相模原薪能を鑑賞に行く。相模原方面はあまり行かないので時間が読めず、9時50分のバスに乗って出たら、11時には相模大野駅に着いてしまった。相模大野駅が町田の隣と知らなかったというオチ。開場は13時で二時間も前に着いてしまったので、とりあえず駅構内の待合室的な空間で一時間ほど時間を潰す。それから駅を出て、少し迷うが人の列を見つけて着いていくと相模女子大グリーンホールに到着した。まだ時間があったので、隣の公園の木陰で腰を下ろして休憩する。時間になったのでホールに引き返したらかなり混雑していた。座席指定なので慌てず列に並ぶ。


ステージはかなり奥行があった。クラシックコンサートも催されるので、それに対応しているのだろう。そこに能舞台が再現されていた。
座席は二列目で舞台の中央に位置する絶好の席であった。本来であれば一万円は下らない席を破格値で確保できた幸運。13時半になって開演する。初めに副市長と学長の挨拶がある。このとき疲労度がピークに達してこれで鑑賞できるのかと不安になる。
それから「船弁慶」の解説が入った。義経役は子方が演じるが、これは観客の感情移入を狙ってのものだとのこと。解説が無ければ前シテ(静御前)と後ジテ(平家の亡霊)が同じ演者によるものだと気づかなかっただろう。
仕舞「八島」
仕舞「吉野静」
狂言「惣八」
能「船弁慶」
が上演された。宝生流。冷房が効いていたからか、上演が始まると疲労感は抜けていった。普段クーラーのない環境で暮らしていて消耗しているのである。
狂言「惣八」は出家と料理人が互いのスキルを交換する滑稽な内容。間違って鯛と鯉の調理を逆にしてしまう(※鯉を刺身に、鯛を輪切りにしてしまう)。法華経はみゃーみゃーと読むだけ。最後に主人にバレて花道を駆け足で退場していく姿が好きである。
船弁慶は追われる身となった義経が静御前と別れるべきか悩む。静御前は別れたくない。その後、出航した義経と弁慶の前に平家の亡霊が立ちはだかるという内容。
船弁慶は能の中では分かりやすい演目で上演機会が多いとのことであったが、確かに分かりやすい内容であった。子方は小学校低学年くらいの男児。一時間半以上ある演目でじっとしているだけでも大変だろう。とにかく舞台の上では皆身じろぎすることすらしないのであるが、それだけでも大変なことだと思う。また、発声が大ホールでも隅々まで届く朗々としたものだったことにも驚かされる。
僕は芸能の良しあしなど分からないが、静御前は重々しい演技だったのに対し、平家の亡霊は激しい所作を見せた。能は重い演技だけではないのだと気づかされた。静御前の衣装が照明に映えてその舞が美しかった。亡霊の面は骸骨のようでもあり怖さに満ちたものだった。もしも所有したら不吉なことが起きるかもと感じさせる造作だった。
僕は日本の芸能史、演劇史を知らないが、どうしてこういう形で結実したのだろうと思う。狂言は普通にセリフのやり取りがある会話劇である。囃子や謡を含むという点では当時の総合芸術的な構成だったのだろうか。能は上流階級がみるものだったというのもあるだろう。