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2025年9月

2025年9月23日 (火)

むしろ偽となる命題に興味あり――青山拓央『分析哲学講義』

青山拓央『分析哲学講義』を読む。分析哲学の入門書となる新書で論理記号はごくわずかしか用いられていなかった。記述そのものは平易だが、こみいった内容で門外漢には一読で理解できるとは思えなかった。

僕自身は偽となる命題に興味がある。「祈祷で病気が治る」「雨乞いで雨が降る」といった類のもので、要するに呪術的思考である。医療では呪術的思考は慎重に避けなければならないけど、たとえば一部の郷土芸能では呪術的思考の「名残り」(※あくまで名残りである)、フレーバー程度だけどそれらを排除してしまったら魅力が大幅に損なわれてしまうように感じるのだ。

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史料批判がテーマ――松沢裕作『歴史学はこう考える』

松沢裕作『歴史学はこう考える』を読む。史料批判をテーマとした新書。かみ砕かれた説明が丁寧にされている。明治30年代でも候文が使用されていたとは知らなかった。

ある者にとっては当然のことが他の者にとっては当然ではない。まして時代が変われば。そういった難しさがある。

身近なところでは、朝ドラの総集編をみていて「戦後まもなくの日本に同性婚という概念は存在したのだろうか?」と首を傾げたことがある。

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2025年9月20日 (土)

グラントワに行く 2025.09その2

午前10時過ぎに出て11時過ぎにグラントワに入る。森英恵展初日ということもあり駐車場の心配をしていたのだけど、無事確保できた。まず喫茶店で昼食を摂ってから森英恵展を見学する。

若くして頭角を現した人は違うなと感じさせられる。東京女子大卒業後、結婚したが洋裁を学んだとある。配偶者が繊維関係の仕事をしていたとのことで理解もあったのだろう。デザイン力だけでなく自己プロデュース力にも優れていたと思われる。新宿に開いた店で注目を集め映画の仕事を得て人脈を拡げていっている。渡欧、渡米してからの着眼点も優れていた。蝶のモチーフは出身地である吉賀町での記憶がベースにあるとのこと。

津和野藩所縁の絵画、主題は繊細、緻密に描き、背景の松の枝等は省略の意味合いもあるのか荒々しいタッチで描いている。写実一辺倒の西洋美術とは異なる魅力がある。

2時間ほど鑑賞してしばらく中庭で休憩する。水を張っているのだけど、トンボが産卵していた。あそこはビオトープではないのだけど、卵が孵化してヤゴになったとして生きていけるのだろうか。

グラントワ・中庭

夕方から小ホールで地元劇団による二本立ての演劇を鑑賞する。収容人数は462人。小ホールとはあるけど、実質的には中ホールである。客入りはよかった。どちらも一幕もので約一時間の上演時間。背景はプロジェクターで投影されているのだろうか。デジタルサイネージだとかなり大きなものになってしまうが。美術のコスト削減には繋がる。

まず益田の市民演劇集団ドリームカンパニーの「今宵、自販機コーナーで…」が上演される。調理師のおばちゃん的な登場人物が二名いるので道の駅的な施設だろうか、自販機コーナーに集まる常連客たちを描いた劇。口裂け女が出るという噂を聞きつけてやってきたルポライターの前で常連たちのドラマが繰り広げられる。

浜田の創作てんからっとは「LIFE goes on, bra!!」。物忘れが激しくなった舞台女優が浜田にUターンしてきて……といった形で始まる。僕は舞台はアリバイ程度にしか見ていないけど、NHK FMシアターは長年聴いていて、これがオーディオドラマならAIと人との交流に重点が置かれるかなと思った。

グラントワ小ホール・上演終了後

僕は演技力の類はよく分からない性質だけど、下北沢でみた劇団とさほど変わらないように思った。ある水準に達するとそこからは大きくは変化しないのかもしれない。

脚本は書式を憶えれば割と書けるようにはなると思う。それがドラマとなっているかは別として。だが、戯曲は脚本のように場面転換ができず、固定された舞台に人物の出入りでストーリーを展開していく形となるので途端に難易度があがる。経験者でないと書けないかもしれない。少なくとも僕には無理だ。

……地方小都市に必要なのはむしろ小ホール、中ホールなのかもしれない。政令指定都市だと区民ホールが中ホールくらいの規模である。

終わると外は大雨となっていた。雨の夜道は見づらく対向車がいない場面ではハイビームにして注意して走る。

<追記>
今回、メールで予約したのだけど、担当氏から返信が来る。公演ペースは団員の家庭の事情(仕事、子育て、介護etc)で年一回くらいが限界らしい。これはこれで書籍では得られない市民劇団特有の事情に関する貴重な情報ではある。

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2025年9月18日 (木)

NYではラーメン一杯3000円――ポール・クルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』

ポール・クルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』(山形浩生/訳)を読む。ノーベル経済学賞受賞のクルーグマン教授による経済読み物。2008年のリーマンショックから数年後の経済について語られている。経済学は全くの門外漢だが分かりやすく書かれている。クルーグマン教授はケイジアンの立ち位置と知った。基本的には積極財政派と財政規律派との二項対立の図式となるようだ。基本的には積極財政派と財政規律派との二項対立の図式となるようだ。本書の刊行は2012年。それから十数年、「ニューヨークではラーメン一杯3000円」といったインフレ具合だそうだ。ハイパーインフレな訳ではないけれど、庶民には厳しいらしい。政権交代の一因となった。米国の国債発行額の対GDP比は100%台前半で日本の200%といった水準に比べればまだ安全圏にあるとは言えるかもしれないが、額が巨額で利払い費も巨額となるため長期金利を上げることに心理的なブレーキがかかっている状況だろうか。

……正直な話、生きてる内に米国が混迷期に突入するとは思ってなかったが。

過去の歴史に照らし合わせれば、勃興→成長→繁栄→停滞→混迷→衰退といった過程を辿ると推測されるが、米国の場合、イノベーションを起こしまくっているある意味絶好調な状況下で水面下で分断が進行しつつある……といったところか。

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2025年9月12日 (金)

抽象化がキーか――小澤俊夫『昔話の語法』

小澤俊夫『昔話の語法』を読む。同じ言葉で繰り返すといった昔話特有の語りについて重点を置いて解説している。第5章では音楽理論と対比しながら説明されるのだけど、生憎と楽譜が読めず、何となくといった程度に留まってしまう。

本書ではグリム兄弟を昔話研究の嚆矢と位置づけている。というのは昔話を採集した際に話者の名前、生育歴なども記録していったからである。そしてグリム兄弟からマックス・リュティに至るまでの昔話研究の歴史が語られていく。

小澤氏はリュティと親交があり、その理論を積極的に取り入れている。本書では昔話の様式理論と記述している。個人的には昔話の現象学といった趣に感じられる。昔話には特有の様式があり、リアリズム的な描写とは対称的な側面があることを提示した画期的な研究なのだけど、そのリュティも突然変異的にその理論に到達したのではなく、背景に美学の進展、感情移入説から抽象衝動説への展開があったことが解説されている。

抽象化、西欧では写真技術の発展が背景にあるだろう。カメラオブスキュラだったか、早い段階から初歩的なカメラの原理を応用したりもして写実的な描写をよしとしていた西欧美術が写真の登場で価値が揺らぎ、抽象的な方向性へと転回をはじめた。それと軌を一にしていると思われる。

美学はバウムガルテンの著作を嚆矢とするのだけど、元々は詩を対象としたものだった。そして詩は朗読されるものという前提があったのである。朗読/朗誦するといった点では語りとの近縁性を見出すことが可能だろう。また、「自己修正の法則」が働くことも背景にあるだろう。文章で記述されると次第に描写が細密なものとなっていくが、語りではそうして複雑化していくと聴き手の理解が及ばなくなってしまうこともあり簡略化されていく傾向が認められるそうだ。

日本での昔話の採集は昭和30~40年代くらいがピークだろうか。当時は明治生まれの老人たちが多く生存していたのである。現在はお年寄りといっても多くは戦後生まれだ。メディアの発達で語りの場はほとんど失われてしまった。現在は書物を読んでそれを語るといった書承的な語り手がほとんどだろう。

再話についても語られる。地元の言葉で語る/標準語で語るといった選択肢がある。方言風の言葉づかい――たとえばアニメ「まんが日本昔ばなし」は東北弁っぽい語りだったが、あれは実際にはどこの地方の言葉という訳でもないだろう――だと却って地元の言葉に変換しづらく語りにくくなってしまうのだとか。

甑島(こしきじま)という鹿児島県の離島の民話を採集した本を借りたことがあるが、九州南部の方言そのもので採録されていて、読もうとしてもさっぱり意味がとれなかったりしたことがある。

小澤氏は昔話の研究に注力されていたようで、たとえば日本昔話通観といった大著の編纂にも関与されている。そのためか、神話学については目配りされていないように思える。神話は体系化されている神話(※つまり知識層によって編纂された)と体系化されていない神話とに大別されるが、体系化されていない、無文字社会の神話――これは神話と民話を区別するのが難しい側面もあるが、話者の中では区別がついているらしい――を参照しながらリュティの著書を再読してみたいと考えている。

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2025年9月11日 (木)

大ホールだと駐車場の問題が――グラントワ・神楽公演

【公演名・日時】
グラントワ開館20周年記念
しまね伝統芸能祭2025クロージング公演
魂神楽 モモチヨロズヨ -木花之佐久夜と建御名方-

2025年11月23日(日) 14:00開演
島根県芸術文化センター「グラントワ」(いわみ芸術劇場)大ホール

「石見神楽」の担い手としてこれまで主に県外で魅力を広く発信してきた石見神楽の若き舞手チーム「万雷」が凱旋!
https://www.grandtoit.jp/theater/event/mitamakagura1123/


……という情報が流れてくる。一般前売6500円他。

大ホールなので1000人以上収容可能な劇場。すると駐車場の問題が……。美術館だったら平日に行けば何とかなるのだけどホールの方は……。周辺にも駐車場はあるそうなのだけど、そこまで把握してないし。昼の公演だから鉄道でもいいのだけど、うっかり乗り遅れたら次の便がいつになるか分からないダイヤ編成が現状だし。

<追記>
予約しようかと思ったが、今はあまり先の予定を入れない方がいいかと考え直す。

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2025年9月 4日 (木)

弘法大師やお遍路さん――谷原博信『縁起・異界・昔話――香川昔話研究集成』

谷原博信『縁起・異界・昔話――香川昔話研究集成』を読む。昭和後期~平成初期にかけて出された論文をまとめた本。電子書籍で読んだ。冒頭は一般的な昔話の民俗学的なアプローチからの解説がされるが、その後香川県らしくなり、弘法大師やお遍路さんにまつわる昔話や縁起が多く取り上げられるようになる。お遍路を四国島内を循環する旅として捉え、キリスト教の巡礼はキリストと一体となる宗教体験を求めてのものとして両者は異なるものだとしている。狸に関する考察もある。

昔話の採集が進んだのは昭和30年代~40年代にかけてがピークだろうか。その頃だと明治生まれの人が多く残っていた。今は70~80代の人でも戦後生まれである。メディアの登場で語りの場が隅に追いやられてしまったというところだろうか。僕も世代的には「まんが日本昔ばなし」をみて育った口である。なお、今でも趣味として昔話の語りをしている人やサークルはある。

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2025年9月 1日 (月)

売上げ、ゼロ

8月の電子書籍の売上げ、ゼロ円であった。思うに、ブログのサイドバーからの流入が意外と多かったのだろう。現在、とある事情で外してしまっている。ほとぼりが冷めるまでしばらくこのままでいくつもりなので、当面、売上げは期待できなさそうだ。

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