千八尋渕――モチーフ分析
◆あらすじ
円ノ谷から鍛冶屋谷に沿って登ると、大津に千八尋渕(せんやひろぶち)という有名な渕がある。直径三、四メートルくらいの丸い渕で、そう大きいことはないが、はんどう(水瓶)を上から覗く様に周囲の岩が下になるほど広がり、青黒い水をたたえている。この渕は底が円ノ谷の蛇渕へ続いているということで、この渕へ手杵を落としたところ蛇渕へ浮いたとか、籾殻(すくも)を流しこんだところ蛇渕へ出たとかいう話がある。昔、大津の長九郎という人が日原から塩を買って帰りに千八尋渕の上で休んでいた。すると渕から一匹の蜘蛛(くも)が上がってきて、長九郎の膝の頭へ糸をつけて渕へ下りていった。長九郎はおかしなことをすると思って、糸を外してほとりの松の切株へつけておいた。しばらくすると、下から糸をぐいぐい引っ張りはじめた。すると、大きな松の切株がぐっさぐっさと動き出して、とうとう下の渕へどぶんと落ち込んでしまった。長九郎は危ないところだった。もう少しで渕へ引っ張り込まれるところだったと思いながら家へ帰った。その晩、長九郎の家の床の間にあった刀が一人働きをして何か斬ったので、明くる朝見るとべっとりと血がついていた。ある時長九郎が外から帰ってみると、昔から家伝の刀のしまってある箪笥(たんす)の引き出しを百足(むかで)がぞろぞろ這い回っていた。不思議に思って刀を出してみると、刀の刃を百足が這っていた。その話が伝わって、あっちこっちから人が見にくるようになった。とうとうそれが津和野の殿さまの耳に入って、そういう刀があるならば差し出すようにという沙汰があった。長九郎は仕方なしに刀を差しだした。ところがその晩から、刀は毎晩のようにかたかたと鍔(つば)を鳴らせて長九へ帰る、長九へ帰ると言う。殿さまは気味が悪くなって、とうとう長九郎へ返した。そののち長い間、刀は長九郎の家にあって、抜いてみるといつでもこうこうとした刃の上を百足が這っていた。そしてあっちこっちから見にくる人が絶えなかった。けれども長九郎は決して女には見せなかった。長九郎の女房はそれを見て、いくら女だからと言って自分の家にあるものを見ることができないというのは情けない話だと思った。そしてある日長九郎が留守の間にそっと刀を出してみた。ところがそれから刀に百足がいなくなり、赤い錆(さび)がくるようになった。ある時長九郎が千八尋渕へ行くと、向こうの岸からこっちの岸へとてつもない大きな蟹(かに)が爪をかけていた。長九郎はびっくりして火縄銃に青銅の一つ玉を込めてズドンと一発大きな甲をめがけて撃つと蟹は渕へ落ちた。長九郎は家へ帰ると手桶に三杯水を飲んだがすぐ死んでしまった。
◆モチーフ分析
・大津に千八尋渕という有名な渕があって、円ノ谷の蛇渕へ続いていると言う
・大津の長九郎が日原からの帰りに千八尋渕の上で休んでいた
・渕から一匹の蜘蛛が上がって来て、長九郎の膝頭へ糸をつけて渕へ下りていった
・不審に思った長九郎が糸を松の切株へつけておくと、松の切株が動き出して渕の中へ落ちた
・もう少しで渕へ引っ張り込まれるところだったと思いながら長九郎は家へ帰った
・その晩、長九郎の家の床の間にあった刀がひとりでに動いて何かを斬った
・明くる朝見ると血がべっとりと付いていた
・あるとき長九郎が帰ってみると、家伝の刀のしまってある箪笥の引き出しを百足がぞろぞろと這っていた
・その話が伝わってあちこちから人が見にくるようになり、とうとう津和野の殿さまに召し上げられてしまった
・その晩から刀がかたかたと鍔を鳴らせて長九へ帰ると言ったので、気味悪くなった殿さまは長九郎へ帰した
・その後、刀は長九郎の家にあって抜いてみるといつでも刃の上を百足が這っていた
・あちこちから見にくる人が絶えなかったが、長九郎は女には決して見せなかった
・長九郎の妻はいくら女だからといって自分の家にあるものを見ることができないのは情けないと思い、長九郎が留守の間に刀をそっと出してみた
・それから刀に百足がいなくなり、赤錆が出るようになった
・あるとき長九郎が千八尋渕へ行くと向こう岸にとてつもなく大きな蟹が爪をかけていた
・びっくりした長九郎が火縄銃で甲をめがけて撃つと、蟹は渕へ落ちた
・長九郎は家へ帰ると手桶に水を三杯飲んだがすぐに死んでしまった
形態素解析すると、
名詞:長九郎 刀 渕 家 千 八尋渕 百足 あちこち とき 上 人 切株 大津 女 晩 松 殿さま 糸 蟹 一 三 九 いつ こと ところ びっくり もの ノ 不審 中 何か 円 刃 向こう岸 妻 家伝 床の間 引き出し 後 手桶 日原 明くる朝 有名 水 津和野 火縄銃 爪 甲 留守 箪笥 膝頭 自分 蛇渕 蜘蛛 血 話 赤錆 鍔 間
動詞:帰る ある 見る 思う くる つける 落ちる 言う 這う いう いる かける しまう できる めがける 上がる 下りる 付く 休む 伝わる 出す 出る 動き出す 動く 召し上げる 帰す 引っ張り込む 抜く 撃つ 斬る 来る 死ぬ 続く 行く 見せる 飲む 鳴る
形容詞:とてつもない 情けない 気味悪い 絶えない
副詞:いくら かたかた すぐ そっと ぞろぞろ とうとう ひとりでに べっとり もう少しで 決して
連体詞:その ある 大きな
長九郎/蜘蛛、長九郎/百足/刀/女房、長九郎/蟹の構図です。蜘蛛―糸―切株/長九郎、長九郎―百足/刀―女房、長九郎―火縄銃―蟹といった図式です。
千八尋渕は円ノ谷の蛇渕に繋がっていると言われている[通底]。千八尋渕で休んでいた長九郎は危ういところで蜘蛛に渕に引きずり込まれそうになる[危機]。その晩、長九郎の家伝の刀がひとりでに動いて何者かを斬った[加護]。長九郎の刀には百足が這っていた[呪宝]。女人には決して見せなかった長九郎だが[禁止]、女房がこっそり見てしまい[禁止の侵犯]、百足は消えてしまう[呪力の消失]。呪力を失った長九郎だが[喪失]、千八尋渕で大蟹と遭遇し火縄銃で蟹を撃つが[退治]、すぐに死んでしまった[死]。
長九郎は家伝の刀を女には決して見せなかったが、女房がこっそり見たので呪力を失った……という内容です。
発想の飛躍は長九郎の家伝の百足が這う刀でしょうか。女が見ることで呪力を失ってしまいます。長九郎―百足/刀―女房という図式です。
渕で蜘蛛が足につけた糸を切株に移すと切株が渕に引きずり込まれてしまったという伝説は各所にあります。渕と長九郎にまつわる複数の伝説が融合した作品です。
◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.366-368.
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