音楽

2023年9月15日 (金)

貧弱なスピーカーで聴く

マーラーの交響曲全集をパソコンに取り込む。交響曲第8番「千人の交響曲」などパソコンの貧弱なスピーカーでは再生しきれない。ONKYOのミニコンポがあるのだけど故障していて、もう修理も受け付けてくれないだろう。ミニコンポというジャンル自体が衰退していて乗り換え先がない。イヤホンで音楽を聴くのは嫌。

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2023年9月12日 (火)

輸入盤を入手する

バーンスタインのマーラー交響曲全集が届く。輸入盤で6000円ほど。当然、日本語のライナーノーツはついていないが、CDのはフォントが小さくて老眼にはつらいし、今の時代はネットもあるしで、以前ほどには必要でないのかもしれない。

聴いたことのある曲は、1、2、4、5、大地の歌、9,10。9番と10番は聴いたばかりで耳に馴染んでいない。3、4,5をパソコンに取り込んでおらず聴きたくなった

交響曲第三番第一楽章をパソコンに取り込もうとすると、楽曲データベースに登録されておらず、タイトルが不明となる。

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2022年4月24日 (日)

コマーシャルなジャズ

NHK FMジャズ・トゥナイトを聴く。ストリングスの入ったジャズに「コマーシャルだ」という批判が向けられたそうである。コマーシャルだから日本語にすれば商業主義となるか。DJの大友氏は素晴らしいものは素晴らしい、そもそも商品として売るのだからコマーシャルなのだとのことである。

当時流行っていたムードミュージックに接近したことがコマーシャルだとされたとのこと。

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2019年12月11日 (水)

「神楽囃子」CDが届く

「日本の芸能 神楽囃子」CDが届く。なんとかパソコンに取り込んで聴いてみる。うーん、僕にはジャズがどれも同じように聞こえるのだけど、神楽囃子もそうかもしれない。しばらく聴き続けて耳に慣らすしかないか。

早はバトルの場面で掛かる曲だろうか。大拍子が細かくリズムを刻む。ニンバ(仁羽)は組曲の最後に入れられているが、もどきが活躍する場面でもかかりそうである。三番地(さんばら)はモドキのハコビの舞でだろうか。

解説は本田安次なのだけど、「紅葉狩」は近代神楽に分類されている。

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2019年12月 7日 (土)

CDを注文

Amazonで江戸神楽若山流家元 若山胤雄社中「神楽囃子」CDを買う。関東の里神楽の解説を読んでいて、ここはサガリハとかハヤとか書かれているのだけど、曲を知らないから想像できなかった。これである程度分かるようになるかもしれない。ただ、残念なのは乱拍子が収録されていないことだ。

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2019年1月 6日 (日)

吹奏楽の聖地、普門館が取り壊される

朝日新聞のニュース、吹奏楽の聖地、普門館が取り壊されるという記事が目に留まる。歴代の金賞の記録が残されているのだけど、出雲一中と出雲二中が異様に強いのである。両校で全国同時入賞を果たした年がある。島根の公立中学だから集って来るのは特に選ばれた存在という訳ではないはずである。優れた指導者がいたということだろう。僕自身は楽譜が読めない単に聴くだけの趣味だけど、ずば抜けた成績だと思う。石見地方の高校では川本高校が金賞を受賞していた。


https://www.asahi.com/special/fumonkan/

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2018年12月16日 (日)

兄妹のカップルから生まれる英雄

NHK-FMでワーグナーの楽劇「ワルキューレ」を聴く。ワルキューレの騎行で有名な作品。各幕の前にあらすじの解説はあって、おおさっぱには分かるのだけど、ラジオなので情景が浮かばないのが残念。ニーベルングの指環はいつかDVDで見たいと思っていて、未だにかなわずにいる。

ジークムントとジークリンデは兄妹で、そのカップルから生まれるのが英雄ジークフリートなのだ。近親相姦で生まれる英雄というモチーフは純血思想に繋がるのだとか(で、ナチスに利用される)。ワルキューレ(戦乙女)であるブリュンヒルデはジークフリートを身ごもったジークリンデを逃して、父ヴォータンの怒りに触れ、炎の山で永い眠りにつく。その眠りを覚ます英雄がジークフリートなのである。

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2013年6月30日 (日)

ロックと石見神楽の融合――福岡ユタカ「reminiscence」

映画「天然コケッコー」でJR浜田駅前の仕掛け時計(どんちっち時計)がちらりと映る。そよちゃんが見たがるのだけど、大沢君はこれから毎日通うんだからいつでも見られるとそっけない。
福岡ユタカ「reminiscence」というCDアルバムを購入。PINKという有名なバンドがあってその主要メンバーだったとのこと。浜田市出身の方なのだけど、知らなかった。テレビ朝日系「ニュースステーション」のテーマ曲やCM曲で知らずに接していたことになる。
過去のアルバムから選曲されたものに新曲を加えたアルバム。
「石見神楽 Sound Chronicle」からは、
・Neo Kurotuka
・Orochi Trilogy~Golden days of Childfood
・Orochi Trilogy~Susanou
・Orochi Trilogy~Finale
の4曲が選ばれている。
Kurotukaは「黒塚」。九尾の狐を題材とした演目で謡曲が元。
Orochiはヤマタノオロチ神話を題材にした演目「大蛇(オロチ)」からだろう。
石見神楽は明治期に舞い手が神職から庶民に替わり、六調子から八調子へと舞いのテンポが速くなったのが特徴。このアルバムではロックと神楽の融合が聴ける。ロック&ロールが誕生して約六十年。神楽社中の人たちが普段はロックに親しんでいても全然おかしくない。節回しは神楽歌や口上のそれで、西洋音楽に基づいた楽曲とは異なる。
JR浜田駅前のどんちっち時計、誰の手になる曲か分からなかったのだけど、おそらく福岡氏だろう。同じ音源を元にしている様に聞こえる(※未確認)。
<追記>
これは間違いだった。浜田市観光協会に問い合わせたところ、どんちっち時計の曲の囃子部分は浜田市で録音し、冒頭と最後の部分はどんちっち時計を制作した会社が録音したものだそうだ。同じ大蛇を元にしているのだから、似ているのは確かなのだけど。

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2010年5月18日 (火)

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薄味新館
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2008年2月 4日 (月)

She Moved Through the Fair

アイルランド民謡に「She Moved Through the Fair」という曲がある。
両親に結婚を反対された娘が死んで恋人の夢枕に立つという内容。

My young love said to me:
"My father won't mind.
And my mother won't cite you
for your lack of kind."
Then she drew closer to me
and this she did say:
"It will not be long, long, love,
'till our wedding day."

She stepped away from me,
and She Moved Through the Fair.
And fondly I watched her
move here and move there.
And then she went homeward
with one star awake
As the swan in the evening, the evening
moves over the lake.

Last night she came to me;
she came softly in.
So softly she came
that her feet made no din
And she laid her hand on me,
and this she did say:
"It will not be long, long, love,
'till our wedding day."

 僕が聴いたのは、アート・ガーファンクル(サイモンとガーファンクルのガーファンクル)のアルバム「ウォーターマーク」に収録されたもの。
 ちくま書房、イェイツ編のアイルランド民話集を読んだとき、何かもの悲しさを感じたが、この曲もそうかもしれない。

Youtubeで"She Moved Through the Fair"を検索すると多くのミュージシャンがヒットする。愛されている証か。

古くからある歌で現在のは古語を現代語に置き換えたものだそうだ。なので歌詞には色々なバリエーションがあるようだ。"through the fair"は直訳すると「市を通り抜けて」くらいだろうか、アルバム「ウォーターマーク」では「優雅に」と意訳している。Fairには「市」(スカボロー・フェアなど)の他、「公平な(フェアな)」や「きれいな、美しい(フェアレディなど)」という意味もあってそこからだろうか。

"for your lack of kind" の "kind" だが、余所のサイトを参照すると古語で雌牛、畜牛を指す "Kine" としているものがある……あったはず。。。kind, kindness の欠如「優しくない」と kineの欠如「財産がない」「貧しい」ではニュアンスが全く異なってくる。

こちらのブログで紹介されている歌詞と比較すると、上で紹介した歌詞は3段落目が省略されている。
And that was the last
That I saw of my dear.
とある。これによると夢枕に現れたのは4段落目以降、それまでは…とニュアンスがはっきりするか。youtubeの動画がいくつか紹介されているが、3段落目は省略して歌っているケースもある。

自分でも訳してみたりしたが、上記ブログの訳を読むことで何となく得心がいったように思える。その上で第3段落を省略する理由も分かるような気がする。

記事を転載 →「広小路」(※一部改変あり)

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