ふいに閃きが起きる――「えんこうの一文銭」の行為項モデルを思いつく
ふいに閃きが起きた。行為項分析で「えんこうの一文銭」を行為項モデル化する。すると物語の基本構造は示されるが、面白いのは一文銭が補助者である動物たちによってリレーされていくという部分である。
送り手(東岸の爺さん)→えんこうの一文銭を取り返す(豊かさ)(客体)→受け手(西岸の爺さん)
↑
補助者(猫)→ 東岸の爺さん(主体) ←反対者(西岸の爺さん)
補助者の補助者(犬・鼠・鳶・鵜・鮎)
・えんこうの一文銭の行為項モデルを描くと上記のようになる
・補助者の補助者とは本来想定されていない項目である
・物語全体を貫く意図は東岸の貧しい爺さんが川の西岸の裕福な爺さんから豊かさをもたらすえんこうの一文銭を取り戻すということになる
・猫は補助者に過ぎない
・が、面白いのは猫→鼠→猫(ここで一文銭を川に落としてしまう)→鳶→鵜→鮎→猫といった一文銭のリレーである
・つまり、行為項モデルは物語の基本構造を示してはいるが、それは面白さの説明とは必ずしも一致していないのである
・「えんこうの一文銭」は世界的には「魔法の指輪」として分布している
・主体が東岸の爺さんから途中で猫に代わっている
送り手(猫)→ えんこうの一文銭(客体)→受け手(東岸の爺さん)
↑
補助者(犬・鼠・鳶・鵜・鮎)→ 猫(主体)←反対者(西岸の爺さん)
こうも書けるが本筋は豊かさを取り戻すことだから二次的なものに過ぎないだろう。入れ子構造とも言えるか。
行為項分析については分かってきたかなという感触をつかんできたところであった。「えんこうの一文銭」をなぜ思い出したかは分からない。もちろん2022年に未来社『石見の民話』を一通りモチーフ分析したのでそのときの記憶が頭の片隅に残っていたということである。しかし、行為項分析はまだ数話しか手をつけていない段階で「えんこうの一文銭」はまだ先だった。ふいに思い出したのである。
<2024.03.02追記>
病院の待合室で「浮布の池」について考えていてふと閃く。
送り手→(客体)→受け手
↑
補助者→(主体)←反対者
行為項モデルは上記のように二次元で登場人物の相関関係と物語の構図をシンプルに図示する。
主体の意思が物語を駆動するという構図だろう。客体はO、オブジェクトであるとは限らない。主体(主人公)のこうあって欲しいという願いと考えればいいか。だが、「浮布の池」のにべ姫のような場合に問題が表面化する。
にべ姫の願いは謎の若者との恋が成就することだろう。だが、若者の正体は池の主の蛇であると明らかになる。ここで(まっさらな状態で聴く場合)大半の聴き手の関心は姫が蛇の呪縛から逃れることができるかに焦点が移るだろう。が、結局、姫は若者を追って池に入水してしまう。聴き手の願いは叶わずに物語は終わる。
聴き手の願いと主体の意思とに齟齬が生じるのだ。行為項モデルではここは上手く取り込めていないと感じる。
昔話と違って伝説には悲劇的な結末を迎える話も多い。多くの場合は物語の焦点は予想しない方向性で解消されることになる。だが、却ってそれが聴き手の心にいつまでも残ることとなる。
聴き手(願い)
↓
送り手→(客体)→受け手
↑
補助者→(主体)←反対者
こういう風に聴き手の願いを付け加えてみた。これは純粋なテキスト分析からは逸脱することになる。また、一度完成したものに余計なものを付け加えることになる。が、こうしないと悲劇の場合は上手く説明できないのではないか。ちなみに、高田本では分析者独自の工夫を否定していない。
聴き手(呪縛からの解放)
↓
送り手(姫)→ 恋愛の成就(客体) → 受け手(若者/蛇)
↑
補助者 なし 姫(主体) ← 反対者(武士)
昔話/伝説から範囲を拡げてみる。たとえばサスペンス劇だと主人公は当初欺かれていたことが話の途中で明かされることがある。そうすると主人公(主体)の意思に変化が訪れる。客体が変化するのである。行為項モデルは時間の経過は織り込んでいないから、もう一つ新しい行為項モデルを用意することになるだろう。通常の分析では最後まで鑑賞してからモデルを構築すると考えられるので、後の方のモデルが採用されることになるだろう。だが、こういう風に考えてみると、行為項モデルおよび客体は不変という訳ではないとも考えうることになる。
語り手/書き手はこういう風に聴き手/読者の反応を想像しながら物語るのではないだろうか。表面的には浮かんでこないが、物語の中に織り込まれていると見ることは可能だ。
<2024.03.03追記>
行為項分析は一旦ストップさせる。客体に何を置くべきなのか分からなくなってきたため。グレマスの著作まで戻った方がいいかもしれない。
<2024.03.08追記>
「えんこうの一文銭」について別の考えが浮かぶ。実は猫に一文銭を取り戻すよう命じるのは東岸の婆さんなのである。全体的に見れば猫は爺さんのために動いているので婆さんは捨象して考えていた。ところで、実はこの婆さんが西岸の婆さんに福をもたらすえんこうの一文銭のことをうっかり話してしまったため西岸の爺さんに秘密が漏れてしまうのである。このため、東岸の婆さんをどう位置付ければいいのか問題になる。補助者のようであり反対者にも思える。しかし、東岸の爺さんと対立するのは西岸の爺さんである。東岸の婆さんの行為項モデル上での位置づけはよく分からなくなる。
東岸の爺さんが再び豊かになるのを邪魔しているのは西岸の爺さんである。なので西岸の爺さんが反対者となるが、東岸の婆さんは図らずもそのアシストをしているのである。反対者の補助者と言えようか。一方で猫には一文銭を取り返すように命じるのである。
こういう事例があるということで行為項モデルというシンプルなモデルにも上手く適用できない場合があることが分かる。物語というものはいかようにでも語れるということだろう。
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