ライブパフォーマンス

2024年9月12日 (木)

下北沢の本多劇場で演劇を鑑賞 2024.09

下北沢の本多劇場に行く。キ上の空論「獣三作 三作め 緑園にて祈る その子が獣」を見る。タイトルの獣はキリスト教、聖書的な意味での獣に近いニュアンスかもしれない。タイトルからすると三部作の第三作目と思えるので、ストーリーを把握できるか不安だったが、その点では問題なかった。上演時間約2時間15分の一幕もの。

下北沢・本多劇場
下北沢・本多劇場

舞台は孤島。語り部は主人公の娘。主人公の母はカルト宗教の熱心な信者か教祖らしく、主人公は母親の強い抑圧下にある。そういう状況で小3→小6→高校生と主人公の人生のステージが進んでいき、やがて主人公は島を出て東京に行き……というような粗筋。

主人公の人生のステージが次々と入れ替わっていく。なので、舞台装置は基本的には最小限で構成されている。椅子と机、その他毛布など。他に天井から吊るされるものもあるが。ステージ奥でギターがBGMを奏でている。時々爆音になってドキッとする。

事前に情報を仕入れないで映画を観たりするのだけど、本作は登場人物も多く、内容を把握するのに時間がかかった。特に難解な作品という訳ではないが、僕のような一見さんには優しくなかったかもしれない。

本多劇場は中規模クラスの劇場。舞台専用の施設だった。天井は同じくらいの規模の映画館よりも高かった。それにどういう意味があるのかは分からない。これくらいの規模が演劇にはちょうどいいのだろうか。昼の上演だったが客席は9割がた埋まっていた。ただ、施設そのものは古いと思われ、シートの座面がクッションの厚みの割に具合が悪く、尻がすぐ痛くなってしまった。

下北沢の演劇も駅前劇場、本多劇場各一回とアリバイ程度にしか経験できなかった。もしかして自分は自分で思っているよりもライブパフォーマンスが好きなのではないかと思うようになったのがここ数年だから仕方ないのだが。

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2024年9月 5日 (木)

歌舞伎座に行く 2024.09

銀座の歌舞伎座に行く。今回も開場の約一時間前に現地に着いて近くの喫茶店で時間を潰す。銀座・歌舞伎座
座席は三階席で西の14番。席が分からないと思って係員さんに訊くと、劇場の側面の席だった。劇場全体は見渡せて歌舞伎座という大劇場がどのような感じなのかはよく見渡せたが、下手が見切れてしまう。下手側の花道は全く見えない。

演目は「妹背山婦女庭訓」と「勧進帳」。「妹背山婦女庭訓」は情報を事前に仕入れずに見たらセリフがほとんど聞き取れず、演技で何をやっているかは分かるが具体的なストーリーは分からずという結果になった。「入鹿」は分かったので蘇我入鹿に由来する話ということまでは分かったが。「勧進帳」は粗筋は知っていたので大まかには分かったが。歌舞伎も実はセリフは聞き取れていなくて、事前に知っている粗筋で脳内補完しながら鑑賞しているのだろうかと思わされた。

「妹背山婦女庭訓」の吉野川の場では舞台の中央に吉野川を描き、舞台の上手と下手にそれぞれ屋敷を置いて男女それぞれのストーリーが展開されるという構成だった。三階席だったので、舞台を俯瞰することができてその点では良かったのだが、何せ下手が見切れてしまう。A席を買ったらこうなったのだけど、これならB席の方が良かったかと思った。「勧進帳」も幕が引かれた後の飛び六方か、それは全く見えなかった。

その他、幕間にめで鯛焼きを食す。

ここ数か月、夜9時頃に寝て朝3時頃に起床する生活をしているので、「勧進帳」では眠くて仕方なかった。幸い、帰りの電車では座ることができた。

……という訳で、能/狂言と歌舞伎はアリバイ程度には見ることができた。横浜には三十年近く住んでいた訳だけど、ご縁がないとこんなものだろうか。

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2024年8月25日 (日)

相模原薪能を鑑賞する 2024.08

相模原薪能を鑑賞に行く。相模原方面はあまり行かないので時間が読めず、9時50分のバスに乗って出たら、11時には相模大野駅に着いてしまった。相模大野駅が町田の隣と知らなかったというオチ。開場は13時で二時間も前に着いてしまったので、とりあえず駅構内の待合室的な空間で一時間ほど時間を潰す。それから駅を出て、少し迷うが人の列を見つけて着いていくと相模女子大グリーンホールに到着した。まだ時間があったので、隣の公園の木陰で腰を下ろして休憩する。時間になったのでホールに引き返したらかなり混雑していた。座席指定なので慌てず列に並ぶ。

相模女子大グリーンホール
相模女子大グリーンホール
相模女子大グリーンホール・開場前

ステージはかなり奥行があった。クラシックコンサートも催されるので、それに対応しているのだろう。そこに能舞台が再現されていた。

座席は二列目で舞台の中央に位置する絶好の席であった。本来であれば一万円は下らない席を破格値で確保できた幸運。13時半になって開演する。初めに副市長と学長の挨拶がある。このとき疲労度がピークに達してこれで鑑賞できるのかと不安になる。

それから「船弁慶」の解説が入った。義経役は子方が演じるが、これは観客の感情移入を狙ってのものだとのこと。解説が無ければ前シテ(静御前)と後ジテ(平家の亡霊)が同じ演者によるものだと気づかなかっただろう。

仕舞「八島」
仕舞「吉野静」
狂言「惣八」
能「船弁慶」

が上演された。宝生流。冷房が効いていたからか、上演が始まると疲労感は抜けていった。普段クーラーのない環境で暮らしていて消耗しているのである。

狂言「惣八」は出家と料理人が互いのスキルを交換する滑稽な内容。間違って鯛と鯉の調理を逆にしてしまう(※鯉を刺身に、鯛を輪切りにしてしまう)。法華経はみゃーみゃーと読むだけ。最後に主人にバレて花道を駆け足で退場していく姿が好きである。

船弁慶は追われる身となった義経が静御前と別れるべきか悩む。静御前は別れたくない。その後、出航した義経と弁慶の前に平家の亡霊が立ちはだかるという内容。

船弁慶は能の中では分かりやすい演目で上演機会が多いとのことであったが、確かに分かりやすい内容であった。子方は小学校低学年くらいの男児。一時間半以上ある演目でじっとしているだけでも大変だろう。とにかく舞台の上では皆身じろぎすることすらしないのであるが、それだけでも大変なことだと思う。また、発声が大ホールでも隅々まで届く朗々としたものだったことにも驚かされる。

僕は芸能の良しあしなど分からないが、静御前は重々しい演技だったのに対し、平家の亡霊は激しい所作を見せた。能は重い演技だけではないのだと気づかされた。静御前の衣装が照明に映えてその舞が美しかった。亡霊の面は骸骨のようでもあり怖さに満ちたものだった。もしも所有したら不吉なことが起きるかもと感じさせる造作だった。

僕は日本の芸能史、演劇史を知らないが、どうしてこういう形で結実したのだろうと思う。狂言は普通にセリフのやり取りがある会話劇である。囃子や謡を含むという点では当時の総合芸術的な構成だったのだろうか。能は上流階級がみるものだったというのもあるだろう。

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2024年7月 1日 (月)

機会を逃す

下北沢の小劇場で不条理演劇を観たかったのだが、機会を逃してしまった。コロナワクチンを接種したため体調が若干不良だったという理由もある。

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2024年6月19日 (水)

歌舞伎座に行く 2024.06

銀座の歌舞伎座に行く。銀座についたのは午後3時前で開場は4時からだったので、歌舞伎座の裏通りの喫茶店で時間を潰す。アイスコーヒーとグレープフルーツジュース(白)とで約2000円した。銀座なので倍の価格がする。ジュースは甘かった。

東銀座の歌舞伎座
歌舞伎座・意外と奥行がある

歌舞伎座は中に入ってみると、巨大な劇場だった。ステージの幅は通常のステージの倍ほどはあるだろうか。全く予想していなかった。座席は6列目。ステージのほぼ中央の位置だった。

六月大歌舞伎、

・南総里見八犬伝
・山姥
・魚屋宗五郎

の三演目が上演された。歌舞伎の殺陣はやられると前転してステージに着地する。痛そうだが、怪我しないのだろうか。

南総里見八犬伝では最初に殺される姫が女形なのにあたかも女性に思えた。女形の声はどうやって発声しているのだろう。最後は八犬士が勢ぞろいする華やかさだった。ステージ中央と花道の地下からステージに昇降台が設けられていて、そこから登場人物が出る場合があった。

山姥は怪童丸が中村家の児童だった。八重桐を演じる中村萬壽は今回襲名。それまでの名を息子に引き継いだ。息子さんは姫役で登場。綺麗な女形だった。中村獅童さんの息子さん二人も初舞台を踏み、渡辺綱、もう一人の四天王役を演じた。劇中、襲名のご挨拶があった。

次の上演までは時間があり、観客の多くが弁当を食べていた。ちなみに左隣は若い女性だった。

魚屋宗五郎は妹のお蔦が殺されてしまった宗五郎が禁酒を破って酒を飲んでしまい、酒癖の悪さが徐々に出てくる描写が面白かった。約一時間半ほどの上演だった。セットが回転して入れ替わる大仕掛けな舞台だった。

歌舞伎座は1500人ほど収容できる大劇場だが、役者さんたちは肉声で声を客席に届けていた。

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2024年6月14日 (金)

下北沢の小劇場で演劇を鑑賞 2024.06

下北沢の駅前劇場に行き、劇団チョコレートケーキの「白き山」を観劇する。

脚本:古川健
演出:日澤雄介
舞台美術:長田佳代子
照明:和田東史子
音響:佐藤こうじ

斎藤茂吉:緒方晋
斎藤茂太:浅井伸治
斎藤宗吉:西尾友樹
高弟:山口茂吉
賄い婦:守谷みや

駅前劇場は高架をくぐってすぐガストが入居したビルがあるが、その三階にある。昼の回だったがほぼ満席だった。当日券があるだろうと軽く考えていたのだが、遅れていたら入場できなかったかもしれない。観客層は中年から老年層。男女比は半々くらいか。キャパは180人ほど。小劇場のカテゴリー。席は折り畳み椅子だがクッションは敷かれている。僕の席は一番奥だった。二時間の劇なので二幕構成かなと思ってトイレ休憩のとき出入りが大変だなと思っていたのだが、二時間通して演じられた。このところ頻尿の度合いが増したのだが、何とか耐えられた。

下北沢・駅前劇場
駅前劇場・ポスター

ストーリーは歌人の斎藤茂吉が疎開した山形の山荘が舞台となる。下手奥が茂吉の書斎となっている。終戦直後、息子二人と門人(出版社の編集か)が訪ねてくる。他、茂吉の身の回りを世話する中年女性がいる。敗戦によって価値観が180度転換、戦争を賛美する歌を詠んでいた歌人たちは非難に晒されることになる。劇中ではそうなるだろうと息子から指摘されるのみ。息子は二人とも医師である。弟は後の北杜夫と思われるが文学を志している。「戦争詠みはつまらない」と断言する。これは茂吉だけの問題ではなく劇中では高村光太郎の名も言及される。最終的に茂吉は東京へ戻るのを延期し、生まれ育った故郷の風景を詠む方向性が示される……というような内容。

小劇場なので実験的な作風の劇も上演されると思うのだけど、今回は本格的な劇だった。下北沢では小学生のときに姉に連れられて小劇場に行ったことがあるが、そのときは劇ではなくて舞踏だった。僕は首都圏の神楽はちょこちょこ見ているのだが、神楽は基本的に黙劇で、セリフのある近代演劇をライブで鑑賞するのは実質的に初めて。これまで行こう行こうと思っていて、いざとなるとどこで何を見ればいいのか分からなくて手をこまねいていた。ようやく願いが叶った次第。

演者は5名。僕は演技の良しあしは分からない口なのだけど、皆、上手いなと感じた。アンケートに「冗長性が削ぎ落された2時間をどう考えるべきか? 今の自分にはまだ分からない」と記入した。これは別に不満があった訳ではなく、一幕で2時間という長丁場で無駄のない緊密な劇が展開されているということである。裏を返すと、お遊びの要素はないなと感じたということである。観客を笑わせる場面ももちろんあるが、それも計算されたものである。

……残るは歌舞伎だが、そろそろ梅雨入りだしどうしよう。

<追記>
門人役の人が茂吉が云々と言っていたのは役者さんの実名が茂吉だったことに由来すると後でリストを書き写していて知る。鑑賞時は事前情報なしで見たので気づかなかった。

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