行為項分析――本光寺の説教
◆あらすじ
昔、日原の本光寺に、説教の上手な和尚さんがいた、ある晩、和尚さんが説教をすることになった。近所の人たちは、これはありがたいと我も我もみなお寺へ出かけた。そのうちに和尚さんが出てきて、法座へあがって説教を始めた。みんなは一生懸命お説教を聞いていたが、その内に一人帰り、二人帰り、みんなこそこそと帰ってしまった。そして源十という男がたった一人残った。和尚さんは感心して、何という信心深い男だ。他の者はああして皆帰ってしまったのに、お前は一人になってもちゃんと聞いている。自分は一人になっても説教を止めはしない。お前にありがたいお話を終いまで聞かせてやると言った。そして長いことお説教をしてようやく終わった。源十はその間じっと黙って聞いていたが、和尚さま、実は私もとうから帰ろうと思っていましたが、草履を和尚さまの座っていなさる法座の下へ入れておきましたので帰ることができませんでしたと言った。
◆モチーフ分析
・日原の本光寺に説教の上手な和尚がいた
・ある日、和尚が説教することになったので、我も我もとみなお寺へ出かけた
・和尚が出てきて法座へ上がって説教を始めた
・皆一生懸命にお説教を聞いていたが、その内に一人帰り、二人帰りと皆こそこそと帰ってしまった
・源十という男がたった一人残った
・和尚は感心して、何という信心深い男だ。自分は一人になっても説教を終いまで聞かせてやると言った
・長いこと説教をして、ようやく終わった
・源十は黙って聞いていたが、実は自分もとうから帰ろうと思っていたが、草履を法座の下へ入れておいたので帰ることができなかったと言った
◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である
S(サブジェクト:主体)
S1:和尚
S2:皆
S3:源十
O(オブジェクト:対象)
O1:日原
O2:本光寺
O3:説教
O4:法座
O5:草履
m(修飾語)
m1:上手な
m2:熱心に
m3:散発的に
m4:こそこそと
m5:一人で
m6:感心した
m7:信心深い
m8:最後まで
m9:長々と
m10:黙って
m11:下に
+:接
-:離
・日原の本光寺に説教の上手な和尚がいた
(存在)O1日原:O1日原+O2本光寺
(存在)O2本光寺:O2本光寺+S1和尚
(能力)S1和尚:O3説教+m1上手な
・ある日、和尚が説教することになったので、我も我もとみなお寺へ出かけた
(予定)S1和尚:S1和尚+O3説教
(集合)S2皆:S2皆+O2本光寺
・和尚が出てきて法座へ上がって説教を始めた
(座に着く)S1和尚:S1和尚+O4法座
(説教開始)S1和尚:S1和尚+O3説教
・皆一生懸命にお説教を聞いていたが、その内に一人帰り、二人帰りと皆こそこそと帰ってしまった
(聴講)S2皆:S2皆+O3説教
(状態)S2皆:S2皆+m2熱心に
(退席)S2皆:S2皆-O2本光寺
(ばらばらに行動)S2皆:S2皆+m3散発的に
(目立たぬように行動)S2皆:S2皆+m4こそこそと
・源十という男がたった一人残った
(居残り)S3源十:S3源十+m5一人で
・和尚は感心して、何という信心深い男だ。自分は一人になっても説教を終いまで聞かせてやると言った
(感心)S1和尚:S1和尚+m6感心した
(評価)S1和尚:S3源十+m7信心深い
(継続)S1和尚:S1和尚+O3説教
(継続)S1和尚:O3説教+m8最後まで
・長いこと説教をして、ようやく終わった
(長時間継続)S1和尚:O3説教+m9長々と
(終了)S1和尚:S1和尚-O3説教
・源十は黙って聞いていたが、実は自分もとうから帰ろうと思っていたが、草履を法座の下へ入れておいたので帰ることができなかったと言った
(聴講)S3源十:S3源十+O3説教
(態度)S3源十:S3源十+m10黙って
(告白)S3源十:S3源十+S1和尚
(退席意図)S3源十:S3源十-O2本光寺
(障害)S3源十:O5草履+O4法座
(障害)O5草履:O4法座+m11下に
(退席不能)S3源十:S3源十-O3説教
◆行為項モデル
送り手→(客体)→受け手
↑
補助者→(主体)←反対者
というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。
聴き手(関心)
↓
送り手→(客体)→受け手
↑
補助者→(主体)←反対者
この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。
聴き手(説教を長々と続けるとどうなるか)
↓
送り手(和尚)→長い説教をはじめる(客体)→ 受け手(皆)
↑
補助者(なし)→ 和尚(主体)←反対者(なし)
聴き手(説教を長々と続けるとどうなるか)
↓
送り手(皆)→こそこそと退席していく(客体)→ 受け手(和尚)
↑
補助者(なし)→ 皆(主体)←反対者(和尚)
聴き手(源十の態度に和尚はどうするか)
↓
送り手(源十)→一人だけ聴いている(客体)→ 受け手(和尚)
↑
補助者(なし)→ 源十(主体)←反対者(和尚)
聴き手(説教を長々と続けるとどうなるか)
↓
送り手(和尚)→更に長々と説教をする(客体)→ 受け手(源十)
↑
補助者(なし)→ 和尚(主体)←反対者(源十)
聴き手(源十の告白を和尚はどう思うか)
↓
送り手(源十)→草履がとれなかったので退席できなかったと告白(客体)→ 受け手(和尚)
↑
補助者(なし)→ 源十(主体)←反対者(和尚)
といった行為項モデルが作成できるでしょうか。本光寺の和尚が信徒に説教を始めましたが非常に長い説教で、そのうち皆こそこそと退席していきました。最後まで源十が残りましたので、和尚は感心して更に長々と説教をしますが、源十は草履を法座の下に隠していたので退席できなかっただけだったという筋立てです。
和尚―皆、和尚―源十、法座―草履、といった対立軸が見受けられます。説教/退席の図式に有難い教えでも長々と続けると我慢できなくなってしまうことが暗喩されているでしょうか。また、法座/草履の図式には源十のこうむった有難迷惑さが暗喩されています。
◆関係分析
スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。
♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者
という六つの機能が挙げられます。
☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。
これらを元に関係分析をすると、
和尚♌☉♎―源十♁(±)♂―皆♁(±)♂
といった風に表記できるでしょうか。和尚の説教を価値☉と置くと、源十を含めた信徒の皆は享受者♁となります。が、説教があまりに長く続くので退席していくことになり、対立者♂となっていきます。享受者としてはプラスマイナスの存在ということで♁(±)とします。最後まで残った源十に感心した和尚は審判者♎となりますが、源十も法座から草履を除けることができなかったに過ぎず、対立者♂であることが明らかとなります。
◆物語の焦点と発想の飛躍
グレマスの行為項モデルに「聴き手の関心」という項目を付け加えた訳ですが、これは「物語の焦点」とも置き換えられます。ここで、昔話の肝を「物語の焦点」に如何に「発想の飛躍」をぶつけるかと考えます。
この物語の焦点は「聴かれもしない説教を長々と続けるとどうなるか」でしょうか。それに対する発想の飛躍は「源十のために更に長々と説教を続ける」「草履が法座の下に隠してあったため退席できなかった」でしょうか。「和尚―説教/聴講―長々と―源十」「和尚―法座/草履―源十」といった図式です。
◆昔話の創発モデル
下記のように「物語の焦点」に「発想の飛躍」をぶつける構図をモデル化して「創発モデル」と名づけてみました。発想の飛躍は論理の飛躍であり、それは思考のショートカットでもあります。潜在意識化での(本来無関係な)概念と概念との不意の結びつきが発想の飛躍をもたらし、それが創作活動における大きなベクトルとなると考えたものです。
物語の焦点:聴かれもしない説教を長々と続けるとどうなるか
↑
発想の飛躍:源十のために更に長々と説教を続ける
草履が法座の下に隠してあったため退席できなかった
・和尚―説教―皆/源十
↑
・和尚―説教/聴講―長々と―源十
・和尚―法座/草履―源十
◆発想の飛躍と概念の操作
発想の飛躍を「常識離れした連想」と仮定しますと、上述した図式の/(スラッシュ)の箇所に特にその意図的に飛躍させた概念の操作が見出せそうです。
呪術的思考に典型的に見られますが、ヒトは本来は繋がりのない切り離されたモノの間にも繋がりを見出すことがあります。それは情報処理におけるエラーです。ですが、科学万能の時代においてもエラーであるはずの呪術的思考が完全には消え去ることがないのは、それが人間特有の思考様式の一部であるからかもしれません。昔話では意図的にエラーを起こすとでも言えるでしょうか。
「本光寺の説教」では、説教を得意とする和尚が信徒に説教をはじめますが、長々と続けますので一人二人と退席し始めます。最後まで残った源十の態度に感心した和尚は更に長々と説教としますが、源十も草履がとれなかったために退席できなかったためで、有難いはずの説教が有難迷惑となってしまいます。
図式では「和尚―説教/聴講―長々と―源十」「和尚―法座/草履―源十」と表記しています。これを細分化して展開すると「和尚―説教―得意―長々と―続ける―退席―続く―源十―一人―残る―更に―長々と―説教―終わる―告白―草履―法座―隠す―取れず―退席できず―有難い―説教―判明―有難迷惑」となります。「和尚の説教:長々と続ける→有難さ/有難迷惑」と図式化すればいいでしょうか。有難いはずの和尚の説教が実は有難迷惑だったと転倒させる概念の操作が行われています。これらの連想を一瞬で行っていることになります。
以上のように、本文には現れない概念も重要な要素となっています。形態素解析で抽出したキーワードだけでは解釈を十全に行うことは難しいものと考えられます。可視化されていない文脈を読む、つまりできるだけ可視化するためには連想概念辞書も取り込んだ上で分析する方向に機能改善することが望まれると考えられます。
転倒は一瞬で価値の逆転をもたらすことを可能とする点で濫用は慎むべき類の概念操作ですが、予想外の驚きをもたらす効果を発揮しますので、昔話では好んで用いられるようです。
シェーマ分析は物語構造分析や評論において多用されますが、昔話ではこの二項対立で把握される図式の各項の属性を動的に転倒させていく(※必ずしも転倒に成功する訳ではない)ことで物語を転がしていくという技法が多用されると考えられます。むしろ転倒させることで二項対立の図式に持ち込むと見た方がいいでしょうか。静態から動態への認識の転換が求められるとでも言えるでしょうか。
呪術的思考のような非合理的思考は人間の抱える弱点ですが、昔話においては逆に創造性の源ともなっていると考えることができます。
◆ログライン≒モチーフ
ログラインとはハリウッドの脚本術で用いられる概念で、物語を二~三行程度で要約したものです。このログラインの時点で作品の良しあしが判別できるといいます。
「本光寺の説教」ですと「和尚が長説法を続けたが、草履が法座の下に隠してあったため源十だけ帰れなかった」くらいでしょうか。
◆余談
人の集中力が保つのが九十分くらいと言いますので、和尚の説教はそれより長かったのかもしれません。
◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)p.408.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)
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