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2024年10月12日 (土)

行為項分析――晩越峠

◆あらすじ

 屋島や壇ノ浦の戦いで敗れた平家の一門の人々は安徳天皇を奉じて山陽山陰の山々を越え、吉賀川沿いに落ち延びてきた。柿木まで辿りついてほっとしたところへ追手が来て夜討ちに遭い、おおかた討たれてしまった。それでそこを夜討原と言う様になった。わずかに生き残った人々は天皇を守りながら馬を走らせて左鐙の里を通った。そのとき道ばたの胡瓜垣に馬の左の鐙が引っかかって落ちたが、それを拾う暇もなく通り過ぎたので、ここを左鐙(さぶみ)と呼ぶようになった。長い戦いで落人になって破れた馬の沓(くつ)を畳で打ち替えた。そこでここを沓打場と言う様になった。追手の者が落人のことを尋ねたが、そこの人は落人に同情して、そんなものは見んがと言ったので民ヶ谷(みんがたに)と言う様になった。そのおかげで僅かに追手の手が緩んだ間に一同が集まって評定をしたところを集義(しゅうぎ)と言う様になった。落人の一行は畳石で一夜を明かすことになった。畳石は吉賀川のほとりにある広い平らな岩で、その上に御殿岩という高い岩の壇がある。天皇をこの上でお休め申し上げ、馬は川向こうの岩の穴に入れて夜を明かした。それで岩の壇を御殿岩または一夜城と呼ぶようになり、岩穴は馬の駄屋と言う様になった。畳石には大小様々なくぼみがあるが、これを馬のたらいとか馬の足跡とかいって、この時できたものと言っている。少し川上に風呂ガ原という所があるが、ここはその時民家に野風呂をたてていたので、頼んで天皇を入れたところだという。追手は執念深く追ってきて、畳石の奥で激しい戦いになった。そこを軍場(ぐんば)と言い、そこから流れる谷を軍場谷と言う様になった。ようやく生き残った人々が晩越峠(おそごえだお)に辿りついたときはもう日が暮れようとしていた。晩越峠は晩く越したのでこう呼ぶ様になったが、追っ手に追われて辿り着いたのは暮れ方で、峠の上へあがって遙か川下を見るとびっくりした。川下には源氏の白旗が幾筋も風にはためいている。せっかくここまで落ち延びてきたのに行く手には既に敵の手がまわったのか、われわれの運命も最早これまでだと天を仰いで嘆息したが、よくよく見ると白旗と思ったのは白い鷺(さぎ)で、何十羽とも知れぬ鷺が頭の上をかすめて、峠を越えようとして飛んできた。それが分かるとほっとするとともに、鷺に驚かされて肝をつぶした憤りが一時に爆発して、おのれ鳥畜生の分際で、畏れ多くも主上のおん頭の上を通るとは何事か。未来永劫この峠を越すことはならぬと叱ると、鷺は引き返して川の上を廻っていった。ここは低い峠で越えればほんのわずかであるが、川は突き出た山裾を三キロばかりも廻っている。それから鷺は決して峠を越えず、川の上を廻っていくので、ここを鷺が廻りと呼ぶ様になった。

◆モチーフ分析

・屋島や壇ノ浦の戦いで敗れた平家の一門の人々が安徳天皇を奉じて吉賀川沿いに落ち延びてきた
・柿木まで辿り着いてほっとしたところを追手に夜討ちされ、おおかた討たれてしまった。それでそこを夜討原と言う様になった
・生き残った人々は天皇を守りながら馬を走らせて道ばたの垣に左の鐙が引っかかって落ちたが、それを拾う暇もなく通り過ぎたので左鐙と呼ぶようになった
・長い戦いで落人になって破れた馬の沓を畳で打ち替えたので沓打場と言う様になった
・追手が落人のことを尋ねたが、村人は落人に同情して、そんなものは見んと言ったので民ヶ谷と言う様になった
・追手の手が緩んだ間に一同が集まって評定したところを集義と言う様になった
・天皇を吉賀川のほとりにある畳石でお休め申し上げ、馬は川向こうの岩の穴に入れて夜を明かした。それで岩の壇を御殿岩または一夜城と呼ぶようになり、岩穴は馬の駄屋と言う様になった
・畳石には大小のくぼみがあるが、これを馬のたらいとか馬の足跡という
・民家で野風呂をたてていたので頼んで天皇を入れたところを風呂ガ原という
・畳石の奥で激しい戦いになったので、そこを軍場と言い、そこから流れる谷を軍場谷と言う様になった
・生き残った人々が晩越峠に辿りついたときは日が暮れようとしていた。遅く越したので晩越峠と呼ぶ様になった
・峠を上がって川下を見ると、源氏の白旗が風にはためいていてびっくりした
・最早これまでと嘆息したが、よく見ると白い鷺で何十羽もの鷺が頭上を越え峠を越えようと飛んできた
・ほっとしたら、鷺に肝をつぶされたことに憤って、主上の上を通るとは何事か、未来永劫この峠を越すことはならぬと叱った
・鷺は引き返して川の上を廻っていった
・低い峠だが、鷺はそれから決して峠を越えず、川の上を廻っていく様になった。そこでここを鷺が廻りと呼ぶ様になった

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:平家一門(落人、生存者)
S2:安徳天皇(天皇)
S3:追手
S4:村人

O(オブジェクト:対象)
O1:屋島
O2:壇ノ浦
O3:吉賀川
O4:柿木
O5:夜討原
O6:馬
O7:鐙
O8:垣
O9:左鐙
O10:沓
O11:沓打場
O12:民ヶ谷
O13:評定
O14:集義
O15:畳石(御殿岩)
O16:岩穴(馬の駄屋)
O17:くぼみ(馬のたらい)
O18:風呂
O19:風呂ガ原
O20:軍場
O21:谷
O22:軍馬谷
O23:峠(晩越峠)
O24:川下
O25:白旗(白鷺)
O26:川の上(鷺が廻り)

m(修飾語)
m1:敗走した
m2:討ち死にした
m3:疾駆した
m4:打ち替えた
m5:同情した
m6:緩んだ
m7:休んだ
m8:日が暮れた
m9:驚愕した
m10:覚悟した
m11:安心した
m12:憤った
m13:不敬である
m14:低い

X1:人々
X2:ある土地

T:時

+:接
-:離

・屋島や壇ノ浦の戦いで敗れた平家の一門の人々が安徳天皇を奉じて吉賀川沿いに落ち延びてきた
(敗走)S1平家一門:S1落人+m1敗走した
(同道)S1落人:S1落人+S2安徳天皇
(落ち延びる)S1落人:S1落人+O3吉賀川
・柿木まで辿り着いてほっとしたところを追手に夜討ちされ、おおかた討たれてしまった。それでそこを夜討原と言う様になった
(到着)S1落人:S1落人+O4柿木
(夜討)S3追手:S3追手+S1落人
(掃討)S3追手:S1落人+m2討ち死にした
(地名由来)X2:X2+O5夜討原
・生き残った人々は天皇を守りながら馬を走らせて道ばたの垣に左の鐙が引っかかって落ちたが、それを拾う暇もなく通り過ぎたので左鐙と呼ぶようになった
(守護)S1生存者:S1生存者+S2天皇
(疾駆)S1落人:O6馬+m3疾駆した
(引っかかる)O7鐙:O7鐙+O8垣
(放置)S1落人:O6馬-O7鐙
(地名由来)X2:X2+O9左鐙
・長い戦いで落人になって破れた馬の沓を畳で打ち替えたので沓打場と言う様になった
(交換)S1落人:O10沓+m4打ち替えた
(地名由来)X2:X2+O11沓打場
・追手が落人のことを尋ねたが、村人は落人に同情して、そんなものは見んと言ったので民ヶ谷と言う様になった
(尋問)S3追手:S3追手+S4村人
(同情)S4村人:S1落人+m5同情した
(虚言)S4村人:S1落人-S3追手
(地名由来)X2:X2+O12民ヶ谷
・追手の手が緩んだ間に一同が集まって評定したところを集義と言う様になった
(追走が緩む)S3追手:S3追手+m6緩んだ
(評定)S1落人:S1落人+O13評定
(地名由来)X2:X2+O14集義
・天皇を吉賀川のほとりにある畳石でお休め申し上げ、馬は川向こうの岩の穴に入れて夜を明かした。それで岩の壇を御殿岩または一夜城と呼ぶようになり、岩穴は馬の駄屋と言う様になった
(存在)O3吉賀川:O3吉賀川+O15畳石
(休息)S1落人:S2天皇+O15畳石
(休息)S1落人:S2天皇+m7休んだ
(秘匿)S1落人:O6馬+O16岩穴
(地名由来)X1:O15畳石+O15御殿岩
(地名由来)X1:O16岩穴+O16馬の駄屋
・畳石には大小のくぼみがあるが、これを馬のたらいとか馬の足跡という
(存在)O15畳石:O15畳石+O17くぼみ
(地名由来)X1:O17くぼみ+O17馬のたらい
・民家で野風呂をたてていたので頼んで天皇を入れたところを風呂ガ原という
(依頼)S1落人:S4村人+O18風呂
(入浴)S1落人:S2天皇+O18風呂
(地名由来)X2:X2+O19風呂ガ原
・畳石の奥で激しい戦いになったので、そこを軍場と言い、そこから流れる谷を軍場谷と言う様になった
(戦闘)S1落人:S1落人+S3追手
(地名由来)X1:O15畳石+O20軍場
(地名由来)X1:O21谷+O22軍場谷
・生き残った人々が晩越峠に辿りついたときは日が暮れようとしていた。遅く越したので晩越峠と呼ぶ様になった
(到達)S1生存者:S1生存者+O23峠
(日没)T:T+m8日が暮れた
(地名由来)X1:O23峠+O23晩越峠
・峠を上がって川下を見ると、源氏の白旗が風にはためいていてびっくりした
(目撃)S1落人:O24川下+O25白旗
(驚愕)S1落人:S1落人+m9驚愕した
・最早これまでと嘆息したが、よく見ると白い鷺で何十羽もの鷺が頭上を越え峠を越えようと飛んできた
(覚悟)S1落人:S1落人+m10覚悟した
(誤認)S1落人:O25白鷺+O25白旗
(峠超え)O25白鷺:O25白鷺+O23峠
・ほっとしたら、鷺に肝をつぶされたことに憤って、主上の上を通るとは何事か、未来永劫この峠を越すことはならぬと叱った
(安堵)S1落人:S1落人+m11安心した
(憤り)S1落人:O25白鷺+m12憤った
(指摘)S1落人:O25白鷺+m13不敬である
(禁止)S1落人:O25白鷺-O23峠
・鷺は引き返して川の上を廻っていった
(回避)O25白鷺:O25白鷺-O23峠
(迂回)O25白鷺:O25白鷺+O26川の上
・低い峠だが、鷺はそれから決して峠を越えず、川の上を廻っていく様になった。そこでここを鷺が廻りと呼ぶ様になった
(状態)O23晩越峠:O23峠+m14低い
(習慣)O25白鷺:O25白鷺+O26川の上
(地名由来)X1:O26川の上+O26鷺が廻り

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

   聴き手(落人となった平家一門はどうなるか)
           ↓
送り手(落人)→天皇を奉じて落ち延びる(客体)→ 受け手(天皇)
           ↑
補助者(なし)→ 平家の落人(主体)←反対者(追手)

   聴き手(落人たちは追手から逃れられるか)
           ↓
送り手(追手)→追撃から逃れる(客体)→ 受け手(落人)
           ↑
補助者(なし)→ 落人(主体)←反対者(追手)

   聴き手(村人たちの助けで落人たちは逃れられるか)
           ↓
送り手(村人)→虚言で落人たちに時間的猶予を与える(客体)→ 受け手(追手)
           ↑
補助者(なし)→ 村人(主体)←反対者(追手)

   聴き手(落人たちは遂に追い詰められてしまったのか)
           ↓
送り手(白鷺)→源氏の白旗と誤認させる(客体)→ 受け手(落人)
           ↑
補助者(なし)→ 落人(主体)←反対者(追手)

   聴き手(ヒトの命令を白鷺たちはどう受け止めるか)
           ↓
送り手(落人)→不敬として峠越えを禁じる(客体)→ 受け手(白鷺)
           ↑
補助者(なし)→ 落人(主体)←反対者(追手)


といった行為項モデルが作成できるでしょうか。壇ノ浦の戦いで敗れ平家一門は滅亡しますが、残党が石見地方西部に落ち延びてきます。安徳天皇を奉じた一同は追手の夜討で数を減らしながらも、村人の協力もあって晩超峠まで到達します。ところが、峠の頂上で白鷺の一群を源氏の白旗と見間違えてしまい驚愕します。誤認と気づいた落人たちは怒り、天皇の頭上を飛び越えるのは不敬であるとして、白鷺が峠を越えて飛ぶことを禁じます。それから白鷺たちは峠を迂回して吉賀川の上を飛ぶようになったという筋立てです。

 落人―天皇、落人―追手、追手―村人、落人―白鷺、といった対立軸が見受けられます。白鷺/白旗の図式に追撃されて追い詰められて心の余裕を失った平家の落人たちの焦りが暗喩されています。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

落人♌♁♎―天皇☉♁―追手♂―白鷺♂―村人☾(♌)

 といった風に表記できるでしょうか。天皇の生き残りを価値☉と置くと天皇自身も享受者♁と置けるでしょうか。平家の落人も享受者♁となります。追手は対立者♂と置けます。源氏の白旗と誤認することになる白鷺も対立者♂と置けるでしょう。村人は落人の逃走を手助けしますので援助者☾と置けます。白鷺を源氏の白旗と誤認した平家の落人は白鷺に峠超えをすることを禁止し、白鷺もそれに従いますので、ここでは審判者♎とも置けるでしょうか。

◆物語の焦点と発想の飛躍

 グレマスの行為項モデルに「聴き手の関心」という項目を付け加えた訳ですが、これは「物語の焦点」とも置き換えられます。ここで、昔話の肝を「物語の焦点」に如何に「発想の飛躍」をぶつけるかと考えます。

 この物語の焦点は「平家の落人たちは追手の追撃から逃れられるか」でしょうか。それに対する発想の飛躍は「白鷺を源氏の旗と見間違える」「白鷺は落人の禁止に従う」でしょうか。「落人―白旗/白鷺―追手」「落人―峠/禁止―白鷺」といった図式です。

◆昔話の創発モデル

 下記のように「物語の焦点」に「発想の飛躍」をぶつける構図をモデル化して「創発モデル」と名づけてみました。発想の飛躍は論理の飛躍であり、それは思考のショートカットでもあります。潜在意識化での(本来無関係な)概念と概念との不意の結びつきが発想の飛躍をもたらし、それが創作活動における大きなベクトルとなると考えたものです。


物語の焦点:平家の落人たちは追手の追撃から逃れられるか
        ↑
発想の飛躍:白鷺を源氏の旗と見間違える
      白鷺は落人の禁止に従う

・落人/天皇―吉賀川―追手
       ↑
・落人―旗/白/鷺―追手
・天皇/落人―峠/禁止―白鷺

◆飛躍した連想

 発想の飛躍を「常識離れした連想」と仮定しますと、上述した図式の/(スラッシュ)の箇所に特にその意図的に飛躍させた概念の操作が見出せそうです。

 呪術的思考に典型的に見られますが、ヒトは本来は繋がりのない切り離されたモノの間にも繋がりを見出すことがあります。それは情報処理におけるエラーです。ですが、科学万能の時代においてもエラーであるはずの呪術的思考が完全には消え去ることがないのは、それが人間特有の思考の働きにおける様式の一部であるからかもしれません。意図的にエラーを起こすとでも言えるでしょうか。

 「晩越峠」では白鷺の一群を源氏の白旗と誤認してしまいます。それは追撃から必死に逃れてきたが、遂に敵の大軍に取り囲まれてしまったかという焦りの心境から生じたものです。「白」という概念を介することで「鷺」と「旗」という本来繋がりのない概念が結びついてしまうのです。「鷺―白―旗―源氏―敵」の図式です。見間違えるはずのないものを「白繋がり」で焦りから見間違えてしまうという展開が面白さを生みだします。

 また、落人の命令は即ち天皇の勅命であり、それを畜生である白鷺も受け入れたという展開も意外性のある展開です。人語を解することのない鳥類だが天皇の勅命だけは絶対で従属させた、つまり「勅命」という概念に含まれる「絶対」という概念が人語を解する能力のない鳥類に「従属」という概念を結びつけるのです。「命令―天皇―勅命―絶対―従属―鳥類―鷺」という図式です。そういう点で常識外れの、いわば昔話ならではの展開となっています。

 つまり、「鷺―白―旗―源氏―敵」「命令―天皇―勅命―絶対―従属―畜生―鷺」という連想を一瞬で行っていることになります。本来であればこれだけの過程を経ている訳ですが、その過程をすっ飛ばして一瞬で概念の操作が行われている訳ですから「飛躍」となるのです。

 以上のように、本文には現れない概念も重要な要素となっています。形態素解析で抽出したキーワードだけでは解釈を十全に行うことは難しいものと考えられます。連想概念辞書も取り込んだ上で分析する方向に機能改善することが望まれると考えられます。

◆ログライン≒モチーフ

 ログラインとはハリウッドの脚本術で用いられる概念で、物語を二~三行程度で要約したものです。このログラインの時点で作品の良しあしが判別できるといいます。

 「晩越峠」ですと「平家の落人たちにまつわるエピソードが吉賀川流域の地名の由来となった」くらいでしょうか。

◆余談

 平家の落人にまつわる石西地方の地名説話です。ここでは安徳天皇を奉じてとありますが、天皇は壇ノ浦で入水しています。他の貴人の話が転化したものかもしれません。

 地名説話が延々と続くので、行為項分析が手間でした。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.359-360.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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