出雲・隠岐・鳥取

2019年10月 4日 (金)

歩く・見る・聞く――石塚尊俊「顧みる八十余年―民俗採訪につとめて―」

石塚尊俊「顧みる八十余年―民俗採訪につとめて―」を読む。出雲の碩学と言える著者の自伝的作品。生い立ちから中学校卒業までは普通の自叙伝風に描かれるが、大学に上がって民俗学を専攻するようになってからはテーマ別に分かれる。日記、採訪ノートをこまめにつけていたようで、何月何日、何時何分の特急で移動し、誰と会い、どこそこに泊まった等細かに記録されている。

民俗採訪七十年の章では、サエの神に始まって/タタラ・金屋子神をたずねて/納戸神との出会い/俗信の由縁を探る/イエの神・ムラの神、年頭行事/離島を訪ねて/奥所の神楽/民俗の地域差を考える―北陸同行地帯と安芸門徒地帯―と節が分かれる。また、各節に関連する論文が引用されている。

神楽については、離島を訪ねて/奥所の神楽といった節で言及される。中四国・九州と丹念に見て回っている。その成果が「西日本諸神楽の研究」としてまとまっていて博士論文ともなっているのだけど、郷土史の執筆等、神楽だけに専念する時間的余裕が無かったようで、東北、関東、中部など東日本の神楽には奥三河の花祭り以外言及されない。これがいかにも惜しく思われる。

「サエの神に始まって」では境界の神である塞の神を考察している。してみると、僕のルーツである浜田市下府町の才ヶ峠は塞の神と地獄の閻魔様の眷属を祀る十王堂が共存していることが特徴か。いわば生の世界と死の世界とを分かつ境界でもある訳だ。

戦時中は出征していて、中国戦線にいたようだ。満州や南方戦線だと生きて帰れなかっただろうと述懐している。中国では国境警備などに従事していたようで、激しい戦闘には遭遇していないようである。それでも、牛尾三千夫に対しては出征していない癖にといった複雑な感情があるのを別の論文(講演)で読んだことがある。

大正生まれの人であり、戦後、高度経済成長で民俗が失われ始めるまでの言わば民俗学の絶頂期を歩く・見る・聞くといった行為に費やしている。そういう意味では地方在住の民俗学者としての務めを忠実に果たしている。

<追記>
石塚は雑誌「山陰民俗」を主宰していたが、山陰民俗学会発足の経緯については語られていない。それは他の講演などで説明されたことだからかもしれない。

 

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2019年7月28日 (日)

鹿島と国譲り

◆はじめに
 石見神楽に出雲の国譲りを描いた「鹿島」という演目がある。国譲りの為に遣わした天穂日(あめのほひ)命と天若日子(あめのわかひこ)命が戻らず、天照大神と高木神(たかぎのかみ)は経津主(ふつぬし)神と武甕槌(たけみかづち)神を出雲に遣わす。このニ神が登場するのは日本書紀によるだろう。古事記は武甕槌神のみだ。また、大国主命は国を献上する証として自身の象徴ともなる広矛を経津主神に渡す。これで「八十神」から「鹿島」に至る大国主命の物語は終わりを告げる。息子の建御名方神が力比べを挑んで相撲をとるが、歯が立たず、建御名方神は諏訪迄逃げ出し降参する……という流れである。

◆動画
 YouTubeで都治神楽社中の「鹿島」を見る。まず経津主神と武甕槌神が登場、舞う。出雲の国に到着して大国主命が登場、国譲りを迫られた大国主命は承諾、自身の象徴である広矛を経津主神に渡す。大国主命が退場して建御名方神が大岩を持って登場、経津主神と相撲をする。叶わないと見た建御名方神は神楽殿の外に逃げ出し(信濃の諏訪湖まで逃げたことを表現している)、経津主神がそれを追う。途中、観客の子供を抱いたりする。再び舞台に戻って建御名方神は降参、経津主神の喜びの舞で終わる。

◆古事記
 古事記の該当部分を直訳調ながら現代語訳してみた。

 ここに天照大神は仰せになって「また何れの神を遣わせば良いか」と告げた。そうして思金神(おもいかねのかみ)と諸々の神とで「天の安の河の河上の天の石屋にいる名は伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)を遣わすべきです。もしまたこの神でなければ、その神の子の建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)を遣わすべきです。また、その天尾羽張神(あめのをはばりのかみ)は逆さまに天の安の河の水を塞き止めて道を防ぐ為に、他の神は行くことができません。そこで別に天迦久神(あめのかくのかみ)を遣わして問うべきでしょう」と申した。そこでそうして、天迦久神を遣わせて天尾羽張神に問うたときに答えて「恐れ入ります。お仕えいたしましょう。されども、この道には自分の子である建御雷神を遣わすべきでしょう」と申して、ただちに奉った。そうして天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神に添えて遣わした。

 これを以て、このニ柱の神は出雲の国の伊耶佐(いざさ:稲佐)の小浜(をはま)に降って到り、十握(とつか)の剣を抜いて、逆さまに波打ち際に刺し立てて、その剣の先にあぐらをかいて座って、その大国主神に問うて「天照大神と高木神の問いの遣いとなった。お前が統べる葦原の中つ国は我(天照大神)が御子が統治する国とお命じになった。そこでお前の心は如何に」と言った。そうして答えて「自分には申すことができません。我が子の八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)がこれにもうしましょう。されども、鳥の狩猟や魚釣りのために御大之前(みほのさき:美保関)に行って未だ還ってきません」と申した。そこでそうして天鳥船神を遣わせて八重事代主神を召して問うた時に、その父の大神に語って「恐れ多いことです。この国は天つ神の御子に献上しましょう」と言ってただちにその船を踏み傾けて天の逆手(普通と逆の拍手の仕方)で青々とした柴垣に変えてお隠れになった。

 そこでそうして、その大国主神に問うて「今、お前の子の事代主神は斯く申し終わった。また申すべき子があるか」ここにまた申して「また、自分の子に建御名方神(たけみなかたのかみ)がいます。これを除いてはおりません」とこの様に申す間に、その建御名方神は千人がかりで引く岩を手に捧げ持って来て「誰が我が国に来て内緒でこのような物言いをするのか。ならば力比べをしようと思う。そこで、自分はまずその御手を取ろうと思う」と言って、そこでその(建御雷神の)手を取らせたところ、たちまち氷柱と成って、また剣の刃(は)に成った。そうしてその建御名方神の神の手を取ろうと思って、乞い寄せて取ったところ、若い葦を取る様に取って押しつぶして投げて放てば、たちまち逃げ去った。そこで追い行きて科野国(しなののくに:信濃の国)の州羽海(すはのうみ:諏訪湖)に攻め到って、殺そうとした時に、建御名方神が「恐れ多いことです。自分を殺すことなかれ。ここを除いては他の処に行きません。また我が父大国主神の命令に背きません。八重事代主神の言葉に背きません。この葦原の中つ国は、天つ神の御子の命令のままに献上しましょう」と申した。

 そこで更にまた還って来て、その大国主神に問うて「お前の子達である事代主神と建御名方神の二柱の神は天つ神御子の命令のままに違(たが)うことは無いと申し終わった。そこで、お前の心はいかに」と言った。そうして答えて「自分の子ら二柱の神が申すままに自分は背きません。この葦原の中つ国は命令のままにそっくり献上しましょう。ただ自分の住処は天つ神の御子の天の日継ぎの御子が十分に統治する天の住処の如くに、岩根の底に宮柱を太く建て、高天原に千木を高く立てて祭っていただければ、自分は百には足らず八十もの多くの道の曲がり角を行った所に隠れておりましょう。また我が子らの百も八十もの大勢の神は、八重事代主が諸神の先頭に立ちまた後尾に立って天つ神の御子にお仕えするならば、逆らう神はいないでしょう」とこのように申して、出雲の国の多芸志(たぎし)の小浜に天の社殿を造って水戸神(みなとのかみ)の孫櫛八玉神(くしやたまのかみ)を食膳と司る調理人として、天の和え物を献上した時に祝いの言葉を述べて、櫛八玉神が鵜(う)となって海の底に入り、底の埴土(粘土)を食い出して天の八十もの皿を作って、ワカメの茎を刈って火きり臼(発火具)を作って海藻の茎で火きり杵を作って、火をきり出して、

 是の我(あ)が燧(き)れる火は 高天原には 神産巣日御祖命(かみむすびのおやのみこと)の、とだる天(あめ)の新巣(にひす)の凝烟(すす)の 八拳(やつか)垂(た)るまで焼(た)き挙(あ)げ、地(つち)の下は、底津石根(そこついはね)に焼(た)き凝(こ)らして、栲繩(たくなわ)の千尋(ちひろ)繩打(なわう)ち莚(は)え、釣為(つりす)る海人(あま)が、口大(くちおほ)の尾翼鱸(をはたすずき)、さわさわに控(ひ)き依(よ)せ騰(あ)げて、打竹(うちたけ)のとををとををに、天の真名咋(まなぐひ)を献(たてまつ)る。

 そこで、建御雷神は返って参上し、葦原の中つ国を言葉で諭して和らげ征服したと復命した。

◆日本書紀

 日本書紀で古事記との異同を幾つかピックアップすると、

 この後に高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が更に諸々の神を集めて葦原の中つ国に遣わすべき者を選んだ。皆申して「磐裂(いはさく) 磐裂、ここではイハサクと云う。根裂神(ねさくかみのこ)磐筒男(いはつつのを)・磐筒女(いはつつのめ)が生んだ子経津 経津、ここでは賦都(フツ)と云う。主神がよいでしょう」と申した。そのとき天石窟(あめのいはや)に住む神で、稜威雄走神(いつのをはしりのかみ)の子、甕速日神(みかはやひのかみ)、甕速日神の子、熯速日神(ひのはやひのかみ)、熯速日神の子武甕槌神(たけみかづちのかみ)がいた。この神が進んで曰く「どうしてただ経津主神だけが独り強く勇ましい男子で、自分はそうではないでしょうか」と申した。その言葉と語気は激しかった。そこで、ただちに経津主神に添えて葦原の中つ国を平らげさせた。

 ただちに国を平らげた時に使った広矛を以て、二神に授けて曰く「自分はこの矛で遂に統治の勲がありました。天孫がもしこの矛を用いて国をお治めになったならば、必ずや平安となりましょう。今自分は百に足らず八十もの道の曲がり角の隅に隠れましょう」と言った。八十隈(やそくまで)、ここでは矩磨埿(クマデ)と云う。言い終えて遂にお隠れになった。ここに二神は諸々のまつろわぬ鬼神たちを誅罰した。一書に曰く、二神は邪神(あしきかみ)と草・木・石の類を誅罰し、皆すっかり平らげた。その服属しないものは、ただ星神(ほしのかみ)香香背男(かがせお)だけだった。そこでまた倭文神(しとりがみ)建葉槌命(たけはつちのみこと)を遣わしたところ従った。そこで、二神は天に登ったと言う。倭文神、ここでは斯図梨俄未(シトリガミ)と云う。遂に以て復命した。

……とある。大己貴神(おほあなむちのかみ)が渡した国を平定した広矛は、重要なアイテムとして登場するが、以降で語られることはない。

◆余談
 出雲には巨大な四隅突出型墳丘墓が幾つかあって、その文化圏が北陸まで広がっていたとされる。出雲に王権があったことを伺わせる。

 自分が子供の頃に読んだ小学館・少年少女世界の名作文学に収められた「古事記」では事代主神と建御名方神の他に兄弟が出て来て、天つ神に挑むがすぐに負かされてお隠れになってしまう……といった件があった記憶があるのだが、原典にはない。どこから持ってきたのだろう。

◆参考文献
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「日本書紀1 新編日本古典文学全集2」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1994)
・「校定石見神楽台本」(篠原實/編, 石見神楽振興会, 1954)pp.37-45
・「口語訳 古事記 完全版」(三浦佑之, 文芸春秋, 2002)

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2019年7月21日 (日)

菩比の上使と天之返矢

 ◆国譲りの前段
 古事記には国譲りの前段として天穂日命と天若日子が出雲に天下ったが、大国主命に懐柔されて不発に終わるという神話が記されている。石見神楽ではこの部分は神楽化されていないのだが、関東の里神楽では「菩比(ほひ)の上使」と「天之返矢」という演目で神楽化されている。

◆横浜の神代神楽
 2019年6月に横浜市天王町の橘樹神社の例大祭で「菩比の上使」が演じられた。国譲りを命じられて天下った天菩比神(あめのほひのかみ)は大国主命の子供である建御名方命と対峙して国譲りを迫る。一方、建御名方命は酒宴を催して酒好きな天菩比神に酒を飲ませて、酔いつぶれさせて、酔いから醒めた天菩比神と斬り合いをして勝利、天菩比神を打倒するという内容となっている。また、劇中では建御名方命の従者のモドキが二名登場して、滑稽な動作を繰り広げる。

菩比の上使:建御名方命登場
菩比の上使:建御名方命登場
菩比の上使:建御名方命の配下のモドキ二名
菩比の上使:建御名方命の配下のモドキ二名
菩比の上使:天菩比神登場
菩比の上使:天菩比神登場
菩比の上使:建御名方命に国譲りを迫る天菩比神
菩比の上使:建御名方命に国譲りを迫る天菩比神
菩比の上使:建御名方命に酒を勧められる天菩比神
菩比の上使:建御名方命に酒を勧められる天菩比神
菩比の上使:酔いつぶれた天菩比神
菩比の上使:酔いつぶれた天菩比神
菩比の上使:モドキが様子を伺う
菩比の上使:モドキが様子を伺う
菩比の上使:酔いから覚めた天菩比神、建御名方命と斬り結ぶ
菩比の上使:酔いから覚めた天菩比神、建御名方命と斬り結ぶ
菩比の上使:敗れて命乞いする天菩比神
菩比の上使:敗れて命乞いする天菩比神
菩比の上使:呆然とした天菩比神
菩比の上使:呆然とした天菩比神
菩比の上使:ガッツポーズする建御名方命
菩比の上使:ガッツポーズする建御名方命
菩比の上使:モドキ、残りの酒を飲んで退場
菩比の上使:モドキ、残りの酒を飲んで退場

◆相模原市の神代神楽
 2018年9月に相模原市・亀ヶ池八幡宮の番田神代神楽で「天の返し矢」を見ることができた。高天原から遣わされた天若日子が大国主命に国譲りを迫るも、大国主命の娘である下照姫に一目ぼれしてしまって、様子を見にきた雉を弓矢で射て、自身も射返されて死んでしまうという筋。悲劇的内容で神楽を終わりにするのでなく、次にタリ(どういう漢字をあてるのか分からないが)というモドキがおかめと道で鉢合わせして、互いに譲らず滑稽な所作を繰り返すという明るい内容で締めた。関東の里神楽なので基本、黙劇なのだけど、マイクで解説しながらの上演となった。

天之返矢:大国主命登場
天之返矢:大国主命登場
天之返矢:下照姫
天之返矢:下照姫
天之返矢:天若日子
天之返矢:天若日子
天之返矢:大国主命と対面する天若日子
天之返矢:大国主命と対面する天若日子
天之返矢:下照姫と天若日子
天之返矢:下照姫と天若日子
天之返矢:高天原の使いの雉が登場
天之返矢:高天原の使いの雉が登場
天之返矢:雉を射たが射返される天若日子
天之返矢:雉を射たが射返される天若日子

◆古事記
 古事記の該当部分を直訳調だが現代語訳にしてみた。

 天照大神は「豊葦原千亜紀長五百秋水穂国(とよあしはらのちあきのながいほあきつみずほのくに)は我が御子の正勝吾勝々速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)が統治する国だ」と命じて、天下らせた。ここで天忍穂耳命を天の浮橋に立たして「豊葦原千亜紀長五百秋水穂国は大層ざわめいています」と告げて、更に還り参上して天照大神に申した。そうして高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と天照大神が天の安の河原に八百万の神を集めに集めて、思金神(おもいかねのかみ)に思考させて「この葦原の中つ国は我が御子が統治する国と命じて賜った国だ。そこで、この国にちはやぶる(勢いのある)荒ぶる国つ神どもが数多いるのを思うに、これ、何れかの神を遣わして言葉で説いて従わせよう」とおっしゃった。そうして思金神と八百万の神と協議して曰く「天菩比神(あめのほひのかみ)を遣わすべし」と申した。そこで天菩比神を遣わしたところ、ただちに大国主神に媚ひ付いて三年に至るまで帰って命令されたことの結果を報告しなかった。

 これで高御産巣日神と天照大神は再び諸々の神たちに「葦原の中つ国に遣わした天菩比神は久しく復命しない。またいずれかの神を遣わせれば良かろうか」と問うた。そうして思金神が答えて「天津国玉神(あまつくにたまのかみ:高天原の国魂の神)の天若日子(あめわかひこ)を遣わすべきです」と申した。そこでそうして、天のまかこ弓と天のはば矢を天若日子に賜って遣わした。ここで、天若日子はその国に降り到って、ただちに大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)を娶って、またその国(出雲)を獲ようと思慮して、八年に至るまで復命しなかった。

 そこでそうして天照大神と高御産巣日神はまた諸々の神達に「天若日子は久しく復命しない。また何れかの神を遣わして天若日子が久しく留まっている理由を問おう」と問うた。ここに諸々の神と思金神は答えて「雉(きじ)で名は鳴女(なきめ)を遣わすべきです」と申したときに仰せになって「お前が行って、天若日子に『お前を葦原の中つ国に遣わせた理由は、その国の荒ぶる神達を言葉を以て従わせ和らげることである。なぜ八年に至るまで復命しないのか』と状況を問え」と仰せになった。

 そこでそうして、鳴女は天から下って到って、天若日子の門の神聖な桂の上にとまり、天つ神の仰せの通り、委細を伝えた。そうして、天佐具売(あまのさぐめ)はこの鳥の言葉を聞いて天若日子に語って曰く「この鳥はその鳴き声が甚だ悪いものです。そこで、射殺すべきです」と進言すると、ただちに天若日子は天つ神の賜った天のはじ弓と天のかく矢を持ってその雉を射殺した。そうして、その矢は雉の棟を貫通して逆さまに射上がって天の安の河の河原にいらっしゃる天照大神と高木神(たかぎのかみ)の許に到った。この高木の神は高御産巣日神の別名だ。そこで、高木神はその矢を取って見たところ、血がその矢の羽に付いていた。ここで高木神が告げて「この矢は天若日子に賜った矢だぞ」と宣言して、ただちに諸々の神達に示して「もし天若日子が命令を過たずに悪しき神を射ようとした矢が至ったのであれば、天若日子には当たるな。もし邪心を抱いているなら天若日子はこの矢の災いを受けよ」と言って、その矢を取って、その矢の穴から突き返して下したところ、天若日子が朝方になってもまだ寝ているその高い胸先に当たって死んだ<これは還矢(かへりや)の本(もと)ぞ>。またその雉は還らなかった。そこで、今の諺(ことわざ)に「雉の頓使(ひたつかい:行ったきり帰ってこない使者)」と言う本(もと)はこれだ。

 そこで、天若日子の妻の下照比売が泣く声は風に響いて天まで到った。ここに、天にいる天若日子の父の天津国玉神とその妻子は聞いて、下って来て、泣き悲しんで、ただちにそこに喪屋を作って河の雁をきさり持ちとして、鷺(さぎ)を箒(ほうき)を持つ役として、カワセミを死者のための調理人として、雀(すずめ)を碓女(臼で米をつく女)として、雉を泣き女として、斯く行ないを定めて八日と八晩神遊び(歌舞音曲)をした。

◆余談
 天穂日命は国譲りには失敗するものの、その後、出雲国造家の祖先となって出雲大社を主宰する。現代でも出雲国造家は出雲地方に於いて大きな権威だ。数年前には出雲国造家と皇室が結ばれて千数百年ぶりに皇統が繋がったと話題になった。

 天佐具売(あまのさぐめ)は天邪鬼の原型とされている。

◆参考文献
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「日本書紀1 新編日本古典文学全集2」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1994)
・「口語訳 古事記 完全版」(三浦佑之, 文芸春秋, 2002)

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神楽では茶利だけど――八十神

◆はじめに
 石見神楽に「八十神」という演目がある。出雲の大国主命の大勢の兄くらいの意味だけど、兄まあ、弟まあのコンビが茶利としてユーモラスな会話を繰り広げる内容である。

 「校訂石見神楽台本」によると、因幡の八上姫に求婚した武彦が断られて八上姫を滅ぼそうとするが逃げられる。乙彦が登場して兄弟で大国主命を滅ぼそうとするが、大国主命に返り討ちに遭う……といった粗筋である。

 神楽ではユーモラスな茶利なのだけど、原典の古事記では八十神は狡猾で残忍な存在として描かれている。

◆動画
 YouTubeで石見神楽宇野保存会の「八十神」を見る。宇野小学校の体育館で催されたお祭りに奉納されたものらしい。マイクで拡声していて、八十神の口上は却って聞き取りづらく、何か面白いことを言っているなくらいにしか分からなかった。

◆関東の里神楽~八上姫、因幡白兎
 2019年11月に越谷市のこしがや能楽堂で梅鉢会の「八上姫」と「因幡白兎を観る。

 「八上姫」は八上姫に大国主命の兄の八十神(ここでは三神)が求婚するも断られてしまう。おかめさんが、目隠しをして鈴の音を頼りに姫を捕まえたものが姫をお嫁さんにできると言うのでそうすると、八上姫はそこへやってきた大国主命とすり替わってしまう。大国主命を捉えた八十神は怒り、罰として八十神の荷物を持たせることになる。困り果てた大国主命の許に再び八上姫が現れる……という筋。

梅鉢会・八上姫・八上姫
梅鉢会・八上姫・八上姫
梅鉢会・八上姫・八十神その1
梅鉢会・八上姫・八十神その1
梅鉢会・八上姫・八十神その2
梅鉢会・八上姫・八十神その2
梅鉢会・八上姫・八十神その3
梅鉢会・八上姫・八十神その3
梅鉢会・八上姫・八上姫に求婚を断られる八十神
梅鉢会・八上姫・八上姫に求婚を断られる八十神
梅鉢会・八上姫・目隠しする八十神
梅鉢会・八上姫・目隠しする八十神
梅鉢会・八上姫・目隠しして八上姫を探す八十神
梅鉢会・八上姫・目隠しして八上姫を探す八十神
梅鉢会・八上姫・そこへやって来た大国主命
梅鉢会・八上姫・そこへやって来た大国主命
梅鉢会・八上姫・八十神、大国主命を捕まえる
梅鉢会・八上姫・八十神、大国主命を捕まえる
梅鉢会・八上姫・八十神に蹴飛ばされる大国主命
梅鉢会・八上姫・八十神に蹴飛ばされる大国主命
梅鉢会・八上姫・八十神の荷物を持つよう命じられた大国主命
梅鉢会・八上姫・八十神の荷物を持つよう命じられた大国主命
梅鉢会・八上姫・従者のもどきが荷物を持ち上げ得ようとするが、なかなか持ちあがらない
梅鉢会・八上姫・従者のもどきが荷物を持ち上げ得ようとするが、なかなか持ちあがらない
梅鉢会・八上姫・従者のもどきが荷物を背負う
梅鉢会・八上姫・従者のもどきが荷物を背負う
梅鉢会・八上姫・困り果てた大国主命の許に八上姫がやって来る
梅鉢会・八上姫・困り果てた大国主命の許に八上姫がやって来る
梅鉢会・八上姫・大国主命を慰める八上姫
梅鉢会・八上姫・大国主命を慰める八上姫
梅鉢会・八上姫・もどきをおかめさんが介抱する
梅鉢会・八上姫・もどきをおかめさんが介抱する

「因幡白兎」は隠岐の島に住む白兎がワニザメをだまして因幡の国へ渡るが、騙されたと知って怒ったワニザメたちに毛皮を剥かれ丸裸となってしまう。そこに八十神が現れる。八十神は塩水を白兎の身体に撒いたので白兎はいよいよ苦しんでしまう。そこに大国主命が通り掛かり、従者のもどきとおかめさんに真水を持ってきて掛けさせ、蒲の穂を身体に撒きつけると身体が元通りとなる(しかし、苦しんでいる白兎を他所に、もどきとおかめさんは物を運ぶときの舞を舞うのだった)。そして八神姫も現れ、大国主命と八上姫は連れ舞を舞う……という粗筋。

梅鉢会・因幡白兎・白兎
梅鉢会・因幡白兎・白兎
梅鉢会・因幡白兎・鰐鮫
梅鉢会・因幡白兎・鰐鮫
梅鉢会・因幡白兎・鰐鮫を飛び越える白兎
梅鉢会・因幡白兎・鰐鮫を飛び越える白兎
梅鉢会・因幡白兎・実はお前たちを騙したのだと白兎
梅鉢会・因幡白兎・実はお前たちを騙したのだと白兎
梅鉢会・因幡白兎・怒った鰐鮫に毛皮を剥かれてしまう
梅鉢会・因幡白兎・怒った鰐鮫に毛皮を剥かれてしまう
梅鉢会・因幡白兎・通りかかった八十神に塩水を撒かれてしまい苦しむ
梅鉢会・因幡白兎・通りかかった八十神に塩水を撒かれてしまい苦しむ
梅鉢会・因幡白兎・そこへ通りかかった大国主命一行
梅鉢会・因幡白兎・そこへ通りかかった大国主命一行
梅鉢会・八上姫・おかめさんが柄杓を持ってくる
梅鉢会・八上姫・おかめさんが柄杓を持ってくる
梅鉢会・八上姫・もどきが桶を持ってくる
梅鉢会・八上姫・もどきが桶を持ってくる
梅鉢会・八上姫・もどきとおかめさんが白兎を助け起こす
梅鉢会・八上姫・もどきとおかめさんが白兎を助け起こす
梅鉢会・因幡白兎・真水をかけて傷を癒す
梅鉢会・因幡白兎・真水をかけて傷を癒す
梅鉢会・因幡白兎・蒲の穂を身につけて傷を癒す
梅鉢会・因幡白兎・蒲の穂を身につけて傷を癒す
梅鉢会・八上姫・白兎、一旦退場
梅鉢会・八上姫・白兎、一旦退場
梅鉢会・八上姫・もどき、おかめさんに水をかけてプッと笑う
梅鉢会・八上姫・もどき、おかめさんに水をかけてプッと笑う
梅鉢会・因幡白兎・戻ってきた白兎・大国主命に面会する
梅鉢会・因幡白兎・戻ってきた白兎・大国主命に面会する
梅鉢会・八上姫・そこに八上姫もやって来る
梅鉢会・八上姫・そこに八上姫もやって来る
梅鉢会・因幡白兎・連れ舞を舞う大国主命と八上姫
梅鉢会・因幡白兎・連れ舞を舞う大国主命と八上姫
梅鉢会・因幡白兎・八上姫と大国主命
梅鉢会・因幡白兎・八上姫と大国主命
梅鉢会・因幡白兎・復活した白兎
梅鉢会・因幡白兎・復活した白兎

◆関東の里神楽~根之堅州国
 2018年3月に東京の間宮社中が催した「江戸里神楽を観る会」に行く。「根之堅州国」が演じられる。根の国に赴いたオオナムジ命が須佐之男命から試練を課されるが、娘のスセリビメの援助で切り抜けるという粗筋である。

根之堅州国:須勢理毘売
根之堅州国:須勢理毘売
根之堅州国:大己貴命
根之堅州国:大己貴命
根之堅州国:須佐之男命
根之堅州国:須佐之男命
根之堅州国:須勢理毘売からヒレを受け取る大己貴命
根之堅州国:須勢理毘売からヒレを受け取る大己貴命
根之堅州国:炎にまかれる大己貴命
根之堅州国:炎にまかれる大己貴命
根之堅州国:抱き合う大己貴命と須勢理毘売
根之堅州国:抱き合う大己貴命と須勢理毘売

◆古事記の八十神
 因幡の八上比売に求婚した八十神だったが、(途中、因幡の白兎の神話を挟む)八上比売に大穴牟遅(オホナムジ)神と結婚すると断られる。大穴牟遅を憎んだ八十神は謀って、赤く焼いた石を猪だと偽って大穴牟遅神に狩らせて焼き殺してしまう。母神が高天原に参上して神産巣日(かみむすび)之命の知恵で命を救ったところ、今度は大樹に挟んで殺してしまう。再び蘇った大穴牟遅神は大屋毘古(おおやひこ)命の許に身を寄せるが、八十神が追いついて大穴牟遅神を引き渡せと要求する。そこで大穴牟遅神は根の国の須佐之男命の許に赴く。娘の須勢理毘売と結婚した大穴牟遅神は須佐之男命の課した試練を乗り越え、須佐之男命の許から弓矢を取り須勢理毘売を連れて逃げる。須佐之男命の力を手に入れた大穴牟遅神は八十神を討伐して大国主命となり出雲の国の王となった……という内容。

 直訳調だが、該当部分を訳してみた。

 そこで、この大国主神の兄弟には多数の神(八十神:やそがみ)がいた。そうであるけれど、皆国を大国主神に委ねた。委ねた理由は、その八十神は各々が稲羽(因幡)の八上比売と結婚したいと思う心があって、共に因幡に行ったときに大穴牟遅神(おほあなむじのかみ)に袋を負わせて従者として率いて行った。

 ここで、気多之前(けたのさき)に到った時に、赤裸の兎が伏せっていた。八十神はその兎に「お前はこの海水を浴び、風が吹くのに当たって高い山の尾根に伏せよ」と言った。そこで、その兎は八十神の教えに従って伏せていた。そうしたところ、その塩が乾くままに、その身の皮が悉く風に吹かれて避けた。そこで痛み苦しんで泣き伏したところ、最後に来た大穴牟遅神がその兎を見て「どうして泣き伏せているのか」と問うた。兎が答えて「自分は隠岐島(淤岐島)にいて、この地に渡ろうと欲したけれども、渡る術がありませんでした。そこで、海のワニを欺いて、自分とお前たちと比べて一族の多さ少なさを計ろうと思います。そこで、お前たちは一族のありのままに悉く率いて来て、この島から気多(けた)の前(さき)に至るまで皆列になって伏して渡りなさい、そうして自分がその上を踏んで走りつつ数えて渡りましょう。これで自分の一族といずれが多いか知りましょう」と言いました。このように言いましたので、欺かれて列になって伏すときに、自分はその上を踏んで数えて渡って、気多の地に下りようとしたときに、『お前は自分に欺かれたのだ』と言い終わると、たちまち最も端に伏せていたワニが自分を捕らえて、悉く自分の衣服(ころも)を剥いだ。これで泣いて憂えていたところ、先に来た八十神の命が教えて『海水を浴び風に当たって伏せよ』と告げました。自分は教えのとおりにしたら、身体が赤く裂けました」と言った。

 ここで大穴牟遅神はその兎に教えて「今速やかにこの河口に行って、水でお前の身を洗って、ただちにその河口の蒲(がま)の穂を取って敷き散らしてその上に横たわって転べば、お前の身は元の肌のように必ず癒えるだろう」と告げた。そこで、教えの様にしたところ、その身は元通りになった。これが因幡の白兎(素兎)だ。今は兎神(うさぎかみ)と謂う。そこで、その兎は大穴牟遅神に「この八十神はきっと八上比売を得ないでしょう。袋を負った低い身分だけれども、あなたが命を獲るでしょう」と申した。

 ここで、八上比売は八十神に答えて「私はあなた達の言葉を聞きません。大穴牟遅神と結婚しましょう」と言った。そこでこうして八十神は怒って大穴牟遅神を殺そうと思い、共に謀って伯耆国(ははきのくに:伯岐国)の手間(てま)の山の麓に至って「赤い猪がこの山にいる。そこで、我らが共に追い下るので、お前は待って獲れ。もし獲らなかったら必ずお前を殺そう」と言って火で猪に似た大きな石を焼いて転ばして落とした。そうして追い下り、獲るときにたちまちその石に焼き付けられて死んだ。そうして、命の母神が泣き憂いて天に参上して、神産巣日之命(かむむすひのみこと)に請うた時、ただちに?貝比売(ささかひひめ)と蛤貝比売(うむかひひめ)とを遣わして作り生かさせた。そうして、?貝比売は焼けた身をこそげ取って、蛤貝比売が待ち受けて母の母乳を塗ったところ、麗しい壮夫(おとこ)となって、出て遊び歩いた。

 ここで八十神が見て、また欺いて山に率いて入り、大きな樹を切り伏せて、氷目矢(木を割るとき割れ目に挟むくさび)をはめてその樹に打ち立てて、その中に入らせて、ただちにその氷目矢を打ち放って打ち殺した。そうしてまた命の母神が泣いて探し求めたところ、見つけることができて、ただちにその樹を割いて取り出して生かし、その子に告げて「お前はここにいたら、終いには八十神が滅ぼしてしまうでしょう」と告げて、ただちに木国(きのくに)の大屋毘古神(おほやびこのかみ)の所に(八十神に)会わせないようにして遣わした。そうして八十神が求め到って、弓に矢をつがえて(大穴牟遅命を引き渡すように)乞うた時に、木の股の隙間をくぐり抜けさせて逃がして「須佐之男命(すさのをのみこと)のいらっしゃる根堅州国(ねのかたすくに)に参向するべし。きっとその大神が謀ってくれるでしょう」と言った。

 そこで命令のままに須佐之男命の許に参って到着したところ、その娘の須勢理毘売(すせりびめ)が出て見て、目配せして結婚した。還り入りてその父に「とても麗しい神が来ました」と言った。そうして須佐之男命(大神)は出て見て「これは葦原色許男命(葦原中つ国を統治するのにふさわしい神)と謂うぞ」と告げて、ただちに召し入れて、蛇の室(むろ:出入り口だけあって窓がない)で寝させた。ここで、その須勢理毘売は蛇のひれをその夫に授けて「蛇が噛もうとしたら、そのひれで三度振って打ち払いなさい」と言った。そこで、教えの通りにしたところ、蛇は自ずと静まった。そこで無事に寝て出た。また来た日の夜は百足(ムカデ)と蜂の室(むろ)に入れた。また百足と蜂とのひれを授けて前の様に教えた。そこで無事に出てきた。

 また、鏑(かぶら)矢を広い野の中に射て、その矢を探させた。そこでその野に入った時に、ただちに火を放って、その野のぐるりを焼いた。ここで出る所が分からずいたところ、鼠が来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言った。そこで、そこを踏んだところ、(穴に)落ちて籠っている間に火は燃え過ぎた。そうしてその鼠はその鏑を咥えて持って出て来て奉った。その矢の羽はその鼠の子らが皆食ってしまった。

 ここでその妻の須勢理毘売は喪(も)の道具を持って泣いて来たところ、その父の大神は既に死んでしまったと思って、その野に出で立った。そうしてその矢を持って奉ったときに家に率いて入って、八田間(やたま:多くの田)の広い大きな室に召し入れて、その頭の虱(しらみ)を取らさせた。そこでそうして、その頭を見たところ、百足が数多くいた。ここでその妻は椋(むく)の木の実と赤い土をとって、夫に授けた。そこで、その木の実を食い破って赤い土を含んで吐き出したところ、その大神は百足を食い破ったと思って心の中で愛しく思って寝た。そうして、須佐之男命の髪を取ってその室に椽(たるき:屋根を支える為に棟から軒に渡す材)ごとに結いつけて、五百引(いほびき:五百人がかりで引く)の岩でその室の戸口を塞いで、妻の須勢理毘売を背負って、ただちに大神の生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)と天の沼琴(ぬこと)を取り持って逃げ出した時に、その天の沼琴が樹に触れて土がどよんで鳴った。そこで寝ていた大神は聞き驚いて、その室を引き倒した。けれども、椽(たるき)に結った髪を解く間に遠く逃げてしまった。

 そこでそうして、黄泉(よも)つひら坂に追い至って、遥かに望んで大穴牟遅神に呼んで曰く「そのお前が持った生太刀と生弓矢でお前の腹違いの兄弟を坂の裾に追い伏せて、河の瀬に追い払って、おのれ、大国主神(おほくにぬしのかみ)となり、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)となって、我が娘の須勢理毘売を正妻として、宇迦能山(うかのやま)の山の麓で底の岩の根元に宮柱を太く建て、高天原(たかあまのはらに)に千木を高く上げて住め。こ奴め」と言った。そこで、その太刀と弓で八十神を追いやった時に坂の裾ごとに追い伏せ、河の瀬ごとに追い払って、初めて国を作った。

 そこで、その八上比売は先の契りの様に寝所に通わせた(夫とした)。そこで、その八上比売は連れて来たけれども、正妻の須勢理毘売に遠慮して、産んだ子を木の股に差し挟んで帰った。そこでその子を名づけて木俣神(きまたのかみ)と云う。またの名は御井神(みゐのかみ)と謂う。

◆余談
 大国主命の神話は代々の出雲王の記憶が神話化されたものだろう。その中では後継者争いがあり、実際に殺された王子もいたかもしれない。

◆参考文献
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「校訂石見神楽台本」(篠原實/編, 1982)pp.50-59
・「古事記講義」(三浦佑之, 文藝春秋, 2007)pp.290-312

記事を転載→「広小路

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2019年5月19日 (日)

斎木雲州関連の記事はこちら

「出雲伝承 斎木雲州」のキーワードで何度か検索していらっしゃった方がいますが、関連記事はこちらです。

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2019年3月 4日 (月)

嫁を差し出した?

弥生人、母系は渡来系、父系は縄文系か DNA分析で判明

という記事が目に留まる。鳥取県の青谷上寺地遺跡の話だけど、母系が渡来系ということは、新参者の渡来系が嫁を差し出したという解釈でいいだろうか。

まあ、僕自身、弥生系の特徴(酒に弱い)と縄文系の特徴(耳垢が湿っている)と両方あるから混血しているのは間違いないだろう。

 

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2019年1月 6日 (日)

吹奏楽の聖地、普門館が取り壊される

朝日新聞のニュース、吹奏楽の聖地、普門館が取り壊されるという記事が目に留まる。歴代の金賞の記録が残されているのだけど、出雲一中と出雲二中が異様に強いのである。両校で全国同時入賞を果たした年がある。島根の公立中学だから集って来るのは特に選ばれた存在という訳ではないはずである。優れた指導者がいたということだろう。僕自身は楽譜が読めない単に聴くだけの趣味だけど、ずば抜けた成績だと思う。石見地方の高校では川本高校が金賞を受賞していた。


https://www.asahi.com/special/fumonkan/

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2018年7月15日 (日)

古代出雲を巡る迷宮――吉田大洋「謎の出雲帝国」と斎木雲州

吉田大洋「謎の出雲帝国 天孫族に虐殺された出雲神族の屈辱と怨念の歴史」(新装版)を読む。ふとした思いつきで国会図書館で検索したところ、2018年5月に新装版が刊行されていることが分かったので購入したもの。
司馬遼太郎の「歴史の中の日本」という随筆集に「生きている出雲王朝」という随筆があり、その中で登場するW氏がこの本の情報提供元で、それは元産経新聞の富當雄さんだという情報に心惹かれたもの。富氏は一子相伝の形で4000年に渡る出雲の記憶を継承しているというのだ。

帯に「待望久しい幻の名著が38年の時を超えて復刻!」とある。38年前というと、発刊の数年後に荒神谷遺跡が発掘されて大きな話題となったことが挙げられている。当時と今とで違うことは、現在では四隅突出型墳丘墓の存在が知られて、それが山陰から北陸まで分布していることで、弥生時代後期に日本海沿岸にまたがる文化圏があったことが分かったことである。また、人類の遺伝子の解析が進んだこと。出雲人は縄文系だったと少し前の報道であったことを記憶している。また、砂鉄を利用したたたら製鉄がいつ頃生まれたのか、まだ定説を見ないのではなかったか。

他所のレビューに要約があるので、それは割愛することにする。帯に挙げられたものを列挙すると、「熊野大社 対 神魂神社、出雲では現在でも敵対関係が続いている」「いつしか神々の承認は天孫族の承認へと変わってしまった……」「出雲神族はシュメールを追われ、インド→ビルマ→タイ→中国江南→朝鮮→ロシア・カムチャッカ半島→千島列島→北海道→出雲へと渡来した!?(※これは吉田大洋の考えが多分に反映されている)」「出雲神族の葬儀は風葬と水葬で行われた」「継体天皇は、昔から謎の天皇とされてきた……」「武烈天皇で神武王朝は断絶 国は乱れ、出雲神族は頼まれて天皇を出した」「継体天皇~宣化天皇は出雲神族であった」等である。

また、富氏と吉田大洋の考えが混然としていて、富氏単独での記憶が掴みにくいのも事実である。基本的な疑問は、なぜ富氏はこの本の著者である吉田大洋を信用したのかということである。発端は女性週刊誌に富氏の記事が載り、それを見た吉田がコンタクトをとったということらしい。

読了してぶっちゃけた話、口伝の信ぴょう性を担保するものが何もないのである。古事記がシュメール語で読めるというというくだりがあるけれど(これは吉田大洋の持論である)、これで信用度がほとんどゼロになるほど著しく失墜するのである。古代オリエントと日本にどのような繋がりがあったというのか。遺伝子の解析でもそのような研究結果はない。なぜ、このような形でしか公開できなかったのか、疑問である。

富氏の友人に司馬遼太郎がいる。司馬に託す形でもよかったではないか。司馬の信用を毀損する恐れがあったかもしれないが、歴史エッセイとして想像力を働かせたという形にでも収められたはずである。

出雲市の出雲弥生の森公園の西谷墳墓群に見られる四隅突出型墳丘墓を見ても、一号墳は小さいのである。二号墳から巨大化がはじまる。それは弥生時代後期に出雲を束ねる有力な首長が登場したということであろう。だから大国主命のモデルとなった王たちが活躍したのは弥生後期で、同時に国譲りも四隅突出型墳丘墓が作られなくなる時代の頃と考えるのが、自然ではないか。

嘘の中にも何がしかの真実が隠されているかもしれないと思って買ったが、芳しい成果ではなかった。中学生のとき、雑誌「ムー」が好きだったが、さすがにそれは卒業した。

なお、「富家文書」(古代文化叢書)という鎌倉期以降の富氏の古文書の写しが島根県古代文化センターの手で書籍化されている。

続いて、

斎木雲州「出雲と蘇我王国 : 大社と向家文書」(大元出版)
斎木雲州「出雲と大和のあけぼの : 丹後風土記の世界」(大元出版)
斎木雲州「お伽話とモデル : 変貌する史話」(大元出版)
斎木雲州「古事記の編集室 : 安万侶と人麿たち」(大元出版)

を読む。著者の斎木雲州氏は富当雄氏の子息とのこと。吉田大洋「謎の出雲帝国」が彼の持論(シュメール文明)と富氏の話を混ぜて書いてしまったため、真実の日本史を伝えるために書いたという。富氏の遺言は真実の日本史を伝えて欲しいとのことだった。
 父の所に吉田大洋という、出版社員から手紙が来た。かれはシュメール文明に関心をもっていた。
 そしてイラクでの調査結果をまとめたものだというパンフレットが同封されていた。父は普通の人の取材に応じたことはなかった。
 しかしイラクまで調査に行ったという熱心さを買って、応対した。しかし、かれの取材の時間は短すぎた。
 かれは「出雲帝国の謎」という本を書いた。父は重要なことを、話したという。しかし、かれの理解は消化不良であることが、本を読んで分かった。
 困ったことに、かれはシュメール文明についての自説を書きたかったらしい。記紀(古事記と日本書紀)がシュメール語で書かれているという誤説を、父の話と混ぜて書いてしまった。これは真実の日本史のためには、マイナスであった。
「出雲と蘇我王国」(28P)
「出雲と蘇我王国」「出雲と大和のあけぼの」「お伽話とモデル」「古事記の編集室 」の順で読んだ。

四冊の内容が混雑しているが、気づいたところでは、「出雲と大和のあけぼの」ではスサノオを徐福としている。スサノオが稲作をもたらしたとのこと。また、このとき主王である八千矛と副王である事代主が捕らえられ幽閉されて死んだという。出雲国造の祖である天穂日は徐福の先兵だったとのこと。このことがきっかけで、出雲の王国の分家筋が奈良に入り、カツラギ王国となる。

徐福は一度秦国に戻り、始皇帝に上奏する。そして再び日本へとやって来て、今度は北九州に定着する。このときの徐福の日本名がホアカリ/ニギハヤヒで物部一族の祖となるというものであった。日本の支配者が徐福の子孫では対中華帝国的にまずいので、徐福の伝説は隠されたとしている。ニギハヤヒは記紀ではニニギ命と名を変えたとしている。

そしてスサノオの子息である五十猛は日本で生まれたという。また、大屋姫は五十猛の姉妹ではなく后としている。

個人的には宗像一族の市杵嶋姫が徐福に嫁いだとしているのが、凄く嫌。というか、実在してたのか? 宗像三女神。

「出雲と蘇我王国」では、事代主は国譲りの際、洞穴に幽閉されて餓死したのだとしている。

出雲には主王と副王で統治する体制であったとする。主王が大穴持と呼ばれ、副王が少名彦と呼称された。何代も続いた王の総称なのである。八代目の大穴持の名が八千矛だったという。

そして蘇我氏と富家は姻戚関係にあり、武内宿祢の系譜を引く蘇我氏が滅んだ当時のことを記している。

また、奈良には出雲系のカツラギ王家があるが、新羅の王子である天日矛の但馬進出で分断される。但し、日矛自身は但馬で生涯を終えたとする。天日矛と大国主命は播磨を争い戦う。その後、カツラギ王国の軍勢が吉備に進出、定着するが、出雲と同系統のキビツヒコが率いる吉備の勢力が出雲に侵略する、それがヤマタノオロチ伝説として記憶されているというものだった。キビツヒコはスサノオの血筋でもあるのだ。古代出雲は平和で戦は弱かったとしている。なので、力を持った親戚には警戒すべしと家訓が残されているという。

天日矛の子孫に神功皇后がいる。神功皇后は新羅の国の継承権は新羅の王家の血を引く自分にあるとして、新羅の国へ派兵し、百済、高句麗も服属させるのである。

北九州の物部氏の大和進出は二度に渡る。これがまとめられて神武天皇の東征神話となったとしている。神武天皇は架空の大王で、本来は天村雲命がそうだったとしている。第二次の東征の際、日本海側のルートを辿った物部氏の一派は出雲王国を滅ぼす。これで出雲以外の領国は放棄することになる。これが神話では国譲りとして平和的な移譲として描かれることになる。

古代史には詳しくなく、誰が誰のことだかよく分からないままに読み進めてしまった。

出雲族は鼻の長い動物のいる地から砂漠、そして大きな湖、長い河を経て日本に入ったという。斉木氏はそれはインドのことであろうとしている。ゴビ砂漠、バイカル湖、アムール河を経たというのだ。出雲族のリーダーであったクナトはドラヴィダ族だったともしている。

鼻の長い動物とは象のことだろう。象は東南アジアにもいる。また、出雲風土記に妹がワニ(鮫)に食べられたという伝説がある。あれは魚の鮫ではなく爬虫類のワニではないかという気もするので、出雲のルーツが南方にあると訴えること自体は理解できる。むしろ東南アジアから島伝いに日本列島へやって来たとした方が説得力がある気がする。しかし、遺伝子の解析ではドラヴィダ族というかインドとの関係があったとはされていないのが不審点である。象は象でも、案外マンモスだったりするかもしれない。

出雲に定着した理由として、そこに黒い川があったからだとしている。これは砂鉄が採れることを意味している。そういう意味では吉備も良質の砂鉄の採れる地域なのである。

富家には配下に情報収集を担う集団がいたとしている。それは明治期に至るまで連綿と続いて、但し昭和になるとどうかは言及されていない。

また、個人的に興味を惹いた点として、出雲ではクナト(岐)の大神を祭っていたとしていることである。后神の幸姫(さいひめ)の別名がサヒメ神であり、太陽の女神だったとしているのだ。もしそうならば、サヒメ神は相当古い時代からの神ということになる。クナト大神とサヒメ神は物部氏によってイザナギ命とイザナミ命に変えられてしまったという。

文中ではなぜか触れられていないが、神武天皇に抵抗した長髄彦(ナガスネヒコ)は登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)、登美毘古(トミビコ)とも呼ばれている。つまり富氏の系譜に連なるのである。出雲系の王が奈良を支配していたということになるだろうか。

読み終えて、吉田大洋「謎の出雲帝国」を読むよりは遥かに良かった。読めるなら、「謎の出雲帝国」を読まずに「出雲と蘇我王国」「出雲と大和のあけぼの」だけを読んだ方がいいだろう。島根県立図書館に所蔵されている。なお、「出雲と大和のあけぼの」は著者がフィールドワークして稼いだ他家の口伝も交えられているようである。「お伽話とモデル」は昔話を富家口伝によって解釈するといった風の読み物である。古代史に強くないと理解できない一面もあるだろう。「古事記の編集室」は古事記の口伝を述べた稗田阿礼が実は柿本人麻呂だったとしている。また、ヒミコやヤマタイ国に関する独自の見解が披露される。

誤りもある。「古事記の編集室」では、韓国の檀君神話(王が天降って来る)を参考に天孫降臨神話を創ったとしているが、檀君神話は高麗時代のもので、記紀より後代のものなのだ。

斎木説によると、帝紀の編纂は船頭多くして……の類で各氏族の伝承がバラバラで、しかも裏切りなど好ましい内容ではなかったため頓挫したらしい。その上で記紀の編纂が始まる。出雲王国の歴史は神話とするという形で一応記録された。が、そうなると記紀神話の多くは編纂時に創作されたものということになる。それにしては、何世代にも渡って語り継がれてきたと思える程によく出来ているのではないか。

ネットで見かける古代出雲に関する記述のソースがこれらの本であることが分かった。それらを書き込んだ人達も全面的に信じている訳ではないと思うが。

情報が分散していて、何冊か読まないと分かり難い部分もある。どこまでが富家口伝で、どこからが斎木氏の独自研究なのか判然としないとも言える。

とにかく、富家口伝を真実であると証明する手立てが何一つないのだ。これだけはどうしようもない。ちなみに富氏が出版した本は買い占められて原稿ごと無かったことにされてしまったとのこと。近年の考古学的発見で、出雲に王権があったこと、山陰から北陸圏にまたがる広域のものであったこと自体はまず間違いないけれども、そこから先は未だ五里霧中なのである。

出雲には国びき神話がある。縄文時代の三瓶山の噴火で噴出した土砂が神戸川を通じて流れて堆積し、出雲平野となったという事実を神話として語り直したもの。この神話の背景には縄文時代からの記憶がある。出雲には確かにそこまで古い何かがあるのだ。

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2018年2月22日 (木)

2月22日は竹島の日

2月22日は竹島の日。もう書いても大丈夫と思うが、数年前、2月22日に「リメンバーしまね」の掲示板に竹島で捕獲されたアシカの剥製の写真を投稿した。ところが、投稿がいつまで経っても反映されないのである。「リメンバーしまね」の掲示板投稿は承認制で運営が承認した投稿しか表示されない。それで結局、翌日の午後になって確認してみると、ようやく反映されていた。たかがアシカの剥製の写真なのだから過剰反応だと思うけど、裏で面倒くさいことが色々あるんだろうな、と邪推してしまった次第。

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2018年1月 1日 (月)

「童女(おとめ)の胸鉏とらして」は巨乳か貧乳か?

横浜市歴史博物館に展示されていた古代の鋤

横浜市歴史博物館に展示されていた古代の鋤

横浜市歴史博物館に展示されていた古代の鋤(すき)。手前が広鋤で奥に狭鍬がある。これを見て出雲国風土記の「童女(おとめ)の胸鉏とらして」という文句に納得がいく。広鍬は女性の乳房を横から見た感じに見えるのだ。「童女の胸鉏とらして」は乙女の豊かな胸のような広い鋤で、という意味なのだろう。

いや、逆の解釈もあり得るのだ。三浦祐之「古事記講義」だと「少しばかりふくらんだ少女の胸のような反りをもつ鋤」と解釈している。この場合、狭鋤が相当するだろう。

新年早々にくだらないネタで失礼しました。

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