今年はこの歳まで生きてきて初めて死を意識した年でした。大腸がんの検診で擬陽性(-)(+)となったので行きつけの医院で紹介状を書いてもらい大学病院で大腸の内視鏡検査を受けました。当初はポリープができているのかなと思っていたのですが、検査の結果3センチ大の腫瘍ができていると言われました。ポリープならその場で切除できるのですが、切除できる大きさではなかったのです。
なんでもっと早くに検査しなかったのかなと繰り返し考えました(※前年の検診では陰性でした)。腫瘍ということは大腸がんを宣告されるかもしれないと。
がんだったら余命5年かなと考えました。父より若い年齢で死ぬのかと。まあ、長生きしても困窮するだけでいいことないし、セルフ出版したペーパーバックを国会図書館と島根県立図書館に寄贈したから、やることは一応できたのかなとも考えました。でも、死を意識するというのはそういう理屈では割り切れないものでした。
大学病院の消化器内科の先生から説明を受けたのですが、大腸ESD(粘膜下層剥離術)という内視鏡手術を行うことになりました。1ミリ大の電気メスを使って患部を切除するという比較的新しい技術です。
入院は三泊四日で済みました。開腹手術ではありませんので体に大きな負担はなかったのですが、しばらく安静を余儀なくされました。
病理検査の結果、粘膜がんとのことでした。深くは侵襲していなかったのです。なので完治ということになります。半年後の検査でも特に問題はありませんでした。
結果的には早期発見ということでホッとしました。
大学病院は自宅から歩いて20分ほどの距離だったのも幸運でした。島根なら出雲市まで通わなければならなかったかもしれません。
……細々としたことは「三泊四日の大腸ESD入院記」という電子書籍に書いてます。
それとは別に頻脈で循環器科に通院しています。脈が常時120くらいありますので薬を飲んで抑えているのですが、薬の副作用らしく長距離が歩けなくなりました。
近所のJAに家賃を振込に行った際、片道2㎞ほどなのですが、行きでふらついて「これは危ないな」と思いつつ、そのまま歩いて帰ったところ、何度も倒れ、自宅を数十メートル手前までたどり着いたところでついに動けなくなり救急車を呼ばれました。数値に異常がなかったため救命士さんたちに自宅まで送ってもらったというオチです。
それで薬を変えてもらったのですが、翌月の振込でも帰り道で「やはり駄目だ」となり、今度はタクシーを呼んで帰った次第です。一応学習はしているのです。
今はふらつきは感じなくなったのですが、実際どれくらいもつのか不明です。例えば低山の登山とか石見銀山とか長距離歩くことはもう無理だろうと思っています。実家に帰省した際は市内をぶらりと歩いてスナップ写真を撮ったりしていましたが、それも怪しいです。
神楽の鑑賞も長時間立ちっぱなしでの鑑賞は難しいかもしれません。これも試してないのでどこまでもつか分かりません。
そんなこんなで健康面で大きな変化のあった年でした。
それではよいお年を。