神楽

2025年5月 8日 (木)

やりたいのは神楽なのか芝居なのか――スーパー神楽

出雲市佐田町にスサノオホールという施設があることを知る。須佐神社の近くだから出雲市といってもかなり奥の方だけど、500人以上収容できる規模のホールだ。ここで芸北神楽や石見神楽の団体が公演するという情報がSNSで流れてきた。市街地ではないとはいえ、出雲市内まで進出することになる。呼んだのは出雲の人たち自身だろうけれど。

出雲神楽は石見神楽ほどフットワークが軽くなく、観光神楽にもようやく重い腰を上げたといった印象なので、どうなのだろう。

「スーパー神楽」と銘打っているので「これは神楽そのものではありません。ステージ用の演出に特化した演目です」と断りを入れてはいる。

出雲神楽界隈の人たちも来場するかもしれないが「自分たちとは別ものだ」といった感想に落ち着くのではないか。

演目を確認すると、ほとんどが説話ベースの新作のようだ。「大蛇」はなかった。これも難しいところで、神仏習合時代には現在とは全く異なる演目が上演されていた記録もあるし(※死体に巻く布の長さが足りないから成仏できないという話もあるけれど、一方で安珍清姫もあったりする)、一概にダメとも言い切れない。とはいえ、原則と例外があるとしたら、例外の方が肥大化していっている傾向にはある。

神楽の体裁をとりつつも芝居に傾倒していっているように見える。中身は徐々に信心とは無縁のものとなっているように感じられる。銀座で歌舞伎を鑑賞した際、スーパー神楽を「歌舞伎化した」とした評を思い出して言い得て妙だと思った。

芝居だからダメということもないのだけど。芝居は芝居で楽しい。神楽が神楽能と化して数百年経過している。神楽と芝居は二項対立ではなくグラデーションのような感じ。

たとえば首都圏の神楽師たちは面芝居という芸能もやっていたそうだ。演目のタイトルをみると農村歌舞伎的な内容のようだ。今はやらなくなったようで、どうして廃れたのかは知らない。ただ、首都圏の神楽師たちは神楽と面芝居は別枠として区別してはいたのである。

たとえば「魚屋宗五郎」といった演目も上演されていたそうだ。たまたま実見できたのだけど、酒癖の悪い宗五郎がとある事情で飲み始めたら止まらなくなる様がとても面白かった。

備後神楽にも歌舞伎的な演目があるようだ。ただ、資料集の解説にプロ化した結果、却って廃れてしまったと記述されていた。正確なことは分からないが、長大な五郎王子譚を演じる神楽師と被っていたのかもしれない。原因は分からないが、五郎王子のプロ化した神楽は文化財保護行政が端緒についた頃には衰退してしまったらしい。補助金が支給されていればまた違ったのかもしれない。

いずれ「自分たちがやりたいのは神楽なのか、それとも芝居なのか」といった問いに直面するようになるのではないかという気がする。

未検証だけど、地域的にお芝居に対する根強いニーズがあって、それを無意識的に反映した結果なのかもしれない。直面に化粧するところなど、大衆演劇の影響が濃厚だ。それで神楽研究者や他地域の神楽通との齟齬をきたす要因となってしまっているのかもしれない。

芸北は土着的/土俗的な信仰を排してきた土地柄だそうで(それを言うと石見地方でも荒神信仰は見られないように思うが)、そういったことも土着的なものへの関心の薄さを感じさせる背景にあるのかもしれない。

佐藤両々『カグラ舞う!』という漫画を読むと、舞台は北広島町らしいが、主人公(ヒロイン)の住まいの周辺は親戚ばかりというセリフが出てくる。開拓者の子孫がそのまま住み着いた古い土地柄ということがそれとなく示唆されているのだけど、そこら辺は合理的というか保守的ではないのかもしれない。

「出雲/石見」「神話/説話」という線引きをひょいと飛び越えて自由自在に活動している。中国道沿いはそこら辺が曖昧な印象があるけれど、僕は「ここから先はやらない」という線引きはある程度尊重した方がいいと思っている。それはそれで一つの見識ではあるし、何も言われないというのは必ずしも肯定を意味しているとは限らないからだ。

首都圏は人が流入し続けている地域だし、芸事も数多あって家元制の場合は芸に対する考え方も確立されているだろう。そこら辺の違いもあるのかもしれない。

……一応弁護もしておくと、江津市の大都神楽団、僕は浅利の常設劇場にはまだ行けてないけれどDVDなら見たことはある。「天蓋」も収録されていた。天蓋が幾つかのパーツに分割されていて、それを紐で上下させることで神を招く様を表現する演目である。そういった基本的な演目を押さえた上で新しいことに取り組もうとしている団体もある。

あと、照明によって衣装のきらびやかさが惹き立つこともあるので、ステージでの上演を否定するつもりもない。

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2025年4月27日 (日)

長沢神社の奉納神楽を見学する 2025.04

浜田市長沢町の長沢神社の春の例大祭、奉納神楽に行く。午後七時半頃開始で深夜一時頃までの予定で実施された。
・鈴神楽
・塩祓
・弁慶
・八幡
まで見て帰る。午後9時前。次は八衢だった。長沢社中の独自演目といえば弁慶と加藤清正だが、清正公は見逃した。

浜田市長沢町・長沢神社・拝殿と神楽殿
長沢神社・神楽奉納・弁慶
長沢神社・神楽奉納・八幡
長沢神社・神楽奉納・八幡・魔王
長沢神社・神楽鑑賞用の簡易的な椅子

日が落ちてから冷え込んできて、重ね着はしていたのだけど寒くなった。フリースにしておけばよかったと反省。椅子は板なのでクッションの類も必要か。また、出がけに利尿作用のあるコーヒーを少量だけど飲んだのもよくなかった。体調が完全には復調していないので、ここら辺で切り上げようと思って一時間半ほどで撤収。境内は賑わっていた。長沢神社で神楽をみるのは四十年ぶり以上となるか。石見神楽の夜神楽を見続ける体力気力が無くなっていたことに気づかされる。お花は3000円くらい包めばいいようだ。

パナソニックGX7mk2+12-35mmF2.8で撮影。

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2025年3月30日 (日)

テキストのボリューム的には十分なはずなのだが

KH Corderで以前もらった神楽師のインタビューのドキュメントを素材にしてみる。テキストファイルに一旦コピペして(※余計な書式を消すため)それを表計算ソフトに移し替えていくだけの作業なのだけど、疲れた。

で、実行してみると思ったような結果にならない。7000字と13000字とでボリューム的には十分あるはずなのだが。念のためチュートリアルの夏目漱石『こころ』でも試してみるが、やはりコーディングルールに記述した項目しかプロットされない。無償版なのだが、どういうことだろうか。

操作そのものには慣れてきたので上手くいくだろうと踏んでいたのだけど、思わぬところで壁にぶち当たった。

……githubのサポートページがヒットする。こういった場合、関心のある語を全てコーディングルールに記述するのも手とあった。まあ、読めるボリュームではあるのでいいのだけど、これは無償版の限界だろうか。企業や官公庁向けだろうから一般向けにはかなり高価な値づけなのですな。。。まあ、そんなに数が出るソフトではないからだけど。

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2025年3月20日 (木)

リソースは限られているので

駅前の三桜酒造跡地に石見神楽の伝承施設と郷土資料館をという構想は市議会の反対で暗礁に乗り上げたとの報道が。郷土資料館については手狭で老朽化しているのと、市内に幾つかあるのを統合するという構想だったか。ヤフー記事のコメント欄を読むと、

・インフラが老朽化しているので、そちらを優先すべき
・箱もの行政批判
・神楽では観光客は誘致できない
・社中の人たちはガラが悪くて好きでない

といったものだった。インフラの老朽化は八潮の件のようにここ数年目立ってきた。表面化したということは既に危険な領域に入りつつあるということだ。箱もの行政への批判もある。浜田市を訪れる観光客、数字的には海水浴客が圧倒的に多い。神楽で動員できるのは数千人くらいだろう。社中の人たち云々に関しては僕は交流がないので実態を知らない。

……僕自身は、Uターン前にアリバイ程度にだけど、下北沢の小劇場演劇の世界に触れた。駅前劇場が収容人数200人ほどの小ホール、本多劇場が400人ほどの中ホールといった規模であった。それくらいが観劇には向いていると感じた。

演劇の常設劇場は首都圏でないと成立しないだろうけど、石央文化ホールのような大ホールだけでは……という気もする。ちなみに益田市のグラントワには大ホールの他、小ホールもあって、収容人数は400人を超えていたので実質的には中ホールも有していることになる。

広島市には劇団数が意外とあるそうだ。読んだ論文によると30くらいあり、アンケートに回答した団体数は10を超えた。高速道路で繋がっているから巡業してもらうこと自体は難しくないはずだ。

浜田市内の劇団の現在の活動状況は知らない。指導者の先生がお亡くなりになったとは聞いた。

島村抱月は旧那賀郡出身で旧制浜田中学を卒業しているし、抱月と並び称される小山内薫は森鴎外と親交があったとのことである。近代演劇の黎明期には石見人が意外と関与しているのだ。

学生も住んでいる町なので、彼らへ文化的な何かを提供することも必要だろう。アウトドアだと事欠かないけど、文化面では松江市とは比較にならないだろう。ライブパフォーマンスを実施しやすい施設があれば……とは漠然と夢想している。

一時、夜神楽公演を物流団地内の施設でという話があったのは記憶していて、建物は確認できたので、その内覗いてみようかとは考えている。

ちなみに、下北沢でメインとなる本多劇場は演劇専用の施設だったが、駅前劇場は雑居ビルのフロアを観劇用に改装したものと思われる。椅子はパイプ椅子だった。クッションは敷いていたが。

他、渋谷のミニシアターも記憶にある。シネコンではかからないけど面白そうなマイナーな映画を上演していた。これも専用の劇場ではなくパイプ椅子が並ぶフロアだった。カフェかレストランが併設されていて、それも経営の柱なのだろう。……ただ、周辺が某有名カルト教団の施設だったので警戒心を抱いたが。

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2025年2月19日 (水)

2025年の江戸里神楽を観る会の予定

2025年の「江戸里神楽を観る会」は令和7年3月16日(日)に品川区の六行会ホールで開催されるとのこと。午後1時開演(正午開場)。入場無料。全席自由席。

・神剣幽助
・品川神社・幸替の舞
・山海幸易・海神宮の場

が上演される予定。幸替の舞と山海幸易は海幸山幸のお話。神剣幽助は能由来の演目。

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2024年11月23日 (土)

新嘗祭の日

Xで奥三河の花祭の動画のポストが流れてくる。今日は新嘗祭の日なのでだろう。

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2024年11月17日 (日)

式年祭は今年だったらしい

江津市桜江町の市山八幡宮の6年に一度の式年祭は今年だったらしい。Xでポストが流れてきた。大元神楽は見たいと思っているが、どうやら引っ越しと重なってしまったようだ。

桜江町には行ったことがないが、江川の橋を渡って道なりにいけばたどり着くだろう。問題はお祭りの当日に駐車場があるかということ。有名な儀式なので観客も多いだろう。体力的にも問題がある。まあ、神がかり儀式関係なく行ってみたいのではあるが。

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2024年10月10日 (木)

鷲宮神社の奉納神楽を鑑賞 2024.10

10月10日の鷲宮神社の秋祭りの奉納神楽を鑑賞する。

・天照国照太祝詞神詠之段
・天心一貫本末神楽歌催馬楽段
・天神地祇感応納受之段
・鎮悪神発弓靭負之段
・端神楽
・磐戸昭開諸神大喜之段
・端神楽
・祓除清浄杓大麻之段
・折紙の舞

が上演された。

天照国照太祝詞神詠之段
天照国照太祝詞神詠之段
天心一貫本末神楽歌催馬楽段
天心一貫本末神楽歌催馬楽段
天神地祇感応納受之段
天神地祇感応納受之段
鎮悪神発弓靭負之段
鎮悪神発弓靭負之段
磐戸昭開諸神大喜之段
磐戸昭開諸神大喜之段
祓除清浄杓大麻之段
祓除清浄杓大麻之段
折紙の舞
折紙の舞

4月は家族の病気で見合わせた。7月末の夏祭りは断捨離で疲弊していたのと左足の剥離骨折で行ける状況ではなかった。10月に入って若干の余裕があるので(※本当は尻に火がついた状況だが)久しぶりに訪問することができた。

岩戸神楽、複数の演者が同時に鈴を鳴らすと神秘的な響きとなるのだが、今回は鈴の響きがいま一つだった。巫女さんは以前いた子が成長したとかそんなところか。今回出演した巫女さんは四名で以前より人数が減っていた。

コロナが5類になったからだと思うが、観客向けの椅子とテントが復活した。コロナ禍の最中は椅子がなかったため、立ちっぱなしで鑑賞しなければならなかった。これでマスクを着用していると非常に息苦しく、耐えられなくて鑑賞を諦めたこともあった。今回もマスクはしていたのだが。

上演が終わって隣の老女に話しかけられた。近所の人らしい。お神楽が好きとのことであった。石見神楽に関しては知らないようだった。「今回が最後の鑑賞になる」と告げた。

神社の拝殿は一部改修が施されていた。

今回の撮影に使ったのはペンタックスKP+シグマ18-200㎜。一年半ぶりの稼働。使い方を忘れかけていた。「光学ファインダーってこんなに見えづらかったっけ?」と思う。シャッターボタンを半押ししてもAFが迷うとでもいうのか合焦マークがなかなか出ない場合があった。途中でカード残量が無くなって急遽パナソニックTX1に切り替えたが、TX1の方が補正された画像を背面液晶に表示してくれて扱い易かった(※後で確認したら手振れを連発していた。ミラーレスや一眼レフに比べると望遠域での手振れ補正が弱いようだ)。背面液晶でみるのはモニターで鑑賞するのと変わらないので、レンズ素通しの光学ファインダーの方がライブパフォーマンスを撮影するのには合っていると思う。

KPは累計7800枚くらい撮っていた。今回撮影したのは2200枚ほど。稼働率が低い割にはまあまあの枚数か。一万枚にはさほど時間をかけずに到達するだろうし、それくらい撮れれば一応元をとれたことにはなるだろう。

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2024年10月 3日 (木)

面芝居の資料

三一書房『大衆芸能資料集成 第八巻 舞台芸Ⅰ 俄・万作・神楽芝居』の神楽芝居関連のページは下記の通りである。

神楽芝居

里神楽の面芝居 181-205P
・曽我茶屋場
・絵本太功記九段目
・御所桜堀川夜討弁慶上使之段
・源三位頼政鵺退治
・白浪五人男引立之場
・勧進帳――安宅新関之場

備後豊栄神楽 206-291P
・播州皿屋敷
・毛谷村六助
・滝夜叉鬼人
・羅生門
・大江山
・小夜の中山
・市賀団七
・源義経
・上り屋島
・夜盗
・天草軍記
・和霊記
・山中鹿之助
・佐々木厳流
・猫退治
・山猫お六の舞
・油屋忠兵衛
・入唐事蹟

解説 295-339P
・民俗劇と郷土劇 295-300P
・神楽芝居 330-339P

※解説の著者は西角井正大、福岡博とある。国会図書館では共著の場合、著作権の関係で全体の半分までしかコピーできない。神楽芝居の項だけ複写する等の対策が必要かと。

今はやらなくなったようだが、首都圏の神代神楽では面芝居という芸能も上演していたとのこと。収録された台本は厚木市の垣澤社中の提供によるようだ。神代神楽は口上のほとんどない黙劇だが、面芝居の台本をざっと確認するとセリフのある劇である。タイトルから判断するに、地芝居、農村歌舞伎に近いのだろうか。ただ、着面すると、セリフがくぐもって聞き取りにくくなると予想されるのだが、そこら辺どうしていたのか(※解説を読むと、面の口のところに穴を空けていたとある)。

映像資料が残されているか不明。台本はあるので復活上演は可能だろう。解説によると、台本は収録されていないが「魚屋宗五郎」も上演されたらしい。たまたま歌舞伎で見る機会があったのだけど、酒癖の悪い宗五郎がつい酒を飲んでしまって止まらなくなる展開が面白かった。

備後神楽に関しては、歌舞伎、講談に由来するものを収録したとのこと。

現在、疲弊していて本文まで読むことが難しい。疲れが抜けたら、いずれ読みたい。

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2024年8月12日 (月)

面芝居の資料があった

Xのポストで『大衆芸能資料集成』第八巻「舞台芸Ⅰ」(三一書房 1981)という本に厚木市の垣澤社中の面芝居の台本が収録されていることが分かった。面芝居は今は上演されることがなくなったようだが、神楽師たちがセリフのある劇にも取り組んでいたことは興味深い。僕は地芝居や面芝居は鑑賞した経験がないが、農民歌舞伎のようなものだろうか。旧那賀郡では地芝居が盛んだったと何かで読んだことはある。島村抱月と地芝居の関係はどうだったか。

で、芸北神楽の新舞とどこかで通底していないか興味がわいたのである。というのは、新舞だったかスーパー神楽だったか忘れたが、「歌舞伎化している」と評したコラムを読んだことがあるからである。実際に歌舞伎を鑑賞して言いえて妙だと思った。

神楽自体、長い時間をかけて演劇化していった地域もあるのだが、芸北神楽の場合、神話劇という枠組みを離れて説話を大幅に取り入れていっている。ライブで鑑賞したことはないが、見た感じ、より演劇に近づいてきている。そういった観点でみると、首都圏で過去に神楽師の間で面芝居が流行し、やがて何らかの理由で衰退していったという事例が既に存在していたということが興味深く思えるのである(※別に新舞が衰退すると予言している訳ではない)。

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