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2024年3月

2024年3月31日 (日)

理解できないのは書いてあることが間違っているからという可能性もある

「神楽と文芸(総論)」だと思うが、八藤後先生曰く分からないとのこと。専門が違うと書き手が当然のごとくに使用している用語が伝わらないということだと思う。だが、分からないにはもう一つの可能性があって、それは書いてあることが間違っているから分からないということもあり得る。

僕は高校生のときに強いストレスがかかったことがあり、それ以降、脳内のロジック回路に変調をきたしたと感じている。僕の書くものに癖があるのはそのためである。自分でも変だなと思うけど自分では直せないのだ。

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下北沢を偵察

午前中、南浦和の会合に出席、その帰りに下北沢に寄ってみる。下北沢は学生のとき以来。あのときは広島風お好み焼きを食べたのだったか。駅から出て商店街を適当に歩いてみたが小劇場が集まっている一画らしきものは見つからなかった。本多劇場は分かったが。覗いてみようとしたら次の公演を待っているらしき人たちが並んでいて係員の人も傍で待機していたのでチケット売り場を覗いてみようとはできなかった。日曜の昼にも公演していることは分かった。駅前劇場も同様。交番で訊いてみればよかったか。駅前にも案内所はあったのだが。日曜の都内は横浜市内よりも混雑していた。

下北沢・本多劇場
下北沢・商店街

帰ってネットで検索する。駅前劇場なら当日券もあって価格もそこまで高くない。平日は夜7時、日曜は昼14時の上演開始となるようだ。

パナソニックTX1で撮影。

<追記>
島村抱月は旧那賀郡の出身で、小山内薫は県外の人だが森鴎外と関係があったので近代演劇に貢献した人たちには石見人の関与があったと言えなくもない

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2024年3月30日 (土)

行為項分析――しの田の森の白狐

◆あらすじ

 昔、炭焼きがいた。女房もおらず貧乏をしていた。ある日いつものように炭焼きをしていると、やせた狐がやってきたので炭焼きはむすび飯の残りを与えた。それから四五日経って、美しい女房がやってきて嫁にして欲しいと頼んだ。炭焼きは貧乏だからと断ったが、女房が頼み込んだので嫁にした。女房はよく働き反物も織ったので暮らしも楽になり男児が生まれた。

 男児が三歳になったある日、母親が昼寝をしているのを見ると、着物の裾から尻尾が覗いていた。母親は誤魔化した。びっくりした男児は父親にそのことを話した。母親は書き置きを残して逃げた。父親は書き置きを読んでびっくりして子供を連れてしの田の森へいった。書き置きにあった歌の返歌を読む。すると母狐の親の婆さんが出てきた。婆さん狐は人間の孫はお前一人だけだと懐かしがる。爺さん狐も母狐も出てきた。

 孫に何かやりたいと婆さん狐が言ったので母狐が知恵と言えと子供に教えた。それで爺さん狐は耳とくをくれた。耳にかけると鳥や獣の言葉が分かる、三里先のことでも聞こえる便利なものだった。

 子供はその耳とくを得たので世の中のことが何でも分かる様になると評判となった。

 ある時天子が病気になったとき、この子供を召して病気を治させた。子供は大層なご褒美を得た。

◆モチーフ分析

・昔、炭焼きがいた。独身で貧乏だった
・いつものように炭焼きをしていると、やせた狐が寄ってきた
・狐にむすび飯の残りをやる。狐、喜んで去る
・四五日後、女房がやってきて嫁にして欲しいと頼む
・炭焼き、一旦は断るが、断りきれず嫁にする
・女房は働き者で反物を織った
・暮らしも楽になる
・男児が生まれた
・三歳になった子供がある日、昼寝していた母の尻尾を見てしまう
・母親、誤魔化す
・子供、そのことを炭焼きに話す
・母親、書き置きを残してしの田の森に逃げる
・炭焼き、子供を連れてしの田の森へ行く
・炭焼き、書き置きにあった歌の返歌を読む
・婆さん狐が出てくる。婆さん、人間の孫はお前だけだと懐かしがる
・爺さん狐、母狐も出てくる
・婆さん狐、孫に何かやりたいと言う
・母狐、子供に知恵と言えと教える
・子供、知恵が欲しいと答える
・子供、耳とくを得る
・耳とくを使うと動物の言葉が分かるようになった
・子供、世の中のことが何でも分かる様になり評判となる
・病気となった天子が子供を召した
・子供は耳とくを使って天子の病気を治した
・子供、褒美を得た

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:炭焼き
S2:狐
S3:女房
S4:男児
S5:婆さん狐
S6:天子

O(オブジェクト:対象)
O1:むすび飯
O2:機
O3:尻尾
O4:歌
O5:しの田の森
O6:知恵
O7:耳とく
O8:動物の言葉
O9:褒美

m(修飾語)
m1:貧乏
m2:暮らし向きが楽
m3:世間の評判

+:接
-:離

・昔、炭焼きがいた。独身で貧乏だった
(存在)S1炭焼き:S1炭焼き+m1貧乏
・いつものように炭焼きをしていると、やせた狐が寄ってきた
(遭遇)S1炭焼き:S1炭焼き+S2狐
・狐にむすび飯の残りをやる。狐、喜んで去る
(施し)S1炭焼き:S2狐+O1むすび飯
・四五日後、女房がやってきて嫁にして欲しいと頼む
(来訪)S3女房:S3女房+S1炭焼き
・炭焼き、一旦は断るが、断りきれず嫁にする
(結婚)S1炭焼き:S1炭焼き+S3女房
・女房は働き者で反物を織った
(勤勉)S3女房:S3女房+S1炭焼き
・暮らしも楽になる
(生活向上)S1炭焼き:S1炭焼き+m2暮らし向きが楽
・男児が生まれた
(誕生)S3女房:S1炭焼き+S4男児
・三歳になった子供がある日、昼寝していた母の尻尾を見てしまう
(黙劇)S4男児:S3女房+O3尻尾
・母親、誤魔化す
(誤魔化し)S3女房:S3女房-S4男児
・子供、そのことを炭焼きに話す
(露見)S4男児:S4男児+S1炭焼き
・母親、書き置きを残してしの田の森に逃げる
(逃走)S3女房:S3女房-O5しの田の森
・炭焼き、子供を連れてしの田の森へ行く
(訪問)S1炭焼き:S4男児+O5しの田の森
・炭焼き、書き置きにあった歌の返歌を読む
(返歌)S1炭焼き:S1炭焼き+O4歌
・婆さん狐が出てくる
(登場)S5婆さん狐:S5婆さん狐+S1炭焼き
・婆さん、人間の孫はお前だけだと懐かしがる
(述懐)S5婆さん狐:S5婆さん狐+S4男児
・爺さん狐、母狐も出てくる
(出現)S2狐:S2狐+S1炭焼き
・婆さん狐、孫に何かやりたいと言う
(願望)S5婆さん狐:S5婆さん狐+S4男児
・母狐、子供に知恵と言えと教える
(教示)S2狐:S2狐+S4男児
・子供、知恵が欲しいと答える
(回答)S4男児:S4男児+O6知恵
・子供、耳とくを得る
(獲得)S5婆さん狐:S4男児+O7耳とく
・耳とくを使うと動物の言葉が分かるようになった
(能力)S4男児:S4男児+O8動物の言葉
・子供、世の中のことが何でも分かる様になり評判となる
(評判)S4男児:S4男児+m3世間の評判
・病気となった天子が子供を召した
(招集)S6天子:S6天子+S4男児
・子供は耳とくを使って天子の病気を治した
(治癒)S4男児:S6天子+O7耳とく
・子供、褒美を得た
(獲得)S6天子:S4男児+O9褒美

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

    聴き手(炭焼きは女房に再会できるか)
           ↓
送り手(炭焼き)→ 返歌(客体)→受け手(母狐)
           ↑
補助者(なし)→ 炭焼き(主体)← 反対者(なし)

    聴き手(男児は母狐に再会できるか)
           ↓
送り手(婆さん狐)→ 耳とく(客体)→受け手(男児)
           ↑
補助者(炭焼き)→ 母狐(主体)← 反対者(なし)

といった二つの行為項モデルが作成できるでしょうか。母狐は尻尾を見られてしまったことで正体が露見し歌を残して逃げてしまいます。炭焼きは返歌することで母狐との再会を果たします。同時に男児も母狐と再会を果たします。男児は母狐の入れ知恵によって婆さん狐から知恵の元となる耳とくを得るといった内容です。これは遺産の贈与とも解釈できます。

 炭焼き―狐、狐―女房、歌―返歌、婆さん狐―男児、知恵―耳とくといった対立軸が見出せます。遺産/知恵という暗喩が同定できます。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

1. 炭焼き♌♁―母狐☾(♌)―男児☉♎
2. 男児♌♁―母狐☾(♁)―婆さん狐☉♎

といった風に表記できるでしょうか。男児は母狐の正体を見破ってしまいますので審判者♎としました。男児は耳とくを得ることで知恵を身につけます。それは価値☉となり、父親である炭焼きにも返ってきます。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は狐の女房と結婚するところと男児が知恵を得るところでしょうか。「炭焼き―狐―女房」「男児―知恵―耳とく」という図式です。むすび飯を与えたところが巡り巡って男児の誕生、そして耳とくを得るという点では「むすび飯―男児―耳とく」の図式でもあるでしょうか。

 異類婚姻譚ですが禁忌を破ることによってではなく、うっかりしたところを見られてしまうといった筋立てになっています。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.55-57.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年3月29日 (金)

行為項分析――炭焼き長者

◆あらすじ

 昔、分限者の酒屋があった。娘がいたが大層な酒好きで朝から酒ばかり飲んでいた。旦那は色々言って聞かせたが一向に効き目がない。とうとう娘に大判小判を持たせて追い出してしまった。

 追い出された娘は江戸へ上り、日本橋でぶらぶらしていると易者に呼び止められた。娘の手相と人相をみた易者は娘の縁談は佐渡の国の何村の何兵衛に決まっているから訪ねるよう勧めた。

 娘は喜んで佐渡へ渡った。何日も探してようやく炭焼きのことだと分かった。炭焼きの家へ行って一晩泊めて欲しいと頼むと、あなたの様な人をこんな家には泊められないと断られた。無理に頼むとようやく泊めてくれた。

 夜が明けても米がないので娘は炭焼きに大判を一枚渡し、これで米を買ってくるように言い付けた。ところが炭焼きは途中でサギに大判を投げてしまった。もう一度渡すと今度は犬に投げて帰ってきた。あれは大判といって米でも何でも買えるのだと説明すると、炭焼きはあんなものは幾らでもあると答えた。行ってみると本当に黄金がごろごろ転がっていた。炭焼きもこれが黄金だと理解し、それから黄金を掘り出して大金持ちになって娘と夫婦になって楽しく暮らした。

◆モチーフ分析

・昔、分限者がいた。大酒飲みの娘がいた
・分限者、娘を諭すが効き目がない。娘に金をやって放逐する
・娘、江戸へ上る
・日本橋で易者と出会う。手相と人相を占った結果、佐渡に婿がいると予言される
・娘、佐渡へ渡る。あちこち探しまわって炭焼き小屋に辿り着く
・娘、炭焼きに一夜の宿を頼む。炭焼き、初めは拒否していたが、止むなく迎える
・朝、朝食の米がない。娘、炭焼きに大判を渡して買い物にいかせる
・炭焼き、サギに大判を投げてもどってくる
・娘、再び大判を渡す
・炭焼き、今度は犬に大判を投げて帰ってくる
・娘、炭焼きに大判の価値を説明する
・炭焼き、そんなものは裏にあると答える
・果たして黄金があった
・黄金を掘り出した炭焼きは金持ちとなり、娘と夫婦になった

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:分限者
S2:娘
S3:易者
S4:炭焼き

O(オブジェクト:対象)
O1:酒
O2:大判小判
O3:江戸
O4:佐渡
O5:米
O6:サギ
O7:犬
O8:黄金

+:接
-:離

・昔、分限者に娘がいた
(存在)S1分限者:S1分限者+S2娘
・娘は大酒飲みだった
(存在)S2娘:S2娘+O1酒
・分限者、娘を諭すが効き目がない。娘に金をやって放逐する
(放逐)S1分限者:S1分限者-S2娘
・娘、江戸へ上る
(上京)S2娘:S2娘+O3江戸
・日本橋で易者と出会う
(遭遇)S2娘:S2娘+S3易者
・手相と人相を占った結果、佐渡に婿がいると予言される
(占い)S3易者:S2娘+O4佐渡
・娘、佐渡へ渡る
(渡海)S2娘:S2娘+O4佐渡
・あちこち探しまわって炭焼き小屋に辿り着く
(到着)S2娘:S2娘+S4炭焼き
・娘、炭焼きに一夜の宿を頼む
(要求)S2娘:S2娘+S4炭焼き
・炭焼き、初めは拒否していたが、止むなく迎える
(承諾)S4炭焼き:S4炭焼き+S2娘
・朝、朝食の米がない
(不足)S4炭焼き:S4炭焼き-O5米
・娘、炭焼きに大判を渡して買い物にいかせる
(使い)S2娘:S4炭焼き+O2大判小判
・炭焼き、サギに大判を投げてもどってくる
(放擲)S4炭焼き:O6サギ-O2大判小判
・娘、再び大判を渡す
(使い)S2娘:S4炭焼き+O2大判小判
・炭焼き、今度は犬に大判を投げて帰ってくる
(放擲)S4炭焼き:O7犬-O2大判小判
・娘、炭焼きに大判の価値を説明する
(説明)S2娘:S4炭焼き+O2大判小判
・炭焼き、そんなものは裏にあると答える
(否定)S4炭焼き:S4炭焼き-O2大判小判
・果たして黄金があった
(発見)S2娘:S4炭焼き+O8黄金
・黄金を掘り出した炭焼きは金持ちとなった
(発掘)S4炭焼き:S4炭焼き+O8黄金
・炭焼きは娘と夫婦になった
(結婚)S4炭焼き:S4炭焼き+S2娘

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

    聴き手(娘と炭焼きは結ばれるか)
           ↓
送り手(娘)→ 大判小判(客体)→受け手(炭焼き)
           ↑
補助者(易者)→ 娘(主体)← 反対者(分限者)

といった行為項モデルが作成できるでしょうか。娘は分限者に放逐されるものの易者の勧めで佐渡に渡り炭焼きに会います。娘は炭焼きが大判小判の価値を認識していないことを知りますが、それは裏山に金山があったからと判明します。娘は放逐された先で結婚し幸せを得ます。

 娘―分限者、娘―易者、娘―炭焼き、炭―黄金といった対立軸が見出せます。炭/黄金という暗喩が同定できます。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

娘♌♎―炭焼き♁―易者☾(♌)―分限者♂

といった風に表記できるでしょうか。分限者を対立者♂としました。通常は主人公と対立者の関係が物語の軸となりますが、ここでは単に追放し物語のきっかけを作るだけです。価値☉は黄金となりますので登場人物としては表記されません。裏山に金山を知らずに有している炭焼きが価値の潜在的獲得者♁となり、娘はそのことを見抜く審判者♎となります。

◆発想の飛躍

 炭焼きが黄金の価値を認識していないことが発想の飛躍でしょうか。価値を認識していないから炭焼きで生計を立てている訳です。「炭―黄金」「佐渡―黄金」といった図式となります。佐渡金山の由来譚ともなっています。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.52-54.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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ようやく純文学に手を出す

村上春樹『ノルウェイの森』を買う。この期に及んでようやく純文学に手を出す。他、菊池良『芥川賞ぜんぶ読む』小谷野敦『芥川賞の偏差値』を買う。これらは通読するつもりはなくて単に受賞作のリストとして買ったもの。Amazonで「芥川賞」と検索してもまともにヒットしないから。

若い頃から芥川賞くらいは読んでおかねばとは思っていたのだが、読まないまま年を取ってしまった。とにかく知識が足りないと思っていたのでフィクションよりノンフィクションを優先していたから。それと、他人の不幸にまで興味はないというのも本音である。

小谷野敦『芥川賞の偏差値』、田辺聖子の項を読んだら評価が低かった。自分には理解できないと。僕自身、受賞作は読んでいないが、確か直木賞の話もあったとかで芥川賞的作品ではなかったのかもしれない。おせいさんの面白さは関西人特有のユーモアだと思う。短編だが「ジョゼと虎と魚たち」は実写およびアニメ映画化されそれぞれにファンがついている。

『ノルウェイの森』をちょっと読んでみるが、感傷的な描写には特に感情移入できない。やはり自分はフィクションには向いていないのかもしれない。

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2024年3月28日 (木)

行為項分析――どぶの主

◆あらすじ

 昔ある村に長い間住職のいない荒寺があった。あるとき一人の侍がこの村を通りかかって、茶店の主人にあの荒寺はどういう訳であんなに荒れているのか尋ねた。すると主人はあの寺には夜になると化物が出るので誰も住む者がいない。それで荒れているのだと答えた。それを聞いた侍はそれでは自分が退治してやろうと言った。主人が無事に帰った者はいないと引き留めたが侍は荒寺へ入っていった。

 侍が本堂に上がってみると、足の踏み場もないほど荒れていた。真夜中になると、何ともいえぬ鬼気が迫ってきた。そのうちに激しい邪気を催してきた。侍は眠気をこらえてじっと見張っていると、何ともつかぬさまざまな形をした化物がぞろぞろと現れた。

 侍は出てくる化物をかたっぱしから斬った。が、化物は後から後から出てくる。そのうちに化物がお待ちくださいと言った。侍が刀を引くと、化物は訳を話しだした。この寺の住職と家内が物を粗末にし、茶碗や皿、箸、しゃもじその他の道具や品物を少し使ってはどぶに流し込んだ。我々はどぶに流されたので、きたない泥水の中で長い間苦しんでいる。それを知ってもらうために変化になったのだが、誰もすぐ逃げ出してしまい、話を聞いてくれるものがいないと。

 侍が承知すると化物たちはすっと消えてしまった。夜が明けると侍はお寺の裏に出てみた。裏には台所から流しの水の出るところに小さなどぶ池があって、ぶつぶつと泡だって嫌な臭いがする。ここだと思って棒きれでまぜ返すと、椀や杓子などが沢山でてきた。侍は人々に訳を話し、どぶ池をさらって埋まっている道具類を引き上げて焼き捨てた。それから化物は出なくなった。

◆モチーフ分析

・昔ある村に住職のいない荒寺があった
・一人の侍が村を通りかかり、荒寺の訳を聞く
・化物が出る戸知った侍は自分が退治すると乗り出す
・村人の制止にも関わらず、侍、荒寺に入る
・夜になると邪気が襲ってくる。化物登場
・侍、化物を斬る。化物が待ってくれと言う
・化物、事情を話す。住職たちが家財をどぶに捨てていた
・夜が明け、侍はどぶを浚う
・やってきた村人たちに事情を話し、出てきた家財を焼却する
・それで化物は出なくなった

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:住職
S2:侍
S3:茶店の主人
S4:化物
S5:村人

O(オブジェクト:対象)
O1:村
O2:荒寺
O3:どぶ
O4:道具類

+:接
-:離

・昔ある村に住職のいない荒寺があった
(存在)O1村:O2荒寺-S1住職
・一人の侍が村を通りかかり、荒寺の訳を聞く
(到来)S2侍:S2侍+S3茶店の主人
・化物が出る戸知った侍は自分が退治すると乗り出す
(決意)S2侍:S2侍+S4化物
・村人の制止にも関わらず、侍、荒寺に入る
(入山)S2侍:S2侍+O2荒寺
・夜になると邪気が襲ってくる。化物登場
(遭遇)S2侍:S2侍+S4化物
・侍、化物を斬る。化物が待ってくれと言う
(制止)S4化物:S2侍-S4化物
・化物、事情を話す
(開示)S4化物:S4化物+S2侍
・住職たちが家財をどぶに捨てていた
(廃棄)S1住職:S1住職-O4道具類
・夜が明け、侍はどぶを浚う
(調査)S2侍:S2侍+O3どぶ
・やってきた村人たちに事情を話し、出てきた家財を焼却する
(焼却)S2侍:S5村人-O4道具類
・それで化物は出なくなった
(成仏)S4化物:S4化物-O2荒寺

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

    聴き手(侍は無事朝を迎えられるか)
            ↓
送り手(侍)→ 化物の真の願いを知る(客体)→受け手(化物)
            ↑
補助者(茶店の主人)→ 侍(主体)← 反対者(化物)

といった行為項モデルが作成できるでしょうか。侍は茶店の主人の制止を振り切り荒寺に乗り込みます。夜となり果たして化物が現れますが、侍は恐れることなく化物を切ります。侍の勇気を認めた化物が事情を話し、侍は真相を知るという筋となっています。

 住職―荒寺、荒寺―化物、侍―化物、どぶ―道具類といった対立軸が見出せます。化物/道具類という付喪神的な暗喩が同定できます。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

侍♌―化物♂♎☉―茶店の主人☾(♌)―村人♁☾(♂)

といった風に表記できるでしょうか。化物は対立者♂ですが、荒寺を元に戻すという観点からは価値☉の裏返し的存在と考えました。村人たちは荒寺が元に戻ることの享受者たち♁です。価値の裏返しというのが上手く表記できませんが、ここではそのまま☉と表記しました。あるいは☉(-1)といった表記もあり得るかもしれません。

◆発想の飛躍

 化物が現れて寺が荒寺となってしまっていたのは元いた住職たちが物を粗末に扱ったからというのが発想の飛躍でしょうか。「住職―道具―どぶ―化物」の図式です。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.49-51.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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つまるところコミュ力――斎藤環『承認をめぐる病』

斎藤環『承認をめぐる病』を読む。多岐に渡る内容なので要約は難しい。主題としては「承認」と「キャラ」だろうか。現代の中学校や高校では自然とクラスの中でキャラづけがされてそれを演じることが求められてしまう。ペルソナの仮面が外せなくなってしまうといったところだろうか。それがスクールカースト化につながっていると指摘する。

日本でもスクールカーストってリアルに存在するの? という驚きがある。僕の時代でも外向的なタイプと内向的なタイプとで自然と分かれてはいたが。公立の中学だと多様な生徒が集まるが、高校は偏差値である程度輪切りにされているだろう。割と近いもの同士なはずなのにと思う。

著者は熱心にテレビ版エヴァンゲリオンに言及されるのでエヴァ直撃世代なのかと思って奥付を確認すると庵野監督と同世代の人だった。まあ、症例として典型的な事例が三つ揃った稀有な事例なのだろう。『シン・エヴァンゲリヲン』に関しては著者の望む話の落とし方ではなかったかもしれない。

ポストモダンに関する議論は見直す必要があると思う。ここ二十年ほど新自由主義という新たな大きな物語が世界を席巻しているはずなのだ。大きな物語が消失したというのは冷戦崩壊直後のわずかな期間に過ぎないはずだ。

あと、サブカル評論家としての東浩紀の議論、彼はメタフィクショナルな構造を持つ作品だけを好んで称賛する傾向があるので、そこから漏れてしまう時代を象徴する重要作品も出てきてしまっていることは指摘しておくべきかもしれない。

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2024年3月27日 (水)

行為項分析――蛤姫

◆あらすじ

 昔、一人の若い漁夫がいた。毎日海へ出て魚を獲って、それを町で売って生計を立てていた。ある日、いつもの様に舟で漁をしたが、一尾もかからなかった。もう一度釣ってかからなかったら今日はやめようと思って最後の糸を投げ込んだ。

 しばらくすると手応えがある。やっとのことで引き上げてみると、見たこともない様な珍しい蛤(はまぐり)だった。びっくりして見とれていると、蛤が二つに割れて中からきれいな女の子が出てきた。漁夫は喜んで家へ連れて帰り、蛤姫と名をつけて大切に育てた。

 姫は大きくなるにつれてますます美しくなった。そして姫は機を織ることが大変上手で、その織物は何ともいえぬ美しさだった。漁夫はそれからは漁をやめ、姫の織った反物を町に売りに出て、たくさんの金を儲け、楽しく暮らした。

 姫は美しい反物を織るばかりでなく、機を織る音がまるで美しい音楽のようだった。それを聞いた人たちが姫の機を織る様子を見ようと漁夫の家に押しかけてきたが、姫はなぜか一室に閉じこもって、戸を固く閉め、機を織る姿を誰にも見せなかった。

 ある日、漁夫はいつも通り、反物をもって町へ出かけた。ある一軒の大きな家で呼び止められ、たくさんの金で買い取られた。よい物を買った。お礼にと座敷に上げ、ご馳走やお酒でもてなした。漁夫はよい気分で酔い潰れてしまった。

 家では蛤姫が今日も一人、一室で美しい音をたてながら、とんとんからりと機を織っていた。すると近所の人たちがやって来て、今日は漁夫が帰っていないから、戸を開けてみようではないかと相談して、部屋へそっと近寄るといきなり戸をあけてのぞき込んだ。

 蛤姫はびっくりして機を織る姿を見られたら、もうここにいることはできない。蛤の中へ帰ると言って消えてしまった。

◆モチーフ分析

 「蛤姫」は蛤女房が艶笑譚なのを子供向けに改作したものと考えられます。

・昔、一人の若い漁夫がいた
・漁に出た漁夫だったが不漁だった
・これで駄目なら引き返そうと釣り針を海に入れたところ、珍しい蛤が釣れた
・蛤の中から可愛い女の子が出てくる
・蛤姫と名づけられる
・蛤姫は機を織るのが得意で美しい反物を織った
・また、機を織る音は美しかった
・だが、機を織る姿は誰にも見せなかった
・漁夫は反物を売りに町へ出かける
・反物が高く売れる
・反物を売ったお屋敷で漁夫は宴席によばれる
・漁夫は酔い潰れてしまう
・漁夫がいない隙に近所の者たちが蛤姫がいる部屋の戸を開けてしまう
・機を織る姿を見られた蛤姫はもうここにはいられないと消えてしまう

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:漁夫
S2:姫
S3:金持ち
S4:人々

O(オブジェクト:対象)
O1:魚
O2:蛤
O3:反物
O4:町

m(修飾語)
m1:美しい

+:接
-:離

・昔、一人の若い漁夫がいた
(存在)S1漁夫:S1漁夫+X1村
・漁に出た漁夫だったが不漁だった
(不漁)S1漁夫:S1漁夫-O1魚
・これで駄目なら引き返そうと釣り針を海に入れたところ、珍しい蛤が釣れた
(釣果)S1漁夫:S1漁夫+O2蛤
・蛤の中から可愛い女の子が出てくる
(出現)S2姫:O2蛤+S2姫
・蛤姫と名づけられる
(命名)S1漁夫:S1漁夫+S2姫
・蛤姫は機を織るのが得意で美しい反物を織った
(織機)S2姫:S2姫+O3反物
・また、機を織る音は美しかった
(美音)S2姫:S2姫+m1美しい
・だが、機を織る姿は誰にも見せなかった
(謝絶)S2姫:S2姫-S1漁夫
・漁夫は反物を売りに町へ出かける
(出立)S1漁夫:S1漁夫+O3反物
・反物が高く売れる
(販売)S1漁夫:S1漁夫-O3反物
・反物を売ったお屋敷で漁夫は宴席によばれる
(誘い)S3金持ち:S3金持ち+S1漁夫
・漁夫は酔い潰れてしまう
(酩酊)S1漁夫:S1漁夫-S1漁夫
・漁夫がいない隙に近所の者たちが蛤姫がいる部屋の戸を開けてしまう
(覗き)S4人々:S4人々+S2姫
・機を織る姿を見られた蛤姫はもうここにはいられないと消えてしまう
(消失)S2姫:S2姫-S1漁夫

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

    聴き手(禁忌は破られないか)
          ↓
送り手(漁夫)→ 機を織る姿を見ない(客体)→受け手(姫)
          ↑
補助者(金持ち)→ 漁夫(主体)← 反対者(人々)

といった行為項モデルが作成できるでしょうか。姫と漁夫の間に機を織る姿を見るなという約束が取り交わされたという言及はありませんが、あったものと考えました。結局、漁夫ではなく近所の人々が覗き見してしまうことで禁忌は破られます。

 漁夫―姫、蛤―姫、姫―機織り、機織り―反物売りといった対立軸が見出せます。反物売りにいった隙に機織りの姿を覗かれてしまうという筋となっています。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

漁夫♌♁―姫☉♎☾(♌)―近所の人々♂

といった風に表記できるでしょうか。姫が価値☉そのものであり漁夫の生活を支援する援助者☾でもあります。また、禁忌を漁夫たちに課すことから審判者♎であると見なせます。

◆元型

 蛤姫をユングの提唱した元型(アーキタイプ)に当てはめるとアニマでしょうか。男性の中にある理想の女性像です。「蛤姫」は異類婚姻譚ですが、姫は漁夫のために美しい反物を織ります。夫の生活を支えるかいがいしい妻とも見ることができます。そういった女性像は男性のある種の理想像と言えるかもしれません。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は蛤から生まれた蛤姫であることでしょうか。「蛤―姫」の図式です。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.46-48.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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純文学は読んでいないが読んでみる――栗原裕一郎「村上春樹論の終焉」

栗原裕一郎「村上春樹論の終焉」を読む。村上春樹に関する評論の総括的な論文。僕は村上作品はほとんど全く読んでいない。短編を一本読んだ程度である。平易な表現で深い内容を描写できる作家だなという印象は受けた。評論としては宇野常寛のものを読んだ程度だろうか。

当初、文壇からは敵視されていたらしい。純文学の作家でありながらベストセラーを連発という破格の存在であることも反感を買ったのかもしれない。僕が高校生の頃はまだ文壇に権威があったが今ではどうだろう。認められたら銀座のクラブでちやほやしてもらえるかもしれないが、今や誰でも情報発信できる時代である。最早その程度の狭い世界に過ぎないのではないか。

「筆者は人文社会科学が口走る「理論」とかいうものを一切認めておらず、当然、それに填め込んで作品をどうこうする類の論評は基本的に評価しない。」とある。ちょうどレヴィ=ストロースの『アスディワル武勲詩』やスーリオの『二十万の演劇状況』を読んだところだったのでおっと思う。

僕は長編小説の読解のためにそれらを読んでいるのではないのだが、まあ、娯楽作品には骨格というか構造が必要となる。そこら辺はハリウッドが執拗に追及している。一方、純文学ではそういったテクニックはむしろ忌避される。物語を最小の要素まで還元したとして、そこに残されたものから溢れてしまうものがどうしても出てきてしまうのだ。

元々、そういう物語を最小要素に還元しようという物語構造分析の試みはインド=ヨーロッパ語族という認識を背景に昔話や神話の起源を探るための類話の比較用の手法が源流だ。元から長編小説の読解のためのものではなかったのである。スーリオの著作は明らかに演劇の作劇術由来だが。

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内向型であることと才能の有無は無関係――中村あやえもん「内向型の生き方戦略――『社会から出て、境地を開拓する』

中村あやえもん「内向型の生き方戦略――『社会から出て、境地を開拓する』という生き方提案」を読む。著者は心理学や精神医学とは関係のない人、クリエイティブ職の人らしい。

性格はおおざっぱに外向型と内向型とに分けられるが、本書では外向型を社会維持型、内向型を境地開拓型と定義する。社会維持型と境地開拓型でおよそ8:2の割合と見積もる。内向型の方が少数派なのである。ここに内向型の生きづらさが生じる。

境地を開拓するとは孤独を不安に思わず何かに没頭する、で人によっては大きな成果を挙げるというタイプである。クリエイティブな職種に多いタイプだろう。

境地開拓型は刺激に敏感であるとする。要するにストレスに弱いのである。それは生得的なもので後天的に変えられるものではないから無理することはないよという内容である。

ゆとり教育が失敗したのは、ゆとり教育が向いていたのは全体の二割に過ぎない境地開拓型に適した教育法だったからだと指摘している。境地開拓型の子は放っておいても勝手に自分の興味を追求するが、社会維持型の子は放っておくと遊んでしまうのだ。

本書の欠点は内向型であることと才能の有無とは無関係であることだ。スティーブ・ジョブズのような人は数十億人に一人の存在である。内向型の大半の人は特にこれといった才能のない人だろう。

僕は内向型だが突出した能力はない。特にクリエイティブな能力はない。このブログでは小難しいことを書いているが、それは表面的にそう見えるだけでやっていること自体は説明すれば高校生でもできることである。実際、ネットに掲示された論文を読むと自分は大学院には入れないなと思う。

「一体何だったら適性があるのだろう?」と長年苦しんでいたが、結局のところ誰でも使えるツール(パソコン、デジカメ等)を使って足で稼ぐというスタイルになった。

なお、別に特別な能力でなくてもいいのである。たとえば僕の母は内向型の人間だったが料理は毎日作ってくれた。揚げ物は冷凍食品ではなかった。専業主婦だからできたことだが、料理というスキルは有していたのである。僕は料理すらできない。鍋物くらいである。

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2024年3月26日 (火)

行為項分析――えんこうの手紙

◆あらすじ

 明治の中頃、大田市の鳥居村に喜三郎という魚商人がいた。ある日出雲の国との境の邑智(おおち)郡の奥へ行って、帰りに小原村の江川(ごうがわ)のほとりを通ると、手ぬぐいを深く被った女がなれなれしく声をかけてきた。静間を通って大田へ帰るのかと訊くので、その通りと答えると、手紙を渡して、それを静間の神田の渕へ投げ込むように頼まれた。魚商人は手紙を受け取った。魚商人は川合の町まで帰ると、岩谷屋という店で酒を一杯飲んだ。そして主人に先ほどのことを話すと、静間川の神田の渕はえんこう(河童)の住処だと言って、その手紙を見せろとなった。そこで手紙を開くと、人間の文字ではなくみみずののたくった痕のようなものが書いてあった。これは江川のえんこうが化けたもので、魚商人をとるようにと神田の渕のえんこうに合図したのに違いないとなった。震え上がった魚商人は店主に相談して手紙を焼いてしまった。魚商人は川合から道をかえて長久を通って家へ帰った。それからは用事があっても静間川の方へは決して行かなかった。

◆モチーフ分析

 これは「河童の手紙」で有名な伝説です。「石見の民話」では明治時代の話としていて、近代民話に属するものとなっています。

・大田市の鳥居村に魚商人がいた
・出雲の国の境まで商売に行く
・帰りがけ、江川のほとりを通りかかると、女と遭遇する
・女は手紙を渡し、静間川の渕に投げて欲しいと頼む
・承知した魚商人は再び帰る
・途中立ち寄った店で先ほどの話をする
・怪しんで手紙を開いたところ、河童の手紙だった
・あやうく静間川の河童にとられるところだった
・手紙を焼却する
・ルートを変えて帰宅する
・その後も静間川には近づかない

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:魚商人
S2:女
S3:店主
S4:えんこう

O(オブジェクト:対象)
O1:手紙
O2:静間川の渕
O3:静間川

+:接
-:離

・大田市の鳥居村に魚商人がいた
(存在)S1魚商人:S1魚商人+X1鳥居村
・出雲の国の境まで商売に行く
(出立)S1魚商人:S1魚商人+X2出雲の国の境
・帰りがけ、江川のほとりを通りかかると、女と遭遇する
(遭遇)S1魚商人:S1魚商人+S2女
・女は手紙を渡し、静間川の渕に投げて欲しいと頼む
(依頼)S2女:S1魚商人+O1手紙
・承知した魚商人は再び帰る
(承知)S1魚商人:S1魚商人-S2女
・途中立ち寄った店で先ほどの話をする
(会話)S1魚商人:S1魚商人+S3店主
・怪しんで手紙を開いたところ、河童の手紙だった
(判明)S3店主:S3店主+O1手紙
・あやうく静間川の河童にとられるところだった
(危機一髪)S2女:S4えんこう+S1魚商人
・手紙を焼却する
(焼却)S1魚商人:S1魚商人-O1手紙
・ルートを変えて帰宅する
(帰宅)S1魚商人:S1魚商人-O3静間川
・その後も静間川には近づかない
(忌避)S1魚商人:S1魚商人-O3静間川

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

    聴き手(手紙の意図は何か)
          ↓
送り手(女)→ 手紙(客体)→受け手(静間川のえんこう)
          ↑
補助者(店主)→ 魚商人(主体)← 反対者(女)

    聴き手(手紙の意図は何か)
          ↓
送り手(女)→ 魚商人(客体)→受け手(静間川のえんこう)
          ↑
補助者(なし)→ 女(主体)← 反対者(店主)

といった二つの行為項モデルが作成できるでしょうか。魚商人―女、魚商人―店主、女―静間川のえんこうといった対立軸が見出せます。手紙に関しては、渡す―焼却といった図式でしょうか。

 気軽に用事を引き受けたものの、休憩で立ち寄った茶店での会話で手紙がえんこうの書いたものと露見し難を逃れるという話です。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

魚商人♌☉―女♂―店主♎☾(♌)―静間川のえんこう♁

といった風に表記できるでしょうか。魚商人の命が狙われていますので魚商人自身が価値☉となります。それを享受する♁は静間川のえんこうです。店主は手紙が怪しいと見ぬ気ますので審判者♎となります。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は手紙がえんこう(かっぱ)の手紙だったということでしょうか。「魚商人―手紙―女/えんこう」の図式です。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.44-45.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年3月24日 (日)

未完――前田愛『文学テクスト入門』

前田愛『増補 文学テクスト入門』を読む。著者の急死によって未完となった本らしいが、関係者の手により編集作業が施されて出版されたとのこと。この本はその増補版。

冒頭、漱石はプロットの無い小説を構想していたことについて触れられる。それは漱石の死によって実現しなかったのだけど、プロットの無い小説とはどのようなものになるだろうかという興味はある。

僕自身、脚本術や創作論の本は結構読んだ(※小説そのものはロクに読まずに)。娯楽小説に関してはプロットは必要だろう。だが、純文学ではその限りではない。とはいえ、短編小説が限界じゃないかなという気もする。

解説によると著者にとってこのプロットという問題が執筆途中から膨れ上がっていったらしいのだが、その問題、著者の構想についてはよく理解できなかった。日本語という主語が欠けていても成立する言語、述語論理――パラディグムというのだろうか、そして身体感覚、そういった問題を内包する問いかけだったらしいのだが。西洋的な線条(リニア)な文体から空間的な文体へ、というところがピンと来ない。

コードとコンテクストについては何とか理解できたか。コードとは作中人物のコードとか物語のコードとして語られる。要するに切り口、趣向みたいなものか。コードを上部構造とすればコンテクストは下部構造になるのだとか。普通コンテクストというと行間を読むだろうか。文学鑑賞ではテクストに書かれていないことを想像する能力も求められる。

高田本で紹介されていたので読んでみたのだが、なかなか良い内容だった。文学理論の入門書として適当ではなかろうか。

高田本がこの本に注目したのは物語の中のミニマル・ストーリーが全体の物語と相同形を作る。要するに作品を象徴するシーンが作品の全体の構造を示していることがあるという指摘。そこに注目することで分析が容易になるといった箇所にあるのだが、それについてはやや明瞭には記されていないように見える。

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行為項分析――弥兵衛の天昇り

◆あらすじ

 天保時代に石橋弥兵衛という人がいた。ある日大風が吹いて屋根の藁が飛んだたので屋根へ上がって繕っていた。すると海から竜が上がってきて弥兵衛の背中を撫でた。弥兵衛は竜の尻尾をつかまえると、竜と一緒に天に昇った。天には雷の家があった。弥兵衛は雷の家で使ってもらうことになった。弥兵衛は拍子木を打とうとすると、うっかり雲の端を踏んでしまい、海に落ちた。海では竜宮に行った。竜宮で使ってもらうことになった。竜宮のお姫様の坊やの世話をすることになった。ある日、隣村の祭りに坊やを連れていくことになった。しかし、果物はとってはならないと言われる。あまりに旨そうなので一つ取ると漁師の罠にかかった。弥兵衛は漁師に釣り上げられた。弥兵衛の身体にはウロコが一杯ついていた。人魚かと漁師の家へ連れて帰られた弥兵衛だったが、見物人の中に隣の爺さんがいた。弥兵衛は爺さんに声をかけて助けられた。南無阿弥陀仏と念仏を唱えると身体のウロコが落ちた。

◆モチーフ分析

・弥兵衛という人がいた
・大風が吹いて屋根の補修に上がったところ、竜がやってきた
・竜のしっぽにつかまった弥兵衛は天に昇る
・天には雷の家があった。雷の家で下男として働くことになる
・拍子木を鳴らそうとしたら雲の切れ端で足を滑らせ落下してしまう
・海に落下する。竜宮にいき下男となる
・竜宮のお姫様の坊を隣村に連れて行く
・途中にある果物はとってはならないと言われていたが、つい取ってしまう
・果物は漁の罠で弥兵衛は海上に引き上げられてしまう
・弥兵衛の身体にはウロコが生えていた。見物人がやってくる
・見物人の中に隣の爺さんがいることに気づいて、事情を話して解放してもらう
・念仏を唱えると、ウロコが落ちる

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:弥兵衛
S2:竜
S3:雷
S4:竜宮のお姫様
S5:竜宮の坊
S6:見物人
S7:隣の爺さん

O(オブジェクト:対象)
O1:屋根
O2:竜のしっぽ
O3:天
O4:竜宮
O5:果物
O6:ウロコ

+:接
-:離

・弥兵衛という人がいた
(存在)S1弥兵衛:S1弥兵衛+X天保時代
・大風が吹いて屋根の補修に上がったところ、竜がやってきた
(接近)S1弥兵衛:S1弥兵衛+S2竜
・竜のしっぽにつかまった弥兵衛は天に昇る
(昇天)S1弥兵衛:S1弥兵衛+O2竜のしっぽ
・天には雷の家があった。雷の家で下男として働くことになる
(雇用)S1弥兵衛:S3雷+S1弥兵衛
・拍子木を鳴らそうとしたら雲の切れ端で足を滑らせ落下してしまう
(落下)S1弥兵衛:S1弥兵衛-O3天
・海に落下する。竜宮にいき下男となる
(訪問)S1弥兵衛:S1弥兵衛+O4竜宮
・竜宮のお姫様の坊を隣村に連れて行く
(子守)S1弥兵衛:S1弥兵衛+S5竜宮の坊
・途中にある果物はとってはならないと言われていたが、つい取ってしまう
(禁止の侵犯)S1弥兵衛:S1弥兵衛+O5果物
・果物は漁の罠で弥兵衛は海上に引き上げられてしまう
(捕獲)S1弥兵衛:S1弥兵衛-O4竜宮
・弥兵衛の身体にはウロコが生えていた。見物人がやってくる
(変化)S1弥兵衛:S1弥兵衛+O6ウロコ
・見物人の中に隣の爺さんがいることに気づいて、事情を話して解放してもらう
(解放)S1弥兵衛:S1弥兵衛+S7隣の爺さん
・念仏を唱えると、ウロコが落ちる
(剥離)S1弥兵衛:S1弥兵衛-O6ウロコ

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

   聴き手(弥兵衛は天上で何をするのか)
          ↓
送り手(弥兵衛)→拍子木(客体)→受け手(雷)
          ↑
補助者(竜)→ 弥兵衛(主体)← 反対者(なし)

   聴き手(弥兵衛は竜宮で何をするのか)
           ↓
送り手(弥兵衛)→果物(客体)→受け手(竜宮の坊)
             ↑
補助者(竜宮のお姫様)→ 弥兵衛(主体)← 反対者(なし)

 聴き手(捕らえられた弥兵衛は無事解放されるのか)
            ↓
送り手(弥兵衛)→ウロコ(客体)→受け手(隣の爺さん)
            ↑
補助者(隣の爺さん)→ 弥兵衛(主体)← 反対者(なし)

といった三つの行為項モデルが作成できるでしょうか。ただ、こうしてモデルを見ると弥兵衛が意思の主体として置かれていますが、弥兵衛本人はほとんど自分の意思では動いていないのです。物語を駆動するのはむしろ偶然です。

 グレマスは物語を駆動するのは主体の強い意思と考えたかもしれませんが、そうでない主人公もいるのです。

 地上―天、天―海、海―竜宮、竜宮―地上といった対立軸が見出せるでしょうか。地上―天―竜宮―地上と弥兵衛が世界を巡ることから、天―地上―海といった世界観が暗喩されています。

 弥兵衛は主体ではありますが、物語を駆動する意思はほとんど発揮しません。誘惑に負けて果物(漁師の罠)を手にとってしまうくらいです。状況に流されるままに地上―天―竜宮―地上と世界を巡るのです。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

1. 弥兵衛♌―竜☾(♌)―雷☉♎☾(♌)
2. 弥兵衛♌―竜宮のお姫様♎♁☾(♌)―竜宮の坊☉
3. 弥兵衛♌―隣の爺さん♎☾(♌)

といった風に表記できるでしょうか。竜は弥兵衛を天へ誘いますし、雷は弥兵衛を雇用しますので、どちらも援助者☾(♌)また審判者♎としました。竜宮のお姫様も弥兵衛を雇用しますので、こちらも援助者☾(♌)また審判者♎としました。

 竜や天の雷、竜宮のお姫様は人間界を超越した世界の人物です。彼らと出会うことで弥兵衛の人生は思わぬ展開を見せますが、最終的には地上に帰還します。

 弥兵衛は天上と海(竜宮)といった異界を訪ねる訳ですが、行為項モデルや関係分析からはこの重要なモチーフが捨象されてしまっています。物語を最小単位まで還元した弊害と言えるでしょうか。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は弥兵衛が「地上―天―海―地上」と巡ることでしょうか。「地上」は形態素解析には出てこないのですが、こちらで補いました。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.41-43.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年3月23日 (土)

行為項分析を再開する

とりあえず未来社『石見の民話』の行為項分析を再開する。今回からスーリオの関係分析を加える。行為項分析と関係分析は昔話/伝説の分析として適当であると判断した。念のためレヴィ=ストロースの神話分析に関する本も読んでみたのだが、これは類話が必要なので今回は外す。約160話なので半年以上、年内くらいが目標というところか。

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行為項分析――怪力尾車

◆あらすじ

 福光川の下流に岩根屋敷というところがある。昔ここに岩根という大金持ちが住んでいた。その家に尾車(おぐるま)という相撲とりがいた。大男ではなかったが力が強く、近辺には尾車に勝つものはいなかった。

 この話を聞いた上方の相撲とりが、ひとつ勝負をしてみようと思って、はるばる岩根屋敷へやってきた。尾車はその時下男の様な身なりで庭の掃除をしていた。尾車は不在だが、弟子の自分が力だめししましょうと言って大黒柱を一尺ばかり持ち上げた。これを見た上方の相撲とりは胆をつぶした。弟子でこれほどなら師匠の尾車とは勝負にならないと逃げ帰った。

 ある日、尾車が波打ち際にいると、沖の方から牛鬼がやって来て尾車を海へ引き込もうとした。尾車は逆に陸に引き上げてやろうと思って波打ち際で大相撲になった。どちらも力が強くて勝負がつかない。一晩中相撲をとったので、尾車も段々疲れてきた。海の方に引かれそうになった尾車だが、そのとき、一番鶏が鳴いた。牛鬼は夜が明けると力がなくなるので、お前の様な力の強い人間に出会ったのは始めてた。この勝負はおあづけにしようと言って沖へ姿を隠してしまった。

◆モチーフ分析

・福光の岩根屋敷に大金持ちがいた。その家に尾車という相撲とりがいた
・尾車は大男ではなかったが力が強く、近所で敵う者はいなかった
・上方の相撲とりが噂を聞いて尾車と相撲を取りたいとやってくる
・下男の格好をしていた尾車は自身の弟子だと偽る
・尾車、大黒柱を一尺も持ち上げる
・上方の相撲とり、弟子でこれでは勝負にならないと逃げ出す

・ある日、尾車が波打ち際にいると牛鬼がやってきて海へ引き込もうとする
・尾車は逆に陸に引き上げようと牛鬼と相撲をとる
・勝負が中々つかない。尾車は次第に疲れてくる
・そのとき一番鶏が鳴き、夜明けを告げた
・夜が明けると力を失う牛鬼は尾車を賞賛して退散する

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:大金持ち
S2:尾車
S3:上方の相撲とり
S4:牛鬼

O(オブジェクト:対象)
O1:大黒柱
O2:海
O3:一番鶏

m(修飾語)
m1:怪力

+:接
-:離

・福光の岩根屋敷に大金持ちがいた。その家に尾車という相撲とりがいた
(存在)S1大金持ち:S1大金持ち+S2尾車
・尾車は大男ではなかったが力が強く、近所で敵う者はいなかった
(無敵)S2尾車:S2尾車+m1怪力
・上方の相撲とりが噂を聞いて尾車と相撲を取りたいとやってくる
(来訪)S3上方の相撲とり:S3上方の相撲とり+S2尾車
・下男の格好をしていた尾車は自身の弟子だと偽る
(偽装)S2尾車:S2尾車-S3上方の相撲とり
・尾車、大黒柱を一尺も持ち上げる
(怪力)S2尾車:S2尾車+O1大黒柱
・上方の相撲とり、弟子でこれでは勝負にならないと逃げ出す
(逃亡)S3上方の相撲とり:S3上方の相撲とり-S2尾車

・ある日、尾車が波打ち際にいると牛鬼がやってきて海へ引き込もうとする
(遭遇)S2尾車:S2尾車+S4牛鬼
・尾車は逆に陸に引き上げようと牛鬼と相撲をとる
(相撲)S2尾車:S2尾車+S4牛鬼
・勝負が中々つかない。尾車は次第に疲れてくる
(疲労)S2尾車:S2尾車-S4牛鬼
・そのとき一番鶏が鳴き、夜明けを告げた
(時間切れ)S2尾車:S2尾車+O3一番鶏
・夜が明けると力を失う牛鬼は尾車を賞賛して退散する
(退散)S4牛鬼:S4牛鬼-S2尾車

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

  聴き手(尾車は上手く上方の相撲とりを欺けるか)
          ↓
送り手(尾車)→ 大黒柱(客体)→受け手(上方の相撲とり)
          ↑
補助者 なし →尾車(主体)← 反対者(上方の相撲とり)

  聴き手(尾車は牛鬼と決着をつけられるか)
          ↓
送り手(尾車)→ 大黒柱(客体)→受け手(牛鬼)
          ↑
補助者(一番鶏)→ 尾車(主体)← 反対者(牛鬼)

 行為項モデルは二つ挙げられるでしょう。尾車は上方の相撲とりと牛鬼という力持ちと対峙することになります。上方の相撲とりは欺くことで戦いを回避しますが、牛鬼の場合は対決し容易に決着がつきません。いずれにせよ、尾車の知恵と怪力ぶりを示しています。

 尾車―上方の相撲とり、尾車―牛鬼という対立軸が見出せます。ここから相撲とり―怪力という暗喩が同定できるでしょうか。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

1. 尾車♌☉☾(☉)―上方の相撲とり♂♎
2. 尾車♌☉―牛鬼♂♎―一番鶏☾(♌)

といった風に表記できるでしょうか。上方の相撲とりも牛鬼も尾車の力の強さを認めて退散しますので、ここでは審判者♎と解釈しました。また、尾車は怪力で名高いので価値☉としました。尾車は自身を弟子と偽りますので補助者☾(☉)ともしました。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は尾車が自身を弟子と偽るところでしょうか。「尾車―大黒柱―上方の相撲とり」の図式です。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.39-40.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年3月22日 (金)

神話分析の具体例――レヴィ=ストロース『アスディワル武勲詩』

レヴィ=ストロース『アスディワル武勲詩』(西澤文昭/訳)を読む。レヴィ=ストロース『神話論理』第一巻は読んだ。面白い内容だったが、どうやって分析しているのかは皆目見当がつかなかった。

高田明典『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』でレヴィ=ストロースの分析手法は『アスディワル武勲詩』で紹介されているとあったので読んでみたもの。

分析の対象となる神話は北米の先住民のもの。現在のカナダの太平洋岸に位置する。当該の部族たちは狩猟採集民で二つの川の間を移動して生活していた。農耕は行っていなかったので冬季にはしばしば飢餓に陥った。飢えを救ったのは冬季に川を遡上してくるキャンドル・フィッシュと呼ばれる魚だった。夏にはサケ漁が行われた。捕獲されたサケは燻製にされた。食肉の対象となる動物として熊、山羊、セイウチなどが登場する。部族は母系社会だが神話では主人公の家に妻と子が居住する形態も見られる。

主人公は狩猟の旅を続けながら天上と地下世界にも赴く。天上には熊に変化した女に誘われ、そこで試練を乗り越え結婚し魔法の道具を授かる。しかし、地上に帰還し何人かの女性と結婚を繰り返す。また、地下世界では獲物であるセイウチに助けられる。あるとき魔法の道具を忘れた主人公は動けなくなってしまい、石と化してしまう……といった内容である。

レヴィ=ストロースはこれらの類話群から二項対立的な要素を抽出し、シェーマ(スキーマ)要するに概念として二次元で表記する。そこまでは理解できるのだが、更に概念操作、変形を加える。ここが神話分析の肝と思われるが自分にはよく理解できなかった。

解説によると、〔A:B〕:〔A+B:C〕となるらしい。

レヴィ=ストロースにはこういった他の学者とは異なる論理の飛躍とでもいうか特異な概念操作があって特徴たらしめているようだ。

ChatGPT3.5に質問してみると、類話間で概念が変化して伝えられることを指していると解釈されているようだ。こういう例は無いと思うが、ジャガーがピューマになったりとか。パラディグムというのだろうか。

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2024年3月20日 (水)

この人物が若者の代表者? 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」を読む。

初手で「今の若者は幸せ」と逆張りをかまし、以降脚注で冷笑するというスタイル。コンサマトリー(自己充足的)という概念が提示されるのは全体の1/3ほどが経過してようやく。

初手で逆張りをかますので論旨が捻じれてしまっている。そこが今どきの若者らしいのかもしれない。でも著者も2024年現在では青年とも言えない年齢に差し掛かっている。

件のアンケートでは「幸福」ですかと訊かれて「現時点で嫌なことはありません」と答えているだけなのではないか。

日本の将来はお先真っ暗と今現在満たされているのはなんら矛盾しない。いわゆる茹でガエル状態なのに気づいていないだけである。誰かが「若年世代は茹でガエルだ」と指摘せねばならなかったのではないか(※若年世代だけでなく日本人全体かもしれないが)。将来、消費税が15%や20%となってようやく気づくのである。急激な円安で気づいたかもしれないが。

若者が車離れしたのは単純に車両価格が高くなったからである。今だと軽自動車でも売れ筋は新車で200万円からという時代である。90年代初めだとトヨタ・カローラでも150万円以下で買えたはず。要するに先進安全装備が標準装備となったのでその分だけ高くなってしまったのである。

若手の研究者の本も読まないとと思って読んでみたのだが、逆張りをかまして捻じれた論旨を展開するスタイル、耳目を集めることはできても、これでは大成できないだろう。本書執筆当時は若手代表者のポジションで重宝されたのだろう。人生の前半はイージーモードだったかもしれないが、後半もそうだとは限らない。

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2024年3月18日 (月)

占星術記号で登場人物の機能を表記――スーリオ「二十万の演劇状況」

スーリオ「二十万の演劇状況」を読み終える。読了までに約二週間かかったことになる。訳はこなれていたが内容を理解した訳ではない。スーリオは西洋近代演劇の該博な知識を元にあれこれ説明するのだけど、読み手のこちらは近代演劇の鑑賞経験がほとんどないのでピンとこないのである。

スーリオ以前には演劇の劇的状況は36種に分類されるとした見解が流布していたようだ。西洋近代演劇における典型的なシチュエーションが列挙されている。煩雑なので挙げないが、これらを見て自分は日本のシナリオ学校で受講生たちに配られるという物語の枷を100ほど列挙した資料があるらしいのを思い出した。

スーリオはこれらの劇的状況を二つの因子から成ると批判した。そして作劇術に独自の思考を加えるのである。スーリオの場合は演劇の作劇術由来でプロップの昔話の機能とは直接関係はない。

スーリオは演劇における登場人物の機能を6種に集約し占星術の記号で表記する。

♌しし座:主題的力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられる。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現される。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得る。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもある。

スーリオは舞台に登場する主要な人物をおよそ6人ほどと見積もっている。タイトルの二十万とはこれらの機能の順列組み合わせである。スーリオによると二十万百四十一の組み合わせがあるという。ただ、計算過程は作中で示されていない。

このアイデアは慧眼だった。ただ、このやり方が普及しなかったのは、記号で表記されても書いた本人以外はさっぱり分からないからだろう。単数ならまだ分かるのだが複数が組み合わされるとどういう人物像になるか想像できないのである。

♌☉―♁♎♂―☾(♌)

これが何だか分かるだろうか?
これはイブとアダムと蛇なのである。

イブ♌☉―アダム♁♎♂―蛇☾(♌)

こう補足すればまだ分かるかもしれない。

物語の構造分析的な手法はおよそ60年くらい前に確立されて以後進展していないようだ。これ以上要素を分解することもできない。ここから先はコンピューターによる量的分析手法へと移っていくのかもしれない。

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2024年3月17日 (日)

江戸里神楽を観る会を鑑賞 2024.03

新馬場の六行会ホールにて間宮社中の第二十一回江戸里神楽を観る会を鑑賞。六行会ホールで鑑賞するのは数年ぶりとなる。
「高天原神集評定(たかまがはらかみつどいひょうじょう)の場」
品川太太神楽「翁の舞」
「兄弟探湯(けいていたんとう)」
の三演目が上演された。

「高天原神集評定の場」は出雲に国譲りさせようとなって誰を使者に選ぶかくじ引きで選ぶという内容。高木神が天菩比命(天穂日命)、天若日子命、経津主神、建御雷之男神を集め(従者のもどきもいる)、もどきが四神に矢と思われるものを配り、それがくじとなって天菩比命が第一の使者として選ばれる。

高天原神集評定の場・五神そろい踏み
高天原神集評定の場・天若日子

この演目は続く「天菩比之上使」「天之返矢」「幽顕分界」の国譲り三部作の序段となる演目。通常の上演時は天菩比命のみの登場となるが、今回の上演では四神とも登場しくじ引きで選ぶ展開としているとのこと。「幽顕分界」は未見である。

品川太太神楽「翁の舞」は神前舞。神に向けて舞うので観客席からは後ろ向きで鑑賞することになると説明された。社伝によると元亀年間(1570~73)の発祥と伝えられているとのことだが、都心に古い神楽があまり変化せず残されていることが驚きである。

品川神社太々神楽・翁の舞

「兄弟探湯」は武内宿禰(たけのうちすくね)が異母弟の甘美内宿禰(うましのうちのすくね)から謀反の企てがあると讒訴されてしまう。それで応神天皇は盟神探湯(くがたち)という占いで真偽を決することにする。熱湯に手を入れ、火傷をしなかった方が正しいとするものである。武内宿禰は邪心がないので素直に熱湯に手を入れ何事もない。一方、甘美内宿禰は躊躇した挙句、剣を抜いて武内宿禰を襲うが反撃され、武内宿禰と随臣に取り押さえられてしまう。そして強制的に熱湯に手を突っ込まれ火傷をしてしまう。武内宿禰の潔白が証明された……という内容である。

兄弟探湯・もどき
兄弟探湯・武内宿禰が熱湯に手を入れる
兄弟探湯・武内宿禰と随臣に押さえつけられ熱湯に手を入れさせられる甘美内宿禰

こう書くとシリアスな展開に思えるが、実際には従者役のもどきの滑稽な演技もあったりで楽しい演目となっている。「兄弟探湯」は第七回で上演されたもののリメイクとのことである。

「兄弟探湯」においても剣劇はあるのだが、それで決着をつけるのではなく、あくまで盟神探湯(くがたち)で決着をつけるのである。そういう作劇の妙が感じられる。石見神楽や芸北神楽の神楽人たちに比較対象として見てもらいたい演目である。

ステージ上での上演なので民俗学者はフォークロリズムと呼んで軽視する。だが、ステージならではのメリットもある。照明できらびやかな衣装が映えるのである。神楽殿だと日中は自然光になるからそこまで映えないのである。

横浜駅で京急に乗り換える。新馬場駅が品川駅の先と勘違いしてしまい、品川駅で降りてしまう。そのまま日比谷線に乗り換えてしまい、途中で気づき引き返す。京急蒲田駅まで引き返す。各駅停車に乗るが、新馬場駅に着いたのは12時半頃になってしまった。それでもホールでは左端だが前の席に座ることはできた。

新馬場・六行会ホール
六行会ホール入口
上演終了後のホール

受付で住所氏名を書く。写真撮影はOKとのこと。フラッシュは禁止。客席は8~9割は埋まっていた。マスクは着用を推奨というスタンス。無料の催しなのだが、本来は3000円~4000円くらいの鑑賞料が必要な内容。

観客層については観察していない。若い人は見かけたが、多くは老人層だろう。子連れの若いカップルが来場するという姿はない。黙劇ということもあって観客に日本神話の知識を要求する。戦前の人なら普通に知っていた話も今の若い人たちが知っているとは限らない時代である。

パナソニックGX7mk2+35-100mmF2.8で撮影。望遠端でもF2.8なので失敗写真はあまりなかった。それでもExif情報を確認するとシャッタースピードは1/30秒ほどである。1/20秒になると手振れしていた。

35-100mmF2.8は360gと小型軽量なのが特徴。フォーサーズは高感度には強くないのでこういった明るいレンズでカバーする必要がある。ある意味マイクロフォーサーズらしい望遠ズームレンズである。舞台撮影にはぴったり。

最後にバッテリーが切れたのでパナソニックTX1ででも撮影してみたが、望遠にすると見事に手振れしていた。F値は5.1くらいまで上がってしまう。ISO800~1600まで上げてシャッタースピードは1/80秒くらいを確保しているのだが、手ぶれ補正能力に差があるのか手振れしてしまっている。

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2024年3月15日 (金)

原発再稼働問題はどうお考えなのか――野口悠紀雄『どうすれば日本経済は復活できるのか』

野口悠紀雄『どうすれば日本経済は復活できるのか』を読む。大枠としては90年代のIT革命に日本は乗れなかったということだろうか。製造業中心の産業構造から高度な情報通信産業へ転換できなかったのである。アナログで有していた優位性がデジタルの時代で逆転されてしまった。

また、日銀の超低金利政策と円安誘導政策に批判が加えられる。1ドル=100円~110円台はそれほど円安でもないように思えるが。

読んでいて、原発再稼働問題には言及されていない。東日本大震災に伴う福島第一原発の事故で民主党政権はあつものに懲りてなますを吹くように原発の稼働を全て停止させてしまった。これで原発で発電していた分が火力発電となった。天然ガスの膨大な輸入が必要となって貿易収支に多額の影響を与えたはずなのだが、それに対する分析は行われていない。

タイトルは「どうすれば日本経済は復活できるのか」だが、平成の30年に対する分析に終始してそれに対する処方箋、提言はあまり無かったように思える。

経済学からは逸れてしまうが、平成の30年間で日本は政権交替可能な二大政党制の実現に失敗した。旧民主党は2009年に政権交代を果たしたが、それで政権担当能力の無さを露呈してしまい、下野後も支持率を下げ続けている。今また政権交替の機運が高まっているが、立憲民主党が主導権を握ることはないのではないか。

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2024年3月14日 (木)

主にGoogleレンズの使い方――野口悠紀雄『「超」AI整理法 無限にためて瞬時に引き出す』

野口悠紀雄『「超」AI整理法 無限にためて瞬時に引き出す』を読む。野口先生の著書は多数出版されているため重複が非常に多い。本書は主にGoogleレンズの利用法である。

野口先生はドキュメント類をクラウドに移してしまったようだが、パソコンのテキストエディタの使い勝手も捨てがたいとは考えていらっしゃるようだ。Googleドキュメントもシンプルで使いやすいとは思うが、テキストエディタも捨てたものではない。

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2024年3月13日 (水)

集合無意識をシステムで捉えることができるか――成田悠輔『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』

成田悠輔『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』を読む。若手の研究者の本も読んでみないとと思ってのこと。この人、「老人は自決しろ」だか言ったらしい。確かに老人層がごそっと抜ければ現役世代の負担はかなり軽くなる。しかし、それは姥捨て山の繰り返しである。自分もいずれ自決を迫られる立場になる。

この本の焦点は「集合無意識をシステムで捉えることができるか」だろうか。中国はSNSを分析して貧富の差の拡大に対する不満を読み取って政策のかじ取りを変えたという噂が紹介されている。

SNSのデータを解析すれば色々見えてくるのは確かだろう。ただ、本書でも指摘される通り、SNSにはフェイクニュースやヘイトスピーチ、ポピュリズム等を増幅させてしまう側面もある。それらをいかに排除して抽出するかが問題となる。

それにSNSの喧騒から距離を置く人も一定数いる。たとえば創作といった極一部のジャンルではSNSから離脱して個人サイトの運営に切り替える人も少数ながらいるという。

生体データは皆がスマートウオッチや指輪をつけていれば収集可能かもしれない。が、(中国では実際に行われているそうだが)監視カメラにマイクを付けて街の声を収集するとなると、これはディストピアと紙一重である。

仮に集合無意識を補足できたとして、それは今どう思っているかに過ぎない。将来に対して漠然とした不安はあるかもしれないが、透徹した眼で将来を見通せる人などわずかしかいない。

政策は10年後、20年後にならないと結果が判断できない。将来を見越して布石を打っていくことは人間にしかできないだろう。

また、アルゴリズムを開発・調整する人材がテクノクラートと化してしまうだろう。アルゴリズムが公開されれば、それに対する対策は必ず行われる。

他、ブロックチェーン技術がデータの改ざんに有効であれば、ネット選挙も視野に入ってくるかもしれない。

本書は2022年7月刊行で、それからわずかな時間経過で生成AIが脚光を浴びたり、中国の天文学的な不良債権問題が明るみになったりしている。ほんのわずかな時間で状況が変わってしまう現在、技術力のない一般人に先を見通すのは不可能である。若手の斬新な発想に期待したい。

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2024年3月10日 (日)

3.11の災害エスノグラフィー

NHKスペシャル「語れなかったあの日 自治体職員たちの3.11」を見る。宮城県下の自治体職員たち1000人規模で聞き取り調査が行われてきたのがまとめられたものとのこと。文化人類学の手法を元にした災害エスノグラフィーという分野とのこと。途中、『翔べフェニックス 創造的復興への群像』という阪神淡路大震災での経験をまとめた本が紹介される。Amazonで確認したら絶版本で古本も売ってなかった。

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2024年3月 9日 (土)

いきなり中級者向け環境構築法が解説される――Pouhon「Obsidianでつなげる情報管理術」

Pouhon「Obsidianでつなげる情報管理術」を読む。Obsidianの使い勝手を確かめてみようと思って読んでみたが、いきなり中級者が快適に使用できる環境構築みたいな展開となり困惑する。筆者はHTMLとCSSくらいなら分かるがプログラミングのスキルはない。「こんなに煩雑ならScrapboxで十分だよな」と思った。何と言うか本質から外れてしまっているように思える。プラグインを入れない段階で使い倒すくらいの入門書を書いてみればいいのではないか。

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メモをとる際は自分の言葉で書き直す――ズンク・アーレンス『TAKE NOTES! メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる』

ズンク・アーレンス『TAKE NOTES! メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる』(二木夢子/訳)を読む。ドイツの著名な社会学者であるニクラス・ルーマンが用いたツェッテルカステンというカードを用いた情報管理法について解説したもの。ルーマンは生涯で58冊の著書と膨大な遺稿を残した。その生産性を支えたのがツェッテルカステンである。現代、ZettelkastenはObsidianというアプリに結実した。ノートにメモをとるツールである。

一つのノート自体はプレーンなテキストファイルである。それにマークダウン記号を付加していくことでテキストを修飾したり階層性を持たせたりする。最大の特徴はノート間にリンクを貼る機能でキーワードを[[ ]]で括ることでリンクが生成される。括るとアンダーラインに表示が変わるのでそれをクリックすると該当のキーワードをタイトルとしたノートが新規作成されるという仕組みである。これでノート間にリンクが張り巡らされネットワーク状の構造を持つことになる。

ルーマンは膨大な紙のカードで情報を管理していたが、現在ではソフトウェア上で実現できるようになった。かなり敷居が下がったと思われる。

著者及びルーマンはメモはそれが書かれた文脈とは異なる文脈で意味を持つことがあるとしている。それに気づくことが創造性に繋がるという主張である。

また、創造性はIQの高低とは相関関係にないとしている(※IQ120以上の場合かもしれない)。

本書で強調されるのはメモをとる際、自分の言葉で書き直すことである。丸写しは否定される。書き直すことが理解に繋がるという主張である。

実際そうだと思う。ただ、例えば法律だと自分の言葉で置き換えることが難しく感じる。

本書は主に卒論や博士論文の執筆を想定して書かれている。早い段階でツェッテルカステンの技法を取り入れれば生産性を上げ創造性を発揮することが可能になると主張している。

Obsidianを試用してみると、パソコンスキルの高い人向けという印象である。筆者はよりシンプルな類似のWEBサービスであるScrapboxを利用している。

ルーマンの著作を読んだことがあるが、非常に晦渋で筆者にはとても理解できる内容ではなかった。その点で引っかかりは感じる。

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2024年3月 8日 (金)

KJ法を否定――立花隆『「知」のソフトウェア 情報のインプット&アウトプット』

立花隆『「知」のソフトウェア 情報のインプット&アウトプット』を読む。初版は1984年である。僕が高校生の頃の本である。なので、前半部分はアナログの時代は大変だったのだなという感じである。パソコンでは定番ソフトもまだあるかないかの時代だったのではないか。今では不要となったノウハウではある。後半は現代でも通じる内容。特に第8章の「アウトプットと無意識の効用」が白眉だろう。立花氏もKJ法を否定する。敢えてカードに書き出さずとも無意識化でアイデアの組み換えは行われているとする立場である。潜在意識下でどのような働きがあるのかは現代でもブラックボックスのままだろう。近年ではデフォルト・モード・ネットワークという言葉が登場してきた。何もしていないときでも脳は働いていて各領域が連携している。入浴時や散歩時といったリラックスした状態の方が閃きが起きやすいという話である。

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2024年3月 7日 (木)

無意識の働きが重要――野口悠紀雄『「超」発想法』

野口悠紀雄『「超」発想法』を読む。この本は2000年に刊行されたものである。この本の内容は2023年刊行の『「超」創造法 生成AIで知的活動はどう変わる?』でリライトされていると考えていいだろう。ただ、全ての箇所が引き継がれている訳ではないので、依然として本書を読む意義はある。

2000年刊行の本なので序論は時代を感じさせる。また、第8章のパソコン活用法についても約四半世紀経過した現在では全く事情が異なっている。現在の野口氏はスマートホンで音声メモを録音し文字化する、また、文書はクラウドに移しそこで独自の管理手法をとっている。

それ以外は現在でも基本的な主張は変わっていない。注目すべき論点として、閃きにおける潜在意識下でのアイデアの無意識的な組み替えは審美眼によって行われているとしていること、及びカードを並べ替えて発想を得ようとする手法で代表的なKJ法をそういった作業は本来は脳内で無意識的に行っていることでわざわざカードに移す必要はないと徹底的に否定していることだ。

審美眼とは古い定義になってしまうが感性に快をもたらすものを美と捉えるその働きである。つまり、理性・悟性・感性の三区分の中で感性が閃きに重要な影響を及ぼしていることになる。筆者もこれ以上上手く説明できないが、興味深い指摘だと思う。

直感というのは言い換えれば思考のショートカットである。

KJ法批判については野口氏が量的分析を主体とする経済学者であることも大きいのではないか。例えば民俗学者の柳田国男はカードを並べ替えて講演の内容を考えていたという。KJ法を用いるのは社会学者・文化人類学者・民俗学者といったフィールドワーカーたちだろう。カードに記入する時点でインプットを行っていることになる。

量的分析とは別に質的分析という手法もある。フィールドノートを細分化してマトリクス化する作業が行われている。MAXQDAというソフトが知られているが、主にアカデミックなジャンルで用いられるもので一般向けには高価なため実際に使ってみたことはない。

カードを用いた発想法はZettelkastenというプロジェクトを通じてObsidianというアプリに結実した。筆者は使ったことがないが、野口氏がクラウドでドキュメント管理している手法と相通じるものがあるはずだ。ちなみに筆者は類似のWEBサービスでもっとシンプルなScrapboxを利用している。

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2024年3月 1日 (金)

高田本、二周目読了:行為項分析、これからの方針

高田明典『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』を読む。二周目。この本を買ったのは2023年2月24日なので、「昔話はなぜ面白いのか」上下巻より後で読んだことになる。

第4章が物語論概観となっている。下記の通りである。

第4章 物語論概観
1. 概要―物語とは何か―
2. プロップの機能分析
3. バルトの物語構造分析
4. グレマスの行為項分析
5. スーリオの関係分析
6. ジュネットの「物語行為」
7. ブレモンのシーケンス分析
8. トドロフ・前田のシーケンス分析

プロップについては「昔話の形態学」を読了しており前著で反映させている。

バルトについては「物語の構造分析」を読了している。ただ、バルトの分析手法を詳細に解説した本は邦訳されていないとのことである。次の行為項という概念については「物語の構造分析」で知った。それで高田本にたどり着いたのかもしれない。

グレマスについては「構造意味論 方法の探求」「意味について」の二冊を読了した。ただ、非常に難解な本で理解したとは言い難い。ちなみに読むなら「構造意味論 方法の探求」→「意味について」の順がいいと思う。

スーリオについては「二十万の演劇状況」を発注・手元に届いたところである。

ジュネットについてはナラトロジーと思われるので、長編小説や戯曲の分析中心になるのではと予想されるので今回は外した。

ブレモンについては「物語のメッセージ」を読了した。この本はプロップに影響を受けつつ、物語には複数の筋が同時並行的に進行していると分析している。なので一部取り入れるかもしれない。

トドロフについては高田本の参考文献一覧に列挙されておらず、また邦訳された本が多いためどの本を読めばよいのか分からない。おそらく「小説の記号学―文学と意味作用」か「幻想文学―構造と機能」ではないか。

前田愛「文学テクスト入門」については未発注である。トドロフ・前田の分析もおそらく長編小説の分析に関するものと思われるので今回は外す予定。

ということで、今年は高田本に依拠してグレマスの行為項分析、そして可能であればスーリオの関係分析を援用して昔話/伝説の分析を行ってみたいと思っている。

なお、第3章2項でレヴィ=ストロースの神話分析について取り上げられている。これは類話を収集して分析するもののようで今回は類話の分析ではないので外す。この内シェーマ分析については高田本の第3部 応用編でグレマスの行為項分析に応用されていると考えられるので、そちらも試みてみたい。

「構造人類学」については未読。「神話論理Ⅰ 生のものと火を通したもの」は読了している。「アスディワル武勲詩」の古本を発注。

第7章1項ではユングの元型理論が取り上げられている。未来社「石見の民話」では当てはまる事例が極わずかしかないと思われる。その都度取り上げたい。河合隼雄の昔話分析本については読了している。

高田本は物語の分析について幅広い理論を取り上げ解説している。高価だったり現在では入手しづらい理論書も多い。そのため、講義での理解度は7割の学生が7割程度の理解度といった風に書かれている。

「昔話はなぜ面白いのか」上下巻を一通り終えた段階で読んだので既にモチーフ分析は行っていたのだが、今回それに加えて行為項分析を試行してみようと考えた。行為項分析については高田式でのやり方を踏襲した。

行為項モデルはこれ以上シンプルにはできないかと思われるので、アウトプットとしては適当なのではないかと考えている。

前著では面白さの泉源を発想の飛躍と考えたのだが、今回はもう少し違う視点が得られないかなと思っている。

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