読了できず――本田安次「日本の伝統芸能」第4巻
本田安次「日本の伝統芸能」第4巻を読み始める。序文は小寺融吉の手になるものである。昭和初期に早稲田大学を卒業後、石巻の中学(現在の高校相当)で英語教師となり、その余暇に東北の芸能を探訪して回ったとある。モータリゼーションはまだまだ先の時代で、道もろくに舗装されていないであろうし、車もなく徒歩で行かねばならない箇所も多かったと思われる。非常に精力的に回っている。自己を振り返ってみると、休暇は疲れて夕方まで寝て過ごし、無為な休日を過ごすのがもっぱらだった。
江戸の神楽が文化年間に東北に伝わった事例もある。黙劇と書かれている。この神楽を見れば江戸時代の江戸の神楽がどのようなものだったか参考になるかもしれない。※斎藤修平先生は江戸の神楽の黙劇化は明治期の神楽改正の頃と考えているようだ。
参考になったのは以下の箇所である。
又、折口信夫教授は、古代研究国文学篇の、「国文学の発生」の章に於て、「全体、狂乱時・変態時の心理の表現は、左右相称を保ちながら進む、生活の根本拍子が急迫するからの、律動なのである。神憑りの際の動作を、正気で居てもくり返す所から、舞踊は生れて来る。」と説かれ(同書八七頁)、これに対して土田杏村氏は、神憑りがあつて然る後に踊が始つたのでは無く、踊は呪術的行事としてもつと初めに存し、巫女神憑りの状態に入る折に其の周囲の人々が歌舞乱踏して、催眠意識に入り易い環境をつくつてやる必要があつたのだと述べられてゐる。(国文学の哲学的研究第二巻「文学の発生」一三三頁)然し、金田一京助教授も、土田氏のこの説は、遺憾乍ら巫げん神懸りの実感を欠いたゝめに、一分の思弁を残したものであつたと評され、「巫げん自身神懸りに入つた時の自然(おのづから)の異状の跳躍、及びその時の神語の宣べやうの異状の調子、」これらを模倣したものであつたればこそ、単なる生理的運動に信仰が結びつき得たのであると説かれ、やはり巫げん神懸りの状態そのものに歌舞の起源を求められ、さうして音楽こそは、尚更に、もと巫げんが自ら神懸に入るための神秘的な手段であつたと述べられてゐる。(「北の人」二三一頁)
本田安次「日本の伝統芸能」第四巻 1ー2P
結局、この本は全く読めずに返却してしまった。一度延長したのだが、それでも読めなかった。1~3巻までは読了できたので、以降も読めるだろうと考えていたが、案に相違して読めなかった。
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