100年前から変わっていない――芸能を舞台で上演することに関しての芸能観
山﨑達哉「佐陀神能の変化とその要因に関する研究―神事と芸能の二面性―」『待兼山論叢 50 文化動態論篇』(大阪大学大学院研究科, 2016)pp.1-34 という論文がある。
佐太神社の佐陀神能についての論文なのだけど、大正15年(1926年)の日本青年館における第二回全国郷土舞踊民謡大会に出演した。
この全国郷土舞踊民謡大会の反響なのだけど、
・郷土舞踊や民謡を素人が行う素朴で田舎風のものと考え、出演した芸能が技巧に奔ったり、演芸風・都会風だったりすると厳しい批判を加える(柳田国男)
・新調した衣装や派手な衣装に不快感を示し、禁止の指示を出す
・この種の芸能は郷土を離れて舞台上で再現することは不可能と考え、他の芸能との比較や芸能そのものにある郷土色などある特殊なおもしろさを狙う。こうしたおもしろさが舞台上に現れるように適宜アレンジする(小寺融吉)
・郷土舞踊や民謡は純粋で素朴かつ田舎風で、昔からのやり方を無闇に変え趣向を凝らすべきではない
・一度舞台に出てしまえばある意味芸術化し、変化していくことを認識し肯定する
・郷土舞踊や民謡について、研究資料としての価値を認めながらも、芸術的・技術的な面で質が低いとする
……といった見解が列挙されている。郷土芸能がステージ上で演じられるようになるのは大正末の日本青年館での公演が嚆矢となるのだけど、当時も現在も見解はあまり変わらないのではないか。永遠の問題とも言えるが、100年近く経過した現代でも進歩がないとも言えるだろう。
郷土芸能は変わらないことに価値を見いだすのだけど、一方で八調子石見神楽や芸北神楽の様に積極的に新しい演出を取り入れる芸能については手厳しい批判が向けられるのである。
しかし、本来、芸能というものは長い目で見れば時代に応じて変化するものではないかとも考えられる。変わらないことに価値を見いだすのは文化財保護行政がそういう指針だからとも言えるだろう。その文化財保護法にしても保存から活用へ軸足が移っているのである。
また、「明治期の神楽への影響で最も顕著であったのは、「神職演舞禁止令」と一般的に言われているものである。これは、明治四(一八七一)年二月十四日の太政官達にある、「是迄心願ト称シ猥ニ社頭ニ於テ神楽奉納之儀自今禁止之事」を指す。」(18P)と神職演舞禁止令の根拠についても記述がある。
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