関東

2020年3月12日 (木)

東京都民俗芸能大会も中止に

第51回 東京都民俗芸能大会の中止が決定した。3月28日29日と池袋で催される予定で、29日には石見神楽東京社中も出演予定だった。僕自身は28日のチケットを文教大学の斉藤先生から送ってもらっていたので残念だ。新型コロナウイルスが蔓延しているので止むを得ないだろう。しかし、この分だと春以降のイベントも開催されるのか怪しい。

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2020年3月 3日 (火)

第20回は中止に

3月22日(日)に予定されていた「江戸里神楽を観る会」が新型コロナウイルスの影響で中止となった。行くべきかどうか迷っていたので、有難い判断だ。3月28日29日には池袋で東京都民俗芸能大会が催される予定だけど、こちらもどうなるか。

政府は三月上旬がヤマ場だとしているが、どうもこの疫病、長引きそうである。

 

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2020年2月23日 (日)

岩戸と天香具山

◆はじめに
 天の岩戸神話はスサノオ命の暴虐を恐れた天照大神が岩戸に閉じこもってしまい、世界が常夜となってしまった。そこで困った神々は相談して、鏡や勾玉、榊など様々なものを取り揃えて、天鈿女(うずめ)命が神がって踊り、半裸の姿となったので神々は笑う。岩戸の外が賑やかだと不思議に思った天照大神は岩戸をそっと開けて見る。すると鈿女命が鏡を出して、あなたより尊い神が誕生したのですと告げる。ますます不審に思った天照大神はもう少しだけ岩戸を開いてよく見ようとしたところを手力男命が岩戸を強引に開け、天照大神の手をとって外に出したので、世界に元の明かりが戻った……という内容である。ちなみに、岩戸には注連縄が張られ(結界)、天照大神が再び隠れることの無い様にされている。

◆神楽の源流
 天の岩戸神話は神楽の源流とされており、全国で神楽化されている。宮崎県の岩戸神楽が有名だが、夜明けの最後の段として岩戸を舞う。夜が明けるとともに神楽は終わるので、まさしく天の岩戸神話に相応しい締めくくりとなる。

 島根県石見地方でも「岩戸」は重要な演目であるが、まず岩戸から始めて能舞を舞っていく構成となっている。

◆鎮魂説
 神楽の本義を「鎮魂」と捉える見方がある。鎮魂説が多数説と言ってよいかと思われるが、鎮魂説に従うと天の岩戸神話の解釈は次の様になる。

 西角井正慶「神楽研究」は戦前の神楽本であるが、師である折口信夫の説に従って論旨を展開している。要するに神楽を鎮魂と解釈する説と言ってよいだろうか。天の岩戸神話の解釈に顕著である。天の岩戸神話を自然神話(戦前に既に日食説があったことが分かる)と葬祭説との解釈に別れるとし、一方で折口信夫の鎮魂論で解釈、古代の死の観念は生と死の境が曖昧なもので、一種の眠りと捉えていた。そして天照大神の身体から離れた魂を鎮魂(たまふり)で再び身体に付着させ蘇らせたとする。

◆神が神がかり?
 天の岩戸神話では天鈿女命が神がかって踊るのだが、よくよく考えてみると神が神がかるというのは自己矛盾ではないかとも思われる。まあ、日本の神様は遠いご先祖さま達のことでもあるから矛盾はないのかもしれない。

 では、どんな神が鈿女命に憑依したのかつらつら考えると
・天御中主神の様なより高位の神
・天照大神
・スサノオ命
といったところが考えられる。スサノオ説は岩田勝の悪霊強制説(悪霊を憑坐[よりまし]に憑依させ、悪霊として攘却するか、善神に転化させて祀る)がとる所であるけれど、自分にはアクロバティックな解釈としか思えない。

 岩田勝は「神楽新考」で、日本の神がかりは神がかる者と神がからせる者とのペアであると指摘し、神話では言及されないが、背後に奏楽を担当する神々がいた可能性を指摘している。だが、鈿女命は自ら桶を踏み鳴らして神がかったとある。単独で神がかったとも解釈可能なのだ。

 また、天鈿女命が女陰を見せて舞うことで神々の笑いを誘ったが、女陰は生命力の根源であり、悪霊を払う力があるのだとも指摘している。確かに、馬の蹄鉄を魔除けに飾る風習が欧米にはあったりする。

 しかし、悪霊であるスサノオ命を憑依させて攘却させるという発想はアクロバティックな解釈にしか思えない。

◆動画
 YouTubeで浜田商業高校の「岩戸」を見る。第三回神楽甲子園で演じられたもの。写真撮影は後方でしか許可されないのか、一貫して引いた画だった。天児屋根命に続いて太玉命が登場、さらに天鈿女命が登場する。そして鈿女命がひとしきり舞ったところで手力男命が登場、連れ舞となる。それから手力男命の一人舞となり天照大神を引き出して喜びの舞となる。見方によっては鈿女命の舞ではなく手力男命の舞に連れられて出て来た様な印象もある。

 YouTubeで谷住郷神楽社中の「岩戸」を見る。天照大神は鏡を持って登場、照明の反射で鏡が光る演出となっている。天児屋根命と太玉命はいずれも翁の姿だった。古事記であれば思金神が取り仕切っているけれど、神楽には登場しないから老臣という姿になるのだろうか。

 出雲神楽・唐川社中の「山の神」をYouTubeで見る。途中、天の岩戸が閉じられて闇夜になったことを示すためか舞台の照明が消される。榊を持った神がしきりに山の神にちょっかいをかける。神と山の神が追いつ追われつとなって客席に乱入すると、観客がどっと沸く。最後に神が宝剣を山の神(大山祇命)に授けて悪斬りをする。

◆関東の里神楽
 垣澤社中と亀山社中の「天之磐扉」を鑑賞する。基本的なストーリーは神話と同じだが、手力男命が岩戸を強引にこじ開けようとするも岩戸は開かない。それを繰り返した後、小川の水を飲み、さわやかな気分となった手力男命は見事、岩戸をこじ開けた……という内容。天照大神がちらりと外を覗いた隙にではなく、強引に岩戸をこじ開ける印象だった。

亀山社中・天の岩戸・太玉命1
亀山社中・天の岩戸・太玉命
亀山社中・天の岩戸・天鈿女命
亀山社中・天の岩戸・天鈿女命
亀山社中・天の岩戸・思金命
亀山社中・天の岩戸・思金命
亀山社中・天の岩戸・天鈿女命の舞
亀山社中・天の岩戸・天鈿女命の舞
亀山社中・天の岩戸・手力男命
亀山社中・天の岩戸・手力男命
亀山社中・天の岩戸・暗闇の中、天鈿女命に手引きされる手力男命
亀山社中・天の岩戸・暗闇の中、天鈿女命に手引きされる手力男命
亀山社中・天の岩戸・岩戸に跳ね返される手力男命
亀山社中・天の岩戸・岩戸に跳ね返される手力男命
亀山社中・天の岩戸・手力男命、小川の水を飲むと力がみなぎってくる
亀山社中・天の岩戸・手力男命、小川の水を飲むと力がみなぎってくる
亀山社中・天の岩戸・岩戸をこじ開けようとする手力男命
亀山社中・天の岩戸・岩戸をこじ開けようとする手力男命
亀山社中・天の岩戸・岩戸をこじ開けた手力男命
亀山社中・天の岩戸・岩戸をこじ開けた手力男命
亀山社中・天の岩戸・天照大神
亀山社中・天の岩戸・天照大神

 関東では天の岩戸神話は目出度い時にしか舞わないそうで、ちょうど去年が令和元年だったので、上演されたらしい。

◆岩戸神話の裏ストーリー:「山の神」と「天香山」

 出雲神楽に「山の神」という天の岩戸神話にちなんだ演目があり、神話の裏ストーリーとでも呼ぶべきものである。天照大神が天の岩戸に籠ってしまったので世界は闇にとざされる。天照大神を何とか復活させようとして八百万の神々は相談し、鏡や勾玉など様々なアイテムを並べてお祭りをする。その中に天香具山の榊もあるのだが、神が天香具山の榊を根こじにしようとして、それを見とがめた山の神が詰問する。そこで追いつ追われつとなるのだが、神が自分は何者で天照大神を天の岩戸から出すためにこうしているのだと説明し、山の神はひれ伏す。そこで代わりに宝剣を授けて、山の神は悪切、つまり四方を剣で薙ぎ払い、悪魔祓いをするという内容が「山の神」である。

 これは神事性の高いものだが、これを元にしたと思われる広島県の芸北神楽の新舞「天香山(あめのかぐやま)」では最後に魔神とのバトルが付加されており、蛇足と言わざるを得ない。

 YouTubeで中川戸神樂団の「天香具山」を視聴した。「中川戸神樂団 天香具山」でヒットする。視聴してみたのだが、結果は想像と異なっていた。調べてみると中川戸神樂団の「天香具山」は創作演目で、天照大神を天の岩戸から復活させるべくというところは同じだが、その後の展開が異なり、天の香具山に榊を取りにきた弥生姫を悪神が殺して榊を奪ってしまう(神が殺される)。そこで山祇神と娘のアタツ姫(コノハナサクヤヒメ)が榊を奪い返す、といった内容だった。内容が改変されている。

 中川戸神樂団はスーパーカグラなるものを主催する団体であり、創作神楽をよくする広島では有名な神楽団である。

 「天香具山」は芸北神楽の新舞では唯一神事性を感じさせる演目だが、肝心の悪切がカットされてしまっている。つまり神事性が損なわれてしまったということだ。元々あった神事性を失わせてしまうのだから改悪としか言いようがないのだけど、どうしてこんな内容になったのかとつらつらと考えるに、要するに元ネタを知らないからリスペクトのない内容にしてしまったというところか。よく取材している団体なので別の理由があるのかもしれない。

◆漫画
 佐藤両々「カグラ舞う!」という四コマ漫画がある。広島県に引っ越してきたヒロインの神楽が高校で神楽部に入部する。初めての舞がデイサービスでの「岩戸」で天照大神役だったのだけど、トップバッターなので緊張して舞がぎこちなくなってしまう……という様な内容。

◆宮崎県の狭野神楽
 「本田安次著作集 日本の伝統芸能 第三巻 神楽Ⅲ」より「弐拾四 龍蔵うた」260-261Pをピックアップしてみる。

 宮崎県の狭野神楽「弐拾四 龍蔵うた」では、天照大神と須佐之男命が国を争い、天照大神が先に生まれたけれど、女子に生まれたので、日本のソシと成り給う。スサノオ命は男にて以後に生まれたけれども男子なので、日本の総社となる。その時天照大神は女子が男子に劣ること遺恨なりとお考えになり、日月の光を奪い取り、天の岩戸に籠ったので、天下は昼夜の闇となった……という風に中世日本神話風の一風変わった異伝となっている。

貮拾四 龍蔵うた

一只今是にけんしたるハ、いか成神とやおほしめせ、紀(の)国かんのくら、龍蔵権現とハミつからが事也
一いすゝ川 神よの鏡かけてよ いつも曇らん冬の夜の月
一其時天照大神殿ハ、そさのをのミことと国をあらそい玉ふて、天照大神ハ先に生れさせたまへとも、女子にて生れさせたまへハ、日本のそしと成玉ふ、そさのおのミことは以後にて生れさせたまへとも、男子に而ましませハ、日本のさう社と成玉ふ
一其時天照大神ハ、女子か男子におとる事いこん成よとをほしめし、日月の光をむばい(取り)、天の岩戸にとちこもらせたまへハ、天下は昼夜のやみと成(後略)
※旧字体は直した

◆古事記
 古事記の該当部分を直訳調ではあるが現代語訳してみた。

 そうして、速須佐之男命は天照大神に「我が心が清く明らかな故に、自分が生んだ子は手弱女(たわやめ)を得た。これで言わば、自ずから自分が勝った」と言って勝者らしく振る舞い、天照大神の作った田の畔を壊し、その溝を埋め、またその大嘗(おほにえ)をなさる神殿に糞を排泄して散らした。そこで、そうだけれども、天照大神はとがめずに「糞の様なものは酔って吐き散らしたと、私の弟の命はこのようにしたのだろう。また、田の畔を壊し、溝を埋めたのは、土地を惜しんで、我が弟の命が、このようにしたのだろう」と仰せ直したけれども、猶もその悪しき仕業は止まらず一層甚だしくなった。天照大神は忌服屋(いみはたや)に居て、神の着る御衣(みそ)を織っていたときに、その服屋(はたや)の頂(天井)に穴を開けて、天の斑馬(ふちうま)の皮を逆さまに剥いで落とし入れたところ、天の服織女(はとりめ)が(これを)見て驚いて、梭(ひ:機織りの際に機の横糸を通すための舟型の器具)で女陰を突いて死んだ。

 そこでここに天照大神は恐ろしいと見て思い、天の石屋の戸を開いて、さし籠った。そうして高天原は皆暗く、葦原の中つ国も悉く暗くなった。これによって常夜の状態が続いた。ここに数多くの神の(騒ぐ)声は群がる五月頃むらがるハエの如くに満ち、全ての災いが悉く起こった。これを以て八百万(やおよろず)の神は天の安の河原に集って、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の子である思金神(おもいかねのかみ)に思考させて、常世の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせ、天の安の河の河上の天の堅石(かたしは:堅い岩石)を取って、天の金山の鉄(くろがね)を取って、鍛冶の天津麻羅(あまつまら)を探し求めて、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に仰せになって鏡を作らせて、玉祖命(たまのおやのみこと)に仰せになって、八尺(やさか)の勾玉(まがたま)で五百もの沢山の珠が集まっているその珠を作らせて、天児屋命(あめのこやのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)を召して、天(あめ)の香山(かぐやま)の牡鹿の肩をそっくり抜いて、天の香山のははか(カニワ桜)の皮を取って焼いて占いをさせて、天の香山の五百もの真榊を根こじに掘り取って、上の枝に八尺の勾玉の五百もの珠が集まっているその珠を取り付けて、中の枝に八尺(やあた)の鏡を取り掛けて、下の枝に白幣と青幣を垂らさせ、これらの種々の者は布刀玉命がたちまち幣を取り持って、天児屋命がたちまち祝詞を寿いで、天手力男神(あめのたぢからをのかみ)が岩戸の脇に隠れて立って、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が襷に天の香山の天の日影(ヒカゲノカヅラ)を掛けて天の真析(まさき:蔓草)をかずら(髪飾り)として手草(採り物)として天の香山の笹の葉を結って、天の石屋の戸に桶を伏せて踏み轟かせ神懸りして、胸の乳房をかき出して、裳(も:スカート)の紐を女陰に押し垂らした。そうしうて高天原はどよんで、八百万の神は共に咲(わらっ)た。

 ここで天照大神は怪しいと思い、天の石屋の戸を細く開いて、内側から告げて「我が籠り居ることによって天(あま)の原は自ずと暗く、また葦原の中つ国も皆暗いと思うのに、どういう訳で天宇受売は歌舞音曲を奏し、また八百万の神は皆咲う(笑う)のだ」と仰せになった。天宇受売が曰く「あなたに増して貴い神がいらっしゃる故に皆喜び咲い(笑い)遊ぶのです」とこう言う間に天児屋命と布刀玉命はその鏡を差しだし天照大神に示し奉るに、天照大神は一層怪しいと思って次第に戸から出て臨んだところ、その隠れ立つ手力男神がその御手を取って引き出すと、ただちに布刀玉命は注連縄でその後方(石戸)に引き渡して曰く「これより内に還り入ることはできません」と申した。そこで、天照大神のお出ましになった時に高天原と葦原の中つ国は自ずから照り明るくなることができた。

◆日本書紀
 日本書紀の該当部分を現代語訳してみた。

 また、天照大神の方に神の衣を織って斎服殿(いみはたどの:神聖な機織りの御殿)にいらっしゃるのを見て、ただちに天斑駒(あまのふちこま)の皮を逆さに剥いで、御殿の瓦に穴を開けて投げ入れた。そのときに天照大神は驚いて梭(ひ:機織りの道具)で身体を傷つけた。これによって怒ってただちに天石窟(あまのいはや)にお入りになる、磐戸(いわと)を閉ざしてお籠りになった。

……とある。日本書紀では天照大神自身が傷を負ってしまうのである。傷を負った天照大神が岩屋に籠るというのは太陽神の死を連想させる。

◆余談
 天の岩戸神話の天照大神の死と復活を描いたとも読める。死と再生のモチーフである。もともとは冬至の日にまつわる神話だったのかもしれない。

◆参考文献
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「日本書紀1 新編日本古典文学全集2」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1994)
・「校定石見神楽台本」(篠原實/編, 石見神楽振興会, 1954)pp.107-116
・「口語訳 古事記 完全版」(三浦佑之, 文芸春秋, 2002)
・「古事記講義」(三浦佑之, 文藝春秋, 2007)
・「本田安次著作集 日本の伝統芸能 第三巻 神楽Ⅲ」(本田安次, 錦正社, 1994)pp.260-261「弐拾四 龍蔵うた」
・「神楽新考」(岩田勝, 名著出版, 1992)pp.17-69, pp.96-165, pp.166-205
・「歴史民俗学論集1 神楽」(岩田勝/編, 名著出版, 1990)
・「神楽研究」(西角井正慶, 壬生書院, 1934)
・「現代語訳 古語拾遺」(菅田正昭, KADOKAWA, 2014)pp.33-58
・「出雲神楽 出雲市民文庫17」(石塚尊俊著, 出雲市教育委員会, 2001)

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2020年2月16日 (日)

禁忌を破る――ウガヤフキアエズの誕生

◆はじめに
 神武天皇の父であるウガヤフキアエズ命は系図上のみで語られる存在だが、関東の里神楽、埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の「天神地祇感応納受之段」に玉依姫とともに登場する。農民が一生懸命働いても不作の年もあるけれども、一心に神に祈っていれば、通じ(感応)願いがかなう(納受)という意味を持った舞である。

鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・天神地祇感応納受之段

◆あらすじ
 兄との争いに勝った山幸彦であったが、そこに豊玉姫が龍宮からやってきた。豊玉姫は既に妊娠していた。鵜の羽で葺いた産屋を建てたが、羽を葺き終わらないうちに出産となった。豊玉姫は山幸に自分が出産するときは元の姿に戻るから決して見ないようにと言い置いた。が、山幸はのぞき見してしまった。豊玉姫の本体は八尋もある大ワニであった。驚いた山幸を豊玉姫は辱められたことを恨んで、産んだその子を置いて龍宮に帰ってしまった。その子の名をウガヤフキアエズという。ウガヤフキアエズの養育には豊玉姫の妹の玉依姫が遣わされた。ウガヤフキアエズが成長して叔母である玉依姫と結婚し、神武天皇達が生まれた。

◆古事記
 直訳調であるが、古事記の該当部分を現代語訳してみた。

 ここに海神の娘の豊玉毘売尊は自ら(異郷から)参り出て申すことに「私は既に妊娠しました。今、産むときに臨んで、これを思うに、天津神の御子は海原で生むべきでない。そこで、その海辺の渚で、鵜の羽で葺草(かや)として(屋根を葺いて)産殿(うぶや)を作った。ここにその産殿をまだ葺き終わらないうちに、お産の急なことに耐えられず、そこで、産殿に入った。

 そうして、まさに産もうとする時に、其の日の御子に申して「凡そ他国の人は産むときに臨んで、本の国の形で産みます。そこで、私は今本来の身で産もうとします。私を見ることの無いように願います」と言った。ここで、その言葉を怪しいと思って密かにそのまさに産もうとするところを伺ったところ、八尋のワニと化して腹ばい身をくねらせていた。ただちに見て驚き、畏まって逃げ退いた。そうして豊玉毘売命はその伺い見た事を知って恥ずかしいと思って、ただちにその御子を産み置いて曰く「私は普段は海の道を通って通おうと思いました。そうではあるけれど、私の(本来の)姿を覗き見たことは、とても恥ずかしいことです」と申して、ただちに海坂(うなさか:境界)を塞いで帰っていった。これを以て、その産んだ御子を名づけて天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひたかひこなぎさたけううかやふきあえずのみこと)という。

 そうして後は、そののぞき見した心を恨んだけれども、恋しく思う心に耐えられず、その御子を養育する由で、妹の玉依毘売に言づけて、歌を献上した。その歌に曰く

 赤玉(あかだま)は 緒(を)さへ光れど 白玉(しらたま)の 君が装(よそをひ)し 貴(たふと)くありけり

そうして、その夫は答える歌に曰く

 沖つ鳥 鴨著(かもど)く島に 我が率寝(ゐね)し 妹(いも)は忘れじ 世の悉(ことごと)に

 そこで日の御子穂々手見(ほほでみ)命は高千穂の宮にあること、五百八十年の長さぞ。御陵(みはか)はそこで高千穂の山の西にある。

 この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命はその叔母である玉依姫を娶って、産んだ御子の名は五瀬命(いつせのみこと)、次に稲氷命(いなひのみこと)、次に御毛沼命(みけぬのみこと)、次に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、またの名は豊御毛沼命(とよみけぬまのみこと)、またの名は神倭伊波礼毘古尊Uかむやまといはれびこのみこと)。四柱。

 そこで、御毛沼命は波の穂(波頭)を踏んで常世の国に渡り、稲氷命は母の国として海原に入った。

◆日本書紀
 日本書紀でも概ね古事記と同じようなストーリーであるが、豊玉姫は竜の姿で子を産んだとされている。

◆余談
 叔母と結婚したとされるウガヤフキアエズ命だが、豊玉姫と玉依姫が異母姉妹であったとしても、年齢差は少なく見積もって十三~四歳は離れているだろう。随分と年上の姉さん女房である。

◆参考文献
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「日本書紀1 新編日本古典文学全集2」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1994)

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コノハナサクヤヒメと桜狩

◆はじめに
 天降ったニニギ命はコノハナサクヤヒメと出逢う。コノハナサクヤヒメは美人で、ニニギ命は求婚する。父の大山津見(おおやまつみ)神は姉の石長比売(いはながひめ)と一緒にコノハナサクヤヒメを送りだした。ところが、石長比売は醜かったため、ニニギ命は石長比売を送り返してしまい、コノハナサクヤヒメだけを妻とした。大山津見神は恥じて「姉妹を献上したのは、姉の石長比売と結婚すればその寿命は盤石であろうと誓約(うけい)したからだ。妹のコノハナサクヤヒメとだけ結婚したので、皇孫の寿命は桜の花が散るようにはかなくなってしまうだろうと呪詛した。それで天皇の寿命には限りがあるのだ。

 そしてコノハナサクヤヒメはニニギ命に妊娠したと告げた。ところがニニギ命は一夜で孕むとは信じがたい。国つ神の子であろう」と言ったので、コノハナサクヤヒメは誓約(うけい)して、生まれる子が天孫の子だったら無事だろうと言って産屋に火を放った。そうして無事生まれたのが火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほをりのみこと)の三柱である。

 日本書紀の一書によると、ニニギ命はお前たちを試したのだと言い訳するが、コノハナサクヤヒメはうちとけようとしなかった……という内容。

 コノハナサクヤヒメの話型は世界に分布しておりバナナ型と呼ばれるのだそうだ。石とバナナでバナナを選んでしまったので人の寿命は短くなったという話型。

◆関東の里神楽
 石見神楽や芸北神楽ではコノハナサクヤヒメの神話は神楽化されていないが、関東の里神楽(神代神楽)では「笠沙櫻狩」という演目で神楽化されている。生憎と未見である。

「笠沙櫻狩」は2007年の横浜市歴史博物館の「里神楽の魅力と伝承」講演で映像が流された記憶がある。ちらりとだが。イワナガヒメがコノハナサクヤヒメに嫉妬するといった内容だと聴いたことを記憶している。

 佐相社中の「桜狩」の解説台本が入手できたので要約してみる。

~笠狭崎(かささのみさき見初めの場~
 オオヤマツミノカミがイワナガヒメとコノハナサクヤヒメを連れて笠狭崎で花見をする。酒宴となり、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメが連れ舞を舞う。そこにニニギノミコトが登場する。ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメに一目ぼれしてしまう。ニニギノミコトはオオヤマツミノカミに面会してコノハナサクヤヒメを妻に迎えたいと申し出る。喜んだオオヤマツミノカミはコノハナサクヤヒメに加えてイワナガヒメも差し出す。そうするとニニギノミコトの一族が花の如くに栄え、岩の様に永遠の命を授かると言って。オオヤマツミノカミは退場する。再び酒宴となるが、ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメにばかり意識が向いている。そして手紙をイワナガヒメに渡し、オオヤマツミノカミに届けるように言う。不思議に思ったイワナガヒメは手紙をオオヤマツミノカミの許に届けに行く。ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは館へと戻る。

~大山津見神の館~
 ニニギノミコトという立派な方に二人の娘を嫁がせたと一安心したオオヤマツミノカミは館に戻ってくる。そこへニニギノミコトから手紙を預かったイワナガヒメが帰ってくる。イワナガヒメはオオヤマツミノカミに手紙を渡す。手紙はイワナガヒメに対する離縁状であった。イワナガヒメはもう一度ニニギノミコトの気持ちを確かめようと二人の許へと向かう。イワナガヒメのただならぬ様子を見たオオヤマツミノ神はヒメを連れ戻すため随臣を呼ぶ。随臣はイワナガヒメの跡を追う。

~醜女(しこめ)~
 ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが館に戻ってくる。酒宴が催される。そこにイワナガヒメが登場する。この恨み晴らさずにおくべきかと憤り、二人を呪いの藁人形で呪い殺そうとする。イワナガヒメは鬼女へと変じてしまう。そこに随臣が到着する。ニニギノミコトに事の次第を述べ、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメを館から逃げさせる。そこに鬼女と化したイワナガヒメが襲いかかる。随臣とイワナガヒメの立ち回りとなって、斬られたイワナガヒメが引っ込む。随臣も跡を追って引っ込む。何とひどい事になってしまったと嘆くコノハナサクヤヒメ。ニニギノミコトに支えられて舞台を去る。

「桜狩」は未見の演目である。機会があれば見てみたい。関東の里神楽は幕間が長く、着付けと休憩とで約一時間くらい間があるので、三場演じるには半日かかってしまう。

◆古事記
 古事記の該当部分を直訳調ではあるが現代語訳してみた。

 ここに、天津日高日子番能邇々芸命(あまつひたかひこほのににぎのみこと)、笠沙(かささ)の岬で麗しい美人に逢った。そうして「誰の娘か」と問うたところ、答えて「大山津見神(おほやまつみのかみ)の娘で名は神阿多都比売(かむあたつひめ)、またの名は木花佐久夜毘売といいます」と申した。また問うて「お前には兄弟がいるか」と問うたところ、答えて「自分には姉の石長比売(いはながひめ)がいます」と申した。そうして「私はお前と結婚しようと思う。どうだ」とおっしゃったところ、答えて「私には申すことができません。私の父大山津見神が申しましょう」と申した。そこで、その父の大山津見神に結婚を乞いに(使いを)やった時に、大いに喜んで、その姉の石長比売を添えて多数の机に置いた(結納の)品を持たせて送り出した。そこでそうして、その姉はとても醜いので、見て畏れて返した。ただ妹の木花佐久夜毘売だけを留めて、一夜の契りを結んだ。

 そうして大山津見神は石長比売を返したことで大いに恥じ、申し送って「私が娘二人ともに献上した理由は、石長比売を使えば、天つ神の御子のお命は雪が降り風が吹くとも、常に岩の如く不変で堅固な岩の様にいらっしゃるだろう。また、木花佐久夜比売(このはなのさくやひめ)を使えば、木(桜)の花が盛んに咲くようにお栄えなさるだろうと誓約(うけひ)して献上したのだ。このように石長比売を返らせて独り木花佐久夜毘売だけを留めたために、天つ神の御子のお命は木(桜)の花のようにはかなくなるだろう」と言った。そこで、このために今に至るまで、天皇の寿命は長くないのだ。

 そこで、後に木花佐久夜毘売は参り出て「私は妊娠しました。今産むときに臨んで、この天つ神の御子は私事で産むべきではないので、申しました」そうして、「佐久夜毘売、一夜で妊娠した。これは我が子ではあるまい。必ずや国つ神の子だろう」とおっしゃった。そうして答えて「私が孕んだ子がもし国つ神の子であるならば、産むときに幸運でないでしょう。もし天つ神の御子ならば、幸運でしょう」と申して、ただちに戸の無い八尋もある(高い神聖な)建物を作り、その建物の内に入り、土で塗り塞いで、まさに産もうとするときに火をその建物に着けて産んだ。そこで、その火が盛んに燃える時に産んだ子の名は、火照命(ほでりのみこと)<これは隼人の阿多君(あたのきみ)の祖先だ>。次に産んだ子の名は火須勢理命(ほすせりのみこと)。次に産んだ子の名は火遠理命(ほをりのみこと)、またの名は天津日高日子穂々手見命(あまつひたかひこほほでみのみこと)<三柱>。

◆日本書紀
 日本書紀もほぼ同じ内容であるが、異同を見てみる。

 時に皇孫は姉は醜いと思い召さずに避けた。妹は顔が良い(美人)だとして、引いて召した。ただちに妊娠した。そこで磐長姫(いはながひめ)は大いに恥じて呪詛して「もしも天孫が私を斥けずにお召しになったら、生まれる御子の命の久しいことは、盤石の如く永遠に続いたでしょう。ただ妹だけ独りお召しになった、そこでその生まれる御子は必ず木(桜)の花の如く散り落ちてしまうでしょう」と言った。

一書に曰く、磐長姫は恥じ恨んで唾を吐いて泣いて「現生の青民草は木の花の如く急に移ろって衰えるでしょう」と言った。

一書に曰く(中略)そうして後に母の吾田鹿葦津姫(あたかしつひめ)は燃え残りの中から出てきて、(瓊々杵尊の許に)行ってとりたてて「私が生んだ御子と我が身が当然火の災いに当たったけれども少しも損なわれる所はありませんでした。天孫よ、おそらく御覧になったでしょう」と言った。答えて「私は元からこれは私の御子だと知っていた。ただし一夜で妊娠した。疑う人が有ろうかと思い、衆人(もろひと)に皆これは我が御子であること、並びにまた天つ神は一夜にして妊娠させることができることを知らしめようと思い、またお前は人知では計り知れない霊威があり、御子たちはまた人に優れた意気があることを明かそうと思ったのだ。そこで先日の嘲る言葉を発したのだ」とおっしゃった。

一書に曰く(中略)母の誓約(うけひ)は既に霊験あらたかであった。まさに知った。真に皇孫の御子であることを。そうだけれども、豊吾田津姫(とよあたつひめ)は皇孫を恨んで共にうちとけず言葉を交わそうとしなかった。皇孫は憂えて、歌を詠んで

 沖(おき)つ藻(も)は 辺(へ)には寄(よ)れども さ寝床(ねどこ)も あたはぬかもよ 浜(はま)つ千鳥(ちどり)よ

(我が妻は寝床を一緒にしようとしない)とおっしゃった。

……日本書紀では、大山津見神に代わって磐長姫自身が呪詛の言葉を吐いている。また、瓊々杵尊は最初から我が子だと分かってはいたのだと言い訳するが、木花佐久夜毘売は心を閉ざしてしまった……という結果となっている。

◆余談
 一夜にして孕むという展開は雄略天皇の時代にも起きる。采女の童女君(おみなぎみ)を召した雄略天皇だったが、童女君が一夜で孕んだことを疑い、自分の子であると認めなかったのだ。数年後、家臣の物部氏の諫言でようやく雄略天皇は自分の娘であると認める……というお話である。童女君とあるのでかなり若い年齢だったのではないかと推測される。一晩で七度とあるので雄略天皇は絶倫だったようだが、童女君は痛かったに違いない。雄略天皇だけは家臣から恐れられているイメージがあり、他の天皇とは違う印象を与えるが、こんなエピソードもあるのだ。案外、この雄略天皇のエピソードが神話に逆流したのかもしれない。

◆参考文献
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「日本書紀1 新編日本古典文学全集2」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1994)
・「口語訳 古事記 完全版」(三浦佑之, 文芸春秋, 2002)

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2020年2月 9日 (日)

鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽――折紙の舞と端神楽

◆太刀折紙之舞
 折紙の舞は江戸時代に土師一流催馬楽神楽が十二座に編成される以前の舞を受け継いでいるとされる。白紙と扇を持ち一人で舞う。その後、太刀を持って舞う。

鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・折紙の舞
鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・折紙の舞

◆端神楽
 演目と演目の間に回れる短い舞。一人による舞。白幣と鈴を持って舞う。現在は児童の巫女さんが舞うようだ。いわば神楽入門の曲とも言えようか。

鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・端神楽
鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・端神楽

◆余談
 鷲宮神社の神楽保存会に属する巫女さんは現在九名とのことで、杓舞が二度舞われる他、端神楽での出番が多くなるようだ。

◆参考文献
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット

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鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽――天津国津狐之舞

◆はじめに
 埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の番外編「天津国津狐之舞(あまつくにつきつねのまい)」は、おどけた神狐が農民に種まきを教える舞で勧善懲悪を表わしている。着面の三人による舞。ひょっとこの面を着けた山の神は合幣と鈴を持つ。天狐と地狐は杓と鈴を持って舞う。十二座の舞を十二か月に配したとき閏月に配するものとなる。この舞は十二座の舞に遅れて成立しており、江戸里神楽の影響を受けて出来たものではないかとされている。現在では八甫鷲宮神社だけで舞われる。舞の終わりに菱形の餅を撒く。

鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・天津国津狐之舞
鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・天津国津狐之舞

◆武州鷲宮神楽資料
 カタカナはひらがなに改めた。

外 天津国津狐之舞

 是は十二座の外にて専ら勧善懲悪を表したる神楽也。狐は陰の獣にして則悪也、天ツ罪、国ツ罪を諸人に示さんが為也、人の悪きを見て吾身を善に導へき教也、古書にも不善を幽冥(ゆうめい)の中になすものは、鬼得て此を誅すと云り、余殃(わう)余慶の品同しからざる理は誰れか是を恐ざらんや、夫(それ)人道は善悪のニつに過す、心術言行一切ともに善にあらざるは必ず悪に属す、総て皆過なり、学問の道も他なし、只不善を改て善にしたかふへし、天災は善を行て払、或は幸にして遁ことあり、自ら悪をなして薜子(わさわい)にあふ時は曾て逭(のがれ)すと云り、中臣祓にも高津神高津島の災と云ことあり、天狐のことはおもき伝授なれとも是を天狐の舞と云、神楽十二座を十二ケ月に配する時は、これを閏月にかたとる、何れ其年の災難をのがれるやうに菱形の餅を投、参詣の人々に取するも聊謂(いはれ)ある事也。

◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.349
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット

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2020年2月 2日 (日)

鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽――天神地祇感応納受之段

◆はじめに
 埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第十二段「天神地祇感応納受之段(てんじんちぎかんのうのうじゆのまい)」は農民が耕作を怠らずに働いても年によって豊年のときもあれば凶作のときもある。しかし、一年中穀物の神を祭り豊作を祈念すれば天候はよく豊年が続くに違いないという内容。着面の二人が舞う。鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫命。天神地祇は天地のあらゆる神のことで、感応(応え)、納受(聞き届ける)という意味。鸕鶿草葺不合尊はイザナギ命の面を着け、青幣と鈴を持つ。玉依姫命はイザナミ命の面を着け、色幣と鈴を持って舞う。

歌 常闇に 天照神を 祈りてぞ 月日と共に 後は栄ゆる

鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・天神地祇感応納受之段
鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・天神地祇感応納受之段

◆武州鷲宮神楽資料
 カタカナはひらがなに改めた。

第十二 天神地祇感応納受之舞 同二人

 此神楽は鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依娘二柱に比す、天神は天の神霊を云、日月星も其内にあり、地祇は地にある神霊也、名山大川の神、社稷(しよく)の神もその内にあり、社稷(しよく)とは国土と五穀を守る神也、天地開てよりこのかた、神の教の随(まに)々慎み守崇る時は、其は精誠を天地の神明も感し玉へて納受あるべき事の名也、凡天地の間にあらゆること、人のなす事の外は悉く神の所為也、人の為すことも人力を尽したる上に、其ことの成就せざる時は神の助によるなり、たとへば農夫耕作を怠す精を出し勤ても穀に熟不熟あり、年に豊凶あり、是に因て四時に社稷の神を祭り、豊熟を祈なば風雨順和にして豊年打つゝくこと疑なかるべし、神明感応の道理は響の声に応するが如く、一理万通と知べし、かやうに理をわざに移し、諸願成就あるやうにとて十二座の終に舞なり、爰(ここ)にて始め奉幣を勤ること始終一本帰するの意、百味を供するよりも此幣帛にて向へば猶其徳深しと云り。

◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.349
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット

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鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽――鎮悪神発弓靱負之段

◆はじめに
 埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第十一段「鎮悪神発弓靱負之段(ちんあくじんはつきううつぼのまい)」は敵を退散、悪魔を降伏させる神楽で、疫病が流行したときにこの舞を舞ったとされている。着面の二人による舞。右大臣と左大臣が弓矢、鈴を持って舞う。

 鎮悪神とは荒ぶる神を鎮めること。発弓は天照大神が下界を鎮める際に諸神に与えた弓矢をいう。靱負(うつぼ)は靱(ゆき)を背負うという意味である。素戔嗚尊が悪心をもって天照大神に会おうとしたときに、尊の悪心を見抜いた天照大神が男装し、靱を背負って対峙したという神話を題材としている。現在では右大臣と左大臣が……と解説される。

歌 行末の 御代のためにも 梓(あずさ)弓 引かぬためしを 引きやつたえん

鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・鎮悪神発弓靱負之段
鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・鎮悪神発弓靱負之段
鷲宮神社・土師一流催馬楽神楽・鎮悪神発弓靱負之段

◆武州鷲宮神楽資料
 カタカナはひらがなに改めた。

第十一 鎮悪神発弓靱負之舞 同二人

 是は怨(をん)敵退散悪魔降伏の神楽にして、疫癘(えきれい)など流行の時これを奏することあり、則豊磐間戸神、櫛岩窓神にかたとる、前に武学をなし、爰(ここ)は既に武の備を顕したる舞也、治世にも祭には兵器を用ること多し、譬は熱田石上(いそかみ)其外王子などにても、剣、太刀、長刀、楯、矛の類を以て祭ること今猶遺れり、鎮悪神とは荒振神を鎮め玉ふこと、罪ある人を形罰に行が如し、人の矢弓を帯するは禽獣の爪牙あるが如く、天然の用具なれば世の初よりある也、兵器のうちにてはとりわけ弓矢は貴く、日の神天上に座て下界を鎮め玉ふ時、諸神に給し弓矢を発弓と云、靱(ゆき)は矢受の訓令の箙箶籙(えびらやなぐひ)に同じ、それを背に負たるを云也、又日神素戔嗚尊をせめ玉ふ勢ひをも表す、故に千箭とも云、扨(さて)日本を宝の国とうらやみ、夷族稍もすれば吾国を犯し奪ひ取と謀とも、神代より其備厳重にして、たちまち是を征し鎮め玉ふありさま、則軍配治要の神楽なり。

◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.349
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット

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鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽――翁三神舞楽之段

◆はじめに
 この舞は未見である。埼玉県鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第十段「翁三神舞楽之段(をきなさんじんぶがくのまい)」は舞楽を武学と同音であり相通じるとしている。平和なときであってもどんな陰謀があるかもしれないから、平和なときこそ武学が大事であるとする舞。着面の三人(翁、千歳[せんざい]、三番叟(さんばそう)による舞。それぞれ日の丸の扇を持って舞う。三神は住吉三神の表筒男命、中筒男命、底筒男命とする。

歌 喜びの舞なれば 一舞舞おう おうさえおうさえおうという おさおさおう 千歳や ちとせの 千歳や 万歳や 万代の 万歳や

◆武州鷲宮神楽資料
 カタカナはひらがなに改めた。

第十 翁三神舞楽之舞 同三人

 翁三は表筒(うはつゝ)男命、中筒(なかつゝ)男命、底筒男命、是住吉同体なり。猿楽にては翁は天照太神、千歳は八幡太神、三番叟は春日大明神と云、翁の事は至て重き伝秘のあることなり、伝に云舞楽は武学なり、音に通す、安に居て危きを忘れざる心、舞楽と書こと敵に実の名を知せぬ意にして、軍法の常なり、前段に食を以てし、爰(ここ)に武を以てす、都て国政は食と武にあり、武は矛を止むるの義、此矛の二字を合せて武の一字を作るもの也、治乱はもと一にして不ニ、或は治の内に乱を含み、乱の内に治を含むものなれば、いかに御世平安なりといへとも戦を忘るゝ時は必ず危し、譬ば天地より虎狼を生ずるが如く、いかなる悪人ありて隠謀を企つることもはかり難し、凡文武は時代に依て優劣あるもの也。文道を第一にして其次に武道を兼て治ることあり、又武道を専にし文道をは治むることあり、帥に勝は大将と兵との和合によるなれは此神楽を奏する、形を見ても察すへきこと也。

◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)pp.348-349
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット

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