和泉式部の腰かけ岩――モチーフ分析
◆あらすじ
都を出て九州路へと旅だった和泉式部はなれない旅路で道もはかどらず、ようやく石見の国の国府へ辿り着いた。道の険しい山陰の旅、男の足でさえ楽ではないのに、都住まいのか弱い女の足、しかも身重の身であった。竹の杖を頼りにようやくここまで来た時には、足は痛み息がきれて、もう一歩も進めない程だった。式部は道のほとりの清水で喉を潤し、ほど近い伊甘(いかん)で旅路の平安を祈り、下府(しもこう)橋のたもとまで出た。その時激しい腹痛がおそって来た。式部は出産が間近になったことを知った。心許ない旅の空、頼むのは暖かい人の情けである。こうしてはいられぬと足を早めて橋詰にある大きな家の前まで来た。庭の隅には大きな平らな岩が据わっていた。歌と学問にかけては都でその名を謳われた和泉式部も長い旅と臨月という身重な身体でやつれ果てて、まるでみすぼらしい乞食女の様になっていた。しばらく休んで情にすがろうと、その岩に腰を下ろしてほっと一息ついた。そして何か気が遠くなるような気がしているところへ、気づいてみるとそこにその家の使用人が立っていた。式部は訳を話してこの上歩いて行くことができないので泊めてくれるように頼んだ。しかし見る影もなくやつれて、その上いつ子供が産まれるか分からない旅の女を泊めてくれようとはしなかった。早く出て行ってくれと使用人は厳しく言う。どうか哀れと思ってお泊め下さいと頼んだが、酷い剣幕でせき立てられ、式部は仕方なく重い腰を上げ、痛む腹を押さえてとぼとぼと歩いて行った。五月雨がまたひとしきり降ってきた。「鳴けや鳴け 高田の山のほととぎす この五月雨に 声なおしみそ」「憂きときは 思いぞいずる石見潟 袂の里の 人のつれなさ」これは和泉式部がこの時のことを思い出して詠んだ歌である。今も式部が腰をかけて休んだ岩はこの家の庭に残っていて「式部腰かけ岩」と呼ばれており、青柳大明神の祠もある。式部はここから多陀寺(ただじ)山を越えて袂の里で出産し、子供に産湯をつかわせたので、それから生湯(うぶゆ)と言うようになった。
◆モチーフ分析
・九州へ向けて旅立った和泉式部はようやく石見の国の国府へ辿り着いた
・女の足でしかも身重だった
・疲れ果てた式部は伊甘で喉を潤し、下府の橋のたもとまで来た
・そのとき陣痛が起きて式部は出産が間近なことを悟った
・大きな家を訪ねた式部は庭の大きな岩に腰掛けて休んだ
・その家の使用人がやって来て式部は事情を話したが、みすぼらしい姿に受け入れてくれようとしなかった
・使用人にせき立てられ、式部は止むなく歩き出す
・式部、歌を二首詠む
・式部は多陀寺の袂の里で出産し産湯をつかった
・それでそこを生湯と呼ぶようになった
・式部が腰掛けた岩は現在でも残っている
形態素解析すると、
名詞:式部 使用人 出産 家 岩 二 こと そこ たもと とき 下府 九州 事情 伊甘 和泉式部 喉 国 国府 多陀 女 姿 寺 庭 橋 歌 現在 生湯 産湯 石見 袂 足 身重 里 間近 陣痛
動詞:腰掛ける する せき立てる つかう やって来る 休む 受け入れる 向ける 呼ぶ 悟る 旅立つ 来る 歩き出す 残る 潤す 疲れ果てる 訪ねる 詠む 話す 起きる 辿り着く
形容詞:みすぼらしい
副詞:ようやく 止むなく
連体詞:その 大きな
和泉式部/里人の構図です。和泉式部―岩―使用人、和泉式部―出産―生湯といった図式です。
身重の和泉式部は出産が近づき、泊めてくれる家を探した[依頼]が、そのみすぼらしい姿に断られてしまう[拒否]。やむなく式部は多陀寺の袂の里に行き[足を伸ばす]、そこで出産し、産湯を使った[出産]
出産が近づいた和泉式部だったがみすぼらしい姿のため泊めてくれる家がなく、仕方なしに多陀寺の袂の里で出産した……という内容です。
発想の飛躍は屋敷の使用人が式部の出産を断ったことでしょうか。和泉式部―岩―使用人の図式です。
出産の穢れを嫌ったという見方もできます。伊甘は伊甘神社、多陀寺は初午祭で知られる古刹です。浜田市生湯町の地名説話でもあります。
◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.247-249.
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