晩越峠――モチーフ分析
◆あらすじ
屋島や壇ノ浦の戦いで敗れた平家の一門の人々は安徳天皇を奉じて山陽山陰の山々を越え、吉賀川沿いに落ち延びてきた。柿木まで辿りついてほっとしたところへ追手が来て夜討ちに遭い、おおかた討たれてしまった。それでそこを夜討原と言う様になった。わずかに生き残った人々は天皇を守りながら馬を走らせて左鐙の里を通った。そのとき道ばたの胡瓜垣に馬の左の鐙が引っかかって落ちたが、それを拾う暇もなく通り過ぎたので、ここを左鐙(さぶみ)と呼ぶようになった。長い戦いで落人になって破れた馬の沓(くつ)を畳で打ち替えた。そこでここを沓打場と言う様になった。追手の者が落人のことを尋ねたが、そこの人は落人に同情して、そんなものは見んがと言ったので民ヶ谷(みんがたに)と言う様になった。そのおかげで僅かに追手の手が緩んだ間に一同が集まって評定をしたところを集義(しゅうぎ)と言う様になった。落人の一行は畳石で一夜を明かすことになった。畳石は吉賀川のほとりにある広い平らな岩で、その上に御殿岩という高い岩の壇がある。天皇をこの上でお休め申し上げ、馬は川向こうの岩の穴に入れて夜を明かした。それで岩の壇を御殿岩または一夜城と呼ぶようになり、岩穴は馬の駄屋と言う様になった。畳石には大小様々なくぼみがあるが、これを馬のたらいとか馬の足跡とかいって、この時できたものと言っている。少し川上に風呂ガ原という所があるが、ここはその時民家に野風呂をたてていたので、頼んで天皇を入れたところだという。追手は執念深く追ってきて、畳石の奥で激しい戦いになった。そこを軍場(ぐんば)と言い、そこから流れる谷を軍場谷と言う様になった。ようやく生き残った人々が晩越峠(おそごえだお)に辿りついたときはもう日が暮れようとしていた。晩越峠は晩く越したのでこう呼ぶ様になったが、追っ手に追われて辿り着いたのは暮れ方で、峠の上へあがって遙か川下を見るとびっくりした。川下には源氏の白旗が幾筋も風にはためいている。せっかくここまで落ち延びてきたのに行く手には既に敵の手がまわったのか、われわれの運命も最早これまでだと天を仰いで嘆息したが、よくよく見ると白旗と思ったのは白い鷺(さぎ)で、何十羽とも知れぬ鷺が頭の上をかすめて、峠を越えようとして飛んできた。それが分かるとほっとするとともに、鷺に驚かされて肝をつぶした憤りが一時に爆発して、おのれ鳥畜生の分際で、畏れ多くも主上のおん頭の上を通るとは何事か。未来永劫この峠を越すことはならぬと叱ると、鷺は引き返して川の上を廻っていった。ここは低い峠で越えればほんのわずかであるが、川は突き出た山裾を三キロばかりも廻っている。それから鷺は決して峠を越えず、川の上を廻っていくので、ここを鷺が廻りと呼ぶ様になった。
◆モチーフ分析
・屋島や壇ノ浦の戦いで敗れた平家の一門の人々が安徳天皇を奉じて吉賀川沿いに落ち延びてきた
・柿木まで辿り着いてほっとしたところを追手に夜討ちされ、おおかた討たれてしまった。それでそこを夜討原と言う様になった
・生き残った人々は天皇を守りながら馬を走らせて道ばたの垣に左の鐙が引っかかって落ちたが、それを拾う暇もなく通り過ぎたので左鐙と呼ぶようになった
・長い戦いで落人になって破れた馬の沓を畳で打ち替えたので沓打場と言う様になった
・追手が落人のことを尋ねたが、村人は落人に同情して、そんなものは見んと言ったので民ヶ谷と言う様になった
・追手の手が緩んだ間に一同が集まって評定したところを集義と言う様になった
・天皇を吉賀川のほとりにある畳石でお休め申し上げ、馬は川向こうの岩の穴に入れて夜を明かした。それで岩の壇を御殿岩または一夜城と呼ぶようになり、岩穴は馬の駄屋と言う様になった
・畳石には大小のくぼみがあるが、これを馬のたらいとか馬の足跡という
・民家で野風呂をたてていたので頼んで天皇を入れたところを風呂ガ原という
・畳石の奥で激しい戦いになったので、そこを軍場と言い、そこから流れる谷を軍場谷と言う様になった
・生き残った人々が晩越峠に辿りついたときは日が暮れようとしていた。遅く越したので晩越峠と呼ぶ様になった
・峠を上がって川下を見ると、源氏の白旗が風にはためいていてびっくりした
・最早これまでと嘆息したが、よく見ると白い鷺で何十羽もの鷺が頭上を越え峠を越えようと飛んできた
・ほっとしたら、鷺に肝をつぶされたことに憤って、主上の上を通るとは何事か、未来永劫この峠を越すことはならぬと叱った
・鷺は引き返して川の上を廻っていった
・低い峠だが、鷺はそれから決して峠を越えず、川の上を廻っていく様になった。そこでここを鷺が廻りと呼ぶ様になった
形態素解析すると、
名詞:馬 鷺 峠 こと そこ ところ 上 人々 天皇 岩 戦い 畳石 落人 追手 それ 吉賀 壇 川 晩 沓 谷 越峠 軍場 十 ここ これ これまで たらい とき びっくり ほとり もの ガ ノ 一同 一夜城 一門 主上 何 何事 同情 嘆息 垣 夜 夜討 夜討ち 大小 奥 安徳天皇 屋 屋島 岩穴 川下 川向こう 川沿い 左 左鐙 平家 御殿 手 打 日 暇 未来永劫 村人 柿木 民 民家 浦 源氏 畳 白旗 穴 義 肝 評定 足跡 道ばた 野風呂 鐙 間 集 頭上 風 風呂
動詞:言う 呼ぶ する なる 廻る 見る 越える ある いう 入れる 生き残る 越す くぼむ たてる つぶす はためく 上がる 休める 叱る 奉じる 守る 尋ねる 引き返す 引っかかる 憤る 打ち替える 拾う 敗れる 明かす 暮れる 流れる 申し上げる 破れる 緩む 落ちる 落ち延びる 討つ 走る 辿り着く 辿る 通り過ぎる 通る 集まる 頼む 飛ぶ
形容詞:ない 低い 激しい 白い 長い
形容動詞:そんな
副詞:ほっと おおかた よく 最早 決して 遅く
連体詞:この
平家の落人/源氏の追手構図です。落人―(落ち延びる)―追手という図式です。
平家の落人たちは吉賀川沿いに落ち延びた[逃亡]。追手に討たれて大勢が亡くなった[損耗]。それらの出来事が地名の由来となっている[地名説話]。鷺の大群を源氏の旗と見間違えもして鷺を叱った[誤認]。
平家の落人たちにまつわるエピソードが吉賀川流域の地名の由来となった……という内容です。
発想の飛躍は鷺を源氏の旗と見間違えたことでしょうか。落人―旗―鷺という図式です。
平家の落人にまつわる地名説話です。ここでは安徳天皇を奉じてとありますが、天皇は壇ノ浦で入水しています。他の貴人の話が転化したものかもしれません。
◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.359-360.
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