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2004年1月

2004年1月27日 (火)

寒い日

寒い日が続く。それでも昔に比べれば暖かいのだろうか。

2月の中ごろだったか、十数年前大学受験で東京を訪れた。今と同じアパートだったのだが、風呂に入る際に体の芯まで冷えるような感じだったことを覚えている。ちょうど今そんな感じである。まあ風呂を沸かさずにシャワーで済ませているからでもあるが。

大学時代も12月にラグビーの試合観戦の前日雪が降ったことを覚えている。あのときは前日の夜から場所取りで徹夜していたのだ。

もっと幼少の頃になると、私の出身地は山陰の西の方だったが、雪が20cmはつもるのが当たり前だった。かなり大きなつららも出来ていた覚えがある。それから段々雪が降らなくなっていったが、それでも高校時代は12月には雪がちらついていただろうか。中学時代に雪の積もるクリスマスを迎えたことがあったはずだ。今では正月でも雪は降らないが。

気候が温暖化しているのだろうか。車を運転する立場になったので雪はありがたくない存在になったが、それでも雪が降るというのはどこか心がうきうきするものではある。

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2004年1月22日 (木)

かぜをひく

鼻かぜをひいた。鼻水が出る。暖かくしてないと駄目みたいである。

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2004年1月19日 (月)

日記で笑う

義兄のHPの日記を読んで笑う。姉(つまり義兄にとっては妻)がネタにされているのだが、かなりユーモラスに書かれてある。もう結婚10年になるそうだ。僕と姉は一回り歳が離れているので一緒に生活していてかつ記憶にある期間というのはそう長くない。僕の知らない側面もあるわけだ。

それにしてもパソコンに縁のない人だったようである。かなり昔にMACのカラークラシックを買ってもらったそうだが、ほとんど使わなかったとの事。MACは当時としてはとても使いやすいOSだったのだが、まあ使うあてがなければただの箱である。数年前にはバイオノート(画面サイズが320×480ドットくらいのやつ)を持っていたそうだが、タンスに飾っていた模様。まあ、あのモデルはフォントが小さいし実際使いにくいと思う。昨年末にA4サイズのバイオを買ってもらった様で、「電車でGO」などのゲームを楽しんでいる様である。

まあ考えてみれば僕だって何の酔狂かPhotoshopやIllustratorやFLASHなど使わないソフトがてんこ盛りである。オフィスはかろうじて使っているか。でもプロフェッショナルだからACCESSがインストールされている。こんなもの日常生活では使わないしACCESS使いではないので全く無駄なソフトである。まあ仕事の関係で一応入れているだけである。

普段使っているのはブラウザにメールソフト、メモ帳くらいか。時々秀丸エディタは使うが、それくらいであろうか。

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2004年1月17日 (土)

震災から9年

阪神大震災から9年。もう9年も経ったのか、と感慨深い。当時は姫路に住んでいた。大体震度4くらいだったそうだが驚いた。地震が起こった瞬間にはあんな重大な被害がおきるとは予測できなかった。地震が起きた瞬間に目が覚めた。それからゾッとした感覚に襲われてしばらく布団から出ることが出来なかった。部屋は引越しの準備を進めていたのでほとんど被害はなかった。いくつか棚のものが落ちたくらいだった。

確か3連休があけた日だったと思う。始めは気にもかけなかった。TV報道も最初のうちはほとんど被害を伝えず、被害の実態が分かったのはしばらくして後だった。それからは時間単位で死者が増えていくことに驚きを隠せなかった。

知人の範囲では死者は出なかったが、二つの営業所が倒壊したのと、知人の女の子の実家が家事で全焼したそうだ。取引先の若社長が当時自衛隊の隊員で救援活動で震災直後の神戸を訪れたとのこと。あまりな光景にもどしてしまったそうである。神戸市民の上司は「死ぬかと思った」と率直に述べていた。

当時営業を担当していたテリトリー(中国道沿いのエリア)が神戸からの迂回路にあたり、県道の渋滞が激しかった。震災から3ヵ月後ぐらいに仕事で神戸陸事を訪れたが、液状化現象で真新しいはずの道路が波うっていた。火事の焼け跡はそれほど無かったと思うが家々は傷んでいた。

あれからもう9年。神戸の街は復興した。そういえば最近イランで神戸をはるかに上回る規模での震災があったのだ。大事件はあれからいくつか起こったが信じられない、事実であって欲しくない感覚でTVを観ていたのは地下鉄サリン事件と9.11テロだろうか。

僕自身は9年前とどれほど変わったろうか。一人の大人としては当時とあまり変わっていないというか進歩してないな、というのが正直なところだ。

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2004年1月 4日 (日)

寝坊

昼過ぎまで眠る。母を出雲大社にでも連れて行けば良かった。夕方、商港に行く。防波堤で写真を撮る。

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2004年1月 3日 (土)

輝ける世紀

早朝、映画「グラディエイター」を観る。古代ローマ帝国五賢帝の時代を舞台にした作品である。東京では数ヶ月前にTV朝日系で放映されていたと思う。山陰にはTV朝日系の局がないのでこの時間帯になったのだろうか。映画上映時に観にいった覚えがあるが、冒頭のローマ軍団の戦闘シーンは見事だと思う。後半のコロセウムのシーンで残虐なシーン(人体が戦車の車輪に取り付けられた刃物で両断される)がカットされている様である。この映画を大味だったか、そう評した映画評論家がいたが、この作品は史実をベースにした大嘘を楽しむものだと思う。

<追記>五賢帝時代を気軽に知りたいなら、塩野七生の「ローマ人の物語」シリーズや『ローマ五賢帝―「輝ける世紀」の虚像と実像」(講談社現代新書 南川高志著)などが良いだろうか。特に後者は五賢帝時代、イタリア半島の人口動態(少子化の傾向が出ていた、だったか?)に触れていたり、ニグリヌスというトラヤヌス帝を帝位を争ったと思われる人物(近年の発掘で判明した総督)に触れているので、参考になるかと思う。

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2004年1月 2日 (金)

薄暗い朝

山陰の夜明けは遅いと思ったら一面の曇り空だった。実際夜明けは東京より少し遅い。商港に気分転換にいく。夏に行ったときは夜明けの日差しが美しく水面を照らしていたのだったが、今回はあいにくであった。デジカメを持っていけばよかった。

近所の貸家が無くなって跡地は駐車場になっていた。子供の頃から長くあった貸家である。

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2004年1月 1日 (木)

新年を迎えて

「ゆく年くる年」をみる。広島県の筒賀村が町村合併でなくなるとの事。兄が中学校教員時代勤務していた村である。そういえば滋賀の八日市も市町村合併で市名が変更になるそうだった。地元浜田市はおそらく市名は変わらないだろう。江津市との合併は流れた様である。

夕食には寒ブリの刺身が出た。富山の氷見産とのこと。これを食べに帰省した様なものである。

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