新嘗祭の日
Xで奥三河の花祭の動画のポストが流れてくる。今日は新嘗祭の日なのでだろう。
| 固定リンク
江津市桜江町の市山八幡宮の6年に一度の式年祭は今年だったらしい。Xでポストが流れてきた。大元神楽は見たいと思っているが、どうやら引っ越しと重なってしまったようだ。
桜江町には行ったことがないが、江川の橋を渡って道なりにいけばたどり着くだろう。問題はお祭りの当日に駐車場があるかということ。有名な儀式なので観客も多いだろう。体力的にも問題がある。まあ、神がかり儀式関係なく行ってみたいのではあるが。
| 固定リンク
10月10日の鷲宮神社の秋祭りの奉納神楽を鑑賞する。
・天照国照太祝詞神詠之段
・天心一貫本末神楽歌催馬楽段
・天神地祇感応納受之段
・鎮悪神発弓靭負之段
・端神楽
・磐戸昭開諸神大喜之段
・端神楽
・祓除清浄杓大麻之段
・折紙の舞
が上演された。
天照国照太祝詞神詠之段
天心一貫本末神楽歌催馬楽段
天神地祇感応納受之段
鎮悪神発弓靭負之段
磐戸昭開諸神大喜之段
祓除清浄杓大麻之段
折紙の舞
4月は家族の病気で見合わせた。7月末の夏祭りは断捨離で疲弊していたのと左足の剥離骨折で行ける状況ではなかった。10月に入って若干の余裕があるので(※本当は尻に火がついた状況だが)久しぶりに訪問することができた。
岩戸神楽、複数の演者が同時に鈴を鳴らすと神秘的な響きとなるのだが、今回は鈴の響きがいま一つだった。巫女さんは以前いた子が成長したとかそんなところか。今回出演した巫女さんは四名で以前より人数が減っていた。
コロナが5類になったからだと思うが、観客向けの椅子とテントが復活した。コロナ禍の最中は椅子がなかったため、立ちっぱなしで鑑賞しなければならなかった。これでマスクを着用していると非常に息苦しく、耐えられなくて鑑賞を諦めたこともあった。今回もマスクはしていたのだが。
上演が終わって隣の老女に話しかけられた。近所の人らしい。お神楽が好きとのことであった。石見神楽に関しては知らないようだった。「今回が最後の鑑賞になる」と告げた。
神社の拝殿は一部改修が施されていた。
今回の撮影に使ったのはペンタックスKP+シグマ18-200㎜。一年半ぶりの稼働。使い方を忘れかけていた。「光学ファインダーってこんなに見えづらかったっけ?」と思う。シャッターボタンを半押ししてもAFが迷うとでもいうのか合焦マークがなかなか出ない場合があった。途中でカード残量が無くなって急遽パナソニックTX1に切り替えたが、TX1の方が補正された画像を背面液晶に表示してくれて扱い易かった(※後で確認したら手振れを連発していた。ミラーレスや一眼レフに比べると望遠域での手振れ補正が弱いようだ)。背面液晶でみるのはモニターで鑑賞するのと変わらないので、レンズ素通しの光学ファインダーの方がライブパフォーマンスを撮影するのには合っていると思う。
KPは累計7800枚くらい撮っていた。今回撮影したのは2200枚ほど。稼働率が低い割にはまあまあの枚数か。一万枚にはさほど時間をかけずに到達するだろうし、それくらい撮れれば一応元をとれたことにはなるだろう。
| 固定リンク
三一書房『大衆芸能資料集成 第八巻 舞台芸Ⅰ 俄・万作・神楽芝居』の神楽芝居関連のページは下記の通りである。
神楽芝居
里神楽の面芝居 181-205P
・曽我茶屋場
・絵本太功記九段目
・御所桜堀川夜討弁慶上使之段
・源三位頼政鵺退治
・白浪五人男引立之場
・勧進帳――安宅新関之場
備後豊栄神楽 206-291P
・播州皿屋敷
・毛谷村六助
・滝夜叉鬼人
・羅生門
・大江山
・小夜の中山
・市賀団七
・源義経
・上り屋島
・夜盗
・天草軍記
・和霊記
・山中鹿之助
・佐々木厳流
・猫退治
・山猫お六の舞
・油屋忠兵衛
・入唐事蹟
解説 295-339P
・民俗劇と郷土劇 295-300P
・神楽芝居 330-339P
※解説の著者は西角井正大、福岡博とある。国会図書館では共著の場合、著作権の関係で全体の半分までしかコピーできない。神楽芝居の項だけ複写する等の対策が必要かと。
今はやらなくなったようだが、首都圏の神代神楽では面芝居という芸能も上演していたとのこと。収録された台本は厚木市の垣澤社中の提供によるようだ。神代神楽は口上のほとんどない黙劇だが、面芝居の台本をざっと確認するとセリフのある劇である。タイトルから判断するに、地芝居、農村歌舞伎に近いのだろうか。ただ、着面すると、セリフがくぐもって聞き取りにくくなると予想されるのだが、そこら辺どうしていたのか(※解説を読むと、面の口のところに穴を空けていたとある)。
映像資料が残されているか不明。台本はあるので復活上演は可能だろう。解説によると、台本は収録されていないが「魚屋宗五郎」も上演されたらしい。たまたま歌舞伎で見る機会があったのだけど、酒癖の悪い宗五郎がつい酒を飲んでしまって止まらなくなる展開が面白かった。
備後神楽に関しては、歌舞伎、講談に由来するものを収録したとのこと。
現在、疲弊していて本文まで読むことが難しい。疲れが抜けたら、いずれ読みたい。
| 固定リンク
Xのポストで『大衆芸能資料集成』第八巻「舞台芸Ⅰ」(三一書房 1981)という本に厚木市の垣澤社中の面芝居の台本が収録されていることが分かった。面芝居は今は上演されることがなくなったようだが、神楽師たちがセリフのある劇にも取り組んでいたことは興味深い。僕は地芝居や面芝居は鑑賞した経験がないが、農民歌舞伎のようなものだろうか。旧那賀郡では地芝居が盛んだったと何かで読んだことはある。島村抱月と地芝居の関係はどうだったか。
で、芸北神楽の新舞とどこかで通底していないか興味がわいたのである。というのは、新舞だったかスーパー神楽だったか忘れたが、「歌舞伎化している」と評したコラムを読んだことがあるからである。実際に歌舞伎を鑑賞して言いえて妙だと思った。
神楽自体、長い時間をかけて演劇化していった地域もあるのだが、芸北神楽の場合、神話劇という枠組みを離れて説話を大幅に取り入れていっている。ライブで鑑賞したことはないが、見た感じ、より演劇に近づいてきている。そういった観点でみると、首都圏で過去に神楽師の間で面芝居が流行し、やがて何らかの理由で衰退していったという事例が既に存在していたということが興味深く思えるのである(※別に新舞が衰退すると予言している訳ではない)。
| 固定リンク
今日は相模原市立博物館で「日本の神楽と神代神楽」という講演会があったので行きたかったのだけど、生憎と左足を剥離骨折していて、足に負荷をかけたくなかったので見合わせた。現在、相模原市立博物館では番田神代神楽の展示を行っており、こういう首都圏の神楽に関する講演は10年に一度あるかないかといったところだと思われる。
骨折したのは7月6日で(※段差のあるところで空足を踏んでしまった)既に三週間くらい経過しているのだけど、土曜日に整形外科でレントゲン撮影をしたところ、骨折した箇所に白く写るものがあったので治りつつはあるらしいものの、二週間後にまたレントゲン撮影をしましょうとのことだったので治りきってはいない。
痛みはだいぶ引いたものの、まだ左足に重心をかけて歩けない状態で、まあ講演自体は座って聴いていればいいだけの話なのだけど、それ以外ではどうしても多少の距離は歩かなければならない。もしくは立ち続けることになる。……という訳で今年は家族が病気をしたり自分も怪我をしたりとどうも縁遠くなっているようだ。
同様の理由で7月31日の鷲宮神社の夏祭りも見合わせることになるだろう。
| 固定リンク
橘樹神社の例大祭、加藤社中の奉納神楽二日目を見学に行く。番組表を送ってもらっていたのだが、巫女舞はうっかり見落としていた。
まず「天浮橋」を見る。まず天御中主神が登場する。翁面。僕は天御中主神は人格のない神、もっと言えば宇宙の究極原理的な神と考えていたので意外で面白かった(※なんでこんなことを考えているのかというと、過去に読了はしていないが、青土社の『シク教』という本を読んだことがあるため)。後で家元に尋ねたところ、思金神とする解釈もあるとのことだった。後はイザナギ命とイザナミ命の国生みの演目。途中、子役の蛭子神や加具土命が登場する。この際、後ろで見学していた若い子連れの夫婦がまだ園児にもなっていなさそうなお子さんに「あれは火の神さまで」と説明していた。日本神話の知識のある人だった。お子さんはまだ理解できる年齢ではなさそうだが、幼少時に郷土芸能に触れることは非常に大切なことだと思うので、一人でもそういう人がいればいいのかもしれない。
次は「黄泉醜女」。初見の演目。坂戸市の大宮住吉神楽では「黄泉醜女」があるそうだが、たとえば石見神楽には存在しない。鬼女が登場する演目だからあってもよさそうなものだけど、ないのである。黄泉醜女自身の登場場面は意外と短く、むしろ桃の精、大神実命が大活躍する。
「禊三筒男」「式三番叟」。これは「黄泉醜女」の展開を受けた内容で、黄泉国から帰還したイザナギ命が川で身を清めて住吉三神が誕生するという筋立て。そこから連続して二人三番叟となった。三番叟が出るとは聞いていたのだが、続けて出るとは思っていなかった。
黒尉が扇二枚をひらひらと扇ぐのが魅力的に映る。
「熊襲征伐」、言いつけの場では小碓命、後のヤマトタケル命のみ登場する。萩原社中で見た際は大碓命も登場し、父の景行天皇の怒りを買い追放されるという内容だった。社中によっても内容が若干異なっている。
本編はユーモラスな内容。父に疎まれたヤマトタケル命の神話は悲劇的な色合いが濃いのだが、「熊襲征伐」は熊襲建が主役と言ってもよく、この演目だけ別人によって創作されたものと考えられる。
ヤマトタケル命を演じたのはまだ小学生の男の子。将来、社中のエース的存在となるかもしれない有望株。
本編は雨除けで神社の軒下から撮ったのだけど、気が付くと、シャッターをバシャバシャ切っていた。思ったより没入していたのかもしれない。
最後は「大室屋土蜘蛛退治」。イワレ彦(神武天皇)とその従者(高倉下)とが一夜の宿を求めたところ、宿の主の姫の正体は土蜘蛛だったという内容。クモを投げて妖術を表現している。土蜘蛛は斬られてしまうのだけど、最後に再びクモを投げて退場する。死んではおらず逃げただけなのかもしれない。一応、日本書紀(現代語訳)は読んでいるのだけど、このエピソードは憶えていなかった。確認すると新作とのことであった。
八雲神詠と土蜘蛛では立ち回りの場面で大蛇や土蜘蛛が身をくるりと翻すというか旋回するような派手な所作が見られた。裾を翻して旋回するイメージである。以前はそういうのあったかな? とも思ったりした。
カメラのバッテリーはイワレ彦が退場したところで切れた。SDカードの残量も残り70枚ほどで何とか持ちこたえた。後で確認すると、二日間で約1800枚撮影していた。
帰り際、楽屋に挨拶して帰る。家元曰く、神楽も変わっていかなければならないとのこと。どこまでが神楽なのか。あれも神楽、これも神楽かもしれない。誰が何をしようがその人の勝手ではあるのだけど、一定の節度は求められるというところか。といっても関東の神楽師がやろうとしていることなら全然無問題だろうけど。関東の場合は家元、元締めといった存在がいて家業で価値観を継承しているので、一定の線引きはしている。広島の芸北神楽になると、そういった線引きをする人はいないので良くも悪くもフリーダムになってしまっている。
関東の神代神楽の奏楽の魅力は軽快なリズムと笛の技術の高さ。
以前、横浜市歴史博物館で神楽を講演を聞きにいって、別の日に神楽の上演会があったのだけど、寝過ごして行けなかったという話をしたら、それには参加していたとのこと。横浜の面は横浜市歴史博物館に所蔵されているとのこと。
橘樹神社はかつての保土ヶ谷宿に近いそうだ。そういった伝統も残していきたいとのこと。
「天浮橋」「黄泉醜女」「大室屋土蜘蛛退治」は初見の演目。神楽鑑賞歴そのものは長くないので未見の演目だと「やった、ラッキー」という気分になる。
これまでは神楽を鑑賞した当日中に写真をピックアップしてSNSに掲示したりしていたのだけど、今回は疲労感が強く、さすがに後日に回した。実年齢より10歳くらい老化しているかもしれない。
今回、「お話がよく分からない」という声を聞いた。基本、黙劇なので日本神話の知識があることが前提になっている。僕も「稲荷山」を見たときはストーリーが把握できなかった。まあ「自分に合った古事記の本を読んだらいいですよ」と言う他ないのではあるが。
多分、僕は「神楽の写真を撮っている人」と認識されているだろう。実際カメラは好きなのだけど、撮影していると肉眼で見なくなってしまう。言うほどちゃんと見ていないのが実態なのである。一眼レフだとレンズを通した素通しの光なのでまだいいのだけど、ミラーレスだとセンサーを通した映像を見ている形となる。とはいえ、写真に撮っておかないと記憶はすぐに薄れてしまう(※決定的な場面は撮りたいという欲もある)ということで中々に悩ましい問題だったりするのである。
| 固定リンク
土日が横浜市保土ヶ谷区天王町の橘樹神社の例大祭で、加藤社中の奉納神楽を見学に行く。途中、横浜駅のホームを撮影しようと思って寄り道する。電子書籍の表紙に使えないかと思って。神社に到着したのは11時20分過ぎで最初の演目は終わっていた。「面を新調したのに」と家元に言われる。
合間に南京玉すだれや忍者ショーが催された。ただのすだれにしか見えないのに、あんなに変化するのが面白い。忍者ショーは園児くらいの年齢の子が男女問わず参加していた。
今日の演目は「神逐蓑笠(かみやらいみのかさ)」という演目で、天照大神に保食神(うけもちのかみ)から五穀の種を受け取ってくるよう命じられたスサノオ命だったが、保食神の差しだした種が臭いと怒りだし、保食神を斬ってしまう。保食神はスサノオ命の暴虐を天照大神に訴える(※なので死んでいない)。天照大神とスサノオ命は互いに武器を向け合う一触即発の事態となる。正気を取り戻したかに見えるスサノオ命だが、姉には敵わず、蓑笠を着せられて追放されてしまう……という筋立て。
スサノオ命と保食神との組み合わせなので、記紀神話とは微妙に異なったストーリーとなっている。違っていた方が解釈の余地が広がって面白かったりもする。他所の社中がビデオ撮影して自身の演目として取り入れることもあるのだとか。今回は「言いたての場」から見ることができた。
なお、「勘当の場」の前に大黒舞を挟んで飴を撒いていた。
最後の演目は「八雲神詠」。ヤマタノオロチ退治である。関東の神代神楽では蛇胴は用いず、ヒトの衣装を来たオロチが登場する。そういう観点からすると、蛇胴開発以前の上演形態が残されている貴重な演目と言える。
天王町→牛頭天王→蘇民将来→スサノオ命という流れで、橘樹神社のご祭神がスサノオ命なのだそうだ。それで今日はスサノオ命にちなんだ演目となったようだ。
上演の合間には楽屋に呼んで頂いて、ビールをご馳走してもらったりした。「土蜘蛛」をやるとのことだったので、謡曲の胡蝶さんが頼光さんを毒殺しようとするお話ですか? と訊いたところ、神武天皇の土蜘蛛とのことだった。家元によると、関東では「紅葉狩」など一部の例外を除いて古事記に載っていないお話はやらないとのこと。それで五郎王子もやらないのかと得心がいく。
おそらく、記紀神話以外をやらないというのは明治期の神楽改正の影響の名残ではないかという気がするが、それはそれとして現在までそういう見識で臨んでいるということである。
保食神の面は厳めしい翁面だったので質問してみる。関東では男ですとのこと。前回見たときは媼の面だったと記憶しているが。
家元はサンカ(山の漂泊民)にご興味がおありとのこと。裏日本史とでもいうか、敗者の側からの歴史も研究してみたいそうだ。『童の神』という小説を紹介していただく。とりあえず電子書籍版をAmazonで購入。積読がたまりにたまっているのでいつ消化できるかという状況だが、いつでも読めるようスタンバイ。
サンカについては語れることがないので、出雲の四隅突出型墳丘墓の話をする。大国主命のモデルとなったと思われる古代出雲の首長たちの墓が現存しているという話である。出雲神話には実体がないと考えられていた時期が長いそうで、そういう意味ではよく残っていたなという感じである(※隣の敷地は商業高校の校庭である)。
家元のご母堂と挨拶する。僕と同年齢くらいの女性と思ったので意外だった。非常に若く見える。
広島出身の人は他にもいた。浜田にはよく海水浴に行っていたそうだ。
天気は晴れ。気温はそこまで高くなかったが、日差しは強く。座っていると、ズボンの布が熱くなった。夕暮れを過ぎると気温は下がった。6月初旬だとまだ肌寒いときもある。帰宅して風呂に入ると、見事に日焼けしていた。
座って見ていただけなのだが、かなり疲労した。体力が落ちている。
| 固定リンク
「神楽と文芸(総論)」だと思うが、八藤後先生曰く分からないとのこと。専門が違うと書き手が当然のごとくに使用している用語が伝わらないということだと思う。だが、分からないにはもう一つの可能性があって、それは書いてあることが間違っているから分からないということもあり得る。
僕は高校生のときに強いストレスがかかったことがあり、それ以降、脳内のロジック回路に変調をきたしたと感じている。僕の書くものに癖があるのはそのためである。自分でも変だなと思うけど自分では直せないのだ。
| 固定リンク
新馬場の六行会ホールにて間宮社中の第二十一回江戸里神楽を観る会を鑑賞。六行会ホールで鑑賞するのは数年ぶりとなる。
「高天原神集評定(たかまがはらかみつどいひょうじょう)の場」
品川太太神楽「翁の舞」
「兄弟探湯(けいていたんとう)」
の三演目が上演された。
「高天原神集評定の場」は出雲に国譲りさせようとなって誰を使者に選ぶかくじ引きで選ぶという内容。高木神が天菩比命(天穂日命)、天若日子命、経津主神、建御雷之男神を集め(従者のもどきもいる)、もどきが四神に矢と思われるものを配り、それがくじとなって天菩比命が第一の使者として選ばれる。
この演目は続く「天菩比之上使」「天之返矢」「幽顕分界」の国譲り三部作の序段となる演目。通常の上演時は天菩比命のみの登場となるが、今回の上演では四神とも登場しくじ引きで選ぶ展開としているとのこと。「幽顕分界」は未見である。
品川太太神楽「翁の舞」は神前舞。神に向けて舞うので観客席からは後ろ向きで鑑賞することになると説明された。社伝によると元亀年間(1570~73)の発祥と伝えられているとのことだが、都心に古い神楽があまり変化せず残されていることが驚きである。
「兄弟探湯」は武内宿禰(たけのうちすくね)が異母弟の甘美内宿禰(うましのうちのすくね)から謀反の企てがあると讒訴されてしまう。それで応神天皇は盟神探湯(くがたち)という占いで真偽を決することにする。熱湯に手を入れ、火傷をしなかった方が正しいとするものである。武内宿禰は邪心がないので素直に熱湯に手を入れ何事もない。一方、甘美内宿禰は躊躇した挙句、剣を抜いて武内宿禰を襲うが反撃され、武内宿禰と随臣に取り押さえられてしまう。そして強制的に熱湯に手を突っ込まれ火傷をしてしまう。武内宿禰の潔白が証明された……という内容である。
こう書くとシリアスな展開に思えるが、実際には従者役のもどきの滑稽な演技もあったりで楽しい演目となっている。「兄弟探湯」は第七回で上演されたもののリメイクとのことである。
「兄弟探湯」においても剣劇はあるのだが、それで決着をつけるのではなく、あくまで盟神探湯(くがたち)で決着をつけるのである。そういう作劇の妙が感じられる。石見神楽や芸北神楽の神楽人たちに比較対象として見てもらいたい演目である。
ステージ上での上演なので民俗学者はフォークロリズムと呼んで軽視する。だが、ステージならではのメリットもある。照明できらびやかな衣装が映えるのである。神楽殿だと日中は自然光になるからそこまで映えないのである。
横浜駅で京急に乗り換える。新馬場駅が品川駅の先と勘違いしてしまい、品川駅で降りてしまう。そのまま日比谷線に乗り換えてしまい、途中で気づき引き返す。京急蒲田駅まで引き返す。各駅停車に乗るが、新馬場駅に着いたのは12時半頃になってしまった。それでもホールでは左端だが前の席に座ることはできた。
受付で住所氏名を書く。写真撮影はOKとのこと。フラッシュは禁止。客席は8~9割は埋まっていた。マスクは着用を推奨というスタンス。無料の催しなのだが、本来は3000円~4000円くらいの鑑賞料が必要な内容。
観客層については観察していない。若い人は見かけたが、多くは老人層だろう。子連れの若いカップルが来場するという姿はない。黙劇ということもあって観客に日本神話の知識を要求する。戦前の人なら普通に知っていた話も今の若い人たちが知っているとは限らない時代である。
パナソニックGX7mk2+35-100mmF2.8で撮影。望遠端でもF2.8なので失敗写真はあまりなかった。それでもExif情報を確認するとシャッタースピードは1/30秒ほどである。1/20秒になると手振れしていた。
35-100mmF2.8は360gと小型軽量なのが特徴。フォーサーズは高感度には強くないのでこういった明るいレンズでカバーする必要がある。ある意味マイクロフォーサーズらしい望遠ズームレンズである。舞台撮影にはぴったり。
最後にバッテリーが切れたのでパナソニックTX1ででも撮影してみたが、望遠にすると見事に手振れしていた。F値は5.1くらいまで上がってしまう。ISO800~1600まで上げてシャッタースピードは1/80秒くらいを確保しているのだが、手ぶれ補正能力に差があるのか手振れしてしまっている。
| 固定リンク