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2025年10月

2025年10月30日 (木)

文字ものは電子へのシフトが案外進んでいない――鷹野凌『ライトノベル市場はほんとうに衰退しているのか? 電子の市場を推計してみた』

鷹野凌『ライトノベル市場はほんとうに衰退しているのか? 電子の市場を推計してみた』を読む。ラノベの話は本来は別館でやっているのだけど、幾つか参考になるデータもあったので。

ライトノベルは何でもありの世界で定義づけが困難で(※その人がラノベだと思ったものがラノベだとしか言いようがない)電子書籍に関しては業界としての統計データがない状況である。ラノベの電子書籍の市場は推測では20~60億円と三倍もの幅がある。本書は60億円説を主張し、その算定の根拠を説明する本である。ちなみに20億円説はおそらく飯田一史氏だと思うが、氏は元ライトノベルの編集者であり、その後大学院にも通った経歴の持ち主ではあるので、その算定が無根拠という訳でもなさそうなのだが。

日本の電子書籍市場は現在およそ5000億円規模だったか。ただ、漫画が圧倒的に多く、文字主体の本の電子へのシフトは意外と進んでいない印象もある。その中でライトノベルは電子への移行が進んでいる方である。

本文中で提示された数字によると、出版科学研究所の推計で2023年の電子書籍(文字もの)の占有率は8.2%とある。一方、KADOKAWAの決算資料によると文字ものが23%を占めるとのこと。これはKADOKAWAはライトノベルのレーベルを複数持つラノベに強みを持つ(メディアミックスに長けた)出版社であるからだろう。また独自の電子書籍販売のプラットフォームを所有していることも大きいだろう。

ちなみに電子雑誌の市場は減少傾向にあり、178億円(2017年)→81億円(2023年)と半減以下である。これは雑誌という媒体がその役割を終えつつあるということだろう。老舗のカメラ雑誌でも廃刊してしまったところが多い。

……僕自身、電子書籍で購入できるものは極力そちらを選ぶようにしている。保管場所の問題と引っ越しに伴う断捨離で疲弊したから。移動の手間がかからないのも大きい。僕自身は液晶ディスプレイで閲覧しても特に何も感じないのだけど、文字ものの電子書籍へのシフトが案外進んでいないということは、モニターでの読書を嫌う層は少なくないということかもしれない。タブレットも10インチになると紙の本より重たかったりするし。

とはいえ、書店は何らかの業態転換を余儀なくされるだろうと予想はつく。文房具はとっくの昔に置いているし、カフェなどの飲食は汚損の怖れがあるので難しいだろう。町の書店の経営を支えていたのは雑誌だったそうだが、雑誌そのものが役割を終えつつある状況である。子供向けの絵本なんかは電子に移行させる訳にはいかないが、そういう性質の本ばかり置く訳にもいかないだろうし。

……ちなみに、ラノベはラノベでアタリショック的な読者離れを起こしかけているようだ。ティーンエイジャーの読書ランキングに児童書に分類される本が多数ランクインしていて驚かされたことがある。

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鳥取のソウルフード

NHK「さんいんスペシャル 鳥取うまいものハンター 秋の大収穫祭」をNHK ONEで見る。鳥取の食材や郷土料理が紹介される。まずは倉吉市の関金わさび。大阪の高級料亭にも卸されているとのこと。大山の伏流水が水源となっているそうで、外気温25℃に対し水温11℃といった冷たい水で育てていた。次はとうふちくわ。豆腐と魚のすり身の割合は7:3ほど。元は江戸時代の質素倹約令に由来するとされてきたが、研究者(鳥取県立博物館の学芸員さん?)によると豆腐はハレの日の食べ物で、巡見使を豆腐ちくわでもてなした記録も残っており、むしろ豪華な料理だったのではないかとしている。最後はトビウオ。空を飛ぶため体を軽くする必要があり胃を持たず雑味のない上品な味だとの評。琴浦町のトビウオ料理が紹介される。アゴ団子とアゴの土鍋ご飯。出雲でもアゴ野焼きは名物だったりする。

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2025年10月29日 (水)

山陰沖の洋上風力発電の可能性

中電、洋上風力を推進 山陰沖での開発検討
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/885633

洋上風力発電、山陰沖は開発ポテンシャルが高いとした記事。山陰沖は水深が深く着床式には不向きで浮体式が検討されているようだ。ついこないだ秋田かどこかの事業から事業者が撤退したという報道があったばかりだが。

風力発電は風力の三乗倍となるのだったか、日本海沖の方が台風の影響を受けにくい点では適しているか。

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自由間接話法が主な火種か――ジェラール・ジュネット『物語の詩学 続・物語のディスクール』

ジェラール・ジュネット『物語の詩学 続・物語のディスクール』(和泉涼一, 神郡悦子/訳)を読む。『物語のディスクール』の続編で前作に対する批判へのアンサー的な意味合いの本となっている。

自由間接話法では思考や独白、セリフなども地の文で記述するのだけど、一体誰がその主体なのかについては研究者間でも見解が割れるのかもしれない。論争の一番大きな火種はそこではないか。

プルーストは自由間接話法を用いていなかったのが記述が少なかった原因であるとのこと。

語り手の審級という表現がピンと来ないのだけど、

【現実の作者【暗黙の作者【語り手【物語言説】聴き手】暗黙の読み手】現実の読み手】 (148P)

現実の作者(AI)→語り手→物語言説→聴き手→(LV)現実の読み手 (158P)

と修正されていっている。

……これらの技法は応用できて初めて意味を持つ類のものであり、全てをマスターする必要は更々ない気がする。ちなみに、クリスティのミステリのネタバレを喰らってしまった。

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2025年10月28日 (火)

シナプスの発火――塚田稔『芸術脳の科学 脳の可塑性と創造性のダイナミズム』

塚田稔『芸術脳の科学 脳の可塑性と創造性のダイナミズム』を読む。脳神経のシナプスの情報処理の研究者に手になる本。前述したが、マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』から格段に解像度が上がっている印象。本書では情報圧縮はチャンキングと呼称していた。このチャンクにおける脳神経の回路の推移が更に解明されれば創造性に関する議論は深化していくことになるのだろう。

……要するに、ライブで鑑賞しなければ意味記憶をエピソード記憶に転換させるのが困難といった話である。百聞は一見に如かずのことわざ通りの話。

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2025年10月26日 (日)

石央文化ホールに行く 2025.10――石見智翠館高校吹奏楽部定期演奏会

石央文化ホールに行き、第25回石見智翠館高等学校吹奏楽部定期演奏会を鑑賞する。浜田、江津、大田の三会場で公演されるその初日。ここ四年で中国大会ゴールド金賞を三度受賞しているとのこと。全国大会も視野に入れた高いレベルにある。他のコンクールで全国大会出場を決めているともあった。

浜田駅前・石央文化ホール
石央文化ホール・大ホール・休憩中
石央文化ホール・大ホール・終演後

第一部は通常の吹奏楽。小編成の「コタンの雪」が印象に残った。第二部はゲストの浜田一中・吹奏楽部の演奏。三年生が引退したばかりで現在19名とのこと。調理器具なども用いられた。休憩を挟んで第三部はミュージカル「アラジン」。約45分のまとまった内容。小学生だったらワクワクして見るだろうなと思った。会場は一階は一般向けの席はほとんど埋まっていたが小学生くらいの子供はさほど多くはなかった。……実は千夜一夜物語はお姫様でも容赦なく奴隷として売り飛ばされる過酷な世界でもあるのだけど。セリフのある役は多くはなかったのだけど、部活動と並行して稽古するのは大変だったろう。第四部では25周年という節目の年ということもありステージドリルなるものが披露される。新体操のリボンのようなものやフラッグを集団で振る内容。次は石見神楽「大蛇」とのコラボ。更にあみだくじで曲を決めるコーナー。今回演奏されなかった曲は次回以降で演奏されるかもとのこと。最後はCHISUIスペシャル2025。それから顧問の紹介でマネージャー二人が登壇。部員数が多いので雑務だけでも色々やることがあるだろう。今回は照明などを担当していたとのこと。最後はふるさとで締めた。二時間コースかなと予想していたら三時間たっぷりの盛り沢山なコンサートだった。

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2025年10月24日 (金)

汗かきの噺家さん――いわみ文化振興センターに行く 2025.10

いわみ文化振興センターに行く。中に入るのは初めて。二階の二人の美術館は一階の受付で入場料を払うのだった。第三回 倉澤實記念館賞コンクール展、木製のウチワエビが美味しそうだった。島根の洋画展、牛がモチーフの作品が気に入った。色調が暗いえんじ色だったからかもしれない。一旦退出後、畳ヶ浦の展示も見る。早めに入ったので再入場してソファでボーっとする。文庫のソファには県立大生か、若い女性たちが座っていた。あそこは座っていいんだと思う。

ノートに記帳された内容を確認すると、浜田市内、益田市、江津市からの来客がほとんど。出雲や広島からの来客もたまにある。

いわみ文化振興センター
いわみ文化振興センター・抱月会館入口
抱月会館・開演前

開演前、来場客たちの会話が聞こえる。県立大生は大学の車で送迎しているらしい。

抱月会館で桂三輝(サンシャイン)さんの独演会を鑑賞する。カナダ出身とのこと。桂三枝さんの15番目だったかお弟子さんだそうで、ご自身も最低三人の弟子をとっている。桂一門で上方落語に属する落語家。古典的な演目はやらず、話の枕がずっと続く感じだった。日本語ネイティブでない人のオリジナルの話芸が聴けたのは幸運だったかもしれない。初めて外国でギャラありの仕事をオファーしたのがロンドン在住の浜田出身の女性プロデューサーで、そのご縁らしい。それまで外務省のボランティアで海外で公演することはあったそうだが、宿泊するホテルは一流の宿が用意されるものの、ボランティアということでギャラはわずかとのこと。後、大阪のG20のMCも務めたとのこと。当初は大学の非常勤講師として来日したが後に大阪芸大で日本の芸能を学ぶ留学生となって三枝さんに弟子入りしたとのこと。普段は浅草にお住まいだそうだが、月一回ニューヨークに飛んでブロードウェイで公演しているとのこと。かなりハードそうな印象。7年のロングランだそうだ。ちなみにブロードウェイでの観覧料は50ドル(※現在のレートで7500円ほど)とのこと。落語のセリフは割と翻訳しやすいそうなのだけど、「よろしく」はそのニュアンスを正確に伝えようとすると長文となってしまうようだ。国によって笑いのツボは異なるのだそうで、カナダ人でもイギリスの笑いのツボとは異なるとのこと。これはご自身が東欧の移民の家系という理由もあるかもしれない。落語の笑いは世界的に通じるとのこと。SNSで毎日ショート動画を投稿しているそうで、宣伝を打たなくても集客できるようになったとのこと。以前はせっせと手紙を書いていたらしい。

……関西は一般人でも素で面白い人が多いので、そういう意味では笑いに厳しい環境でもある。時々噛んでしまうとおっしゃっていたが、噛んだり詰まったりせずにしゃべり続けるのはプロならではの芸/技術だ。

満員御礼で、会場のスペースはほぼ埋まっていた。終わって外に出てみると、駐車場は車で一杯だった。

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2025年10月23日 (木)

デジタルヒューマニティに関する新書――大黒達也『芸術的創造は脳のどこから産まれるか?』

大黒達也『芸術的創造は脳のどこから産まれるか?』を読む。デジタルヒューマニティに関する新書。若い頃、マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』を読んだが、その頃からすると格段に解像度が上がっている印象だ。

冒頭は後の本題となる議論の前提について解説される。ここが若干ボトルネックとなっているような気もするが、本題に入るとスムーズに読むことができた。

読んでいて思ったが、潜在学習(統計学習)による情報圧縮(チャンク)において真偽は問題とならないと思われる。たとえば天文学の知見のない時代、人々にとって地球が宇宙の中心ということは自明だったろう(※相対的にはそういう風に見てもいいのだが)。偽に真を幾ら掛け合わせても偽としかならないが、そういった風にして天動説は形成されていったのかもしれない。

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2025年10月22日 (水)

小ホールは例えば同人誌の即売会向きか――石央文化ホール

石央文化ホール、小ホールが実質的に大会議室だなと思っていたのだけど、例えば同人誌の即売会なんかはああいったフラットなスペースで催されたりもするのだった。デパートの催事場的な利用法もあるだろう。美術展はやらないだろうけど。グラントワにはないメリットがあった。

文学フリマという小説の同人誌を対象とした即売会がある。広島での開催実績はある。僕自身、同人誌のノウハウは持ち合わせていないし、現状、限られたリソースをそういった方向に割けないのであるが。

……本来の自分はインドア派で、バイタリティの無さは哀しくなるくらいだ。

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2025年10月18日 (土)

未読小説が理解の妨げとなる――ジラール・ジュネット『物語のディスクール 方法論の試み』

ジラール・ジュネット『物語のディスクール 方法論の試み』(花輪光, 和泉涼一/訳)を読む。ナラトロジーと呼ばれる文学理論の嚆矢となった本。

主にプルースト『失われた時を求めて』が分析の対象となっている。他、『オデュッセイア』なども対象とはなっているがほとんどが『失われた時を求めて』の分析に当てられている。

『サラジーヌ』『危険な関係』といった小説にも言及されていて、それらは読んだことがあるので言わんとしていることがある程度理解できたが、『失われた時を求めて』は生憎と未読なので理解の妨げとなった。『失われた時を求めて』は超長編なので読破することは難しいが、とりあえず光文社の新訳版1、2巻を購入した。

主に時間と語り手といった点に焦点が当てられている。昔話のような口承文芸だと語りの都合上(※複雑に錯綜させると聴き手の理解が阻害されてしまう)時の流れはリニアになっていくが、文章では時の流れは如何様にもできる。まず錯時法という技法が提示されるが、現在過去未来を自在に行き来しつつ(回想、未来の予告など)、時間経過を大胆に省略したり詳述することも可能である。加速度は可変である。繰り返しも可能であるし、規則性も簡潔に表現できる。

語り手については人称との関係で分析される。一人称、三人称といった区分の他、叙法(誰が見るのか?)、態(誰が語るのか?)といった観点からも分析がなされる。語り手が誰なのかは大いに問題となる。作中人物かあるいは作者か神なのか。

……これらは明らかに小説に関する分析の技法である。僕が扱うのは昔話なので割愛してもいいのだが、一応押さえておこうと考えてのもの。ナラトロジーに関しては技法が細かすぎて憶えきれないと感じた。誰かレジュメ形式にでもしてくれたらいいのだけど(※結局、生成AIに概略をレジュメ化してもらった)。研究者以外は何となく分かっていればいいかなといったところである。

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2025年10月15日 (水)

出雲に地芝居があった

出雲歌舞伎むらくも座50年 佐田 ぬくもりのある舞台継承 19日に記念公演 一体感が人気
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/876912

山陰中央新報2025年10月15日付記事。出雲に地芝居(農村歌舞伎)があることを知る。正確には1975年に復活させたそうだ。地芝居は文化財保護行政が端緒についたばかりで衰退と保存活動のタイミングが合わなかったのかもしれない。記事によるとスサノオホールで公演を行うとのこと。須佐神社の辺り。今年は色々と動きづらくて無理そうだけど、出雲市内に前泊すれば何とかなるか。

<追記>
出雲駅前のビッグハートでの公演もあるようだ。

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2025年10月14日 (火)

山陰新幹線も貨物新幹線の迂回ルートとしてなら存在意義がある……かもしれない

昭和の馬車馬になるな!鉄道は令和成長投資の本命だ
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/876372

山陰中央新報2025年10月14日付記事。貨物新幹線の導入を提言する内容。高速に大量輸送を可能にする手段として構想されているようだ。

貨物新幹線自体は新幹線計画の当初からあったのだけど未だ実現には至っていない。北海道新幹線が札幌まで延伸すればカートレインを含め導入されるかもしれない……くらいか。

山陰新幹線の構想が一応生きていると知って何の意味があるのだろう? 旅客はせいぜい出雲―鳥取間、京都、新大阪まで繋がればそこまでだろうと思っていたが、貨物新幹線の迂回ルートとしてなら存在意義が出てくる訳だと理解する。

舞鶴経由で北陸長野新幹線に繋がれば大宮まではダイヤに空きがあるだろうから、大宮近辺を貨物ターミナルにすれば日本海側の迂回ルートとはなり得る。百年くらい先の話だろうけど。

……しかし、自動車の自動運転が視野に入ってくると、新東名を全線片側三車線にしなかったことが大きな判断ミスだったと改めて思う。三車線なら左側の走行車線を主に商用車向けのレーンとして中央を乗用車向け、右側を追い越し車線と分流させることが可能だったのに。そうすれば自動運転のハードルが若干下がっただろう。

<追記>
「中速新幹線」という構想を知る。ミニ新幹線方式とフル規格を混在させたような形でコスト削減を狙ったものだろうか。しかし、山形新幹線はしょっちゅう遅延しているしそういうトラブルを避けるためフル規格が望まれているというのが現状だろう。

仮に舞鶴、小浜経由で北陸長野新幹線に接続するルートを山陰新幹線、岡山経由のルートを伯備新幹線とすると、双方作ると二重投資となってしまう。どちらを造るか選択を迫られることになるかもしれない。百年後くらいに。仮に作られるとしても出雲で打ち止めだろう。

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2025年10月13日 (月)

また積読が増える……序盤だけで1000ページ近くあるし

プルースト『失われた時を求めて』光文社の新訳版を二巻まで買う。ジュネットのナラトロジー、『物語のディスクール』を読んでいる途中なのだけど、分析の題材が主に『失われた時を求めて』なのだ。新訳版は全14巻の予定だそうで言わずと知れた大長編である。読破するのは困難なので、序盤だけでもと思ってのこと。二巻分でも1000ページ近くあるのだけど、読まずに読むのと読んでから読むのでは理解度が明らかに違ってきたりするのでやむを得ない。

……ナラトロジーは明らかに小説の技法についてのものだから、昔話の分析の手法からは外してもいいのだけど、一応目を通しておく必要はあると考えてのこと。

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鳥取県の農業の現況――NHKさんいんスペシャル

NHK「さんいんスペシャル」をNHK ONEで視聴する。

「梨王国 復活を目指して」は鳥取の梨について。現在、梨の生産量、鳥取は全国6位だそうである。首都圏だと千葉県辺りが産地だろうか。幸水といった品種が多い。千葉は都市部を離れるとすぐ田舎と化すのが予想外で驚かされたが。最盛期は1000戸を超えていた梨農家は将来250戸ほどに減少する見通しだという。理由として農家の後継者不在の問題が挙げられる。番組ではある梨農家が県外からの研修生二名を受け入れて指導する様が映されていた。その梨農園のオーナーは60代半ばの年齢だがリウマチで農業を継続することが困難となったため、後継者に引き継がせることを決断したとのこと。研修生は独立して初年度の収入は250万円ほどを見込んでいる。それに補助金が数年間、百数十万円支給されるので、その規模での立ち上げを見込んでいる。新しい品種も開発されていて甘味と酸味の調和がとれたものだとのこと。リンゴなんか甘味に全振りして酸味が感じられない品種ばかりになったのだけど、そこら辺、果物の酸味を嫌う層が一定数いるのだろうか?

「“儲(もう)かる”農業が日本を救う~米作り最前線~」こちらも鳥取県の中山間地域で高収益を挙げる米農家を取り上げたもの。100haを三人で管理する大規模経営で、経常収支が30%に達しているという。競争力のある商品やサービスの粗利は三割くらいと考えられるのでかなりの効率の良さである。ほとんどの米農家が赤字を強いられているなかでの高収益で注目の的となっている。種に特殊な肥料をコーティングし、田に直接播く。水に浮かばず沈むため鳥に食べられたり流されたりしなくなる。従来の苗床を作ってから植えるやり方だと苗床が8㎏ほどあり重労働だったのから解放されたとのこと。苗床を作る手法も稲作におけるイノベーションだったのだけど、今度はその苗床を不要とするイノベーションが進行中だった。また、衛星写真で過去のデータを参照し生育状況の良し悪しを見極め適切な箇所に自動操縦のドローンで撒くことで肥料を10~15%削減したとのこと。トラクターも自動運転とのこと。泥濘地での運転はハンドルが取られ操作が難しかったのが他の作業を並行して行えるようになったという。自動運転は農場で既に威力を発揮していた。現在はビール会社が開発した新たなコーティングで水を張らない状態での種蒔きに挑んでいる。外国の粗放農業を思わせる。こうした取り組みはSNSで発信しており見学者も絶えないとのこと。ノウハウは隠さず教えているそうだ。盗めるものは盗めという姿勢。背景には米作りに対する危機感があってのことだろう。使命感も口にされていた。若い頃、歌手を目指して上京したが子供が生まれて帰郷したという話だったので、全くの新規参入組ではないようだ。苗床を排することに心理的ハードルがあるとしていたので急速に普及していく訳でもなさそうだが、平地の限られる中山間地域で規模を拡大し成果を上げているのは凄い。経営者としてだけでなくイノベーターとしてのセンスもある人なのだろう。

ちょうどNHKスペシャルが「米価騒乱 揺れる“主食の未来”」の回で鳥取県、JAとっとりの取り組み(※生産に要する費用を前払い、利益が出れば後払いするといった仕組み)も紹介されていたので内容が被っているかと思ったら全く異なる内容だった。

中山間地域だと圃場整備して一枚当たりの田の面積を拡大するのに限界があるし、そもそも圃場整備は一旦終えたところが多いだろう。そういった地域でもIT化を駆使することで効率的な経営が行えるようになる……といった事例であった。

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2025年10月11日 (土)

広島県民の精神史――水原史雄『安芸門徒』(中国新聞社/編)

水原史雄『安芸門徒』(中国新聞社/編)を読む。帯に復刻版とある。前半は南北朝の争乱の頃、備後の沼隈半島(※現在の福山市。鞆の浦辺りか)に上陸した真宗の僧たちが教線を延ばしていったその後の歴史。後半は江戸時代に花開いた芸轍(げいてつ)と呼ばれる安芸出身の学僧たちの列伝といった構成となっている。巻末には歴史年表、歴代住職一覧、参考文献などが置かれている。

布教は親鸞の直系ではなく下野国の弟子筋の僧侶によるとしている。絵系図といった親鸞の教えに背くような手段もとられたそうだ。現在は三次市内に立地しているが(※高田郡にあった時期もある)昭林坊という真宗の寺院から出雲、石見、山口などへ教線を延ばしていき末寺を増やしていったとのこと。

芸轍と呼ばれる一派は基本的には教義を巡る解釈で活発に論争したそうだが、中には吉田松陰に影響を与えた人物もいたとのこと。

……この本を手にとったきっかけは、芸北神楽を見ていてどうも土俗/土着的なものに関心が薄いような気がしてのこと。浄土真宗が神社の神宮寺だったことは教義上なく、明治初期の神仏分離令の際も混乱は生じなかったそうだ。その点、石見ではたとえば浜田市の大麻山にあった尊勝寺という大きな寺院は明治期の地震で倒壊したのだけど、廃仏毀釈の時勢下にあって遂に再建されなかったとされていることと対照的だ。

なので、真宗と神楽との間に直接的関連はなさそうだ。が、芸北神楽の独特さはおそらく複合的な要因だろうけど、地域の気風も大きく影響しているように思える。「神棚おろし」と称された学僧もいたとのこと。巻末のアンケートによると1970年代頃は仏壇と神棚の両方がある家が半数近くを占めていた。家単位での宗派をみると真宗が五割を超えている。その他の仏教諸派は合わせると三割近くあるが、勢力としては圧倒的である。

ちなみに横山光輝は日本の戦国武将も漫画化しているのだけど、毛利氏はしていなかったと記憶している。大河ドラマは見ていなかった。そんな訳でそこら辺の歴史が分かっていなかったのだけど、当時安芸国の守護だった安芸武田氏を高田の地頭だった毛利氏と宍戸氏が政略結婚で手を結び若狭へ追い出す。そこから毛利氏の中国地方における勢力伸長が始まったことが分かった。安国寺恵瓊は武田氏の出だそうだ。

毛利氏は安芸国の一向宗と手を結ぶことで石山本願寺に海運で物資を供給し、織田信長に対抗しようとしたようだ。

真宗の場合、僧侶として得度するためには天台宗(※元は天台宗の一派だった)など一旦自力の教えを修めなければならず、そこから他力へと転換していく。また、絶対他力の立場をとると人間の主体性が問われることになる。自力←→他力の間で揺らぐことになるか。

安芸門徒は北陸や東海のように一向一揆といった反抗的な態度はとらなかった。本書では「従順」としているが、領主の支配に苛烈さがなかったということかもしれないし、そこら辺はよく分からない。

<追記>
藤井昭「書評 水原史雄『安芸門徒』」を読む。本書を宗教史と郷土史を結びつける成果と評価している。一方で、

著者が、安芸門徒は芸備門徒といいかえた方がよい(はしがき)とされ、本文でも安芸の真宗と備後の真宗とを区別して扱われていない点である。安芸では一村が真宗にぬりつぶされ、他宗派の入るを許さない厳しさがあったが、備後の真宗は村内で他宗派と共存し、数多くの小神の鎮座を許している。備後の真宗の在地のあり方は安芸よりも他国の真宗に共通した性格を多分に有していたのではあるまいか。むしろ安芸の真宗は備後の真宗との対比においてその本質が明確になると思うのである。(28P)

ともしている。備後では荒神信仰がみられるが、安芸ではおそらく見られないのではないか。

◆参考文献
・『安芸門徒 復刻版』(水原史雄, 中国新聞社, 1996)
・藤井昭「書評 水原史雄『安芸門徒』」『芸備地方史研究』128(芸備地方史研究会/編, 1980)pp.26-28.
・市川訓敏「安芸門徒と「神棚降ろし」」『比較法史研究』3(比較法史学会/編, 1994)pp.85-112.

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2025年10月 5日 (日)

オンザエッジの恋の駆け引き感――ラクロ『危険な関係』

ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ『危険な関係』(竹村猛/訳)を読む。18世紀パリの社交界を舞台にした書簡形式の小説。凝った文体の文章が延々と続くということもなく読みやすい。

ヴァルモン子爵が放蕩者的ポジション、セシル嬢は軍人(※ラクロ自身が投影されているかもしれない)との縁談が進められているが乗り気でない……といった関係性を軸に物語は展開していく。他のご婦人方については年齢が明らかでないこともあって把握しきっていない。

読みやすさの割に全然進捗しないなと思って確認したら紙の本では608ページあった。文庫本二冊くらいのボリューム。前半は短い手紙のやり取りが重ねられていくので途切れ途切れになってしまうためかもしれない。後半は長文の手紙が増え、ペースが上がった。

昔の人は丁寧に文をしたためていたのだなと思う。僕は恋文は書いたことはないけど、電子メール主体の今、親しい人相手でも極力余計なことは書かず要点だけ伝わるように変化していった。

元々はトドロフ『小説の記号学』で分析の題材として取り上げられていたので手にとったもの。時の流れに淘汰されずに生き残った作品はやはり面白い。『小説の記号学』はいずれ再読しようと思っている。

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2025年10月 4日 (土)

地元志向が鮮明

山陰中央新報で県内の高校の大学進学実績のデータをみる。島根大学、島根県立大学への進学者が多い。私立大では広島修道大、岡山理科大が多い。関西では近畿大の躍進が目立つ。

益田高校は地理的に山口大学への進学者も多いようだ。空港があるのでそれを利用した首都圏への進学者もいるそうだ。熊本大学も進学先となっている。九州新幹線の開通で現実的な選択肢となったのだろう。

地元志向が鮮明で、関東への進学は減少傾向にあるようだ。これは首都圏の私立大学に通うため下宿するという生活スタイルが費用面で厳しくなっているからだろう。

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夏タイヤしかなかった……

来年の一月上旬の週末にグラントワの大ホールで演劇が上演される。……が、その時分って悪天候のことが多い。夏タイヤしか持っていないのであった。まあ、汽車で行ってもいいのだけど。

面倒なのでオールシーズンタイヤに履き替えられないか訊いたら、僕の車に合うサイズのが無いそうであった。

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2025年10月 2日 (木)

美都町の石州犬の記事を読む

山陰中央新報に柴犬のルーツとなる石州犬、益田市美都町の石号を紹介した記事を読む。うちは父が柴犬を飼っていたので犬といえば柴のイメージである。平成初期なら当時を知る人が存命だったかもしれないが、令和になってよく突き止めたものだと思う。

ネットだと柴犬はむしろ飼いづらい犬種と評されている。僕が最初に慣れたのは雄の老犬だった。次は雌だった。雌は穏やかな気性の犬が多いだろうけど、雄は分からない。ただ、母犬の許でどれだけ過ごしたかとか幼犬の頃から人慣れしていたかなど育ち方も大きいかもしれない。うちも父が死んだ際に幼犬だった雄は孤立していて他所にもらわれていったが、そこで飼っていた犬とは仲良くなったものの人にはあまり懐かなかったそうだ。

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2025年10月 1日 (水)

ライトプランに加入

山陰中央新報デジタル・ライトプランに加入する。紙の新聞を止めてからかなり経つ。新聞だけならまだいいのだけど、チラシの類があっという間に増殖するので処分に困った挙句のことであった。……地域のニュースはやはり読みたいし、YouTubeに課金するよりはマシだろう。

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2025年4月~9月の本館実績

2025年4月~9月の本館実績

4月 PV:1730 Visit:1286 UU:1174
5月 PV:2347 Visit:1423 UU:1279 ※AIボット多し
6月 PV:1637 Visit:1207 UU:1090 ※AIボット多し
7月 PV:1596 Visit:1224 UU:1133
8月 PV:1227 Visit:968 UU:898
9月 PV:3394 Visit:2100 UU:2028 ※AIボット多し

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