たいていの分野は日本語で高等教育を受けることができるわけであるが。国によっては法律を外国語で運用せざるを得ないところもあるそうで、そういう意味では漢字の恩恵を日本語は受けているということだろうか。IT関係の用語などはカタカナ語が氾濫しているが。
<追記>
最初は皆模倣から入る。模倣することで何が優れているのか体感できるからだろう。日本には本歌取りという言葉もある。それから先をどう模索するか、これは自分で試行錯誤、知恵を絞らねばならない。
また、知的財産権の無視とは別次元の話である。日本も諸外国にライセンス料を払っていたし、知的財産権の侵害・無視の状況が続くと、ビジネス、取引先として不適と見なされかねない。長期的にみて利益どころか損害を被ることが明白なら取引しないのが正常な判断だろう。
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