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2025年1月

2025年1月27日 (月)

浜田ルーツの華麗なる一族

俵孝太郎さんがお亡くなりになったことを知る。僕にとっては「こんばんは俵孝太郎です」で政治キャスターの印象。実は俵氏は島根県浜田市にルーツがある。内務大臣になった兄と日本の製鉄産業に貢献した冶金学者の弟との華麗なる一族。俵氏は兄の方の孫だそうだ。

島根県浜田市もしくは旧那賀郡出身の有力な政治家だと、俵孝太郎さんの祖父である俵孫一、「かわいそうなぞう」で象の殺処分を命じた東京都長官・大達茂雄が知られている。他に野党系の議員でも戦前に有力な人がいたらしい。典型的な野党議員だったらしく調べてみると面白いかなと思ったりするが、生憎政治学・政治史には疎く、リサーチ能力がない。

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2025年1月21日 (火)

「べらぼう」に松平康福が登場

NHK「べらぼう」第一話をNHK+で視聴する。当時浜田藩主だったかまでは分からないが、松平康福も老中としてちらっと登場していた。

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2025年1月17日 (金)

あれから30年

阪神淡路大震災から30年。姫路は震度4強だった。震度4強は姫路と横浜とで二度体験することとなった。阪神淡路大震災の場合は強烈な縦揺れで目覚め、東日本大震災は揺れ始めたと思ったら揺れがいつまでも収まらないと異なる感覚だったが。

阪神淡路大震災のときは姫路と京都を結ぶ国道が迂回ルートとなったのだけど、社町に狭隘区間があり、そこで大渋滞を引き起こしていた。当時気づいたのは、乗用車の後席に毛布にくるまって避難している人たちとしばしばすれ違ったこと。数か月後にようやく神戸市内に入ったが、ポートアイランドは液状化で道路が凸凹だった。明石では新幹線の高架が崩落しているのも見えた。

全体的には効率一辺倒で冗長性が削られていき(※何せ数字には勝てない)、時折起きる大災害で冗長性の必要性が見直されると言った感じで一進一退といった流れだろうか。

南海トラフ地震では、おそらく最悪のケースでだろうが、島根でも震度5くらいの揺れが予測されていたと記憶している。うちの実家は耐えられるだろうか。

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2025年1月14日 (火)

朝刊も配送停止

毎日新聞、三月いっぱいで島根県西部への配送を止めるとのこと。

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たまには役にたった?

広小路の英字ページ(浮布池と姫逃池)に大田市からアクセスが。言語はフランス語だった。フランス語に翻訳して読もうともされていたようなので、おそらく観光客だろう。たまには役にたつこともあるようで良かった良かった。……というか、石見銀山関連でインバウンドもあるだろうと想定して大田市の伝説の記事を機械翻訳ながらも英訳しておいたのではあるが。以前、琴ヶ浜(琴姫)でもそんなアクセスがあった。実際に訪れたその池や海岸にまつわるこんなお話があると知れたら、魅力的に思えるはず……。

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2025年1月13日 (月)

描写に異様に傾いた文体――バルザック「サラジーヌ」

ロラン・バルト『S/Z』の巻末に収録されたバルザック「サラジーヌ」という短編小説を読む。『S/Z』は「サラジーヌ」の構造分析を行う本なのでサンプルとして掲載されている。一読して、冒頭から詳細な描写が延々と続く。で、翻訳ものということもあってか肝心の話の筋が頭にさっぱり入ってこない。おそらく日本の文学者でもここまで描写に傾いた文体の人はいないのではないかと思わされる。これは最後のどんでん返しのために意図的にそうされたのかもしれないが。

<追記>
バルザック「サラジーヌ」二度目の読了。今回はバルト『S/Z』本文を読んでからだったので、こういう話だったのかとある程度の理解はできた。芸術の神に愛された若者であるサラジーヌがイタリア旅行でラ・ザンビネッラに遭い虜となってしまう……といった物語。

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2025年1月 6日 (月)

マウント合戦に終始するご時世ですが――岸政彦『ブルデュー「ディスタンクシオン」100分de名著』

岸政彦『ブルデュー「ディスタンクシオン」100分de名著』を読む。この本を読んでの感想ではないが、文化資本という概念を知ったとき、「世の中、くだらないもの込みで成り立っているのでは?」と思った。

高尚とされるものの中には古典化してしまったものもある。新作が創られることもあるが、容易に定着しはしないだろう。

もちろん、西洋の上流階級に食い込みたいなら、そういった類の教養やマナーを身につけなければならないだろう。でも、全ての人がそうする必要性もない。

埼玉県鷲宮神社の神楽を見学した際、巫女さんの舞で女児が舞台にかぶりついて見ようとしている光景を見た。連れてきたのは親か祖父母だが、強い興味を示したのは女児自身である。先天的な審美眼と言えばいいか。ブルデューが語っているのは後天的な審美眼ではないか。

たとえば、60代以降の日本人はアニメ特撮といったテレビ番組の劇伴でクラシックやジャズの基礎に幼少期から触れている。構図に関してもテレビ番組や映画で自然と学んでいるはずだ。

著者氏は肉体労働のご経験があるとのことなので、ご理解されているはずだが、ブルーカラーだと、肉体的強さ、手先の器用さ、正確な身体感覚といった資質などが重要となってくるので、ホワイトカラーとは求められる適性が異なるとは言える。

教育格差関連で教育社会学でも参照されることが多いとのことである。

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2025年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます 2025.01

明けましておめでとうございます。

去年は引っ越しで疲弊しきった年でしたので、今年は疲労を抜くモードで当面過ごしたいと考えています。というか、復調しないとどうもならん。

今年の目標としては、

・未来社『石見の民話』二周目のロールバック作業
・それに伴う参考文献の読破
・三周目の下準備

に注力したいと考えています。ロールバック作業自体はルーチンワークなのですが、現状、手が止まっています。去年は疲弊してほとんど読書できなくなりましたので、どれだけ回復するか未知数です。

余力があれば、

・『神楽と文芸(総論)』の加筆修正

もできればと考えています。

……といった訳で記事の更新は月に数件程度のペースに戻るでしょう。体調が回復していませんでの市内を散策することも未だできておりません。カメラ/写真趣味も継続できるか怪しい状態です。

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