いつになったら読み終わるか――オースランダー「ライブネス」
オースランダー「ライブネス」を電子書籍でマウスオーバー辞書を引き引き読んでいる。全然進まない。今やっと20%くらい。読み終えるのに何ヶ月かかるか。
この本、ライブパフォーマンスはメディア化の進んだ現代ではテレビでの鑑賞と違わないと主張している。
例えばスポーツの鑑賞では、テレビではクローズアップ、リプレイ、スローモーションなどの技法があり、現地で見るよりも便利かもしれない。オースランダーは一等席にいるのと変わらないとしている。
しかし、実感として、プロ野球の中継は数え切れないほど見たが、現地の野球場で見た記憶には勝てないのだ。夏の夜の爽やかな空気までは再現できないのである。ドームはそういうの無いけれど。
どんなに立派なホームシアターを構築したとしても、ライブの実感とは異なるのである。
ライブ性を巡るオースランダーとフェラン(フィーラン)の論争は日本でも知られているけれど、「ライブネス」自体は日本語訳されていない。日本は海外の書籍の翻訳が盛んな国でもあるのだけど、翻訳されていないということは、オースランダーの主張に価値があると認められていないということだろう。
<追記>
第二章ではロックの真正性(オーセンティシティ)が取り上げられる。ミリ・ヴァニリのリップシンクによるグラミー賞剥奪事件とエリック・クラプトンのアンプラグドの演奏によるグラミー賞の受賞が主な事例となる。ここではロックの真正性はライブ・パフォーマンスによって担保されるとしている。MTVのアンプラグドにも真正性を認めている。
第三章では裁判における陪審員の宣誓がビデオ録画でも認められていることを挙げている。他、ライブパフォーマンスと著作権についてなど。
一日3%読むことにして読書ペースが安定した。大体15ページくらい。一日3%だと約一ヶ月で読み切れる。
マウスオーバー辞書で参照するだけだと単語を全然憶えない。書くかタイプするかしないと記憶されないようだ。
<追記 2024.03>
2024年2月に横浜中華街で早池峰神楽(岳神楽)公演を鑑賞する。動画で見ていたのとは全く印象が違った。太鼓を強く打つ力強い神楽だった。太鼓の音圧は家庭用スピーカーでは再現できない。ライブパフォーマンスはライブで見ないとと思わされた。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ラディカルな筆致――橘玲『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(2025.07.13)
- 批評家は世代交代しつつあるが――『いま批評は存在できるのか』(2025.07.10)
- 渦中にいてはよく見えないこともある――河合隼雄、村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(2025.06.21)
- 日本列島は北方ルートと南方ルートの交差点――後藤明『世界神話学入門』(2025.06.15)
- 芝居小屋の雰囲気がよく伝わってくる――仲野マリ『地方の芝居小屋を巡る』(2025.06.12)