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2022年8月 7日 (日)

西行法師――モチーフ分析

◆あらすじ

 西行法師が鼓が原へ行った。タンポポの花がきれいに咲いているので「人に聞く鼓が原に来て見れば 磯辺に咲けるタンポポの花」と詠んだ。我ながら良く詠めたと感心する。広い原で家が無い。どこか泊まるところはないかと探していると小さな家が見つかった。入って見ると髪の白い老人夫婦がいたので一夜の宿を求めた。許されたので上がると何しに来たのか問われた。花を見に来たと答える。西行と名乗ると歌詠みの先生だなと言われる。ひとつ歌を詠んで欲しいと言われたので、我ながらよく詠めたと思う歌だといって詠んだ。それを聞いた老人はどうにもいけないところがある、自分がこの歌を直そうとと答える。鼓というものは音のするものである。それでは音に聞くと言わなければ鼓が原に来た甲斐がない。磯辺に咲ける、鼓は皮を張ったものである。だから川辺に咲けるとやってみよ。「音に聞く鼓が原に来て見れば 川辺に咲けるタンポポの花」と直すように言った。西行は感心して、そのうちうとうとと寝てしまった。目が覚めてみるともう夜明けで、そこには家もなくただの野原であった。そしてほとりに短冊が落ちていた。そこには「柿本人麿」と書いてあった。

◆モチーフ分析

・西行法師、鼓が原へ行く
・西行法師、歌を詠んで自賛する
・西行法師、宿を借りる
・西行法師、老人に歌を詠んで聴かせる
・老人、歌に手入れを施す
・納得した西行法師、そのまま寝てしまう
・目が覚めるとそこは野原で「柿本人麿」と書かれた短冊が落ちていた。

 鼓が原へやって来た西行法師、歌を<詠んで><自賛>する。宿を<借りた>西行法師、宿の主に歌を<詠んで><聞かせる>。すると老人は歌を<修正>する。<納得>した西行法師、<寝て>しまう。目が覚めると家は<消滅>し「柿本人麿」と書かれた短冊が<残存>していた。

 西行法師に歌の指導を行うのが柿本人麻呂だったというところが発想の飛躍でしょうか。西行法師が石見国を訪れたのかは分かりませんが、柿本人麻呂は石見で生涯を終えた歌聖であり、石見にふさわしい昔話と言えるでしょう。

◆参考文献
・『日本の民話 34 石見篇』(大庭良美/編, 未来社, 1978)pp.149-151.

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