佐宗邦威『模倣と創造 13歳からのクリエイティブの教科書』を読む。創造も守破離のプロセスを踏むことが必要で、守の段階としてまずは模倣から入ることが説かれている。
著者は広告代理店の提示するCM案に対する審美眼を持ち合わせておらず苦労されたとのこと。出世していざ企画をたてる段になってある種の審美眼を積極的に培ってこなかったという課題に直面したことになる。
本書ではセンスという言葉で語られているが、審美眼をいかに培ってきたか、著者の成育歴がよく見えてこない。あとがきでわずかに触れられているが、中学受験して東大に入学したようなので、都市部出身で中高一貫校卒と想像される。
都市部の中高一貫校からと地方の公立校から進学したのでは同じ大学でも中身の成分がかなり違うだろう。もちろん人によって穴となる欠如があることは避けられないのだが、著者の場合、受験勉強や専門分野の学習で忙しかったのかも知れない。人間、割けるリソースには限界がある。
審美眼にも先天的なものと後天的なものとがあるという。後天的な審美眼を培っていく上で、幼少期から思春期に触れたものがどれくらい影響してくるのか興味深いところである。
その後、デザインを学んだり、ファッションに気を配ったり、旅をすることでリカバリーを図っているように見受けられる。実は意外と後天的にリカバリーできるのかもしれない。
文化資本という概念があって、むしろ都市部の富裕層の方が有利にみえるのだが、必ずしもハイカルチャーの摂取だけで決まるものでもないのだろう。
映像に対する審美眼であれば、それまでに例えば映画を何本くらい鑑賞したかがある程度目安となるかもしれない。また、ライブパフォーマンスを生でどれだけ鑑賞しているかも大きいはず。他、絵は描かずとも写真を撮る人は多い。どんなカメラ、レンズを所有しているかの情報も欲しかったところだ(※機材自慢になりかねないが)。
デフォルトモードネットワークに対置される用語はセントラルエグゼクティブネットワークだそうだ。
……久しぶりに本を読了することができた。だいぶ脳の疲労が抜けてきたようだ。書籍・雑誌カテゴリの記事は6月以来である。