論争発生――斎藤英喜, 井上隆弘/編『神楽と祭文の中世 変容する信仰のかたち』
斎藤英喜, 井上隆弘/編『神楽と祭文の中世 変容する信仰のかたち』を読む。祭文を手がかりに中世の神楽を考察した論考集。神楽の史料は江戸時代に唯一神道流に改訂されたものがほとんどで、それ以前の両部神道的な史料は限られている。その史料が残る奥三河の花祭や備後荒神神楽、土佐のいざなぎ流、南九州の神楽、対馬の神楽などが取り上げられる。
ここで注意しなければならないのは、『神楽の中世―宗教芸能の地平へ』という本に収録された鈴木正崇「神楽研究の再構築へ向けて」という論文である。鈴木氏は本書の編者である斎藤、井上氏を激しく批判している。一つの論争の発生である。
これは本書の論文が間違っているという訳ではないのだが、両部神道の史料にしても実際に残されたのは近世初期の史料というパターンが多く、そのまま中世に遡るのは問題ではないかという問題提起である。
鈴木氏と斎藤、井上氏の論争は今後に要注目。
| 固定リンク
« 団塊の世代が消えたらどうなるか――橘玲「上級国民/下級国民」 | トップページ | 交換様式の四象限――柄谷行人、見田宗介、大澤真幸「シリーズ・戦後思想のエッセンス 戦後思想の到達点 柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る」 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ラディカルな筆致――橘玲『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(2025.07.13)
- 批評家は世代交代しつつあるが――『いま批評は存在できるのか』(2025.07.10)
- 渦中にいてはよく見えないこともある――河合隼雄、村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(2025.06.21)
- 日本列島は北方ルートと南方ルートの交差点――後藤明『世界神話学入門』(2025.06.15)
- 芝居小屋の雰囲気がよく伝わってくる――仲野マリ『地方の芝居小屋を巡る』(2025.06.12)
「神楽」カテゴリの記事
- 三次盆地から流れてきたポスター(2025.06.17)
- やりたいのは神楽なのか芝居なのか――スーパー神楽(2025.05.08)
- 長沢神社の奉納神楽を見学する 2025.04(2025.04.27)
- テキストのボリューム的には十分なはずなのだが(2025.03.30)
- リソースは限られているので(2025.03.20)