歴史・地理・民俗

2022年10月 2日 (日)

アクセスが集中

(番外編)備中松山城と大石内蔵助の腰掛け岩: 薄味へのアクセスが異常に多い。テレビで放送でもしたか。

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2022年7月25日 (月)

文学青年だった柳田――大塚英志「社会をつくれなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門」

大塚英志「社会をつくれなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門」(角川EPUB選書)を読む。「ソーシャル」という英語には実は適切な日本語訳がないのではないかとしている。米国では結社がそうであるとのこと。

柳田がロマン主義の文学青年だった話は知らず、田山花袋との関係は勉強になった。文学を止め、官僚/農政学者の道をまず歩みはじめることになる訳だが、「経世済民」の思想はその後の民俗学、戦後の国語・社会科教育でも一貫しているとしている。また、自分で学んで自分で判断するという近代における個の確立を重視していたともする。周囲に流されるのでは自分で判断していることにならないのである。

著者は柳田の学問における手法をデータベース的、ハイパーテキスト的と指摘する。それは雑誌の運営において研究者個人の他に先駆けた発表を重視する方法論と齟齬をきたす。柳田がやろうとしていたことは現代になってWEBが発展することによってようやく機能する方法論だったのである。そういう意味で柳田の方法論はソーシャルなものだったのである。

基本的に漫画編集者/原作者でサブカル評論家であり民俗学に関しては学士でしかない著者が大学で民俗学の講義を行うことはアカデミック・ポストを一つ奪うものであり、いかがなものかと思っていたが、本書を読んでまあ許せるかという印象に変わった。

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2022年7月 1日 (金)

現在では乗り越えられるべき存在――福田アジオ「日本民俗学方法序説」

福田アジオ「日本民俗学方法序説」を読む。これは民俗学の理論に全面的な検討を加えた本で、当時、柳田国男が確立した民俗学の方法論を金科玉条のごとく守っていた彼の弟子たちに対して痛烈な批判を浴びせたものとなる。

検討内容は多岐に渡るが、主な批判は民俗学の資料操作法、つまり重出立証法と周圏論について理論的検討を加えたものとなる。

重出立証法は比較研究とも呼ばれ、民俗学者たちが全国で収集した資料を比較検討することで分類し系統づけ、その分布状況から個々の変遷を推測するというものである。

福田は重出立証法に対し、差異を比較することでは歴史的な変遷までをも明らかにすることはできないのではないかと批判する。

周圏論は本来は方言周圏論、つまり方言は中央(近畿)から同心円状に分布するとしたものである。これはある面で地域の隔絶具合によって方言の変遷の早い遅いを示すもので、その変遷を一系統上の変化と見なすものである。

本来は周圏論は方言研究に限定されていた。が、やがて民俗全般に適用されるようになっていったと批判するものである。

柳田の中央集権的な方法論(地域の研究者は資料の提供者として限定されていて、理論構築からは疎外されている)を批判した本でもある。

また、収集した資料が(カード化されること等によって)脱文脈化されることで、その地域との繋がりを失った根無し草となるのではないかと疑義を呈している。

他にも批判は多岐に渡るのであるが、一読ではまとめきれない。

読んでみた感想として、これは民俗学の核心的な内容にメスを入れた本であるが、特に難解ということはなかった。そういう意味では自分に合っていた学問は民俗学だったのかなと考えさせられた。

2020年代の現在では福田アジオは逆に乗り越えられるべき存在と見なされていることも付け加えておこう。

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2022年6月 3日 (金)

民俗学の方法論の特集――国立歴史民俗博物館研究報告第27集

国立歴史民俗博物館研究報告第27集を読む。民俗学の方法論の特集で斉藤修平先生に送っていただいたもの。個々の論文をコピーして読むことはあったが、通読するのは初めて。非売品である。

なぜ歴史民俗博物館なのかと思っていたが、考えるに、歴史は文字に記録された史料を元に考証する。一方で民俗学は言わば当然のこととして文字化されてこなかった口頭伝承を対象とする。そういう点で補い合う関係にあると言えるだろうか。

平成2年の発行なので30年以上が経過している。民俗学の場合、1930年代の創始の頃にあった民俗は現在では多くが消えてしまっている。民俗芸能は祭礼に伴う芸能だから命脈を保っているが、僕の周辺でも年中行事的なものはあまりない。正月のとんど焼きくらいである。新たに加わったものとしてハロウィンがあるか。

民俗学の存立基盤を揺るがす大問題なのだけど、どうなのだろう。現代の社会を対象にするとなれば社会学とも被ってくる。質的量的研究をよくする社会学に劣位となってしまう。

それはともかく、方法論に意識が向いてきたということは大分分かってきたということかもしれない。

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2022年5月21日 (土)

オープンフォーラム合評会に参加する

オープンフォーラム合評会に参加する。僕自身、簡単な発表をしたが、「血が騒ぐ」の書き方が曖昧で広大の先生が余談で語ったことと伝わっていなかった。石見神楽の八調子と六調子の違いについて説明を求められた。確かに未見の人には意味が通じないかもしれない。なお、八藤後(やとうご)先生が笛を習っていて、調子とは一般に笛の調子を指すとのことであった。知らなかったので勉強になった。また、次号以降の課題として伝統の商業化、歴史的背景などを求められた。また、斉藤先生曰く、関東の方が文化行政に親和的で関西の方は自由にやっているとのことであった。

斉藤先生は芸能の観光化、学校教育化について論じられていた。武蔵小杉の御神輿について、従来のフィールドワークは実施せず、一人のインフォーマントに50問くらいの質問をすることで書き上げられたと(第三者の査読待ち)とのことであった。

司会の八藤後先生は抽象的な思考でも頭の回転が速く、学者の能力を実感できた。

ちなみに、僕の環境ではスペック不足でZoomの背景差し替えはできなかった。生ゴミじゃないけど汚部屋なのである。

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2021年11月18日 (木)

芸能から文学へ――池田弥三郎「日本芸能伝承論」

池田弥三郎『日本芸能伝承論』を読む。池田は芸能を芸術には至っていないものとしているのを確認するため。実際読んでみると、民俗学というより国文学に近い内容だった。芸能がやがて文字に書き留められ文学化していく過程を追っていると言えばいいか。

横浜市図書館のOPACで「芸能伝承論」と検索すると、この本(1962年)と全集とがヒットする。全集の方は570ページある。もう一冊フィッシャー=リヒト「パフォーマンスの美学」を借りたので二週間では読み切れないだろうと思い、こちら(320ページ程)を借りた。

 

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2021年10月31日 (日)

今日はハロウィン

選挙に行く。今日はハロウィンの日でもある。生憎の雨模様。しかし、思うに日本は八百万の神々の国だから一年に一度でなくてもいい気がする。百鬼夜行みたいな感じ。奥ゆかしいのか。
えだきんのハロウィン
パナソニックTX1で撮影。

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2021年10月13日 (水)

90年代初頭の本――神崎宣武「観光民俗学の旅」

神崎宣武「観光民俗学の旅」を読む。本書は学術書ではなく、台湾ツアーを通してみた日本人論という色彩が強い。

終章では日本における旅行業の発生を江戸時代の伊勢の御師にみる。

文化人類学には観光人類学というサブジャンルがあるのだけど、民俗学に観光民俗学というサブジャンルは無い。民俗学は真正性(オーセンティシティ)を重視するから、観光に対する視線は一段下に見るものとなっているのだ。

本書が出版されて30年以上が経過したが、有形無形の文化財にとって観光という文脈は欠かせないものとなってきている。

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2021年6月19日 (土)

タロットカードを買う

「はじめてのタロット占い」を買う。大アルカナ22枚。タロットはいつか欲しいと思っていたのだが、ここ最近アニメ「氷菓」の「愚者のエンドロール」を見て思い出した。モチーフとしても魅力的だ。

昔、姉の家にトランプ占いの本があって、よく占いをして遊んでいた。でも、その本に依ると占いは自分のことを占ってはいけないのだそうだが。

<追記>
実際に占ってみる。愚者の逆位置が三度出た。浅はか。中々に示唆的である。

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2021年6月13日 (日)

生徒たちから収集――常光徹「学校の怪談 口承文芸の研究Ⅰ」

常光徹「学校の怪談 口承文芸の研究Ⅰ」(角川学芸出版)を読む。この本は正月に読もうと思って買ったのだけど、途中で進まなくなって読み終えるまでに六月まで掛かった。なぜ止まったかというと、怖い話、死にまつわる話が苦手だからである。

著者は民俗学者だが、中学校教員の経歴があり、まず学校で生徒たちを対象に収集した怪談が語られる。また、現代の都市伝説についても語られる(※文中では都市伝説とは呼んでいない)。都市伝説は近年になって成立したものだが、同じ構造を持つ話が江戸時代からあって換骨奪胎されたとみられる話もある様だ。

山で遭難した5人の内一人が死ぬ。山小屋に避難するが、眠ると凍死してしまう。、そのため、中央に死体を置き、小屋の四隅に陣取った四人が一人ずつ前進して前の者の肩を叩くという行為を繰り返す(最初に動いたものがその場を離れるため、四人目の前に人はいないはずであるが彼らは回り続ける)といった話が紹介される。江戸時代の話が改変されたものらしい。

後半は東北や北陸で採集した世間話、笑話についても取り上げている。最後は学校の保健室の話(養護教諭が私服の定時制高校から転任してきたが、制服だと表情が読み取りにくいと語る)やクラスの周縁にいるツッパリの思い出が語られる。一見口承文芸と関係なさそうに思えるが、学校という場での抑圧、鬱屈が形を変えて噴出する特異点でもある。

余談。
僕が卒業した小学校でも七不思議があった。どんな内容だったか忘れてしまったが、七つ全部知ると死んでしまうのだそうである。中には「赤字である」といったものもあった。

<追記>
なお、アマビエがアマエビと表記されていた。

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