本質主義/構築主義

2020年10月24日 (土)

地元民が読んだらどう感じるか――足立重和「郡上八幡 伝統を生きる 地域社会の語りとリアリティ」

足立重和「郡上八幡 伝統を生きる 地域社会の語りとリアリティ」(新曜社)を読む。岐阜県の郡上八幡を舞台としたモノグラフで、第一部は郡上おどり(盆踊り)、第二部は長良川河口堰反対運動を取り上げたものとなっている。

読後感だが、郡上八幡と著者の足立氏の出会いは果たして幸福なものだったのだろうかと思わないでもない。なにせ「あっ、足立が来た!」である。学問的には面白い結果になっているが、当の郡上八幡の人々がこの本を読むと、どんな読後感を抱くだろうかと考えさせられる皮肉な結果となっているのである。

著者の足立氏は環境社会学者で、大学院生時代に「構築主義の可能性」という論文を書いている。その時点では構築主義に可能性を見出していたようであるが、現在の氏は構築主義に対して醒めた視線である様に見える。

序章で分析視角が提示される。まず社会構造、階層構造、地域権力構造など「構造」に分析のポイントを置く「構造論」を挙げる。著者は構造論は特定の地域や集団の語りそれ自体に注目してこなかった、むしろ語りの背後にある構造のみを重視してきたとする。そこで著者はリアリティはその真偽に関わらず人々の語りを通じて社会的に構築されると命題化する。

一方、構築主義は特定の社会問題などの事実が実在するかどうかを一旦「括弧入れ」「判断停止」し、いかにして対象が人々による言説を通じて認知的に構築されていくかその過程を記述するものであるとして「構築論」と紹介する。が著者は地元民の語りは括弧入れ(脱構築)された真空の中で発せられているのではなく、その語りの前提となる地域社会のコンテクストの中で初めて意味を獲得するとする。

ここで著者はコンテクスト=語り得ぬものとする。そして<いま・ここ>の語りと<あのとき・あそこ>に属するコンテクストとの交錯の中でリアリティを位置づける分析視角を「交錯論」として本書での分析視角とする。

第一部では郡上八幡の郡上おどりが取り上げられる。郡上おどりは国の重要無形民俗文化財に指定されており、また一方で、踊りのシーズンには三十万人もの観光客を集めると言う点で、保存と観光資源化の両立を果たしている好例である。

だが、観光客も踊りに参加する様になった現在、地元の人がその輪に入りにくい状況になっているという地元民の踊り離れの傾向が指摘される。つまり踊りの質が低下し且つ地元民が疎外されているのである。地元の人たちは郡上おどりから昔の「風情」が失われたと語る。風情とは審美的なリアリティである。そしてそれへの対策として観光客向けではない「昔おどり」を催して昔の風情を再現するに至っている。

現在の観光化した郡上おどりと昔おどりが併存する事態となっている。著者の足立氏は二つの郡上おどりが存在すると指摘するのだが、地元の人達はそれを否定するのである。

そもそも、郡上おどりは四百年以上の歴史があるとされているが、実は史料を遡るとそれを裏付けるものは存在しないのである。開府当時の藩主が士農工商の融和を図るために始めたという口碑が残されているだけである。これに対し、地元の郷土史家たちは郡上おどり以前のかけ踊りとの共通性を見出し、そこから郡上おどりの独自性を見出すのである。共通性から独自性を見出すといった転倒が行われているのである。著者の足立氏は郷土史家が郡上おどりの歴史的真正性を担保、管理する存在になっていると指摘する。

文化構築主義では現在の伝統文化は実は近現代に観光資源的に再構築されたもの、つまり虚構であるとする。虚構であるということは当の地元民たちにとっては皮肉な結果となる。そこで、その点を補う意味で文化構築主義の主体性バージョン(文化の客体化)が出てくる。伝統文化に関与する地元民の主体性を評価するという立場である。が、その主体性とは外部から強制されたものではないかと著者は指摘する。

もう一つ、文化コンフリクト論が取り上げられる。コンフリクトとは葛藤である。観光化された伝統文化と、それの「もと」なる伝統文化が葛藤し、互いに真正性を主張し合う。その葛藤こそが文化のバイタリティを生み出し「観光化に対応し祭りを活性化させる原動力」となるとする。著者はこれに対し予定調和的、同調的であると指摘する。

著者はこれらの批判を踏まえて、<いま・ここで>組み上げられるリアリティが<本来あるべき>リアリティ「風情」となり、そのリアリティこそが伝統文化の実現に地元民を動員させると考える。「風情」というリアリティを懐かしむ「ノスタルジック・セルフ」という主体がそこにある。伝統文化の継承はこれらのようなノスタルジックな主体性に裏付けられているとする。

第二部では長良川河口堰の反対運動が取り上げられる。長良川河口堰が完成すると生態系に影響が出ると懸念されており(※実際に長良川を遡上する鮎、サツキマスの数が減少した)、長良川の上流に位置する郡上八幡も無縁ではいられないのである。そこで郡上八幡でも長良川河口堰に反対する運動が組織される。

反対運動がマスコミを巻き込んで成長、全国的に大きな反響を呼ぶ。郡上八幡では町長選に反対派の候補者を擁立しようという動きが出てくるのだが、候補者擁立に賛成派と反対派とに分裂してしまうのである。

これは端的に言えば賛成派の根回し不足によるものである。反対派の人達は賛成派は旧市街地区に住んでいないからと理由をつける。実際には住んでいても、居住歴が短いことをもって区別の根拠とするのである。

では反対派にはいかなるロジックがあるのかというと、反対派には「町衆」という長老格とでも呼ぶべき存在がいて、壮青年たちは町衆に評議を図ってそのフィードバックを得るという手続きで動いている。フィードバックされることによって地元住民の「総意」を得たと措定するのである。それを「密室での根回し」であると賛成派たちは批判するという構図である。

著者の足立氏は市民社会的な全ての成員が平等な立場であるのを水平的な関係とし、郡上八幡の町衆のように経験知の有無で階梯を設ける垂直的な関係があると分析するのである。そしてこの町衆的なシステムを前近代的なものと批判するのでなく、地域のコミュニティにとって積極的な意味を見出すのである。

余談。
「文化コンフリクト」で国会図書館のOPACを検索したが、「異文化コンフリクト」しかヒットしなかった。

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2020年10月19日 (月)

平易な入門書――ケネス・J・ガーゲン「あなたへの社会構成主義」

ケネス・J・ガーゲン「あなたへの社会構成主義」(東村知子/訳, ナカニシヤ出版)を読み終える。奥付を見ると、初版15刷とあるので売れている本らしい。Amazonでもレビュー数が多かった。

構築主義(社会構成主義)について平易に解説した本。デカルトの「我思う、故に我あり」から始まり、経験主義哲学へと進み、それらの認識論はやがてポストモダン哲学で批判されることになるのだけど、その流れを平易に解説している。

社会構成主義は個人主義な認識論に異を唱え、我々は個であるのではなく、我々を結ぶ関係性の網の目の中にいるとする。そして関係性の中に意味が発生すると考えるのである。つまり、我々を取り巻く現実は社会的に構成されるのだとする。ソシュールの言語学から始まり、ヴィトゲンシュタインの言語ゲームという理論が援用される。

主観と客観、どちらも絶対的なものではありえないというところか。

観念論的であるけど、では痛みはどう説明するのかという問いにも答えている。別に物体の実在までを否定している訳ではないのだ。

しかし、構築主義的に疑いはじめたらきりがない。どこかで判断停止(エポケー)しなければならないのではないか。

では自分の関心事項である文化構成主義における伝統文化も社会的に構成された想念に過ぎないことになる。極論すると虚構である。人の身体を通して表現される無形文化財の型や様式などは特にそうであろう。文化の真正性の有無について構成された(日本なら日本の、社会での)文脈に基づいて我々は伝統文化について判断していることになる。

著者は心理学者なので心理学に関する言及が多い。社会構成主義なので社会学的なものを期待していたのだけど、それは他の本で補うことになりそうだ。

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2020年10月15日 (木)

紙数が足りない――足立重和、他「構築主義の可能性」

足立重和、他「構築主義の可能性」という論文を国会図書館の遠隔複写サービスで読む。社会学における社会構成主義について、それまでのラベリング理論との論争や理論的課題について論じられたもの。抽象的な議論である上に社会学の知識が無くてあまり理解できなかった。「存在論的ゲリマンダリング」って言われても何のことかピンと来ない。恣意的な存在論というところだろうか。ゲリマンダーについては高校で習った記憶があるが。元は政治学の用語である。難解だけど、それでも上野千鶴子/編「構築主義とは何か」よりはマシだったと思う。

社会構成主義の成り立ちについては限られた紙数に全てを盛り込むことは難しいようだ。僕の頭は高等教育を受け付けなかったから大学院レベルの議論にはついていけないのだけど、やはり具体例が欲しいところである。

ところでなぜこの論文を読んだかというと、著者の足立氏の論文を以前に読んだことがあったからである。それは岐阜の郡上おどりに関する論考だったが、そこでの氏は構築主義(文化構成主義)について醒めた眼差しであるように感じられたのである。「構築主義の可能性」は氏が大学院生のときのものだから、それ以降で心境の変化があったのかもしれない。

文化構成主義でネットをググっても、天理大学のPDFしかヒットしなかった。文化構成主義については社会構成主義ほど難しくない気がするが、この立場をとると伝統文化に本物も偽物もないという結論に至ってしまう。それも何か不自然な解釈の気がするのである。

なお、
社会構成主義(Social Constructionism)
というサイトのページでは

「社会構成主義とは、「社会の様々な事象は人々の頭の中で作り上げられたもの(認知)であり、そを離れて社会は存在しない」とする社会学の立場を表す。」

「こうした見方は極めて哲学的で、分析的アプローチとは合い入れないことから、社会構成主義は社会科学者の間で次第に廃れていくこととなった。」

とある。

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2020年10月 6日 (火)

ステージ上の芸能――橋本裕之「舞台の上の文化 まつり・民俗芸能・博物館」

橋本裕之「舞台の上の文化 まつり・民俗芸能・博物館」(追手門大学出版会)を読む。舞台の上の文化というのは要するにステージ上で演じられる芸能のことだろう。ある民俗音楽学者は芸能が本来の文脈(奉納神楽とか)を離れてステージ上で演じられたら、それは芸能のショー化だと言って厳しく批判した。

民俗芸能には二つの法律が深く関わっている。文化財保護法は戦後に制定された法律だけど、制定当初は民俗芸能は時代に応じて変化するもので保存に馴染まないという理由で指定の対象から外されていた(記録作成の選択対象となっていた)。が、後に保存に馴染まないから無形文化財としての保存が必要だにロジックが切り替わり指定の対象となったのである。

それともう一つ平成初期に制定された通称おまつり法、これは郷土芸能を観光資源として地域おこしに活用する趣旨の法律だ。この法律に民俗学者たちは一斉にネガティブでヒステリックな批判の声を挙げた。前述のステージで演じられる芸能はショーだという批判もその一つである。

この批判は郷土芸能の持つ真正性が損なわれるという点で本質主義的なものである。一方で著者の橋本氏はおまつり法を観光的な文脈で読み解けないかと検討している。芸能の持つ真正性を脱中心化したいとのことである。要するに平成に入った辺りから論じられるようになった構築主義的なスタンスである。なお、著者の橋本氏は構築主義という言葉を用いていない。

民俗芸能的な研究は元を辿ると戦前に刊行された旅行雑誌に行きつくのである。近代に入って鉄道や郵便網が整備され、移動が活発化した。観光と民俗芸能は元々深い関わりがあったのであるが、民俗学者たちはその事実を隠蔽し、旅行雑誌を一段劣るものと見なしたのである。橋本氏のスタンスは原点に回帰する的なニュアンスも含まれる。

私見だが、民俗芸能の保存と活用は二項対立的なものでなく現代では表裏一体のものとしてあるのではないか。

創作和太鼓は近年発足したもので、民俗芸能としての真正性を欠いているのだが、現在では地域おこしの核としても期待されている。

博物館論についても触れられる。初読なので核心的な部分は理解できていないが、博物館には展示者側の意図した見方がある一方、来館者たちは必ずしも展示者の意図とは異なった見方をするものである。そういう意味では屈折した関係である。

田楽の復元に関わった経緯についても語られる。中世の田楽を現代に再現しようという試みである。このときの経験がきっかけで後にNHKの大河ドラマ「義経」の芸能考証として参加することになったそうだ。

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2020年8月29日 (土)

当時は気づかずにスルーしていた

パソコンのフォルダを眺めていて、足立重和「ノスタルジーを通じた伝統文化の継承―岐阜県郡上八幡市八幡町の郡上おどりの事例から―」というPDFがあるのに気づく。ネットサーフィンしていたときに目を留めたものであり、ファイルのプロパティを見ると、2014年に保存したものらしい。

この論文に文化構成主義というキーワードが登場するのだ。つまり構築主義である。僕が構築主義という言葉を意識したのは2018年くらいだから、その4年前に目にしていたことになる。PDFファイルをローカルに保存したのだから、何か思うことがあったに違いない。しかし、そのときの僕は文化構成主義という言葉を遡って調べることをしなかったらしい。興味を覚えつつもスルーしてしまっているのだ。

著者は構築主義と観光との関わりで、観光化された伝統文化は再構築された伝統として虚構であると皮肉っている。そして観光に携わる地域住民の主体性の発揮についても懐疑的な見方をしているところが特徴である。

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2020年1月 8日 (水)

記述自体は平易だが――山内志朗「普遍論争 近代の源流としての」

山内志朗「普遍論争 近代の源流としての」(平凡社)電子版を読み終える。本質主義/構築主義の対立はスコラ哲学の実在論/唯名論にまで遡るということで、参考になるかと思って読んでみたが、記述自体は平易なものの、初学者で一読では難しかった。

電子版で読んだが、書籍版だと約480ページ。その内後半がスコラ哲学関係の学者名小辞典となっている。本文は4章まであるが、3章までが難解というところだろうか。

本質主義というのは不変のエッセンス(神髄)が存在するという立場だが、構築主義もそれが時代の潮流によって影響を受けているとするだけで、エッセンスの存在自体は否定していないだろう。

芸において神髄が存在していないという人は多分いないだろう。言ってしまえば個々の芸、スキルつまり下部構造を統括する上位のスキル、上部構造となるが、それが何層にも渡って形成されているのだろう。それは脳の神経回路というところにまで帰せられるか。それは個々人の持って生まれたセンスと経験によって獲得した何物かということになるか。

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2019年12月29日 (日)

90年代の大学では

米沢穂信「さよなら妖精」という推理小説を読んでいる。ユーゴスラビアから来た少女をホームステイさせる話なのだけど(作中ではまだユーゴ紛争は起こっていない)途中「わざとでない伝統の創造ですね」というセリフが出る。「さよなら妖精」は2000年代の初め頃に出版された推理小説である。作者の米沢穂信と僕は十歳くらい違うのだけど、米沢の時代、90年代の大学だと「伝統の創造」という用語が教えられていたということになるだろうか。

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2019年12月11日 (水)

コンプレックスを吐き出す

文教大学の斉藤先生にメールを送る。神楽入門用の記事をWordファイル化して送ったもの。神楽についてあまり知識の無い学生向けの記事になるだろうと思って提案したもの。関東の大学生が主な対象だが、石見神楽や芸北神楽中心の内容となっている。関東の里神楽も出雲流神楽に分類されるので、まあ、なんとかなるだろう。

読み返してみると。「石見神楽はショーである」という批判についてつらつらと考えた内容となっている。多分、新聞記事であったのだと思うが、石見神楽は人気があるが、一部でショーだという批判があるといった書かれ方をしていたことを記憶している。それから中学一年生のときの担任の先生が郷土史家だったのだけど、「本物の神楽は大元神楽の様なものを言うんだ」といった発言をされたことを記憶している。

これらの批判について、どう答えたら良いか分からないままにコンプレックスとなっていたものが一気に噴出したというところである。現在は本質主義と構築主義という学説の対立の存在を知ったので、あのときのあれは多分こういうことだったんだろうなと思いつつ書いた記事である。

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2019年9月28日 (土)

体制転覆的――シェクナー「パフォーマンス研究 : 演劇と文化人類学の出会うところ」

「パフォーマンス研究 : 演劇と文化人類学の出会うところ」(リチャード・シェクナー, 高橋雄一郎/訳, 人文書院, 1998)を読み終える。

パフォーマンスというと演劇におけるパフォーマンスなどが狭義の意味でそうである。一方で、広義にとると、我々は日常生活において家庭では家庭人として、職場では職業人としてパフォームしているということになり、パフォーマンスは極めて広範囲な領域をカバーするのである。

また、演劇においては上演だけをパフォーマンスとするのではなく、稽古、上演、上演後のクールダウンに至るまで全ての過程がパフォーマンスだとしている。

演技と儀式に関する論考。演技も通過儀礼も<私>から<私でないもの>へと円環的に変化していくという点で共通しているとする。ギリシャ悲劇を手本として発展してきた西洋演劇に対して東洋の演劇を研究することで新風を吹き込もうとしている。

演技の場合、円環的にまた元の<私>にクールダウンされるのであるが、通過儀礼の場合は子供から大人の成員として変化を遂げることとなる。また、西洋の演劇ではクール・ダウンの方法論が確立されていないとしている。

インドのラーマーヤナの劇を大きく取り上げていて、日本の能についても触れられている。ラーマーヤナの劇は数十日にもおよぶ長大な内容を複数の劇場で移動しながら上演するという形式で、数万人もの観客がそれに従って移動するのである。一種の巡礼に近い。西洋演劇は三幕構成法によって物語のうねりが作られているが、インドの劇はそれとは異なり複数の筋が絡まり合いながら進行していく。

インドのラーマーヤナの事例の次はジャワ島の影絵劇(ワヤン)についてだった。オランダの植民地支配が長く続いた土地で(オランダ人はジャワ人に広く教育を施さなかった)、オランダの影響を受けて古典への回帰が図られたが(規範的期待)、シェクナーはそれは白人から見た古典としてお墨付きを与えるもので、構築主義的観点から異論を述べている。

最後の章では、トランス状態に入ることを目的とした研究者のワークショップの事例が紹介される。その宗教の内面を信じるのではなく、あくまで体のポーズ等にトランス状態に入り易い姿勢があるとのこと。トランス状態に入ることで一種の神秘体験をすることになる。神秘体験を経ることでそれまでの自分とは異なる自分となる。ただし、ここではそれは宗教的信仰とは結び付かない。

巻末の訳者あとがきでパフォーマンス理論について触れられていた。以前は演劇というと大学の文学部で学ぶもので、それも戯曲の解釈が中心だったという。その限界を超えたところでパフォーマンス理論は発展してきた。また、英国のカルチュラル・スタディーズと結びつき、内容を深化させてきた。ジェンダー理論などもそうである。東洋の演劇には植民地主義による支配-被支配の問題があるとしている(ポストコロニアル)。故にその内容は体制転覆的でもあるという。いわば既存の価値観を破壊的に乗り越えるのである。そういう点では日本では受け入れ難いのかもしれない。僕が感じたところだと、1980年代頃から盛んになってきた構築主義が根底にある。そういう意味では何でもありなのである。

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2019年6月12日 (水)

民俗から文化へ――岩本通弥/編「ふるさと資源化と民俗学」

「ふるさと資源化と民俗学」(岩本通弥/編, 吉川弘文館)を読み終える。タイトルにあるように、郷土の伝統芸能が地域おこしに活用され観光資源化されつつある。海外ではフォークロリズム(フォークロアまがい)という概念を用いて分析されてきた課題だけれども、現代日本でもフォークロリズムが浸透しつつある。

それらの動きの背景には農業が深く関わっている。民俗行事と農業というのは元々関係が深いものだけど、WTOによる関税引き下げ圧力で、国内農家を保護する既存の政策が見直されていることとも深い関わり合いがある。農水省はグリーンツーリズムといった新しい観光形態で農家の民宿経営を支援する保護策を打ち出している。が、小学生の体験学習で独自のノウハウを積み重ねている地域ではグリーンツーリズムに敢えて参加しないという方向性を選んでいるようだ。

また、ユネスコの世界遺産条約も加盟の影響も大きいようだ。世界遺産といっても、その保護自体は日本の国内法、文化財保護法等で守られており、白川郷の事例を挙げて、世界遺産化した現状に対する分析が行われている。

元々、文化という言葉は文化住宅といった用語でもそうであるように「進んだ、進歩した」というニュアンスが込められていた。明治時代以降の日本は西洋文化を取り入れることで文化化を推し進めてきた訳であるが、戦後になって見直しがされる。文化が西洋化されても心理面で豊かになっていないという現実である。そこで地方に残る伝統文化が見直されてきたという流れの様だ。

これらの政策の転換の背景には農水省の意向や、神道系の保守系圧力団体の意向が深く関わっていると指摘がされている。

後半に入ると、本書の姿勢が明確になる。本質主義の限界を指摘し、構築主義的な文化観となっていく。

民俗学はこれまで一国民俗学として日本の民俗を統一的に把握しようとしてきたことが指摘されている。しかし、実際には一国の括りで括れない程の多様性が日本の民俗にはあるのではないかという観点が提供される。

中西裕二「複数の民俗論、そして複数の日本論へ」では、白川琢磨の九州の神楽研究を例として挙げ、宮崎県の高千穂神楽を取り上げる。高千穂神楽は神楽の本場であるが、一面では観光神楽化して多くの観光客を受け入れている。高千穂神楽というと岩戸神楽のイメージであるが、実は歴史を振り返ると、岩戸神楽が現在の編成となったのは十九世紀に入ってからのことだとしている。

僕自身、本田安次の「日本の伝統芸能」に収録された九州の神楽の詞章を読んだことがあるが、それらは江戸時代に神道流に改作されたものであった。なので、明治以降だということはないと思う。

白川琢磨は宗教人類学者で、神道流に改作される以前の神楽の姿を捉えるには神道の知識だけでは追いつかない面もあるので、今後の課題としたい。

こういった十九世紀に再編成された神楽という見方自体が構築主義的である。構築主義は文化はその都度再構成/再創造されるものとの解釈である。とすると、それを推し進めると文化に本物も偽物もないことになり、何でもありになってしまう。それもまた困った話である。

川森博司「中央と地方の入り組んだ関係―地方人から見た柳田民俗学―」では岡正雄が柳田民俗学を「一将功なって万骨枯るの学問」と評した。一国民俗学の立場からこうした知の中央集権システムを構築した面があるのだけど、川森は地方で民俗を収集していた人たちは地方の知識人層であり、民俗学の外に生業があったとして、「万骨枯る」という見方に修正を施している。

民俗学の黎明期にはコンピュータやデータベースは存在しなかった。カードによる分類法などはあっただろう。現代的な視点で捉えると、柳田は自らを人間データベース化しようとしていたのではないか。

また、文化の客体化という用語がしっくり来るようになる。文化が本来の文脈から切り離されることで、文化が客体化、もっと推し進めれば商品化されるのだという解釈らしい。

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