2025年の江戸里神楽を観る会の予定
2025年の「江戸里神楽を観る会」は令和7年3月16日(日)に品川区の六行会ホールで開催されるとのこと。午後1時開演(正午開場)。入場無料。全席自由席。
・神剣幽助
・品川神社・幸替の舞
・山海幸易・海神宮の場
が上演される予定。幸替の舞と山海幸易は海幸山幸のお話。神剣幽助は能由来の演目。
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2025年の「江戸里神楽を観る会」は令和7年3月16日(日)に品川区の六行会ホールで開催されるとのこと。午後1時開演(正午開場)。入場無料。全席自由席。
・神剣幽助
・品川神社・幸替の舞
・山海幸易・海神宮の場
が上演される予定。幸替の舞と山海幸易は海幸山幸のお話。神剣幽助は能由来の演目。
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下北沢の駅前劇場で、劇団1980の「人ハ落目ノココロザシ」を見る。藤田傳/作、磯村純/演出。一幕もので上演時間は90分ほど。この劇団の代表作の一つらしい。舞台は身の上相談所。カウンセラーの許に様々な事情を抱えたクライアントたちがやって来て……という内容。登場人物は全部で14人か。以下、ネタバレ含む。一部出入りするクライアントはいるが、ほとんどのクライアントが狭い舞台に居続ける。それぞれの登場人物にちゃんと見せ場がある。どうやって収拾をつけるのかと思っていたら、クライアント同士の利害が一致しはじめて続々と退場していく展開となる。なるほどと感心する。プロが書いた作品だと思う。最後の展開ははっきりとは記憶していない。まあ、みんなどことなくインテリっぽさがあるなとは思った。今の視点だと、一見カルト宗教の教祖っぽい女性の存在感が高いだろうか。彼女は実際には決断できない人間に「それがあなたの選択です」と背中を押すことしかしない。売るモノはないが、それが彼女の商売なのだ。今の時代、SNSや広告、通販サイトのレコメンドなんかが氾濫して、本当に自分の意思で物事を決めているか定かでなく、ある意味可視化されるようになった存在かもしれない。今日が千秋楽で上演終了後に最初のクライアントの老人役の人が挨拶した。希望する人は関係者と歓談できたらしい。会場では演劇関係者らしき観客の会話が聞こえた。
着いたのは12時半頃。駅前劇場が入居しているビルの二階のガストで昼食をとる。90分制とのこと。猫の顔をしたロボットが配膳してくれる。13時20分過ぎに三階に上がると既に受付は開いていた。開演前にトイレに二度行く。席は上手というか入り口近くの席だったのでホッとする。下手側の席だと奥まっていていざというときに通り抜けが厳しいので。
駅前劇場は200人ほどのキャパの小劇場。雑居ビルの一角を演劇用に改装したものと思われる。椅子はパイプ椅子。クッションは敷いている。奥の方の席でも演者の顔がはっきり見えるのは小劇場ならではかもしれない。
……なぜ下北沢にいたのかは秘密。実にしょうもないことがきっかけである。
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秩父に行く。朝6時44分のバスで家を出て西武秩父駅についたのは午前11時過ぎ。池袋駅から西武秩父駅まで約2時間の行程。西東京にお住いの方なら割と手軽な観光コースなのだろうが、横浜からだと片道4時間のコースとなり、結構大変であった。
池袋駅から西武池袋線に乗る。
車窓の風景は平坦な大地が続き、住宅が密集している。関東平野らしい光景。入間市駅は高台にあるらしく、一瞬であるが見晴らしがよかった。ほどなく飯能に到着する。
飯能から西武秩父線に乗り換え。飯能市は割と栄えた地方都市の雰囲気。飯能あたりで関東平野は終わり、そこからは山間を縫って走る形となる。秩父の辺りで広めの盆地が見えてくる。西武秩父駅に到着。
そこから秩父線にどうやって乗り換えるか分からずしばらくうろうろする。三峯神社行きのバスがあったが、神社は山奥なので到底無理であった。少し歩いて御花園駅まで行く。
そこから秩父駅まで行き(※徒歩でも700mくらいらしい)、秩父神社にお参りする。
拝殿と本殿の彩色された彫刻類が見事であった。中には左甚五郎作のものもあるらしい。神社を出て秩父まつり会館に入る。
ここでは山車や神楽面を見ることができた。秩父神社の神楽は神代神楽らしい。ここらで完全に息切れしてしまう。肉汁うどんの看板が目に入るが、秩父でも結局知らない飲食店には入れなかった。しばらく休憩して秩父駅まで引き返し、再び秩父線に乗って長瀞(ながとろ)駅まで向かう。長瀞駅から宝登山(ほどさん)神社にお参りする。
こちらも拝殿の彩色された彫刻がよかった。再び長瀞駅まで引き返し、帰りの電車まで時間があったので休憩する。
完全に息があがってしまい、秩父美術館は断念する。電車に乗ってしばらくすると、SLとすれ違った。反対方向を見ていたので、見えたのは石炭を積んだ荷台のほんのわずかな部分のみ。一本ずらせば長瀞駅でSLを見ることができたのだが、そのためにまた数十分遅れるのも嫌で見合わせた。御花園駅まで戻ると、再び歩いて西武秩父駅まで戻る。
ここでソフトクリームを食べて休憩。それから飯能駅行きに乗って飯能まで引き返す。
一旦飯能駅で下車し、北口と南口のロータリーを撮影する。
疲れていて早く帰りたかったので商店街まで足を延ばすことはできなかった。駅ビルに「ヤマノススメ」のあおいちゃんのプレートというのかアニメの絵を拡大した像が置いてあるスポーツショップがあった。飯能から池袋行の急行に乗る。案外空いていた。
池袋駅からは埼京線に乗り換える。渋谷から新宿、池袋に行くには埼京線に乗った方が楽というのに今頃になって気づく。渋谷で乗り換える。一瞬、ハチ公前の広場に出たので夜景を撮影してみたが、後で確認してみると手振れしていた。1型センサーでF2.8のレンズでは気をつけないと手振れしてしまうようだ。渋谷から田園都市線に乗る、各駅停車で幸い座れた。あざみ野駅で降車、横浜市営地下鉄に乗り換える。センター南駅で降車する。アクエリアスを飲んで水分補充。しばらく地下一階で休憩する。大阪王将で中華そばでも食べて帰るかと思っていたら、時間帯的に混んでいて(午後7時過ぎ)、諦める。江田駅行きのバス停まで行き、30分ほど待つ。それからバスに乗って帰宅する。
しかし、日帰りの小旅行で完全に息があがってしまったので、今後は小旅行すら厳しいかもしれない。
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10月10日の鷲宮神社の秋祭りの奉納神楽を鑑賞する。
・天照国照太祝詞神詠之段
・天心一貫本末神楽歌催馬楽段
・天神地祇感応納受之段
・鎮悪神発弓靭負之段
・端神楽
・磐戸昭開諸神大喜之段
・端神楽
・祓除清浄杓大麻之段
・折紙の舞
が上演された。
天照国照太祝詞神詠之段
天心一貫本末神楽歌催馬楽段
天神地祇感応納受之段
鎮悪神発弓靭負之段
磐戸昭開諸神大喜之段
祓除清浄杓大麻之段
折紙の舞
4月は家族の病気で見合わせた。7月末の夏祭りは断捨離で疲弊していたのと左足の剥離骨折で行ける状況ではなかった。10月に入って若干の余裕があるので(※本当は尻に火がついた状況だが)久しぶりに訪問することができた。
岩戸神楽、複数の演者が同時に鈴を鳴らすと神秘的な響きとなるのだが、今回は鈴の響きがいま一つだった。巫女さんは以前いた子が成長したとかそんなところか。今回出演した巫女さんは四名で以前より人数が減っていた。
コロナが5類になったからだと思うが、観客向けの椅子とテントが復活した。コロナ禍の最中は椅子がなかったため、立ちっぱなしで鑑賞しなければならなかった。これでマスクを着用していると非常に息苦しく、耐えられなくて鑑賞を諦めたこともあった。今回もマスクはしていたのだが。
上演が終わって隣の老女に話しかけられた。近所の人らしい。お神楽が好きとのことであった。石見神楽に関しては知らないようだった。「今回が最後の鑑賞になる」と告げた。
神社の拝殿は一部改修が施されていた。
今回の撮影に使ったのはペンタックスKP+シグマ18-200㎜。一年半ぶりの稼働。使い方を忘れかけていた。「光学ファインダーってこんなに見えづらかったっけ?」と思う。シャッターボタンを半押ししてもAFが迷うとでもいうのか合焦マークがなかなか出ない場合があった。途中でカード残量が無くなって急遽パナソニックTX1に切り替えたが、TX1の方が補正された画像を背面液晶に表示してくれて扱い易かった(※後で確認したら手振れを連発していた。ミラーレスや一眼レフに比べると望遠域での手振れ補正が弱いようだ)。背面液晶でみるのはモニターで鑑賞するのと変わらないので、レンズ素通しの光学ファインダーの方がライブパフォーマンスを撮影するのには合っていると思う。
KPは累計7800枚くらい撮っていた。今回撮影したのは2200枚ほど。稼働率が低い割にはまあまあの枚数か。一万枚にはさほど時間をかけずに到達するだろうし、それくらい撮れれば一応元をとれたことにはなるだろう。
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三一書房『大衆芸能資料集成 第八巻 舞台芸Ⅰ 俄・万作・神楽芝居』の神楽芝居関連のページは下記の通りである。
神楽芝居
里神楽の面芝居 181-205P
・曽我茶屋場
・絵本太功記九段目
・御所桜堀川夜討弁慶上使之段
・源三位頼政鵺退治
・白浪五人男引立之場
・勧進帳――安宅新関之場
備後豊栄神楽 206-291P
・播州皿屋敷
・毛谷村六助
・滝夜叉鬼人
・羅生門
・大江山
・小夜の中山
・市賀団七
・源義経
・上り屋島
・夜盗
・天草軍記
・和霊記
・山中鹿之助
・佐々木厳流
・猫退治
・山猫お六の舞
・油屋忠兵衛
・入唐事蹟
解説 295-339P
・民俗劇と郷土劇 295-300P
・神楽芝居 330-339P
※解説の著者は西角井正大、福岡博とある。国会図書館では共著の場合、著作権の関係で全体の半分までしかコピーできない。神楽芝居の項だけ複写する等の対策が必要かと。
今はやらなくなったようだが、首都圏の神代神楽では面芝居という芸能も上演していたとのこと。収録された台本は厚木市の垣澤社中の提供によるようだ。神代神楽は口上のほとんどない黙劇だが、面芝居の台本をざっと確認するとセリフのある劇である。タイトルから判断するに、地芝居、農村歌舞伎に近いのだろうか。ただ、着面すると、セリフがくぐもって聞き取りにくくなると予想されるのだが、そこら辺どうしていたのか(※解説を読むと、面の口のところに穴を空けていたとある)。
映像資料が残されているか不明。台本はあるので復活上演は可能だろう。解説によると、台本は収録されていないが「魚屋宗五郎」も上演されたらしい。たまたま歌舞伎で見る機会があったのだけど、酒癖の悪い宗五郎がつい酒を飲んでしまって止まらなくなる展開が面白かった。
備後神楽に関しては、歌舞伎、講談に由来するものを収録したとのこと。
現在、疲弊していて本文まで読むことが難しい。疲れが抜けたら、いずれ読みたい。
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江の島に行く。10時40分のバスで家を出て、JR横浜駅で横須賀線に乗り換え、鎌倉に向かう。JR鎌倉駅には昼過ぎに到着した。鎌倉には二度行ったことがあるのだけど、鶴岡八幡宮しか行っていない。実は横浜から横須賀線で行けると知らなかったのである。藤沢から乗り換えるものだと長年思い込んでいた。鎌倉からは江ノ電に乗る。
平日の昼間だったが、ホームは観光客で混雑していた。四両編成なので収容能力も知れているのだけど、本数は多いみたいで特に待たされはしなかった。深く考えずに先頭車両に乗ったのだが、先頭車両は前面展望を見たい客で混雑していた。ただ、シェードのようなもので覆われていたので、そこまでよく見えるかは分からない。鎌倉駅を出た時点ではかなり混雑していたのだけど、長谷駅辺りで乗客はかなり降車して、以降は割と空いていた。車窓の風景として七里ガ浜の海岸線を見ることも一応できた。座席の関係で進行方向とは逆方向でだったけど。横浜の近くにきれいな海岸線があって、周辺は歴史のある地区である。映画やドラマなどのロケ地として好まれる理由が理解できた。江ノ島駅で降車する。
立ち入り禁止区域に入ってしまって注意される。駅を出て江の島方面に向かう。弁天橋の手前でしばらく休憩する。それから再び歩きはじめる。橋を渡る途中で、ピットブルかどうかは知らないが、テリア系と思われる大型犬を連れた人とすれ違う。口輪をはめていた。噛み癖のある犬は口輪を付けたりするのだけど、おそらくテリアに嚙まれると危険なので予め付けているのだろう。橋の長さは600mくらいか。
渡り切ったところでまた休憩する。それから仲見世通りを歩いて江島神社の辺津宮まで上る。
手水所の辺りで息が切れてしまう。何とか拝殿まではたどり着いたが、これ以上は無理と判断して、お参りだけして引き返す。事前に調べていなかったのだが、エスカーというのは辺津宮から先に進むためのエスカレーターらしい。計画段階では中津宮や奥津宮まで行ければと考えていたのだけど、やはり長距離を歩けなくなっていて、江の島駅から辺津宮まで片道1.5㎞くらいだろうか、その程度で限界に達してしまった。以前のようには歩けなくなっている。帰りも当然仲見世通りを通ったのだけど、生しらす丼は諦めた。「孤独のグルメ」のように知らない店にふらっと入るのができない性質なのである。橋の手前で再び休憩して、それから橋を渡る。それから片瀬海岸(東側)に入ってまた休憩する。
僕自身は時々海が見たくなる性分なのだが、この歳になるまでそれなら江の島に来ればいいと知らなかったのは残念なことである。午後3時くらいまで休んで引き返す。帰りは湘南モノレールに乗る。
モノレールは見晴らしが良くて乗っていて楽しかった。狭く曲がりくねった空間を進むので、モノレールでなければならないのだろう。大船駅まで出て、JR根岸線に乗る。根岸線自体が初めてか。横浜駅に戻り、それから地下鉄で引き返す。
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下北沢の本多劇場に行く。キ上の空論「獣三作 三作め 緑園にて祈る その子が獣」を見る。タイトルの獣はキリスト教、聖書的な意味での獣に近いニュアンスかもしれない。タイトルからすると三部作の第三作目と思えるので、ストーリーを把握できるか不安だったが、その点では問題なかった。上演時間約2時間15分の一幕もの。
舞台は孤島。語り部は主人公の娘。主人公の母はカルト宗教の熱心な信者か教祖らしく、主人公は母親の強い抑圧下にある。そういう状況で小3→小6→高校生と主人公の人生のステージが進んでいき、やがて主人公は島を出て東京に行き……というような粗筋。
主人公の人生のステージが次々と入れ替わっていく。なので、舞台装置は基本的には最小限で構成されている。椅子と机、その他毛布など。他に天井から吊るされるものもあるが。ステージ奥でギターがBGMを奏でている。時々爆音になってドキッとする。
事前に情報を仕入れないで映画を観たりするのだけど、本作は登場人物も多く、内容を把握するのに時間がかかった。特に難解な作品という訳ではないが、僕のような一見さんには優しくなかったかもしれない。
本多劇場は中規模クラスの劇場。舞台専用の施設だった。天井は同じくらいの規模の映画館よりも高かった。それにどういう意味があるのかは分からない。これくらいの規模が演劇にはちょうどいいのだろうか。昼の上演だったが客席は9割がた埋まっていた。ただ、施設そのものは古いと思われ、シートの座面がクッションの厚みの割に具合が悪く、尻がすぐ痛くなってしまった。
下北沢の演劇も駅前劇場、本多劇場各一回とアリバイ程度にしか経験できなかった。もしかして自分は自分で思っているよりもライブパフォーマンスが好きなのではないかと思うようになったのがここ数年だから仕方ないのだが。
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銀座の歌舞伎座に行く。今回も開場の約一時間前に現地に着いて近くの喫茶店で時間を潰す。
座席は三階席で西の14番。席が分からないと思って係員さんに訊くと、劇場の側面の席だった。劇場全体は見渡せて歌舞伎座という大劇場がどのような感じなのかはよく見渡せたが、下手が見切れてしまう。下手側の花道は全く見えない。
演目は「妹背山婦女庭訓」と「勧進帳」。「妹背山婦女庭訓」は情報を事前に仕入れずに見たらセリフがほとんど聞き取れず、演技で何をやっているかは分かるが具体的なストーリーは分からずという結果になった。「入鹿」は分かったので蘇我入鹿に由来する話ということまでは分かったが。「勧進帳」は粗筋は知っていたので大まかには分かったが。歌舞伎も実はセリフは聞き取れていなくて、事前に知っている粗筋で脳内補完しながら鑑賞しているのだろうかと思わされた。
「妹背山婦女庭訓」の吉野川の場では舞台の中央に吉野川を描き、舞台の上手と下手にそれぞれ屋敷を置いて男女それぞれのストーリーが展開されるという構成だった。三階席だったので、舞台を俯瞰することができてその点では良かったのだが、何せ下手が見切れてしまう。A席を買ったらこうなったのだけど、これならB席の方が良かったかと思った。「勧進帳」も幕が引かれた後の飛び六方か、それは全く見えなかった。
その他、幕間にめで鯛焼きを食す。
ここ数か月、夜9時頃に寝て朝3時頃に起床する生活をしているので、「勧進帳」では眠くて仕方なかった。幸い、帰りの電車では座ることができた。
……という訳で、能/狂言と歌舞伎はアリバイ程度には見ることができた。横浜には三十年近く住んでいた訳だけど、ご縁がないとこんなものだろうか。
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相模原薪能を鑑賞に行く。相模原方面はあまり行かないので時間が読めず、9時50分のバスに乗って出たら、11時には相模大野駅に着いてしまった。相模大野駅が町田の隣と知らなかったというオチ。開場は13時で二時間も前に着いてしまったので、とりあえず駅構内の待合室的な空間で一時間ほど時間を潰す。それから駅を出て、少し迷うが人の列を見つけて着いていくと相模女子大グリーンホールに到着した。まだ時間があったので、隣の公園の木陰で腰を下ろして休憩する。時間になったのでホールに引き返したらかなり混雑していた。座席指定なので慌てず列に並ぶ。
ステージはかなり奥行があった。クラシックコンサートも催されるので、それに対応しているのだろう。そこに能舞台が再現されていた。
座席は二列目で舞台の中央に位置する絶好の席であった。本来であれば一万円は下らない席を破格値で確保できた幸運。13時半になって開演する。初めに副市長と学長の挨拶がある。このとき疲労度がピークに達してこれで鑑賞できるのかと不安になる。
それから「船弁慶」の解説が入った。義経役は子方が演じるが、これは観客の感情移入を狙ってのものだとのこと。解説が無ければ前シテ(静御前)と後ジテ(平家の亡霊)が同じ演者によるものだと気づかなかっただろう。
仕舞「八島」
仕舞「吉野静」
狂言「惣八」
能「船弁慶」
が上演された。宝生流。冷房が効いていたからか、上演が始まると疲労感は抜けていった。普段クーラーのない環境で暮らしていて消耗しているのである。
狂言「惣八」は出家と料理人が互いのスキルを交換する滑稽な内容。間違って鯛と鯉の調理を逆にしてしまう(※鯉を刺身に、鯛を輪切りにしてしまう)。法華経はみゃーみゃーと読むだけ。最後に主人にバレて花道を駆け足で退場していく姿が好きである。
船弁慶は追われる身となった義経が静御前と別れるべきか悩む。静御前は別れたくない。その後、出航した義経と弁慶の前に平家の亡霊が立ちはだかるという内容。
船弁慶は能の中では分かりやすい演目で上演機会が多いとのことであったが、確かに分かりやすい内容であった。子方は小学校低学年くらいの男児。一時間半以上ある演目でじっとしているだけでも大変だろう。とにかく舞台の上では皆身じろぎすることすらしないのであるが、それだけでも大変なことだと思う。また、発声が大ホールでも隅々まで届く朗々としたものだったことにも驚かされる。
僕は芸能の良しあしなど分からないが、静御前は重々しい演技だったのに対し、平家の亡霊は激しい所作を見せた。能は重い演技だけではないのだと気づかされた。静御前の衣装が照明に映えてその舞が美しかった。亡霊の面は骸骨のようでもあり怖さに満ちたものだった。もしも所有したら不吉なことが起きるかもと感じさせる造作だった。
僕は日本の芸能史、演劇史を知らないが、どうしてこういう形で結実したのだろうと思う。狂言は普通にセリフのやり取りがある会話劇である。囃子や謡を含むという点では当時の総合芸術的な構成だったのだろうか。能は上流階級がみるものだったというのもあるだろう。
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Xのポストで『大衆芸能資料集成』第八巻「舞台芸Ⅰ」(三一書房 1981)という本に厚木市の垣澤社中の面芝居の台本が収録されていることが分かった。面芝居は今は上演されることがなくなったようだが、神楽師たちがセリフのある劇にも取り組んでいたことは興味深い。僕は地芝居や面芝居は鑑賞した経験がないが、農民歌舞伎のようなものだろうか。旧那賀郡では地芝居が盛んだったと何かで読んだことはある。島村抱月と地芝居の関係はどうだったか。
で、芸北神楽の新舞とどこかで通底していないか興味がわいたのである。というのは、新舞だったかスーパー神楽だったか忘れたが、「歌舞伎化している」と評したコラムを読んだことがあるからである。実際に歌舞伎を鑑賞して言いえて妙だと思った。
神楽自体、長い時間をかけて演劇化していった地域もあるのだが、芸北神楽の場合、神話劇という枠組みを離れて説話を大幅に取り入れていっている。ライブで鑑賞したことはないが、見た感じ、より演劇に近づいてきている。そういった観点でみると、首都圏で過去に神楽師の間で面芝居が流行し、やがて何らかの理由で衰退していったという事例が既に存在していたということが興味深く思えるのである(※別に新舞が衰退すると予言している訳ではない)。
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