◆はじめに
地神経という正式の仏典ではないお経がある。その思想は修験道や陰陽道にも重なるが、その内容を平易に説いた釈文と呼ばれるものがある。「島広経」はその釈文の一つで、創世神話だ。そこでは国産みにはじまり、木々の起源、人の起源、五穀の起源、火と水の起源が語られる。
◆地神盲僧
地神盲僧(じじんもうそう)と呼ばれる宗教家の一団がある。西日本、九州から山口・島根にかけて分布しており、福岡(筑前)の成就院を本拠とする玄清法流と鹿児島と宮崎(薩摩・大隈・日向)の常楽院法流の二つに大別される。島根県石見地方にも地神盲僧がいたそうである。
地神盲僧は四季の土用の節に檀家を回って、竈(かまど)祓いや荒神祓いをする。その際に読誦されるのが「仏説地神大陀羅尼経」(以下、地神経と略)とその内容を平易に説いた釈文である。
釈文の中に「島広(しまひろめ)」という段があって、これが魅力的な創世神話なのである。「伝承文学資料集成 第19輯 地神盲僧資料集」に収録されたものは「長久寺文書」とあるので、日南市飫肥町の長久寺と思われる。なので、薩摩・日向系の常楽院法流の釈文であるが、西岡陽子「地神盲僧の伝承詞章――『地神経』および釈文について――」によると、薩摩の釈文には島広は収録されていないとのことである。なお、国東半島の地神盲僧の釈文に島広があるようだ。
◆粗筋
昔、天竺に喜良(きりょう)国があった。王の名は四国の大王といった。大王には四人の王子がいた。大王は王子たちを召して、中つ国という島があるという、行って島を領地とせよと言った。
太郎、次郎、三郎の王子たちがそれぞれ飛び立った。長い旅だったが、翼を休める島も無く、引き返した。
四郎の王子が飛び立った。十三万里を渡ったけれど、翼を休める島も無く、引き返そうとしたところ、烏がいた。烏はそなたがまこと天竺の大王の末子であるならば、島の在り処を教えようと言った。
そこで更に二十万七千里旅をして島に辿り着いた。島には翁が二人いて(翁と媼か)、何事か、立ち退き給えと言った。王子はそこで自分は天竺の大王の末子であると答えたところ、それならばと翁は納得した。
中つ国が見つかったとの知らせに天竺の大王は経を送った。木を植えて、地神経を七日七晩読誦すると、島が広がって六十六国が沸き上がってきた。速秋津島という。
次に人が百七人生まれた。生まれてきた子たちの後の世のために天竺から五穀の種が下賜された。
翁は暇(いとま)請いし、火と水の行方を言い残して岩戸に伏した。火は火炎と燃え上り、水は大海となった。
正月十五日に粥を煮て、日本を治め奉るという。
◆創世神話
末子である四郎の王子が活躍するところが特徴だ。
地神経の釈文では四季の土用の由来を語った五郎王子譚が有名であるが、島広も五郎王子譚と並ぶ創世神話である。島広では単に日本の島が生まれたというのではなく、木々の発生や、人(青民草)の誕生や、それを食べて生きていく五穀の種の由来、火と水の行方なども説いていて、それらの要素が一つの神話にパッケージされているのが特徴だろうか。
また、百七人生まれた子のうち三人が障害児であるとして、盲僧の起源譚ともなっている。
・天竺に大王がいて四人の王子がいる
・末子の四郎の王子が長旅の果てに島(中つ国)に辿り着く
・島には翁が二人いる。翁と媼か
・翁は背丈が十六丈もある巨人である
・島はイザナギ・イザナミ命の鉾の滴りが堅まったもの
・地神経を七日七晩読誦したところ、島が広がり、六十六国が湧き出る。国産み
・木の種を天竺からもってきて植える。樹々の起源譚
・人の種、百七人の子を産む。イザナギ・イザナミの法
・三人は障害児である。盲僧の起源譚
・五穀の種を天竺から持ってくる。五穀の起源譚
・火と水の行方を探る。火と水の起源譚
・粥を煮て供えること
・粥で地神を鎮めること
などのモチーフが見られる。
鳥を飛ばして島の在り処を探らせるというくだりは、土佐の民間宗教であるいざなぎ流の土公祭文に見られる日本の滅亡と再生を語る物語とどことなく似ている。
◆要約
粗い訳だが、ざっと見てみる。
昔、天竺に喜良国という国があった。王の名は四国の大王といった。大王には四人の王子がいた。大王は王子たちを召して、中つ国という島があるという、行って島を領地とせよと言った。
太郎の王子は十五歳。オウムの翼に乗って東に向かった。三万三千里も渡ったけれど翼を休める島も無く、万里の波に翼を休めて天竺に飛び戻った。
次郎の王子は十三歳。孔雀の翼に乗って南に向かった。五万五千里も渡ったけれど、翼を休める島も無く、大河の波に翼を休めて、天竺に飛び戻った。
三郎の王子は十一歳。オジロの翼に乗って西に向かった。七万七千里も渡ったけれど、翼を休める島もなくダイゴの波に翼を休めて、天竺に飛び戻った。
四郎の王子は九歳。嘉良便(カラベンか)という翼に乗って北に向かった。十三万里を渡ったけれど、翼を休める島も無く、万里の波に翼を休めて、天竺に飛び戻ろうとしたところ、沖合に烏の翼があった。そこで休もうとしたところ、翼は怒って早々に立ち去れと言った。王子は自分は天竺の大王の末子であり、中つ国へ下って領地とせよとの使いであって、十三万里も渡ってみたけれど、翼を休める島もなく、万里の波に翼を休めて天竺に戻ろうとしたところだと述べた。
烏は答えて、天竺四国の大王の末子であるならば、島の在り処を教えて進ぜようと言った。島を求め、国を求め、神を崇め、仏を供養するならば、神の清酒をとらせよう。
ここから西に向かい二十万七千里飛べば、その西東北南に百六十六里の島がある。古くはイザナギ・イザナミの命の鉾の滴りが堅まって出来た島だ。水が堅まった国なので、水の尾の国、粟屋島という。相方の島というのは、この島のことである。翁が二人いるぞ。背丈が十六丈もある巨人である。
四郎の王子は、それならばと急ぎ渡って二十万七千里を超えた。西東北南に確かに島があった。島の南側に降り立ったところ、翁が二人(翁と媼か)、やあやあ、翼に乗ってくるとは不審である。早々に立ち去らないと、餌食にしてしまうぞと言った。
王子は答えて、我は天竺四国の大王の末子であり、中つ国へ下って島を領地とせよとの仰せであると答えた。まことに四国の大王の末子でいらっしゃるならばと答えたので、それならばと、四郎の王子は扇子を三間開いて扇いだ。すると扇いだ羽風が天竺四国の大王の御門(みかど)に届いた。
大王はそうと知って、四郎の王子が島を求めたか。早々に七十五禅の使いの経を取らせよと言って、経を中つ国相方の島に下らせた。
翁はまこと天竺四国の大王の末子でいらしたかと言って、この島は狭いので急いで種を下され、島を拡げて見せましょうと言った。
王子はそれならば急いで天竺に登り、木の種を求めよと言った。翁は自分は三万三千歳で歳を経てはいるけれど、天竺がどこか知りませんと答えた。
王子はそれならばと扇子を七間開いて、翁を扇いだ。翁は扇子の羽風に吹き上げられて天竺の御門に辿り着いた。
大王はこの様を見て、やあやあ、汝はどこから渡ってきたのかと問うた。
翁は私は四国の大王の四郎の王子の使いで、木の種を下されるよう中つ国からやって来ました。先ず一番に葦(あし)、葦(よし)、榎、柳、藤を申し下されと言った。
翁は木の種を賜って、それを中つ国に植えた。東に葦(あし)、南に葦(よし)、西に榎、北に藤、中央に枝を万合植えた。
王子はさて、木は植え終わったが、島を拡げられないかと言った。
翁は承知しました。地神経を読誦すればいいでしょうと言った。
王子はそれならばと急ぎ天竺に登り、二人の聖(ひじり)を召して七日七晩地神経を読誦させた。すると伊予・讃岐をはじめとして六十六国が湧き出てきた。
王子は、翁の言った通り島は広がったが、この島は古の時代にイザナギ・イザナミの命の鉾の滴りが堅まってできた島で、水の尾の島、粟屋島と名づけた。当代の日本の速秋津島とはこの島のことだ。この島には人の種が無い。人の種を産みなさいと言った。
翁は人の種は気が成るがごとく、茅が繁るがごとくで存じ上げませんと答えた。
王子はそれをお聞きになって、なんぞや、そういうことならば、行いなさい、そうしてこの世に生まれてくるだろうと言った。
翁は七日七晩、古のイザナギ・イザナミの法を行なったので、懐胎した。生まれた子は百四人だった。
百七人生まれたと聞いたのに、百四人とは不審だと王子が言った。翁は百七人生まれたが、三人は障害をもって生まれたので、不憫に思って引き取ったと答えた。
王子はそれならば、目の見えない者は天竺に上げて釈迦の弟子として四方の衆生のために祈らせようと言った。
王子は生まれてきた子の上中(下)を定めた。天上人、臣下大臣、聖(ひじり)、国司、地頭、郡司などに分けた。このような因縁である。
王子は生まれた子を六十六国にばらりと撒いた。木の熊の庄、火の熊の庄などに分けた。源平藤橘が分かれた。木性、火性、土性、金性、水性の五性に分けた。
王子は翁の産んだ子らの末の世までのために、五穀の種を下されよと言った。
翁は急いで天竺に登り、五穀の種を求めた。先ず一番に麦米大豆粟小豆を、それから四十二の草の種を下賜され、六十六国にばらりと撒いた。こちらでは百二十草に分かれたといって、大日本という。
翁は暇(いとま)請いをした。
王子はそれならば翁の産んだ子らの末の世までのために、火と水の行方を教えよと言った。
翁は答えて、火と水の行方は、自分が(死んで)伏した岩戸を割って御覧なさいと言った。それから大地を七丈割って(死んで)伏した。魚と現じて十二のヒレを動かすと日本国が動いた。
王子は翁の教えた通りに翁が伏した岩戸を割ってみたが、長さ三寸の黄金のアブが三匹でてきた。一つは東へ、一つは西へ行き、残りの一つをとって火と水の行方を尋ねたところ、アブは火は私は翁の時代に見たこと聞いたことを答えましょう、石の中に納められている。水は木の中に納められていると申し上げた。
それならばと石を割ってみると火が出た。木を割ってみると中から水が出た。火は火炎のごとく燃え上がった。水は余海、質海、無質海、九千の海となって八海の船をも浮かべた。
木の氏の庄は譲葉(ゆづるは)を迎えて歳をとり、田の氏の庄はタラの木を迎えて門に立つ。榎を迎えて年木(としぎ)とする。葦(よし)を割り、菅(すげ)を入れるのも、これ平氏とも言う。
正月十五日に粥を煮て、日本を治め奉る。
家を造って煮る粥で地神を治め奉る。
亀は蓋し千年。鶴は蓋し千年。鶴になぞらえて千年守り給え。亀になぞらえて万合与え給え。大檀那の御祈祷には四節、四土用、戌亥の方の荒神に。夏三月の災難を祓いこれを御祈祷に。地神経二十五巻の内、島広一巻、速やかに幸読誦し奉る。
◆島広経
「伝承文学資料集成 第19輯 地神盲僧資料集」に収録された内容に読み易いよう手を入れてみる。読んでみると何となく意味は通じるのだけど、現代語に訳せと言われたら困ってしまう。
それ昔、木を結い、縄を結び、金(カネ)を屈め、かの地を堅める御節(ヲンゼツ)という。聞し召され候、それ昔、海中の天筑(天竺か)に国あり。国の名をば気良国(キリョウコク)と申す。かの喜良国に王まします。王の御名をば四国の大王と申す。然るにや、大王は王子四人まします。四人の王子を御前に召して宣うは、やあやあ、人々聞き給うぞ。是より中つ国へ、島の有ると覚ゆるぞ。東々下り島領ぜよと、丸下る。王子、かの由聞し召し、召されて、其の儀にて候は、急ぎ渡りて見候らわんとて。
太郎の王子は十五歳の歳、オウムと言える翼に源じ(現じ?)給いて、是より東に打ち向かわさせ給い候いて、三万三千里渡りてご覧じめ候えど、三万三千里の内に翼を休めるべき島無くして、万里の波に翼を休め、本の天筑に飛び戻り候。
次郎の王子な十三歳、孔雀と言える翼に源じ給いて、是より南に打ち向かわさせ給い候いて、五万五千里渡りてご覧候えど、五万五千里の内に翼を休むべく島無くして、大河の波に翼を休め、本の天筑に飛び戻り候。
三郎の大人な十一歳。尾白と言える翼に源じ給いて、これより西に打ち向かわさせ給い候いて、七万七千里渡りてご覧候えど、七万七千里の内に翼を休むべく島無くしてダイゴ(大五)の波に翼を休め、本の天筑に飛び戻り候。
四郎の大人な九つの歳、嘉良便と言える翼に源じ給いて、是より北に打ち向かわさせ給い候いて、十三万里を渡りてご覧候えど、十三万里の内に翼を休むべく島無くして万里の波に翼を休め、本の天筑に飛び戻り候うが、沖中にて翼、夫婦よき、あったりける。彼の翼のコウ(甲か?)に翼を休め給えば、翼、多きに怒って申す。やあやあ我はいかなる翼にてまします候が、丸ガコウ(港か?)に翼を休めたるぞや。早々立ち(発ち)給えと詮議する。
王子、彼の由聞し召されて、翼の義にて候えば、聞き給うぞ。我は中天筑、四国の大王の乙子(末子)の四郎の王子にてまします候が、父大王より中つ国へ下り、島を領ぜよとの使いにて、是より北に向かって十三万里渡りて見ては候えど、十三万里の内に翼を休めべく島無くして、万里の波に翼を休め、本の天筑に飛び戻り候うが、あまりはだれて脇見が港に翼を休めたるぞや。
いった。くな、怒った翼と宣え。翼仰せ承り、我此の島にて住まいせし、住まいせじが子には様王、様王が子には、バイソウが子にはスミタ。スミタが子には権が(恒河か?)と申して、代々、伝わったる烏にて候が、普通の烏にも似ざり。立ち丈は九尺五寸。尾羽は四尺四寸。ハスは二尺三寸。三つ色は五色の烏にて候うが、まこと中天筑四国の大王の乙子の四郎の王子にてまします候えば、未だ島の有る所を教え参らせんと申す。
王子かの由聞し召されて、其の儀にて候えば、島をも求む。国をも広め、神をも崇め、仏をも供養しての其の後に汝らをば神の前なるサヘビトと名づけ奉り候いて、神の前なる清酒(キヨザケ)、清し祀(トギ)をば汝らに取らするべくと宣い、翼、仰せ承り、ナノメニ喜び其の義にて候えば、島の有る所を教え参らせんと申す。
是より西に向かわさせ給い候いて、二十万七千里渡りてご覧候えばや。まこと是こそ西東北南に百六十六里の島候が、、此の島と申すは古(いにしえ)イザナギ・イザナミの命の鉾の滴りが凍り堅まって島と源じ給えば、本より水より堅まったる島にて水の尾の国、粟屋島と名づけ奉り候えて、相方の島と申すは、この島の事なりけり。主候うが覧ばび覧ばとて、に二の翁の候うぞ。立ったる丈(たけ)が十六丈、至る丈は十二丈、節丈六丈。手に十八足三十六。八方の面、八つの口よりも、もの申さんや。
矢わ川領ぜよと宣い、王子、彼の由聞し召されて、其の義にて候えば、急ぎ渡って見候わんとて、四郎の王子な、是より西に打ち向かわさせ給い候い。二十万七千里渡りて、ご覧じ候えば、まこと是にこそ、西東北南に百六十六里の島候うが、此の島の南表に飛びつき給えば、翁、二人、立ち出て(立ちふさがって)、やあやあ、古(いにしえ)より此の島に世の楽人な(の)渡り給わんに、翼の渡り給うはフジン(不審か?)なり。早々早々立ち(発ち)給わん程の事ならば、翁が一時のえぜき(餌食か)にして失わんと申す。
王子、彼の由聞し召されて、やあやあ、翁、聞き給うぞ。我は中天筑四国の大王の乙子の四郎の王子にてまします候うが、父大王より中つ国へ下り島を領ぜよとの使いにて、これまで仰せ承り。まこと中天筑四国の大王の乙子の四郎の王子にてまします候えば、今日、□時の内にし手給われ。我王人とモチヘ(申し)参らせんと申す。王子、彼の由聞し召されて、其の義にて候えば、易き間の事ぞとて、扇を三間(さんげん)開き、中天筑にを三度扇がせ給えば、四郎の王子の扇の葉(羽か)風は中天筑四国の大王の御門(ミカド)に参り候。
大王、彼の由ご覧じて、すはすは、四郎の王子は島をも求めたるぞや。覚ゆる事の候ぞ、扇の葉風を登せたるぞや。早々早々七十五(ゴン)禅の使いの経を取らせ下さんと思召されて、七十権禅の使いの経は中つ国相方の島に振り下る。
王子、彼の由ご覧じて、是とうとう行ない申せ、翁と宣い。翁仰せ承り、まこと中天筑四国の大王の乙子の四郎の王子にてまします候かや。綾タッド、佐屋タッド、ケツジョウ、此の島と申すは、翁が為に猪の之島(命の尾の島)、外(殿)の為には島狭く候えば、王の位が薄くご座まします候。急ぎの種を申し下し給え。我、上(ウエ)拡げて参らせんと申す。
王子彼の由聞し召されて、其の義にて候えば、急ぎ天筑に登り、木の種を申し下し給え、翁と宣い、翁承り。我はこの島にて歳を振る(経る)こと三万三千年。歳を得ては候えど、其の内、火の雨、火の風にも三百一度相申し候えど、天筑とやらんな、いづくも存じんと辞退する。
王子、彼の由聞し召されて、其の義にて候えば、何ぞや、行きて登る様に登りござらん。翁とて扇子を七間開き、翁を三度扇がせ給えば、勢(セイ)多きなる。翁とは申せども、四郎の王子の扇子の葉風にあき揚げられて中天筑四国の大王の御門に参る。
大王、彼の由ご覧じて、やあやあ、我何処(いづく)より渡り給うぞ。
翁と宣え、翁仰せ請け給わり、我は中つ国相方の島より四郎の王子の使いにて木の種を取らせ下さん思し召されて、先一番に葦(アシ)の根三本、葦(ヨシ)の根三本、榎の木、柳木三本、藤の根三本。枝万合(グウ、ごう)、十一万合(グウ)、千代五万歳と言える。
木の種を賜り下りて、中つ国相方の島にて先一番に東に葦(アシ)の根三本、南に葦(ヨシ)の根三本、西に榎の木柳三本、北に藤の根三本、中央に枝万合(グウ)、十一万合(グウ)、千代五万歳と言える。木の種を給わり下りて植えたりける。
王子宣わく、去りて(さて?)翁の教えの如く、木は終わりて候うが、此の島を広まらん事の候ぞ。島のソウガワ(総曲輪?)シクワ(敷くは?)、何の因縁ぞ。
翁と宣う。翁仰せ請け給わり。是はいつしか殿の屋が為に地神経を遊ばされたる事の候ぞ。是は地神の勢い候(ゾウロウ)と申す。
王子、彼の由聞し召されて、其の義に而して候わば、急天筑に登り、天筑の父イバシイと言える二人の聖(ヒジリ)を申し下し、新敷所は白金の繙(ハン)に小金(黄金)の三枚、寿命の尾、桂の御水(コスイ)、御幣の神、綾の天上に、二敷の居り、筵(ムシロ)を敷き、千の供物を取り調えてまさ、日月、三神の法に向かって、南無や、仏節(ふっせつ)地神大状大火(ダイジョウダイヒ)、陀羅尼経と彼の紋を七日七夜が間延びとき給えば、中らわ山中らわ野参屋(三夜か?)六幕、引け田の郡(コオリ)、伊予讃岐を始めとして六十六ヶ国は余間に湧き出でたり。
王子は一ヶ国と思し召されて、上げてご覧候えば、六十六国は、余間に湧き出たり。王子宣わく、去り而して、翁の教えの如く島広がって候うが、此の島と申すは古(イニシエ)イザナギ・イザナミの命の鉾の滴りが氷となり凍り堅まって、島と源じ給えば、本より水より堅まりたる島にて、水の尾の国、粟屋島と名づけ奉り候いて、日本、トウダイ(当代か)速秋津(ハヤアキツ)島と申わ此の島の事なりけり。此の島に任言(人の種)無うては如何あるべく。任(人)の種を産み給え。
翁と宣わく、人の種と申すは、気が成りて嘉屋(茅か?)成る者やらん。嘉屋が成りて気が成る者やらんも、存じんと辞退する。
王子、彼の由聞し召されて、其の義に而して候えば、何そや、行き而して、馬(ムマ)ショウに生まれ(ムマレ)ござらん。
翁とて七長(シチチョウ)の内に荒コモウ、樒(シキミ)、黄金のミシメ縄を七重に引く(敷く)。古(イニシエ)イザナギ・イザナミの命の法を七日七夜が間、行ない申せば懐胎(クワイタイ)となる。懐胎積もりて産む子は育(イク)たり。百四人と申す。
王子、彼の由聞し召されて、何そや。行きて而して、百七人と申し立てたるに、百四人とは不審なり。その儀に而して候えば、一々に無知差(ムチザシ)にして失わんと申す。
翁、仰せ請け給い、まこと百七人の子は生み候えど、三人の〇〇〇(※障害のある子)にて翁が膝元にて不憫に当たらんが為。
何そや、角板と申す。王子、彼の由聞し召されて、其の義に而して候えば、三人の〇〇〇(※障害のある子)成るには、先ず見参せんとて、両眼暗からざる者をば急ぎ天筑に召し登らせ、釈迦の仏弟子となして四方の衆生を祈らするべし。堅ミ(カタミ)、堅腰(カタコシ)成らん者をば十三の王の御門に備ゆるべし。名あらん者をば、五セク(節句か)、初セク、十二セクの者初穂を取りて過ぎるべしと。訳(ワキ)置かれたるも此の因縁なり。
王子宣わく、去りて、翁の産んだる子供の末之よに上中を定めんと思し召されて、先ず一番に比叡山成らば、十禅の君、次にご参な供下(クゲ:公家か)天上人(テンジョウビト)、其の以後生まれたるをば臣下大臣、惣聖(ヒジリ)、国に下りて百官の職(ツカサ)、国子(コクシ)も下り、申し口、肥伊の取次、地頭郡司、弁差累師。九万タンミ(丹身か?)、草刈り、水シトネ(褥か?)りと訳(ワキ)置かれたるも、此の因縁なり。
王子宣わく、去りて翁の産んだる子供を六十六国にばらりと撒き渡らうずるをば小(ショ)氏(諸子か?)と定めんと思し召しられて、先ず一番に木の上に落ちたるをば木の熊の庄、火の上に落ちたるをば火の熊の庄、池の上に落ちたるをば池田池氏の庄、船の上に落ちたるをば売島(ウルシマ)福島(フクシマ)、阿間(アマ:天か)本の庄、橋の上に落ちたるをば大倉、小倉、高橋の庄、田の皆口に落ちたるをば丹身(タンミ)、平良(タイラ)、皆本の庄、寸下(スゲ:菅か)の上に落ちたるをば菅原氏、フチ(藤か)の上に落ちたるをば藤原氏、マッコウ(抹香か)、幸付(こうづけ)人夫の庄と訳(ワキ)置かれたるも、此の因縁なり。
仏の庄は上盆上庄、中盆中庄、下盆下庄。神の御(ヲン)庄は丹治藤原、屋衛(八重か)立花。大中任(タイチュニン)の庄は木性、火性、土性、金性、水性、五性是なり。源平藤橘、四家(シケ)の別かされとは此の事なりけり。
王子宣わく、去りて、翁の産んだる子供の末の代(ヨ)に作り設けて過ぎるべし。者種(モノタメ)無うては、如何なる者べし。五穀の種を申し下し給え。
翁、仰せ請け給わり、其の義にて候えば、急ぎ天筑に登り、五穀の種を申すに。先ず一番に麦米大豆(マメ)粟小豆、任の惣(人の草)とて四十ニ草(クサ)の草の種を給わり下りて、六十六国にばらりと撒き、今より此方は百二十草に別れたるを申して、大日本国とは申すなり。
翁は日本国、暇(イトマ)申す。何時までか。浮無田の如く候うが、我訳け入てモタエテ(悶えてか?)、参らせんと申す。
王子、彼の由聞し召されて、其の義にて候えば、翁の産んだる子供の末の夜(ヨ)に火水の成衛(ユクエ:行方か)を教え給え。
翁と宣う。翁答えて曰く、火水の行衛(行方か)は、翁が伏したる岩戸の口を七壇半割りて而してご覧じ候えとて、大地を七丈割りて而して、伏しけるが、マカ(魔訶か?)ダイゲと言える。魚(ウヲ)に源じ給いて一つのヒレは大砂(タイシャ)近藤(金剛)火神藤(道)流神藤(道)近藤藤(金剛道か)とて。十二のヒレを次第次第に動かし給えば、大日本国は大なへ(苗か?)と成りて動き渡るよりし。ギンバ。長者二人の親の教養の為に妙法経を六万九千三百二十九本、此の島に治め(収めか)られたるを以て、ナエ(苗か)の緩き時の寿門(呪文)には、南命(ナンミョウ)法蓮花経、京(キョ)の束とは申す也。
王子宣わく、去りて、翁の教えの如く火水の行を尋ねて見んとて、翁が伏したる岩戸の口を七丹(壇か)半に割りて、ご覧じめ候えば、まこと是にこそ長さ三寸の小金(黄金)の虻(アブ)が三つ候うが、一つの虻は東へ飛行、一つの虻は西へ逸れて行く。末一つの虻を取りて火水の行方(イクエ)を尋ぬるに、虻承り、我、翁の代に目は良うて見ること聞く事申すなり。とて先ず(マツ)両眼をま抜き脇の下にも告げおかれ候えど、我は越には見給えど、火は石の中にも治め(収め)られたり。水は木の中にも治め(収め)られたりとて、斯くの次第に申しける。
去らばと金(カネ)をドンジ(鈍じ?呑じ?)、石を割りて而して見給えば、石の中より火は出る。木を割りて而して見給えば、木の中より水出る。石の中より出る。火は正火とは申せども火炎(クエン)の如く(ゴトモ)燃え上る。木の中より出る水は小さきとは申せども、余海、質海、無質海、九千、八海の船をも浮かみ、行くからせんと申すは、是限りなし。
木の氏の正(庄か?)は譲葉(ユヅルハ)を迎えて年(歳)をとり、田の氏の正(庄か)は、タラ(タラの木か?)を迎えて門に立つ。榎の木を迎えて年義(年木)にする。葦(ヨシ)を割り、管を入れ候うも、皆これ平良氏ともこれ末ゾウロウ(候か?)。
正月十五日煮る粥(カイ)はヲウドロ(黄泥?)粥とて粥を煮て、二本(日本)を治め奉る。
家を造りて煮る粥をば九千八海(カイ)とて、海をにて地神を治め奉る。
食うたる(空たる?)亀は千年蓋しなり。鶴は何(ナン)鶴。一丁が田の隅に咥えたるクワエヅラ(咥え面か?)を食うたる。鶴は千年蓋しなり。鶴に比えて(ヨソエテ)千年衛(へへ)給え、亀に比えて万合(グウ)衛(エ)給うと。今日、大檀那の御祈祷には四節、四土用、六八千、夜の方、戸の方、御座の方。惣達(ダチ)の方、戌亥の方の荒神に。夏三月の災難。払いこれを御祈祷に、地神経。二十五巻の内、台重(ダイジュウ)、島広一巻、速やかに幸独寿(奉?読誦)し奉る。
島広経終
◆余談
島根にも筑前の玄清法流に連なるお寺があるとのことで、ひょっとすると島広も読誦されているかもしれない。
◆参考文献
・「伝承文学資料集成 第19輯 地神盲僧資料集」(三弥井書店, 荒木博之/編, 1997)pp.261-268
・西岡陽子「地神盲僧の伝承詞章――「地神経」および釈文について――」「講座日本の伝承文学 第八巻 在地伝承の世界【西日本】」(岩瀬博, 福田晃, 渡邊昭五/編, 三弥井書店, 2000)