自己紹介を兼ねて当ブログの概要を説明する。僕の肩書きはブロガーというのが実情に則している(PVは月間2000ほどで別に儲かってはいないが)。ニフティのココログのサービスが始まったときからやっているのだけど、当初は雑記ブログだった。NHKスペシャルの感想などを書いていた。ノンポリで深く考察することができず、内容が薄いので「薄味」というタイトルにした。現在でも書評の記事は内容が薄い。
2006年夏に実家に帰省した際、日本標準「島根の伝説」という本が残されているのに気づいて読み返した。特に乙子狭姫と田心姫(胸すき姫)の伝説が印象に残った。この二つの伝説は考察しがいのある大ネタで(乙子狭姫は古事記に登場する食物の女神オオゲツヒメの末子という設定。田心姫の伝説は謡曲「御崎」の裏ストーリーと言っていい)、伝説の舞台を訪ねて写真を撮り、図書館で資料をコピーして記事にした。すると、徐々にアクセスが増え始め、ブログのコンセプトを島根県石見地方の伝説に特化することにした。
これらの伝説を開拓したのは郷土史家だが、詳細な考察をカラー写真とソース付きでネットにアップロードしたのは自分である。「便利な時代になった」と喜ばれた。
伝説の収集が一段落して、次は石見神楽をとなった。石見神楽には昔からショー化批判があり、子供の頃から心に引っ掛かっていたのである。国会図書館や横浜市中央図書館に通って神楽関連の文献を読み漁った。そうする内に2018年と2019年に関東の里神楽を集中的に見る機会があった。斎藤先生を紹介されたのはこのときである。
関東の神代神楽も石見神楽もどちらも演劇化された神楽である。だが、静と動と言えばいいか、方向性は正反対である。また、埼玉県久喜市の鷲宮神社の神楽、これは演劇化する前の昔ながらの神楽である、これを見た経験も大きかった。石見神楽を相対化して見ることができるようになったのである。
「神楽と文芸(総論)」という電子書籍をセルフ出版しているが、これはブログの記事ではなくカクヨムという小説投稿サイトにアップした「神楽と民俗学」というエッセイをリライトしたものである。ブログの記事は個別の演目についてで各論の方にまとめている。
コロナ禍もあって神楽も一段落し、次は石見の昔話に取り組んだ。ただ、石見固有の昔話というのはなかった。昔話の分析(モチーフ分析など)で何か新しい試みはできないかと考えてみたが、成功したとは言いがたい。
という訳で基本的には石見にテーマを絞って記事を書いている。これは僕の器量で認識できる範囲が島根県石見地方くらいまでであるということだ。出雲ですらちょっと遠いと思う。
予定をたてて旅行することができない性質で(電話を一本入れて予約すればいいだけの話だけど)、東北や九州、奥三河の神楽は実見できていない。
電子書籍をペーパーバック化したのは国会図書館に寄贈するため。そうすれば、余程のことがない限り半永久的に残るだろう。ブログは僕が死ねばいずれ消えてしまう。せっかく調べた成果が消えるのは避けたいと思ったのである。
島根県立図書館も島根出身の著者の著作を収集しているので献本した。
学生の頃は現代思想に魅力を感じ(といっても入門書だけだが)哲学に憧れたが、抽象的な概念操作はできないので、もし専攻していたら挫折していただろう。ブログの記事を書く過程で民俗学とは比較的相性がいいのかなとは感じた。ただ、僕は柳田や折口の著作をあまり読んでいない。