やりたいのは神楽なのか芝居なのか――スーパー神楽
出雲市佐田町にスサノオホールという施設があることを知る。須佐神社の近くだから出雲市といってもかなり奥の方だけど、500人以上収容できる規模のホールだ。ここで芸北神楽や石見神楽の団体が公演するという情報がSNSで流れてきた。市街地ではないとはいえ、出雲市内まで進出することになる。呼んだのは出雲の人たち自身だろうけれど。
出雲神楽は石見神楽ほどフットワークが軽くなく、観光神楽にもようやく重い腰を上げたといった印象なので、どうなのだろう。
「スーパー神楽」と銘打っているので「これは神楽そのものではありません。ステージ用の演出に特化した演目です」と断りを入れてはいる。
出雲神楽界隈の人たちも来場するかもしれないが「自分たちとは別ものだ」といった感想に落ち着くのではないか。
演目を確認すると、ほとんどが説話ベースの新作のようだ。「大蛇」はなかった。これも難しいところで、神仏習合時代には現在とは全く異なる演目が上演されていた記録もあるし(※死体に巻く布の長さが足りないから成仏できないという話もあるけれど、一方で安珍清姫もあったりする)、一概にダメとも言い切れない。とはいえ、原則と例外があるとしたら、例外の方が肥大化していっている傾向にはある。
神楽の体裁をとりつつも芝居に傾倒していっているように見える。中身は徐々に信心とは無縁のものとなっているように感じられる。銀座で歌舞伎を鑑賞した際、スーパー神楽を「歌舞伎化した」とした評を思い出して言い得て妙だと思った。
芝居だからダメということもないのだけど。芝居は芝居で楽しい。神楽が神楽能と化して数百年経過している。神楽と芝居は二項対立ではなくグラデーションのような感じ。
たとえば首都圏の神楽師たちは面芝居という芸能もやっていたそうだ。演目のタイトルをみると農村歌舞伎的な内容のようだ。今はやらなくなったようで、どうして廃れたのかは知らない。ただ、首都圏の神楽師たちは神楽と面芝居は別枠として区別してはいたのである。
たとえば「魚屋宗五郎」といった演目も上演されていたそうだ。たまたま実見できたのだけど、酒癖の悪い宗五郎がとある事情で飲み始めたら止まらなくなる様がとても面白かった。
備後神楽にも歌舞伎的な演目があるようだ。ただ、資料集の解説にプロ化した結果、却って廃れてしまったと記述されていた。正確なことは分からないが、長大な五郎王子譚を演じる神楽師と被っていたのかもしれない。原因は分からないが、五郎王子のプロ化した神楽は文化財保護行政が端緒についた頃には衰退してしまったらしい。補助金が支給されていればまた違ったのかもしれない。
いずれ「自分たちがやりたいのは神楽なのか、それとも芝居なのか」といった問いに直面するようになるのではないかという気がする。
未検証だけど、地域的にお芝居に対する根強いニーズがあって、それを無意識的に反映した結果なのかもしれない。直面に化粧するところなど、大衆演劇の影響が濃厚だ。それで神楽研究者や他地域の神楽通との齟齬をきたす要因となってしまっているのかもしれない。
芸北は土着的/土俗的な信仰を排してきた土地柄だそうで(それを言うと石見地方でも荒神信仰は見られないように思うが)、そういったことも土着的なものへの関心の薄さを感じさせる背景にあるのかもしれない。
佐藤両々『カグラ舞う!』という漫画を読むと、舞台は北広島町らしいが、主人公(ヒロイン)の住まいの周辺は親戚ばかりというセリフが出てくる。開拓者の子孫がそのまま住み着いた古い土地柄ということがそれとなく示唆されているのだけど、そこら辺は合理的というか保守的ではないのかもしれない。
「出雲/石見」「神話/説話」という線引きをひょいと飛び越えて自由自在に活動している。中国道沿いはそこら辺が曖昧な印象があるけれど、僕は「ここから先はやらない」という線引きはある程度尊重した方がいいと思っている。それはそれで一つの見識ではあるし、何も言われないというのは必ずしも肯定を意味しているとは限らないからだ。
首都圏は人が流入し続けている地域だし、芸事も数多あって家元制の場合は芸に対する考え方も確立されているだろう。そこら辺の違いもあるのかもしれない。
……一応弁護もしておくと、江津市の大都神楽団、僕は浅利の常設劇場にはまだ行けてないけれどDVDなら見たことはある。「天蓋」も収録されていた。天蓋が幾つかのパーツに分割されていて、それを紐で上下させることで神を招く様を表現する演目である。そういった基本的な演目を押さえた上で新しいことに取り組もうとしている団体もある。
あと、照明によって衣装のきらびやかさが惹き立つこともあるので、ステージでの上演を否定するつもりもない。
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