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2023年9月30日 (土)

よみカルの石見銀山講座

よみカルの「世界遺産・石見銀山を学ぶ[オンデマンド講座]徳川家康と石見銀山」というWEB講座を見る。

「1.江戸初期の石見銀山」では最盛期に現在価値で175億円相当もの銀を産出していたと推定している。銀山では10歳くらいから下働きをはじめ手子(てご)と呼ばれたそうだ。今でもてごをしてくれ(手伝ってくれ)という方言に残っている。30歳になると病気のない者はいないという過酷な労働環境だったようだ。

「2.石見銀山奉行、大久保長安という人物」では初代・銀山奉行の大久保長安(ながやす)の話が語られる。長安の元では安原伝兵衛(安原備中)という山師や宗岡佐渡(元は毛利氏の家臣だった)といった部下が活躍したと語られる。銀山には行ったことがあるが、大久保長安の墓はどこにあるか分からなかった記憶がある。

「3.石見銀山のその後」では天下の総奉行と呼ばれた長安だったが、死後、不正蓄財を咎められ、七人の息子が全て切腹させられる等して大久保家は断絶してしまう。石見銀山には次の奉行が任命され、安原備中、宗岡佐渡たち実務家たちにまでは累は及ばなかった……という内容である。江戸時代では民政に貢献した人材には高い石高が与えられていない。よくて小大名、大抵は旗本といった処遇だったとのこと。

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