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2024年5月31日 (金)

文化資本の実践例――広島の文化的催しをしゃぶり尽くす

今頃になって「文化資本」という言葉があることを知る。本来は個人の学歴や教養を指すようだが、Xでは美術館や博物館といった文化的インフラというニュアンスで語られているようだ。

酒井小言「音楽、映画、美術、舞台、食事、文学、観光についての体験感想文集」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888469610

僕が知っている実践例として上記のエッセイがある。広島市在住の著者(※元は都民らしい)が主に広島市の文化について克明に綴ったもの。「広島は実はこんな文化的な街だったのか」と思うほど、広島市の文化的施設、催しをしゃぶり尽くしている。

かなり幅広い教養の持ち主で、執筆にはかなり手間がかかるはずだが、ほぼ毎日更新している驚異的な人。著者さんのバックボーンについては僕が読んだ範囲では文中で明らかにされていないので、どのようにして身につけたかは不明。

既に3000話近くある。ガラホで読んでいたのだけど、あるとき履歴が消えてどこまで読んだか分からなくなってしまった。幸い、システムには履歴が残っていたので再読は可能だが、もう追いつけないくらいに進んでいる。

……と書いていて、ふと第一話を読んでみたら、履歴が上書きされてしまった。本当にどこまで読んだか分からなくなってしまった。こういう失敗をときどきやらかす。

 

これだけのインプットとアウトプットを日々継続しているのだから、他に割ける時間は限られてくると思う。たとえば、気づいた限りではテレビドラマに関する記述はない。また、他の作品を読んだところ、純文学というか文芸志向が強くサブカル的なジャンルには興味がないようだ。

純文学に関しては大手出版社は小説投稿サイトから作品を発掘することをしていない。僕は純文学系のコンクールに投稿したことがないので実情はよく知らないが、今でも編集者の目利きによって作品を選んでいるはずである。

カクヨムのような小説投稿サイトは基本的には娯楽小説を投稿するためのサイトなのである。なぜ発表媒体として小説投稿サイトを選んだのかという問題もある。別にブログでもよかったはずなのである。

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