明治は遠くになりにけり
NHKスペシャル「明治に学ぶ変革の知恵」を観る。この番組を観て、ふと思い浮かんだことがある。長尾龍一という東大の法哲学の教授(ハンス・ケルゼンという法哲学者の著作を翻訳されたりしている)が何かの雑誌の対談で触れられていたのだが、明治時代の人材について調査すると、非常に若い年齢で要職に抜擢されているとのことだった。この対談を読んだのは10年以上前で、政財界の世代交代がまだまだな時代だったから、こういうことに言及されたのだと思う。今は政財界とも世代交代が進んでいるので、10年前とは多少事情が違っているだろう。それと当時の人材は英語などの語学力があるというだけでは出世できず、むしろ漢文などの素養がある人が出世した、という主に二つの内容だったと思う。これは古典を学ぶということで大局観が養われるのだろうか。
僕の実家の近所には陸軍墓地がある。墓碑をみると日清・日露戦争で戦死された方が多いようである。出身地をみると広島の人も葬られていて、何故? と考えたが、よくよく考えてみれば僕の出身中学・高校には元々陸軍時代の建物があった。そこに配属されていた人たちだろう。
大学時代、法哲学の教授がおっしゃられていたが、戦前の日本人はサムライだと思われていた。だから外国から舐められなかった、と。この教授は保守的な思想の人だったようである。年齢的には出征していてもおかしくないはずだが、その辺の事情を聞いてみたかった。同じく憲法の教授で東大出身の教授がいらしたが、この方は出征して多くの友人を亡くしたというお話だった。それで戦争にはアレルギー反応を示されていたと思う。当時の人はそういう人たちが多かった。僕の小学校時代の校長は特攻隊の隊員だったそうである。出撃前に終戦となって死を免れたとおっしゃっていた。教員の方も、戦中世代でなくても幼少期を終戦後の貧しい時期に過ごされてひもじい思いをした方が多く残っていて、現在より戦争アレルギーが強かったと思う。ただ、「戦争=悪=ダメ」という短絡的な思考になって、それを子供に押し付けるのはいけないと思う。思考停止は人間をダメにしてしまう。
そういえば、僕は大学時代、教職課程を履修した。教育史も履修したが、そこで使った参考書は何というか、明治期の日本の選択について非常に批判的な視点から書かれたものだった。例えていえば今日のNスペの要旨と真っ向から反する様な内容であった。今考えてみれば、明治暗黒史観とでもいうのだろうか、あまりに偏った内容だったが、当時の僕は深く考えていなかった。
身近に陸軍墓地という史蹟があるのに僕自身は近代史に弱い。何とかしないといけないと思う。それが戦争で亡くなった人の魂をなぐさめる方法だろう。それにしても昔の人は偉大だった。僕自身を振り返ると途方に暮れてしまう。折にふれて思うが、僕自身は何かを生み出したりする人生ではないのだろう、多分他の人が生み出したものを楽しむ人生なのだろう。
そういえば、ドラッカー教授は日本の経営者に人気のある学者さんである。著書を何冊か読んだが、こんなに頭の切れる人がいるのかと思わされた。たまにそういう人がいる。僕のぼんやりと鈍い頭とはえらい違いである。仕事でも頭の切れる人がいる。そういう人たちに対抗していくためには専門的な知識・経験を磨かなければならないと感じた。頭が切れるといっても、神様ではないので、現場から意見を上げていかなければならない場面もあるのである。
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