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2025年4月

2025年4月30日 (水)

波とは無縁なのだろうか――小島寛之『文系のための数学教室』

小島寛之『文系のための数学教室』を読む。講談社現代新書のシリーズなのだが、数式を表記するためか、固定レイアウトとなっている。Fire HD10で読んだが、これなら紙の本の方が軽いなとは感じた。これは数式に対応した新たな電子書籍の仕様を策定してもらう他ないが。

文系の数学なのでか三角関数は出てこない。三角関数とはつまり波であるが、それ故に中学数学に毛が生えた程度の記述で済んでいて分かりやすさにつながっているのかもしれない。

冒頭の40ページほどで積分が紹介される。難解な数式はこういう風に読むのかと分かったような気分にはなった。積分から微分に至る過程はよく分かっておらず、再読が必要かもしれない。

論理には「セマンティックス/シンタックス」といった違いがあるとのこと。形式論理はときに日常的な感覚と齟齬をきたすが、そこから推論規則の考察へと論を進めている。

他、距離の新たな概念、民主主義(完全な投票制度はあり得るのか?)、神の存在証明から「私」の存在へ、子供の持つ先天的な数学力といった題材を取り上げつつ論は進んでいく。

著者の小島氏の場合は東大の数学科に進んで、そこで周囲が天才だらけという状況となって挫折感を抱いたそうだ。後に経済学に転身することによって数式という言語との接し方が変わり克服されたとのこと。

僕は高校数学で挫折した口である。なんというか基礎問は頑張れば式の展開くらいはできるかもしれないが、模試で応用問題が出題されて、出題意図がさっぱり把握できなかった記憶が残っている。今の大学入試共通試験だと歯が立たないだろう。で、数学ができないと途端に選択肢が狭まってしまう。消去法で進路を選択する他なかった。で、選択した先でミスマッチを起こしてしまいドツボにはまってしまった次第。そこから長く迷走を続けた。

……自分の強みは理数系にはなかったということなのだろうけど、もう少しできていれば出来ることの幅が広がったのになあ……と遠い眼差しとなる。

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2025年4月28日 (月)

浜田市からだと国道186号線で行った方が分かりやすいか――湯来ロッジ

湯来ロッジの所在地を調べる。広島市佐伯区とあるが、市街地からは外れていて、国道186号線で行った方が分かりやすそうだ。車のナビ画面が劣化して見づらくなってしまっている。広島市街地まで出ると土地勘がなくてハードルが高いけど、ここら辺だと地図があれば何とかなるだろう。安芸十二神祇の神楽の公演もあるようで、押さえておきたい施設である。

……車もいい加減代替えしなければいけないのだけど、ちょうどいいのがない。スズキ・ソリオとかダイハツ・トールみたいなのが人も荷物も詰めて5ナンバーに収まって丁度いいなと思うのだけど、僕が乗っているメーカーだと軽ハイトワゴンになってしまう。さすがに660ccはなぁ……。ボディもミニマムだし……と最適解がない状態。車は車検とか修理とかで販売店に定期的に入庫させなければならないし、不満がある訳でもないのに取引先をころころ乗り換えるのも得策ではないという主義。

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2025年4月27日 (日)

長沢神社の奉納神楽を見学する 2025.04

浜田市長沢町の長沢神社の春の例大祭、奉納神楽に行く。午後七時半頃開始で深夜一時頃までの予定で実施された。
・鈴神楽
・塩祓
・弁慶
・八幡
まで見て帰る。午後9時前。次は八衢だった。長沢社中の独自演目といえば弁慶と加藤清正だが、清正公は見逃した。

浜田市長沢町・長沢神社・拝殿と神楽殿
長沢神社・神楽奉納・弁慶
長沢神社・神楽奉納・八幡
長沢神社・神楽奉納・八幡・魔王
長沢神社・神楽鑑賞用の簡易的な椅子

日が落ちてから冷え込んできて、重ね着はしていたのだけど寒くなった。フリースにしておけばよかったと反省。椅子は板なのでクッションの類も必要か。また、出がけに利尿作用のあるコーヒーを少量だけど飲んだのもよくなかった。体調が完全には復調していないので、ここら辺で切り上げようと思って一時間半ほどで撤収。境内は賑わっていた。長沢神社で神楽をみるのは四十年ぶり以上となるか。石見神楽の夜神楽を見続ける体力気力が無くなっていたことに気づかされる。お花は3000円くらい包めばいいようだ。

パナソニックGX7mk2+12-35mmF2.8で撮影。

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2025年4月24日 (木)

一度くらい行っておけばよかった――歌舞伎町の大衆演劇

大学は東京の私立だったのだけど、地方からの上京組は京王線沿線に下宿する人が多かった。要するに一般教養と専門課程とで校舎が分かれていて、京王線―都営新宿線だと乗り換えなしで通えるから。で、同好会のシーズン終わりの飲み会は新宿に行くことが通例だったのだけど、酔った頭で暗くなった歌舞伎町内をふらふらしていて「ああ、ここがコマ劇場かあ」と思うことがあった。大衆演劇のメッカだったのだけど、既に取り壊されて新しいビルが建てられたとのことである。今は歌舞伎町劇場があるらしい。

今思うと、一度くらい行っておけばよかった。「大衆」とつくくらいだからチケット代も高くなかっただろうし。大衆演劇はテレビで放送されることもあったので全く知らない訳でもないけれど、実見するのとでは全然違うので。おばちゃんの見るものという偏見もあったかもしれない。

……調べてみると、温泉施設で大衆演劇が上演されることが多いようだ。島根県ではヒットしなかったが、広島県では二か所ヒットした。世羅温泉は尾道よりでちと遠いかなと思うが、もう一か所は広島駅から芸備線で三駅ほどの距離らしい。とはいえ、広島まで出るのがまた面倒なのだが。

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結局は立地の利便性か――地方の大学の生存戦略

NHK+でニュースの抜粋を視聴。四国に本拠を置く徳島文理大学がさぬき市のキャンパスを高松駅前の高層ビルに移転、四国および対岸の岡山の学生をターゲット層としたところ、志願者が昨年の1.6倍に増加したとのニュース。

文科省は三年連続で定員割れの大学の補助金を打ち切る方針とのことで経営の死活問題となっているようだ。大学から出ていかれた側のさぬき市では学生数が減少、アルバイトの学生が減少するなど影響が出ているとのこと。大学側ではキャンパス跡地に企業を誘致して対応する方針とのこと。

進学で県外に出てしまうと、そのまま県外で就職してしまう傾向が強いというデータが示される。県内で就職した学生の七割が県内の大学に進学した学生だったとのこと。

仙台の東北学院大学も取り上げられた。東北学院大学というと、甲子園のイメージだけど、東北地方の学生にとっては有力な私学とのこと。やはり仙台市の中心部に移転するのだったか、少子化を睨んで利便性のよい立地に回帰する動きが活発化している。

休日は資格試験の受験会場としてキャンパスを貸し出すなどして地域への貢献も図るとしていた。

……僕の母校は近年人気だけど、都心にキャンパスを維持し続けて郊外へ移転しなかったのが大きな要因と思う。ライバル校も一部の学部を郊外から都内に戻している。

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2025年4月20日 (日)

カーゴカルトは見下されるべき事象なのか?

1. 磯忠幸「南洋の奇妙な事態:「カーゴカルト」から鏡としての「カーゴカルト」へ」『文学・芸術・文化:近畿大学文芸学部論集』25(2)(近畿大学文芸学部/編, 近畿大学文芸学部, 2014)pp.17-40.

2. Plilip B. Stark, Andrea Saltelli, 柴田卓也/訳「英国王立統計学会Significanceから カーゴカルト統計学、そして科学の危機」『統計』71(7)(「統計」編集委員会/編, 日本統計協会, 2020)pp.64-70.

3. 「近頃健康事情――カーゴカルト・サイエンス」『食生活』81(4)(922)(カザン, 1987)pp.138-141.


「カーゴカルト(積み荷信仰)」に関する論文を国会図書館の遠隔複写サービスで取り寄せて読んでみる。3は雑誌の宣伝記事で著者が明らかとなっていない。

1論文が本来のカーゴカルトに関する論文である。南洋、メラネシアの島々で第二次大戦前後に植民地支配下のネイティブたちによって起こされた宗教運動の一種である。船によるものと飛行機によるものとに分かれるらしいが、飛行機の方が分かりやすいか。

白人たちが大量の物資を積んだ輸送機を離発着させているのを見たネイティブたちが、森を切り開いて飛行場もどきを作り、先祖たちが飛行機で様々な価値のある積み荷をもたらしてくれると信じ、飛行機を招くための儀式を繰り広げる……といったような外形となる。

物資の輸送、飛行機の離発着のために空港を作る訳であるが、因果関係が逆転して、飛行場のようなものを作れば飛行機が飛んできてくれるといった認知のエラーが生じている。

2と3論文はそれから着想を得た高名な物理学者のファインマンが「研究のいちおうの法則と形式に完全に従ってはいるが南洋の孤島にかんじんの飛行機がやって来ないように、何か一番大事な本質がポカっと抜けている」と似非科学を「カーゴカルト・サイエンス」と自身の著書で形容したことに由来するものである。

実は1論文でカーゴカルト研究史が取り上げられていて、カーゴカルトという概念のなかった当初は支配者層である白人からみると奇妙で不合理な儀式が繰り広げられるという見方がされていた。実際、参加者たちは興奮状態に入り日常を放棄してしまうため生活が荒廃してしまうといった弊害が生じたとしている。

それからそれらは被支配者であるネイティブたちなりの支配者である白人への反植民地的な抵抗運動であると解釈されるようになっていった。実際、ネイティブたちはカーゴ(積み荷)の獲得から自分たちは疎外されていると感じていたようだ。

だが、更に研究が進むと、思った程抵抗運動的な側面は強くないとした事例が報告されるようになっていった。むしろネイティブの世界観に沿った形での秩序の再編(疎外されなくなる)を願う、そういう意味でカーゴカルトという概念というよりもむしろ伝統的な宗教儀礼の変奏形態ではないかと見られるようになっていったとしている。

……という訳で、研究はかなり進んでいるのだけど、世間一般には2,3論文に見受けられるようにある意味バカにした見方が広まってしまったようである。まあ、外形だけ見れば愚かしいのは確かだ。

思うに、どこかで認知のエラーが生じ、それらの錯誤が重大な影響を及ぼしてしまっている。だが、それ自体は感染呪術などもそうと言える。僕自身は群集心理についてはよく知らないのだけど、では彼らネイティブが精神に病理的な異常をきたしていたかというとそうではないのではと思う。ネイティブたちの近代化レベルが分からないが(※プランテーションなどに従事していたとある)、おそらく、日常では普通の近代化された人たちと変わらない人たちだろう。

むしろ、機械文明に対する概念が確立されていないため、因果関係の逆転、端的に言えば転倒が機制されないため重大な錯誤が生じたのではないか。カーゴカルトを安易に見下すのは得策ではなく、認知や創造性に関するヒントになり得るのではないか……というようなことを考えている。

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2025年4月19日 (土)

今頃になって特典ディスクを視聴する――天然コケッコー

映画「天然コケッコー」のDVDの特典ディスクを見る。メイキング映像によるとクランクインが2006年夏で映画公開が2007年夏。DVDはおそらく2008年発売だったろうから、17年近く塩漬けにして見てなかったことになる。何か心理的なハードルでもあったのか見よう見ようと思っていて中々実行に移せなかった。撮影当時、主演の夏帆さんは中学二年生だったか、その後、映画「砂時計」でも主演を務めたので、島根にとっては有難い女優さんである。原作は架空の舞台だけど、浜田市の三隅から岡見辺りがモデルとされている。映画のロケ地は金城町や旭町が主だったようだ。そよの父役の佐藤浩市さんは何かのインタビューで移動が大変だったとおっしゃっていた。首都圏から900㎞以上離れているので、歳をとると座っているだけでも疲れると痛感している。

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2025年4月11日 (金)

連想は認知科学ではどう整理・分類されているか

「連想」というキーワードで国会図書館に所蔵された雑誌を検索し、とりあえず下記の論文の遠隔複写サービスを申し込む。


1. 山愛美「連続連想にみられる反応パターンの特徴」『心理学研究』57(5)(日本心理学会編集委員会/編, 日本心理学会, 1986)pp.287-292.

2. 深尾誠, 大河内茂美「言語連想における刺激語と反応語の線形変換モデルの検証」『心理学研究』64(2)(日本心理学会編集委員会/編, 日本心理学会, 1993)pp.91-98.

3. 鍋田智広, 目久田純一, 神垣彬子, 松井剛太, 朴信永, 山崎晃「幼児の連想的記憶における意味的知識の発達」『心理学研究』78(6)(日本心理学会編集委員会/編, 日本心理学会, 2008)pp.591-598.

4. 松田崇志, 松川順子「連想構造を持つリストにおける検索誘導性忘却への加齢の影響」『心理学研究』81(5)(日本心理学会編集委員会/編, 日本心理学会, 2010)pp.517-522.

5. 月元敬, 橋本剛明, 唐沢かおり「間接的連想関係による虚記憶」『心理学研究』82(1)(日本心理学会編集委員会/編, 日本心理学会, 2011)pp.49-55.

・西田勇樹, 服部雅史, 織田涼「遠隔連想テストは何を測るか」『心理学研究』94(5)(日本心理学会編集委員会/編, 日本心理学会, 2003)pp.392-401.


……これらの論文はタイトルにあるような実験の結果に統計処理を施して分析したもので、統計学は未履修なので内容まで理解した訳ではない。

心理学というか認知科学で連想がどのような模式図で描かれているのかと考えたのだけど、基本的には語句と語句とを線分で結ぶ形式でよさそうだった。

連想とは一つの言葉や観念が別の言葉や観念を呼び起こすことと定義できる。そのため、刺激語とそれに対する反応語とに区別されている。心理学の実験では連想の反応時間に着目したり制限時間を設けたりするケースが多いようだ。

1の論文では連想を

・分離的自由連想
・継続的自由連想
・分離的制限連想
・継続的制限連想

と分類している。

・継続的方法はある一つの刺激語に対して連鎖的に反応語を求める
・分離的方法は反応語を一語だけに制限する
・制限的方法は反応語をたとえば「動物の中から選びなさい」等と制限する

また、反応語については、ポジティブ/ニュートラル/ネガティブと三分類している。

2の論文では、

・間接連続連想:刺激語に対する反応語が次の反応語を出すための刺激語となりその語に対する反応語が次の反応語を引き出すための刺激語となるような連想法
・直接連続連想:最初に与えた刺激語に対して思い浮かぶ限り反応語を出してもらうような連想法

の二つを挙げている。ざっくりとだが、2論文では連想を行列と捉える。線形代数の世界である。ただし、2論文では連想構造の線形性を仮定しているが、非線形性のモデルがあり得ることも想定している。

また、因子として、

・明暗の因子……“暗い―明るい”“ねっとりとした―さっぱりした”
・情緒的評価の因子……“嫌な―好ましい”“親しみにくい―親しみやすい”
・緊張・弛緩の因子……“硬い―柔らかい”“力強い―弱々しい”
・興奮・沈静の因子……“重々しい―軽やかな”“落ちついた―にぎやかな”
・一般的評価の因子……“醜い―美しい”“冷たい―暖かい”

といった風に五つに分類した因子分析を行っている。

3の論文では虚偽記憶を取り上げている。虚偽記憶とは、実際には生じていない出来事を誤って想起することとしている。要するに勘違いである。虚偽記憶を調べる手法としてDRM法と呼ばれる実験手法がある。ちなみにDRMとは三人の人名の頭文字からとられている。

DRM法においては、学習時に呈示されたリスト内の単語(学習語)と共に呈示されていないクリティカル・ルアーと呼ばれる単語までも誤って再生、再認してしまうことが発生するとのことである。

3論文では、DRM法における虚偽記憶が意味的知識の構造を反映する点で注目が集まっているとしている。

4の論文では、虚記憶と呼称しているが、DRM法を用いた検索誘導性忘却について実験/検証が行われている。

検索誘導性忘却とは、記憶からある項目(ターゲット項目)を検索すると、その検索行為により、後のターゲット自身の検索可能性は増加するが、一方で、ターゲット項目と関連した項目は抑制され、検索可能性が低下することとしている。

4論文では、連想的な関係性を持つ項目は連想関係によって結びついており、連想ネットワーク構造を持っている。そのような連想ネットワーク構造の中から特定のターゲット項目を検索するとき、ターゲット項目と連想的な関係性にある項目も同時に活性化され、活性化資源を奪い合うこととなる。ターゲット項目を適切かつ迅速に検索するため、この競合状態を解消するよう抑制機能が働くとの仮説を立てている。

5の論文では、たとえば「消防士は男性的職業」といったステレオタイプが媒介する間接的連想関係について実験/検証している。

連想関係を、

・直接的連想関係
・間接的連想関係

とに分類している。たとえば、「りんご」と「赤い」、「赤い」と「ポスト」は直接的連想関係にある一方、「りんご」と「ポスト」は直接的連想関係ではなく「赤い」が媒介した間接的連想関係となる。

5論文ではDRM法をDRMパラダイムと呼称し、ルア語の他、学習語と意味的関連のない新奇語も取り上げている。

6の論文は、洞察問題について実験/検証を行った論文である。洞察問題とは、解決するために特別な知識を必要としないが、すぐに思いつくような方法では解決できないことが多い問題としている。

洞察問題解決を研究するため遠隔連想テスト(RAT)がよく用いられているとのこと。日本語版RATだと、たとえば「住」「在」「汚」といった三つの問題語がある。正解語は「職」である。固着語(三つのうち二つだけと単語を構成する語)は「宅」である。

実験はクラウドソーシングサイトで被験者を募り、WEB上で回答させる形式となっている。

……といった内容だった。6論文だけ少し離れた内容となっている。

「連想」に関して、認知科学でどのような定義づけがされているか調べたもの。NDL-OPACで検索してヒットしたものの上位から選んだもので、『心理学研究』に絞って取り寄せた。他にも掲載論文はあったのだけど、他との兼ね合いでこの程度の数字に留めた。右も左も分からない状態だったので万全とは言えないが、とりあえずのとっかかりとはなったのではないか。

こうしてみると、数学を避けていたツケがのしかかってくる。僕の母校の学部では一般教養の理系科目に心理学があったのでそれを履修したのだけど、それは基礎的な内容で、こういった統計学を駆使したような内容では当然なかった。

ちなみに、若き日の西垣通氏も講師としていらした。そちらは教職課程とバッティングしたため履修できなかった。

僕が漠然と考えているのは昔話における話の展開を何か連想的なものと捉えられないかというもの。それらに対する何らかの手がかりが得られないかと思った次第。たとえば、レヴィ=ストロースの神話分析などはかなり飛躍した連想がされているように感じる。間接的、継続的な連想と言えるかもしれない。

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余談:大学院で専攻を変える

心理学の記事を書いたので、余談。

大学四年生のときクラスメイト(※英語とドイツ語のクラスが同じだった)と話した際、彼は心理学で大学院に進学しようと考えていると聴いた。僕はそういう手もあるのかと思った。学部は法学部だったので、法律しか選べないと思い込んでいた。で、残念ながら法学部は僕にとってはミスマッチな選択で実定法はさっぱり理解できなかった。そんな訳で大学院への進学など夢のまた夢だった。彼も若干の不安はあったらしく「怒られるかもしれない」なんて口にしていた。今考えると院で専攻を変えたいという要望は普通にあり得ることで怒られることはないと思うが。

ただ、今回心理学関連の論文を読んだところ、実験の分析で統計学や線形代数の知識が必須のようだ。法学部でも微積や統計学の講義はあって履修自体は可能だったけど、彼がそれらを履修していたかまでは知らない。彼のその後は知らないが、むしろそこら辺で苦労したかもしれない。

心理学関連の資格を取得するには大学院への進学が必要だったか。そういうコースだとそこまで求められないかもしれないが。

民俗学者の大月隆寛氏は早稲田大学の法学部を卒業して成城大学の大学院で民俗学を専攻したとのこと。成城の民俗学は柳田国男の系譜に連なるそうだ。

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2025年4月10日 (木)

米子以東だと一泊しないと観光できない

テレビをつけたら、今春オープンした鳥取県立美術館とその企画展について解説していた。倉吉市にあるそうだ。僕は米子には行ったことがあるけれど、それ以東については通過したのみである。スーパーまつかぜで鳥取までは行けるのだけど、倉吉や鳥取まで足を伸ばすなら一泊して市内を散策してみたいし。というか、まだ松江の島根県立美術館にも行っていない。島根県立美術館には国内有数の浮世絵コレクションがあるそうで、ちょうど今年大河「べらぼう」もやっていることだし……とは思っている。西洋美術に関してはほんのちょっとだけど一応鑑賞経験はある。

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2025年4月 7日 (月)

とっかかりにはなったかもしれない――小島寛之『完全独習 統計学入門』

小島寛之『完全独習 統計学入門』を読む。電子書籍版はリフロー形式で、スマホでも読めた。中学数学までで統計学のエッセンスを伝えるというコンセプトの本。相乗平均(幾何平均)√xy が分かれば何とかなるのではないか。本書には出てこないが、最小二乗法とか、そういうことなのかとなんとなくは感じた。数学が苦手な人間にとっては数式の細部のもつ意味が感覚的に掴めなかったりするのだけど、そこら辺にかなり配慮されていた。

統計学は未履修。質的分析については独学でも何とかなると思うけど、量的分析についてはそうもいかずどうしたものかと思っていた。とっかかりを得ることはできたかもしれない。

……推薦入学で大学への進学を早めに決めた人は空いた時間でこの本を読んでみればいいかもしれない。文系でも社会学や心理学、あるいは政治学や経営学でも統計学は量的分析に必要となる。その動機づけとなり得る本と評価できる。よほどの数学アレルギーでない限り履修しておいて損はしないだろう。数字に強い人材は何かと重宝されるから。

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2025年4月 6日 (日)

物流団地に立ち寄ってみる

気分転換に下府へ行った。帰りに物流団地のいわみ文化振興センターに立ち寄ってみる。中には入らなかったが、立地は把握できた。国道9号線と山陰道(浜田三隅道路)とが交差する付近に立地していて9号線からも建物が見える。ガソリンスタンドの奥に位置する建物がそう。

浜田市・いわみ文化振興センター
浜田市・いわみ文化振興センター

後でサイトを閲覧する。壁面に抱月会館とあったが、これは一階に演劇や音楽などの上演向けのホールがあるようだ。写真を確認すると、床はフラットで机と椅子が並べられていた。食事を摂りながら観劇することも想定されているようだ。最大で200人くらい収容可能とのこと。ステージには大型のフラットパネルディスプレイも設置可能で、背景の見立てとして活用することができるようだ。

以前、ここで石見神楽の夜神楽定期公演をするという話があって、結局流れてしまったらしい。理由は知らない。駐車場は第二駐車場を開放すればかなりの台数が収容でき、ドライバーにとっては立地は悪くないのだけど、車を所有していない人、たとえば島根県立大生にとってはアクセスの悪い場所となってしまう。

浜田市・いわみ文化振興センター
浜田市・いわみ文化振興センター・第二駐車場

むしろ二階の展示室の方が利用率が高いのかもしれない、写真展などが催されているようだ。他、畳が浦の常設展示場もある。

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2025年4月 5日 (土)

行きつ戻りつ――樋口耕一『社会調査のための計量テキスト分析』

樋口耕一『社会調査のための計量テキスト分析 内容分析の継承と発展を目指して』を読む。テキストマイニングのツールであるKH Corderの公式本。初学者は『動かして学ぶ!はじめてのテキストマイニング』→『社会調査のための計量テキスト分析』の順で読むといいだろう。

前半はKH Corder構想の経緯、具体的な分析事例などが掲載されている。後半はKH Corderのレファレンスとなっている。

残念ながら統計学は未履修で分析事例に掲載されたデータは読めなかった。レファレンスは「こういう仕様上の制限があるのか」「この機能はこういう手順で使えばいいのか」となった。難しい数式は少ししか掲載されていなかった。

個人的にはそれっぽい図を何とか出力できるようになったという段階で、実際にどういう風に分析していくかはこれからの課題である。コーディングルールの作成が肝で、これは試行錯誤する他ない。そういう意味では自身で何か適当なデータを複数用意して実際に分析してみるのが望ましい。手持ちの資料がない場合、たとえばnoteの記事なんかでもいいかもしれない。

量的分析のスキルのない人間でも裏で統計処理を施した質的分析を行えるという点で、何か行きつ戻りつ試みることはできないかなとは期待している。

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2025年4月 3日 (木)

皮が湿気らない――ノドグロもなか

4月2日放送分のNHKしまねっとNEWS610で島根県立大生が地元の老舗和菓子店と共同開発したノドグロもなかが紹介された。自分で餡をお魚の形をした皮に挟んで食べるスタイル。皮が湿気らないのがメリットらしい。NHK+で4/9 18:59まで配信中。

ノドグロ(赤ムツ)は日本海側では鯛より美味しいとの評価もされている魚。煮ても焼いても刺身でも美味しい。

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2025年4月 1日 (火)

新年度となりました

四月一日となり、新年度、令和七年度となりました。確か山陰道の三隅益田道路は今年度に開通予定でした。国道9号線は起伏の大きな道路ですが、開通すると平坦なルートとなり浜田市から益田市まで行くのが少し楽になります。

まあ、年度のいつとは明示されていないので、実質的には来年四月以降かもしれません。グラントワなどには行きやすくなります。

調べたところ、遠田ICで工事が難航していて該当箇所の完成は未定とのことですが、遠田から市街まではさほど距離がないのでかなり改善されることは確かでしょう。

現在進めている『石見の民話』二周目のロールバック作業はノートラブルで進行しても8月くらいまでかかるでしょう。関連書籍の読破が遅れ気味ですので、そちらで手間取るかもしれません。

『石見の民話』三周目は秋くらいから手をつけられたらというところですが、これもどういう風に記事を書けばいいのか、また手探りで進めていくことになりそうです。

……という訳で、といいますか、今乗っている車のナビの画面が劣化してほとんど見えない状態でして、車で出かけてあちこち見て回ることはできないのではないかと考えています。引っ越しで体力を消耗させて疲れやすくなっているという事情もあります。今年は写真撮影はあまりできないと考えています。

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2024年10月から2025年3月の本館の実績

10月 PV:1461 Visit:1139 UU:1026
11月 PV:1320 Visit:1015 UU:946
12月 PV:1211 Visit:978 UU:925
1月  PV:2592 Visit:1676 UU:1636 ※AIボット多し
2月  PV:1749 Visit:1484 UU:1426 ※AIボット多し
3月  PV:1415 Visit:1117 UU:1032

PV自体は1500前後で推移しているのですが、一部の記事にアクセスが集中しているのが実情で、それが無くなったらPVはかなり落ちます。Googleの検索アルゴリズムのアップデートで却ってアクセス数が減ってしまったように思えます。AIに学習させていると思しきクローラーのアクセスも目立つようになりました。indexタグで拒否できるよう仕様を策定してもいいんじゃないかという気すらします。

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