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2024年2月

2024年2月28日 (水)

肝心の図式を書いてなかった

「昔話はなぜ面白いか」上下巻を読み返すと、発想の飛躍に関して「概念―概念」という図式を示していなかった。線は概念と概念とを結んでいることを表している。関係性のなかった概念同士が結合されることで新たな意味が生じるのだから、この欠如は痛い。電子書籍は随時修正可能だが、ペーパーバックは改訂版として出し直しとなる。ペーパーバックについてはこれまで使っていたツールが廃止されたので一からPDFファイルを作成しなければならない。未経験なので非常に面倒に感じる。とりあえず行為項分析が先だ。後回し。

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2024年2月25日 (日)

次なる産業構造へのトランスフォームが求められている――野口悠紀雄『平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析』

野口悠紀雄『平成はなぜ失敗したのか 「失われた30年」の分析』を読む。僕の20代は平成とともに始まった。確かにあの頃、住専への公的資金の注入についてマスコミはどうして金融業界だけ特別扱いされるんだとネガティブキャンペーンを張っていた。結局不良債権処理は遅れに遅れ小泉政権まで持ち越されてしまった。

日本経済の抱える問題は金融緩和では解消せず、製造業主体の産業構造から次世代のそれにトランスフォームしなければならないと説く。ただ、日本の製造業の場合、現場の持っているノウハウというのは容易に捨てられないだろう。まあ、若い世代のスタートアップ企業に期待する他ない。

気が重いのは現在は高齢者1人を現役世代2人で支えているが将来的には1.5人で支えることになるという予測。この予測は確実に現実化する。現在でも重い負担なのに将来は更に重くなる。野口教授は消費税は15%以上になると予測している。もちろん他にも資産課税といった手段はあるのだが、これも既得権者の抵抗が強くて進んでいない。

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ふいに閃きが起きる――「えんこうの一文銭」の行為項モデルを思いつく

ふいに閃きが起きた。行為項分析で「えんこうの一文銭」を行為項モデル化する。すると物語の基本構造は示されるが、面白いのは一文銭が補助者である動物たちによってリレーされていくという部分である。

送り手(東岸の爺さん)→えんこうの一文銭を取り返す(豊かさ)(客体)→受け手(西岸の爺さん)
                 ↑
補助者(猫)→     東岸の爺さん(主体)       ←反対者(西岸の爺さん)
 補助者の補助者(犬・鼠・鳶・鵜・鮎)

・えんこうの一文銭の行為項モデルを描くと上記のようになる
・補助者の補助者とは本来想定されていない項目である
・物語全体を貫く意図は東岸の貧しい爺さんが川の西岸の裕福な爺さんから豊かさをもたらすえんこうの一文銭を取り戻すということになる
・猫は補助者に過ぎない
・が、面白いのは猫→鼠→猫(ここで一文銭を川に落としてしまう)→鳶→鵜→鮎→猫といった一文銭のリレーである
・つまり、行為項モデルは物語の基本構造を示してはいるが、それは面白さの説明とは必ずしも一致していないのである
・「えんこうの一文銭」は世界的には「魔法の指輪」として分布している
・主体が東岸の爺さんから途中で猫に代わっている

送り手(猫)→ えんこうの一文銭(客体)→受け手(東岸の爺さん)
                  ↑
補助者(犬・鼠・鳶・鵜・鮎)→ 猫(主体)←反対者(西岸の爺さん)

こうも書けるが本筋は豊かさを取り戻すことだから二次的なものに過ぎないだろう。入れ子構造とも言えるか。

行為項分析については分かってきたかなという感触をつかんできたところであった。「えんこうの一文銭」をなぜ思い出したかは分からない。もちろん2022年に未来社『石見の民話』を一通りモチーフ分析したのでそのときの記憶が頭の片隅に残っていたということである。しかし、行為項分析はまだ数話しか手をつけていない段階で「えんこうの一文銭」はまだ先だった。ふいに思い出したのである。

<2024.03.02追記>

病院の待合室で「浮布の池」について考えていてふと閃く。

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

行為項モデルは上記のように二次元で登場人物の相関関係と物語の構図をシンプルに図示する。

主体の意思が物語を駆動するという構図だろう。客体はO、オブジェクトであるとは限らない。主体(主人公)のこうあって欲しいという願いと考えればいいか。だが、「浮布の池」のにべ姫のような場合に問題が表面化する。

にべ姫の願いは謎の若者との恋が成就することだろう。だが、若者の正体は池の主の蛇であると明らかになる。ここで(まっさらな状態で聴く場合)大半の聴き手の関心は姫が蛇の呪縛から逃れることができるかに焦点が移るだろう。が、結局、姫は若者を追って池に入水してしまう。聴き手の願いは叶わずに物語は終わる。

聴き手の願いと主体の意思とに齟齬が生じるのだ。行為項モデルではここは上手く取り込めていないと感じる。

昔話と違って伝説には悲劇的な結末を迎える話も多い。多くの場合は物語の焦点は予想しない方向性で解消されることになる。だが、却ってそれが聴き手の心にいつまでも残ることとなる。

   聴き手(願い)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

こういう風に聴き手の願いを付け加えてみた。これは純粋なテキスト分析からは逸脱することになる。また、一度完成したものに余計なものを付け加えることになる。が、こうしないと悲劇の場合は上手く説明できないのではないか。ちなみに、高田本では分析者独自の工夫を否定していない。

        聴き手(呪縛からの解放)
            ↓
送り手(姫)→ 恋愛の成就(客体) → 受け手(若者/蛇)
            ↑
補助者  なし   姫(主体) ← 反対者(武士)

昔話/伝説から範囲を拡げてみる。たとえばサスペンス劇だと主人公は当初欺かれていたことが話の途中で明かされることがある。そうすると主人公(主体)の意思に変化が訪れる。客体が変化するのである。行為項モデルは時間の経過は織り込んでいないから、もう一つ新しい行為項モデルを用意することになるだろう。通常の分析では最後まで鑑賞してからモデルを構築すると考えられるので、後の方のモデルが採用されることになるだろう。だが、こういう風に考えてみると、行為項モデルおよび客体は不変という訳ではないとも考えうることになる。

語り手/書き手はこういう風に聴き手/読者の反応を想像しながら物語るのではないだろうか。表面的には浮かんでこないが、物語の中に織り込まれていると見ることは可能だ。

<2024.03.03追記>
行為項分析は一旦ストップさせる。客体に何を置くべきなのか分からなくなってきたため。グレマスの著作まで戻った方がいいかもしれない。

<2024.03.08追記>
「えんこうの一文銭」について別の考えが浮かぶ。実は猫に一文銭を取り戻すよう命じるのは東岸の婆さんなのである。全体的に見れば猫は爺さんのために動いているので婆さんは捨象して考えていた。ところで、実はこの婆さんが西岸の婆さんに福をもたらすえんこうの一文銭のことをうっかり話してしまったため西岸の爺さんに秘密が漏れてしまうのである。このため、東岸の婆さんをどう位置付ければいいのか問題になる。補助者のようであり反対者にも思える。しかし、東岸の爺さんと対立するのは西岸の爺さんである。東岸の婆さんの行為項モデル上での位置づけはよく分からなくなる。

東岸の爺さんが再び豊かになるのを邪魔しているのは西岸の爺さんである。なので西岸の爺さんが反対者となるが、東岸の婆さんは図らずもそのアシストをしているのである。反対者の補助者と言えようか。一方で猫には一文銭を取り返すように命じるのである。

こういう事例があるということで行為項モデルというシンプルなモデルにも上手く適用できない場合があることが分かる。物語というものはいかようにでも語れるということだろう。

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2024年の目標

このところネタ切れだと書いてきた。で、昔話の行為項分析に手をつけはじめた。あと、未到着だがスーリオの古本を注文した。
・昔話の行為項分析+α
・美学関連で購入した書籍の読破
辺りを今年の目標としたい。

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2024年2月24日 (土)

行為項分析――影ワニ

◆あらすじ1

 温泉津の辺りではサメのことをワニと言う。影ワニという怪物がいるという。船が沖を走っているとき、船乗りの影が海に映ることがある。その影を影ワニが呑むと、影を呑まれた船乗りは死ぬと言う。

 昔、ある船乗りが影を呑まれそうになった。気づいた船乗りは反対に影ワニを撃ち殺した。村に帰った船乗りは、ある日浜を歩いていると魚の骨が足の内に突き刺さった。その傷が元で船乗りは死んでしまった。後になって調べてみると、その骨は船乗りが殺した影ワニの骨であった。

 もし影ワニに見つかったら、むしろでも板でも海に投げて自分の影を消さなければならないと言う。

◆モチーフ分析

・温泉津の辺りでは影ワニという怪物がいる
・船乗りの海面に映った影が影ワニに呑まれると、その船乗りは死んでしまう
・影ワニに影を呑まれそうになった船乗りが逆に影ワニを撃ち殺した
・村に戻って浜を歩いていると船乗りの足に魚の骨が刺さった
・その傷が元で船乗りは死んでしまった
・その骨は船乗りが撃ち殺した影ワニだった
・もし影ワニに見つかったら、むしろや板を海に投げて自分の影を消さなければならない。

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:影ワニ
S2:船乗り

O(オブジェクト:対象)
O1:温泉津
O2:影
O3:魚の骨

+:接
-:離

・温泉津の辺りでは影ワニという怪物がいる
(存在)S1影ワニ:S1影ワニ+O1温泉津
・船乗りの海面に映った影が影ワニに呑まれると、その船乗りは死んでしまう
(捕食)S1影ワニ:S1影ワニ+S2船乗り
・影ワニに影を呑まれそうになった船乗りが逆に影ワニを撃ち殺した
(射殺)S2船乗り:S2船乗り-S1影ワニ
・村に戻って浜を歩いていると船乗りの足に魚の骨が刺さった
(怪我)S2船乗り:S2船乗り-O3魚の骨
・その傷が元で船乗りは死んでしまった
(死亡)O3魚の骨:O3魚の骨-S2船乗り
・その骨は船乗りが撃ち殺した影ワニのものだった
(由来)O3魚の骨:O3魚の骨+S1影ワニ
・もし影ワニに見つかったら、むしろや板を海に投げて自分の影を消さなければならない。
(伝承)S2船乗り:S1影ワニ-O2影

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

   聴き手(船乗りは影ワニから逃れられるのか)
            ↓
送り手(影ワニ)→ 魚の骨(客体)→受け手(船乗り)
            ↑
補助者(魚の骨)→ 影ワニ(主体)← 反対者(船乗り)

 影ワニはある船乗りを捕食しようとしますが、逆に射殺されてしまいます。しかし、その後、影ワニの骨が船乗りの足に刺さり怪我を負うことで船乗りは死んでしまいます。復讐は成ったという結果となります。物語の主となる部分では影ワニが影を捕食する場面は描かれません。

 聴き手は影ワニという恐ろしい妖怪の存在を知らされます。その影ワニが漁師に返り討ちに遭うという展開は驚きをもたらすでしょう。しかし、影ワニは骨になっても復讐するという結末で影ワニの恐ろしさを印象づけるのです。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

船乗り♌―影ワニ♂☾(♂)

といった風に表記できるでしょうか。影ワニの骨が船乗りを死に至らしめますので、影ワニ自身が援助者でもあると解釈できます。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は「影―ワニ」という概念の組み合わせによるものでしょう。ワニとはサメのことです。影を呑む影ワニという妖怪が誕生した訳です。この伝説では「足―刺さる―骨/影ワニ」という組み合わせも考えられます。

◆あらすじ2

 日祖の港の西側にアバヤという所がある。そこの岬に東から西に通り抜ける大きな洞穴がある。この東側の入口の沖で二人の漁師が漁をしていた。二人とも夢中になっていたが、突然一人が悲鳴を上げた。もう一人が驚いて振り返ると影も形も無かった。海に落ちたのかと、そこら中メガネで探したが見当たらなかった。後で村中総出で、やっと海の底から死んだ漁師の着物だけを拾い上げた。アバヤの洞穴には昔から影ワニが住んでいると言われている。

◆モチーフ分析

・アバヤの岬に洞穴がある
・洞穴の東側の沖で漁師が二人漁をしていた
・突然一人が悲鳴を上げ消える
・もう一人が探すが見つからない
・村中総出で探して消えた漁師の着物だけが見つかる
・アバヤの洞穴には昔から影ワニが住んでいるという

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:漁師A
S2:漁師B
S3:村人
S4:影ワニ

O(オブジェクト:対象)
O1:アバヤ
O2:洞窟
03:着物

+:接
-:離

・アバヤの岬に洞穴がある
(存在)O2洞窟:O2洞窟+O1アバヤ
・洞穴の東側の沖で漁師が二人漁をしていた
(漁)S1漁師A:S1漁師A+S2漁師B
・突然一人が悲鳴を上げ消える
(消失)S2漁師B:S2漁師B-S1漁師A
・もう一人が探すが見つからない
(捜索)S1漁師A:S1漁師A-S2漁師B
・村中総出で探して消えた漁師の着物だけが見つかる
(発見)S3村人:S3村人+O3着物
・アバヤの洞穴には昔から影ワニが住んでいるという
(存在)S4影ワニ:S4影ワニ+O2洞窟

◆行為項モデル

   聴き手(消えた漁師Bは発見されるか)
           ↓
送り手(漁師A)→ 着物(客体)→受け手(漁師B)
           ↑
補助者(村人)→  漁師A(主体)← 反対者(影ワニ)

 一緒に漁をしていた漁師Bが突然姿を消したので漁師Aは必死に捜索します。村人の協力を得ますが着物しか見つけられませんでした。結局、漁師Bは洞窟に住む影ワニに食べられたのだろうという解釈を導き出します。

 漁師が一人突然行方不明になるという展開に聴き手は困惑するでしょう。それがどうやら影ワニの仕業らしいという結論になって聴き手は納得するのでしょう。

◆関係分析

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

 これらを元に関係分析をすると、

漁師A♌☾(☉)―漁師B☉―影ワニ♂―村人♎

といった風に表記できるでしょうか。ここでは襲われた漁師Bを価値と解釈してみました。村人は影ワニの仕業だろうと結論づけますので審判者♎としました。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は「漁師―着物―影ワニ」という概念の組み合わせによるでしょうか。着物を残して行方不明となったことで影ワニに捕食されたという推論が浮かんだ訳です。

 影ワニ―漁師、影―死といった対立軸が見出せます。影ワニに関しては牛鬼と違ってこれを防ぐアイテムは存在せず、手近なもので影を隠すしか逃れる術はないと語られています。

 これらから海―死という暗喩が見出せるでしょうか。海上における危険を影ワニという妖怪に仮託して語っていると考えられます。

 なお、伝説の舞台となる大田市の漁港ではサメが水揚げされ、中国山地に出荷、その地の食文化を彩っているという背景もあります。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.37-38.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年2月23日 (金)

閃きは狙って起こせない――兎野卵

兎野卵というKindle作家の電子書籍を読み漁る。この人は漫画家として商業デビューしたものの単行本を一冊出した段階で商業活動は終わってしまったという経歴を持つ。難関大学の建築学科を卒業したらしく思考は明晰である。

兎野氏は売れなくてもいいからとにかく面白い漫画が描きたいと願っている。しかし、その面白い作品の核となる、つまりブレイクスルーとなるアイデアが閃かずに苦しんでいる。閃きというのは意思の力で狙って起こせるものではないからだ。狙って閃きを起こせるのはミステリーの探偵だけである。現在では一歩引いた視線で自分を見つめている。その視線で執筆したものが兎野氏の創作論シリーズとなる。

僕も現在ネタ切れを起こしているので、ブレイクスルーとなる閃きを渇望している。そういう点で自分と似ているなと思って読み進めた。

読んでいる内に、兎野氏は商業作家になりきれない自分を合理化しようとしているのではという思いが浮かんできた。それはそれで合理化の罠に囚われていることになる。解脱しようとしたつもりが別の罠に囚われてしまっている。

今は出版社を通さずともSNS等で漫画を発表することは可能だ。実際、漫画を発表してバズる漫画家も少なくない。ただ、そうなると更なるバズを狙って執筆していくこととなり、いつしか疲れてしまうのだとか。僕もSNSは少々利用しているがバズったことはないのでそこら辺の感覚は分からない。

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行為項分析――うしおに

◆あらすじ1

 波路浦に一人の漁師がいた。ある日の漁は大量であった。喜んで帰りかけると、海の中から大きな牛の様な怪物が大きな声で「魚をくれ」と叫ぶので、恐ろしくなって投げてやった。ところが怪物はまたしても「魚をくれ」と叫ぶので、その度に少しずつ投げてやった。ようやく港へ着くと急いで家へ帰った。しばらくすると怪物がやってきて、どんどん戸を叩きながら「魚をくれ」と言った。漁師が「家の中へ入れ。魚をやろう」というと「お前はお仏飯を食べているから、家の中へは入られない」といって逃げていった。あくる朝戸をあけて庭へ出てみると大きな足跡が残っていた。足跡は牛の様でもあるし、牛とは違う様にもあるし、村人は不思議に思った。これは昔から言われている牛鬼だろうということになった。

◆モチーフ分析

・波路浦に漁師がいた。ある日の漁は大漁だった
・帰りかけると海の中から怪物が「魚をくれ」と叫ぶので魚をやる
・「魚をくれ」と叫び続けるので、その都度魚をやる
・港へつくと急いで家へ帰る
・家まで怪物が来て「魚をくれ」と言う
・「家の中へ入れ」と言うと「お前はお仏飯を食べているから中に入れない」と怪物が答え逃げていく
・あくる朝、戸をあけると足跡が残っていた
・これは牛鬼だろうということになった

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:漁師
S2:怪物

O(オブジェクト:対象)
O1:波路浦
O2:魚
O3:港
O4:家
O5:お仏飯
O6:足跡
O7:牛鬼

+:接
-:離

・波路浦に漁師がいた
(存在)O1波路浦:O1波路浦+S1漁師
・ある日の漁は大漁だった
(大漁)S1漁師:S1漁師+O2魚
・帰りかけると海の中から怪物が「魚をくれ」と叫ぶので魚をやる
(投与)S1漁師:S2怪物+O2魚
・「魚をくれ」と叫び続けるので、その都度魚をやる
(投与)S1漁師:S2怪物+O2魚
・港へつくと急いで家へ帰る
(帰宅)S1漁師:S1漁師+O4家
・家まで怪物が来て「魚をくれ」と言う
(要求)S2怪物:S2怪物+S1漁師
・「家の中へ入れ」と言うと「お前はお仏飯を食べているから中に入れない」と怪物が答え逃げていく
(逃亡)S2怪物:S2怪物-O5お仏飯
・あくる朝、戸をあけると足跡が残っていた
(発見)S1漁師:S1漁師+O6足跡
・これは牛鬼だろうということになった
(推測)S1漁師:S1漁師+O7牛鬼

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

聴き手(漁師は牛鬼の追跡から逃れられるのか)
           ↓
送り手(漁師)→ 魚(客体)→ 受け手(怪物)
            ↑
補助者(お仏飯)→ 漁師(主体)← 反対者(怪物)

 漁師は怪物から逃れるためせっかく獲った魚を与え続けます。そしてお仏飯を食べていたため、かろうじて怪物の追跡から逃れます。

 ここでは補助者が主体ではなく客体(お仏飯)となっています。

 牛鬼の追跡から逃れることができるか聴き手ははらはらしながら耳を傾けるでしょう。とうとう家の中に逃げ込みますが牛鬼はまだ追ってきます。しかし、お仏飯を食べているという理由で牛鬼は退散します。これで聴き手は安心するでしょう。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

漁師♌☉♁―牛鬼♂♎

といった風に表記できるでしょうか。審判者であるてんびん座を牛鬼に割り当てるべきかですが、牛鬼は漁師がお仏飯を食べている(すなわち♁)ことを見抜きますので、ここでは審判者の役割を割り当てました。

 発想の飛躍は「漁師―お仏飯―牛鬼」という概念の組み合わせによるでしょうか。お仏飯を食べていたことで牛鬼の襲撃から免れます。

◆あらすじ2

 波路浦の大下(おおしも)という家の何代も前の主人が三人の仲間と一緒に四月のある晩釣りに出た。他の舟は沖へ出ていたが、この舟は温泉津の港と福光海岸の中程のシューキの岸近くで糸を下ろした。ここは秘密の釣り場で、その日もよく釣れた。夜が更けて岸の方から「行こうか、行こうか」と声をかけるものがあった。この辺りは断崖絶壁で人のゆける所ではない。狐が悪戯をするのだと思って「おう、来たけりゃ、来い」とからかい半分に言った。ところが「おう」と返事と共に何か大きなものが海にどぶんと飛び込んだ。舟に向かって牛鬼が泳いできた。真っ青になった四人は一生懸命波路浦に向けてこぎ出した。牛鬼も舟を追って来る。ようやく一里ばかり離れた波路浦の浜に着くと、一番近い大下の家へ飛び込んで戸を閉めた。牛鬼は戸をどんどん叩きながら「開けろ、開けろ」とどなる。四人は土間にへばりこんでさっぱり動こうともしない。家の者が火箸を囲炉裏で真っ赤に焼いて、大戸の鍵穴に口を寄せて「今戸を開けてやるから静かにせい」と怒鳴った。牛鬼は声のした鍵穴から中をのぞき込んだ。その時、焼き火箸を鍵穴へ突っ込んだ。目を焼き火箸で突き刺された牛鬼はたけり狂ったが、柱の上に張ってある出雲大社のお札に気づくと身震いしてもの凄い声をあげて逃げていった。この辺りの漁師はそれから必ず出雲大社のお札を戸口に貼るようになった。

◆モチーフ分析

・波路浦の大下の家の主人が仲間と共にある晩釣りにでかけた
・温泉津と福光の間のシューキの秘密の釣り場で釣りをする
・よく釣れた
・岸の方から「行こうか、行こうか」と声をかけるものがいる
・狐だと思い、「おう」と返すと牛鬼が海に飛び込み舟めがけて追いかけてきた

・焦った主人たちは波路浦に向けてこぎ出す。牛鬼も舟を追ってくる
・ようやく波路浦の浜につくと大下の家に逃げ込む
・牛鬼が「開けろ」と怒鳴る
・牛鬼が鍵穴をのぞき込んだところ、家のものが焼いた火箸を鍵穴に突っ込む
・目を突かれた牛鬼はたけり狂うが、出雲大社のお札に気づくと逃げていった
・それからこの辺りの家は出雲大社のお札を戸口に貼るようになった

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1;主人
S2:仲間
S3:牛鬼
S4:家の者
S5:住民

O(オブジェクト:対象)
O1:舟
O2:家
O3:鍵穴
O4:火箸
O5:お札

+:接
-:離

・波路浦の大下の家の主人が仲間と共にある晩釣りにでかけた
(出発)S1主人:S1主人+S2仲間
・温泉津と福光の間のシューキの秘密の釣り場で釣りをする
(釣り)S1主人:S1主人+S2仲間
・岸の方から「行こうか、行こうか」と声をかけるものがいる
(呼びかけ)S3牛鬼:S3牛鬼+S1主人
・狐だと思い、「おう」と返すと牛鬼が海に飛び込み舟めがけて追いかけてきた
(追跡)S1主人:S3牛鬼+O1舟
・焦った主人たちは波路浦に向けてこぎ出す。牛鬼も舟を追ってくる
(逃走)S1主人:S3牛鬼-S1主人
・ようやく波路浦の浜につくと大下の家に逃げ込む
(逃入)S1主人:S1主人+O2家
・牛鬼が「開けろ」と怒鳴る
(威嚇)S3牛鬼:S3牛鬼+S1主人
・牛鬼が鍵穴をのぞき込んだところ、家のものが焼いた火箸を鍵穴に突っ込む
(奇襲)S4家の者:S3牛鬼+O4火箸
・目を突かれた牛鬼はたけり狂うが、出雲大社のお札に気づくと逃げていった
(逃散)S3牛鬼:S3牛鬼-O5お札
・それからこの辺りの家は出雲大社のお札を戸口に貼るようになった
(魔除け)S5住民:S5住民+O5お札

◆行為項モデル

 聴き手(主人たちは牛鬼の追跡から逃れられるのか)
           ↓
送り手(主人)→ 火箸(客体) → 受け手(牛鬼)
            ↑
補助者(家の者)→ 主人(主体) ← 反対者(牛鬼)

 牛鬼に追われた大下の主人は仲間と共に家に逃げ込みますが牛鬼が威嚇してきます。機転を利かせた家の者が火箸で牛鬼の目を潰します。家の者の知恵が示されます。牛鬼は出雲大社のお札でそれ以上近づけず逃亡します。出雲大社の効験を示す伝説でもあります。

 これも牛鬼の追跡劇です。牛鬼の目を火箸で潰すというのは残酷な表現ですが聴き手は納得するのでしょう。出雲大社のお札も聴き手を安心させるに違いありません。

◆関係分析

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

主人♌♁―牛鬼♂♎―家の者☾(♌)

といった風に表記できるでしょうか。分析には出てきませんが、出雲大社のお札のご利益(すなわち☉)を受ける者が主人と仲間ですなわち♁です。牛鬼はお札を恐れて逃げますので、ここでは審判者♎としました。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は「火箸―突く―目」の概念の組み合わせによるでしょうか。あるいは「主人―お札―牛鬼」かもしれません。火箸で目を突くことで牛鬼を撃退しようとしますが、却って牛鬼を怒らせてしまいます。ですが、出雲大社のお札の効験で危機を免れるのです。

◆あらすじ3

 日祖(にそ)の漁師に友村清市という人がいた。ある晩一人で小舟に乗って沖へ出た。すると牛鬼が一匹、追いかけてきた。力が強く胆のすわった清市は舟中の綱をまとめて牛鬼が近づくのを待った。間もなく牛鬼は船べりにきて舟に上がろうとした。清市はこれに組み付き、舟へ引き上げて、がんじがらめに縛り上げた。清市は小二町(こふたまち)まで舟で帰り、そこから山越しに日祖まで牛鬼を担いで帰った。浜の舟小屋の前へ牛鬼を投げ出しておくと、日祖中の人がぞろぞろ見にきた。わいわい言っていると、一人の若者が櫂を持って牛鬼の頭を力任せに殴りつけた。すると変な音がして櫂は二つに折れた。近寄ってよく見ると、椿の木の古い根ががんじがらめに縛ってあった。昔から椿は化けるということで、椿の花は仏さまには絶対に供えない。

◆モチーフ分析

・日祖に漁師がいた
・ある晩、小舟に乗って沖へ出た
・牛鬼が一匹追いかけてきた。牛鬼は船べりまでやって来た
・漁師は組み付き、舟へ引き上げてがんじがらめに縛り上げた
・漁師は小二町まで舟で帰り、日祖まで牛鬼を担いで帰った
・浜の舟小屋の前へ牛鬼を投げ出しておくと、村中の人が見物にきた
・一人の若者が櫂で牛鬼の頭を殴りつけた。すると櫂は二つに折れた
・近寄ってよく見ると、椿の古い根ががんじがらめに縛ってあった
・昔から椿は化けるので、椿の花は仏さまには絶対に供えない

◆行為項分析

S(サブジェクト:主体)
S1:漁師
S2:牛鬼
S3:村人
S4:若者

O(オブジェクト:対象)
O1:舟
O2:日祖
O3:櫂
O4:椿
O5:仏さま

+:接
-:離

・日祖に漁師がいた
(存在)S1漁師:S1漁師+O2日祖
・ある晩、小舟に乗って沖へ出た
(出漁)S1漁師:S1漁師+O1舟
・牛鬼が一匹追いかけてきた
(遭遇)S1漁師:S1漁師+S2牛鬼
・牛鬼は船べりまでやって来た
(接近)S2牛鬼:S2牛鬼+O1舟
・漁師は組み付き、舟へ引き上げてがんじがらめに縛り上げた
(格闘)S1漁師:S1漁師+S2牛鬼
・漁師は小二町まで舟で帰り、日祖まで牛鬼を担いで帰った
(帰還)S1漁師:S1漁師+S2牛鬼
・浜の舟小屋の前へ牛鬼を投げ出しておくと、村中の人が見物にきた
(見物)S1漁師:S3村人+S2牛鬼
・一人の若者が櫂で牛鬼の頭を殴りつけた。すると櫂は二つに折れた
(殴打)S4若者:S4若者+S2牛鬼
・近寄ってよく見ると、椿の古い根ががんじがらめに縛ってあった
(変化の解除)S4若者」S2牛鬼-O4椿
・昔から椿は化けるので、椿の花は仏さまには絶対に供えない
(習慣)O4椿:O4椿-O5仏さま

◆行為項モデル

   聴き手(捕獲された牛鬼はどうなるのか)
           ↓
送り手(漁師)→ 牛鬼を見世物にする(客体)→受け手(牛鬼)
           ↑
補助者(若者)→ 漁師(主体)    ← 反対者(牛鬼)

 牛鬼を生け捕りにした漁師は村へ牛鬼を連れ帰り見世物にします。ここでは漁師の強さが強調されます。ですが、若者が殴打したところ椿の根が変化したものだったことが明らかとなります。椿は変化する不吉な樹だとの説明ともなっています。

 牛鬼が逆に捕獲されてしまうという意外な展開となります。聴き手は村に連れ帰られた牛鬼はどうなるのだろうと想像することでしょう。結局牛鬼は椿の根の変化だったと明らかにされ聴き手は一応の納得はするでしょう。

◆関係分析

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

漁師♌―牛鬼♂☉―若者♎☾(♌)

といった風に表記できるでしょうか。若者が牛鬼を殴ることで正体が判明しますので、若者を審判者♎としてもいいでしょうか。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は「漁師―縛る―牛鬼/椿」という概念の組み合わせによるでしょうか。せっかく捕獲した牛鬼が実は椿の根の変化したものだったという結末です。

◆あらすじ4

 日祖である晩いわしの地引き網を入れた。ところがどうしたことか一尾もかからない。気をくさらせて皆は酒を飲んでさっさと引き上げた。そのとき小舟にいた一人の老人が家に帰ってから煙草入れを忘れたのに気がついて取りにいこうとした。家内は不吉な予感がすると言って行くのを止めたが、老人は振り切って行こうとする。そこで家内は仏壇に供えてあったお仏飯を食べさせて出した。煙草入れを探すのに夢中になっていた老人が騒がしい波の音に気がついてふとその方を見ると一匹の牛鬼が側まで来ていた。舟の中であり、もう逃げられないと思ったが、思わず櫂で殴ってやろうと身構えた。すると牛鬼は「お前はお仏飯を食っているから近づけない」と言って逃げていった。昔から子供が海や山へ行くときには怪我の無いようにといってお仏飯を食べさせる。

◆モチーフ分析

・日祖である晩いわしの地引き網を入れた。が、一匹もかからない
・漁師たちは酒を飲んでさっさと引き上げた
・小舟にいた老人が煙草入れを忘れて取りに行こうとした
・家内が不吉だと止めたが、老人は振り切ったので、お仏飯を食べさせる
・老人が煙草入れを探していると牛鬼が側までやって来た
・老人は櫂で殴ろうとする
・牛鬼は「お前はお仏飯を食べているから近づけない」と言って逃げた
・昔から子供が海や山に行くときは怪我の無いようにお仏飯を食べさせる

◆行為項分析

S(サブジェクト:主体)
S1:漁師
S2:老人
S3:家内
S4:牛鬼
S5:住民
S6:子供

O(オブジェクト:対象)
O1:日祖
O2:いわし
O3:煙草入れ
O4:お仏飯

+:接
-:離

・日祖である晩いわしの地引き網を入れた。が、一匹もかからない
(不漁)S1漁師:S1漁師-O2いわし
・漁師たちは酒を飲んでさっさと引き上げた
(引揚げ)S1漁師:S1漁師-O1日祖
・小舟にいた老人が煙草入れを忘れて取りに行こうとした
(引き返す)S2老人:S2老人+O3煙草入れ
・家内が不吉だと止める
(制止)S3家内:S3家内+S2老人
・老人は振り切る
(無視)S2老人:S2老人-S3家内
・老人にお仏飯を食べさせる
(食餌)S3家内:S2老人+O4お仏飯
・老人が煙草入れを探していると牛鬼が側までやって来た
(接近)S4牛鬼:S2老人+O3煙草入れ
・老人は櫂で殴ろうとする
(殴打)S2老人:S2老人+S4牛鬼
・牛鬼は「お前はお仏飯を食べているから近づけない」と言って逃げた
(逃亡)S4牛鬼:S4牛鬼-S2老人
・昔から子供が海や山に行くときは怪我の無いようにお仏飯を食べさせる
(習慣)S5住民:S6子供+O4お仏飯

◆行為項モデル

    聴き手(老人は牛鬼の襲撃を免れられるか)
           ↓
送り手(老人)→ お仏飯(客体)→ 受け手(牛鬼)
           ↑
補助者(家内)  老人(主体) ← 反対者(牛鬼)

 下記のようにも書けます。

    聴き手(老人は牛鬼の襲撃を免れられるか)
           ↓
送り手(牛鬼)→ 老人を襲う(客体)→ 受け手(老人)
           ↑
補助者 なし  牛鬼(主体)   ← 反対者(家内)

 牛鬼は老人を襲おうとしたものの老人がお仏飯を食べていたため断念します。老人の家内の危惧が当たったことになりますが、間一髪悲劇は食い止められます。仏力で怪物や危難を避けるという信仰があったことを示しています。

 老人は制止を振り切って煙草入れを取りに行こうとします。禁止の侵犯に聴き手ははらはらするはずです。案の定牛鬼が登場しますが、老人がお仏飯を食べていたため無事だったという結末に終わり、聴き手は安堵するのです。

 この行為項モデルでは老人が制止を振り切る、つまり禁止の侵犯を行っているという重要なモチーフが表現できていません。禁止の侵犯は物語の面白い箇所に相当しますが、上手くモデルに組み込めていないのです。

 これらからは牛鬼―漁師、牛鬼―お仏飯、牛鬼―出雲大社のお札といった対立軸が見て取れます。牛鬼の襲撃を妨げるものとしてお仏飯、出雲大社のお札といったアイテムがクローズアップされるのです。

 ここから神仏―妖怪といった暗喩が同定できるでしょうか。恐怖の存在である妖怪から加護する神仏の存在が伝説に込められています。

◆関係分析

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

老人♌♁―牛鬼♂♎―家内☾(♌)

といった風に表記できるでしょうか。分析には登場しませんが、お仏飯が価値☉となるでしょう。牛鬼はそれを見抜きますので審判者♎とします。

◆発想の飛躍

 発想の飛躍は「漁師―お仏飯―牛鬼」という概念の組み合わせによるでしょうか。ここでもやはりお仏飯を食べていたことで危機を免れるのです。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.32-36.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年2月22日 (木)

行為項分析――ごうろ坂の一ツ目小僧

◆あらすじ

 ごうろ坂は矢滝城山の中腹にある胸つき十八町といわれる急な坂道で、大森(銀山)へ行く難所だった。いつの頃からか、ここに一ツ目の化物が出て旅人をとって食うという噂が広がった。夕方になると道を歩く人もなくなってしまった。大森の代官所でも強い武士に化物を退治させようとしたが、その度に失敗した。

 ある夕方、温泉津から清水を通って西田に来た一人の武士がいた。その武士が西田の茶店で休んで出発しようとすると、もう夕方なので化物が出る。今夜は泊まって明日出立した方がよいと茶店の婆さんに言われる。化物が出ると知った武士は退治してやろうと考える。武士は制止を振り切って出立した。

 坂の頂上辺りまで来たとき、若い女が一人道ばたで苦しんでいた。明日の朝温泉津を出る北前船に乗らなければならないのだが、急に腹が痛くなって動けないと女は答えた。闇に女の顔が白く浮かぶ。

 人間ではないと気づいた武士だったが、女を背負うと西田へと下っていく。歩く内に背中の女は次第に重くなり、とうとう歩けなくなった。武士は決心して女を道ばたの石に投げ下ろした。ぎゃっという悲鳴とともに女の姿は消えてしまった。

 あくる朝、矢滝の人々がいってみると、大石は血で染まり、側に狸の毛が一杯落ちていた。人々はそこに地蔵さまを祀った。それからはそういうことはなくなった。

◆モチーフ分析

・ごうろ坂は急な坂道で大森へ行く難所だった
・いつの頃からか坂に一ツ目の化物が出ると噂が立った
・夕方になると人気が絶えた
・代官所も武士に化物退治をさせたが、その度に失敗した
・ある夕方、温泉津から西田へ来た武士がいた
・武士が西田の茶店で休んでいると、茶店の婆さんにもう夕方だから今夜はここに泊まっていけといわれる
・化物がでると知った武士は制止を振り切って出立する
・坂の頂上まで来たとき、若い女が一人道ばたで苦しんでいた
・明日の朝までに温泉津に行かねばならない
・闇に女の顔が白く浮かぶ。人でないと武士は見破る
・女を背負った武士、西田へと下っていく
・背中の女は次第に重くなり、歩けなくなってしまった
・思い切って女を道ばたの大石に投げ下ろした
・悲鳴とともに女の姿は消えた
・人々が行ってみると、大石は血で染まり、狸の毛がいっぱい落ちていた
・人々はそこに地蔵を祀った
・それから化物が出ることはなくなった

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:代官所
S2:武士
S3:茶店の婆さん
S4:若い女
S5:人々

O(オブジェクト:対象)
O1:ごうろ坂
O2:大森
O3:化物
O4:茶店
O5:大石
O6:地蔵

+:接
-:離

・いつの頃からかごうろ坂に一ツ目の化物が出ると噂が立った
(噂)O1ごうろ坂:O1ごうろ坂+O3化物
・代官所も武士に化物退治をさせたが、その度に失敗した
(失敗)S1代官所:S1代官所-O3化物
・ある夕方、温泉津から西田へ来た武士が茶店で休んでいると、茶店の婆さんにもう夕方だから今夜はここに泊まっていけといわれる
(制止)S3婆さん:S3婆さん+S2武士
・化物がでると知った武士は制止を振り切って出立する
(出立)S2武士:S2武士-S3婆さん
・坂の頂上まで来たとき、若い女が一人道ばたで苦しんでいた
(遭遇)S2武士:S2武士+S4若い女
・闇に女の顔が白く浮かぶ。人でないと武士は見破る
(看破)S2武士:S2武士+S4若い女
・女を背負った武士、西田へと下っていく
(出発)S2武士:S2武士+S4若い女
・背中の女は次第に重くなり、歩けなくなってしまった
(歩行困難)S2武士:S2武士-S4若い女
・思い切って女を道ばたの大石に投げ下ろした
(投下)S2武士:S2武士+S4若い女
・悲鳴とともに女の姿は消えた
(消失)S2武士:S2武士-S4若い女
・人々が行ってみると、大石は血で染まり、狸の毛がいっぱい落ちていた
(発見)S5人々:S5人々+O5大石
・人々はそこに地蔵を祀った
(祭祀)S5人々:S5人々+O6地蔵
・それから化物が出ることはなくなった
(解放)S5人々:S5人々-O3化物

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

   聴き手(女を背負った武士は無事でいられるのか)
            ↓
送り手(武士)→ 若い女の正体を暴く(客体)→ 受け手(化物)
            ↑
補助者(婆さん)→  武士(主体)    ← 若い女(反対者)

   聴き手(女を背負った武士は無事でいられるのか)
             ↓
送り手(若い女)→ 武士を化かしてやろう(客体)→ 受け手(武士)
             ↑
補助者 なし      化物      ← 武士(反対者)

 武士が若い女を化物が変化した姿と直感しつつ背負う行動に武士の勇敢さが表現されています。結局、武士は重さに耐えかねて女を大石に投げ捨てますが、それが結果的に化物を退治することになります。

 逆に化物の立場からすると、若い女に化けて武士に背負われる、つまり背後をとることに成功したのですが、結局のところ大石に投げつけられて大怪我を負ってしまい姿を消すことになります。

 また、地蔵を祀ることでその後の化物の復活を封じたと解釈することもできます。

 武士が敢えて女を背負ったことで聴き手ははらはらするでしょう。物語の焦点は「女を敢えて背負った武士の安否」となります。そして結局女を大石に投げつけることで問題が解決することに安心するのではないでしょうか。

 武士―女、大石―狸、地蔵―狸といった対立軸が見出せるでしょうか。狸は血を流しているのが確認されただけで死んだとは断定されていません。地蔵の効験によって封じられたとも考えられます。

 ここから自然―動物、神仏―動物といった暗喩が同定できるでしょうか。ここでの動物は化かす意味での動物です。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

武士♌―女♂―婆さん☾(♌)―人々♁☾(☉)

といった風に表記できるでしょうか。人々を分析に含めるべきか迷いますが、地蔵を価値と考えれば援助者と見なせるでしょうか。

◆発想の飛躍

 この伝説における発想の飛躍は「武士―背負う―女/狸」という概念の組み合わせによるでしょうか。あるいは「投げ下ろす―女/狸―大石」かもしれません。危険を悟りつつ敢えて女を背負うのです。その行為が事件の解決を招きます。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.29-31.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年2月20日 (火)

行為項分析――足半踊り

◆あらすじ

 馬路(仁摩町)の乙見神社は大国主命をまつっている。昔、大国主命が志賀美(しかみ)山(高山)を見て、あそこはとてもよいところだ。永くこの地にとどまって国造りをしようと言って船をこぎよせられた。神子路(みこじ)の浜は大国主命の子神が通ったと言われている。後に志賀見山に社を建てた。

 ある夏のはじめ、志賀見山に火事が起きた。火は社の近くまで迫った。願城寺に住んでいた婆さんがこれは一大事と神さまをお助けすることを近所の人たちに呼びかけたが、火事の中であり、うっかり神さまに触っては祟りがあるかもしれないと思って助けようとする者がいなかった。

 三年前に夫をなくした婆さんは自分ひとりでもと決心して足半(あしなこ)をもって山の上へ駆け上った。山は険しく、つまづいたりぶつかったり、こけたりまるげたりしながら煙の中に見える社にようやく駆けつけた。

 幸い社は無事だった。婆さんはお参りすると、どうして神さまをお連れしようか考えた。女は穢れのあるものとされているので直に身体に触ってはいけない。そこで履いてきた足半の表の土のつかない方を背中にあて、裏の土のついた方を神さまの方へ向け、ご神体を背負って急な坂を下りはじめた。

 火は路へは回っていなかったので、何度も滑って尻もちをつきながら、ようやく麓の乙見の里についた。

 村人たちは婆さんの勇敢な行いに感心し、さっそく新しい社をどこに作るか相談した。山火事でも危険の無いところにしようと東西に川のある今の所を選んで社を建て、乙見と名づけた。

 ある晩、婆さんが寝ていると、して欲しいことがあれば祈願せよと神さまのお告げがあった。婆さんは社にお参りして田畑の作物が枯れそうだ、雨を降らせて欲しいとお祈りした。すると、その願いを叶えようとお告げがあって、黒い雲が空を覆い、大粒の雨が降ってきた。田畑の作物は生気を取り戻した。これを見た村人たちは大喜びで仕事着に足半を履いたまま、婆さんを先頭に社へ参って踊りを踊って神さまにお礼を言った。

 それから日照りのときは婆さんやその子孫が願主になって雨乞いをすると、必ず雨が降るようになり、足半踊りを踊ってお礼まいりするようになった。有名な馬路の盆踊りの足半踊りはこれが始まりである。

◆モチーフ分析

・ある夏、志賀見山に火事が起きて、火は社の近くまで迫った。
・願城寺に住んでいた婆さんがご神体を避難させようと提案したが、村人たちは祟りを怖れ消極的だった
・婆さんは自分ひとりで足半を持って山へ登った。山は険しく苦労したが社に辿り着いた
・社は無事だった。女は穢れのあるものとされているので婆さんは足半を間に挟んでご神体を持ち出した
・何とか麓まで辿り着いた
・村人たちは婆さんの行いに感心、新しい社を乙見に建てることにする
・婆さんが寝ていると、夢のお告げがあった。婆さんは日照りなので雨を降らせて欲しいと祈った
・お告げがあって雨が降ってきた。田畑の作物は生気を取り戻した
・村人たちは足半を履いたまま踊り、神さまに礼を言った
・それから日照りのときは婆さんやその子孫が願主になって雨乞いをすると必ず雨が降った
・村人たちは足半踊りを神さまに奉納するようになった
・馬路の盆踊りの足半踊りの起源はこれである

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:婆さん
S2:村人
S3:神さま

O(オブジェクト:対象)
O1:志賀見山
O2:火
O3:社
O4:ご神体
O5:足半
O6:乙見の里
O7:雨
O8:作物

+:接
-:離

・ある夏、志賀見山に火事が起きて、火は社の近くまで迫った。
(出火)O2火:O2火+O3社
・願城寺に住んでいた婆さんがご神体を避難させようと提案したが、村人たちは祟りを怖れ消極的だった
(提案)S1婆さん:S1婆さん-S2村人
・婆さんは自分ひとりで足半を持って山へ登った
(単独行動)S1婆さん:S1婆さん+O1志賀見山
・山は険しく苦労したが社に辿り着いた
(到着)S1婆さん:S1婆さん+O3社
・社は無事だった。女は穢れのあるものとされているので婆さんは足半を間に挟んでご神体を持ち出した
(救出)S1婆さん:S1婆さん+O4ご神体
・何とか麓まで辿り着いた
(到着)S1婆さん:S1婆さん+O6乙見の里
・村人たちは婆さんの行いに感心、新しい社を乙見に建てることにする
(移築)S2村人:S2村人+O3社
・婆さんが寝ていると、夢のお告げがあった
(夢告)S3神さま:S3神さま+S1婆さん
・婆さんは日照りなので雨を降らせて欲しいと祈った
(祈願)S1婆さん:S1婆さん+S3神さま
・お告げがあって雨が降ってきた
(降雨)S3神さま:S3神さま+O7雨
・田畑の作物は生気を取り戻した
(回復)O7雨:O7雨+O8作物
・村人たちは足半を履いたまま踊り、神さまに礼を言った
(感謝)S2村人:S2村人+S3神さま
・それから日照りのときは婆さんやその子孫が願主になって雨乞いをすると必ず雨が降った
(雨ごい)S1婆さん:S1婆さん+O7雨
・村人たちは足半踊りを神さまに奉納するようになった
(奉納)S2村人:S2村人+S3神さま

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

 前半は下記の通りとなります。

     聴き手(婆さんは無事脱出できるか)
            ↓
送り手(婆さん)→ ご神体(客体)→ 受け手(神さま)
            ↑
補助者  なし  婆さん(主体) なし 反対者

 後半は下記の通りとなります。

     聴き手(婆さんの願いは何か)
            ↓
送り手(神さま)→ 雨(客体)→ 受け手(婆さん)
            ↑
補助者  なし  婆さん(主体) なし 反対者

     聴き手(村人たちはその後どう対応したか)
            ↓
送り手(村人)→ 足半踊り(客体)→ 受け手(神さま)
            ↑
補助者(婆さん)→ 村人(主体) なし 反対者

 山火事からご神体を救出した婆さんの願いを神さまが叶えます。願いは雨を降らせることでした。婆さんはあくまで村のためになることを願ったため、神の恩恵を得られたのです。婆さんの献身的な行いを称えるため足半踊りが奉納されているという由来譚でもあります。

 婆さんはご神体を背負って無事脱出できるか聴き手は関心を持って耳を傾けるでしょう。また、婆さんの願いは何なのかにも興味を示すことでしょう。

 これも行為項モデルが複数見出せます。

 山火事―ご神体、日照り―雨といった対立軸が見出せます。

 ここから祭り―恵みといった暗喩が同定できるでしょうか。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

婆さん♌♁―神さま☉♎―村人☾(☉)

といった風に表記できるでしょうか。村人の判断が難しいところですが、新しいお社を建てるので援助者と考えました。

◆発想の飛躍

 この伝説における発想の飛躍は「婆さん―足半―ご神体」という概念の組み合わせによるでしょうか。婆さんの命がけの行動が神さまの報恩を招きます。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.26-28.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年2月18日 (日)

分析能力が落ちている?

別館の過去記事を読んでいる。大したことは書いていないのだけど、あれ? 10年前より分析能力落ちている? と感じた。10年前のことだから忘れてしまったということもあるけれど、この10年で得た知識もあるはずなのだ。脳の老化なのかもしれない。

<追記>
再び読んでみる。10年前は今より学生の頃に得た知識の記憶が確かだったようだ。

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行為項分析――姫野の池

◆あらすじ

 三瓶山の麓に姫野の池という小さな池がある。ほとりにはカキツバタが生えている。池の近くに長者がいて、お雪という娘がいた。薪を牛に載せて長者の家の前を通る若者がいた。娘と若者は互いに恋をした。その頃、野伏原に山賊がいたが長者の屋敷は襲わなかった。山賊の頭はお雪に目をつけていたのである。山賊の頭はある日屋敷を訪れてお雪を嫁に所望した。相手は山賊の頭で、お雪は若者と恋をしていたので長者は苦しんだ。長者はしばらく待って欲しいと答える。返事がないのに苛立った頭は手下を引き連れてお雪を奪いに長者の屋敷を襲った。そのことを知った若者は山刀をふるって山賊の群れに飛び込んだ。多勢に無勢で追われた若者は姫野の池のほとりまで来て斬り合ったが遂に斬り殺されてしまった。それを見たお雪は若者一人だけ死なせまいと池に身を投げた。池の底は深い泥で埋もれていたので娘が浮かび上がってくることはなかった。雨が降って昼と夜の気温の差の激しい夜には霧が池の辺りに下りてくる。そのときはお雪のすすり泣く声が聞こえるという。六月になると咲くカキツバタはお雪の生まれ変わりという。

◆モチーフ分析

・三瓶山の麓に姫野の池がある。池のほとりにはカキツバタが生えている
・池の近くに長者の屋敷があり、娘がいた
・牛に薪を積んで長者の家の前を通る若者がいた
・若者と娘は互いに恋をした
・野伏原に山賊がいた。山賊の頭は娘に目をつけていた
・山賊の頭は長者を訪ね、娘を嫁に所望した
・長者は事情を知っていたので、しばらく待ってもらう
・返事がないのに苛立った山賊の頭は長者の屋敷を襲った
・若者が加勢にかけつけるが、多勢に無勢で池のほとりに逃げる
・若者は斬り殺されてしまう
・跡を追って娘も入水してしまう
・池のほとりのカキツバタは娘の生まれ変わりという

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:長者
S2:娘
S3:若者
S4:山賊の頭

O(オブジェクト:対象)
O1:三瓶山
O2:姫野の池
O3:長者の屋敷
O4:牛
O5:山賊
O6:カキツバタ

+:接
-:離

・三瓶山の麓に姫野の池がある
(存在)O1三瓶山:O1三瓶山+O2姫野の池
・池のほとりにはカキツバタが生えている
(存在)O2姫野の池:O2姫野の池+O6カキツバタ
・池の近くに長者の屋敷があり、娘がいた
(存在)S1長者:S1長者+S2娘
・牛に薪を積んで長者の家の前を通る若者がいた
(商い)S3若者:S3若者+O3長者の屋敷
・若者と娘は互いに恋をした
(恋愛)S3若者:S3若者+S2娘
・野伏原の山賊の頭は娘に目をつけていた
(横恋慕)S4山賊の頭:S4山賊の頭+S2娘
・山賊の頭は長者を訪ね、娘を嫁に所望した
(所望)S4山賊の頭:S4山賊の頭+S1長者
・長者は事情を知っていたので、しばらく待ってもらう
(猶予)S1長者:S1長者-S4山賊の頭
・返事がないのに苛立った山賊の頭は長者の屋敷を襲った
(襲撃)S4山賊の頭:S4山賊の頭+O3長者の屋敷
・若者が加勢にかけつける
(加勢)S3若者:S3若者+O3長者の屋敷
・多勢に無勢で池のほとりに逃げる
(逃走)S3若者:S3若者+O2姫野の池
・若者は斬り殺されてしまう
(斬殺)S3若者:S3若者-O5山賊
・跡を追って娘も入水してしまう
(入水)S2娘:S2娘-O2姫野の池
・池のほとりのカキツバタは娘の生まれ変わりという
(転生)S2娘:S2娘+O6カキツバタ

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

   聴き手(関心)
      ↓
送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。「浮布の池」で解説しています。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

   聴き手(若者は無事娘を救出できるか)
          ↓
送り手(若者)→娘の救出(客体)→受け手(山賊)
          ↑
補助者(長者)→若者(主体)←反対者(山賊の頭)

 山賊の頭に狙われた娘を救出すべく若者は山賊と戦いますが、多勢に無勢で斬殺されてしまいます。

 また、以下のようにも解釈可能です。

    聴き手(若者は無事娘を救出できるか)
            ↓
送り手(山賊の頭)→娘を嫁にする(客体)→受け手(長者)
            ↑
補助者(山賊) → 山賊の頭(主体) ←  反対者(若者)

 山賊の頭が長者の娘を嫁に望みますが娘に恋していた若者が妨害します。しかし、若者は山賊に殺され、娘も跡を追って入水するという悲劇的な結末となります。

   聴き手(若者は無事娘を救出できるか)
          ↓
送り手(若者)→恋の成就(客体)→受け手(娘)
          ↑
補助者(長者)→若者(主体)←反対者(山賊の頭)

 若者は長者の娘との恋の成就を願いますが山賊の頭の横やりによって事件が発生し悲劇的な結末となってしまいます。娘の救出劇は成るのか聴き手は関心をもって耳を傾けるでしょう。結末は悲劇に終わりますがカキツバタが娘の転生したものであると暗示され、聴き手は一応の納得はするでしょう。

 伝説のような比較的短い話でも行為項モデルは複数成立し得るという事例と言っていいでしょうか。まあ、物語であれば主人公のドラマとは別に対立者のドラマも普通に成立し得ます。長編になればなるほど登場人物は詳細に描写されていき、各々の行為項モデルが成立することになるでしょう。

 重層的とも言えるでしょう。重層的な構造を持つことは作品の魅力に繋がります。しかし、物語の構造をシンプルなものと捉える観点からは意外な分析結果と言えるかもしれません。

 行為項モデルを娘の救出劇とした場合ですが、このモデルからは結末は明らかになりません。また、この伝説の発想の飛躍は「姫―入水―カキツバタ」といった概念の組み合わせから生じていると考えます。カキツバタが姫の象徴となるのです。発想の飛躍はモデルの枠外で生じているということになります。

 若者―山賊、長者―山賊といった対立軸が見出せます。また、姫―カキツバタという関係性も見出せます。

 ここから死―転生という暗喩が見出せるでしょうか。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

若者♌―娘☉♁―長者♎―山賊の頭♂

といった風に表記できるでしょうか。

◆発想の飛躍

 前述しましたように、この伝説の発想の飛躍は「姫―入水―カキツバタ」にあるでしょうか。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.24-25.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年2月17日 (土)

一度忘れてしまうことが大事

別館の過去の記事を読んでいる。創作について触れていてオマージュ的な模倣について、読んですぐ書くと影響が強すぎて似たものが出来てしまう。一度忘れてしまうくらい時間が経ってから再読した方がいいと書いていた。インプットした情報が潜在意識下でバラバラに分解され忘れることで無駄な情報が省かれる。そうした過程を経て概念と概念の新しい組み合わせが生じる……みたいなことを書いていた。今考えていることと大して変わらないじゃないかと感じる。

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行為項分析――浮布の池

◆あらすじ

 三瓶山の麓にある浮布の池はもとは浮沼池という。昔、池の原の長者の子ににえ姫という美しい姫がいた。古くから池に住む池の主がいつしか姫に思いを寄せるようになった。姫は池のほとりで美しい若者と出会った。姫は若者に心を惹かれた。姫は若者の誘いで池に行くと気を失ってしまう。そして空を飛ぶ夢を見る。気づくと一人で池のほとりに座っていた。着物は濡れていなかった。このようなことが度重なって、姫の顔に生気が無くなってきた。人々の心配を他所に姫は池のほとりを歩く。ある日、通りかかった武士が大蛇に巻き付かれた姫を見た。武士は弓で大蛇を射る。浮布の池はざわめいたが、池の主の姿はなかった。意識を取り戻した姫だったが、池に身を投げて死んでしまった。姫が着ていた衣の裾が白く帯のように池の中央に浮かんでいた。この日は六月一日で、それから毎年六月一日にはこの白い波の道が光って池の表に現れるところからこの池を浮布の池と呼ぶようになった。にえ姫を祀るにえ姫神社は池の東側の中ノ島にある。

◆モチーフ分析

・三瓶山のほとりに浮布の池がある
・昔、池の原の長者の子ににえ姫がいた
・池の主が姫に思いを寄せるようになった
・姫、若者と出会う
・姫、若者の誘いで池に行くと気を失ってしまう。空を飛ぶ夢を見る
・このような事が度重なって姫から生気が失われていく
・ある日、武士が大蛇に巻き付かれた姫を見つける
・武士は大蛇を射る。大蛇は姿を消してしまう
・気がついた姫は池に入水してしまう
・姫の着物の裾が池の真ん中に浮かんでくる
・それで浮き布の池と呼ぶようになった

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:にえ姫
S2:若者(蛇)
S3:武士
S4:長者

O(オブジェクト:対象)
O1:池
O2:着物
O3:浮き布の池

m(修飾語)
m1:憔悴

+:接
-:離

・三瓶山のほとりに浮布の池がある
(存在)X1三瓶山:X1三瓶山+O1池
・昔、池の原の長者の子ににえ姫がいた
(存在)S4長者:S4長者+S1にえ姫
・池の主が姫に思いを寄せるようになった
(恋慕)S2若者(蛇):S2若者(蛇)+S1にえ姫
・姫、若者と出会う
(邂逅)S1にえ姫:S1にえ姫+S2若者(蛇)
・姫、若者の誘いで池に行くと気を失ってしまう
(気絶)S1にえ姫:S1にえ姫-O1池
・このような事が度重なって姫から生気が失われていく
(消耗)S1にえ姫:S1にえ姫-m1(憔悴)
・ある日、武士が大蛇に巻き付かれた姫を見つける
(発見)S3武士:S2若者+S1にえ姫
・武士は大蛇を射る
(攻撃)S3武士:S3武士+S2若者(蛇)
・大蛇は姿を消してしまう
(消失)S2若者(蛇):S2若者(蛇)-O1池
・気がついた姫は池に入水してしまう
(入水)S1にえ姫:S1にえ姫+O1池
・姫の着物の裾が池の真ん中に浮かんでくる
(浮上)O2着物:O2着物+O1池
・それで浮き布の池と呼ぶようになった
(命名)O1池:O1池+O3浮き布の池

 池の主の蛇は若者に扮してにえ姫に接近、求愛するが武士に逢瀬の最中を見られてしまい射られてしまう。にえ姫はそのまま主を追って入水してしまったという内容です。蛇に魅入られた姫は正気を失い主の許へと去ってしまいます。つまり、蛇への本能的な恐怖心を語ったものと解釈できます。また、恋愛の成就は破滅的な結果をもたらします。

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築する。

 以下のように構成してみます。

送り手(姫)→ 恋愛の成就(客体) → 受け手(若者/蛇)
            ↑
補助者  なし   姫(主体) ← 反対者(武士)

 こう構成しますと、姫は若者との恋愛の成就を願うものの若者の正体は蛇であり武士に阻止されてしまうという風に読めます。しかし、この構図ですと説明不足になるのではないかという気がします。

 反対に若者を主体にしてもいいかもしれません。

送り手(若者/蛇)→ 姫への求愛(客体) →受け手(姫)
              ↑
補助者  なし   若者/蛇(主体) ← 反対者(武士)

 しかし、結末で入水するのは姫です。なので姫を主人公と考えた方がいいでしょう。この伝説は誰か主人公か少し分かりにくいかもしれません。にえ姫が入水以外は能動的に動かないからです。

 若者の正体が池の主の蛇であることが露見すると、そこで物語の焦点は「姫と若者の関係はどう進展するか」から「姫は蛇の呪縛から逃れられるか」に移るのではないでしょうか。この伝説を初めて聴く聴き手なら大半がそう考えるでしょう。姫の願いを叶えると姫は破滅してしまうのです。

 ここで主体(姫)の意思(恋愛の成就)と聴き手の願い(呪縛からの解放)とで齟齬をきたすことになります。筆者は行為項モデルではこの齟齬が上手く表現できていないと考えます。浮布池の伝説の魅力は行為項モデルに収まりきらないと言えます。

送り手(姫)→ 入水(客体) → 受け手(若者/蛇)
         ↑
補助者 なし  姫(主体) ← 反対者(武士)

 これでいいかもしれません。しかし、客体に入水するという行動を当てはめてしまうのもどうかという気がします。入水は手段であって客体におくべきなのは姫の究極的な願い(恋愛の成就)であるはずです。

 ここで一つの要素を付加してみます。これは筆者自身のアイデアです。

        聴き手(呪縛からの解放)
            ↓
送り手(姫)→ 恋愛の成就(客体) → 受け手(若者/蛇)
            ↑
補助者  なし   姫(主体) ← 反対者(武士)

 聴き手の存在は純粋なテキスト分析には含まれない要素で逸脱するものです。また、一度完成したモデルに余計なものを付け加えることになります。美しくありません。ただ、悲劇の場合はこうしないと上手く説明できないように思うのです。また、語り手/書き手は聴き手/読者の存在を織り込みつつ創作を行っているでしょう。なお、高田本では独自の分析を行うことを否定していません。

 姫の呪縛は解けるのか聴き手は関心をもって耳を傾けるでしょう。結局呪縛は解けることなく姫は入水してしまいます。衣が浮かんできて池の名の由来となったということで一応の納得はするでしょう。予想しない結末に感情を揺さぶられるでしょうが、却って心にいつまでも残るのです。

 行為項分析ですが、背景を説明する際に当たっては必ずしも行為者が主体となるとは限らないようです。背景の説明は大抵の場合、冒頭と結末で語られるのですが、これらを土台として登場人物の物語が繰り広げられる訳です。そういう意味では捨象してしまっていいのかなとは思います。

 蛇―姫、蛇―武士、着物―池といった対立軸が指摘できます。

 水―死という暗喩が見出せるでしょうか。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

姫♌☉♎―蛇♂♁―武士☾(☉)

といった風に表記できるでしょうか。

◆発想の飛躍

 この伝説における発想の飛躍は「入水―着物―浮かぶ」といった概念の組み合わせによるでしょうか。池の名の由来を説明するものとなります。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.21-23.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年2月16日 (金)

行為項分析――蛇島

◆あらすじ

 昔、温泉津の釜野の辺りに長者がいた。長者には美しい娘がいた。多くの若者たちは誰でもその娘を欲しいと思った。ところが近くに山の主と言われる大蛇がいた。大蛇も娘を欲しいと思って何度も長者に申し込んだが、長者は承知しなかった。

 蛇の頼みがあまりにしつこかったので、長者も断りきれなくなって、それでは釜野の沖の島を八回巻け。巻くことができたら娘を嫁にやろう。その代わり、巻くことができなかったら、この土地から出ていってもらうと言った。

 大蛇は大喜びで沖に出て島を巻きはじめた。そうして七巻き半まで巻いたが、どうしても後の半分ほどが足りない。大蛇は必死にぐいぐい締め付けたが、どうしても八回にならなかった。

 大蛇はくやし涙を流しながら長者との約束を守って、海を渡ってどこへともなく立ち去った。

 そのとき蛇が締め付けた跡が島に残った。それで蛇島と言うようになった。

◆モチーフ分析

・温泉津の釜野に長者がいる
・長者には美しい娘がいる
・多くの若者が娘に求婚したいと思う
・近所の山の主である蛇が求婚する
・断りきれなくなった長者は条件を出す
・蛇は実行する。島を身体で巻くが七巻き半しか巻けない
・どうしても八回巻けない
・あきらめた大蛇は約束を守って去る
・蛇が巻いた跡がついた島は蛇島と呼ばれる様になる

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:長者
S2:若者
S3:蛇

O(オブジェクト:対象)
O1:釜野
O1:娘
O2:島

+:接
-:離

・温泉津の釜野に長者がいる
(在住)S1長者:S1長者+O1釜野
・長者には美しい娘がいる
(存在)S1長者:S1長者+O2娘
・多くの若者が娘に求婚したいと思う
(願望)S2若者:S2若者+O2娘
・近所の山の主である蛇が求婚する
(求婚)S3蛇:S3蛇+S1長者
・断りきれなくなった長者は条件を出す
(提示)S1長者:S1長者-S3蛇
・蛇は実行する
(実行)S3蛇:S3蛇+O2島
・島を身体で巻くが七巻き半しか巻けない
(失敗)S3蛇:S3蛇-O2島
・あきらめた大蛇は約束を守って去る
(退去)S3蛇:S3蛇-O1釜野

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
      ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

  聴き手(関心)
     ↓
送り手→(客体)→受け手
     ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。後述する「浮布の池」で解説します。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。むしろ主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

   聴き手(蛇の求婚から逃れられるか)
         ↓
送り手(蛇)→娘への求婚(客体)→受け手(長者)
         ↑
補助者 なし  蛇(主体)  ← 反対者(長者)

ないしは

   聴き手(蛇の求婚から逃れられるか)
         ↓
送り手(長者)→求婚への条件(客体)→受け手(蛇)
          ↑
補助者 なし  長者(主体)   ← 反対者(蛇)

 蛇の求婚に長者は難題を出し、加えて実現できなかったら釜野から去るように条件をつけます。蛇は島を巻いたもののあと少しで実現できず涙を呑んで釜野を去ります。求婚の却下とその土地からの退去の一石二鳥となる長者の知恵が示されています。

 蛇の試みは果たして成功するのか聴き手は関心をもって耳を傾けるでしょう。そして失敗に終わったことで蛇が潔く去ることに感心するでしょう。

 蛇―長者、蛇―島といった対立軸の存在が指摘できます。

 ここから自然―追放という暗喩が見出せるでしょうか。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に関係分析をすると、

蛇♌♁―長者♂♎―娘☉

といった風に表記できるでしょうか。

◆発想の飛躍

 この伝説の発想の飛躍は「八回―島―巻く」でしょうか。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.19-20.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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2024年2月15日 (木)

行為項分析――琴姫物語

◆あらすじ

 栄華を極めた平家一門も源氏の軍勢に追われ、西海へと落ち延びていった。そして壇ノ浦の戦いに敗れ、海の藻屑となってしまった。都に住んでいた一門の姫君たちも故郷を遠く離れて西海の波の上に漂わねばならなかった。

 今年十八歳の琴姫は目の見えない父と二人で暮らしていた。父は琴の名人で琴姫に丹精をこめて秘曲を伝えた。姫はまもなく琴の名手となり、二人は琴の音で慰め合っていた。

 琴姫も源平の戦いに追われて都を離れたが、混雑に紛れて父を見失ってしまった。二位の尼が海に沈んだとき、多くの人が従って死んだ。が、琴姫は運が尽きなかったのか、その翌日に家来に救われて、頼るところもなく広い海に漂った。船の中には姫が命と頼む琴が一張りあるだけだった。

 三日目の朝、空がにわかに曇って酷い風雨になった。船は転覆しそうになった。琴姫と家来は波のまにまに流されていく他なかった。その内に船はとうとう砕けてしまった。力尽きた琴姫は琴を抱いて波に身を任せた。

 それから何日か経って、家来とも離ればなれになって、遂に死んだ姫の亡骸は石見地方のある浜辺に漂着した。手には琴を堅く抱いていた。

 村の人たちは浜を見下ろす小高い丘に懇ろに姫を葬った。

 あくる日、静かな浦から美しい琴の音が響いてきた。村人たちは浜へ出てみたが、誰もいない。ただ琴の音がどこからともなく聞こえてくる。

 砂が鳴る。人々が歩く度に琴の音は足下から起こるのだった。村人たちは時の経つのも忘れて耳を傾けた。これは、あの可哀想な女の人が弾いて聴かせるのだと皆が言った。

 それからしばらく経ったある日のこと、杖を頼りに流れた盲いた老人がいた。浦の人からここは琴の音が聞こえる不思議な浜であることを聞くと、砂浜へ下りていった。老人が耳を傾けると夢のようにコロンコロンと琴の音が聞こえてきた。

 これはまちがいなく琴姫が弾く琴の音だと老人は叫んだ。老人は琴姫の父親だった。流れ流れて遠い石見の海岸まで盲いた身で訪ねてきたのだ。琴の調べは老人が教えた秘曲だった。老人の目に平和な日々が浮かんできた。老人は全てを悟った。

 老人は琴の音に誘われるように静かに水際へ下りていった。琴の音は海の中から波の向こうから聞こえてきた。老人は一歩一歩、静かに海へ入っていった。水は次第に深くなり、寄せてきた波は老人を吞んでしまった。

 そしてここは何時しか琴ヶ浜と呼ばれるようになった。

◆モチーフ分析

・源平合戦で平家一門は西海に落ち延びた。壇ノ浦で敗れ、平家は滅亡する
・琴の名手の琴姫がいた。姫は目の見えない父と二人で暮らしていた。
・琴姫と父は離ればなれとなってしまう
・壇ノ浦を生き延びた琴姫は海上を漂う
・三日目に波浪で船が砕けてしまう。姫は波に身をまかせる
・琴を抱いた姫の亡骸が琴ヶ浜に漂着する
・村人、姫を小高い丘の上に葬る
・すると浜から琴の音が鳴り響くようになった
・それは砂が鳴いているのだった
・これは琴姫が鳴らしているに違いないと村人たちは考える
・盲目の老人が琴ヶ浜にやって来る
・老人は浜の音を聞いて、これは琴姫が弾いたものだと言う
・全てを悟った老人は入水する
・浜は琴ヶ浜と呼ばれるようになった

◆行為項分析
S1:(S2+O1)
意思の主体者がS1であり、行為の主体者がS2、S2の行為の対象がO1である

S(サブジェクト:主体)
S1:盲目の老人(父)
S2:琴姫
S3:村人

O(オブジェクト:対象)
O1:琴
O2:船
O3:琴ヶ浜
O4:砂浜の音

+:接
-:離

・琴の名手の琴姫がいた。姫は目の見えない父と二人で暮らしていた。
(生活)S2琴姫:S2琴姫+S1盲目の老人(父)
・琴姫と父は離ればなれとなってしまう
(別離)S2琴姫:S2琴姫-S1盲目の老人(父)
・壇ノ浦を生き延びた琴姫は海上を漂う
(漂流)S2琴姫:S2琴姫-O2船
・三日目に波浪で船が砕けてしまう。姫は波に身をまかせる
(難破)S2琴姫:S2琴姫-O2船
・琴を抱いた姫の亡骸が琴ヶ浜に漂着する
(漂着)S2琴姫:S2琴姫+O3琴ヶ浜
・村人、姫を小高い丘の上に葬る
(埋葬)S3村人:S3村人-S2琴姫
・すると砂浜から琴の音が鳴り響くようになった
(鳴動)S2琴姫:S2琴姫+O4砂浜の音
・これは琴姫が鳴らしているに違いないと村人たちは考える
(考察)S3村人:S3村人+S2琴姫
・盲目の老人が琴ヶ浜にやって来る
(来訪)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)+O3琴ヶ浜
・老人は砂浜の音を聞いて、これは琴姫が弾いたものだと言う
(察知)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)+S2琴姫
・全てを悟った老人は入水する
(入水)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)-O3琴ヶ浜

意思の主体者の分類:

 分析した行為項を意思の主体別に抽出します。()内は機能と考えてください。

S2:琴姫
(生活)S2琴姫:S2琴姫+S1盲目の老人(父)
(別離)S2琴姫:S2琴姫-S1盲目の老人(父)
(漂流)S2琴姫:S2琴姫-O2船
(難破)S2琴姫:S2琴姫-O2船
(漂着)S2琴姫:S2琴姫+O3琴ヶ浜
(鳴動)S2琴姫:S2琴姫+O4砂浜の音

S3:村人
(埋葬)S3村人:S3村人-S2琴姫
(考察)S3村人:S3村人+S2琴姫

S1:盲目の老人
(来訪)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)+O3琴ヶ浜
(察知)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)+S2琴姫
(入水)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)-O3琴ヶ浜

S2琴姫の機能:漂流と漂着と鳴動 → 鳴動
S3村人の機能:埋葬と考察 → 考察
S1老人の機能:来訪と察知と入水 → 察知

という風に主体別に機能を同定します。すると、

「琴姫は砂浜を鳴動させ、村人はそれは琴姫によるものと考察し、老人は琴姫によるものだと察知する」という全体の単純なシノプシスが得られます。

対象の同定:

 行為項の右辺の右側が対象です。対象別に行為項を抽出します。

S1盲目の老人
(生活)S2琴姫:S2琴姫+S1盲目の老人(父)
(別離)S2琴姫:S2琴姫-S1盲目の老人(父)

O2船
(漂流)S2琴姫:S2琴姫-O2船
(難破)S2琴姫:S2琴姫-O2船

O3琴ヶ浜
(漂着)S2琴姫:S2琴姫+O3琴ヶ浜
(来訪)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)+O3琴ヶ浜
(入水)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)-O3琴ヶ浜

S2琴姫
(埋葬)S3村人:S3村人-S2琴姫
(考察)S3村人:S3村人+S2琴姫
(察知)S1盲目の老人(父):S1盲目の老人(父)+S2琴姫

O4砂浜の音
(鳴動)S2琴姫:S2琴姫+O4砂浜の音

 これらから対象の候補が導き出されます。

S1(老人)、-S1(老人との別離)、-O2(船の難破)、O3(琴ヶ浜への漂着)、-O3(琴ヶ浜で入水)、S2(琴姫と察知)、-S2(琴姫の埋葬)

 高田本では「物語にとって「最も重要な対象」とは、その物語の最終局面で「獲得」が表現されているものである。さらには、その獲得によって「恵与」が行われているものであるといえる。」(179P)としています。獲得ですが、マイナスの獲得、つまり排除や失敗もあり得ます。

 老人を意思の主体とした場合、老人が獲得を願っているのは「琴姫との再会」でしょうか。必ずしもテキスト中に描写されているとは限りません。

主題と主人公の同定:

 意思の主体となりうるのは、
S1:盲目の老人(父)
S2:琴姫
S3:村人

です。S3村人は除外していいでしょう。S1老人かS2琴姫かということになります。

 物語の最後を締めくくるのはS3老人で、老人は砂の音が琴姫のものだと悟ることで入水という行為に至りますから、老人が主人公と同定できます。

 しかし、この物語は琴ヶ浜の砂が鳴くようになった、それは琴姫の琴の音だというところで一つの物語として成立しており、続く盲目の老人のエピソードは後日譚とも解釈し得るのです。なので、筆者は琴姫と老人のそれぞれが主人公として成立し得ると考えます。

関係の抽出:

 姫―老人、姫―村人、琴―砂浜、戦乱―難破といった関係性は認められますが対立軸とは言えません。琴姫の死後に老人が登場するため直接の対立軸が生じないのです。

登場キャラの位置付け:

 ここでは送り手と主人公を同定します。琴姫物語では、

 送り手(老人):主人公(琴姫)

 としていいでしょうか。琴姫の物語と老人の物語とが前後に分かれていますので主人公を同定するのが難しく感じられます。

暗喩の同定:

 「琴姫物語」では明確な対立軸が存在しないと考えられますので、それらの背後にある暗喩も同定しにくくなっています。姫―老人、姫―村人、琴―砂浜、戦乱―難破といった関係性から何を見出すべきでしょうか。たとえば貴族―平民といった暗喩も考えられなくはないですがしっくりきません。

 上記のような形で情報を整理していくことで次の行為項モデルの作成に取り掛かる訳ですが、この部分は冗長であるため以降のエピソードでは省きます。本来は論理的に作業を行うのが望ましいのですが、経験と勘で行えるだろうと判断してのものです。

 行為項モデルにおいて反対者と補助者は容易に見出せます。意思の主体を同定することが最も重要な作業となりますが、意思の主体もある観点では相対的と言えます。意思の主体を入れ替えてそれぞれの行為項モデルを作成することも可能なのです。ですので、随時項目に当てはめながら試行していく形をとっていきます。

◆行為項モデル

送り手→(客体)→受け手
     ↑
補助者→(主体)←反対者

というモデルを構築するのですが、ここでこのモデルに一つの要素を付加します。

  聴き手(関心)
     ↓
送り手→(客体)→受け手
     ↑
補助者→(主体)←反対者

 この聴き手は筆者が独自に付加したものです。後述する「浮布の池」で解説します。客体は分析で使用したサブジェクトやオブジェクトとは限りません。()で括った機能を更に意訳したもの、主体のこうなって欲しいという願いと説明した方が分かりやすいかもしれません。

 この琴姫伝説では主体が二人いると考えることができます。前半は琴姫。後半は盲目の老人です。冒頭から例外的な事例が出てきました。

      聴き手(琴姫は遭難から生還できるか)
              ↓
送り手(琴姫)→ 都からの脱出(客体)→ 受け手(琴)
              ↑
補助者(村人)→ 琴姫(主体) なし 反対者

 受け手を琴としました。行為項分析では受け手がオブジェクトになることはあり得ないのですが、この場面で琴姫は他人に働きかけている訳ではありません。琴が姫の運命を示す象徴的なアイテムとなります。

 まず「琴姫は遭難から生還できるか」が物語の焦点となりますが、結局、琴姫はそのまま死んでしまいます。このように悲劇では主体の意思と聴き手の関心との食い違いが生じることがあるのです。それを行為項モデルに織り込みたかったのです。

 一般に流布している琴姫伝説では琴姫は生きて琴ヶ浜に漂着するのですが、この類話ですと琴姫の亡骸が漂着するのです。後半は下記の通りです。

        聴き手(老人の正体は何者なのか)
                 ↓
送り手(盲目の老人)→ 琴姫との再会:砂浜の音(客体)→受け手(琴姫)
                 ↑
補助者(村人) →  盲目の老人(主体) なし 反対者

 通常の行為項分析では後半のモデルだけが提示されるでしょう。

 つまり、筆者は物語の焦点は「琴姫は遭難から生還できるか」から「老人の正体は何者なのか」に移っていると考えているのです。純粋なテキスト分析からは外れてしまうのですが、行為項モデルが提示した物語の構図をより明確化できると考えています。

 盲目の老人は琴姫との再会を願っていますが、砂の音を聞くことでそれが琴姫の琴の音だと悟り、同時に姫の死も認識します。このことで老人が琴姫の父だということが明らかにされます。ここから老人は入水するに至ります。そうすることで琴姫が漂着した砂浜は琴ヶ浜という名を得るのです。また、琴による琴姫と父との絆も強調されます。

 難破した姫の運命に聴き手は耳を傾けるでしょう。この類話では姫はここで死んでしまいますが、姫の琴の音が砂の音となったことで一応の納得はするでしょう。また、老人は結局入水してしまいます。聴き手は琴姫の父である老人に感情移入することでしょう。

◆関係分析

 スーリオは演劇における登場人物の機能を六種に集約し占星術の記号で表記します。

♌しし座:主題の力(ヴェクトル)
☉太陽:価値、善
♁地球:善の潜在的獲得者
♂火星:対立者
♎てんびん座:審判者
☾月:援助者

という六つの機能が挙げられます。

☾は☾(♌)主題の援助者という風に表現されます。
☾(☉)☾(♁)☾(♂)☾(♎)もあり得ます。
一人の登場人物に二つまたは三つの星が該当することもあります。

 これらを元に琴姫物語の関係分析をすると、

1. 琴姫♌☉―村人♁☾(♌)
2. 父親♁♎―琴姫♌☉

といった風に表記できるでしょうか。

◆発想の飛躍

 琴姫伝説の発想の飛躍は姫の死後に砂の音が鳴るようになったというところでしょうか。「砂―音―琴」といった概念の組み合わせが発想の飛躍を起こしています。これは客体に一応含まれていると考えていいでしょうか。琴姫の物語と老人の物語を繋げるブリッジ的な役割も果たしています。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.15-18.
・『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』(高田明典, 大学教育出版, 2010)

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行為項分析に手をつけはじめる

未来社『石見の民話』に集録された民話(昔話/伝説)の行為項分析に手をつけはじめる。あらすじとモチーフ分析は前回行ったものを流用する。『石見の民話』の収録話は約160話あるので今回も半年くらいかけて行うことになるだろうか。

分析は中々に難しい。モデル化して、さてここからどういう解釈を導いたものかと思案する。今回はChatGPTが利用できるので質問してみる。やはり僕よりAIの方が深く読んでいるのではないかという錯覚にとらわれる。

なお、ここで行為項分析と呼んでいるのはグレマスというフランスの構造主義記号学者が提示した物語分析方法を高田明典『物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として』という本で若干の改良を施したものに準拠する。

……とりあえず「琴姫物語」に手をつけてみたのだけど、行為項分析から行為項モデルへの変換がよく分からない。本で提示された事例を元にしてみただけで、分析からモデルの構築に介在するロジックが見えてこないのである。

<追記>
とりあえず三件ほど分析してみる。感覚は掴めてきたが理解している訳ではない。高田本に記載された事例に沿って当てはめているだけである。『石見の民話』という雑多な話が収録された民話集が全て行為項分析で分析できるかの確認作業を行っているということである。

なお、今回はChatGPTを解釈の補助として用いる。生成AI自体に分析させる訳ではないが分析した結果を読み込ませ、見落としている解釈がないか確認するためである。AIは真の意味で意味を理解している訳ではないそうだが、あたかも僕よりも深く読み込んでいるような回答を返してくる。

経済学者の野口悠紀雄教授は統計データを抽出して加工、アウトプットさせることについては生成AIはまだ使えないとの評価を下したが、昔話の分析なら十分な能力を持っている。

作業自体はそれほど時間がかからない。前回のモチーフ分析の際にあらすじは全て起こしているから。あらすじに起こすのが一番苦痛な作業だった。

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2024年2月14日 (水)

高田式行為項分析ができないか

見田宗弘「ごんは、なぜ、土間に栗を置いたのか?―グレマス『行為項モデル』に基づく『ごんぎつね』の解釈―」と高田明典「物語構造分析の理論と技法 CM・アニメ・コミック分析を例として」の行為項に関する部分を再読する。

行為項とはグレマスというフランスの構造主義記号学者が提示した概念で行為者とも訳される。グレマスの著作は『構造意味論 方法の探求』『意味について』の二冊を読んだ。非常に難解な本で(※フランス人自身が難解と言っているらしい)これに何の意味があるのかよく分からなかった。記号論の記号が使われているのだが独自に拡張されていてパソコンで表記するのはそのままでは難しい。

高田本ではプロップの提示した物語の機能(ファンクション)というかツークというかを関数で表し、関数を入れ子にすることでそこから論理関係を見出している。また、記号を∪∩から+-と変更し、手を入れることで分析しやすくしている。

まあ、物語を関数で表しても微分できる訳じゃないしなとも思うのだが。

見田論文は『ごんぎつね』を高田本で解説された手法で行為項分析している。高田式行為項分析としようか。論文末に行為項分析の具体的内容が示されているのだが、記号だけを見せられても「これは分析した本人しか意味がとれないだろう」となってしまう。

Sがサブジェクト(主体)、Oがオブジェクト(対象)、+がポジティブ、-がネガティブくらいの想像はつくのだが、記号の羅列だけでは何のことか分からない。

……ということで、当ブログには未来社『石見の民話』をモチーフ分析した記事がある。それらである程度下処理はできているので、それらをベースに実際に行為項分析ができないかと考えているところである。ネタ切れの今、できることと言ったらこれくらいしかない。

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東大の先生でも途方に暮れることがある――柳川範之「東大教授が教える独学勉強法」

柳川範之「東大教授が教える独学勉強法」を読む。独学は自分のペースでできるというメリットがある。高校生のとき自分のペースで勉強できたらと思ったことがある。

東大の先生でも若い頃に理解できない本に当たって途方に暮れてしまう経験をしたことがあるというのが収穫だった。そういう本は自分に合わない本として他に合う本が無いか探すのだそうである。

普段本をあまり批判的には読まないのだけど、批判的に読むことが大事だということは分かった。

自分は島根県石見地方の口承文芸や神楽をテーマとしたニッチなブログ記事を書いてきたのだけど、狭い地域の話なのでネタが尽きてしまった。かといって他地域に足を伸ばすほどの行動力はない。この状況をどう打開すればいいのかなと思って本書を読んでみたのだが、期待していたものとは少しずれていた。

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2024年2月13日 (火)

16年後の話――野口悠紀雄「2040年の日本」

野口悠紀雄「2040年の日本」を読む。前半は2040年頃の経済予測となる。現在、引退した老齢世代一人を現役世代が二人で支える図式となっているが、将来的には1.5人で支えることになると予測する。これはほぼ確実な予測である。なので、将来的に更に重い負担がのしかかることになる。後半は最新のテクノロジーを解説し、将来の社会の在り方がどのように変わっていくか予測している。

僕が若い頃から日本はハードは強いけどソフトは弱いと言われてきた。それは現在に至って大きく響いている。デジタル化によってアナログを得意としてきた日本の優位性が失われたからだ。

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2024年2月12日 (月)

心の癒し効果――「NHKスペシャル 驚異の庭園 ~美を追い求める 庭師たちの四季~」

「NHKスペシャル 驚異の庭園 ~美を追い求める 庭師たちの四季~」をNHK+で視聴する。安来市の足立美術館と京都市の桂離宮の一年が取り上げられる。米国の日本庭園雑誌で1,2位を競い合う庭園。足立美術館は5人の庭師たちが庭園を管理する。自分たちは影の存在で本来なら取材されたくないと言う。桂離宮では宮内省の技官が師弟関係を組んで技術を継承している。庭師は毎年入札で入れ替わるとのこと。米国では日本庭園を取り入れる施設が増えているとのこと。心の癒し効果が評価されているらしい。

足立美術館には行ったことがあるのだけど、月山富田城には行ったことがない。安来はちょっと遠いと感じる。

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三櫻酒造なら駅から近い

黒川町の浜田市浜田郷土資料館は建て替えが予定されていて石見神楽の伝承施設と併せた複合施設となる計画と報道された。候補地は三か所あるらしいが、一つは三櫻酒造跡地だという。廃業したんだと思う。「ちょこ一つ、思わず二つ、三つ桜」というCMは過去のものとなった。まあ、あそこならJR浜田駅からも近いし立地的にはいいのではないか。……あそこの郷土資料館には未だ入ったことがない。

三櫻酒造
三櫻酒造・レンガ製の煙突
浜田市浜田郷土資料館
浜田市浜田郷土資料館

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2024年2月11日 (日)

ある程度は達成した、これからどうしよう?

自作の電子書籍の紹介文と目次を一覧にしてChatGPTに新しい企画のアイデアがないか質問してみた。返ってきた回答は中々に難しいものだった。僕はライターではないので取材の経験がない。フィールドワークの経験もない。できれば机上で実現できる範囲でやりたいのだが、そういう虫のいい話はない。

僕は島根県石見地方に題材を絞ってブログを運営してきた。いわばニッチ戦略であるが、これは要するに僕自身は天下国家を語る器ではないということである。自分のこととして認識できるのが石見地方くらいまでということである。

で、当初抱えていたテーマはある程度達成した。つまり、石見地方という狭い地域の話なのでネタ切れを起こしてしまった。で、これから先どうしようという話である。ちょうど野口悠紀雄教授の超シリーズを読んだところだが、テーマを見つけることが8割の重要性を持つとのことである。パレートの法則である。

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2024年2月10日 (土)

スマホで音声入力――野口悠紀雄『「超」創造法 生成AIで知的活動はどう変わる?』

野口悠紀雄『「超」創造法 生成AIで知的活動はどう変わる?』を読む。現状のAIは創作はできず(できても凡庸な出来となる)またデータを直接引き出すことも怪しい。データに関してはAPIを経由してデータベースやシステムに接続することで可能となっていくだろうとしている。ウェブスクレイピングと呼ばれる技術が発達したら状況は変わってくる。

AIには創造性が無いと見ている。話の何が「面白い」のかはAIには理解できない。着想を得るためには考え続けることが大事だとしている。その際のふとしたきっかけが閃きを生むとしている。例えばアルキメデスやニュートンなど。

あらゆる組み合わせを試すのは無駄で、無意味なものはどんどん捨てて絞っていくことの重要性が説かれる。

AIによって学びや仕事のあり方も変わってくるとしている。AIによって仕事を奪われるというよりむしろAIに適応した人に仕事を奪われる形になるだろうとしている。

著者は現在ではスマートホンに音声入力でメモを取っていると語る。ふとした思いつきは短期記憶なので憶え続けることが難しい。そこでスマホで音声入力することで効率を上げたとのこと。Googleドキュメントでクラウド上に保存することで、どの端末からでもアクセスできるとしている。

……確かにスマホでは音声入力に慣れることが必要なようだ。タッチパネルでの文字入力は非常にかったるい。

<追記>
ChatGPTに未来社『石見の民話』の民話を行為項分析した記事を読ませたが、あたかも僕より深く漏れなく解釈しているという印象で、昔話の分析であれば十分に使えるという印象。数字が絡んでくるものについてはまだ使えないようだが、人文科学系ならかなり使えるのではないか。

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2024年2月 7日 (水)

早池峰神楽のパンフレットを読む

早池峰神楽のパンフレットを読む。花巻市観光課が発行したもの。岳神楽は「勇壮」、大償神楽は「優雅」と評されるとある。すると僕が動画で見たのは大償神楽の方だったのだろうか。それは分からない。

演目の解説が掲載されている。40演目ほどあるそうだ。今回の公演で見たのが11演目なので約四分の一といった程度になる。内容的にはいつの時代に改訂されたのか分からないが神道流に改訂されたと思われる演目が多い。その中で今回上演された中に「天王の舞」牛頭天王の演目があったことは幸運だったかもしれない。他、狂言も演じられるようだ。

式舞の他に神舞、女舞、荒舞、番楽舞などに分類されるようだ。

笛と舎文(言い立て)の人は神楽幕の裏にいて観客からは見えないとある。上演時、右側の鉦の人を笛と勘違いしていた。

演目にはバックグラウンドとなるストーリーがある。が、おそらくストーリーを再現する劇的な構成とはなっていないのではないかと思われる。演劇化していなくとも庶民の娯楽たり得ると知れたことは今回の収穫。

岳神楽だけでなく大償神楽も見ないと早池峰神楽を理解したことにはならないだろう。

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2024年2月 5日 (月)

みさきとはここでは藁蛇か

Xで伊賀和志神楽団の「みさき舞」の動画が流れてきたので視聴する。
https://youtu.be/Gvu8NMJbIq8?t=1003

伊賀和志はJR三江線の駅があったので安芸高田市でも三次市に近い地域だろう。ステージに藁蛇が置かれ、八名ほどの人が持ってうねらせる。その間にお花を納めた人だろうか、個人名、会社名が読み上げられる。最後は藁蛇をとぐろを巻いた状態にしてお終いだった。伊賀和志にはこういう古い信仰が残っている側面と新舞をやる側面と両側面があるようだ。

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江戸里神楽を観る会が復活する

江戸里神楽を観る会の案内が届いていた。数年ぶりに復活するとのことである。

第21回江戸里神楽を観る会

3月17日(日)12:00開場 13:00開演
六行会ホール(京浜急行・新馬場駅下車、品川区立品川図書館の地下)

第一座:高天原神集・評定の場
特別公演 品川神社太太神楽
第二座:兄弟探湯

入場無料・全席自由席

……コロナは五類になっただけで感染が収束した訳ではない。オープンエアのときはマスクを外しているが、まだまだマスクは手放せない。

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2024年2月 4日 (日)

元町中華街にて早池峰神楽(岳神楽)を鑑賞する 二日目

横浜市元町中華街のシルクロード舞踏館で催された早池峰神楽(岳神楽)の公演二日目を鑑賞に行く。今度は迷わずに行き帰りできた。今回も部屋の隅の椅子に陣取る。二日目だと椅子では尻が痛くなってしまった。余っていた座布団を借りる。

・鶏舞
・松迎え舞
・三番叟の舞
・岩戸開きの舞
・天女の舞
・天降りの舞
・諷踊の舞
・権現舞

が上演された。二日目も鶏舞から権現舞まで早池峰神楽の基本的な演目が上演された。演目は「天女の舞」と「天降りの舞」が前日とは異なる演目だった。幾つか演目が重なったが、小寺融吉は一つの神楽を最低二回は鑑賞するように言っていたのでよしとする。

ホール内・開演前
終演後のホール
シルクロード舞踏館のあるビル

上演前に演舞で用いられる剣は真剣とアナウンスがあった。真剣と知ると見方が変わってくる。一つ間違えば大怪我するのだ。たとえば島根県益田市の久城社中の「四剣」は今は真剣を使っていないそうだ。

衣装は新しく清潔であるが華美ではない。むしろ冠と側頭部の垂れというのか(しころ板)、そちらの方がきらびやかな印象がある。

しめ縄で囲われた結界の中で舞うのだが、舞台を東南西北と巡る足取りは見られない。基本的にはすり足だと思う。

扇を差して優雅に旋回するといった所作は見られない。神楽は旋回だと説明されるが、旋回する所作自体が少ないか。踊りではないので跳躍する所作もわずかであった。

「鶏舞」は直面の若い人が二人舞う。はじまりの演目である。鶏の冠が特徴的。「松迎え舞」は着面の二人舞。扇をもって舞う。舞手の一人はお年寄りだった。松の枝を腰に指して舞う。途中から採り物となった。「三番叟の舞」は片足で舞う場面がある。結構激しく舞っていてよく倒れないものだと感心する。身体能力が高いのだろう。「岩戸開きの舞」まず天児屋根命と思われる演者が舞う。袖をくるくるとめくる所作があった。関東の里神楽で三番叟がそうすると舞台を清める意味があるそうなのだが、早池峰神楽ではどうだろう。手力男命が登場する。鈿女命は長髪ではない。演者の後ろ髪が見えている。幕をめくって天照大神が登場する。鶏冠の舞手も舞台に登場する。

ここで休憩。トイレに行ったので振る舞い酒はもらわなかった。代表から挨拶があった。早池峰神楽は日本書記を題材としているとのこと。鶏舞から権現舞まで六曲を舞うと厄を払うことになる。子供は三番叟から習いはじめる。冠が軽いためである。昔は口でリズムをとって稽古していた。日本のチベットと自虐し、なまった芸能であると言う。本来は農家や商家でやる芸能である。式舞は必ず二時間かかる。最近は観客が飽きてしまうため四時間やる機会が少なくなってしまった……など。

「天女の舞」では女面で鶏冠を被った演者が舞う。鈿女と神楽歌にある。扇二枚の舞。「天降りの舞」は天孫降臨。鶏冠を被った赤い天狗面の演者が登場する。猿田彦命だろう。弓を腰に指している。また、剣を採り物としている。それから扇の舞。くるくると旋回する所作があった。弓矢をもった女神(鈿女)と男神二人と計三名が登場、四人舞になる。猿田彦役の演者は最後に面を外し、真剣を抜いて激しく舞う。「諷踊の舞」では演者が鈴を二つ持つ。鈴は小さい。跳躍する所作も見られた。最後に二本の真剣で激しく舞う。「権現舞」では舞の後、代表が歌いながら権現さまに酒や野菜を捧げる。それからくじで当たった人が結界内に入り権現さまの衣装の裾をくくったものの中をくぐる。それから頭を噛んでもらう。終わると座席に戻る。代表は桶を持って酒か、少し撒く。終わると代表は幕に下がる。

僕は石見神楽を見て育ったので生得的に神楽を田舎のエンタメとして見ている。そういう意味では早池峰神楽に霊的、スピリチュアルな印象は受けなかった。神社でなくホールで見たという点も考慮しなければならないが。むしろ太鼓や舞の力強さが印象に残った。激しい太鼓の鼓動、激しいビートとリズムに触れることで精神を年に一度リフレッシュさせるのではないかと思った。そう考えると鎮魂論からもそう外れていないはずである。

僕が辿ったルートは関内駅から横浜スタジアムの脇を抜けて中華街の門をくぐる。それから道なりに進み、関帝廟通りに入る。突き当り(横浜大世界がある)で左に曲がり、チャイハネという雑貨店を探すというもの。中華街の通りでも行けるとは思うが試していない。シルクロード舞踏館はインフォメーションセンターから角を左に曲がった通りにあるので、みなとみらい線方面から中華街に入った方が分かりやすいかもしれない。

横浜中華街・関帝廟
関帝廟。きらびやかさに日本と感覚が違うのだなと思わされる。

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2024年2月 3日 (土)

元町中華街にて早池峰神楽(岳神楽)を鑑賞する 一日目

横浜市元町中華街のシルクロード舞踏館で催された早池峰神楽(岳神楽)の公演を鑑賞に行く。500年の歴史がある神楽と紹介される。変遷はあるだろうが、室町時代から続いていることになる。

・鶏舞
・松迎之舞
・三番叟の舞
・八幡舞
・岩戸開きの舞
・天王舞
・諷踊の舞
・五穀の舞
・権現舞

が上演された。演目は正月にちなんだものが選ばれたとのこと。

早池峰神楽・結界
シルクロード舞踏館・会場の雰囲気

鶏舞から権現舞まで早池峰神楽の基本的な演目が上演されたことになる。撮影は禁止。ポメラを持参したのだけど、バッテリー切れ寸前で演目しか付けられなかった。

YouTubeで動画を見てはいたのだけど、上品な舞という印象だった。実際には力強い太鼓で激しく舞う舞もあった。やはり実際にライブで鑑賞しないと本当のところは伝わらないと痛感した。

鶏舞で鶏の冠を被った演者が舞う。三番叟の舞では黒尉だろうか、黒色の面を付けた三番叟だった。八幡の舞では小さな弓が採り物となる。矢を射る所作があるが、矢はその場にばたりと落下する感じ。品川神社の太々神楽を思い出した。岩戸開きの舞は劇ではなかったが、演劇性の萌芽が感じられた。天王舞は牛頭天王の舞。神楽で牛頭天王の舞を見るのは初めて。東北という周縁なので残っていた演目だろう。途中、滑稽な場面もあった。蘇民将来や頗梨采女(はりさいじょ)も登場する。諷踊の舞は激しい舞。若い人が舞っていた。五穀の舞は月読命と保食神(ウケモチノカミ)に言及される。最後の権現舞は黒い獅子。抽選で当たった人は権現様に頭を噛んでもらっていた。

代表が飴を巻く演目があったのだが、どの演目か失念してしまった。

早池峰神楽の奏楽は笛、太鼓、鉦の三名からなる。太鼓は激しく叩く。その点では関東の里神楽とイメージが異なる。激しい鼓動に魅力を感じる人が多いのかもしれない。やはりライブで見ないとこの迫力は動画では伝わらない。

舞は石見のものとも関東のものとも異なる印象。演目によっては激しく舞う。上手く形容できないが、無駄な動きのない熟練の舞。足さばきは基本的にはすり足ではないかと思うがよく分からない。鬼剣舞のように脚を上げる動作はない。

会場にはしめ縄が四方に張られそこが結界となっている。結界内には入らないようにアナウンスされる。舞は結界内で舞われる。二~三畳少々くらいの面積だろうか(二間)。その中で舞うのである。

地下鉄で移動中に印刷した地図の最寄り駅が市営地下鉄の関内駅でないことに気づく。どうしようか迷ったが、そのまま関内駅で降りる。関内駅から横浜スタジアムはすぐ近くでスタジアムの脇を抜けていくと中華街の入り口があった。中華街を進むがどちらに進めばよいのか分からず、傍で掃除をしていた店員さんに道を訊く。チャイハネという雑貨店の地下がホールだと教えてもらう。ここで聴いてなければ多分気づかなかっただろう。尿意を催して困っていたので雑貨店でトイレを借りる。それでソフトクリームを買って食べる。

中華街入口
中華街・チャイハネという雑貨店ビル
シルクロード舞踏館入口
雑貨店チャイハネ

シルクロード舞踏館は小ホールを想像していたが、実際には三十畳くらいだろうか、フローリングの地下室というイメージだった。天井は木の枠で装飾されている。土足禁止で靴を脱いで入る。座席は座布団と壁際の折り畳み椅子とがあった。部屋の隅の椅子に陣取る。一段高い位置から見られるのでよく見えた。

休憩時間に外出して近くのインフォメーションセンターに行く。公衆トイレがありそこで用を足す。帰ると日本酒がふるまわれていた。味のいい酒だった。

観客のほとんどは老人層だった。一人小学生の女の子がいた。神楽を見るのは初めてという人も結構いた。見せ場では的確に拍手していたので早池峰神楽を見慣れている人が多いのではないかという印象。

最後に代表の方が挨拶。上品な感じの人。早池峰神楽の奉納神楽は七月末とのこと。気候がいい時期なのでぜひ来て欲しいとのことだった。過疎化で人より鹿の方が多いといった冗談も出た。少子化による後継者不足には悩まされているようだ。メイショウ寺というお寺が廃仏毀釈で廃寺になったと語っておられたように記録していたが、関連サイトを確認すると岳妙泉寺とあった。聞き間違いか。

帰り道は途中までは分かったが途中から分からなくなり、若い女性に道を訊いた。怪訝な顔をされたが答えてくれた。JR関内駅までたどり着き、そこから市営地下鉄の関内駅に進む。

記事を書き終えて、ポメラのバッテリーをチェックしていなかったのが悔やまれる。二日目も基本的には同じ演目が舞われたのだけど、一部違う演目があった。そこでの記述不足を感じるのである。

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2024年2月 1日 (木)

国会図書館のバックヤードではどのような業務が行われているか――NHK「ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪 国立国会図書館」

NHK+で「ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪 国立国会図書館」を見る。蔵書数日本一。4700万点を誇る国会図書館。国会議事堂の隣に国会図書館・東京本館はある。1948年(昭和23年)以降の日本で発行された全ての出版物を収集。

ナレーターは中村倫也。案内人はラパルフェの都留拓也。総務部広報担当の女性がガイド役。

バックヤードを探検。国内資料課(収集書誌部国内資料科)で納本受付の業務を見学。毎朝、出版取次から送られてきた書籍を受け入れる(※出版取次が出版社に代わって一括納本する)。国立国会図書館法では日本国内で発行された全ての出版物はその出版社が国立国会図書館に納める義務があるとされている。

1948年に設立、国会活動の補佐を目的の一つとして設立された。他、資料・情報の収集・整理・保存、情報資源の利用提供、各種機関と連携協力にあたっている。本・新聞・雑誌・地図、CD、DVDなどが対象。一日に届く資料は約3,000点。一年で約80万点が届く。

本が届くとすぐに汚れや破れがないかを一冊一冊手作業でチェックする。落丁があった場合は完全な状態の本を納め直してもらう。完全な形で未来へ残すため。

膨大な資料の整理にはデータの作成が欠かせない。膨大な蔵書の中から利用したい本にたどり着くにはデータ作りが大切。利用する際に端末で検索するが、その際にデータが必要となる。

データ作りには記述と主題という二つの作業がある。記述は本のタイトル、作者、出版社など基礎的な情報。主題は本のテーマを表す件名を入力する。件名が検索に役立つ。件名は目的の本にたどり着くために本の内容をわかりやすくキーワードで表したもの。

たとえば「広辞苑」なら「日本語―辞書」と表す。気になるテーマの本が見つけやすくなる。テーマを要約して的確に過不足なく表現するのが難しい。本によって異なるが、一冊で5分から15分くらいかける。経験を積むと本を全部読まなくても短時間で件名がつけられるようになる。秘訣としてタイトル・目次・序文・後書きなどを読んで判断している。

たとえば「食べる経済学」という本だと経済学という件名もあるが、それだと広すぎるので絞り込んだ件名を考えていく。前書きや目次から農業経済学と判断、食べることにまつわる社会問題を扱っていると判断する。件名は「食料問題」となった。

1語で表せないときは3語・4語で表しより幅広い検索に対応する。困ったときは職員同士で話し合い適切な言葉(件名)を考える。国内資料課の約30人の職員で膨大な本を整理、データ作成をしている。

次に書庫に向かう。新館は地下1階から地下8階までが書庫になっている。地下8階分が全て書庫。新館の書庫は東西に約135m、南北で約43mある。ワンフロアの面積や約1800坪。本館と新館の書庫に置かれた本棚を繋ぎ合わせると約412㎞。東京から大阪までの直線距離に匹敵する。

書庫の中は資料を管理するため、年間を通じ温度約22℃・湿度約55%を目安に大きな変化がないように調整されている。地下に書庫を作る理由は地上に比べて地震の揺れが少ないから資料の落下などの被害を抑えることができるため。

資料を守るための仕組みとして外壁と書庫の間にスペースを設けた二重構造になっている。外壁との間にスペースをつくることで書庫内の温度・湿度が外気からの影響を受けない。万が一外壁から雨水が入り込んでもこの空間でストップさせる造りとなっている。大切な資料を守るため徹底管理して保存している。

雑誌「女性自身」が紹介される。そのままの状態のものと表紙がつけられたものとがある。出版物が痛むのを防ぐため、硬い表紙をつけて保存している。継続して収集することで時代の証が見えてくる。「女性自身」1963年(昭和38年)11月25日号ではオフィスレディ、略称OLという今ではおなじみの和製英語が投票で決定、誕生したことが分かる。1963年は東京オリンピックを翌年に控え日本では好景気で女性の社会進出が進んだ。時代の空気感まで伝わる。

1979年(昭和54年)11月に出た雑誌「ムー」の創刊号も紹介される。1979年にはアメリカの惑星探査機ボイジャー1号が木星の撮影に成功、当時は空前のUFOブームだった。

古い時代の資料も数多く所蔵されている。国会図書館は明治時代の帝国議会内貴族院・衆議院の図書館と国立の帝国図書館を源流とするため1948年より前の資料も数多く所蔵している。

1906年(明治39年)発売の「美観画報」という雑誌が紹介される。100年以上前の本が完全な状態で残っている。明治末期の雑誌に載っているのは芸者のグラビア写真。

レコードや楽譜も所蔵している。例としてドラマ「ブギウギ」のモデルとなった笠置シズ子の楽譜(スヰングアルバム:1948年発売)が紹介される。SPレコードの復刻盤(アナログレコード)も紹介される。

国会図書館は日本の文化的資産の宝庫でもある。

書庫の主役は資料。人間にとって必要なトイレがない。書庫への浸水を防ぐため。トイレは地上階まで行かなければならない。水分の持ち込みも禁止。水分補給も地上階へ。

職員のことも考え、書庫中央には地下1階から8階まで吹き抜けになったスペースがある。自然光が差し込んでいる。この空間をつくった理由として、地下で働くスタッフのストレス軽減、停電時の備えが挙げられる。

東京本館の他、京都の関西館、上野の国際子ども図書館の三館がある。関西館は2002年(平成14年)に開館した。膨大に増え続ける資料の保管にも役立つ。2020年(令和2年)に完成した書庫棟には資料を守る最新の機能を備わっている。書庫には通気性を良くしてカビなどを防止するための穴が開いている。本の大敵であるカビの発生を防ぐ。他に、震度4以上の揺れを感知すると自動的にストッパーが跳ね上がり本の落下を防止する書棚となっている。

関西館の書庫には研究者が博士の学位を取得する際に大学などに提出する博士論文が所蔵されている。博士論文は1974年度(昭和49年)まで文部省(当時)に提出していた。その論文が国立国会図書館に移管された。1975年度(昭和50年)以降は大学から直接論文を収集、関西館で60万人以上の論文を所蔵している。手塚治虫(医学博士)の論文を入れた封筒が紹介される。日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹の博士論文(1938年/昭和13年)も紹介される。日本の知の財産を継承している。

未来へ引き継ぐ一大プロジェクトとして資料を末永く保存し未来へ引き継ぐ取り組みが行われている。暗幕で仕切られた薄暗い部屋の中へ入ると資料を撮影する機械が紹介される。
資料を永く保存し次の世代に引き継げるようにデジタル化を進めている。電子情報部電子情報企画課資料デジタル化推進室の女性が案内する。

地道な作業。カメラで1ページずつ撮影して保存する。真ん中(ノド)に文字や絵がある資料は撮影することが難しい。普通に読もうとしてもなかなか読むことができなかったりする。本のページの内側は曲がって見えにくい。ガラス板で押さえるだけでは文字が読めない。

このようなときは定規などを使って撮影する。定規を使う前に真ん中の中央部分の凹んでいる部分に板を差し込んで真ん中部分を浮き上がらせる。そしてページ数の少ない左側を浮かせるために下にスポンジを敷く。スポンジの板を使い左右のページの高さを調整する。水平にしたら定規を当てて文字が見えるように紙を伸ばす。ガラス板で平らな状態にしてようやく準備完了。撮影すると真ん中の文字が見えるようになる。調整後は文字が隠れずに映っている。

全部のページでこの作業を行う。デジタル化は情報の漏れがないように全ページを正確に撮影する。

デジタル化の工夫としてVの字の機械が紹介される。機械には2台のカメラが装着されており、Vの形をした撮影台となっている。用途として劣化した資料、背の部分が壊れる可能性があるものを撮影するのに使う。開き切らずに資料を置くことができる。2台のカメラで撮影して見開き1枚の画像に合成する。資料の状態に合わせたデジタル化の設備が整えられている。

大きな資料を撮影するための大型の機械も紹介される。地図などかなり大きな資料でもページ全体を一回で撮影できる。デジタル化を行うことで資料原本を書庫から出す必要がなくなり良い状態で後世に残せる。また、インターネットで資料がどこからでも便利に見られる。2023年11月末現在、約365万点のデジタル化作業が終了している。資料の保存と利用のために日々作業を行っている。国立国会図書館ならではの使命に大きく貢献。

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冬の島根を味わう

NHK+でさんいんスペシャル「コウケンテツの日本100年ゴハン紀行~冬の日本海を味わう!」を見る。料理研究家のコウケンテツ氏が案内役。島根は初めてだそう。美保関漁港からスタートする。漁港で獲れたての魚を近所の旅館(かつては廻船問屋だった)で味わう。イカづくしと刺身盛りがふるまわれる。次に大根島へ移動。サルボウガイの煮つけがふるまわれる。中海のサルボウガイは絶滅したとされていたが、近年ごく少数が生息していたのが発見され復活したとのこと。次に鹿島町に移動。サバの塩辛がふるまわれる。サバの身とはらわたを三か月かけて熟成させる。それから大田の和江漁港に移動。「ひか焼き(へか焼き)」がふるまわれる。魚介のすき焼き。具材はアンコウ、アナゴ、ノドグロ、シロガレイ。最後に津和野へ移動。うずめ飯がふるまわれる。津和野の家庭ではわさびを入手したときに作るとのこと。すりおろした地元産のわさびを茶碗に入れ、具で埋めて更にご飯を盛るという順で出来上がり。わさびは高級品だったので(※津和野版が倹約を奨励していた)分からないように食べていたのが始まりとのこと。

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