江津市

2021年7月24日 (土)

朝倉彦命神社と大飯彦命神社

◆はじめに

 島根県石見地方には「彦」の名のつく神社がまだある。大田市朝山町朝倉の朝倉彦命神社と江津市松川町の大飯彦命神社である。

大田市・朝倉彦命神社
大田市・朝倉彦命神社

"江津市・大飯彦命神社

◆神社と祭神

 明治時代に活躍した国学者である藤井宗雄は「石見国式内社在所考」では、朝倉彦命神社について、「彦命」は後世の人が付け加えたものと考え、祭神は土佐国土佐郡朝倉神社と同一神としている。これに対し、「式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4」では、これについて、式内社の考証が祭神を中央や遠隔地の有名神と関係づけることで事足れりとした一例として批判している。朝倉彦命神社なのだから朝倉彦でいいじゃないかと考えるのである。

 大飯彦命神社について「石見国式内社在所考」では「彦命」の二字は三代実録に無いと指摘している。祭神は大飯寮の竈神八座の中たる大御食神としている。「式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4」では祭神を大背飯三熊大人命としている。「石見八重葎」でこの神名は雲州飯石郡三熊谷に降臨したことによる。またの名を伊毘志都幣之命としていることについて触れている。天穂日命の子であることから出雲系の神と解釈するのである。

 日本書紀の国譲り神話では出雲に派遣された天穂日命は三年経っても帰ってこず、またその子の大背飯三熊大人を派遣したところ、父に従って帰らなかったとしている。

◆余談

 朝倉彦命神社は国道9号線を進み、富山入口の交差点で曲がり、すぐに右折する。するとその先が神社である。訪問時はちょっと先まで行ってUターンして、神社の境内脇に車を停めた。

 大飯彦命神社は国道9号線、江川を渡ったところで県道261号線に入り南下する。採石場を過ぎて、最初の集落が目的地である。左折して集落に入ると細い道となる。適当なところに車を停めて歩いた。神社にいく参道には猪除けの鉄の柵が張られているので、紐を解いて中に入った。訪問時は前日の雨の影響か土砂崩れを起こしていた。

◆参考文献

* 『式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4』(式内社研究会/編, 皇学館大学出版部, 1983)pp.804-806, pp.874-876
* 藤井宗雄「石見国式内神社在所考」『神祇全書 第5輯』(思文閣, 1971)p.340, p.348

記事の転載先→「広小路

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2021年6月 7日 (月)

イメージを的確に視覚化している

胸鉏比売 日本の神様辞典やおよろず
https://yaoyoro.net/munasuki.html

胸鉏比売の伝説を取り上げたこんなサイトがある。挿絵は胸鉏比売のイメージを的確に視覚化している。文章担当と作画担当との合作だそうだが、参考文献が日本標準「島根の伝説」「那賀郡誌」とある。お二方とも島根か近隣県在住なのだろうか。日本標準「島根の伝説」は国会図書館にも所蔵されておらず、たぶん島根県内の図書館でしか閲覧できないだろう。「那賀郡誌」はデジタル化されて国会図書館のサイトで閲覧可能だ。

デジタル化された「那賀郡誌」をペラペラとめくってみる。現在図書館で閲覧可能なのは復刻版なのだけど、写真など復刻に際して削られた箇所があるようだ。多分差別問題との絡みであろうが、復刻に際して一部不都合な箇所が削られたとの指摘があった記憶がある。

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2021年5月 5日 (水)

女神のキャラクター性

Twitterで「乙子狭姫」もしくは「胸鉏姫」と検索すると画像がヒットする。「ソラとウミのアイダ」というゲームを中心としたメディアミックスで未実装に終わったものの、乙子狭姫と胸鉏比売がキャラクターとして取り込まれていることが分かる。他にも乙子狭姫はカードゲームのキャラクターとしても登場している。「豊熟の女神オトゴサヒメ」とある。背景に赤雁の姿が描かれているので間違いない。乙子狭姫と胸鉏比売のキャラクター性が認められたということだろう。まあ、神社の祭神というより例えば桃太郎やかぐや姫に近い存在なので流用し易いということなのだろう。天豊足柄姫命や櫛代賀姫命だと同じ様にはいかないかもしれない。

乙子狭姫の画像
胸鉏姫の画像
豊熟の女神オトゴサヒメの画像

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2021年2月28日 (日)

モダンな建物だけに

現・江津市役所の建物の存続がとりざたされていると知る。特徴のあるモダンな建物だから残したいという声も大きいのだろう。あの柱だけでよく全体を支えているなとも思ってしまうのだが。

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2020年12月27日 (日)

構成と語り――胸鉏比売と乙子狭姫の事例より

以下、島根県の伝説に登場する胸鉏比売(むなすきひめ)と乙子狭姫(おとごさひめ)の伝説を取り上げる。両者の伝説を構成的にとらえるとモチーフとモチーフの接続に違和感のある語り口となってしまう事例として分析してみる。

◆胸鉏比売

島根県江津市に田心姫もしくは胸鉏比売の伝説がある。これは石見国の式内社である津門神社にまつわる伝説であるが、下記の様な粗筋である。

神代の昔、今の波子(はし)海岸に箱舟に乗った幼い女の子が流れ着いた。身なりから高貴な家柄の子らしい。翁(おきな)と媼(おうな)が拾い育てることとなった。
姫はすくすくと成長したが、何を訊かれても答えない。どこから来たか問われると東の方向を指すのみ。翁たちの手伝いはせず弓矢の稽古に明け暮れる。
ある日、東の空に狼煙があがったのを見てようやく姫は自分の素性を明かした。幼い頃心が荒々しかったので父である須佐之男命の怒りに触れ流された田心姫(たごりひめ)であった。出雲は十羅という国に攻められて苦戦している。田心姫が戻れば勝つであろうと夢のお告げがあった。姫は出雲を襲う敵と戦うために石見を離れ、出雲に戻る。
それを悲しんだ翁と媼は姫の後を追うが姫は岩陰に隠れて翁たちをやり過ごす。姫を見失った翁と媼は浅利の海岸で力尽き、はかなくなってしまった。出雲に戻った田心姫はたちまちのうちに十羅の賊徒を撃退。十羅刹女の名を賜った。

……というものである。これは日本標準「島根の伝説」に収録された「出雲を救った田心比売」を要約したものであるが、大島幾太郎「那賀郡誌」にほぼ同様の伝説が胸鉏比売の伝説として収録されている。

海岸に漂着した幼い姫を拾って育てるというモチーフはかぐや姫モチーフであると言えるだろう。かぐや姫モチーフの帰結として、姫は出雲へ帰ってしまうのだが、終盤の語り口に特徴がある。姫の跡を追った爺さんと婆さんは浅利の海岸で力尽きて亡くなってしまう。ここで終われば悲しい物語として終わるのであるが、伝説には続きがあり、出雲に戻った姫は賊徒を撃退し十羅刹女の名を賜ったと結ばれているのである。

お爺さんとお婆さんは亡くなってしまいました。一方、姫は賊徒を撃退して出雲は平和になりましたメデタシメデタシとして終わるのである。不思議な語り口である。

爺と婆の死という悲しいモチーフの直後に賊を撃退、平和になってメデタシメデタシという勝利のモチーフを持ってきて終わる。育て親の死のモチーフの次に姫の勝利のモチーフが来るのである。これには違和感を覚えないだろうか。二重の締めくくり方をしているのである。それだけにモチーフとモチーフの接続に違和感をきたしており、構成的に難のある事例である。

考えてみるに、お話の冒頭に出雲に平和をもたらした姫の名を上げ、そこから海岸に漂着するという回想形式風に話を組み立てれば違和感が少ないのではないか。

◆乙子狭姫

次に、島根県益田市の乙子狭姫の伝説を挙げる。これも石見国式内社である佐毘売山神社に所縁の伝説である。伝説は前段と後段からなるが、両方を収録したもので最も手にとり易いと思われるみずうみ書房「日本伝説大系 第十一巻 山陰(鳥取・島根)」を挙げておく。穀物の起源譚として冒頭に収録されている。

仮に前段を「ちび姫さん」、後段を「狭姫と巨人」としておく。粗筋は本によって多少異なるが概ね下記の通りである。

ちび姫さん
ちび姫さんは雁の背に乗るほど小さい。乙子狭姫(おとごさひめ)という名で、古事記に登場するオホゲツヒメ(大宜都比売命)の娘である。この伝承では、新羅のソシモリに住む気の荒い神が、オホゲツヒメの体はいったいどんな仕組みになっているのか(オホゲツヒメの体をなでると作物の種が自由にでる)調べようと、ヒメを斬ってしまう。
息も絶え絶えのオホゲツヒメだが、「幼い(いとけない)お前を残して逝くのは心残りでならない。お前に千年も万年も尽きぬ宝をやろう」と言い残す。
悲しみにくれる狭姫だが、母神の遺骸から五穀の種が芽生えた。赤雁が舞い降り、旅立つことを促す。そこで乙子狭姫は雁に乗って旅立ち、途中、高島や須津の大島に降りようとしたところヤマツミ(山祇)の遣いである鷹や鷲に「我は肉を喰らう故、穀物の種なぞいらん」と断られてしまう。鎌手の亀島で一休みした後、ようやく今の益田市赤雁町の天道山に降り立ち、それから比礼振山に種の里を開いて五穀の種を伝えたという話である。

狭姫と巨人
狭姫はダイダラボッチを思わせる巨人に出くわした。大山祇巨人(ヤマツミ神のことか)という名の巨人に悪意は無いが、動き回る度に大騒動である。狭姫も逃げ惑ったが、何せ小さき体故どうにもならない。
命からがら逃げ帰った狭姫であったが、ある日大穴の中で寝ている巨人に声をかけた。巨人は大山祇巨人の子で“オカミ”という名(“オカミ”は岡見の地名を取り込んだもの)であった。オカミの尊大な態度に狭姫はたじろいでしまうが、直接お目にかかりたい、と強い態度で申し出ると、「我は頭だけが人で体は蛇のようだから人も神も驚いて気を失うであろう、人を驚かすことは悪いことだから見ない方がお互いのためである」と“オカミ”は急に態度を改めてしまう。
“オカミ”は兄の足長土――“あしながつち”とも“あしなづち”とも読む――に会うよう告げた。やはり巨人でうっかりすると踏み殺されかねない。
これでは安らかな国造りはできない、狭姫は考えた。
そんなある日、狭姫は海岸で手長土(てながつち)という女の巨人と出会った。夫はあるかと問うと、「かように手長なれば」と手長土は答えた。手が長いのを恥じる手長土を狭姫は自分も人並み外れたちびだけど種を広める務めがある。手長土には手長土の務めがあると慰めた。
どこかよい土地はないかと赤雁に乗ってあちこち飛び回る狭姫。狭姫は足長土と手長土を娶わせ、巨人共々三瓶山の麓の広い土地に住まわせることにした。脚の長い足長土と手の長い手長土は互いに助け合って仲良く暮らしたという。

前段の「ちび姫さん」は死体化生型の説話形式をとっている。本段では狭姫が間違った所に降りようとして断られ、遂に日本本土に到着するという内容である。こちらは物悲しい雰囲気のお話である。冒頭で登場した心の悪い神が罰されることは無い。スサノオ命がモデルだからそうなるのである。

一方で「狭姫と巨人」では一転、明るいトーンのお話となる。物語的には巨人譚である。巨人の放屁が三瓶山の噴火だというくだりもあり、聞いている子供たちを笑わせようという意図も感じさせる。後段では成長した狭姫が三瓶山に到達し、三瓶の麓を開拓して巨人を住まわせるという話になっている。俯瞰すると、島根県石見地方を西から東に開拓する話となっている。実際の歴史では出雲に近い東部から開拓されたと想像されるので(※式内社も出雲に近い大田市に多い)、そういう意味でも歴史を反映していないお話となっている。

子供向けの民話集では前段の「ちび姫さん」だけを収録したものが多い。後段の「狭姫と巨人」は収録されていないのである。これは前段と後段のトーンの違いに由来するものと思われる。両者を一体のものとして取り扱うと、混然として、やはり違和感をきたすのである。

筆者は双方のトーンの違いから作者は別であると考えている。また、江戸時代の地誌「石見八重葎(やえむぐら)」の乙子の条には狭姫伝説は収録されておらず、狭姫伝説の原型となったと思われる伝説が収録されているので、狭姫伝説の成立は石見八重葎成立(1817年)以降とも考えている。

狭姫伝説は古い書物には収録されておらず、遡れるものの中では「島根評論 第13巻中 第6号(通巻第141号 石中号)」に収録された大賀周太郎「郷土の誉れ」が古いものとなる。実はこの時点で前段と後段が一体のものとして収録されており、それ以上前に遡れないもどかしさを覚えさせるものとなっている。

この物悲しい死体化生型説話と明るい巨人譚の接続も違和感を感じさせる。陰の死体化生型説話と陽の巨人譚、民話集で前段しか収録されないのもむべなるかなというところである。

◆名馬池月

 「まんが日本昔ばなし」で「池月」のタイトルでアニメ化された伝説が類似事例として挙げられる。出典は「鹿児島の伝説(角川書店刊)より」演出:芝山努, 文芸:沖島勲, 美術:千葉秀雄, 作画:藤森雅也。

 鹿児島県指宿市の伝説で、池田湖周辺が舞台となっている。島根の伝説の池月伝説とは内容が異なっている。不気味な池田湖を怖れ、近寄らない人々を余所に子馬の池月と母馬は毎日のように池田湖で泳ぐようになる。その見事さが評判となり都にまで伝わる。源頼朝の命で池月は鎌倉へと送られることとなる。池月と引き離された母馬が池田湖に飛び込むと、大きな渦が母馬を呑み込んでしまったという粗筋。

 最後に鎌倉に送られた池月はその後活躍したことがナレーションで語られる。母馬は湖に姿を消してしまいました。その後、池月は活躍したそうです……と哀しいのかめでたいのかよく分らない締めくくり方をしている。

 物語冒頭で源氏の許で活躍した池月という馬がいたことを紹介し、それから伝説に入っていく構成にすればその辺の違和感は抑えられるのではないか。が、敢えてそういう構成にしたのかもしれない。いずれ出典の「鹿児島の伝説」に収録されたお話を読んでみたいと思う。

◆まとめ

この胸鉏比売と狭姫の伝説から、モチーフ間の接続には接続の仕方によっては違和感を覚えさせる場合があることが分かっただろうか。ここでの事例は、二重の締めくくりと陰陽の型の組み合わせである。その場合、不思議な感触をもたらす語り口となるのである。

「構成と語り」という大仰なタイトルにしたが、これは自分で発掘したネタを題材に自力で何か考えられないかと思っての試論である。ま、所詮この程度である。

◆参考文献
・「島根の伝説」(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1981)
・「那賀郡誌(復刻版)」(那賀郡共進会展覧会協賛会/編, 臨川書店, 1986)
・「那賀郡史」(大島幾太郎, 大島韓太郎, 1970)
・「日本伝説大系 第十一巻 山陰(鳥取・島根)」(野村純一他, みずうみ書房, 1984)

相互リンク「広小路

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2019年8月17日 (土)

現在では舞われていない過去の演目――竹生島

◆はじめに
 2019年に江津市で18世紀半ばの神楽史料が発見された。多鳩神社のもので、将軍舞や竹生島など、現在の石見地方では舞われていない演目が記録されていたとのこと。このうち「竹生島」は謡曲の「竹生島」が元ではないかと思われる。天皇にお暇を申して竹生島詣でをした廷臣の前に弁財天や竜神が現れ、この世を寿(ことほ)ぐという目出度い内容である。

◆謡曲「竹生島」

ワキ:廷臣
ワキツレ:廷臣(二人)
ツレ:女
シテ:老人
アイ:社人
後ツレ:弁財天
後シテ:竜神

弁財天として、また竜神として、衆生済度の姿を示し、理想の世界である延喜帝の時代を神仏が守護したということによって、この世をことほぐ。

 (真の次第)
ワキ/ワキツレ(次第)「竹に生まれる鶯(うぐいす)の、竹に生まれる鶯の、竹生島詣でを急ぎましょう」
ワキ「(名のり)そもそもこれは延喜の聖主(聖徳ある君主)に仕える臣下です。さても(ところで)江州(がうしう)竹生島の明神は霊神でありますので、君主にお暇を申して、ただいま竹生島に参詣しました」
ワキ/ワキツレ「<上歌>四の宮や、河原の宮居(神が座すること)末早く、河原の宮居末早く、名も走り井(湧き出る清水)の水の月、曇らぬ御代に逢う逢坂の、関の宮居を伏し拝み、山越え近い志賀の里、鳰(にほ)の浦にも着いたことだ、鳰の浦にも着いたことだ」
ワキ「<着きゼリフ>急ぐ間に鳰の浦に着きました。あれを見ると釣舟が来ました。便船(都合よく出る船)を乞いましょう(乗せてもらおう)と思います」
ワキツレ「それでよいと思います」
 (一声)
シテ「<サシ>面白い。頃は弥生(三月)の半ばなので、波もうららか(穏やか)で湖の面(おも)」
シテ/ツレ「霞み渡る朝ぼらけ(あけぼの)」
シテ「<一セイ>のどかに通う舟の道」
シテ/ツレ「憂い(つらい)仕事に従っているけれど、憂くはない心かな」
シテ「<サシ>これはこの浦里に住み馴れて、明け暮れ運ぶ鱗(うろくず:魚類)の」
シテ/ツレ「数を尽くして身一つを助けよう(養おう)としますと詫び人(侘しく暮らす人)が隙(ひま)も波間に明け暮れて、この世を渡ることこそ物憂い(つらい)ことです」
シテ/ツレ「<下歌>よしよし同じ仕事ながら、この世に越えた(風光明媚な)この湖の」
シテ/ツレ「<上歌>名所(などころ)の多い数々に、名所の多い数々に、浦と山にかけて眺めれば、志賀の都の花園、昔ながらの長等(ながら)の山桜、真野の入江の舟を大声で呼び、さあさし寄せて問いましょう、さあさし寄せて問いましょう」
ワキ「もしもし、ここの舟に便船(都合のよい舟)を申しましょう(乗せてもらいましょう)」
シテ「これは渡りの舟とお思いになったのですか。ご覧なさい釣舟でございます」
ワキ「こちらも釣舟と見えたので都合の良い舟と申したのです。私は竹生島に初めて参詣する者です。誓いの(弘誓の)舟に(ですから)乗るべきです」
シテ「実にこの所は霊地で、歩みを運ぶ人をとかく(色々)申せば、お心に違(たが)い(背き)、また神の意も図ることが難しいのです」
ツレ「ならばお舟を参らせましょう」
ワキ「嬉しい、さては誓いの(弘誓の)舟(に乗ることができますのも)、法(のり)の力(仏法の功徳)と思ったことです」
シテ「今日は殊更のどかで、心に掛かる(気がかりな)風もありません」
地謡「<下歌>名はささ波か、志賀の浦にお立ちになったのは、都の人か労しいことだ。お舟にお乗りになって、浦々を眺めなさいませ」
地謡「<上歌>所は海の上、所は湖の上、国は近江(あふみ)の入江に近い、山々の春だからか、花はさながら白雪が降るか残るか時を知らぬ、山(比叡山)は都の富士だろうか、なお冴えかえる春の日に、比良の嶺おろしが吹くとしても、沖を漕ぐ舟はよもや尽きまい。旅の習いの思わずに雲居の他所(何の縁も無い)に見た人も、同じ舟に慣れ衣、浦を隔てて行く程に竹生島も見えたことだ」
シテ「緑の樹々の影が沈んで」
地謡「(水中の)魚が木に登る気色(様子)がある。月は海上に浮かんでは、兎も波を走るか、面白い島の気色だ」
シテ「舟が着きました。お上がりください。この尉(じよう:老人)が道案内申しましょう。これこそが弁財天でございます。よくよくご祈念なさいませ」
ワキ「承って及んだ(聞き及んだ)よりもいや勝って有難いことです。不思議かなこの所は、女人結界(女人禁制)と聞いていましたが、あそこにいる女人はどうして参られたのですか」
シテ「それは(物を)知らない人の申すことです。かたじけなくも(恐れ多くも)九生如来(きうしやうによらい)のご再誕ですので、ことに女人こそ参るべきです」
ツレ「いや、それほどでもないものを」
地謡「<上歌>弁財天は女体で、弁財天は女体で、その神徳もあらたかである、天女と現じなさったので、女人だといっても隔てない、ただ(物を)知らぬ人の言葉である」
地謡「<クセ>(弁財天が)このような悲願を起こして(立てて)正覚(最高の悟り)を得て年久しい。獅子通王(ししつうわう)の古(いにしえ)から利生(りしやう:仏が衆生に利益を与えること)は更に怠っていない」
シテ「実に実にこれほども疑いも」
地謡「荒磯島の松陰を、頼りに寄せる海人(漁師)の小舟、自分は人間でないといって、社壇の扉を押し開き、御殿にお入になれば、翁も水中に入るかと見えたが白波の、立ち帰り我はこの湖(うみ)の主だぞと言い捨ててまた波にお入りになった」
アイ「(常座で)かような者は、江州(がうしう)竹生島の天女に仕える者でございます。さて、国々に霊験あらたかな天女は数多いらっしゃいますけれども、中でも隠れない(広く知れ渡っている)のは安芸の厳島、天の川、箕面、江の島、この竹生島、いずれも隠れないとは申しますけれども、とりわけ当島の天女と申しますのは、隠れもしない霊験あらたかな事ですので、国々在々所々から信仰し、参って下向する人々は夥しい事でございます。それについて当今(今上天皇)にお仕え申した臣下殿、今日は当社へご参詣ですので、我らも罷り出で、お礼を申しましょうと存じます。どのようにお礼申しましょう。これは当島の天女に仕え申す者でございますが、ただ今のご参詣目出度くございます。さて当社へ初めてご参詣のお方へは御宝物を拝ませて申しますが、そのようなお望みがございませんか」
ワキ「実に聞き及びましたお宝物でございます。拝ませてください」
アイ「畏まって候。やれやれ一段(一層)のご機嫌に申し上げました。急いでお宝物を拝ませようと思います。これは御蔵(みくら)の鍵です。これは天女の朝夕看経なさいます(経をお読みになる)数珠でございます。ちと(しばらく)ありがたいものと思って尊重しなさいませ。皆さんも尊重なさいませ。さて、またこれは二股の竹といって当島一の宝物でございます。よくよく拝みなさいませ。まずお宝物はこれまででございます。さて、当島の神秘において、岩飛(いはとび)と申すことがありますが、これをお目にかけましょうか。ただし何とございましょうぞ」
ワキ「それならば岩飛飛んで見せ給え」
アイ「畏まって候。さあさあ岩飛を始めましょうといって、さあさあ岩飛始めましょうといって巌の上に走り上がりまして、東を見ましたら日輪月輪が照り輝いて、西を見ましたら入日を招き、危なさそうな巌の上から、危なさそうな巌の上から水底にずんぶと入ったことです。ハハア、クッサメクッサメ」
 (出端)
地謡「御殿がしきりに鳴動して日月光り輝いて、山の端に出たごとくで、現れ給うのが恐れ多い」
ツレ「そもそもこれは、この島に住んで衆生を守る、弁財天とは私の事である」
地謡「その時虚空に音楽が聞こえ、その時虚空に音楽が聞こえ、花が降り下る、春の夜の月に輝く乙女の袂を返す返すも(本当に)面白い」
 (天女ノ舞)
地謡「夜遊(夜の神事)の舞楽も、夜遊の舞楽も時過ぎて、月が澄みわたった湖の水面に波風がしきりに鳴動して、下界の竜神が現れたことだ」
 (早笛)
地謡「竜神が湖上に出現して、竜神が湖上に出現して、光も輝く金銀珠玉をかの稀人(まれびと:客人、ここではワキの廷臣)に捧げる気色(様子)有り難いことだ。奇特(殊勝)かな」
 (舞働)
シテ「もとより衆生済度の誓い」
地謡「もとより衆生済度の誓い、様々なので、あるいは天女の形となって現じ、有縁の(仏を信仰する)衆生の諸々の願いを叶え、または下界の竜神となって国土を鎮め、誓いを現わし、天女は宮中にお入りになったので、竜神はただちに湖水に飛行(ひぎやう)して、波を蹴立て、水を返して、天地に群がる大蛇の形、天地にむらがる大蛇の形は竜宮に飛んで入ったことだ」

◆余談
 出典として「謡曲叢書」に収録されたものを参照しようと思ったのだけど、謡曲叢書の該当箇所が欠損(というか元から無いように思われる)していたので、小学館の新編日本古典文学全集を使う。こちらは注釈も詳細で現代語訳もあるので、それを参照しながらの作業となった。

◆参考文献
・「謡曲集1 新編日本古典文学全集58」(小山弘志, 佐藤健一郎, 小学館, 1997)※「竹生島」pp.67-76

記事を転載→「竹生島

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2019年6月23日 (日)

18世紀半ばの神楽史料が見つかる

Facebookを閲覧していると、江津市で18世紀半ばの神楽史料が見つかったとの新聞記事が。当時は石見地方でも将軍舞が舞われていたとのこと。「竹生島」は謡曲由来だろうか。一方、天神、八幡など現在につながる演目も記載されているとのこと。

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2019年3月26日 (火)

神楽の常設会場

江津市の道の駅サンピコごうつに併設される舞乃市に神楽専用劇場「石見小屋」が建てられたとのこと。収容人数120人。スケジュールは従来通りだとすると、毎月第1・第3日曜日/毎月第2・第4金曜日の実施だろう。年間入場客数2,900人を見込んでいるとのこと。動画を見たところ、照明が凝っている。常設会場でないと出来ない工夫だろう。

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2019年3月12日 (火)

土着の音?

YouTubeで江津の敬川太鼓を視聴する。石見らしく笛がいるのが特徴か。昭和61年結成とあるので30年以上の歴史があることになる。当初は石見神楽の神祇太鼓を習得したとのこと。なので、神祇太鼓に関しては土着(ヴァナキュラー)な音と言えるだろう。

創作和太鼓は創作とある通り歴史は浅いのだが、地元の囃子を取り入れて創作しているという話も多々あり、そういう意味では半土着の音なのかもしれない。

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2018年3月31日 (土)

JR三江線、廃止される

JR三江線、3月31日で88年の歴史に幕
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-010455/

JR三江線が三月末でその歴史に幕を閉じた。100㎞を超える鉄道線の廃止は本州では初とのことである。2016年夏に三江線に乗って三次まで往復した。朝4時起きで、車窓の風景をデジカメで録画しながらの旅となったのだけど、後で見返してみると、居眠りでカメラが揺れていた。江川沿いを走るので車窓の風景は綺麗なのだけど、満員ではろくに風景も楽しめないだろう。三次から引き返す途中でJR川本駅で一時間半ほどの時間があって駅の外に出る。喫茶店があってよい雰囲気だった。これからは三江線で下車した人が立ち寄ることも無くなる。

JR三江線の列車

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