広島

2024年2月 5日 (月)

みさきとはここでは藁蛇か

Xで伊賀和志神楽団の「みさき舞」の動画が流れてきたので視聴する。
https://youtu.be/Gvu8NMJbIq8?t=1003

伊賀和志はJR三江線の駅があったので安芸高田市でも三次市に近い地域だろう。ステージに藁蛇が置かれ、八名ほどの人が持ってうねらせる。その間にお花を納めた人だろうか、個人名、会社名が読み上げられる。最後は藁蛇をとぐろを巻いた状態にしてお終いだった。伊賀和志にはこういう古い信仰が残っている側面と新舞をやる側面と両側面があるようだ。

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2024年1月 6日 (土)

主題は江川の水面でコンセプトが違う

YouTubeで特急スーパーおき、鳥取~新山口の前面展望動画を見る。4K動画である。全部で5時間以上ある大作なので鳥取大学前駅で再生をストップさせたが。見ていてキハ187系の先頭車両のあのスペースに一般人が入れたかなと思う。キハ187系はパノラマ列車ではないので展望はそれほどよろしくない。

前面展望動画は人気があるらしい。再生回数は7万を超えていた。画質もいい。

続けて三江線の前面展望動画を見る。4K動画。三時間半飽きずに視聴できた。前面展望動画だとどこをどういう風に走っているか全貌が把握しやすい。在りし日の三江線がどのような路線だったのか知る上で貴重な記録映像になっていると思う。

キハ120は車両前面に陣取ることは可能だったと記憶している。三脚を設置してカメラを固定しているのだろう。画面の揺らぎはない。パノラマ車両ではないが、視界を遮るものはほとんど映らない。

動画につなぎ目はないように見受けられるので、ノンストップで約三時間半の長回しをしていると思われる。当時デジカメで4K動画を時間無制限で撮影可能なものは限られていたはずである。また、大型センサーだと発熱の問題(※限界に達すると自動的に熱停止する)が生じるので小型センサーだと思う。おそらくデジカメではなくてビデオカメラでの撮影だろう。

4K動画を撮ったことが未だにないのでよく分からないのだが、三時間半にも及ぶ4K動画のデータ量はどれほどのものか。途中で交換した形跡も見られないので一枚のメモリーカードで収録していることになる。当時そんな大容量のカードがあったかなと思う。また、バッテリーにしても三時間ももたないはずなので、どうやって給電しているのかもよく分からない。今ならモバイルバッテリーがあるが、当時だとAC電源か。それにしてもコンセントがない。

前面展望映像なので構図の中心に線路が位置づけられる。この動画で江川沿いに走っていることは分かるが、画面の左右半分くらいまでしか映らない。コメント欄を読むと、ずっと川沿いに走っていることに気づいていないと思われるコメントがあった。

僕の撮影した動画は客席から撮影したものである。キハ120にはクロスシートとロングシートがあって僕はロングシートに座った(※既にクロスシートは占拠されていたため。ただ、ロングシートに座ったことで座席の位置取りを変えることができた)。なので体をよじりながらカメラを窓に向けていた訳である。一脚は携行していたかもしれないが、あの状況では使えなかった。カメラは固定されず画像が常に揺らぐこととなった。見ていてそんなに不快感もないとは思うが。

僕は学生のときに三江線に乗ったことがあったので、江川沿いに走るルートをとっていることは知っていた。僕の撮った動画の主題は江川の水面だったのである。

僕が美しいと思う車窓の風景は海沿いだったり川沿いだったり湖に沿って走っていたりと水面が見える場所のことが多い。

後で確認すると、乗客目線で撮った車窓の風景には線路周辺の草むらしか映っていないことも多い。全体的にどういう所を走っているか把握しにくいシーンも多い。水面が映るのはほんの少しという動画もある。が、ちょっとでも映っていればハッとさせられる。それでいいのだと思っている。

僕の動画と前面展望動画とではコンセプトが違う。相互補完関係で、その違いが分かってもらえればいいのだが、分かる人は少ないだろう。人目を惹くサムネイルも用意してないというのもあるが、どうも僕の作るコンテンツは一般受けしない。

<追記>
4K30P動画はMP4形式の場合、1ファイル96GBまでらしい。約3時間ほどになるとのこと。車窓動画なので映像の変化は大きくビットレートは高くなるはずで多少時間は短くなるかもしれない。2016年当時でも128GBで100MB/sの転送速度を持つSDXCカードは高価だろうがあったとは思われるので撮影自体は可能だったようだ。電源はポータブル電源を用意すればいいだろう。だが、JR三江線の場合、約3時間半の旅である。96GBに収まらないはずなのだ。だが、動画に切れ目は見られない。もしかしたらMP4形式ではないのかもしれない。パナソニックGH4の発売は2014年だった。案外前から4K動画は撮影可能だったのだ。知らぬは自分ばかりなり。

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2024年1月 4日 (木)

【車窓の風景】JR三江線 江津駅~三次駅 2016.08【YouTube】

今頃ですがJR三江線の車窓の風景を撮影した動画をYouTubeにアップロードしました。江津駅を朝6時5分頃出発して三次駅に9時半頃に到着する約3時間半の行程となっております。

三江線の駅数は35駅で34区間ですが、駅に停車したことを無意識にスルーして撮影を続けた駅が2駅ありまして32本の動画群となりました。

JR三江線の動画は既にありますが、それらは車両前面から撮影したもので運転士の視線に近いものです。本動画は客席から撮影したもので乗客目線の動画となっております。三江線が江川に沿って走っていることがよく分かると思います。カメラは手持ちのため、常に揺れておりますが。朝4時起きでしたので途中で居眠りしかけてカメラが大きく揺れるシーンもあります。

明け方に朝日に向かって江川を遡っていきますので、序盤では強い逆光となります。撮影したSX130ISはCCD機ですのでスミアがしばしば発生します。

江津駅~三次駅:
SX130IS:1280*720(30fps)
・【車窓の風景】JR三江線 その1:江津駅~江津本町駅 2016/08/25
https://youtu.be/xdLqO0-b1lo
・【車窓の風景】JR三江線 その2:江津本町駅~千金駅 2016/08/25
https://youtu.be/SsfFM8AmME0
・【車窓の風景】JR三江線 その3:千金駅~川平駅 2016/08/25
https://youtu.be/pzr_55iXuNI
・【車窓の風景】JR三江線 その4:川平駅~川戸駅 2016/08/25
https://youtu.be/hd4B0hvIg-Q
・【車窓の風景】JR三江線 その5:川戸駅~田津駅 2016/08/25
https://youtu.be/qR2klXfxR-w
・【車窓の風景】JR三江線 その6:田津駅~石見川越駅 2016/08/25
https://youtu.be/5Hs-ySTy518
・【車窓の風景】JR三江線 その7:石見川越駅~鹿賀駅 2016/08/25
https://youtu.be/si3ghIj95do
・【車窓の風景】JR三江線 その8:鹿賀駅~因原駅 2016/08/25
https://youtu.be/FnyD4q-CwG4
・【車窓の風景】JR三江線 その9:因原駅~石見川本駅 2016/08/25
https://youtu.be/iVZdQlZJfEI
・【車窓の風景】JR三江線 その10:石見川本駅~木路原駅 2016/08/25
https://youtu.be/JDgw_TohSIk
・【車窓の風景】JR三江線 その11:木路原駅~竹駅 2016/08/25
https://youtu.be/iXfDG75CvUA
・【車窓の風景】JR三江線 その12:竹駅~乙原駅 2016/08/25
https://youtu.be/fky9HUB2qOc
・【車窓の風景】JR三江線 その13:乙原駅~石見簗瀬駅 2016/08/25
https://youtu.be/2yZESpvuxTI
・【車窓の風景】JR三江線 その14:石見簗瀬駅~明塚駅 2016/08/25
https://youtu.be/BIPGNABM25Y
・【車窓の風景】JR三江線 その15:明塚駅~粕淵駅 2016/08/25
https://youtu.be/QZkl2z5bcEM
・【車窓の風景】JR三江線 その16:粕淵駅~浜原駅 2016/08/25
https://youtu.be/cCW1sy8jOXI

CANON Powershot G16:1280*720(30fps)
・【車窓の風景】JR三江線 その17:浜原駅~沢谷駅 2016/08/25
https://youtu.be/06jk5XBJbTg
・【車窓の風景】JR三江線 その18:沢谷駅~潮駅 2016/08/25
https://youtu.be/GQv330yBSCs
・【車窓の風景】JR三江線 その19:潮駅~石見松原駅 2016/08/25
https://youtu.be/b8HA4t8tahI
・【車窓の風景】JR三江線 その20:石見松原駅~石見都賀駅 2016/08/25
https://youtu.be/1KWyS4UlLrQ
・【車窓の風景】JR三江線 その21:石見都賀駅~宇津井駅 2016/08/25
https://youtu.be/rGcsyQ8_Gro
・【車窓の風景】JR三江線 その22:宇津井駅~伊賀和志駅 2016/08/25
https://youtu.be/zKV9cAY5vm4
・【車窓の風景】JR三江線 その23:伊賀和志駅~口羽駅 2016/08/25
https://youtu.be/xJftyNJTsXs
・【車窓の風景】JR三江線 その24:口羽駅~江平駅 2016/08/25
https://youtu.be/pa9eFWsgLyU
・【車窓の風景】JR三江線 その25:江平駅~作木口駅 2016/08/25
https://youtu.be/CmyFT-1OcfQ
・【車窓の風景】JR三江線 その26:作木口駅~香淀駅 2016/08/25
https://youtu.be/fpai-Ge4pwo
・【車窓の風景】JR三江線 その27:香淀駅~式敷駅 2016/08/25
https://youtu.be/3FEOFo6WnUg
・【車窓の風景】JR三江線 その28:式敷駅~信木駅~所木駅~船佐駅 2016/08/25
https://youtu.be/3ge47TsIzgk
・【車窓の風景】JR三江線 その29:船佐駅~長谷駅 2016/08/25
https://youtu.be/vdK-ruR8WQQ
・【車窓の風景】JR三江線 その30:長谷駅~粟屋駅 2016/08/25
https://youtu.be/795XtiKJK9g
・【車窓の風景】JR三江線 その31:粟屋駅~尾関山駅 2016/08/25
https://youtu.be/NBCA61ndaZg
・【車窓の風景】JR三江線 その32:尾関山駅~三次駅 2016/08/25
https://youtu.be/bd3r3VWFOuk

撮影機材はCANON Powershot SX130ISとPowershot G16です。いずれも720PのHD動画となっております。4Kテレビでもおそらくアップコンバートされるはずですので、視聴に差し支えないとは考えております。

SX130ISの動画はMOV形式で10分制限がありました。そのことを知らないまま撮影に臨んだので途中で途切れてしまった動画があります。またSX130ISは単3電池機でエネループを何本か持ち込んで交換しながら撮影する予定だったのですが、案に相違して電池がへたっていたため「これは駄目だ」となって急遽予備機としていたG16に交替することになりました。

G16は1080P 60fpsで撮影可能な当時としては優秀な機材だったのですが、後に残すにはできるだけ高い解像度で撮影しておくという鉄則を外してしまいました。

データを確認すると、MOVよりMP4の方が圧縮率が高くデータ量が小さかったです。当時既にMP4はパソコンで扱いやすい認識はあったようですが、SX130ISの動画がMOV形式という認識はありませんでした。MP4形式で撮れると勘違いしていたようです。

ちなみにMP4形式には30分もしくは4GBまでという制限があります。60fpsだと27分くらいで4GBに達してしまうようです。三江線の駅間は一部を除いて10分もかかりませんからMP4なら余裕でした。

当時のG16の認識は明るいレンズと裏面照射式CMOSを積んだ写真機でした。動画機として使えると認識していなかったのです。反省点です。

アップロードが2023年年末から2024年年始にかけてとなった理由ですが、撮影当時、自宅の回線がADSLでハイビジョン動画をアップロードすると時間がかかり現実的でないと断念しました(※とはいえ投稿動画一覧を確認するとSX130ISで撮った動画もアップロードされていましたが)。光回線になったのは2021年11月下旬になってからです。

また、そうしている内にデータをバックアップしていた外づけHDDが満杯になり、引継ぎしないまま次のHDDに移行して埋もれてしまいました。2023年10月にパソコンが故障したのをきっかけにHDDの中身を整理し、写真・動画のデータを一元化しました。それでようやく眠っていた過去の資産をアップロードすることが可能となりました。

という訳で、今では快適にハイビジョン動画をアップロードできるようにはなりました。

三次駅に到着した後は、次の石見川本行きに乗りました。石見川本駅で下車して町内で一時間半ほど時間を潰しました。それから江津駅に戻り、快速列車で浜田に戻った次第です。

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これも石見のコンテンツ

YouTubeにJR三江線の車窓の風景の動画をアップロードし終えた。三江線の駅は35駅で34区間だが、駅に停車したことを意識せずそのまま撮影した駅が二駅あったので全部で32動画となった。これも僕なりの石見のコンテンツである。

その1(江津駅発)→ https://youtu.be/xdLqO0-b1lo

残念ながらHD画質であるが、24インチ程度のFHDモニターなら全画面表示しても問題ないし、4Kテレビならアップコンバート機能があるだろう。世の動画配信サービスの多くがHD画質だし。

YouTubeには2009年9月頃から投稿をはじめて現在まで92件の動画をアップロードしている。YouTuberではないが案外数を投稿している。そのほとんどは車窓の風景動画と鳥の雛が被写体である。また、ほとんど無編集で撮って出しの動画ファイルをアップロードしている。

目標は1動画あたり400アクセスくらいである。他所の動画だと19万PVくらいあるものも存在するが、遅れてきた動画にそんなに需要はないだろう。

撮り鉄ではないし乗り鉄でもないが、たまに乗り撮り鉄になるといったところだろうか。

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2023年12月30日 (土)

認識を改める――六郷寛「第二五回古代文化講座 芸北地域に「石見神楽」はいつ伝播したか? ―「伝統」と「創作」の視点から―」

六郷寛「第二五回古代文化講座 芸北地域に「石見神楽」はいつ伝播したか? ―「伝統」と「創作」の視点から―」『しまねの古代文化:古代文化記録集』17号を読む。六郷氏は北広島町教育委員会の職員。

何年か分からないが、浜田市のいわみーるという施設での講演の模様が文字起こしされたもの。講演録の後に芸北地域の史料が掲載されている。漢文を読み下したものと思われる。文字面を追うことはできなくもないが文脈をとるのは難しい。

この講演が収録された『しまねの古代文化:古代文化記録集』17号は2010年3月の発行であった。芸北地域の江戸時代の動向が語られているのでもっと早く読んでおけばよかった。

おそらく同様の内容だと思うが、六郷寛「近世末期安芸国北部地域における「石見神楽」の受容」『近世近代の地域社会と文化』という論文名も記されている。ただ、この論文はおそらく雑誌でなく書籍に掲載されたものだろう。国会図書館だと書籍に掲載された論文は著作権の関係で半分しかコピーできない。全部読むには国会図書館に行かなければならない。

北広島町は大朝や千代田の辺り。浜田市からなら高速道路一本でいける地理的関係にある。

広島県の安芸国の北部で舞われる神楽は芸北神楽と呼ばれることが多いが、六郷氏は石見神楽という認識である。学問的には芸北神楽は石見神楽なのである。ここでは石見神楽+芸北神楽の場合、石見系神楽と表記する。

従来、神楽の分類で出雲流神楽という分類があった。現在は採物神楽と称されるように変わっている。中国四国九州に分布していてストーリー性のある神楽、神楽能(能舞)と儀式舞が組み合わされた神楽だとされている。

その出雲流神楽の源流が松江市の佐陀神社の佐陀神能だとされている。安土桃山時代から慶長期にかけて能の影響を受けた神楽が成立したとされている。

ここで六郷氏は旧山県郡の壬生神社に伝わる資料(井上家文書)から「荒平舞詞」を挙げる。この史料は『日本庶民文化史料集成』第一巻に収録されている。これは荒平という鬼が長々と口上を述べていかに自分が凄い存在であるかアピールするが、日本は神国なので敗れてしまって、魔法の杖を授ける……というような内容である。これは現在でも広島県の安芸十二神祇で「関」といった演目名で舞われている。四国ではこの鬼は提婆と呼ばれてもいる。九州の神楽の詞章にも荒平の名を見ることができる。

このように西日本に広く分布している荒平なのだが、六郷氏は「荒平舞詞」は戦国時代の史料だと指摘する。つまり佐陀神能より古い神楽の記録が残っているとするのである。六郷氏は佐陀神能は仏教色を排除した神楽だと指摘し、当時は西日本一帯に神仏習合的な神楽があったのではないかと推測する。後に吉田神道が神職を統括するようになり、1800年代の初め頃に神楽が仏教色を排して神道流に改訂されたのである。

で、話は芸北地域、主に旧山県郡の歴史に移るのだけど、六郷氏は井上家文書を読み解き、1830年代に邑智郡から石見神楽の流入が始まったとする。当時の石見神楽は神職によって舞われていた。その後1850年頃に石見神楽の伝習が行われ氏子(若連中)が舞うようになったと解説する。

石見地方でも浜田藩が氏子が神楽を舞うことを禁止したという記録が残っているそうなので、江戸時代から見様見真似で舞っていたとされる。ただ、氏子自身が舞うようになるのは芸北地域の方が早かったのかもしれない。

ちなみに、石見神楽が流入する以前は湯立、造花といった儀式が主たるものだったとする。造花は大正時代か昭和の時代に廃絶してしまったとされている。獅子舞もあったが、その他の出し物は変遷して定着せず、石見神楽が流入して固定化されるようになったとのこと。

……大体そういう内容なのだけど、僕自身、江戸時代の芸北地域については漠然としたイメージしかなかった。江戸末期とは幕末くらいだろうかと思っていたのだが、実際には天保期の出来事だった。認識が改まったので、いずれ拙書『神楽と文芸(総論)』を改訂しようと思う。

締めとして現在の芸北神楽について語られる。よく知られているように芸北神楽は石見神楽が伝わった当時のもの(旧舞)と戦後の創作演目(新舞)とに分けられる。

新舞はGHQが皇国史観を危険視したため従来の神楽が禁止され、その検閲を回避するために創作されたとされている。作者は佐々木順三で彼が自費出版した台本には17演目記載されている。

現在では更に進んでスーパー神楽を新々舞と呼ぶこともあるそうだ。

で、芸北地域の内部でも新舞に関しては「これは神楽ではない」という声があるそうである。「伝統を守る」と「新しいものに挑戦する」という姿勢が対立している訳であるが、六郷氏は「どうかな」と態度を保留する。石見神楽にしても元は他所から流入してきたものが定着したものである。だから「新しいもの」が駄目とは一概に言えないとするのである。

まあ、どんな演目も最初は創作演目である。僕自身は現在の郷土芸能は観光路線もあって「現状維持」が基本線だと思う。出雲神楽を見に行ったら芸北神楽をやっていたとなったら話が違うとなるからだ。ただ、新しいことをしてはいけないという決まりも無い。自身でリスクを引き受ける分には構わないのではないか。

関東の事例だと、厚木市の垣澤社中、ここは厚木市の指定無形文化財に指定されているが、次の家元(娘さん)が中心になって声楽家や舞踏家とコラボした創作演目を発表したりしている。自分でリスクを引き受けているから許されているのである。

ただ、芸北の人たちが考える新しいこととは奇抜な演出のことではないかという気もする。それは違うと思うのである。

現状維持に不満を感じるならこうも言える。芸能とは本来上達するにつれてその奥深さに目覚めていく性質のものではないか。

ここで冒頭部分を引用する。

ところが、東京のほうから来られた方が石見神楽をご覧になると、「なんじゃこりゃあ」とびっくりする。だいたい神楽とは言わない。我われのほうでも神楽というのは新しい言い方で、昔の人は“舞”って言っちゃった。「舞を舞う」って。関東では“舞”どころか“神楽”という言い方もしない。ていねいに“お”をつけて“お神楽、お神楽”といわれる。“お神楽”は何者かといいますと、手に鈴を持ったりして、ここら辺でいう“儀式舞”ですね。鬼が出てきてチャンチャンバラバラ、というようなことはしない。キリキリ回って「あれ残念なり無念なり!」とかいうようなことは、まちがってもしない。というんでありまして、おとなしい、どっちかというたら退屈なものが“お神楽”だ、というふうに関東地方の人は思うとってんです。3-4P

ここで引っかかりを感じる。この東京の方から来た人は具体的にどこの神楽を指していたのか。僕自身、横浜に住んでいるので首都圏の神楽は見学したことがある。埼玉県久喜市の鷲宮神社の催馬楽神楽や東京の品川神社の太々神楽は確かにストーリー性のない儀式舞的な神楽である。だが、埼玉県坂戸市の大宮住吉神楽は昔ながらの鄙びた神楽を残しているがストーリー性のある演目もある。また、東京や神奈川の神代神楽はストーリー性のある演目、口上のない黙劇である。

ちなみに鷲宮神社の神楽は関東の神楽の源流とされる。やはり江戸時代に改訂を受けているが当時の演目が12演目+α残されている。品川神社の太々神楽は氏子さんたちが正装してかしこまって見る神楽である。都心に古い神楽が残されていることが驚きである。

で、僕は関東の神代神楽と石見系神楽は好対照をなしていると思うのだ。神代神楽ではモドキという滑稽な役柄を演じる登場人物が活躍する。全体的にユーモラスな内容なのである。勇壮な演目を好む石見系神楽とは明確に異なる。テンポもゆったりしたもので、例えると、動きの速い能だろうか。同じく演劇性のある神楽だが、神代神楽が「静」なら石見系神楽は「動」という対比が見られるのである。

関東の神代神楽を実見して僕は気づいたのである。石見系神楽は鬼退治ばかりではないかと。石見系神楽の能舞はバトルを中心にして構成された舞が多い。それに対して神代神楽では記紀の内容を忠実に再現した演目が多く、バトルが無い訳ではないけれど、それがメインということはないのである。

また、関東の神楽師たちは獅子舞も演じる。そういう意味で芸能本来の持つ祝福芸的な要素も残しているのである。石見神楽だと恵比須だろうか。山間部だからだろうか、芸北では釣りがモチーフの恵比須の上演頻度は高くないように見える。

出典は失念したが、昔、民俗学者の偉い先生が中国地方の神楽は鬼退治ばかりだと笑ったという逸話が残っている。石見系神楽に関してはその言葉がそのまま当てはまるのである。

これが現代の創作演目である新舞の欠点なのである。僕も台本集を読んだり出典を調べるなり、視聴可能な演目は動画を見るなりした。全部バトルなのである。石見神楽からの流れで人気があるからそうなっているのだが、それ以外の展開がないのである。ある面では表現の幅が狭いと言わざるを得ない。

また、これは石塚尊俊が指摘したことだが、新舞はその成り立ち上、説話ベースで神話劇ではないのである(※一部、神武天皇やヤマトタケル尊の演目はある)。題材の幅が広がった面もあるが本筋から逸脱してしまったように思える。神さまに神話劇を奉納するなら分かるが、神さまに源頼光の鬼退治を奉納するのは意味があるだろうか。源頼光やその四天王はヒーローではあるが信仰の対象ではない。神さまはそんなことは気にしないとは言える。石見神楽の理屈だと神さまは人が喜んでいるのを見てお喜びになるということだそうである。

神代神楽にも「紅葉狩」といった能に出典を持つ演目は存在する。そういう演目を本田安次は「近代神楽」と呼んでいる。だが、それはあくまで演目の一部であって主体をなす訳ではないのである。

佐々木順三の作品以外にも創作神楽は作られている。でも、その多くは地元の伝説を題材にしたもので地元的には正統性のあるものである。

僕自身、浜田市の出身で八調子石見神楽を見て育ったから新舞に関してもさほど違うとは思わない。石見神楽より演劇性が強いなとは思う。

そういう僕も安芸高田市で開催された高校生の神楽甲子園という全国大会で奥出雲の高校生が新舞で出場して日芸選賞(※当日の最優秀校)を受賞したのを見たときには極めて保守的な感情を抱いた。牛尾三千夫や岩田勝といった神楽の権威は八調子石見神楽や新舞を激しく嫌ったが、その気持ちが理解できたように感じたのである。

これは他所の地域の若者が新しい芸能を受け入れた事例である。歴史的には別に珍しくないだろう。が、僕には新舞が出雲神楽のテリトリーを荒らしているように見えるのである。神楽甲子園については別途記事を書いているので、興味のある方は当ブログの神楽カテゴリーか2023年7月の過去ログを当たって頂きたい。

新舞の長所を挙げることもできる。ストーリー性があり、ライブの一回性もあって繰り返しの鑑賞に耐えるのだ。儀式舞なら一回見ればいいかという人も多いだろう。

また、新舞の派手な身体パフォーマンスは若い先天的な感性に訴える力を有している。石見神楽の動画を見ていると、子供が舞台にかぶりつきで見ている場面を目にすることがしばしばあるが、幼い子供たちは先天的な感性、審美眼で神楽を見ているのである。

全国の神楽を隈なく回って見ている神楽通が何人いるか知らないが、そういう人たちは新舞を神楽とは見なさないだろう。新舞は現代神楽と言い換えることができると思うが、現代に至るまでに失われたものがある。神楽を神楽たらしめている何か、神楽通たちはそういったものの欠如を敏感に感じ取ることだろう。

僕も神楽をやった経験がある訳ではないのでよく分からないが、何と言うか、演劇の要素が強まることで呪術的な要素の名残が消え失せてしまっているように見えるのである。今の新舞は現代民俗音楽劇と呼んでもさほど的を外していないだろう。

神代神楽は首都圏の芸能だけあって洗練されているなと見ていて感じる。新舞も神楽を洗練させていった結果の一つだけど、進化の方向性は一つではないのである。

僕は出不精で全国の神楽を見て回っている訳ではない。日帰り圏がせいぜいだ。でも、浜田市出身で現在は横浜市に在住していることがプラスに作用した。石見系神楽と関東の里神楽を偶然ではあるが比較して見る機会に恵まれたのである。この結果、僕は石見系神楽を相対化して見ることが可能になったと感じている。

もし新しいことがやりたいなら、他所の地域の昔ながらの神楽を見てバランスをとった方がいいと思うのである。バトルしか能のない新舞(※だから佐々木順三は茶利にこだわったのだろう)は既に進化の袋小路にはまり込んでいると見る。

なお、SNSで芸北神楽の奉納神楽の宣伝ポスターの画像を見ると、上演演目では新舞と旧舞が混在していることが分かる。新舞だけを舞う神楽団というのはおそらく存在しないだろう(※岩戸を保持演目としていない神楽団はあるそうだが)。

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2023年12月28日 (木)

JR三江線・車窓の風景動画をサルベージする その2

JR三江線の車窓の風景の動画、CANON Powershot G16で撮影した分を確認する。浜原駅から三次駅までである。駅のつじつまは合った。G16はFHD(60fps)で撮影できる機材だったが、確認するとHD画質(1280*760, 30fps)で撮影していた。データ容量をケチったか。

まずSX130ISで撮影した理由だが、デジカメのバッテリーは通常2時間ほどしかもたない。約3時間半の行程なので予備のバッテリーが必要なのだけど、SX130ISは単3電池式のデジカメなのである。エネループを何本か用意して必要に応じて交換しようという腹づもりだったのである。ところが実際に使ってみると、肝心のエネループがへたっていてこれは駄目だとなった。そこで予備機として持ってきていたG16を使ったという次第である。

また、SSX130ISの動画はMOV形式なのだが、10分制限があることを知らなかった。MP4なら30分または4GB制限である。

当時パナソニックFZ100とG3も所有していたのだけど、当時のパナ機はMP4で撮影できなかったのではないか。AVCHD形式だったと思う。MP4形式だとパソコンで扱いやすいということを知らなかったのである。

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2023年12月20日 (水)

新舞の創造過程に関する通説の検証――鈴木昂太「民俗芸能研究を広げるための一試論――芸北神楽のGHQ神話の検討を通して――」

鈴木昂太「民俗芸能研究を広げるための一試論――芸北神楽のGHQ神話の検討を通して――」『民俗芸能研究』67号を読む。GHQ神話とは芸北神楽の新舞が終戦後GHQの検閲により従来の神楽が禁止されたため、その統制を回避するために神道色を薄めて創造されたという説明である。「神話」と表現しているということは、従来そう思われていたが実はそうではなかった……というニュアンスである。言わば常識を覆さんとする意欲的な試みである。学者にとっては大きな成果となり得る話である。

研究ではこれまで神楽研究において一次資料として用いられてこなかった新資料が読み込まれている。

このGHQの統制については例えば時代劇の制作が禁止されたりした。また、復讐をテーマとした忠臣蔵の上演が禁止されるなどした。歌舞伎などで研究論文があるようである。

これで疑問に思っていたことがある。広島では神楽の上演が統制されたらしいのだが、岡山では特に統制を受けなかったという論文があるからである。どういうことだろう、結局は担当者のスタンスの差なのかと考えたが、本論文によると、広島は福岡のCCD(民間検閲局)の管轄、岡山はおそらく大阪のCCDの管轄と異なっていた。

ここで新資料が提示される。実際にCCDの検閲を得て許可されたCP印(検閲済み公印)の押印された申請書が三例紹介されるのだ。最初の一件は神楽を「舞楽」と置き換え神事色を抑えた内容となっている。その点では「神話」通りである。

が、二件目の事例では「神楽舞上申請書」と神楽は神楽のままで申請が行われている。神話というキーワードは避けられ物語や伝説という文言が用いられているが、思想を感化善導するものと解説している。上演演目についても11演目上げ、特に省略していないように見える。鈴木は「神」「神楽」という言葉が多用され宗教色を隠していないと評価する。つまり神道的要素を削らなければGHQの検閲を通らなかったと考えられていたことに対する反証として挙げているのである。

この事例では上演演目の中に「塵輪」が含まれている。筆者は他の本で「塵輪」について翼のある悪鬼がB29を連想させるという理由でNGを食らったという記述を読んだことがある。

「塵輪」は八幡宮縁起や八幡愚童訓を出典とし、古代、新羅の国から数万の大軍を率いて攻めてきた塵輪を仲哀天皇が退治するという内容である(※神楽では天皇の勝利で終わるが、出典では相討ちとなる)。下関の忌宮神社にゆかりの伝説でもある。八幡宮縁起の成立は元寇の前後かはっきりしていないそうだが八幡愚童訓は明らかに元寇を受けての成立である。筆者はそこには日本特有の異敵防御の思想が認められるため目をつけられたのではないかと考えていた。だが、本論文では「塵輪」について申請書でどのように解説されていたかが残念ながら省略されてしまっている。

「大蛇」について言えば、治水モチーフの悪龍退治と説明可能だろう。スサノオは中世においては万能の神として信仰されていた訳ではあるが、特に神国思想が強調されている訳ではない。

「神話」だと主張するなら神国思想に裏打ちされた演目をどのように表現して検閲を回避しているかが分からなければ読者としては判断しようがない。むしろ「塵輪」の事例を出すべきであった。「八幡」でもいいのだが「塵輪」は言わばリトマス試験紙のような演目である。

鈴木氏の専門は比婆荒神神楽らしいが、石見系神楽の能舞がどんな内容であるか熟知していないのではないか。「塵輪」に関しては学術論文もあるのだが、参考文献として挙げられていない。明らかに見落としている。無意識に石見系神楽を下に見ているのではないか。

「貴船」については正確に趣旨を把握しているので余計に分からない。

塵輪については台風と解釈する説もある。出典がある話なのでスルーしていたが、これがもし検閲を回避する苦し紛れの解釈だったとしたら……とも考えうる。

検閲では一つ引っかかれば他のもアウトとなるだろう。結局のところ危険視されたのは宗教色という曖昧なものではなく神国思想、異敵防御の思想なのではないか。

備中神楽の神能がどのような内容かパッと思い出せないが、神国思想との関連は薄いのではないか。つまり、広島と岡山の差はそういうことではないか。

日本人なら戦後、日本政府が米国の理不尽とも思える要求を何度も吞まされていることは知っているだろう。戦争に負けるとはそういうことなのだ。

学問の視野を幅広くとることももちろん大切だが、ここでは足元の素材を深掘りすべきではなかったか。

紙数の関係で全て掲載できなかったのは分かるが、その場合、資料として別枠で掲載するという手もあり得たはずである。

閑話休題。

そもそも観客数の少ない神楽の上演がなぜ検閲を受けるに至ったかという問題がある。鈴木は広島県では戦前、明治三十年代頃より広島県神職会による台本の検閲があり、事前に許可を得ることが習慣(ハビトゥス)としてあったとしている。論文中で「神楽取締規約」が引用・紹介されている。筆者はこういった規則の持つ意図を読むのが苦手であるため内容を上手く紹介できない。鈴木によると神楽の「弊風を矯正」する狙いがあったが、神楽の上演の実態に応じた抜け道は設けられていたと読んでいる。

終戦後について、安芸十二神祇の社中の規約が紹介される。戦前の広島県神職会は広島県神社庁へ継承されたが、公的な役割は失われた。この社中では神楽上演の申請書をGHQの検閲が終わった後も地元の行政府に提出している。その後、神楽の上演に当たって許可を得るという慣習がなくなり自由に神楽が舞われる状況となったとしている。

一方で高田郡では芸北神楽高田郡連合会という組織が発足している。これは戦前の神楽人組合とほぼ同じであるとしている。この会は神楽人適任証を発行していた。

ここまで広島県の神楽上演に関する習慣が解説された後で、では一体誰がGHQ神話を広めたのかという話題になる。

鈴木はGHQ神話を初めて出した論者は新藤久人であるとする。芸北地方で教師を務めつつ民俗学者としても活躍した人物である。

新藤は新舞が急速に広まった理由として、神楽の内容、GHQによる神楽禁止、神楽競演大会の三つを挙げている。

ちなみに岩田勝は『神楽新考』で新藤に対して名指しではないがかなり厳しい批判を行っている。

新舞の作者である佐々木順三自身も後にこのGHQ神話に乗っかり、神楽存亡の危機に際して従来の神楽を改訂し新作を生み対応したと説明するに至った。このようにして新舞に関する通説が広まっていったしている。

そしてまとめに入るが話を冒頭に戻すと鈴木氏は中国地方の神楽の研究を平成二十年代に始めたが、中国地方の神楽については牛尾三千夫、石塚尊俊、岩田勝といった神楽の権威による先行研究が立ちふさがったと述懐する。そこで彼らが重視していた中世から時代を近代のこれまで神楽研究の対象とされてこなかった資料を読み込むことで神楽がどのように変化してきたのかを詳らかにすることを選んだと述べている。

また、まとめでは民俗学・歴史学の他に演劇学・文学・メディア論の業績も参照したと述べている。民俗芸能の研究では民俗学、人類学、社会学、演劇学、音楽学、歴史学(芸能誌・宗教史・社会史など)、宗教学、神道学、仏教学など多彩な分野の研究者が集うべきと結んでいる。


……これは一次資料に当たった研究である。僕のは書籍・論文を読んでの評論といったところだろう。特に先行研究を疑ってかかるというスタンスではない。崩し字は読めないので自身では一次資料に当たる能力はない。フィールドワークのスキルもない。

僕には僕の問題意識がある。石見神楽ショー化批判に関連するものだが、なぜ牛尾や岩田は八調子石見神楽や新舞を激しく嫌ったのか。そして批判された側は現に人気があるからと論争を避け理論武装を行ってこなかった。牛尾、岩田、石塚といった神楽の権威たちは既に亡くなったので煩いことを言う人はいなくなったのは確かである。

が、今年の神楽甲子園の惨状(出雲の高校生が新舞で出場して受賞したといった限りなく茶番劇に近い有様)を見て、僕自身、牛尾や岩田の気持ちが理解できたような気がするのだ。

また、僕自身、これまで漠然と考えていたが、「新舞は神楽であって神楽でない別の何かなのではないか」という思いを強くするに至った。

僕自身は牛尾たちへのアンサーとして拙書『神楽と文芸(総論)』を書いたつもりだった。そこでは審美眼が鍵となると考えた。なので、付け焼刃ではあるが美学に関連する書物を読んだりした。

バウムガルテンの『美学』は訳者自身が晦渋なラテン語で書かれていると記しているが、実際難解な本である。主に詩が対象とされている。易しい本ではないが、あれこれと細々としたことまで説いた本ではあると思う。結局『美学』から僕が得られたのは、感性には先天的なものと後天的なものとがあるということだった。これで十分だった。

郷土芸能は芸術には至っていないと評されている。その点で美学の対象から外れてしまうが、現代ではアートが従来芸術とされていた範疇を超え取り込みはじめている。

その点でアートに関する知識も吸収する必要があると考えているのだが、電子書籍では本格的な本はリリースされていない。紙の本に当たる必要があるのだが、引っ越しを控え、できるだけ紙の本は増やしたくないという事情がある。

僕自身は出不精で全国の神楽を見て回っている訳ではない。が、中国地方出身で首都圏在住という立ち位置は案外効いた。関東の里神楽(神代神楽・太々神楽)は石見系神楽と好対照をなしていたのである。どちらも演劇化されたストーリー性のある神楽だが、神代神楽が静なら石見系神楽は動である。進化の方向性が異なるのである。

また、鷲宮神社の催馬楽神楽や品川神社の太々神楽を見たことも大きい。どちらも神楽が演劇化される以前の形態を残している。品川神社の神楽の一部の演目には演劇化の萌芽が見られる。どうして都心に古い神楽が残されていたのかと思う。

このように出身地の八調子石見神楽を相対化して見れるようになったのは僕にとって大きかった。また、斎藤修平先生の影響も大きい。

余談。あるとき斎藤先生に質問したところ、雑誌「ゲンロン」のある号の記事を示唆された。「ゲンロン」は思想家・批評家の東浩紀が主催する雑誌である。東氏は僕と大体同世代である。ああ、そういう今の情報もチェックしていらっしゃるんだと思ったことがある。

◆参考文献
・鈴木昂太「民俗芸能研究を広げるための一試論――芸北神楽のGHQ神話の検討を通して――」『民俗芸能研究』67号
・水上勲「《塵輪》《牛鬼》伝説考―「新羅」来襲伝説と瀬戸内の妖怪伝承―」「帝塚山大学人文科学部紀要」第十八号(帝塚山大学人文科学部紀, 2005)pp.19-37

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2023年12月11日 (月)

原稿を読み直す

斎藤先生と八藤後先生に送ったオープンフォーラム向けの原稿を読み返す。あれ、意外と書けているという印象。7月の出来事の感想を8月に書いたものだったので、まだ頭に浮かんでいない要素がかなりあって大幅に追記しなければならないだろうと考えていた。

僕は残念ながら頭の回転が速くない。どうすれば頭の回転の速い人に対抗できるのだろうと漠然と考えていた。

結果、僕がたどり着いたのは頭にぼやっと浮かんだことをテキストに小まめに起こして言語化するという方法論だった。書いていると続きが浮かんでくるのである。即興的な状況では役にたたないが、時間的余裕のある場合には有効である。

インプットした後で寝てしまう。そうすると、脳がバックグラウンドで働いて思考が整理されるのである。

ぼんやりした状態だと、脳はデフォルトモードネットワークという状態になり発想が浮かびやすくなるのだそうだ。散歩しているときやお風呂に入っているときにそうなりやすい。

なので、そういう運任せの方法論ではある。

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2023年10月16日 (月)

核心部分をネットで公開してしまうのはどうなのだろうか

X(旧Twitter)で阿刀神楽の将軍舞のまさに神がかるシーンの動画がアップされていた。貴重な映像だが、将軍って撮影禁止じゃなかったの? 秘中の秘とされる演目の核心部分がネットであっさり公開されてしまった。

Facebookでアカウントがあったことを思い出し問い合わせてみる。過去にテレビで放送されたこともあり、撮影は特に禁止していないとのことだった。ただ、当該神社でしか舞わないとのことだった。

個人的には核心部分をネットに上げてしまうのはどうかという気がする。もちろん今の時代だから貴重な映像が見られたのではあるのだけど。

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2023年9月 4日 (月)

約一年触ってなかった

ホームページの記事を新規追加したが、履歴を見ると11ヶ月ぶりであった。

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