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2005年3月

2005年3月26日 (土)

明治は遠くになりにけり

NHKスペシャル「明治に学ぶ変革の知恵」を観る。この番組を観て、ふと思い浮かんだことがある。長尾龍一という東大の法哲学の教授(ハンス・ケルゼンという法哲学者の著作を翻訳されたりしている)が何かの雑誌の対談で触れられていたのだが、明治時代の人材について調査すると、非常に若い年齢で要職に抜擢されているとのことだった。この対談を読んだのは10年以上前で、政財界の世代交代がまだまだな時代だったから、こういうことに言及されたのだと思う。今は政財界とも世代交代が進んでいるので、10年前とは多少事情が違っているだろう。それと当時の人材は英語などの語学力があるというだけでは出世できず、むしろ漢文などの素養がある人が出世した、という主に二つの内容だったと思う。これは古典を学ぶということで大局観が養われるのだろうか。

僕の実家の近所には陸軍墓地がある。墓碑をみると日清・日露戦争で戦死された方が多いようである。出身地をみると広島の人も葬られていて、何故? と考えたが、よくよく考えてみれば僕の出身中学・高校には元々陸軍時代の建物があった。そこに配属されていた人たちだろう。

大学時代、法哲学の教授がおっしゃられていたが、戦前の日本人はサムライだと思われていた。だから外国から舐められなかった、と。この教授は保守的な思想の人だったようである。年齢的には出征していてもおかしくないはずだが、その辺の事情を聞いてみたかった。同じく憲法の教授で東大出身の教授がいらしたが、この方は出征して多くの友人を亡くしたというお話だった。それで戦争にはアレルギー反応を示されていたと思う。当時の人はそういう人たちが多かった。僕の小学校時代の校長は特攻隊の隊員だったそうである。出撃前に終戦となって死を免れたとおっしゃっていた。教員の方も、戦中世代でなくても幼少期を終戦後の貧しい時期に過ごされてひもじい思いをした方が多く残っていて、現在より戦争アレルギーが強かったと思う。ただ、「戦争=悪=ダメ」という短絡的な思考になって、それを子供に押し付けるのはいけないと思う。思考停止は人間をダメにしてしまう。

そういえば、僕は大学時代、教職課程を履修した。教育史も履修したが、そこで使った参考書は何というか、明治期の日本の選択について非常に批判的な視点から書かれたものだった。例えていえば今日のNスペの要旨と真っ向から反する様な内容であった。今考えてみれば、明治暗黒史観とでもいうのだろうか、あまりに偏った内容だったが、当時の僕は深く考えていなかった。

身近に陸軍墓地という史蹟があるのに僕自身は近代史に弱い。何とかしないといけないと思う。それが戦争で亡くなった人の魂をなぐさめる方法だろう。それにしても昔の人は偉大だった。僕自身を振り返ると途方に暮れてしまう。折にふれて思うが、僕自身は何かを生み出したりする人生ではないのだろう、多分他の人が生み出したものを楽しむ人生なのだろう。

そういえば、ドラッカー教授は日本の経営者に人気のある学者さんである。著書を何冊か読んだが、こんなに頭の切れる人がいるのかと思わされた。たまにそういう人がいる。僕のぼんやりと鈍い頭とはえらい違いである。仕事でも頭の切れる人がいる。そういう人たちに対抗していくためには専門的な知識・経験を磨かなければならないと感じた。頭が切れるといっても、神様ではないので、現場から意見を上げていかなければならない場面もあるのである。

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お魚 びいびい

姉からメールが。ちょうど愛知万博がスタートした時期なので、そのことに触れられていた。僕は大阪万博の頃、ちょうど1歳くらいの赤ん坊だった。父と二人で留守番していたらしいが、近所のお魚屋さんがお気に入りだったそうで、「びーびーやんに行く」と言ってたそうである。「びーびー」とはびいびい、島根県西部の方言でお魚のことである。赤ちゃん言葉といった方が正確だろうか。数年前帰省したときに、そういう方言があると知ったのだが、子供の頃使っていたとは知らなかった。

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2005年3月24日 (木)

久しぶりのTVドラマ

深夜に「木更津キャッツアイ」の再放送がはじまったので観た。大塚英志というマンガ原作者兼編集者の「キャラクター小説の作り方」という本でべた褒めされてて、ちょっと興味があったので。クドカンの脚本というのも興味あった。で、実際観てみて凄いと思った。セリフが自然で密度が濃い。全体的にはバカバカしいくらいのストーリーなのにちっともそれを感じさせない。当代随一の人気作家というのが分かった。個人的にはセリフが聞き取りづらかったのがちょっと気になったけど、あの演出なら仕方ないでしょう。それにしてもTVドラマを観るのは何年ぶりだか。普段はニュースやドキュメンタリーばかりである。

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2005年3月22日 (火)

ようやく読み終えた

小説「聖書」新約編(ウォルター・ワンゲリン著 徳間書店)をようやく読み終える。書店で購入したのは1998年頃のようである。7年近く積読になっていた。

イエスの生涯については、別の小説で読んで感銘を受けたことを覚えているので、この本を選んだのだが、正直ここまで時間がかかるとは思わなかった。仕事が忙しくなったり、身辺の忙しさで小説を読んでいる時間がとれなくなったというのもある。また、小説自体が脳の疲労感のせいで読むのが苦しくなって敬遠していたというのもある。

そんな訳でちょっとずつ読んでいたのだが、ちょうどラストの部分は最後の晩餐からイエスの処刑、そしてイエスの復活と読み応えがあり、一気に読めた。

次は旧約編にいきたい。しかし、うちは臨済宗であるが、教えの内容はほとんど知らない。ある意味般若心経に教えが凝縮されているのかもしれないけど、いずれ仏教の教えにも回帰しなければならないだろう。一応、本は買ってあるのだけど、哲学的な側面が強くて僕の理解力では苦しい本であった。で、例にもれず積読になっている。
ちなみに「口語訳 古事記」(三浦佑之著 文藝春秋社)という本も買ってある。しばらくは神話の世界に浸りたいと思っている。

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2005年3月21日 (月)

当たり前でしょ?

TVでライブドア堀江社長のインタビューを観る。途中で気分が悪くなって消した。堀江社長は「あたりまえでしょ?」というフレーズをよく使う。それはあなたにとっては当たり前だろうけど、他の人にとっても当たり前とは限らないよ、と感じた。

「10年後TVはなくなる」とフジTVの日枝会長に受け止められたのなら、その誤解を解く義務は堀江社長側にあるだろう。僕はしがないサラリーマンだけど「当たり前」という認識は怖いのである。相手と同じ認識ベースでいるかどうかは定かでないのだ。時に失敗・トラブルの一因となる。世間一般の常識の様なものでも、ときには何故そうなるのか、背景から説明して相手に理解を求めなければならないときだってある。堀江社長にはそういう姿勢が一切感じられない。だから僕はインタビューを聞くのがいい加減うんざりしてしまった。

認識のギャップは人間に普遍的なものだろう。それを甘く考えていたら成功はないと思う。

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2005年3月15日 (火)

DVDレコーダーのリモコン

DVDレコーダーのリモコンってボタンが多すぎると思う。思うにテンキーはいらないんじゃないか? Gコードで予約する場面はなくなったし、TVのチャンネルとしても省いてもいいんじゃないかと思う。

十字キーと決定ボタン。再生ボタンetcで十分な気がする。ボタンでダイレクトに操作出来たほうがいいのかもしれないが、ボタンの数が多いと老人には操作できないだろう。
と考えていたら、三菱の別売りリモコンで「楽レコ」リモコンというのがあった。
http://www.mitsubishielectric.co.jp/dvd/rakureco/kantan_b.html

写真のイメージが小さくて詳細が分かりにくいが、これなら老人でも大丈夫ではないか。実家はCATVだからGRTもいらないし、三菱は比較的安い。ネットの掲示板で質問してみたら、基本的な操作に特化したリモコンらしい。

・・・と思って家族に相談してみたら、「ビデオ使わないんじゃない?」と言われてしまった。確かに今までビデオを使った経験のない人がいきなりHDD&DVDレコーダーを操作するのは概念の理解が大変だろう。

<追記>
ネットで質問してみたら以下のような回答が得られた。

「レコーダー電源」 「番組表」「簡単メニュー」 「マルチキー(上下左右決定) 「スキップ(|<<)(>>|)」 「リターン/戻る」 「予約画面(本体付属リモコンではリピートと表記)」「機能選択(付属リモではA-Bと表記)」 「詳細」「予約取消(付属リモではクリアと表記)」

これらが楽レコリモコンに付いてるボタン。
全て本体付属リモコンにあるものなので上記のボタンだけの操作という制限で実際やってみるといいよ。

ほとんどの操作はまかなえそうである。

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2005年3月 9日 (水)

ど素人に予測などできない

ライブドアの堀江社長に批判的なことばかり書いていたので、ちょっと趣向を変えてみよう。

インターネットと放送の融合について考えてみる。例えば光ファイバーが普及して回線スピードが速くなったとする。するとTVや映画などのコンテンツをパソコンで視聴することができるようになる。これは今でも別に普通に行なわれている。WindowsメディアプレイヤーやQuickTimeがインストールされていれば、ストリーミング配信で様々なコンテンツを受信可能だ。例えば地方では放送されてない番組がネットでは視聴可能(多分DVD化などの兼ね合いもあって期間限定で。もしくは有料)になるかもしれない。たしかNHK教育の一部のコンテンツがネットで配信されるそうなので、学習者には便利かもしれない。録画しなくて済むし、自分のみたいコンテンツをその都度選べるので。ただ光ケーブルが放送用電波を駆逐するか、と言われるとそれは違うだろう。

うーん、僕の場合は古い19インチのTVの脇にノートパソコンを置いている。TVチューナー付きのパソコンではないしHDDの容量がかつかつなので何ともいえないが、普通に観るならTVで十分である。画像をキャプチャしたいならパソコンで観た方がいいかもしれない。HDDレコーダーがあれば録画環境は十分だし、多分映画などのコンテンツをビデオ・オン・デマンドで配信するのはまだかなり先の話だろう。巨大なデータセンターを構築しなければならないだろうし、観る側としても別にわざわざパソコンのちまちました画面で観たいとは思わないし。

地上波デジタルTVになったら、おそらくデータ放送が重宝する様になるのではないだろうか。ちょっとしたポータルサイト並みの利便性は備えてくると思う。双方向性という点では多分パソコンにおまかせだろう。わざわざTVでないといけない場面ってそうないと思う。TVとパソコンは似ている様で多少違っている。パソコンの方がパーソナルなのだ。だからTVでインターネットが出来るセットトップボックスはほとんど普及してない。HD放送対応のTVなら解像度が高いのでインターネットの画面も無理なく表示はできるだろうか。たしかセガサターンのブラウザなんてのもあったそうだが、デジタルTV専用のブラウザが開発されるのだろうか?

地上波デジタル放送がはじまる頃にはインターネット環境はかなり変わってるだろう。技術力のない僕には予想できない。ただテレビが消えてなくなるとかいうことはありえない。テレビが登場してもラジオが残ったように。ラジオは車の中で聞くメディアという風に変質はしてるだろうけど。ハードディスクはテラバイトが当たり前になるだろうけど、DVDや次世代DVDは存在してるだろうし、セキュリティの面で全ての家電をネットにつなぐのには個人的には抵抗がある。

マスコミはどうなるだろう。1次的なソースとしての情報の収集/分析/発信者としての地位はこれまでと変わらないだろう。ただネットの普及で海外の情報を含めてマスコミの記事の比較が容易になった。そういう意味では今以上にメディアリテラシーが要求される時代になるのだろう。堀江社長はマスコミの人材を囲い込みたかったのではなかろうか。ただそれなら800億円も出す必要なんてなかったはずだし、マスコミを敵に回すこともなかったと思う。

インターネットが普及して情報へのアクセスは格段に便利になった。例えば家電の情報を企業のWEBサイトで調べて、アンケートに答えたりする。そういう意味ではマーケティングの仕方などは凄い変化があるのだろう。

結論。やはり僕の様なただのサラリーマンには予測は無理である。技術的動向に詳しくないと将来の方向性が分からない。ただ人間、そんなものだとも思う。電話が登場したとき人々は「そんなもの何に使うの?」というスタンスの人もいたそうである。ビジネスは郵便で済ませていた時代の話である。

昔、モンゴル帝国の歴史について書かれた新書を読んで、彼らの生命線はスピード、特に情報のスピードだったのではないかと思った。今でも原則的にはそうだと思う。情報をいち早くキャッチして正しく解釈できたものが利益を得られる仕組みなのだろう。

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2005年3月 8日 (火)

感慨深い再放送

NHK『プロジェクトX 挑戦者たち特選▽伏見工ラグビー部▽熱血・山口良治魂の声「ツッパリ生徒と泣き虫先生」』を観る。この回は思い出深い。2000年11月だったと思うが、僕は山形県に出張していた。新庄市のホテルについてテレビをつけたらこの番組をやっていた。何気なく観ていて、そのときはじめてこの番組が人気番組プロジェクトXだと知った。

翌日のことである。出張先に上司から電話が入った。異動の知らせであった。ありがたくない内容の異動だったのでかなりショックを受けたことを覚えている。そんなこんなでこの番組はなつかしい。あれから4年以上経過してしまった。まあ異動した先ではよくしてもらったので愚痴を書いてもしかたないけど。

僕は「スクール・ウォーズ」は観てないが、この人たちがモデルということくらは知っている。そういうことを差し引いても凄いエピソードだと思う。ラグビー弱小校を全国有数の強豪校に育て上げる。並大抵のことではないと思う。

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2005年3月 6日 (日)

爺放談?

早起きしてTBS「時事放談」を観る。今日はライブドアVSフジテレビの件がテーマだった。僕は後藤田さんと塩川さんが堀江社長に少し甘いのではないかという感じがした。番組全体としては中立的なスタンスだったと思うが、インターネット、情報技術という部分でやや認識が甘くなっているような気がした。インターネットの技術とテレビの融合はまだ具体像がみえてないし、言うほど相乗効果が見込めるのか見えてこない。それにライブドアにそんな技術力や見識があるのか良く分からない。

「時事放談」は父が好きでよく観ていたから、小学生・中学生の頃からある番組だろうか。あのころは評論家二人が激論を交わすという番組スタイルだったと思う。今は政界の重鎮を招いて、いわば賢老のご意見を伺うというスタイルだろうか。それにしても昔はもう少しいい時間帯で放送してなかったか? 僕が早起きが苦手になっただけなのだろうか。

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2005年3月 5日 (土)

がんばれ、副総経理!

(※記事を訂正・改稿しました。2009/6/7)

NHKスペシャル『中国コンビニ戦争激突!外資系vs中国勢混乱の上海「13億人の欲望をつかめ」』を観る。ながら観であったが、中国上海のコンビニ戦争は日系企業の参入もあって既に過当競争の段階まで来ているようだ。中国国営コンビニ好徳の沈さんが面白いキャラクターであった。副総経理という肩書きだから日本なら副社長というところだろうか(英語のバイス・プレジデントはニュアンスが異なり、部署の統括責任者だとか)。

根拠があるのかないのかはっきりしないけど、ああいう妙なポジティブ・シンキングぶりやバイタリティは一面で見習うべきところがあるかもしれない。努力の方向があさっての方向を向いている様に見えてしまうのだが、ポジティブさが何となく応援したくなるキャラクターであった。

その他、
・国営コンビニの店員の年齢層が高い。日系コンビニの店員が若く意欲的なのと対照的
 そういった店員たちを統括しなければならない沈さん
・米の宅配は止めた方がよい
・日系企業の出店競争で攻勢。店舗開発担当の印象悪し
・弁当の廃棄 →最近、日本のコンビニ業界で値下げして売れないのかという声が挙がっている
・POSシステムなど、裏で支える情報システムや物流システムなどは紹介されなかった

余談
コンビニの主力商品・弁当が売れる時間帯は限られており、配送の遅れは許されない。車検・点検など定期的なメンテナンスや運行前点検で配送車の不意の路上故障を防いでいる。

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身体の能力を拡大させてくれるツール

朝早く車を出して郵便局に行く。24時間受け取りができるので便利である。僕は夜型人間だが、朝の空気は好きである。車を運転していると自分の感覚が広がっていくような感覚を覚えることがあるが、朝の空気と相まってとても気持ちいい。

僕の父は運転免許を持ってなかった。特急の止まる駅から歩いて15分の場所に住んでいたので別にそれで不便はなかった。車に乗るのはたまに叔父に遊びにつれていってもらったくらいであろうか。というわけで車に乗る機会というのは本当に少なかった。もっと早く車を知っていれば人生が変わっていた、とまでは思わないが、本当に人間の能力を拡大してくれる有難い機械だと思う。

人間の能力を拡大させる機械といえばパソコンがあるだろうか。こちらは脳の補完をしてくれる機械である。もちろんパソコン自体は情報処理を効率的に行なってくれる機械にしか過ぎないが、この恩恵に預かることで現代の文明は豊かで効率的なものになっている。
僕とパソコンの出会いは遅かった。25歳のときにMacのパフォーマという廉価モデルを買ったのが最初である。あの頃はまだWindowsは3.1のバージョンの頃だった。Macを選択したこと自体は間違いではなかった。漢字TALK7というOSの方が当時は優れていたのである。

今の子は生まれたときからパソコンが身の回りにある環境だろうか。僕の場合は大体中学生の頃がパソコンの黎明期に近いだろうか。ませた子は富士通やNECのパソコンを買っていた(まだ98シリーズはない時代である)、というより親に買ってもらってたのだろう。当時のパソコンは子供に手が出せる価格ではなかった。うちは経済的にそんな余裕はなかったし、僕自身がパソコンを何に使っていいか分からなかったというのもある。当時はプログラミングやゲームマシンの色彩が強かった。40万近いお金を出すのは当時の僕には無理だった。とはいえ大学の教養課程で情報処理のコースを選択すればよかったかな、と思っている。

就職してからワープロを買った。富士通のOASYSだった。が、当時の僕は個人的な趣味でワープロを使う習慣がなかった。当時かな変換でキーボード操作を覚えようとしたことも失敗だった。結局ワープロは死蔵してしまって姉に譲ってしまった。

結局パソコンにめぐり合ったのは25歳になってからで、仕事に使うようになったのは28歳くらいからだった。ちょうどWindows95、インターネットの普及期にもあたっていたので、この時期がパソコンの操作を一番覚えただろうか。操作さえ覚えてしまえば便利なツールで手放せなくなってしまった。

逆にある意味ではツールに使われてるのかもしれない。

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2005年3月 2日 (水)

現代なら集団ヒステリー、しかし当時は・・・

ふと思いついて「魔女裁判」でググってみた。こんなサイトがあった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/essay2.html

セーレムの魔女裁判という有名な事件らしい。読んでいて映画「エクソシスト」を連想してしまった。現代の人間の目からすると事件の主役となった少女たちは集団催眠、集団ヒステリーの類であり、精神科医や心理学者はそう診断するだろう。でもこれは17世紀の事件である。日本なら江戸時代初期。当時の人々の恐怖はいかばかりであったろうか。

<追記>
集団ヒステリーはむしろ魔女裁判そのものがそうか。少女たちは一種のトランス状態だろう。

魔女裁判というと中世のイメージがあったが、17世紀になってもあったということは驚きであった。これはアメリカで記録された最後の事件だそうであるが、人間の心理というものは意外ともろいのだな、と感じさせるものであった。多分僕が渦中の人物であったらあっさりと自白させられ殺されているだろう。

<追記>
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD30159/
この事件、「クルーシブル」という名で映画化されていると教えてもらった。もとは戯曲だったそうである。ウィノナ・ライダーの演技が凄かったそうである。

<追記>
以外と「魔女裁判」のキーワードでこのページを訪れる人が多い。申し訳ないので、追加エピソード。魔女裁判ではないが、異端審問に関するものである。堀米庸三著「正統と異端 ヨーロッパ精神の源流」(中公新書)という本がある。名著とされている本だそうであるが、キリスト教の知識のない僕にはチンプンカンプンだった。その中で印象に残ったエピソードが一つある。ワルド派のエピソードである。これは異端審問とは別で、福音の自由説教をローマ法王庁に求めた際のものだそうであるが、

審理官はワルド派の代表者に「父なる神と子と聖霊を信ずるか」ときく。彼らがそれを肯定すると、つづいて「それならばキリストの母はどうか」と。聖母マリアのことと信じたワルド派が肯定すると、審理官一同は爆笑し、「それでは福音の説教などもってのほかだ」といって審理は終ってしまった。

何を笑われたのか分からないが、引用すると、

 マリアについてはオリゲネス以来、ギリシア教父のあいだでテオトコス(神の母・神をはらんだもの)という呼称が次第に一般化したが、キリストにおける神的・人的ペルソナを認めながらも、それの別々の存在を主張したコンスタンティノープルの大司教ネストリウスは、それにかえてクリストコス(キリストの母)とよぶべきことを提唱した。この主張はローマ(430年)とエフェズス(431年)の公会議で否定され、ネストリウスは異端としてその地位を追われ、用語としてはテオトコスが正式とされた。ローマ教会ではそれをラテン訳しデイ-ゲニトリクス(神を生むもの)という。また、マーテル-ドミニ(主の母)ともいうがマーテル-クリスティ(キリストの母)とはいわないのである。(「正統と異端 ヨーロッパ精神の源流」堀米庸三著 中公新書 17P)

堀米氏は続いて「結局、ワルド派の人々はマップ(※ 審理官)によってキリスト教神学、それもまったく煩瑣な神学知識の試問をうけ、まんまと試験管の罠にはまったわけであった」(17P)と書く。

僕個人はこれをローマ法王庁の審理官たちが瑣末な知識を振りかざして素朴な信仰を握りつぶしてしまったと感じる。意外と身近でもそんな事例はないだろうか。

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