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2025年5月

2025年5月30日 (金)

グラントワに行く 2025.05

益田市のグラントワ(石見美術館)に行き、企画展「石見の祈りと美―未来へつなぐ中世の宝―」を鑑賞する。石見に所縁の中世の仏像、戦国武将の肖像画、雪舟派の画人たち、益田家の家宝といった順で展示されていた。

駐車場から見たグラントワ
駐車場から見たグラントワ
グラントワ裏口

最後の益田家の家宝で刀剣が二本展示されていた。その内の一本は曽我兄弟の仇討ちに所縁の名刀であった。正確には仇討ちされた方だが、その子息(犬坊丸)に頼朝が下賜したものらしい。なので、この刀は弟の処刑の際に用いられた可能性も高い。そういった逸話を背負った名刀を実見することができるとは、と驚かされる。おそらく今回が最初で最後だろう。

刀文が美しいといった類のものではなかったが、鎌倉時代の刀が錆び一つない状態で現存していた。

益田氏はおそらく石見国に赴任した藤原氏の傍流がそのまま浜田市の下府川流域(伊甘郷)に定着して御神本(みかもと)氏を名乗り、その後、益田氏、周布氏、三隅氏、福屋氏と分派していった。三隅氏と福屋氏は滅んだが、益田氏と周布氏は毛利の重臣として存続している。石見は平野が少ない土地柄なのだけど、都に戻っても出世の見込みがないから地方に活路を見出したというところか。

雪舟の新筆とされる屏風も展示されていた。遠近法は用いられていないが、手前の松や岩は太い描線で大胆に描き、後方のものは描線が細く淡くなっている。全体にモノトーンに近い色合いで構成されていて、ワンポイント的に赤が配色されている。鳥は羽毛が細かに描画されておりしっかり観察された上で描かれていることが分かる。

高弟の描いた屏風も展示されていて、こちらは金箔も使っているのか鮮やかだけど、桜だろうか、花が咲いた樹木の描写はまるでノイズリダクションが強くかかった画像のようなタッチだった。それは画像を拡大して分かるもので「塗り絵みたい」と言われたりするのだけど、結果的に似たような効果となっている。

毛利元就の肖像画は画像では見たことがあるはずだけど、実物をみるのは初めて。

奉納された馬の絵画も展示されていた。白馬と黒馬か。日照りの際と長雨の際とで奉納される馬の種類が異なるのだそうだけど、どちらがどちらなのかは忘れた。

大麻山の絵巻も展示されていた。かつてあった尊勝寺の模様が描かれている。現在日本庭園が設けられているのはどの辺りだったのかは判別できなかった。

一旦、トイレ休憩で外に出る。チケットを提示すれば再入場可能とのこと。

それからコレクション展に回る。「石見人 森林太郎、美術ヲ好ム」では森鴎外と親交のあった画家たちの作品が展示されていた。当時はまだ洋画の地位が低く、鴎外は洋画の地位を向上させるべく活発な評論活動を行ったとのこと。

洋の東西の異なる画風を今回同時に鑑賞することができた。

年表をみて気づいたのだが、三十代前半で要職についている。明治の人は若くして出世したというが、鴎外はその典型例であった。

次に「技と美 石見根付の世界」を鑑賞する。素材としては猪の牙が多かった。猪の牙はこんなに大きいのか、これに刺されたら確かに動脈まで傷つけられてしまうと感じた。他にも素材はあって、鯨歯が用いられているものもあった。

細かい細工が施されている。昔、チョコエッグという食玩が流行ったことがあって、チョコレートでコーティングされた卵型のカプセルの中に海洋堂の動物のフィギュアが入っているというものだった。僕も何種類か集めたのだけれど、小さいことに価値を見出すというのか、それに近い趣味性を感じた。

現代根付で蛙の交尾の様を彫った作品の着眼点が面白いなと思った。

最後は「コレクションにみる女性」。石見美術館に収蔵されている女性作家の作品を集めたもの。入口付近に展示されていた作品、メモをとることができず名前は失念したが、デンマークの女性美術家だった。年頃の娘を描いた絵が展示されているのだけど、その顔立ちが少女漫画のそれと似ていると感じた。1914年の作品だけど、およそ50~60年くらい先行していたといった感じだろうか。アールヌーボーか、そういった画風も漫画のルーツの一つなのかもしれない。

この絵はポストカードにして土産物売り場で売ってもいいのではないかと思った。そう思うのは僕くらいかもしれないが。僕は姉がいるので子供の頃から少女漫画は読んでいて抵抗感がないのはある。

見終えて、レストランで休憩する。ランチは11時から14時まで。およそ2500円くらい。地方の小都市のレストランとしては本格的なメニューだった。和牛ステーキは予約が必要とあった。食欲がなかったのでケーキセットを注文する。

グラントワのレストランから見た外側

休憩を含めて三時間ほどの滞在時間であった。平日だったので来場客は少なくじっくり鑑賞できた。雪舟の屏風はちょうど手前に長椅子が置かれていたので、そこに座ってずっと見ていたくもあった(尿意で退場したが)。

益田までは往復80㎞ほど。去年の12月に安彦良和展で訪れた際は引っ越しの疲労感が抜けておらず、翌日以降も数日間何も手につかなかった。今回も帰宅後、ドッと疲れが出た。前回に比べたら回復傾向にはあるけれど、体力がかなり落ちていることは否めない。どこまで戻すことができるか分からないが、ロングドライブが厳しくなっている。

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2025年5月28日 (水)

入学説明会に関しては浜田会場もあると分かる――放送大学

浜田市の市報をみると、放送大学の入学説明会・相談会には浜田会場(場所:いわみーる)があると分かる。基本的にはオンラインで受講する形式だけど、年に一度くらい県単位で設けられている施設に出向く必要はあるのだったか。それは松江まで行かなくてはならないかもだけど。

放送大学は10年在籍できるそうなので気長に受講できるのだけど、僕は未だに出席日数が足りなくて単位がとれない夢をみたりするし、今更テストなんて受けたくない。というか、人文系ならともかく社会系だと高校の学習(特に数学)からやり直さなければならなくなる。

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2025年5月27日 (火)

缶の金属臭に改良の余地あり――石見麦酒XPA552を飲む

石見麦酒のXPA 552、エクストラペールエールを飲む。石見麦酒のビールを飲むのは初めて。

……プルタブを開けた瞬間、缶の金属臭が鼻についた。僕は酒飲みではないので味の良しあしは分からないけど、これなら瓶を選んだ方がいい。缶は改良の余地がある。

下戸ではないけどアルコールには強くないので普段は飲まない。酔うとどうしても頭の働きが鈍ってしまうので、今は特に避けたい。ビールなら知れているけれど、ウイスキーだと一度で飲み切れないし今は手を出せない。年末年始くらいだろうか。

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2025年5月22日 (木)

初心者向けの構成――おーちようこ『大衆演劇へようこそ』

おーちようこ『大衆演劇へようこそ 美しくっておもしろい、庶民の娯楽、ここにあり!』を読む。

インタビューや座談会形式の記事が多く初心者向けの構成となっている。大衆演劇の世界も世代交代が進んでいるのだなと感じる。人材育成面では内製化の能力を維持することは大事だと思う。

広島県の芸北神楽を見ていて、どうもお芝居的なニーズが地域的(中国自動車道沿線)に根強く残っているのではないか、大衆演劇的な世界も押さえておかないと何か見落としてしまうのではないかとの思いに至り、泥縄式で購入したもの。

学生の頃、新宿で飲み会があった際、暗くなった道を酔った頭でふらふら歩きながら「ああ、ここがコマ劇場かあ」と思ったことが何度かある。思えば一度行っておけばよかった。コマ劇場は取り壊され、現在は近くに歌舞伎町劇場があるそうだ。

僕の場合、中国地方の田舎にUターンしたため、大衆演劇を観劇しようとすると広島市内のスーパー銭湯が最寄りの常設劇場となる。カレンダーの見方がよく分かっていないが、お芝居をやるのは基本的に土日祝日のようだ。

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2025年5月15日 (木)

未来社の民話シリーズ、電子書籍化されていた

未来社の民話シリーズ、電子書籍化されていたことに気づく。固定レイアウトなので、大きめでFHDのタブレットでないと読みづらいと想像されるが。一部の本しか読んでいないけれど、文字コード的には問題はなさそうだから、リフロー型にして欲しいところではある。全部で何冊あるのか把握していないけれど、結構な冊数があるので紙の本だと収集が難しい面があったが、電子書籍なら……とは感じた。

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未来社『石見の民話』二周目ロールバック作業中――邑智編終了

未来社『石見の民話』分析二周目のロールバック作業、邑智編まで終わる。74/163といった進捗状況。ようやく半分まで来た。残り、那賀編でひと月、石西編で二か月といったところ。ノートラブルで進行しても八月半ばから下旬くらいまでかかる見通し。

石東編では行為項分析がやり直しに近いケースもあったのだけど、邑智編では少々の手直しで済むケースがほとんどだった。その点ではだいぶ楽にはなった。

三周目の下準備もKH Corderのコーディングルールについてはコツがつかめてきて、それっぽい図を出力するところまでは持ち込めるようにはなった。図を分析にどう活かすかは現時点ではノーアイデアだけど、最悪、コーディングルールの事例集という形でもいいのではないかと考えている。

KH Corderを使いこなすには先ずコーディングルールの要点を掴むことが肝要となるが、僕自身、短い話を大量にこなすことで何となく分かってきた側面がある。一度分かってしまえば後はそれらを一つのノウハウとして公開してしまえばいい。

これまで確認した分では、分析に用いたテキストのボリュームが小さいためか、Jaccard係数が高く出る傾向にあるようだが、分析自体は正常に処理されていると考えられる。

民俗学だと統計的に有意なボリュームのデータを取ることが困難と思われるけれど、分析の対象をテキストにまで拡大すれば、これまでに膨大な量の蓄積があるはず。また、アンケートの自由記述欄の分析にも活用できる。ここで試行錯誤した結果を引き継いでもらえれば……というところ。

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2025年5月14日 (水)

引っ越しから半年経過

引っ越しから半年が経過した。住所変更に伴う諸手続きは年度末までに済ませた。去年は引っ越しのごたごたで健康診断が受けられなかった。先日、胃の内視鏡検査は受けて大きな問題はなかった。後は特定検診で肺がんと前立腺がんの検査が残っているが、これは浜田市のスケジュールだと六月以降になりそうだ。肺に問題がなければ大腸は年末以降の予定としている。ということでやるべきことは粛々と進めている感じ。

体調に関しては「疲弊感」から「だるい」くらいまでには戻ってきた。血液検査の数値は特に問題ないのだけど、疲れやすくなっている。車でちょこちょこ出かけるので運動不足は否めない。

問題は自家用車。今乗っているのは3ドアハッチバックなので家族を乗せる際に不都合が発生している。年間1000㎞も走らないはずで中古車で十分なのだけど、中古はめぐり合わせというか選別の難しさがある。

特急や高速バスが停まる駅から歩いて20分ほどなので、田舎といっても本当のド田舎ではない。今はネットで大抵のことができるしそこまで不便は感じていないけど、観劇だけはどうにもならないとは感じる。これは首都圏が圧倒的に有利。

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2025年5月12日 (月)

千畳苑に行く 2025.05

家族を連れて国府の千畳苑に行く。僕は行くのははじめて。大浴場は四階にあり、国府海岸が見渡せた。休憩室的なスペースからは下府町や国分町の街並みが見下ろせた。赤瓦の街並みを見るとホッとする。入浴後、昼食をとる。僕はバトウ飯定食にする。割と最近開発されたメニューだったはず。バトウなのでボリュームの割にそこまで高価ではない。三日連続の家族サービス。距離的には全然大したことないのだけど疲れた。

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2025年5月11日 (日)

映画の上映会に行く 2025.05

午前中、家族と石央文化ホールに行き、映画「侍タイムスリッパ―」を見る。タイムスリップ×メタフィクション的な構成の作品だった。脚本がよく練られていて、単館上映から日本アカデミー賞まで一気に昇りつめたのも理解できる。

劇中でフィーチャーフォンが使われていて、まだテレビで時代劇が放送されていた少し前頃の舞台設定らしい。……助監督から監督に昇格するには分厚い壁があるらしく、何かの映画のDVDの特典映像で老年の助監督が自分より若い監督をアシストする様子が映されていたのを見たことがある。

スクリーンの映像がシネコンのよりも鮮明だったように感じた。プロジェクターとかは十年単位での更新となるそうで、更新が遅れ気味のシネコンだったのかもしれないが。

上映終了後、特別企画として橋元屋幸守さんによる上方落語が上演された。奈良からIターンして普段は林業に従事しているとのこと。最近、自分の事務所を立ち上げたらしい。泥棒にちなんだ演目だった。

その後、ホテル松尾のレストランで昼食をとる。7階で眺めがよかった。僕が注文したのは海鮮うずめ飯。旧那賀郡には津和野藩領だった土地もあって、それに由来するらしい。うずめ飯と海鮮丼をかけ合わせた新作メニュー。途中まで食べ進んだら出汁をかけて食す。

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2025年5月 8日 (木)

やりたいのは神楽なのか芝居なのか――スーパー神楽

出雲市佐田町にスサノオホールという施設があることを知る。須佐神社の近くだから出雲市といってもかなり奥の方だけど、500人以上収容できる規模のホールだ。ここで芸北神楽や石見神楽の団体が公演するという情報がSNSで流れてきた。市街地ではないとはいえ、出雲市内まで進出することになる。呼んだのは出雲の人たち自身だろうけれど。

出雲神楽は石見神楽ほどフットワークが軽くなく、観光神楽にもようやく重い腰を上げたといった印象なので、どうなのだろう。

「スーパー神楽」と銘打っているので「これは神楽そのものではありません。ステージ用の演出に特化した演目です」と断りを入れてはいる。

出雲神楽界隈の人たちも来場するかもしれないが「自分たちとは別ものだ」といった感想に落ち着くのではないか。

演目を確認すると、ほとんどが説話ベースの新作のようだ。「大蛇」はなかった。これも難しいところで、神仏習合時代には現在とは全く異なる演目が上演されていた記録もあるし(※死体に巻く布の長さが足りないから成仏できないという話もあるけれど、一方で安珍清姫もあったりする)、一概にダメとも言い切れない。とはいえ、原則と例外があるとしたら、例外の方が肥大化していっている傾向にはある。

神楽の体裁をとりつつも芝居に傾倒していっているように見える。中身は徐々に信心とは無縁のものとなっているように感じられる。銀座で歌舞伎を鑑賞した際、スーパー神楽を「歌舞伎化した」とした評を思い出して言い得て妙だと思った。

芝居だからダメということもないのだけど。芝居は芝居で楽しい。神楽が神楽能と化して数百年経過している。神楽と芝居は二項対立ではなくグラデーションのような感じ。

たとえば首都圏の神楽師たちは面芝居という芸能もやっていたそうだ。演目のタイトルをみると農村歌舞伎的な内容のようだ。今はやらなくなったようで、どうして廃れたのかは知らない。ただ、首都圏の神楽師たちは神楽と面芝居は別枠として区別してはいたのである。

たとえば「魚屋宗五郎」といった演目も上演されていたそうだ。たまたま実見できたのだけど、酒癖の悪い宗五郎がとある事情で飲み始めたら止まらなくなる様がとても面白かった。

備後神楽にも歌舞伎的な演目があるようだ。ただ、資料集の解説にプロ化した結果、却って廃れてしまったと記述されていた。正確なことは分からないが、長大な五郎王子譚を演じる神楽師と被っていたのかもしれない。原因は分からないが、五郎王子のプロ化した神楽は文化財保護行政が端緒についた頃には衰退してしまったらしい。補助金が支給されていればまた違ったのかもしれない。

いずれ「自分たちがやりたいのは神楽なのか、それとも芝居なのか」といった問いに直面するようになるのではないかという気がする。

未検証だけど、地域的にお芝居に対する根強いニーズがあって、それを無意識的に反映した結果なのかもしれない。直面に化粧するところなど、大衆演劇の影響が濃厚だ。それで神楽研究者や他地域の神楽通との齟齬をきたす要因となってしまっているのかもしれない。

芸北は土着的/土俗的な信仰を排してきた土地柄だそうで(それを言うと石見地方でも荒神信仰は見られないように思うが)、そういったことも土着的なものへの関心の薄さを感じさせる背景にあるのかもしれない。

佐藤両々『カグラ舞う!』という漫画を読むと、舞台は北広島町らしいが、主人公(ヒロイン)の住まいの周辺は親戚ばかりというセリフが出てくる。開拓者の子孫がそのまま住み着いた古い土地柄ということがそれとなく示唆されているのだけど、そこら辺は合理的というか保守的ではないのかもしれない。

「出雲/石見」「神話/説話」という線引きをひょいと飛び越えて自由自在に活動している。中国道沿いはそこら辺が曖昧な印象があるけれど、僕は「ここから先はやらない」という線引きはある程度尊重した方がいいと思っている。それはそれで一つの見識ではあるし、何も言われないというのは必ずしも肯定を意味しているとは限らないからだ。

首都圏は人が流入し続けている地域だし、芸事も数多あって家元制の場合は芸に対する考え方も確立されているだろう。そこら辺の違いもあるのかもしれない。

……一応弁護もしておくと、江津市の大都神楽団、僕は浅利の常設劇場にはまだ行けてないけれどDVDなら見たことはある。「天蓋」も収録されていた。天蓋が幾つかのパーツに分割されていて、それを紐で上下させることで神を招く様を表現する演目である。そういった基本的な演目を押さえた上で新しいことに取り組もうとしている団体もある。

あと、照明によって衣装のきらびやかさが惹き立つこともあるので、ステージでの上演を否定するつもりもない。

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2025年5月 7日 (水)

半地下の円形劇場

もうピークは過ぎたようだけど、「ウィキッド ふたりの魔女」という映画が公開中である。おそらく「オズの魔法使い」を元にした作品で、西だか東だか忘れたが、魔女がなぜ魔女となったか……みたいな話だったように記憶している。

だいぶ前になるが、大阪のUSJに行った際に観劇したのである。その劇場は地面を掘って円形劇場風の空間を作って屋根を設けて雨風はしのげる造りだった。見たのは夏だったか、密封はしていなかったので冬場は寒風が吹きこんで来るはずで、どう運営しているのかは分からない。

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2025年5月 2日 (金)

中ホールでのコンサートが予約段階で満席――痛しかゆしといったところか

つづきジャズ協会から時折メールが送られてくる。協会主催のコンサートに何度か行ってアンケートに回答して会員として登録されたから。で、ここのところ、コンサートが予約段階で満席になってしまっているそうだ。会場は横浜市営地下鉄・センター北駅近くのボッシュホール。300人ほどの定員らしい。

2024年春、センター北駅近くに世界的な自動車部品メーカーであるボッシュの日本法人の本部が建てられホールも併設されて……という流れ。それまではセンター南駅の都筑区民ホールでの開催が多かった。

300人だから小さめの中ホールといった規模だろうか。大ホールばかりでもよろしくないだろうし、これくらいの規模の方が臨場感があって良い面もある。痛しかゆしといったところだろうか。

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