『石見の民話』分析二周目、石東編まで終わる
未来社『石見の民話』の分析二周目、石東編まで終わった。グレマスの行為項分析とスーリオの関係分析に慣れるために行っている、そしてそれらの分析手法が昔話で適用可能か検証しているという流れ。大体の感じは把握できたのではないかと思う。
検証しているというのは、グレマスはプロップの昔話の形態学に影響を受けているからである。プロップが分析したのはあくまで「ロシアの」「魔法昔話」についてである。要するに冒険譚についてのものなのである。
昔話には冒険譚の他、滑稽譚やナンセンスなものも含まれる。そういったものにも適用可能か、『石見の民話』は幸い幅広いタイプの昔話/伝説が多数収録されているのでちょうどいいと思ったのである。
一周目であらすじは既に起こしているのでさほど苦痛には感じない。昔話の分析で最も負荷がかかるのはあらすじに起こすところである。
グレマスの行為項分析に関しては、グレマス自身の著作は難解でよく分からず、手法は高田本に頼ることとなった。他、行為項モデルについては、見目宗弘「ごんは、なぜ、土間に栗を置いたのか? ―グレマス「行為項モデル」に基づく『ごんぎつね』の解釈―」という論文も参照している。
「浮布の池」を分析したところで聴き手の関心(物語の焦点は何か)という独自の項目を付け加えた。行為項モデルの客体欄に書いてもいいのかもしれないが、別にした方が分かりやすいかなと考えてのことである。
また、石東編ではないが「えんこうの一文銭」をふと思い出したのも利いている。この話は本来は補助者である猫が途中から主役に入れ替わってしまう。そういう点で単一のモデルのみで説明できない事例である。
ネットを適当に検索した印象で言うと、グレマスの行為項分析とスーリオの関係分析はあまり普及していないようだ。というのは、おそらく分析を実施した論文を読んでも記号の羅列で何が書かれているか書いた本人以外分からないからだ。占星術記号で登場人物の役割を表記するというのは慧眼だと思うのだが。
昔話の研究では取り入れられておらず、昔話研究者は従来通りのモチーフ分析を行っているようにも見える。これは行為項分析や関係分析だと情報を落とし過ぎてしまう結果になってしまうからではないか。
物語を要素に還元して骨格を明らかにするという手法は、一見複雑に見える物語も骨格を取り出すと案外シンプルな構造となっているということなのだけど、そうするとそこから漏れ出てしまう作品の魅力がどうしても出てきてしまうのだ。
昔話のモチーフ分析は元々、類話を比較して共通点、差異からその話の源流を探る試みなので、情報を落とし過ぎると意味がなくなってしまうのだ。
物語の要素をこれ以上細かく分解することは難しいと思う。なので、物語構造分析の手法は約60年前には確立されていて、それから後はあまり進展が見られないという風に受け取れる。
これから先は計量文献学といった理系の研究手法などが脚光を浴びていくかもしれない。テクスト分析については未確認。
高田本では物語構造分析について他の本/著者も挙げられていたのだけど、それらの本を読んだ印象では(※まだ読了していない本もある)それらは小説や戯曲向けかなという印象である。
レヴィ=ストロースの『アスディワル武勲詩』も読んだが、彼の神話分析は類話を収集して比較する手法なので今回は割愛した。
問題はトータルで何文字くらいになるかである。前巻を超えるのは間違いない。電子書籍は何ページになろうと無問題だが、ペーパーバックだとかなり分厚くなってしまう。仕様上640ページまで大丈夫らしいので上下巻に分ければ大丈夫だとは思うが。
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