昔話

2019年9月15日 (日)

浦島太郎と神楽

◆はじめに
 浦島太郎はよく知られた日本の昔話であるが、関東の里神楽(神代神楽)で神楽化されていた。2017年8月に横浜市天王町の橘樹神社で加藤社中による「浦島太郎」が上演された。関東の里神楽は基本黙劇であるが、マイクで解説しながら演じられた。

橘樹神社・加藤社中・浦島太郎、亀はモドキ
橘樹神社・加藤社中・浦島太郎、亀はモドキ
橘樹神社・加藤社中・乙姫
橘樹神社・加藤社中・乙姫
橘樹神社・加藤社中・浦島太郎と乙姫
橘樹神社・加藤社中・浦島太郎と乙姫の連舞
橘樹神社・加藤社中・故郷に戻ってきた浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・故郷に戻ってきた浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・老人となった浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・老人となった浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・去っていく浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・去っていく浦島太郎

◆巌谷小波の浦島太郎
 巌谷小波が書いた浦島太郎が現在流通している浦島太郎の物語の基礎となるようだ。また、このストーリーは戦前の国定教科書にも採用され、浦島太郎の物語の定着に大きく貢献している。

 浦島太郎はある日、子亀が子供たちにいじめられているのを見て、子亀を買い取って解放してやる。それからしばらく後、海に出て釣をしていた太郎の許に子亀がやってくる。子亀は先日のお礼に太郎を竜宮に連れて行くと言う。浦島太郎を乗せるほどに大きくなった亀は太郎を竜宮につれていく。竜宮では乙姫様が太郎を迎える。歓迎の宴がはじまった。見たこともない世界で太郎は大いに楽しんでいたが、三日ほどして、自分は父母を残してきたことを思い出す。乙姫に暇を申して帰る太郎だった。乙姫様は太郎に玉手箱を与える。決して開けてはならないと言い添えて。地上に戻った太郎だったが、既に七百年が経過していた。困り果てた太郎は、こんなときに玉手箱を開けたらどうにかなるかもしれないと思いつき、蓋を開ける。すると箱から煙が出て来て浦島太郎は老人となって、足腰も立たなくなってしまった。めでたしめでたし。

◆浦島太郎の文学史
 三浦佑之「浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生」(五柳書院)を読む。浦島太郎は民間伝承に起源を持つ口承文芸ではなく、中国の神仙小説に影響を受けた文学であるという内容の本。

 我々が現在知る浦島太郎は巌谷小波の日本昔噺のものをベースにしていて、それが国定教科書に採用されることで普及したとのことである。

 中世の御伽草子から巌谷小波の浦島太郎には、亀を解放してそのお礼に竜宮に招かれるという放生譚と報恩譚が見られるが、古代の浦島子にはそれは見られないとのことである。

◆論文
 浦島太郎に関する論文を幾つか読んだ。浦島太郎の物語は大まかに分けて古代、中世、近代と分類される。風土記逸文や万葉集などの古代の浦嶋子の話では亀を助けるという報恩譚の要素は無く、中世の御伽草子になって見られるようになる。また、亀と浦島太郎の異種婚姻譚でもあるが、近代になって亀と乙姫の人格が分けられるようになって婚姻譚の要素は消滅したと指摘している。武笠俊一「玉匣から玉手箱へ―浦島伝承史考―」「人文論叢」は元々は婚姻破綻譚だったとしている。また、近代の浦島太郎は亀を助けて龍宮へ行くものの、結末として玉手箱を開けることによる老化という点で報恩譚ではなくアンチ報恩譚であると武笠は指摘している。

 また、牧野陽子「海界(うなさか)の風景~ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説~(一)~(三)」ではラフカディオ・ハーンが浦島太郎の物語を気に入っており、万葉集の歌を暗誦する程だったとしている。

◆ものぐさ精神分析
 岸田秀「ものぐさ精神分析」では浦島太郎を、

浦島太郎が龍宮城で時間の流れを感じなかったのも同じ理由からで、すべてが満足されるユートピアには時間はない。龍宮城にも四季はあるが、春夏秋冬はそれぞれ部屋の四方の壁の窓に気色として同時に映っているのであって、季節から季節への時間の流れはない(蛇足ながらつけ加えると、海の底にある龍宮城は人間が何ら欲望の不満を知らなかった胎児のときにいた子宮のシンボルである。海は羊水である。浦島を乗せる亀は浦島自身のペニスを表している。その頭がペニスの亀頭に似てい、陸へやってきてまた海に戻る亀は子宮外にあって、ときおり子宮へ、少なくとも子宮への通路たる膣へ戻るペニスのシンボルでなくて何であろうか)浦島が時間を知るのは、乙姫の願いを振り切って現実の世界に帰り、その言いつけにそむいて玉手箱をあけたときである(玉手箱は乙姫の性器のシンボルである)。浦島は、もはや龍宮城にいないのに龍宮城の乙姫を性的に求めたのであった。それは挫折せざるを得ない欲望であり、挫折せざるを得ない欲望をもったとき、浦島は時間の中に組みこまれたのであった。浦島太郎の物語は、性的欲望に仮託された子宮復帰願望の物語であり、われわれが時間をもったのは二度とふたたび帰れない母の子宮に帰りたいというむなしい願望を断ち切れない存在、いいかえれば、ゆきて返らぬ昔の夢をいつまでも追いつづける存在だからであることを暗示している。ちなみに言えば、確かに見知った家や道はあるのだが、誰ひとり知る人のいない、なじめない土地で、玉手箱をあけて老い果てた浦島の姿は、母の子宮内の楽園から軽率にもこの世にとび出してきて、確かに現実の世界ではあるのだが、何だか変だ、どこか間違っていると居心地わるく場違いな感じを抱きながら老いてゆくわれわれの姿であり、どうして乙姫に乞われるままに龍宮城にとどまらなかったかという浦島の嘆きは、どうして何の不安もなかった子宮内の生活を、ものを思わなかった幼い日々をあとに残してきてしまったかというわれわれの嘆きである。(197-198P)

としている。龍宮は子宮であり、浦島太郎の物語は子宮へ回帰する物語の暗喩なのであるとしている。

◆リュティの昔話論
 マックス・リュティ「ヨーロッパの昔話 その形と本質」では、

伝説のなかでだれかが百年、あるいはそれ以上の年月のあいだ眠っていたとすると、あるいは地下の国で過ごしたりすると、人間界へもどってくるときにこっぱみじんに砕け散ってしまったり、しわだらけにちぢまって非常な老人または老婆となってしまう。しかし、それは彼が人間界から離れた時間に気づかされてはじめて起きることである。すなわち、そのときになってはじめて、経過した時間全体をいちどきに意識し、かのまったくべつな状態、つまり人間の法則以外のものが支配しているあの状態のなかではけっして体験することのできなかったものを、精神的にも肉体的にも、一瞬のうちに体験するのである――すなわち時間の力を。(56P)

 このような例を挙げると、日本の昔話では浦島太郎が例として直ぐに思いつく。浦島太郎の場合は玉手箱が時間をとどめる働きをしているけれど、決して開けるなという禁止を破ることで、地上で経過した時間が一気に浦島太郎に襲い掛かる。日本の昔話は外国の伝説に近いと言われることがあるようだけれども、その一例がここに記されている。

◆御伽草子
「御伽草子」の「浦嶋太郎」を直訳調ながら現代語訳してみた。

浦嶋太郎

 昔、丹後の国に浦嶋というものがいて、その子に浦嶋太郎と申して、年齢は二十四五の男子がいた。海の魚類を獲るのに明け暮れ、父母を養っていたが、ある日、することもなくて退屈していたところに釣をしようと言って外出した。浦々島々、入江入江、到らないところはなく、釣をして貝を拾い、みるめ(海藻)を刈るなどしているところに、ゑしまが磯という所で亀を一匹つり上げた。浦嶋太郎はこの亀に言うに「お前は生ある物の中でも鶴は千年、亀は万年といって長命のものだ。ただちにここで命を断とうとする事は気の毒なので助ける。常にこの恩を思い出すべし」と言って、この亀を元の海に返した。

 こうして浦嶋太郎はその日は(日が)暮れて帰った。また次の日浦の方へ出て釣をしようと思い見たところ、遥かな海上に小舟が一艘浮かんでいた。怪しんで休んで見たところ、次第に太郎が立ったところに着いた。浦嶋太郎が「あなたはどのような人でいらっしゃるのか、このような恐ろしい海上にただ一人乗って入ったのでしょう」と申したところ、女房は「ある所へ都合よく出る船があったので(それに乗ったところ)折から波風が荒く、人が大勢海の中へ跳ね入ったところを、情け深い人が自分をこのはしけ舟に乗せて放したのです。悲しく思い鬼の島へ行くのではと行くべき方向も分からないその時に、ただ今人に逢い参ったのです。この世のものではないご縁でこそあります。なので虎も狼も人を縁としたのです」といってさめざめと泣いた。浦嶋太郎もさすがに岩や木ではないので、可哀想と思って綱をとって引き寄せた。さて、女房が申すには「ああ、我らを本国へ送ってくださいませ。ここで棄てられれば私はどこへ行きどうなりましょう。捨てられたら、海上でのもの思いも同じことです」とかき口説きさめざめと泣いたので、浦嶋太郎も可哀想と思い、同じ船に乗り沖の方へ漕ぎ出した。かの女房の教えに従って、はるか十日あまりの船路を送り、ふるさとに着いた。

 さて、船から上がり、どのような所だろうと思ったところ、銀(しろがね)の築地を建てて、金(こがね)の瓦を並べて門を建て、どんな(素晴らしい)天上の住いでも、これにはどうして勝るであろうか。この女房の住処は言葉に及ばず、中々(とても)申し尽くすことができない。さて、女房は「一本の樹の陰に宿り、同じ河の流れを汲むことも、全てこれ他生の縁です。ましてや遥かの波路を遥々と送ってくださった事は偏に他生の縁なので、何の苦しいことがありましょう。私は夫婦の契りを成して、同じところで明るく(楽しく)暮らしましょう」と細々と語った。浦嶋太郎は「ともかく仰せのとおりに従いましょう」と申した。さて偕老同穴(生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる、夫婦が仲むつまじく連れそうこと)の語らいも浅くなく(深く)、天にあれば比翼の鳥、地にあれば連理の枝となろうと、互いに鴛鴦(ゑんわう:オシドリ)の契りは深く、楽しく暮らした。

 さて、女房は「これは龍宮城という所です。この所に四方に四季の草木を現わしました。入りなさいませ、見せて差し上げましょう」と申して、連れて出た。まず東の戸を開けてみれば、春の景色と思えて、梅や桜が咲き乱れ、柳の糸も春風に(なびき)、なびく霞(かすみ)の内からも、鶯の(鳴く声の)音の軒近く、いずれの梢も花が咲いていた。南の正面を見れば、夏の景色と見えて、春を隔てた垣根には卯の花か、まず咲いていた。池の蓮は露をかけて、汀(みぎは)は涼しいさざ波で、水鳥が数多遊んでいた。木々の梢も茂りつつ、空に鳴く蝉の声、夕立ちが過ぎた雲間から声たて通るホトトギスが鳴いて夏と知らせた。西は秋と見えて四方の梢も紅葉となって、ませ(竹で作った目の粗い垣)の内にある白菊や霧がたちこめる野辺の末、萩が露を分け分けて、声がものすごい鹿の音に、秋だと知られた。さてまた北を眺めたところ冬の景色と見えて、四方の梢も冬枯れて、枯葉に置いた初霜や山々やただ白妙(白い色)の雪に埋もれる谷の戸に、心細くも炭竈(すみがま)の煙に現れる賤しい仕業(が立つのによって炭焼きの業をしていることがはっきり知られる)の景色かな。

 かくて面白い事と共に心を慰め、栄華に誇り、明るく(楽しく)暮らし、年月を経る程に三年に程なくなった。浦嶋太郎は「自分に三十日の暇(いとま)を与えてください。故郷の父母を見捨てて軽々しく出て三年を送ったので、父母の事を気がかりに思いますので、合って安心して参上しましょう」と申したところ、女房は「三年の程は鴛鴦(ゑんわう:オシドリ)の衾(ふすま)の下に比翼の契りをなして、片時でさえ見えさせなかったので、こうだろうか、ああだろうかと心を揉んでいたのに、今別れたら、またいつの世にか逢えましょうか。(夫婦は)二世の縁と申すので、たとえこの世で夢幻の契りであっても、必ず来世では、一つの蓮の縁と生まれてください」とさめざめと泣いた。また、女房が「今は何をか包みましょうか。自分はこの龍宮城の亀ですが、ゑしま磯であなたに命を助けられました。その御恩に報いようとして、このように夫婦となりました。またこれは自分の形見に御覧なさい」と申して左の脇から美しい箱を一つ取り出して「決してこの箱を開けてはなりません」と言って渡した。會者定離(ゑしやぢやうり:会う者は必ず離れる)の習いと言って会う者には必ず分かれるとは知りながら、留め難くてこうなのか、

 日数(かず)へてかさねし夜半の旅衣たち別れつゝいつかきて見ん

浦嶋返歌
 別れ行(ゆ)くうはの空なるから衣ちぎり深くは又もきて見ん

 さて、浦嶋太郎は互いに名残を惜しみつつ、こうしていつまでも居るべきことでないから、形見の箱を持って、故郷へと帰った。忘れもしない来し方行く末の事を思い続けて遥かの波路を替えるといって、浦島太郎はこのように

 かりそめに契りし人のおもかげを忘れもやらぬ身をいかゞせん

 さて浦島は故郷へ帰ってみたところ、人の跡は絶え果てて、虎が伏す野辺となっていた。浦嶋はこれを見て、これはどうした事だと思い、ある傍らを見ると、柴の庵があるので立ち寄って「もの言いましょう」と言ったところ、内から八十ばかりの翁が出て来て「誰でいらっしゃるか」と申したので、浦嶋は「この所に浦嶋の行方は分からないか」と申したところ、翁は「いかなる人でしたら、浦嶋の行方を尋ねるのでしょう。不思議です。その浦嶋とやらは、はや七百年以前の事と申し伝えています」と申したので、太郎は大いに驚いて、これはいかなる事かと、その謂れをありのままに語ったところ、翁も不思議な思いで涙を流して「あれに見える古い塚、古い石塔がその人の墓所と申し伝えております」と指をさして教えた。太郎は泣く泣く草深い露の多い野辺をかき分け、古い塚に参り、涙をながし、このように

 かりそめに出(で)にし跡を来て見れば虎伏す野辺となるぞ悲しき

 さて浦嶋太郎は一本の松の木陰に立ち寄り、呆れ果てていた。太郎が思うに、亀が与えた形見の箱を決して開けるなと言ったけれども、今はどうしようか(仕方がない)開けてみよう、見るのが悔しかった。この箱を開けてみれば、中から紫の雲が三筋上った。これを見たところ、二十四五の年齢も忽ち変わり果ててしまった。
 さて浦嶋は鶴になって虚空に飛び上がった。そもそもこの浦嶋の年を亀が計らいとして箱の中に畳み入れたものだ。そうであるから七百年の年齢を保ったのだ。明けてみるなと言ったのを開けてみるのこそつまらないことであった。

 君にあふ夜(よ)は浦嶋が玉手箱(たまてばこ)あけてくやしきわが涙かな

と歌にも詠まれている。生(命)ある物はいずれも情けを知らないということはない。いわんや人間の身として恩を見て恩を知らないのは木石に例える。情け深い夫婦は二世の契りと申すが、まことに有難い事かな。浦島は鶴になり、蓬莱の山に遊んだ。亀は甲羅に三せきの祝いを備え、万(よろず)代を経るのだ。さてこそ目出度い様(ためし)に鶴亀こそを申すのだ。ただ人には情けあれ、情けのある人は行く末目出度き次第を申し伝える。その後浦嶋太郎は丹後の国に浦嶋の明神と顕れ、衆生を済度した。亀も同じ所に神と顕れ夫婦の明神となった。めでいたい例(ためし)だ。

◆風土記
 丹後国風土記逸文が浦島伝説の古い出典の一つである。

 雄略天皇の御代、筒川の村に住む嶼子は魚釣りをしていたけれど一匹も釣れなかった。五色の亀を釣った。不思議だと思って寝たところ、亀は美貌の乙女となった。どうして来たのか問うと、天上の仙界から来た。親しく話をしたいと答えた。乙女は常世の国まで嶼子に舟を漕がせた。現世と異界の間で嶼子を眠らせ、そして常世の世界へとたどり着いた。見事な宮殿があった。

 進んでいくと大きな邸宅の門の前に来た。七人の童子(スバル星)と八人の童子(アメフリ星)が嶼子を亀比売の夫だといった。乙女の両親が出て来て挨拶を交わし、楽しい宴がはじまった。宴が終わると、嶼子と乙女は夫婦の交わりをした。

 嶼子は故郷を忘れ常世の世界で三年ほどを過ごした。俄かに故郷を偲ぶ心が湧いてきた。乙女がこの頃様子がおかしいと聞くと、嶼子は故郷が恋しくなったといった。乙女は悲しんだ。

 乙女と別れ、帰り道についた嶼子だった。乙女は玉の様な櫛を入れる箱を渡し、再会したいなら箱を決して開けてはならないと告げた。現世と異界の間で眠り、たちまち故郷に戻ってきた。

 故郷に帰ると嶼子が出てから既に三百年が経過した。困り果てた嶼子は思わず箱を開けてしまった。香しい煙が空をめがけて立ち上った。それで嶼子は乙女と二度と再会できないと悟った。

 ……玉手箱を開けるモチーフは既に描写されているが、その代償として急激に歳をとってしまうという件は無い。

 風土記の浦島伝説を直訳調ながら現代語訳してみた。

 

筒川(つつかは)の嶼子(しまこ)(水江[みづのえ]の浦の嶼子)
(丹後の国の風土記に曰う)

 与謝(よさ)の郡(こほり)
 日置(ひおき)の里

 この里に筒川の村がある。ここの人民で日下(※合字)部(くさかべ)の首(おびと)らの先祖で名を筒川の嶼子という人がいた。人となり、容貌は優れ、雅なことは類が無かった。これが所謂水江の浦の嶼子という人である。これは旧宰(もとつみこともち:元の国守)である伊預部(いよべ)の馬養(うまかい)の連(むらじ)が記したことに矛盾や齟齬をきたすところはない。そこで、所以の概ねを述べようとする。

 長谷(はつせ)の朝倉の宮で天(あめ)の下を治める(雄略)天皇の御代に嶼子は独り小さな舟に乗り海中で浮かび出て釣をした。三日三夜を経たけれども魚は一匹も得られなかった。たちまち五色の亀を得た(釣った)。心に不思議だと思い、舟の中に置きただちに寝たところ、たちまち婦人(をみな)となった。その容貌は麗しく、また並ぶ人はいなかった。

 嶼子は「実家は遥かに遠く、海面には人もいないのに、どのようにして来たのか」と問うた。女娘(をとめ:乙女)がほほ笑んで「雅な男が独り海に浮かんでいた。近く語ろうという思いに勝てず風と雲と共に来ました」と答えた。嶼子はまた「風と雲はどこから来たのか」と問うた。乙女は「天の上の仙人です。願わくば、疑わないで。愛しみの語らいをどうぞ」と答えた。ここで嶼子は神の乙女と知り、恐れ疑う心を静めた。乙女は語って曰く「私の心は天地と共に終わり、日月と共に極まらんとすることです。ただ、あなたはどうですか。否か諾か心を先ず先にはっきりさせなさい」と言う。嶼子は答えて「また言うことはありません。何を怠りましょう」と言った。乙女は曰く「あなたは棹をさしなさい(漕ぎなさい)蓬山(常世の国)に行きましょう」と言った。嶼子は従って行った。乙女は(嶼子を)眠らせて(この世と異界との間で目をつぶらせた)、ただちに不意の間に(一瞬で)海中の雄大な島に至った。その土は玉を敷いた様であった。高殿(うてな)は明るく映え、楼堂は照り輝いていた。目に見えず、耳も聞こえなかった(見たことも聞いたこともなかった)。

 手を携えて行くと、ある大きな宅の門に到った。乙女は「あなたはしばらくここで立っていなさい」と言って門を開いて中に入った。ただちに七人の童子が来て互いに語って「これは亀比売(ひめ)の夫だ」と言った。また八人の童子が来て「これは亀比売の夫だ」と言った。ここで乙女の名を亀比売と知った。ただちに乙女が出て来た。嶼子は童子たちの事を語った。乙女は「その七人の童子はスバル星です。この八人の童子はアメフリ星です。怪しまないように」と言った。即座に前に立って導き内に進み入れた。乙女の父母が諸共に迎えて、拝んで(挨拶を交わして)座についた。ここに人間と仙都(常世)の違いを説明し、人と神の偶然の出会いの親しい交わりを語った。ただちに百もの品々の美味を勧めた。兄弟姉妹たちは盃を捧げて酌み交わした。隣の里の幼女たちも紅顔で交歓した。仙界の歌は遥かに響き、神の舞はくねりながら踊った(なまめかしかった)それ、宴の様は人の世に万倍も(格段に)勝っていた。ここに(仙界では)日の暮れるのを知らなかった(分からなかった)。ただ、黄昏時に諸々の仙人たちが次第に退出し散らし、則ち乙女独りが留まった。肩を並べ袖を合わせて夫婦の交わりをした。

 ときに嶼子は古里を忘れ仙都(常世)に遊び、既に三年ほど経ていた。にわかに国を偲ぶ心を起こし、独り両親に恋い焦がれた。そこで、悲しみがしきりに起こり、嘆きは日に日に増した。乙女が問うて「この頃私の夫の容貌を見ると世の常と異なっています。願わくば、その思いを聞かせてください」と言った。答えて曰く「古(いにしえ)の人が言ったことに、凡人は故郷を偲び、死んだ狐は山を頭とする(山に頭を向ける)と言います。私は虚構の話だと思っていましたが、今はこれが真実だと知りました」と言った。乙女は問うて曰く「あなたは帰ろうとするのですか」と言った。嶼子は答えて曰く「私は近頃、父母と離れて遠く神仙の世界に入りました。人恋しさに忍びず(耐え切れず)、ただちに戯言(あさはかなこと)を申します(口走ってしまいました)。願わくば、しばし元の故郷へ帰って父母に会いたいと望むのです」と言った。乙女は涙をぬぐい嘆いて曰く「心は金や石に等しく共に万歳(よろずとせ:永遠)を契ったのに、どうして故郷を顧みて(仙界を)一時に捨てようとするのですか」と言った。ただちに携わって徘徊し(思案に暮れ)、語らい悲しんだ。

 遂に袂を翻して別れ、別れの路に就こうとした。ここに乙女の父母や親族はただ別れを悲しんで送った。乙女は玉の様な櫛を入れる箱を授け、語って曰く「君は遂に私を捨てずに帰り尋ねようと思うならば、櫛を入れる箱を堅くして、ゆめゆめ開き見てはなりません」と言った。ただちに互いに分かれて舟に乗り、ただちに眠らせ、忽ちに元の故郷の筒川郷に到った。乃ち村里は目を見張るに、人も物も遷り変わり、依る次第もなかった(とりつく島もなかった)。

 ここで里の人に問うて曰く「水江の浦の嶼子の家族は今どこにいるのですか」と言った。里の人は答えて「あなたはどこの人ですか。昔の人を訪ねたのですか。私が古老たちに聞くに、「前の時代に水江の浦の嶼子という人がいた。独り海に遊んで再び帰って来なかった」と言い、今三百年を経たところ、どうして俄かにこれを問うのか(急にこんな話を持ち出すのか)」と言った。ただちに空虚(虚ろ)な心を抱いて、故郷を巡った(探し回った)けれども、一人の肉親(片親)にも会わなかった。既にひと月を経た。そこで玉の様な櫛を入れる箱をかき撫でて神の乙女を愛でた。ここに嶼子は先の約束を忘れ急に(発作的に)箱を開けた。乃ち忽ちに良き蘭の香りが風と雲と共に翻って蒼天に飛んでいった。嶼子はただちに約束を違え、帰ってまた会う事が難しいのを知った(悟った)。首を廻らせて佇み、涙にむせんで徘徊した。

 ここに涙をぬぐって歌って曰く

 常世辺(とこよべ)に 雲立ち渡る 水江(みずのえ)の 浦嶋の子が 言(こと)もち渡る

 神の乙女が遥かに飛び良い声で歌って曰く

 倭辺(やまとべ)に 風吹き上げて 雲離れ 退(そ)きをりともよ 我(わ)を忘らすな

 嶼子がまた恋しさに勝てず歌って曰く

 子等(こら)に恋ひ 朝戸(あさと)を開き 我が居れば 常世(とこよ)の浜の 波の音(と)聞こゆ

 後の時代の人が追加で歌って曰く

 水江の 浦嶋の子が 玉匣(たまくしげ)開けずありせば またも会はましを

 常世辺に 雲立ち渡る 多由女 雲は継がめど 我そかなしき

◆日本書紀
 雄略天皇の時代、二十二年に浦島子の記事が掲載されている。

 秋七月に、丹波国余社郡(よぎのこほり)管川(つつかは)の人水江(みづのえの)浦島子(うらのしまこ)が舟に乗って釣をし、とうとう大亀を得た。たちまち乙女に成った。ここで浦島子は愛でて妻にし、互いに従って海に入り、蓬莱山(とこよのくに)に到り、仙人たちに巡り合う。この話は別巻にあり。

◆万葉集
 万葉集にも浦島子を詠んだ歌がある。

 水江(みづのえ)の浦島子(うらのしまこ)を詠む一首 并せて短歌

春の日の 霞(かす)める時に 墨吉(すみのえ)の 岸に出(い)で居て 釣舟の とをらふ見れば 古(いにしえ)の ことそ思ほゆる 水江の 浦島子が 鰹(かつを)釣り 鯛(たい)釣り誇り 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行(ゆ)くに 海神(わたつみ)の 神の娘子(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向かひ 相とぶらひ 言(こと)成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海神の 神の宮の 内の重(へ)の 妙(たへ)なる殿に 携はり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世の中の 愚か人の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も語らひ 明日のごと 我は来なむと 言ひければ 妹(いも)が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅めしことを 墨吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて 怪しみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年(みとせ)の間(あひだ)に 垣もなく 家も失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥(たまくしげ) 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥(こ)いまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消(け)失(う)せぬ 若かりし 肌も皺(しわ)みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後遂に 命死にける 水江の 浦島子が 家所(いへどころ)見ゆ

 反歌

常世辺に 住むべきものを 剣太刀 汝(な)が心から おそやこの君

◆余談
 関東の里神楽を観たのは橘樹神社の浦島太郎が初めてだったのだけど、昔話が題材でもいいんだと思わされた。関東の里神楽では他に桃太郎なども演目化されているようだ。

 浦島太郎は昔話なので、それほど難しくはないかなと考えていたのだけど、古典の様々な文献で語られており、また浦島太郎に関する論文もかなりあったので、案外手間取った。

◆参考文献
・「御伽草子」(市古貞次/校注, 岩波書店, 1958)pp.337-345
・「風土記 新編日本古典文学全集5」(秋本吉郎/校注・訳, 小学館, 1997)pp.472-483
・「日本書紀2 新編日本古典文学全集3」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1996)p.207
・「萬葉集2 新編日本古典文学全集7」(小島憲之, 木下正俊, 東野治之/校注・訳, 小学館, 1995)pp.414-417
・「日本民族伝説全集」第九巻(藤澤衛彦, 河出書房, 1956)pp.163-174
・「柳田国男全集」第二十一巻(柳田国男, 筑摩書房, 1997)※「海上の道」所収。「海神宮考」pp.416-451
・「日本昔噺」第三冊(巌谷小波/編著, 臨川書店, 1981)
・「浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生」(三浦佑之, 五柳書院, 1989)
・「ものぐさ精神分析」(岸田秀, 青土社, 1977)pp.194-202
・牧野陽子「海界(うなさか)の風景~ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説~(一)」「成城大学経済研究」第191号(成城大学, 2011)pp.1-23
・牧野陽子「海界の風景~ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説~(二)」「成城大学経済研究」第192号(成城大学, 2011)pp.1-30
・牧野陽子「海界の風景~ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説~(三)」「成城大学経済研究」第193号(成城大学, 2011)pp.1-31
・坂田千鶴子「龍王の娘たち」「東邦学誌」第32巻第1号(東邦学園大学, 東邦学園短期大学, 2003)pp.71-78
・武笠俊一「玉匣から玉手箱へ―浦島伝承史考―」「人文論叢 三重大学人文学部文化学科研究紀要」第24号(三重大学人文学部, 2007)pp.75-84
・秋谷治「浦島太郎――怪婚譚の流れ」「国文学:解釈と教材の研究」22(16)(320)(學燈社, 1977)pp.102-103
・日高昭二『「お伽草紙」論――心性としてのテクスト』「国文学:解釈と教材の研究」36(4)525(學燈社, 1991)pp.76-83
・下澤清子「浦島説話の変遷」「奈良教育大学国文:研究と教育(4)」(奈良教育大学国文学会/編, 1980)pp.27-37
・「ヨーロッパの昔話 その形と本質」(マックス・リュティ, 岩波書店, 2017)
・「群書類従・第九輯 文筆部・消息部)(塙保己一/編, 続群書類従完成会, 1932)※巻第百三十五 続浦嶋子伝記 pp.327-333


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2019年8月16日 (金)

国定教科書の産物――三浦佑之「浦島太郎の文学史」

三浦佑之「浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生」(五柳書院)を読む。浦島太郎は民間伝承に起源を持つ口承文芸ではなく、中国の神仙小説に影響を受けた文学であるという内容の本。

我々が現在知る浦島太郎は巌谷小波の日本昔噺のものをベースにしていて、それが国定教科書に採用されることで普及したとのことである。

中世の御伽草子から巌谷小波の浦島太郎には、亀を解放してそのお礼に竜宮に招かれるという放生譚と報恩譚が見られるが、古代の浦島子にはそれは見られないとのことである。

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2019年6月30日 (日)

伝説から昔話へ――渡廊下の寄附

◆はじめに
 「まんが日本昔ばなし」で「渡廊下の寄附」がアニメ化されている。出典:大庭良美(未来社刊)よりとあるので、未来社「石見の民話 第二集」である。島根の昔話として紹介されている。演出:あがわさち、文芸:沖島勲、美術:阿部幸次、作画:塚田洋子。

◆アニメのあらすじ
 昔、ある村に分限者(お金持ち)がいた。あるとき村の橋が壊れたので和尚が橋を建て替える寄附を募る手紙を出した。手紙を読んだ分限者だったが、村でどんな災難があっても、びた一文出したことがなかった。今度も持ち合わせがないといって使いの小僧を帰した。村人たちはなけなしの金をはたいて橋や道の修理をしていた。こんな分限者にお寺の和尚は何とかしなければと考えていた。ある雨の日、和尚は本堂と母屋を結ぶ渡り廊下を作ることを思いつく。分限者に手紙を書くが、分限者は生憎持ち合わせがないといって使いの小僧を帰した。そこで和尚は分限者の許に直接赴いた。人間、一生に一度はよい事をしないと地獄に堕ちると告げる。強かな分限者も和尚のこの言葉には堪えた。寄附は幾らと訊くと、和尚は一両と答えた。分限者は寄附というと五、六十両くらいを思い浮かべていたので、和尚の申し出に乗って一両だけ渡した。こうしてお寺の渡り廊下が建てられた。和尚は分限者の功徳だと言う。それから間もなく、分限者は急な病で死んでしまった。けちだとは言っても分限者なので葬儀は盛大に行われた。幸い天気もよく野辺送りも滞りなく行われていた。ところが途中まで来たところで晴れていた空が急に黒雲に覆われた。と、なにやら得体の知れない黒雲が行列の頭上を飛び交いはじめた。黒雲の中から巨大な手が現れて、分限者の棺を取ってしまおうとした。和尚は「待て、廊下、渡り廊下」と叫んだ。和尚が大声で二度叫んだところ、どうしたことか黒雲は動きを止めた。手は分限者の棺を元に戻した。そして黒雲は去っていき、空は晴れ渡った。和尚はあれは火車といって強欲な人が死ぬと死体を地獄に運びとって喰う魔物だといった。分限者は強欲だったが、生前に良い行いを一つだけしていた。それが渡り廊下の寄附だ。火車もそれを忘れていたので、それを教えたのだと言った。和尚は生前、分限者に良い行いをさせるために渡り廊下の寄附を無理やりさせたのだ。こうして分限者の野辺送りはおだやかに行われた。

◆未来社「石見の民話」
 「石見の民話 第二集」の粗筋は下記の通りである。

 あるところに分限者がいた。とてもケチでお寺の寄附なども色々言い訳をして中々出さなかった。檀那寺の方丈は何とかして功徳を積ませないと死んでから罪に落ちると考え、近頃の寺の渡り廊下が痛んで歩くのに危ないようになったので寄附をして欲しいといった。分限者は寄附というと五両も十両もいると考えて嫌な顔をしたが、和尚が一両もあれば充分だと答えたので、喜んで一両出した。

 ところがそれから間もなく分限者は急病で亡くなってしまった。葬式の日は何と言っても分限者だということで大勢の人が来た。幸い天気もよく、坊さんもお経をあげ焼香した。すると急に空がかき曇り、真っ黒い雲が棺を狙って舞い降りてきた。檀那寺の方丈は鉄の如意を振りかぶって「廊下、廊下」と大きな声で叫んで黒雲めがけて投げつけた。すると黒雲は直ちに天上へと舞い上がり、空はもとのように晴れた。

 黒雲は火車で、棺の中の死体をさらうために来たのだった。火車は強欲な人が死ぬと死体をとって喰う魔物だ。居合わせた他の坊さんたちは方丈の「廊下廊下」という一喝の威力に驚いた。方丈は、分限者が強欲で死んだら火車に取られるようなことになってはいけないと思い、渡り廊下の寄附をさせてその功徳で救ったのだと教えた。

◆火車
 アニメでは巨大な手として描かれていたが、Wikipediaの該当項目を読むと猫の妖怪、または猫又だとされている。

山形県では昔、ある裕福な男が死んだときにカシャ猫(火車)が現れて亡骸を奪おうとしたが、清源寺の和尚により追い払われたと伝えられる。そのとき残された尻尾とされるものが魔除けとして長谷観音堂に奉納されており、毎年正月に公開される[16]。この話はまんが日本昔ばなしで「渡り廊下の寄付」の元とされ妖怪火車として登場している。

とある。「まんが日本昔ばなし」でアニメ化されたのは石見の昔話であるが、原典は山形県の伝説だとしている。どうして山形県の伝説が島根県石見地方にまで伝わったのだろうか。単純に考えると、書承ということになるが、「石見の民話」の原話としては「佐々木義雄昔話集」が挙げられている。おそらく昔話を百話レベルで記憶していた人の語りを昔話として採録した本だろう。口承でも相当数の昔話を継承していた人だと思われる。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースで火車を検索すると、30件ヒットする。山形県の事例は登録されていないようだが、全国的にも人気のある妖怪だと言えるのではないか。

◆参考文献
・「石見の民話 第二集」(大庭良美/編著, 未来社, 1978)pp.304-305

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2019年6月23日 (日)

おこぜと山の神と手草祭文

◆おこぜと山の神の昔話

 角川書店「日本昔話大成」第10巻ににおこぜと山の神に関する昔話が収録されている。このおこぜの話は古い神楽にも取り入れられていて人間の誕生の由来とその生まれることで汚れた場を清めたという内容、つまり場を清める神楽という意味を持っていた。

 昔、竜宮の乙姫さまがケンプを食べて、海のものではない味だったので、これは美味しい、取ってまいれとオコゼの次郎に命令した。オコゼの次郎は山を越え谷を越え、ようやくケンプの木を見つけたが、それを王大神山の神が見とがめる。山の神はオコゼを殺そうとしたので、オコゼは山の神は年をとっても独り身だ。竜宮の乙姫さまも妙齢だが独り身だ。私が二人の仲を取り持ちましょうと言い逃れる。オコゼは乙姫さまをらんごの浜へ遊びに誘う。そこで山鳥を見た乙姫さまはあの山鳥を捕まえろとオコゼに命じる。オコゼは山鳥を捕まえて乙姫さまに渡した。すると乙姫さまの体の調子が狂って懐妊してしまった。山鳥は器量の悪い山の神が変じたものだったのである。仕方がないので乙姫さまは山の神の所へお嫁にいった……という話。

 大昔、山の神がいた。山の神は不器量だったので嫁がいなかった。あるとき美しい鳥に変化して海辺で遊んでいたところ、乙姫さまが抱きかかえた。乙姫さまは懐妊し、九万九千の人間が生まれた。ところが産湯をつかうのに困って、芋ころ籠に入れて水の中で揺すったので、身体に不具合を持つ人間も生まれた。そして粟や稗(ひえ)を食べさせて人間の数が増えた……というお話。

◆手草祭文
 広島県比婆郡戸宇の栃木家に蔵されていた慶安時代の能本に手草(たぐさ)祭文が収録されている。主人公は宝蔵太子となっているが、おこぜと山の神のモチーフが取り入れられている。そして龍女姫のお産で穢れたので、七日七夜の神楽を修して清めるという流れになっている。

 昔の山之御主をば荒平明神と申す。中比の山之神をば藤平明神と申す。今の山之御主を社九山(せん)の主山之御神と申す。
 宝蔵太子の本地を尋ねると、父がくん王、母が貴船明神である。
 正月三日に誕生したのを藤右御前と申す。本地は馬頭観音で垂迹垂れて天大将軍と申す。
 十三日に誕生したのを藤右御前と申す。本地は毘沙門で垂迹垂れて中代将軍と申す
 二十三日に誕生したのを藤松御前と申す。本地は毘沙門天で垂迹垂れて地大将軍と申す。
 宝蔵太子の由来を尋ねると、須弥山から丑寅の方向に忉利(とうり)山とひ村山と二つの山がある。谷に七社あり、こぜんの木の元の壇社が宝蔵太子の社である。
 宝蔵太子は四十ニ歳になったが、未だ定まった妻がいなかった。龍宮の使わしめの女房の中に十五夜殿という絵の上手な女房がいて、その女房が書いた絵姿女房が風に舞って太子の膝元に落ちてきた。絵姿女房の龍女姫に太子は心を奪われてしまった。早速手紙を書いて龍宮に届けたが返事はなかった。六度まで届けたが返事はなかった。
 七度目の文を書いたけれども、龍女姫は龍宮の王に遠慮して返事を出さなかった。宝蔵太子は恋の病に臥してしまった。
 龍宮の十二人の使いの女房がいて、その中におこじ(おこぜ)の前がいた。おこじの前は太子の恋の病を聞いて、太子の許にやってきた。
 おこじの前は七月七日おつとの渚こうごの浜に龍女姫が浜遊びにおいでになる。そのとき太子はきん長という鳥に変じて菩提主の一の枝に止まれ、そのとき龍宮から十二丁の輿が出てくるから、その中の網代の輿の物見に止まれと助言した。
 そこで宝蔵太子はきん長という鳥に変じて、こうごの浜の菩提主の枝にとまって待っていたところ、おこじの前がやあ、美しい鳥がいますと声をかけ、輿の中に導いた。その鳥は宝蔵太子だった。
 そのとき七日間の日限の約束をして太子は九山に帰った。龍女姫は龍宮に帰って龍宮の王に事の次第を話したところ、王は大層喜んで、十二の輿に数万人のお供をつけて九山に送った。懐妊した龍女姫はつわりとなり、山に三十三の畜類、川に三十三の魚類、海に三十三の鱗のつわりとなった。産屋にいかなる宮殿楼閣を建てようとしたが、龍女姫は必要ない、ただ茅(ちがや)の蓆(むしろ)を七枚半編みなさいと告げた。蓆を編んだところ、二枚の上に二千人、五枚の上に五千人、半分の上に五百人の御子を一夜の内に設けた。
 その産声に天地が穢れたといって諸天がとがめた。清めようといって大ごが峠に八間の神殿を建て、七千五百本の幣を立て四方に注連縄を引き、天上には白蓋(びゃっかい)を置き、下には万畳を敷き、大太鼓を据えて、六十六人の巫女と法者に七日七夜の神楽を舞わせた……という内容。

※これは手草祭文に私独自の解釈で漢字を当てたものです。間違っている箇所が多々あるものと思われますのでご注意ください。

戸宇栃木家蔵慶安四年手草祭文

手草之大事

一 手草葉のその古(いにしえ)は知らねども 神の社は伊勢とこそ聞け

一 手草葉に結い垂(しで)つけて舞払 所堅めに参るなりけり

一 阿波の国鳴門が瀬戸に神立ちて 手草板葉は是にまします

一 そもそも山は父 川は母 海は男の嶋とかや 三つの御門(みかど)を押し開き 今こそようこふ(影向)おわしますなり

一 抑(そも)四天の舞台(ふたい)に花立てて 悪事の枝を撒い散らし 福の枝をば盛り遊ぶなり

一 抑(そも)つくし野草が滝と申には 昼空へ咲いたる葉は結い柴と申 夜下へ咲いたる葉は逆(さか)し葉と申 今と譜代は申(もふ)そべきままに 竹の葉などと申なり 竹の葉に神付ものと知りたらば 駒には食(はま)せし撫でて早沿ふ

一 抑(そも)昔之山之御主をば荒平の明神(めうちん)と申 中比之山之神をば藤平(とうひら)の明神と奉申 今之山之御主を社九山(千)之主山之御神と奉なり

一 されば宝蔵(ほうぞう)太子之御本地を詳しく尋奉に、父をばくん王と申奉る 母をば木ふねえ(貴船か)大明神と祝い奉るなり

一されば正月三日に御誕生(たんちやう)なり給いしをば 藤王御前と奉申使わしめをば千目童子と申 本地虚空蔵菩薩にてましませば垂迹現れて天大将軍(ちやうぐん)三代の明けん(冥見か)と祝い奉るなり

一 十三日に御誕生(たんぢやう)なり給いしをば藤右御前と申奉る 使わしめをば一童二童と奉申 本地を馬頭(ばとう)観音にてましますば 垂迹現れて 中代将軍(ちやうぐん)三宝太蔵と奉申なり

一 廿三日に御誕生(たんぢやう)なり給いしをば 藤松御前と奉申 使わしめをばわく王童子と申なり 本地毘沙門つち王とてましませば 垂迹現れて 地大将軍(ちやうぐん)山之御神と奉申なり

一 然者宝蔵太子之由来を尋奉に 須弥山(しうみせん)より丑寅に当たつて忉利(とうり)山ひ村山とて 二つの山あり 此山に堅固としたる谷あり此谷に中宮とて七社之社御座 此山に七本之植木(うゑき)あり 中にもこぜん(胡髯か)と結いし木あり 此木之元の社壇社(こそ) 宝蔵太子の社なりける 舞切り

されば宝蔵太子し(衍)御年四十ニ歳になり給ゑ共 未だ定まる妻もましまさず されば龍宮(りうくう)二十二人之使わしめの女房あり 中にも十五夜殿と申し 絵(ゑ)の上手(ぢやうす)にてましませば 我(わが)し憂きとは思得共(おもえども) あまりつ慈しくましませば 紅梅の檀紙(だんし)に竹之薄様(うすよう)引思 花園に盛り参らせ 花に戯れ遊ばせ給ゑば 何(いず)れが花 何(いず)れが絵女房共見へざりけり 姿を見れば春の花 形を見れば秋の月 十原十(とお)の結いをも瑠璃を延べたる如くなり

されば俄かに風吹き来て 龍女姫をば虚空(こくう)にふき上げ 何国へ(ゑ)も行くかと思(おもい)し 水(みな)紅(くれない)の扇(あおき)を三間開き 第三度仰がせ給えば お膝の上に折居御座す 袖の下を御覧じ給えば 龍宮の乙姫に龍(りう)女姫是なりと書きつけましましは是社(こそ)恋とはなり給(たも)うなり

其時玉梓(たますさ)を成りまつらせんと思し召し、紅梅の檀紙(だんし)に竹の薄様(うすよう)引く重 大坂山の鹿が撒き筆取出し こうろぎ色なる墨擦り流し 筆染めて思召す言の葉(事之は)を 打はゑ打はゑ遊(あす)ばして 松皮斐紙(ひし)に出し止め 山方ように押し納 南風にまかせて龍宮(りうくう)へ(ゑ)と届け給へ共 御返事更にましまさず

書いては届け書いては届け六度迄届け給ゑ共 然(しか)くの返事は更になし

其時七度目の文を参らせんと思食 七度目の文の文章(ぶんしやう)こそ面白けれ 吹く風の便り嬉しき水ぐきの 後は恥ずかしく(はすか敷)は思ゑ共 相隔たりての事なれば 思いやる小夜春小夜春と 程は雲井に益荒(ますら)方 自ら人故(ゆゑ)に身に憂き宮の増鏡 かけて入相突くすぐ(く)と 枕のなんだ床の塵 払い萌ゑん我袖のきりさ蓆(むしろ)の一人寝は 野寺の鉄(鐘か)の入相(いりやい)の 心尽きぬか花の色 袖を並べて思うには 鮑(あおび)の貝の方(片)思い 羅天(らてん)の月の明け方に 吹き来る方みを見るからに 袖にても書集めたる 藻塩(もちお)草 君の見るのも恥ずかしや 此文煙と御成し候へとかき集め給ゑて 龍宮(りうぐう)へ(ゑ)届き給へど 龍(りう)女姫 龍宮(りうぐう)の王に憚りお仕なし候て 御返事更にましまさず

一 其時宝蔵太子は恋の病に臥し転(まろ)び給(たも)う されば龍宮(りうぐう)十二人の使わしめの女房あり 中にもおこじ(おこし)の舞(前)と申すは此模様(もよ)を聞し召し やら労わしや宝蔵太子は恋の病(やもう)に沈み給(たも)うと承る 安からいで 恋を止めて参らせんと思食 龍宮(りうぐう)を忍び出で 九山に移り宝蔵太子の枕上に立ち添い宣う様は 自らと申は龍宮(りうぐう)のおこじの前(まい)にて候が 宝蔵太子は恋の病に沈み給(たも)うと承る 自ら恋を止めて参らせんがために 遥々参りて候と宣ゑば 宝蔵太子は大に喜び かつぱ(かつは)と起き上がり給(たも)うなり

いかに宝蔵太子承れ 龍(りう)女乙姫と申せしは 七月七日の日おつとの渚こうごの浜へ浜遊びに出で給わろうすぞよ 其時宝蔵太子は 金鳥(きん長)と云し翼に返(変)じて おつとの渚こうごの浜の菩提主の木の一の枝(ゑた)に御待候へや

其時龍宮(りうくう)大王から十二丁の輿出てくるならば 中に網代(あじろ)の輿に目を掛けて 輿の物見に止まり給ゑや 其時自ら進み出で 御取合申べし 由をばこう社(こそ)受けば給われ 舞切

一 其時宝蔵太子は 金鳥(きん長)と言(ゆ)う翼に変じ おつとの渚こうごの浜の菩提(ほ大)主の木之一之枝(ゑた)に御待候へば 十二丁の輿出(い)で来るなり 中にも網代(あしろ)の輿に目を掛けて 輿の物見に止まり給へば 其時おこじ(おこち)舞(前)は進みいで やら慈しき鳥にてましましたる こしの内より合わし給え(たま得)と宣えば 輿の内より合わし給ゑば 鳥ではなくして宝蔵太子にておわしますなり

一 其時七日の間に日限の約束を召され候て 太子は九山に移り給ゑば 龍(りう)女姫龍宮に御帰(かや)り合つて 龍宮(りうぐう)の王に此由を語り給えば 王は大に喜び給いて 十二丁の輿 数万人之人に御供申 九山に移し給ゑば 一日二日一月二月一年二年と送留めされ候へば つわり猶社(こそ)召されけれ 山に三十三の畜類 川に三十三の魚類 海に三十三の鱗(うろくす) 九十九しらのつわり猶こそ召されけれ されば御産の紐(ひぼ)にも近付給いて 産屋と乞い給(たも)う 如何なる宮殿(くうでん)楼閣 八つ棟造りの唐の小御所(こごしょ)も奉らせんかと宣え(得)ば いやいや八つ棟造りの小御所も所望に候わず 自らには茅(ちかや)の薦(こも)を七枚半編ませ給われ候へと宣えば、其時茅(ちがや)の薦を七枚半編ませ祭らせ給へば 二枚が上に弐千人 五枚が上に五千人 半之上に五百人 七千五百の御子をば只一夜の間に設け給うなりけり

一 されば一人ならぬ産声(うぶごゑ)に 天地も穢れたりとて 諸天な大(おゝい)に咎め給(たも)う 夫易き間之事にてまします 清めて参らせんとて 大ごが峠(たわ)に八間に神(かう)殿を打 平三尺に打 綱をば得(ゑ) 七千五百本の幣を佩き立て 四方に千道(ちぢ)の御注連(みしめ)を引 空には白蓋(ひやつかい)百六の玉の幡 紺青(こんぞう)横山霧霞 下は万畳(ばんぢやう)八重畳み、大え太鼓をかき据え 六十六人の巫女(みこ)と法者(ほうしや)を撫で据えて 七日七夜の間韓神(からかみ)神楽と奉申なり

一 さて社(こそ) 衆罪(しゆざい)の露は結べ共、智恵(ちゑ)の日は消ゑ易き物 峯高くして万(満)月の影落とす 谷深くして法華(法花)読誦(どくぢう)の御寵かすかなり 峯の霧不払 木末(小すゑ:梢)の嵐を散らし申 二つが如く 謹言(きんごん)上に申奉なり
 慶安四年辛卯□□(破損)下旬書之
  戸宇村官□(不明)
 栃木山城之守

◆改変された手草祭文

 岩田勝「神楽源流考」によると、江戸時代初期には手草祭文は上記のような内容だったが、時代が下り、詞章が神道流に改訂されて、天岩戸神話的な内容に改変されたとのこと。

 牛尾三千夫「神楽と神がかり」に収録された大元神楽の詞章を確認したが、手草は神楽歌のみしか記載されていない。なお、大元神楽には「手草の先」つまり、手草の次に舞われる演目として「山の大王」があり、そこでは手草の舞につられて出てきた山の神を祝詞司(のっとじ)がコミカルにもてなす内容となっている。

 八調子石見神楽では「手草」が「真榊」に改訂されている。こちらも「中央黄龍」と五龍王を連想させる字句は入っているが、物語的な内容ではない。

◆いざなぎ流祭文

 土佐のいざなぎ流の祭文も以下に掲示する。

 龍宮の乙姫様が食べたものが美味しかったので、おこぜの三郎に取りに行かせる。そのとき、山王神大代神宮を驚かせて叱られてしまう。おこぜの三郎はどこにあるのか教えて欲しいと願う。乙姫様は正月二十日に砂浜で遊びなさると告げて許しを得る。おこぜの三郎は龍宮に帰って不思議な鳥がいることを告げる。乙姫様はその鳥と戯れる。その鳥は山王神大代神宮が変化したものだった。乙姫様は懐妊する。山王神大代神宮は巨旦長者に一夜の宿を求めるが断られる。巨旦長者の嫁が巨旦は悪人だから、自分の父の将民将来(蘇民将来)に泊めてもらえと告げる。将民将来は山王神大代神宮に宿を貸す。食べるものがないので山王神大代神宮は米を三つぶ出す。それを八合の水で炊くと八合の飯となった。乙姫様のお産の紐が解ける。第一が祇園牛頭天皇、第二が天形星、第三が住吉大明神である。それから四百四病の神が生まれる。山王神大代神宮は将民将来に熟れた栗を取らせる。山王神大代神宮は巨旦長者の嫁を除いて、大夫千人、山伏千人、出家千人を含め巨旦長者を殺す……といった内容。

 意味が取りづらいので上手く要約できていないが、おこぜと山の神の話に蘇民将来の話が接続されている。以下、本文を示す。

※これはいざなぎ流の祭文に私独自の解釈で漢字を当てたものです。方言が多く、詞章の崩れも多いと見られます。間違っている箇所も多々あるものと思われますのでご注意ください。

 安永九歳
御神道けいこ本
山王神大神宮さいもん
 日浦込村 神子十太夫
(子正月十日・詞章・根須惣太夫様)

龍宮(りうぐん)海龍(かいりう)を立ぐん世界の前なる盤古(ばんご)が玉、龍宮(りうぐん)乙姫さま、折入ようご遊ばせ賜(た)び給う、龍宮(りうぐん)世界の前(まゑ)なる盤古(ばんごう)の如くのより上がる如くなり、龍宮(りうぐん)乙姫様、一つ取り上げて食べてみ給ゑ、よく美味(むま)きものにて、を己します、をこぜの太郎、止めてみよとありければ、川己せい本、訪ねに参らせこころ(ぞ歟)、高き山ゑ上がらせ給て、せい本御覧ずれば、東山口、西山口、中や阿口、御崎の御山にてぞ揃(そら)う、此の山に己たらせたもて、よくよく見給ゑば、山王神大代神宮様の昼寝をなされてをわします、其の御時にしし(椎)の神木、樫の神木、取りた、山の神の、節取たる、御山にて己します、此山の神大代神宮さま、昼寝をなされ候、其の御時、をこぜの三郎(さむろ)、しの(椎歟)神木、枝折り候、其御時、山王神大代神宮をどかせたもて(驚かせ給うて歟)、大けな叱りをなさる、其御時、をこぜの申されよ己 己れら、龍宮(りうぐん)世界の、をこぜにてぞらう(候歟)、龍宮(りうぐん)世界の前なる盤古が玉、乙姫さま、ご覧遊ばされた候ゑば、をこぜの三郎(さむろ)、不思議なるもの、流れてくる、訪ねてみよとありければ、訪ねに参りた、枝、折りぞらう(候)ところ、許いて賜(た)び給ゑ、とありければ、許したて参ろにも、し(椎)の神木、ここの葉(木の葉歟)の、散るも、惜しきものにて、をわします。されば、許いて賜(た)び給ゑば、龍宮(りうぐん)世界に己、正月廿日に己、よくよく、不思議な、砂己の阿ぞひ(遊びか)と申し、阿ぞび(遊びか)がぞらう(候)、よよくよよく、五色の花、飾り立て、面白き、ふちよ(婦女か)の 砂己の阿ぞび(遊びか)が空宇(候)、此の阿ぞび(遊びか)に 御出でなされ候(そら)ゑ とありければ、そこで、山の神大代神宮様、それに靡き、されば正月廿日に御出でなされるとの、御約束をまします、そこで七房、房中を、盗み取りたるところ、許したまう、をこぜの三郎(さむろ)、龍宮(りうぐん)館へ帰(かや)らせ給う、龍宮(りうぐん)乙姫、し(椎)の枝折り、さし阿げぞらう(候)、これ己、何と申ものぞとありければ、をこぜが ゆ己れように己、東山口、西山口、中山口、御崎の御(者)に(仁)てそらう(候)、山王神大代神宮の 節取りたる 御山で候(そら)ゑど し(椎)の神木、節取りたる山に而そらう(候)、ここの御山から、谷(た仁)の如くに流れいでてそらう(候)、又、おこぜが申されよに己、乙姫様も、正月廿日の 盤古が浜の 砂輪の遊びに 参らせぞらえ(候え)、とありければ、乙姫様も、参らせそらう(候)、其の御時に、龍宮(りうぐん)世界の前なる磯鼻を、見給ゑば、不思議なる酉が、いち己、止まりてそらう(候) をこぜに、出で来いとありければ、己れらがててままになる酉で候(そら)己ぬ、そこで乙姫様、立ち寄りて、ご覧ぞらゑば(候えば)、右(にぎ)、左八重、さざん九度の、ほろほろ、うて上ぐる、をこぜのさむろ(三郎)、ただなき酉にては、それ己ぬ、羽交(はがい)を見れば、十二さん吹きて(ふきり歟)、を己します、をこぜが申されよふ己、奥山せい本、山の神大代神宮様が、山鳥と変化をなされて御出でなされぞゑ(そう)ば、龍宮(りうぐん)乙姫様、龍宮(りうぐん)館ゑ帰(かや)らせまたう(給う)、く己きの、うとろ舟を、作らせ給ゑ、乙姫、く己の木の、うとろ舟に乗せ流せば、川せい本より、流れいく、東山口、西山口、中山口、山の御前に、上がらせ給ゑば、山王神大代神宮様、折居りようご(ようごう)、遊ばれそら(候)ゑば、流され人壱人、上がらせぞらう(候)、山の神の取上、よくご覧すれば、龍宮(りうぐん)乙姫にてを己します。己れら、杉屋の手にて、そら(そう)己ぬ、山王神大代神宮のをせに(をうせ:仰せ歟)己、打飯(たはん)仕ぞらゑ(候ゑ)とありければ、打飯(たはん)仕ろにも、打飯(たはん)袋が、ござそら(候)己ぬ 山王神大代神宮 覆いを 御とりどりの絵で、乙姫、白ハン袋、黒ハン袋、青(阿を)ハン袋、十二さん袋、乙姫に己たす、そこで 打飯、始め立て参る、山王神大代神宮、ことと置く、立て参る、手の内、貰い奉り、東こ巨旦(こたん)舘(やうか)ゑ(へ)、参りて、手の内を、賜(た)び給ゑとありければ、手の内、やることも 、ならん、殿仰せなり、されば己れが、ひがい(梭貝か鰉か)きくれたが、一夜の宿、貸し給ゑ、とありければ、宿も、得貸し不申とをせなり(仰せなり歟)、巨旦(こたん)長者(ちよざ)の、嫁のい己れよに輪、を欠くも、裏ゑま己れ、とありければ、くみちやして奏上、御客僧(をかくぞ)に己、この所に宿とるな、巨旦長者(ちよざ)己、大悪人にてそらう(候)、此ゟ(より)西ゑ当たりて、将民と申己、我が、親にてぞらう(候)、将民宅かと、訪ね行け、一里の内外ゑ(ないく己い歟)、参りて、将民が宅かと、訪ねてみれば、されば、将民がか宅と己、此の所にて、そらう(候)、旅人にて、を己しますが、一夜の宿、貸し給ゑとありければ、宿貸す己、易きことに、候ゑども、ここの所に己、五穀を、作らぬ所、食ぶるものが候己ぬ、食ぶる物いるまいと 直ぐに、やり取り候ゑば 将民が所の、穏婆(おんば)の、ゆ己れよに己、五穀、候己ず、よめし(ようめし歟、夜飯)、炊いて上る、事ならず、山の神大代神宮様の、大(をゝ)たる、笈(をい)の、蓋開けて、米三つづ、取出だし、よめし(夜飯)、炊いてくれとありければ、受取て、ご覧候ゑば、この三つづの米が、炊かれるものか、とありければ、そもすな(そう申すなカ)、炊いてみよ、七度(たび)洗いて、水八合入て、叩き立て参れば(炊き立て参ればカ)、三つづの米が八合に増え生きて、さて福神(ふくじん)な、お斯くや、よう(夕)飯奏上候(ぞら:そうら)ゑば、夜の子丑の刻稲荷(ゑなり)行けば、此れの嫁御様、塩梅己るござろうぞ、されば、一昨日の、巳午の刻□(からカ)、塩梅己るござろぞ、夜の子丑の刻に、御産(ござん)の紐(ひぼ)が、解けいく、四百しべを(しべう:四病)の病(やまい)の神、巨旦(ごたん)上候(ぞらう)、引き上げ、親将民が所のお婆、臼中ゑ引き上、親となる、山の神の仰せ(をセ:ををセ)に己、先づ、一番に、引き上げる己、祇園牛頭天皇と、名を連れ候(そらう)、二番に、引き上る己、天けしやう(天形星)殿と名をつける、三番目に引き上る住吉大明神、と名を付ける、その、残りた、御子己、目ない神、御手ない神、鼻ない神、口なき神、背ななき神、腹なき神、手なき神、足なき神、悉く、名を付けて、四百しべの(べうの:四病)、病(やまい)の神と、名を付くる、将民が申(も)され様(よ)に己、負(を)ぶい、炊かねばならぬが、五穀が候(そうら)己すして、負(を)ぶい、炊かねばならぬが、五穀が候己ずして、負(を)ぶい、炊くことならず、大神の仰せ(をせ)に己、将民将来(蘇民将来)、一昨日の巳丑の刻(ごく)に、東東方(とぼ)山に、栗を三合三才撒いたそうな、此栗が熟れたぞ、刈りて来い、負(を)ぶいに炊く、己れが、を一昨日の、巳午(みむま)の刻に、撒いたる栗が、生えも す(する)ものか熟れもするものか、将民、ぞもな(そう申な歟)、己れが宿己、七十五日 掛け様(やう)、宿将民将来(蘇民将来)が、東山ゑ、見に参らせ候(そうろ) 刈り取り候ゑて、いりあ栗にして、負(を)ぶいに、交(か)いに、炊き候(そらう)、人間(にんげ)の、負(を)ぶいに己、栗を炊かぬと申すも、その因縁、山神の仰せ(をせ)に(仁)己、東巨旦長者(ちよざ)が、舘ゑ、四百しボ(しべう:四病)をの、山の神を入て、殺いてやらねばならん、将民将来(蘇民将来)、見てこい、巨旦長者(ちよざ)の舘、見給ゑば、太夫千人、山伏千人、しうけ(出家か)が千人、三千人揃ゑて、屋のご祈祷(きと)なされる、しし蜂と、へげん(変化か)をなして、入り奉ば、さはらと、広まり、奉る、三千人、凪ぎ干スごとく、巨旦長者(ちよざ)の、嫁を、水取として壱人、助けてくれとありければ、将民が此にて候(ぞらう)、助けて、とらすると、かんまんぼろんと言(ゆ)、肌守(まぶ)りを掛きて、掛け差して、門に吉上、梵字の札打ち止むるも、その因縁で、を己します、ただ今今日の、此の山王神の祭文の、功力よて(によって歟)、恐(をぞ)れを成すな、七段、七福、ぞこぞこ、めつきう(滅却か)す、祝詞(のりんと)、行ない参らせ候(そろ)
 安永九年
  子ノ正月十二日うつし〆
 日浦込ノ千太夫

◆御伽草子
 参考までに御伽草子の「をこぜ」を掲示する。山の神がおこぜの姫さまに一目惚れしてしまい、カワウソが仲を取り持つという粗筋である。

 山桜は自分が住む辺りの眺めなので珍しくはない。春のうららかな季節は浜辺こそが実に見どころの多いことだ。女波(男波の間に打ち寄せる低い波)と男波(高く勢いよく打ち寄せる波)が互いにうち交わし、岸の玉のような藻を洗うところに千鳥が浮き沈んで鳴く声もなおさらである。沖を行く舟の風がのどかで帆をかけて走る、歌を歌う声がかすかに聞こえて、なんとはなく見るのも、とても趣きが深いことだ。塩を焼く煙が空に横たわるのは、誰の恋路に靡くのだろうか。向こうの山から柴をいう物を刈って運ぶのに、花を手折ってさし添えたのは、情趣を解さないはずの海人(あま)の技で、優しくも思えるかな。山の奥では見慣れないことも多い。山の神が集まって色々の興に乗じて一首詠んだ。趣がありそうだけども、心ばかりはこうであろうか。

 柴木とる海人の心も春なれやかざす桜の袖はやさしも

とうち詠んで、あそこここをうろうろと迷い行く

 ここに、おこぜの姫といって魚(うを)の中では類ない優者(やさもの:しとやかで美しい人)である。顔つきはかながしら、赤めばるとか言うものに似て骨が高く眼(まなこ)が大きく口が広く見えるが、十二単衣を着て、数多の魚を伴って波の上に浮かび出でつつ、春の遊びをなさる。和琴をかき鳴らして歌を歌う声を聞くと、ほっそりしているがひどく訛って

 ひく網の 目ごとにもろき わが涙 かからざりせば かからじと 後は悔しき 漁師舟かも

と歌いつつ、琴を弾く爪の音も高く聞こえた。山の神はつくづくと立ちながら聞いて、おこぜの姿をみるよりも早く物思いの種となって、せめてその辺りへ近づいてもと思ったけれども、水泳の心得を知らないので、これも叶わず、浜辺にうずくまって、こちらに来るように手招きすれば、「ああ、憂いことだ。見ている人がいる」といって水底へと入って行った。

 それにしても、山の神は、衣の裾を引くのがちらと見得たおこぜの君のお姿を今一度見たいと思って立ち浮かれ、明け暮れてもその方で伺っているけれども、二度と出てこないので、日もようやく西に傾いたので、しおしおとして山の方へとたち返って、昔の在原業平の様に起きもせず寝もせず夜を明かして、これの面影が忘れられず、胸が一杯で、悩ましい心地で木の実や榧(かや)の実などを取り食うけれども、喉へも入らず、ただ恋しさが勝る草の露と消えようかと思うけれども死にもせず、こうしてその夜も明けたところ、また浜辺の道に立ち出でて、もしやと思う心を頼りにして、もしやおこぜの君が浮き上がるのではないかと沖の方を見やるけれども、白波が打ち寄せて、おこぜの君は影も見えない。山の神は涙を浮かべて枝を折って道しるべとして、うつらうつらとまた住処に立ち帰り、どれほどであろう玉すだれの隙間から漏れ来る便りもあれよ、せめて思いの程を知らせて、死んだ後までこうとまで思い出したら、来世の罪も少しは軽くもなるだろうを、山に棲む物は水の案内を少しも知らず、また水に棲む仲間は山のことは勝手不案内なので、語らって寄ることもならず、どうしようと、大きな息をついて思案する。いやはや、腹筋もよじれて他所から見てもおかしい。なので、「都の内、因幡堂の庇(ひさし)の端にある鬼瓦は古里の妻の顔に似て都だけれども旅なので恋しい」といってさめざめと泣く人の心まで思い出して、一人笑う。

 こうしたところへ川獺(カワウソ)が来たところ、山の神が申すことには「いかに貴殿は水泳の心得を知っていらっしゃる。かくかくしかじかのことがあります。手紙を一つ遣わしますので届けてくだされ」と言った。カワウソは聞いて「そのおこぜは極めて見目が悪くございます。眼が大きく骨が高く口が広く色は赤い。さすがに山の神がこれらをお思いするといっても、人聞きが悪く思われるのもおこがましいことです」と申したところ、山の神は「いや、それはあなたの偏見か。女の目には鈴を張れということもあって、目の大きいのは美女の相です。骨が高いのは貴人の相です。口の広いのは智恵賢い印です。どこにも隔てのない君なので、誰に見せようとも、心を迷わさないことがどうしてか無いでしょうか。そのように悪く噂するのは世の習いですぞ」と言って思い入った有様、まこと、縁があればあばたもえくぼに見える習いかなとおかしさは限りない。「ならば、お手紙を書き給え。伝えて参りましょう」と言ったので、山の神は嬉しさを中々言葉で尽くせない。手紙を書こうとすると、硯も筆もない。ただ木の皮を引きむいて思う言葉を書いた。「さてさて思いも寄らない事ながら、一筆とりましょう。いつぞや、ひそかに浜辺に出て春の海面を眺めていたところ、波の上のお遊びと見えて、和琴をかき鳴らし歌を詠まれたお姿をよそから見て、花ならば梅桜がたおやかで、糸柳の風に見られる風情は一層鮮やかに奥ゆかしく見えました。我が身は深い山の木々の埋もれ木で朽ち果てていくのに力もありません。思った末の残りなので、君の身の上をどうしましょうか。せめて手が触れた印としてお返事を下されば、うれしく思います」と書いて、奥に

 かながしらめばるの泳ぐ波の上見るにつけてもをこぜ恋しき

と詠んで、カワウソに渡した。

 かくてカワウソはますますおかしくて笑いたくなりつつも浜辺に立ち出でて海の底へつぶつぶと泳いでいって、おこぜの姫に対面してかくかくしかじかと語ったところ、おこぜはこれをお聞きになって、思いも寄らない事かなと言ってお顔をとても赤くして、手にも取らなかった。カワウソは「あらつれないことだ。藻に棲む蟲の割れた殻と濡らす袂のその下にも、情けは世に住む身の上になくてどうしましょうか。楢柴の仮の宿の契りでさえ思いを晴らす習いですぞ。ましてや、これは常ならぬ事で、後は契りの底深く恋に沈んだその心を、どうしてむなしく過ごしましょうか。塩を焼く海人(あま)の煙でさえ思わぬ方向に靡きましょう、春の柳が風吹けば必ず靡く枝ごとに、乱れた心の哀れさを少しは思召されよ」などと様々に申したので、おこぜの君はつくづくと顔をしかめ、さすがに石や木ではないので、例の赤ら顔で恥ずかしくあったけれども、「さても思いも寄らない筆跡、お心の程もとても哀れに思いますけれども、ただほんのひと時の言の葉、上辺だけ情けをかけられましても、憂き世の習いとはいいますけれども、秋になって草々が枯れた時は真葛が原(葛の生えている原)に風が立って、恨み顔だろうけれども、そうは言うものの、慣れて後はどうしましょう、とにかく、この事をお許しになって昔から見なかった(逢わなかった)とお思いになるのがましでしょう。今の思いに比べればと申すこともあるので、術もないでしょうか。また、自分は青柳のような糸、そなたは春風でいらっしゃると心に決めます」と言って

 思ひあらば玉藻の蔭に寝もしなむひじきものには波をしつつも

とうち詠んでカワウソに渡したので、喜んで立ち帰り、山の神に見せたところ、まず嬉し泣きに泣いて涙を流し、急ぎ開いてみたところ、我が身を青柳の糸とし、君は春風と吹くというのは、靡いたということだろう。「ならば、今宵、おこぜの君の許へ参るべし。いっそのこと、貴方が道しるべとなってください」とおっしゃった。「容易いことです。お供しましょう」と言う。

 こうしたところに、タコの入道がこの事を伝え聞いて、「さて、無念の次第だなあ。自分もおこぜの許に度々手紙をやったけれども手にも取らなかった。遺恨と思うところに文武のどちらでもない山の神の方へ靡こう返事をすることが心のどかでない。自分は法師の身なのでと侮ってこのように易々と靡くとは。イカの入道はいないか。押し寄せておこぜの姫を踏み殺せ」と八手を広げ、さわさわと這いまわって大声で叫んだ。

 イカの入道は傍にいたが、申すことに「同じならば、ご一門を召し集めて、その後で決心し給え」と申したので「そうだ」と言って、アシダコ、手長ダコ、クモダコ、ハリダコ、イヒダコ、コトウダコ、アヲリイカにスルメの次郎、いずれも一家(いつけ)の親族(しぞく)なので言うには及ばず、他家の人々、大名小名によらず集まった。

 おこぜの君は、このことを伝え聞いて、このままここに居るよりは山の奥にでも隠れようと思いつつ、波の上に浮き上がってアカメバル、カナガシラを伴って山の奥に入ったところ、その時、山の神がカワウソを供にして例の浜辺に出でた。細い道ではったと行き合った。山の神はあまりの嬉しさに前後をわきまえず「起こせておこぜに山道で行き合った。山の奥は海の上、カワウソはおこぜである」などとわななき言い散らして、それからうち連れて自分の住処に立ち帰り、比翼連理の語らいをなした。世の中の人が言うに、必要以上にものを見て喜ぶのを「山の神におこぜを見せたような事だ」と言い伝える。

◆まんが日本昔ばなし

 アニメ「まんが日本昔ばなし」でもおこぜの昔話が取り上げられている。「おこぜのトゲ」というタイトルで、出典は辺見じゅん(角川書店刊)、スタッフは演出:やすみ哲夫、文芸:沖島勲、美術:柴田千佳子、作画:古宇田文男という顔ぶれ。

 竜宮城のお姫さまが重い病にかかった。海の魚たちは集って相談したが、山の神の桃が病に効くという話になった。ところが山の神は恐ろしい姿だったので、誰もしり込みして行こうとしない。そこで醜いオコゼをおだてて桃を取りに行かせる。オコゼは川を遡って桃の木に辿り着くが、そこには山の神がいた。こっそり桃を盗もうとしたオコゼだったが、山の神に見とがめられてしまう。慌てて事情を説明したオコゼだったが、山の神はならばお姫さまを自分の嫁にしろと言う。姫の命には代えられないと承諾したオコゼだったが、オコゼは桃を竜宮城に持ち帰ったが、桃には秘密があった。桃を食べたお姫さまは病から回復したが、その替りに身重になってしまう。竜宮の両親は怒ってお姫さまを追放してしまう。やむなく山の神のところへ行ったお姫さまとオコゼだった。山の神は喜ぶ。お産が始まった。お姫さまは三日三晩子を産み続け、四百四人の子供を産んだ。オコゼがあやそうとするが、オコゼのトゲには毒があって、足を刺せば足が悪くなり、腹を刺せば腹が悪くなった。あまりの子供の多さに苛立った山の神は四百四人の子供たちを追放する。それで子供たちは人間の里へと散らばっていった。こうして人間の世界には四百四の病が生じた。女嫌いになった山の神は山奥の社に閉じ籠ってしまった。今でも女人が山の社に近づくと山の神が怒るという。その後、お姫さまとオコゼは赦されて竜宮城に帰ったという。

 ここではオコゼのトゲの毒が人間の四百四の病気の源となったという由来譚となっている。その点ではいざなぎ流祭文と共通している。

◆余談
 いざなぎ流祭文は難解でテキストに起こすのも苦労した。己の読み方が統一されていないようにも思え、その部分は意味がとれない。

◆参考文献
・「御伽草子集 日本古典文学全集36」(大島建彦/校注・訳, 小学館, 1974)※「をこぜ」pp.475-485
・小松和彦『「いざなぎの祭文」と「山の神祭文」―いざなぎ流祭文の背景と考察―』「修験道の美術・芸能・文学Ⅱ 山岳宗教史研究叢書15」(五来重/編, 名著出版, 1981)pp.353-415
・岩田勝「宝蔵太子と龍女姫―山の神祭文と手草祭文の意図するもの―」「神楽源流考」(,名著出版, 1983)pp.206-228
・柳田国男「山の神とヲコゼ」「柳田国男全集 第八巻 民間伝承論」(筑摩書房, 1998)pp.557-620
・「神楽と神がかり」(牛尾三千夫, 名著出版, 1985)p.176
・「校訂石見神楽台本」(篠原實/編, 1982)pp.3-5

記事を転載→「広小路

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2018年6月25日 (月)

奄美・沖縄の伝承を中心に――福田晃「神語り・昔語りの伝承世界」

福田晃「神語り・昔語りの伝承世界」(第一書房)を読み終える。奄美・沖縄の昔話を中心とした論考集だが、最初の方では奄美のユタやカンカカリヤーの成巫体験が語られる。女性だが、長く病気を患い、あちこち信心を変えつつ、地元の信仰に回帰していく様が描かれている。成巫体験を経ることで病気が克服されるのである。

このとき、心の内なる声が発して、それが神の言葉として扱われる。それが神話などの伝承の原型となったという見方と要約すればよいだろうか。本書では、奄美・沖縄の昔話を中心とした伝承を扱いつつ、こうした伝承の特質を抽出していく。

昔、沖縄出身の人と会話を交わしたことがあるが、沖縄方言でしゃべっているため、何を言っているのかさっぱり分からないのである。標準語に馴染んだ沖縄の人でないと、こうした沖縄の伝承を記録することは難しいだろう。実際、翻訳した人の名が記載されている。

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2018年3月28日 (水)

「日本の昔ばなし」放送終了

ビデオの録画予約を確認していて、テレビ東京系列で放送されていた「ふるさとめぐり 日本の昔ばなし」が終了していたことを知る。このシリーズ、録画するだけでほとんど観ていなかったのだけど、いざ終了となると、記録をつけておけば良かったか等々考えてしまった。エピソード毎の出典が明示されていなかった(エンディングに一括表示)のもあるが。

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2018年3月10日 (土)

快童丸から金太郎へ――鳥居フミ子「金太郎の誕生」

鳥居フミ子「金太郎の誕生 遊学叢書21」(勉誠出版)を読み終える。

坂田金時は源頼光の四天王として有名だが、その金時の幼少時を語る物語として金太郎の昔話がある。御伽草子の「酒呑童子」での鬼退治で坂田金時の名がクローズアップされる。

酒呑童子は江戸時代における新興の芸能である浄瑠璃で盛んに上演されるようになった。しかし、この時点では、金時の幼少時のエピソードは全く語られていなかったという。中世の能「山姥」にも山姥の子であるという発想は無いとのことである。

十七世紀に創作された「源氏のゆらひ」という演目に金時の父が登場する。そして十一歳の頼光と十五歳の金時という臣下の関係が誕生するとのことであるが、これはそれ以降発展することがなかったようである。

それから金時の子、金平というキャラクターが生まれ、好評を博する。そして金平の父である金時の出自を語る際に、山姥の子であり、山中で暮らしているという設定が生まれる。

「前太平記」では坂田金時は二十歳ばかり童形の姿であり、母の山姥が赤龍の子を孕んで誕生したとしている。それは「史記」で漢の高祖が龍の子であるとされている故事を援用したものとなっている。このとき金時を「くわいど」――つまり快童のことであろう――と呼んでいるのである。こうして金時の出生譚が広く民間に流布していくことになるのである。

この金時出生譚が近松門左衛門の「嫗山姥」で更に発展する。八重桐という遊女が信州の山中で山姥となり、夫の魂魄を孕んで快童丸が誕生したとするのである。ここで金時の幼名として快童丸の名が登場することになる。童子は全身朱色で、鹿・狼・猪を食い散らかす野生児として描かれている。そして頼光の家臣として召し抱えられることになるのである。

この快童丸が草双紙でイメージ化され流布することになる。そして同時に金時の幼名が快童丸から怪童丸へ、そして金太郎へと変遷していくのである。そこではマサカリを抱えた金太郎が熊に乗っているという図式で語られていくことになる。ここで、家来の獣たちを従えた足柄山の野生児である金太郎のイメージが確立される。

また、草双紙のみならず、浮世絵でも金太郎と山姥のイメージが広がっていくのである。ここでは山姥は美人として描かれ、美人画を規制されたことによる反動が見られる。

そしてこの金太郎のイメージは明治時代になっても引き継がれ、豆本という形式で児童の間に拡がっていく。そして厳谷小波が「金太郎」というタイトルの昔話で金時の幼少時のエピソードを再話することで、金太郎の昔話における地位は確固たるものとなっていく。折しも明治時代は富国強兵の時代であり、金太郎の持つ尚武のイメージが好感された。

以上のような形で坂田金時の幼少時のイメージは金太郎という野生児のイメージとして確立されていく訳である。野生児である金太郎が成長して源氏の家臣となり、鬼退治、妖怪退治のスペシャリストとして名を馳せていくというイメージはかくのごとく、様々な芸能、媒体で展開されることによって成立していったのである。

余談。

少年漫画である高橋留美子「うる星やつら」にも金太郎が登場する。金太郎のイメージそのものの児童であるが、面白いことに高橋留美子は、金太郎は結局は偉い人の家来で一生を終えたようですとギャグめいて語っているのである。活躍するも、一国一城の主とはなれなかったというところだろうか、面白い解釈である。

実は柳田国男の「桃太郎の誕生」を読む前は、「金太郎の誕生」のように、桃太郎のイメージの発生と展開を追いかけていく本だと思っていた。「金太郎の誕生」はそういう意味では期待に応えてくれる作であった。

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2018年3月 9日 (金)

恐怖を克服する――野村泫「昔話の残酷性」

野村泫「昔話の残酷性」(東京子ども図書館)を読み終える。三十ページ程なので、ものの数時間で読み終えた。

昔話には残酷な場面が多いから、子供の読み物として適当ではないという考え方があることが初めに提示される。

昔話を再話したり翻訳したりする際に、残酷な場面をカットすることもしばしば行われている。そこには残酷な場面を含む読み物は子供を残酷な行為に赴かせる」という考えが潜んでいるとしている。それは戦争時の残虐な行為の底流として昔話の残虐性があるとの考えにまで至るのである。

本書ではそういった考えに反駁すべく、文芸学、民俗学、心理学的なアプローチがなされる。

文芸学的な立場では、マックス・リュティの研究が援用されるが、昔話の描写は近代文学と異なり、登場人物の内面描写や写実的な描写がなされることはなく簡潔、抽象的な描写に留まる。いわば、手足がもげても、昆虫の様な節足動物の足がもげた程度の印象しか与えないとでも言えるだろうか。昔話では残酷な刑により苦痛のうめき声をあげることはないのである。

それは「それから? 次は?」という子供の問いかけに応じたものである。昔話ではすじの運びを重視しているのである。昔話の残酷な要素は、話のすじを次の点へと導く役割を果たしているに過ぎないのである。残酷さを含んではいても、決してその残酷さを強調するものではないのである。

善人が報いられれば、子供は善の原理が勝ったと感じ、悪人が殺されれば、悪そのものが打ち破られたと思う。残酷で容赦のない罰は当を得ている訳である。そしてそれは抽象的で、写実的な物語のように恐怖を煽るものではない。

民俗学的な立場からは、昔話に登場する残酷な刑罰が実際に過去に行われていたものであることが明らかにされる。

深層心理学的な立場では、昔話は、子供から大人への人生の変化期を通り抜けねばならない若い人間のことを語っているのだと考察している。いわば、通過儀礼である。そして、昔話の中の残酷な要素が子供の心の発達にどう関わっているか明らかにしているのである。

例えば赤ずきんの話を始めて聞いた女の子の事例が取り上げられる。初めては悪い狼を怖がっていたが、悪い狼は退治されたことを語った結果、その女の子は心の中で悪い狼を克服、「森の狼さんのところへ行くのよ」とまで言うようになる。

「赤ずきん」を改作して、猟師が鉄砲でズドンと狼を撃った。狼はそのまま逃げてしまったとしているものがある。それでは狼の生死は曖昧なままで、子供にとっては悪が平らげられた結果とはならない。そういう点で問題を残すのである。

また、アメリカの若い夫婦が昔話の残酷さと非合理性を恐れて息子に昔話を聞かせなかった事例が挙げられる。両親は息子を迷信に染めずに育てたと自慢していたが、あるとき、子供が暗い部屋で独り寝ていられなくなってしまうのである。抵抗力がなく、暗闇の恐怖に勝てなくなったのである。

そういう風に、昔話には不安や恐怖、悪に勝つ力を学ぶ効能が認められるのである。

以上のようなアプローチで、昔話の残酷性は抽象的なもので、苦痛そのものを伝えるものではない。そして、それは不安や恐怖、悪に打ち勝つ心の強さを育むものであると結論づけているのである。

個人的には日本の昔話の多くは因果応報をベースにしているものが多いと感じている。良いことをすれば良い結果が返ってくるし、悪いことを行なえば報いが返ってくる。そういう人生を貫く原理をやさしく読み聞かせるものなのである、と思うのである。

余談。
心理学者ヨゼフィーヌ・ビルツの著作がないか検索してみたが、ヒットしなかった。

 

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2018年3月 3日 (土)

人面犬の昔話もあり――田中瑩一「伝承怪異譚」

田中瑩一「伝承怪異譚――語りのなかの妖怪たち」(三弥井書店)を読み終える。島根大学名誉教授の著書。2010年の刊行なので、7年近く積読していたことになる。冒頭に益田市乙子町での昔話採集のエピソードが語られていて、その中に乙子狭姫の話が語られていて、そこだけ読んで満足してしまっていた。記述自体は平易で分かり易いものである。

主に島根県で採集した昔話をベースとして様々な怪異が紹介される。

ラフカディオ・ハーンの怪談「雪女」について考察があるが、西多摩郡調布村とあるので今の調布市だろう、調布で採集した話が元だとされていることから、雪女の成立過程について考察している。僕自身は昔、講談社ブルーバックスで「怪談の科学―幽霊はなぜ現れる」という本を読んだことがあって、江戸時代は現在より寒冷な気候だったと記されていた事を記憶している。なんでも、低体温症になると錯乱、身体が熱くなって着ている着物を脱いでしまうといった現象が報告されており、それが雪女のイメージとなったとのことで、元は東北か信越地方で生まれた伝説だろうけれど、江戸で伝承されていてもおかしくはないと思っていた。なので、「伝承怪異譚」で雪女の成立過程――「舌抜き女」の昔話と関連づけての考察があることに興味を覚えた。

「からさでさん」という出雲地方の昔話では、十一月二十六日に出雲の国に集まった神様たちが帰る日を「からさでさん」というが、その日は謹慎して戸締りをして目張りをして外を見ないようにするとのことである。ところが、一人のいけず子が神様とはどのような姿をしているのか見てみようと思い立ち、家を抜け出てしまった。果たして神様の行列と遭遇してしまったいけず子だったが、見とがめられて「ワンワン」と犬のふりをしたところ、神様は犬ではしょうがないと帰ってしまった。ところが、夜が明けて見ると、いけず子は顔が人で首から下は犬になって「ワンワン」と悲しそうに鳴いていた……という話があった。これは、いわゆる人面犬の古い形ではないだろうか。思わぬところで人面犬の話に出くわした。

章立てとしては、炭焼き小屋に来る女/山の呼ぶ声/山姥の来る家/山人、大人/蛇と蝦蟇/もの言う猫、踊る猫/人を襲う猫/人をとる蜘蛛/食わず女房/しだいだか、せこ、小豆とぎ/七尋女房、杓貸せ/からさでさん、さで婆さん/大きくなった石、口をひねられた蛭 といった内容となっている。

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2018年2月27日 (火)

昔話の概説書――小澤俊夫「昔話入門」

小澤俊夫「昔話入門」を読み終える。このところ昔話の理論書を何冊か読んでいて、昔話の概説書が読みたかったので丁度よかった。マックス・リュティの理論やアールネ=トムソンの分類した昔話の話型、グリム童話の沿革など。子供に昔話を読み聞かせるための一章もある。

 第4章「子どもに昔話を!」では、
 また、「やさしく心豊かな子どもに育てたい」との教育的配慮からいえば、残酷な場面を省いてしまった再話もよく見かけますが、広い意味での教育的配慮からいえば、むしろ昔話における残酷さは子どもの成長にきわめてたいせつな役割を果たしているといえるのです(小澤俊夫著『昔ばなしとは何か』(福武書店<ベネッセ>、一九九〇年)及び野村泫著『昔話の残酷性』(東京子ども図書館、一九七五年)』参照)。
 このほか、教訓臭の強い再話、情緒に訴えようとするセンチメンタルな再話など、昔話本来の子ども奥深くへ働きかける力強さを失ってしまった再話を選ばないように心がけることもたいせつです。すなわち、語るためのお話を選ぶ時には、再話の良し悪しを見極めること、昔話の法則を保っているかを見極めることが必要なのです(本書第二章参照)。
「昔話入門」(小澤俊夫, ぎょうせい, 1997)p.151
 昔話絵本『かちかちやま』には、実際いろいろなものがあり、中には、最後にうさぎがたぬきを赦し、手に手を取り合って、これから仲良く暮らしましょうというものさえあります。このような安易な話の結び方では人生の厳しさや自然の摂理にふれないままで終わってしまいます。本の読者よりもっと年齢層の低い幼児向けの絵本で、あえて「とうとう、やまんばを ころしてしまいましたとさ」としたところに、昔話に織り込まれた人生の真実を伝えようとした、再話者の意図が読み取れるのではないでしょうか。書店に並ぶ昔話絵本が教育的配慮? として、残酷性を排除しようとしたり、みんな仲良く暮らしましょうといった安易な筋運びをしていることを思うとき、昔話絵本は決して改ざん、改悪してはならないと思うのです。(207P)
 と昔話の残酷性にも触れている。昔話の残酷性というのは、昔話がある面で因果応報を説いていることの裏返しである。安易な物語の改変は、因果が巡り巡って自分に返って来るという人生の真実から目を逸らしてしまうことにもつながりかねない。悪いことをしたら報いが返ってくるという人生の真実が自然に学べるのが昔話なのである。

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