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2024年11月29日 (金)

行為項分析――長い話

◆あらすじ

天からへこ(ふんどし)が下がった。

◆モチーフ分析

・天からふんどしが下がった

 『石見の民話』はこの163話目の「長い話」で終わります。今日はもう終わり。これ以上話しないよというニュアンスが込められたお話です。

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)

O(オブジェクト:対象)
O1:天
O2:ふんどし

m(修飾語:Modifier)
m1:下がった

+:接
-:離

・天からふんどしが下がった
(降臨)02ふんどし:O1天-O2ふんどし
(垂下)O2ふんどし:O2ふんどし+m1下がった

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

     聴き手(垂れ下がったふんどしをどう感じるか)
           ↓
送り手(ふんどし)→長く垂れ下がった(客体)→ 受け手(天)
           ↑
補助者(なし)→ ふんどし(主体)←反対者(なし)


といった行為項モデルが作成できるでしょうか。天もへこ(ふんどし)もオブジェクトです。つまり、その点で意思は介在しませんので行為項モデルは成立しないことになります。無理くり描くとこんな感じでしょうか。ふんどしは長い布ですので、タイトルの「長い話」へと繋がっていきます。それはこれまで続けられてきた長い昔話がこれで今日はおしまいという意味を告げています。

 天―ふんどし、といった対立軸が見受けられます。天上/天下という図式に聖なるものが暗喩されているようにも思えますが、垂れ下がるのはふんどしであるという点で尾籠さがおかしみとして暗喩されています。

 「長い話」は短い話ですが、それ故にテキストのみでの解釈は困難で、昔話を語る行為の終わりを意味するという文脈を汲まないと上手く解釈できないタイプの昔話となります。

 「長い話」をテキストのみで解釈するとナンセンスな話となりますが、お終いの昔話という文脈を考慮すると、「もうおしまい」という名残惜しさを笑いで閉めるというニュアンスが込められていることが理解できます。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

ふんどし♌♂☉(-1)―天☉

 といった風に表記できるでしょうか。これらはいずれもオブジェクトですので、意思は持ちません。そういう意味では分析不能と言えるでしょうか。無理くり解釈すると、天上の世界を意味する天そのものが価値☉とおけるでしょう。それに対して天下に垂れ下がるのがふんどしです。聖なる天上に対し、天下に垂れ下がるのは尾籠なふんどしです。マイナスの価値☉(-1)と置けるでしょう。ふんどしは主体♌であると同時に天の権威を下げている時点で対立者♂でもある訳です。それに対して天は何の判断も下していませんから審判者♎とはなり得ない訳です。

◆物語の焦点と発想の飛躍

 グレマスの行為項モデルに「聴き手の関心」という項目を付け加えた訳ですが、これは「物語の焦点」とも置き換えられます。ここで、昔話の肝を「物語の焦点」に如何に「発想の飛躍」をぶつけるかと考えます。

 この物語の焦点はメタ視点的なもので「今日の昔話はこれで終わり」でしょうか。昔話の終盤を暗示する話です。それに対する発想の飛躍は「天とふんどしを結びつけること」でしょうか。「天上/天下―聖/尾籠―ふんどし」といった図式です。

◆昔話の創発モデル

 下記のように「物語の焦点」に「発想の飛躍」をぶつける構図をモデル化して「創発モデル」と名づけてみました。発想の飛躍は論理の飛躍であり、それは思考のショートカットでもあります。潜在意識化での(本来無関係な)概念と概念との不意の結びつきが発想の飛躍をもたらし、それが創作活動における大きなベクトルとなると考えたものです。


物語の焦点:今日の昔話はこれで終わり
         ↑
発想の飛躍:天とふんどしを結びつけること

・昔話/語り―終わり/暗示
       ↑
・天上/天下―聖/尾籠―ふんどし

◆発想の飛躍と概念の操作

 発想の飛躍を「常識離れした連想」と仮定しますと、上述した図式の/(スラッシュ)の箇所に特にその意図的に飛躍させた概念の操作が見出せそうです。

 呪術的思考に典型的に見られますが、ヒトは本来は繋がりのない切り離されたモノの間にも繋がりを見出すことがあります。それは情報処理におけるエラーです。ですが、科学万能の時代においてもエラーであるはずの呪術的思考が完全には消え去ることがないのは、それが人間特有の思考様式の一部であるからかもしれません。昔話では意図的にエラーを起こすとでも言えるでしょうか。

 「長い話」では、このお話が始まることで今日の昔話は終わりということが暗示されます。「もう終わり」という名残惜しさに対してふんどしが天から垂れ下がるという尾籠さで笑いを誘う仕掛けとなっています。

 図式では「天上/天下―聖/尾籠―ふんどし」と表記しています。これを自由連想で細分化して展開すると「天―聖―世界―垂れる―ふんどし―下着―長い―尾籠―笑い―昔話―今日―終わり」となります。

 「ふんどし:天上/天下→聖/尾籠→笑い」と図式化すればいいでしょうか。聖なる天上から天下に垂れ下がるのが尾籠なふんどしという図式で聖なるものが尾籠なものとして転倒される、そして笑いに転換される、そういった概念の操作が行われています。これらの連想を一瞬で行っていることになります。

 以上のように、本文には現れない概念も重要な要素となっています。形態素解析で抽出したキーワードだけでは解釈を十全に行うことは難しいものと考えられます。可視化されていない文脈を読む、つまりできるだけ可視化するためには連想概念辞書も取り込んだ上で分析する方向に機能改善することが望まれると考えられます。

 転倒は一瞬で価値の逆転をもたらすことを可能とする点で濫用は慎むべき類の概念操作ですが、予想外の驚きをもたらす効果を発揮しますので、昔話では好んで用いられるようです。

 シェーマ分析は物語構造分析や評論において多用されますが、昔話ではこの二項対立で把握される図式の各項の属性を動的に転倒させていく(※必ずしも転倒に成功する訳ではない)ことで物語を転がしていくという技法が多用されると考えられます。むしろ転倒させることで二項対立の図式に持ち込むと見た方がいいでしょうか。静態から動態への認識の転換が求められるとでも言えるでしょうか。

 呪術的思考のような非合理的思考は人間の抱える弱点ですが、昔話においては逆に創造性の源ともなっていると考えることができます。

◆ログライン≒モチーフ

 ログラインとはハリウッドの脚本術で用いられる概念で、物語を二~三行程度で要約したものです。このログラインの時点で作品の良しあしが判別できるといいます。

 「長い話」ですと「天からふんどしが垂れ下がった」くらいでしょうか。

◆余談

 天使の梯子(はしご)の様なものでしょうか。ここでは、ふんどしという下着を描写することで尾籠(びろう)さを表現して笑いを誘う意図が見えます。ひとしきり笑ったところで今日の昔話は終わりという図式です。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)p.469.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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