技術継承の危機――安西生世「植田晃司と石見神楽「大蛇」―石見神楽の<オロチ>誕生が地域に与えた影響と技術継承の問題―」
安西生世「植田晃司と石見神楽「大蛇」―石見神楽の<オロチ>誕生が地域に与えた影響と技術継承の問題―」『山陰民俗研究』28号を読む。
石見神楽の演目「大蛇」を支えるのが蛇胴である。主に竹と和紙で作られており、伸ばすと約17mまで伸び、収納時には1.3mと収縮する優れものである。
水には弱いらしく、雨天時には「大蛇」の上演が中止されると断っているイベントもある。
蛇胴を明治期に開発したのが植田菊市(初代植田晃司)でその製作技法を継承しているのが三代目植田倫吉(三代目植田晃司)の植田蛇胴製作所である。
※注釈によると蛇胴の考案者が誰かについては異論もあるとのこと。
植田菊市は蛇胴製作の傍ら、弟の花立万太郎と共に舞法を考案し、現在でも基本の型として受け継がれている。
本論文には蛇胴の製作のノウハウも記録されている。それを読むと皮膚感覚が大切な職人芸であることが分かる。竹の選定にも眼力が必要であり、それは自分の土地の竹林から採っていることが大きいようにも思える。
植田蛇胴製作所では主に植田夫妻によって蛇胴の製作が行われており、家内制手工業的なそれは現在の雇用制度では技術の継承を困難にしている。植田蛇胴製作所以外にも蛇胴の製作を手掛ける業者は存在するが、のれん分けしたものではないとのこと。
コロナ禍で神楽の上演はストップし、神楽関連産業も大きな打撃を受けた。国・県・市から補助金を受け経営を続けているとのこと。
……蛇胴のメリットは蛇に見えることである。例えば関東の神代神楽では「八雲神詠」という演目が八岐大蛇退治の演目だが、人と変わらぬ衣装を着たもので蛇には見えないのである。蛇胴を得ることで「大蛇」は一番人気を得たと言える。
蛇胴は石見神楽のみならず西日本の神楽に普及した。神楽以外の芸能でも蛇胴が使用されるようになっている。
「大蛇」と石見神楽の存在を一般に認知させたのは大阪万博である。基本的には悪龍退治の物語であり、口上が無くてもストーリーを把握できる。そのため海外公演でも必須の演目となっている。
植田氏は高齢であり、奥様は2023年にお亡くなりになったという。手伝いをしている人はいるそうだが、直接の技術継承者がいないと見られるため、植田氏直系の蛇胴の製作ノウハウは失われてしまうかも知れない。
| 固定リンク
「浜田市」カテゴリの記事
- 利用者登録を行う(2024.12.20)
- キヌヤ長澤店が新装オープン 2024.12(2024.12.13)
- 新店舗オープンまでどうするか(2024.12.01)
- 転入届を出す(2024.11.18)
- 浜田にUターンする 2024.11(2024.11.15)
「神楽」カテゴリの記事
- 新嘗祭の日(2024.11.23)
- 式年祭は今年だったらしい(2024.11.17)
- 鷲宮神社の奉納神楽を鑑賞 2024.10(2024.10.10)
- 面芝居の資料(2024.10.03)
- 面芝居の資料があった(2024.08.12)