書籍・雑誌

2026年2月15日 (日)

ヒューリスティック的挙動多し――山田典一『データ分析に必須の知識・考え方 認知バイアス入門』

山田典一『データ分析に必須の知識・考え方 認知バイアス入門 分析の全工程に発生するバイアス その背景・対処法まで完全網羅』を読む。認知に関する様々なバイアスを取り上げ解説した入門書。

社会的バイアス、確証バイアスなどは特にそこから逃れるのが難しそうだ。また、交絡因子の存在も大きく無視できない。

僕個人はヒューリスティック、思考のショートカット的な行動パターンが多く、ミスの原因ともなっている。

個人的には前後即因果の誤謬やナラティブ・バイアスを掘り下げてみたいと考えている。

……これでソシムのシリーズは三冊読んだ。どうやって購入したのか忘れたが、おそらくレコメンド機能によるものだろう。ECサイトのレコメンド機能は馬鹿にならず、たとえばスキルフルな書店員さん個人の努力ではどうにもならないレベルに達しているかもしれない。

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2026年2月14日 (土)

Σに慣れることからか――江崎貴裕『指標・特徴量の設計から始めるデータ可視化学入門』

江崎貴裕『指標・特徴量の設計から始めるデータ可視化学入門 データを洞察につなげる技術』を読む。これもデータサイエンスを学ぶ学生向けの入門書。

Pythonというプログラミング言語ではグラフ描画のライブラリが充実していることが分かった。大抵の場合、ライブラリを呼び出せば目的に沿ったグラフを描画してくれるといった話。ない場合は自分でアルゴリズムを考えてコーディングする他ないだろう。そういう文脈でPythonが広まっているということなのだろう。

僕自身は高校数学もマスターしてないのだけど、先取り学習的な効果はあったかもしれない。テキストマイニングや検索エンジンで文字間の距離とはどういう風に測るのだろう? と思っていたが、こういう考え方をするのかといったことが知れた。

他、式は省略されていたが、音波の波形をフーリエ変換すれば正弦波に分解できる等々。

KH Corderのマニュアルでは解説されていない事項の解説もあったので参考になった。

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2026年2月13日 (金)

データサイエンスの入門書――江崎貴裕『分析者のためのデータ解釈学入門 データの本質をとらえる技術』

江崎貴裕『分析者のためのデータ解釈学入門 データの本質をとらえる技術』を読む。この本自体はデータサイエンスを学ぶ学生などに向けた入門書である。僕に量的分析のスキルはない。

野球のセイバーメトリクスでは、統計情報から選手の能力を測ることができるようになりましたが、それでスコアラーの仕事がなくなることはありませんでした。むしろ、数値で測ることができない選手の特徴や、特別な事情に関する情報を取ってくる仕事の重要性が増したためです。(226P)

だそうで、質的分析も依然として有用であるとのこと。今はネットで容易にデータが取れるようになったためデータサイエンスの需要が高まっている。

……理数系の素質があれば質と量を繋ぐ領域に踏み込んでみたかったが、生憎そのような頭脳は持ち合わせていなかった。

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2026年2月 3日 (火)

縁があるならば――『新版 歎異抄 現代語訳付き』

千葉乗隆/訳注『新版 歎異抄 現代語訳付き』を読む。一読しただけで理解できるはずもないが、印象に残ったのは、縁があれば僕のような凡才でも千人も万人も殺せてしまえるかもしれないといったことである。まあ、僕には権力への志向性はないけれど、無能だけど権力欲が人一倍強い人が頂点に上り詰めてしまうことも歴史上なかった訳ではない。

大前提として冒頭で専修念仏を唱えている。ここはラディカルであるが、以下の小前提ではかなり慎重な態度をとってみるように見受けられる。これは親鸞自身が法然とともに流罪に処せられたことも背景にあるかもしれない。が、親鸞自身、元から穏健な人物だったのではないかという気がする。

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2026年1月31日 (土)

網羅的だが総花的かも――安藤昭子『才能をひらく編集工学 世界の見方を変える10 の思考法』

安藤昭子『才能をひらく編集工学 世界の見方を変える10 の思考法』を読む。編集工学の本を読むのは初めて。本書はその最新バージョンと言える。発想、着想にまつわるアレコレについて網羅的に取り上げられていると感じた。ただ、著者さんご自身のご興味は世界の見方/理解に傾いていて、発想や着想を渇望するタイプの人ではないような気がする。

人間の知識は穴だらけだが、人それぞれ異なるバックボーンがあり、AIはむしろ何が知識と知識とを繋げるミッシングリンクとなっているのか気づきを得る効能があるのかもしれないとチャットしていて感じた。

……会議というと、企画会議を連想する人と営業の進捗状況を報告する営業会議と連想する人とに分かれるのかもしれない。

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2026年1月29日 (木)

地域の文脈を読解する――山下祐介『地域学入門』

山下祐介『地域学入門』を読む。地域学を提唱する新書。歴史、地理、郷土史、民俗、社会学、生活史といった総合性を備えた概説書となっている。

兵庫県の播磨地方に6年ほど住んでいた時期があるのだけど、反省していることがある。購読していたのが(見栄を張って)日経新聞のみだったのである。地域欄も専門性が高く、地域の身近な情報を把握することができなかった。現在は山陰にUターンしているが、地方紙のデジタル版を購読している。生まれ育った土地で土地勘もあるので理解度は段違い。

人それぞれバックボーンが異なるのだけど、地域の文脈を読み解く力が必要と考える。たとえば、インフラは揃っているのに自動車専用道路で未整備区間があるため、そこがミッシングリンクとなって阻害要因となっているといったこと。個々の施策は既に打たれているケースが多いのである。地域にとって何がミッシングリンクあるいはボトルネックとなっているのか見抜くには人の持つバックボーンを活かした文脈を読解する能力が必要。

人の知識は穴だらけ。AIは何か投げかければそれに反応し知識の穴を埋めてはくれるけど、自発的には提案してくれない。

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2026年1月19日 (月)

縮小均衡路線も楽じゃない――山下祐介『地方消滅の罠――「増田レポート」と人口減少社会の正体』

山下祐介『地方消滅の罠――「増田レポート」と人口減少社会の正体』を読む。「選択と集中」は企業の事業ポートフォリオをどうするかという文脈で出てきた用語のはず。不採算事業を切り離して経営資源を自社の強みのある部門に集中投下する。結果、業績は改善し株価は上昇する。そしてそれを売り抜けて高利率の売却益を得る……という風に株主側の論理であるはず。

この「選択と集中」は不思議なほど強い説得力を持つ。ある種の殺し文句とも言えるかもしれない。だが、大艦巨砲主義が航空母艦の登場で一瞬にして過去のものとなったように局面が変われば強みが弱みにも変わり得る、最善手だったはずが悪手に変わってしまう、そういったリスクもはらんだ戦略でもある。勝利の方程式では決してない。

そういった文脈がなぜか等閑視され、政治の世界に持ち込まれてしまった……といったところか。

震災を奇貨として集住を推し進めるような発言はいかがなものかと思う。

若かった頃に経験したのだけど、縮小均衡路線の渦中にいるとどうにもしんどいのである。団塊Jr.が平均寿命を迎える頃には人口ピラミッドの歪さはある程度は解消されるかもしれないが、それまでは金銭面のみならず心理的にもかなりの負担感が伴うはず。

他、バイパス不要論だが、地域高規格道路では国道のバイパスという建前で建設されている道路もある。自動車専用道路のミッシングリンクを解消していくことが地域の再生に繋がる可能性もある。

介護に関しては家事と重なる部分も多い。末端を担う人材に関しては家庭に戻るといった選択肢もあるだろう。

道州制は平成の大合併が今一つ効果を発揮しなかったため後退したとの見方があるらしいが、もし首長を直接選挙で選出するなら、都知事選のように知名度に左右される選挙戦となるだろう。また、規模を大きくし過ぎると末端が見えにくくなるので、それこそ地域切捨てになりかねない。

提言されている住民票の二重化、これは避難世帯でまず実験的に導入して効果を測定すべきもので、一挙に導入するのは思わぬ混乱をもたらすかもしれない。

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2025年12月29日 (月)

石州浜田藩における神棚降ろし運動――『新編物語藩史』

『新編物語藩史』浜田藩「本多氏の入封」に「浜田宗門争い」という項がある。松平周防守から本多氏に領主が交替した時代、宝暦とあるが、蓮如の九世孫である仰誓(こうぜい)という真宗の僧侶が石見・安芸を訪れた。これは異安心という真宗への対抗説を糾弾するためだったとある。仰誓は市木村の浄泉寺の住職となり芸石に専修念仏を広めた。信徒たちは他宗や神道への論難を加え始めた。神棚降ろしも行われ、あるいは在来の神祭を廃するよう弁難した。これに対し浜田藩の他宗から異論が起こり九ヶ寺の住職が連名で領主に訴えた。が、宗論に対しては藩も裁きを容易に下せなかった。しびれを切らした九ヶ寺側は幕府に直訴する動きを見せた。藩は直訴のための出府を禁じたが明和四年(1767)、幕府に直訴するに至った。幕府から九ヶ寺に対しては真宗を切支丹呼ばわりしないこと、真宗に対しては他宗他門を誹謗すべからずとの措置が下った。真宗側は寛大に処置されたと見なし却って傍若無人の振舞いとなった。後、再び松平周防守に領主が交替、詳細が報告され寺社奉行が真宗を処罰して浜田宗門争いはひと段落した……とある。

といった次第で浜田藩でも神棚降ろしの運動が行われていたことが確認できた。芸北と石見とで風土にそれほど違いがあるとも思えないのだけど、神楽ではルーツを同じくしつつかなりの違いをみせている。

市木村は現在の旧瑞穂町か。大元神信仰にも干渉しようとしたことになるかもしれない。その試みは石見ではうまくいかなかったようだ。

<追記>
福間光超「近世末期の神仏関係―浜田藩における専修念仏の展開をめぐって―」『竜谷史壇』通号52を読む。浜田宗門争いに関する論文であった。読んでいて気づいたのだけど、石見と芸北とでは気候風土は似通っているのだけど、何か異なる点はなかっただろうかと考えていた。浜田藩と津和野藩は国学が盛行していた土地柄だった。本居宣長の高弟がいた関係で今でも浜田市と松坂市との間に交流がある。安芸国だと現在の広島市といった都市部ではやはり盛行していただろうけれど、芸北ではどうだったのか。

長沢村や浅井村といった記述が見られる。つまり浜田市街地でも大元神の信仰があったことが窺える。ただ、大元神楽や藁蛇の儀式があったかまでは分からない。他、宝珠院や観音寺といった寺院名も記載されていた。

真宗――神祇――他宗といった構図で、階層間の対立も反映されている節もある。真宗は農民を取り込んでいたようだ。

神棚降ろし運動は天照大神の護符を否定しているので安芸にも伊勢神道の系譜が入っていたことは想像に難くない。ただ、安芸の場合、芸轍という有力な学僧集団がいたことが特筆され、石見と事情を異にしている。

◆参考文献
・『新編物語藩史』第9巻(新人物往来社, 1976)pp.269-271.
 ※浜田藩の章の執筆者は矢富熊一郎。
・福間光超「近世末期の神仏関係―浜田藩における専修念仏の展開をめぐって―」『竜谷史壇』通号52(龍谷史学会/編, 龍谷史学会, 1964)pp.27-44.

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2025年12月26日 (金)

隠れた名著か――郡司正勝『地芝居と民俗』

郡司正勝『地芝居と民俗』を読む。読んでいて色々と知識のミッシングリンクが埋められていくような感触を覚える。地元の市立図書館にも所蔵されているので発行部数は多いのではないかと思うが、参考文献として挙げられているのを見た記憶がない。不思議なくらいだ。地芝居は昭和30年代にはかなり衰退してしまったようだ。地方の文化財保護行政が本格化するのは昭和40年代くらいからか。タイミング的に合わなかった側面はあるかもしれない。

「もどき」には、もと、本意に逆らうの意がある。(13P)

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歌舞伎用語が分からず購入――新居典子『ゼロから分かる!図解 歌舞伎入門』

新居典子『ゼロから分かる!図解 歌舞伎入門』を読む。地芝居の本を読んでいて歌舞伎用語が分からず購入。銀座の歌舞伎座には二度行ったことがある。一階席と三階席で鑑賞したが、舞台は通常の大ホールの倍くらいの幅があるか。巨大な劇場だと思った。幕間の30分ほどでセットも入れ替えてしまうので、バックステージがどうなっているのかも知りたいところだ。

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