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2025年6月

2025年6月21日 (土)

渦中にいてはよく見えないこともある――河合隼雄、村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

河合隼雄、村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を読む。頻出するキーワードとして、オウム、地震、湾岸戦争が挙げられるので、対談は90年代半ばに行われたらしい。30年後の今から振り返ると、ちょうどインターネットの普及が始まった時期でもあり、ネット以前/以後の分水嶺ともなっている。潮目が変わった時期と言える。

そんな訳でそれらの事象は序章に過ぎなかったとも言える。今はAIの普及が始まった時期で、やはり何十年か後にならないと渦中にいては明確に見えてこないこともあるだろう。

箱庭療法は面白そうだなと思う。僕自身は樹木の図を描いたら、あまりに手抜きで心が貧しいと診断された。

ノモンハンも頻出するキーワードである。僕自身はよく知らないが、ボロ負けして自分たちが時代遅れになっていることを思い知らされたにも関わらず隠ぺいされてしまった……といった象徴的な出来事だろうか。浜田城山の護国神社の境内に事件の記念碑があるので、浜田連隊も関わっていたようだ。

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2025年6月19日 (木)

未来社『石見の民話』二周目ロールバック作業中――那賀編終了

未来社『石見の民話』分析二周目のロールバック作業、那賀編まで終わる。107/163といった進捗状況。残すは石西編だけだが、収録話数が多く、ノートラブルで進行しても八月下旬までかかりそうだ。

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2025年6月17日 (火)

三次盆地から流れてきたポスター

ゆめタウンに寄ったら、とある神楽団のポスターが掲示されていた。神楽団とあるので広島なのだろうけど、公演会場(旧小学校とあった)の住所は記載されていなかったので、ローカルな範囲を想定したものなのかもしれない。後でネットで検索してみたら、三次市の団体だった。……過去にJR三江線の車窓の風景の動画を撮って、幾つかの駅は安芸高田市の立地だったので、三次近辺は安芸と備後が隣接している地域らしい。

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2025年6月15日 (日)

日本列島は北方ルートと南方ルートの交差点――後藤明『世界神話学入門』

後藤明『世界神話学入門』を読む。神話や民話がいかにして伝播したかの研究は、インド―ヨーロッパ語族という枠組みが見い出されたのと軌を一にして発展してきた。つまり言語学と深い関わりがあるのだけど、本書では近年の動向として、遺伝子の変異から人類の大移動の時期を推定し、それを神話論の裏づけとして援用しようという思潮が紹介されている。

仮説と断りは入れているが、近年の有力説くらいの位置づけにはあるかもしれない。

ユーラシア大陸に分布する神話は創世神話を持つなど体系化されている。つまり、それらは高度な概念が芽生えた後に生まれたお話と考えることができる。一方で、サハラ以南のアフリカ大陸やメラネシア、ポリネシアといった地域の神話には創世神話を持たないといった特徴が残されており、人類の思考の古層を残していると考察している。

新大陸もユーラシア型の神話なのだそうである。僕自身は読んだことがないが、マヤ、アステカの神話は体系化されたものだそうである。ちなみに、南米最南端、つまり人類大移動の最果ての地では古い型の残存が見られるとしている。

ユーラシア大陸でも人類の移動経路には北方と南方の二つのルートがあり、日本列島がその交差する地点となるのだそうだ。本書では海幸山幸の神話が取り上げられる。

……テクノ・リバタリアンが世界を引っ搔き回しているご時世である。理数系の素養を持ち、技術の動向を読める人材が有利な世の中であることは覆せないだろう。一方で、本書では狩猟採集民の神話からささやかながらも自然観の転換が模索されている。

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2025年6月12日 (木)

芝居小屋の雰囲気がよく伝わってくる――仲野マリ『地方の芝居小屋を巡る』

仲野マリ『地方の芝居小屋を巡る』を読む。地芝居(農村歌舞伎)の舞台を取り上げた電子書籍。写真はカラーで芝居小屋の雰囲気がよく伝わってくる。岐阜県に地歌舞伎の芝居小屋が多く現存しているそうだが、最寄り駅から車で数十分といった具合で交通の便はよくないのだとか。

地芝居はテレビに押された等の理由で昭和40年代には衰退してしまったとのことだが、地方自治体の無形文化財保護行政が本格化したのはおそらく1970年代以降なので、タイミングが合わなかった側面もあるかもしれない。

歌舞伎も人気低迷していた時期があったとは知らなかった。

首都圏の神楽師は面芝居という芸能も演じていたと聞く。今はやらなくなっているようである。厚木市の垣澤社中の台本を収録した本を参照したが、タイトルから判断するに農村歌舞伎に近いものが多いと思われる。収録はされていなかったが「魚屋宗五郎」もやっていたらしい。酒癖の悪い宗五郎がとある事情でちょっとだけと飲み始めたら止まらなくなる様が面白い演目。映像が記録されているかは知らない。台本があるので復活上演は可能なはずだが、当時を知る人が少なくなって復活させるには相当なエネルギーが必要かもしれない。

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2025年6月11日 (水)

リズムに内包される予測誤差――千葉雅也『センスの哲学』

千葉雅也『センスの哲学』を読む。千葉氏の著書の中では美学に相当するか。「判断力批判」の判断力は感性のことと知る。翻訳は難しい。

リズムに内包される予測誤差を言い換えると「そう来たか!」といったところだろうか。漫画だと『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博氏がそういった展開を得意としているらしい。僕は氏の近年の作品を知らないが。

ジャンルからの逸脱、僕自身、たとえば芸北神楽とは上手く折り合いをつけることが現状できていない。元々は特に深く考えていなかったのだけど、次第に違和感が大きくなっていった。では感性が老化したのかというと、2.5次元舞台なんかは見たりしていて、それはそういうものとして受け入れている。

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読書の阻害要因はノートパソコンのファンの音だった

ノートパソコンのファンの音が読書の阻害要因ではないかと気づく。ファンレスのChromebookを買ってようやく気づいた次第。

前々から読書が進まなくなっているとは感じていたのだけど、それは引っ越しに伴う疲弊感が抜けていないからだろうと考えていた。で、たまたまノートパソコンの電源を落として読書したら思いの外進むのである。

元々は新品のスリムデスクトップパソコンを買っていたのだけど、それはTVチューナー付きだったので家族に回した。で、修理中の暫定措置で買った再生ノートパソコンを継続使用していた。スペック的には問題ないのだけど、かなり発熱するらしくファンが常時唸っている状態。対症療法的にスタンドを買ってみたりしたが、完全には抑制できない。

……とはいえ、今のタイミングでパソコンを買い替える訳にもいかないし、どうしたものか。Chromebookだとそこまで高価でもないのだけど、WinかMacでないと動作しないツールもあって、環境が分裂してしまうことになってしまう。

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2025年6月10日 (火)

型どおりには進まない――佐藤郁哉『リサーチ・クエスチョンとは何か?』

佐藤郁哉『リサーチ・クエスチョンとは何か?』を読む。論文には型があって、型に沿って記述していくことが求められるのだけど、実際の構想からリサーチ、執筆に至る段階では試行錯誤を繰り返し(循環)、問いを練り直し練り上げていくことになるとしている。

著者は質的研究に関する本を多く執筆されている。質的研究だと自然科学的な論文のスタイルと合わない側面があって、それが動機となっているらしい。

卒業論文の執筆を控えた人向けに書かれている。卒論だと短期間で書き上げなければならないため、それに見合ったクエスチョンをいかに設定できるかが課題となってくるとのこと。

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他流試合っぽさを感じる――山野弘樹『独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」』

山野弘樹『独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」』を読む。「探求」というキーワードが使用されているので、学校での探求学習が念頭にあるのかもしれない。

教員の私的な会合にご厚意で混ぜてもらったことがあるのだけど、今どきの普通の高校生は勉強せずに定期試験で平均点をとるのがコスパがいいといった思考なのだそうである。それではいずれAIに仕事を奪われてしまうだろうと懸念されていた。

ちなみに、世界史だと憶えることが多くて大変なのだけど(学習が進んである種の閾値に達すると)やがて個々の繋がりが見えてくるようになり、面白くなってきたという感想もあったとのこと。

ほんのちょっとだけど他流試合といった読後感だった。僕自身は民俗学徒ではないけれど、重出立証法である。要するに比較するという手法。比較することで違いに気づくといった当然のプロセスを重ねて認識を更新していく。これには批判があって、おそらく比べるという行為には共時性という横軸と通時性という縦軸とがあって、双方に留意せねばならないということではないか。

芸能だと系統の異なるものを見比べることが肝要だった。共通性に気づくこともあれば、自身が当然と思っていたことが地域性によるものであったことを認識するといった体験をした。

フィールドワーカーではないのだけど、神楽の研究者や家元のお話を伺っていて、「これは本には載っていないけど重要な情報だな」と感じたことが何度かあった。

……民俗学は美学とは相性が比較的よいと感じる。

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2025年6月 8日 (日)

芸能には批判的――鈴木忠志『ショベルカーとギリシア――鈴木忠志対話集』

鈴木忠志『ショベルカーとギリシア――鈴木忠志対話集』(ゲンロンセレクト003)を読む。

利賀村(南砺市)へ西日本から行くには名古屋駅で高山本線に乗り換えて向かうのが最短ルートのようだ。そうすると、アニメ「氷菓」の舞台のモデルである高山市でも観光したいし……となってしまうが。

インテリで世界的な名声も獲得した演出家。幼少期から芸能の世界に触れていて芸の何たるかを知悉しているようだが、なぜか批判的である。芸能は祝福する側面が強いし批評性ということで言うなら、芝居もワイドショーの再現ドラマのようなところからスタートしているだろうし。

芸能だと「ここから先はやらない」的な線引きをすることがあって、それはそれで守りの姿勢としては一つの見識なのだけど、そういう性向を拒否しているのかもしれない。

一方で、若い頃にコマ劇場に通いつめたりと俗なものにも理解ある人のようでもある。

早い時期に合掌造りの家屋に着目し、舞台として改装するといった環境づくりを進めていったようだ。そういう点では商才も感じられる。

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2025年6月 6日 (金)

熱量は感じるもののミクロ的な視点にやや偏っているか――おーちようこ『2・5次元舞台へようこそ ミュージカル『テニスの王子様』から『刀剣乱舞』へ』

おーちようこ『2・5次元舞台へようこそ ミュージカル『テニスの王子様』から『刀剣乱舞』へ』を読む。漫画・アニメを題材とした舞台劇は宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」を嚆矢として90年代には既に活発に上演されていたようだ。近年、演出技法がアップデートされミュージカル「テニスの王子様」辺りから2.5次元という風に表現されるようになっていったようだ。

取り上げられているタイトルから推察するに、女性の観客をターゲットとした舞台が多いようだ。僕自身は少年漫画の世界から離れて久しいけど、女性の読者も多いらしい。

かつて小劇場演劇ブームは若い女性層が支えたそうだが、小劇場をはるかに上回る動員力を誇るものと思われる。オリジナル台本の小劇場演劇と違い既に知名度の高いコンテンツの舞台化であり、若手俳優にとっては特定のキャラのイメージがつくリスクはあるものの、知名度を飛躍的に向上させるまたとないチャンスのはずだ。今の60代以下は漫画・アニメで育った世代で昔みたく「ジャリ番」といった偏見もないだろう。

僕自身の観劇経験はアリバイ程度にしかないけど、「リコリス・リコイル」後編を東京ドームシティで観劇したことならある。普段は戦隊ショーが催される会場だけど、立体的なステージングで目まぐるしく登場人物が出入りして楽しい舞台だった。

残念なのはIHIステージアラウンド東京という劇場。おそらく背景が全面的にデジタルサイネージ的な仕組みで構成されていたのではないか。「推しの子」で登場した会場のモデルらしいのだけど既に取り壊されてしまったのだとか。

発行年月日は2020年12月でタイミング的にコロナ禍には触れられていない。コロナ禍で首都圏のとある神楽社中は三年間神楽が奉納できなかったそうである。楽屋は密な環境となるそうで、観劇している観客だけでなく演者にも多大な影響を及ぼした。

本書の他『大衆演劇へようこそ』を読んだ。いずれも初心者向けの構成となっている。初心者向けだから「こんなのでいいんだよ」なのだけど、強いて言えば、ミクロ的な視点で書かれており、その熱量はともかくとして、記述がマクロ的な観点からは整理されていないのでは……といったところ。おそらくジャンルとしての統計がないのだろうけど、たとえば「テニスの王子様」の年ごとの上演回数や動員数、何代目の主役かといったことをグラフ化して図示すれば、2.5次元舞台の躍進ぶりが一目瞭然なのではないか。

時代を先取りした舞台は女性が支えてきたと言っても過言ではないかもしれない。

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2025年6月 4日 (水)

アフォーダンスについてはまあ何とか――小島寛之『数学でつまずくのはなぜか』

小島寛之『数学でつまずくのはなぜか』を読む。僕自身は高校数学でつまずいた口である。おそらく頑張れば式の展開くらいはできるようになるとは思うが、応用問題となると途端に設問の意味がとれなくなってしまう。参考書でたとえると黄チャートならなんとかだが、青赤チャートだと歯が立たない。そういう意味では高校でいわゆる「バカの壁」にぶつかったことになる。この「壁」はいったい何なのだろう?

アフォーダンスという概念についてはこの本でようやく得心がいったような気がした。埼玉県久喜市の鷲宮神社の神楽をみていた際、巫女さんの舞で、お祖父さんに抱かれた女児がよく見ようと字面通り舞台にかぶりつこうとした様を目撃したことがある。幼い子でおそらく年上のお姉さんがきれいな衣装を着て何かやっているくらいにしか認識できていないと想像されるのだけど、強い興味を覚え惹かれている訳である。「先天的な審美眼は確かにあるのだ」と感じた。その巫女舞には感性に訴えかける美学的なアフォーダンスがあるということなのだろう。

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ロールバック作業、三周目が確定

ロールバック作業、追記の必要が生じた。喜ばしいことではあるのだけど、三周目が確定してしまった。次は一日数件以上こなせるだろうから今のように終わりが見えてこなくてフラストレーションがたまることはなさそうだが。……でも、今年いっぱいくらいはかかるか。

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