行為項分析――果てなしばなし
◆あらすじ
とんとん昔もあった。大きな渕があって、その縁(へり)に大きな栃(とち)の木があった。秋になってその実が落ちはじめた。「からから どんぶり からから どんぶり」
◆モチーフ分析
・大きな渕があって、その縁に大きな栃の木があった
・秋になってその実が落ちはじめた
・からから どんぶり からから どんぶり
「果てなしばなし」は『石見の民話』に収録された全163話の内、162話目に当たります。つまり、「昔話はそろそろ終わりだよ」と告げるニュアンスが言外に込められているのです。そういった点ではテキストのみでの分析では足りず、文脈を読むことが求められるお話となります。
◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である
S(サブジェクト:主体)
O(オブジェクト:対象)
O1:渕
O2:栃の木
O3:栃の実
m(修飾語:Modifier)
m1:大きな
m2:秋
m3:からから
m4:どんぶり
X:どこか
T:時
+:接
-:離
・大きな渕があって、その縁に大きな栃の木があった
(存在)X:X+O1渕
(程度)O1渕:O1渕+m1大きな
(隣接)O2栃の木:O2栃の木+O1渕
・秋になってその実が落ちはじめた
(季節)T:T+m2秋
(落下)O3栃の実:O3栃の実-O2栃の木
・からから どんぶり からから どんぶり
(オノマトペ)O3栃の実:O3栃の実+(m3からから+m4どんぶり)
◆行為項モデル
送り手→(客体)→受け手
↑
補助者→(主体)←反対者
というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。
聴き手(関心)
↓
送り手→(客体)→受け手
↑
補助者→(主体)←反対者
この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。
聴き手(オノマトペをどう感じるか)
↓
送り手(栃の実)→(客体)→ 受け手(聴き手)
↑
補助者(なし)→ 栃の実(主体)←反対者(なし)
といった行為項モデルが作成できるでしょうか。このお話に登場する渕も栃の木も栃の実もいずれもオブジェクトです。つまり、そこにヒトの意思は働いていません。その点で行為項モデルは成立しないことになりますが、無理くり描くとこんな感じでしょうか。栃の実はどんぐりと置き換えられるでしょう。「からから」はどんぐりが風に揺られる様でしょうか。「どんぶり」はよく分かりませんが、地面か渕に落ちる様でしょうか。
渕―栃の木、栃の木―栃の実、といった対立軸が見受けられます。からから/どんぶりといったオノマトペの対比の図式に静寂さとそこからもたらされる永遠性が暗喩されているでしょうか。そうしてタイトルの「果てなしばなし」へと繋がっていきます。
「果てなしばなし」は短い話ですが、それ故にテキストのみでの解釈は困難で、昔話を語る行為の終わりを意味するという文脈を汲まないと上手く解釈できないタイプの昔話となります。
◆関係分析
スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。
♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者
という六つの機能が挙げられます。
☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。
これらを元に関係分析をすると、
栃の実♌☉―栃の木☾(☉)―渕☾(☾(☉))
といった風に表記できるでしょうか。これらはいずれもオブジェクトですので、意思は持ちません。そういう意味では分析不能と言えるでしょうか。無理くり解釈すると、秋の実りを価値☉と置けるでしょうか。その点では栃の実は価値☉とおけるでしょう。栃の木はその援助者☾(☉)、渕は更にその援助者☾(☾(☉))とでもおけるでしょうか。
◆物語の焦点と発想の飛躍
グレマスの行為項モデルに「聴き手の関心」という項目を付け加えた訳ですが、これは「物語の焦点」とも置き換えられます。ここで、昔話の肝を「物語の焦点」に如何に「発想の飛躍」をぶつけるかと考えます。
この物語の焦点はメタ視点的なもので「昔話はもう終わってしまうのか」でしょうか。昔話の終盤を暗示する話です。それに対する発想の飛躍は「実が落ちる様を『からから どんぶり』と形容すること」でしょうか。「栃の実―落ちる―どんぶり/からから―静寂/永続」といった図式です。「もう終わり」という感情に対してオノマトペで永続性を表現しています。
◆昔話の創発モデル
下記のように「物語の焦点」に「発想の飛躍」をぶつける構図をモデル化して「創発モデル」と名づけてみました。発想の飛躍は論理の飛躍であり、それは思考のショートカットでもあります。潜在意識化での(本来無関係な)概念と概念との不意の結びつきが発想の飛躍をもたらし、それが創作活動における大きなベクトルとなると考えたものです。
物語の焦点:昔話はもう終わってしまうのか
↑
発想の飛躍:実が落ちる様を『からから どんぶり』と形容すること
・昔話/語り―終盤/暗示
↑
・栃の実―落ちる―どんぶり/からから―静寂/永続
◆発想の飛躍と概念の操作
発想の飛躍を「常識離れした連想」と仮定しますと、上述した図式の/(スラッシュ)の箇所に特にその意図的に飛躍させた概念の操作が見出せそうです。
呪術的思考に典型的に見られますが、ヒトは本来は繋がりのない切り離されたモノの間にも繋がりを見出すことがあります。それは情報処理におけるエラーです。ですが、科学万能の時代においてもエラーであるはずの呪術的思考が完全には消え去ることがないのは、それが人間特有の思考様式の一部であるからかもしれません。昔話では意図的にエラーを起こすとでも言えるでしょうか。
「果てなしばなし」では、このお話が始まることで昔話はそろそろ終わりということが暗示されます。「もう終わり」という名残惜しさに対して「からから どんぶり」と昔話の永続性がオノマトペで表現されます。
図式では「栃の実―落ちる―どんぶり/からから―静寂/永続」と表記しています。これを自由連想で細分化して展開すると「栃の木―秋―栃の実―実る―落ちる―からから―どんぶり―オノマトペ―無意味―静寂―連想―永続―連想―昔話―終盤―またいずれ」となります。
「栃の実:オノマトペ→無意味→静寂/永続←語り/終わり」と図式化すればいいでしょうか。オノマトペ自体には意味がありません。受け手によって解釈は異なるでしょう。ここでは静寂と解釈しました。それは永続性へと転換されます。それは語りの終わりに際して提示されることで「またいずれ」と告げるニュアンスを持つことになるでしょう。終わりだから永続性を語る訳です。これらの連想を一瞬で行っていることになります。
以上のように、本文には現れない概念も重要な要素となっています。形態素解析で抽出したキーワードだけでは解釈を十全に行うことは難しいものと考えられます。可視化されていない文脈を読む、つまりできるだけ可視化するためには連想概念辞書も取り込んだ上で分析する方向に機能改善することが望まれると考えられます。
転倒は一瞬で価値の逆転をもたらすことを可能とする点で濫用は慎むべき類の概念操作ですが、予想外の驚きをもたらす効果を発揮しますので、昔話では好んで用いられるようです。
シェーマ分析は物語構造分析や評論において多用されますが、昔話ではこの二項対立で把握される図式の各項の属性を動的に転倒させていく(※必ずしも転倒に成功する訳ではない)ことで物語を転がしていくという技法が多用されると考えられます。むしろ転倒させることで二項対立の図式に持ち込むと見た方がいいでしょうか。静態から動態への認識の転換が求められるとでも言えるでしょうか。
呪術的思考のような非合理的思考は人間の抱える弱点ですが、昔話においては逆に創造性の源ともなっていると考えることができます。
◆ログライン≒モチーフ
ログラインとはハリウッドの脚本術で用いられる概念で、物語を二~三行程度で要約したものです。このログラインの時点で作品の良しあしが判別できるといいます。
「果てなしばなし」ですと「秋になって実った栃の実が静かに落ちた」くらいでしょうか。
◆余談
栃の木ですので、どんぐりでしょう。秋になって実がなった様を描いています。
◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)p.469.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)
| 固定リンク
「昔話」カテゴリの記事
- 未来社『石見の民話』分析二周目、石西編が終わる。続いて三周目について(2024.11.30)
- 行為項分析――長い話(2024.11.29)
- 行為項分析――果てなしばなし(2024.11.29)
- 行為項分析――なさけない(2024.11.29)
- 行為項分析――八人の座頭(2024.11.28)